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2015年10月 5日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 66  劇場

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

9 OUR  SPANISH HERITAGE  第九章 スペインの遺産

 

027

p132

「劇場」

 

フィリピン演劇の初期の形は duplo と karagatanでした。

Duploとは、訓練された男女によって、死者の為に喪中の9日目の夜

あるいは最後の日に、詩的な掛け合いをやるものでした。

男の参加者はbellocos、女の参加者はbellacasと呼ばれました。

Karagatanduploと同じで、詩的な掛け合いをするものでしたが、

参加メンバーはアマチュアでした。

 

最初に記録された演劇は、1598年にセブで公演されたものです。

これは、Vicente Pucheによって書かれたcomediaで、セブの最初の司教で

あった Msgr. Pedro de Agurtoに敬意を表して演じられました。

11年後の1609年には、Santa Barbaraの人生を描いた、別の演劇

がボホールで上演されました。

 

スペイン時代には、三つの種類の演劇が大衆の間で人気となりました。

それは cenaculomoro-moro、そして zaruzuelaです。

Cenaculo、キリストの人生と苦悩を描いた宗教劇でした。

これは、Lentシーズンに上演されました。

 

=== おお、ここでまた Lent Seasonという言葉が出てきました。

    ちょっとインターネットで検索したら見つかりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%97%AC%E7%AF%80

 

四旬節(しじゅんせつ、ラテン語Quadragesima)は、カトリック教会などの西方教会において、復活祭46日前(四旬とは40日のことであるが、日曜日を除いて40日を数えるので46日前からとなる)の水曜日(灰の水曜日)から復活祭の前日(聖土曜日)までの期間のこと[1]。」

「英語では一般的に「レント」(Lent)という語が用いられるが、この言葉はもともとゲルマン語で春を表す言葉に由来している。」

 

・・・だそうです。

 

Moro-moroとは、陰謀活劇メロドラマの演劇で、キリスト教徒と

イスラム教徒の間の戦いを描いており、キリスト教徒が常に

勝利を収めるというものだった。

最初のmoro-moroは、Jeronimo Perez神父によって書かれ、1637年に

マニラで上演され、ミンダナオのモロ族に勝利した Corcuera総督を

記念するものだった。この演劇は、人々の人気を博し、特に町のお祭り

では喜ばれた。 Zarzuela ミュージカル・コメディだった。

リサールは、 Junto al Pasig(パシグの畔で)という題のzarzuela

書いている。

 

最初の劇場がマニラのイントラムロスに創設されるまでには、

17世紀の末まで待たなければならなかった。 それは

Teatro Comicoと呼ばれた。

・・・(略)・・・・

 

=== さて、日本の演劇は どうかと検索してみると:

    もちろん歌舞伎は外せませんからね・・・・

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%94%E5%8A%87%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

 

古代日本は朝鮮半島や中国大陸からもたらされる文化の影響を受けて発展した。演劇においても古来伝わるものに大陸の文化を加えて独自に発展していった。それらには推古天皇のときに伝わったとされる伎楽奈良時代に伝わったとされる散楽がある。散楽は奈良時代には朝廷の組織として「散楽戸」が置かれるなど、朝廷の保護下にあった。」

 

上記のサイトを読むと、古代はいささかはっきりせずで、また、大陸から伝わったものが多かったようですので、敢えて 日本独自のものを探すと、猿楽が一番古いのかなという感じですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E6%A5%BD

 

平安時代に成立した日本伝統芸能江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治以降のことである[1]。」

 

「奈良時代。 中国大陸から伝わった散楽が猿楽のはじまりと考えられている。散楽の具体的な内容は史料が少ない為にはっきりしていないが、正倉院宝物の「墨絵弾弓」に描かれた「散楽図」などから推測される限りでは、軽業手品物真似曲芸歌舞音曲など様々な芸能が含まれていたものとされる。」

 

 

さて、歌舞伎はどうかとみていきますと:

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E

 

歌舞伎の元祖は、「お国」という女性が創始した「かぶき踊」であると言われている。「かふきをとり」という名称が初めて記録に現れるのは『慶長日件録』、慶長8年(1603年)56日の女院御所での芸能を記録したものである。」

 

=== フィリピンと日本を比べてみると、

    フィリピンはスペインが商売よりも宣教に力を入れた

    というだけあって、かなり長い間宗教的色彩が

    濃かったようですね。

    その点では、日本は、バラエティーに富んでいたと

    言ってもよさそうです。

 

 

 

 

=== シリーズ 67へ続く ===

 

 

 

 

 

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