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2015年10月 5日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 65 ジャーナリズム、文学

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

9 OUR  SPANISH HERITAGE  第九章 スペインの遺産

 

「ジャーナリズム」 

フィリピンにおける最初の新聞は Del Superior Govierno (優れた政府の)

で、編集者は Manuel Gonzales de Aguilar総督(1810-13)であった。

これは1811年8月8日にマニラに初めて登場した。

最後の出版は1813年7月4日であった。 

多くの新聞はもっと後の年に地方で現れた。

例えば、La Esperanza (1846) 、フィリピンにおける最初の日刊紙;

La Illustraction Filipina(1859), 最初の写真入り定期刊行物;

L Catolico Filipino(1862), 最初の宗教的新聞; La Opinion(1887),

最初の政治的新聞; El Ilokano(1889),  最初の地方の口語による新聞で、

Isabelo de Ios Reyesによって創設され編集された; そして

El Hogar(1893), 最初の女性向け雑誌である。

 

=== ここで、日本の新聞を Wikipediaで見てみましょうか:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%96%B0%E8%81%9E

日本には現在の新聞と似たものとして瓦版読売とも呼ばれていた)が江戸時代以前から存在し、木製のものが多かった。現存する最古の瓦版は16141615大坂の役を記事にしたものである。」

 

 

 

186211(文久元年122)には初の日本語の新聞として『官板バタビヤ新聞』が刊行される。これはジャワで発行されていたオランダ語の新聞『ヤパニッシュ・クーランド』を、幕府の蕃書調所が和訳したものである。」

 

 

 

1870には日本最初の日刊紙である『横浜毎日新聞』が創刊される。」

 

 

・・・これを読むと、かわら版は別とすれば、日本語の新聞は1862年

   ってことになりますね。 しかしそれも 翻訳されたものなん

   ですね。

   しかし、一般向けの日刊紙は1870年ですもんね。

   フィリピンの最初の日刊紙よりも11年ばかり遅いってことですね。

 

=== フィリピンのジャーナリズムは、やはりスペインが

    キリスト教の布教に力を入れただけあって、宗教的な

    ものがほとんどだったようですね。

    今でも、ちょっとした集まりであっても、必ずお祈りを

    しますので、キリスト教が生活のあらゆるところに

    根付いていることを実感します。

    日本の神道や仏教が生活の中に文化として根付いている

    のとはかなり違って、宗教的な意識が強いような

    気がします。

 

p131 

「文学」 

スペイン体制時代の初期におけるフィリピン文学は、その性格に

おいて ほとんどが宗教的なものであった。

その構成は、祈りの本、教義、九日間の祈り、聖者の伝記、そして

その他の宗教的出来ごとなどであった。

これらの読み物は宣教師によってキリスト教を伝えるために

広められた。 

大衆の中で広まったもうひとつのタイプの文学は、awits(騎士道の

英雄的詩歌)そして corridos(伝説の宗教詩歌)であった。

この民俗文学の例は、Siete Infantes de Lara,   Ibong Adarna, そして

Bernardo Carpio である。

これらは、スペインやフランスの中世ロマンスのフィリピン版で

あった。 

Lentの季節の間に 人々に好まれた読み物は、pasionであり、

キリストの人生の物語、その苦しみと磔の話であった。

最初のタガログ語版の pasion Gaspar Aquino de Belenによって

書かれ、1704年に出版された。

・・・・(略)・・・ 

=== この「Lentの季節」の意味が分かりません。

    次回の家庭教師の授業の時に聞いてみます。

  

もっとも知られたタガログ語文学の叙事詩は、スペイン時代に

作られた。 それは Florante at Lauraであり、「タガログ語の詩の

プリンス」と呼ばれた Balagtasの詩的な傑作であった。

Balagtasの本当の名前は Francisco Baltazar(1789-1862)である。

近代のタガログ語の詩で著名なものは、彼の栄誉にちなんで

Balagtasanと呼ばれた。 

もうひとつのタガログ語の珠玉の散文は Urbana at Feliza であり、

これは女性たちの適切なふるまいに関する本であり、タガログの

司祭 Modesto de Castro神父によって著された。 

イロコス地方の文学で有名なものは イロカノ語の叙事詩、

Lam-angで、これは イロカノの伝説上の英雄の素晴らしい行為を

描いたものです。 それは、「イロコス文学の父」として

称えられた 盲目の詩人 Pedro Bukanegによって広められました。

パンパンガ語の文学としては、感動的な韻文のロマンスである

Gonzalo de Cordova が人気のある有名人となりました。

それは パンパンガ人の司祭文筆家 Anselmo Fajardo神父が

著したものでした。 

フィリピンースペイン文学は、スペイン統治の最後の世紀に

花を咲かせました。

才能のあるフィリピン人、スペイン教育を受けた者が、

小説、エッセイ、詩歌、そして演劇を堂々としてスペイン語で

書き著しました。

ホセ・リサール博士は、最高のフィリピン人の天才で、散文と詩歌の

両方に秀でていました。 

 

p132

Pedro A. Paterno博士は、 最初のフィリピン語の小説、Ninay

(1885)を著しました。 フィリピンの三大詩人は、

Cecilio Apostol,   Fernando Ma. Guerrero,  そして、Jose Palmaで、

スペイン語の詩歌において不朽の名声を得ました。

Jose Palmaのスペイン語の詩 Filipinasはフィリピン国歌の

歌詞となりました。

 

==== 日本文学の場合は、古文だの漢文だのを高校時代に

     勉強しましたが、それはいずれも一応日本語ですから

     なんとか気合いを入れて勉強すれば分かる範囲

     なんですが(・・私の場合は古文は苦手でした)、

     フィリピン文学の場合は、上記のようにいろいろと

     大変ですよね。

     スペイン語、そしてフィリピン語と言っても

     タガログ語あり、イロカノ語あり、パンパンガ語あり、

     そして、スペイン時代が終わると、今度は

     英語の文学になり、日本占領時代には日本語も

     勉強させられたりしたわけですからねえ・・・ 

     フィリピンのハイスクール生であれば 英語は

     アメリカ映画が分かるほどに理解しているのですが、

     それでも シェイクスピアなどの古典文学に

     なるとお手上げだという話を聞いたことがあります。

     私自身も高校卒業後に2年間英語の専門学校で

     勉強しましたが、実務英語はともかく、

     シェイクスピアの英文学には 全く歯が立ちません

     でした。 悪夢のような授業でした。笑

 

== シリーズ 66へ続く ==

 

 

 

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