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2015年10月 3日 (土)

ややこしい日本語ー7  誰が食べたの?

一服していて ふっと頭に浮かんだ・・・・日本語教師症候群・・・・

日本語の助詞 「は」と「が」は 悩みのタネなんですが、

「父帰宅してから、夕食を食べた」(1)
「父帰宅してから、夕食を食べた」(2)

(1)は 勿論 「父は食べた」わけですね。

(2)は、どうですか?

まあ普通に感じるのは、
「父が帰宅してから、私は夕食を一緒に食べた。」
っていう状況ですね。
「私が」が省略されてる?

でも、
「父が、帰宅してから夕食を食べた。」もあるわけですね。

文章として「、」があれば分かるって話になるんでしょうか?

句読点の使い方が問題ってこと?

じゃあ、会話の場合は、どうすんの?
「父が てん 帰宅してから 夕食を食べた。」とでもいうの?(笑)

・・・で、この文はどうですかね?

「父帰宅してから夕食を食べたのには理由があった。」(A)

なんて文章だったら どっちの意味にとりますか?

これだったら両方いけますよね?

この二つの意味をはっきりさせる為には、どう書いたらいいの?

<食べるのが父の場合>

「帰宅してから父夕食を食べたのには理由があった。」(B)

<食べるのが私の場合>

「帰宅してから私夕食を食べたのには理由があった。」(C)

・・・・つまり、どういうこと?

(A)の場合は、「父」の後に 「帰宅して」と「食べた」の
二つの動詞が続いているから、省略された「私が」という主語が
割り込む余地ができてしまうから、二つの意味に取れるってことかな?

(B)と(C)の場合は、
「父」の後にすぐ「食べた」、「私」の後にすぐ「食べた」が
きているから、混乱しないってことかな?

それじゃあ、さらに、「帰宅した」のは誰だ ってことになりませんか?

(B)の場合を展開していくと:

「父本人帰宅してから父夕食を食べたのには理由があった。」

「私帰宅してから父夕食を食べたのには理由があった。」

(C)だって、同じことですよね:

「父帰宅してから私夕食を食べたのには理由があった。」

「私自身帰宅してから私夕食を食べたのには理由があった。」

・・・・うううううう・・・・なんてクドイ日本語なんだ。

やっぱ、日本語って文脈で意味を判断する言語みたいですね。

実にややこしい・・・・

こういうのって、英語じゃ どう言うんでしょうかねえ。

日本語は「地べたにへばりついた言語」で、
英語は「空中から俯瞰する言語」っていうような表現を
されることがあるんですけどね。

つまり、英語の方が客観的、神の視点から見下ろしている。
日本語は、話し手と聞き手が、地べたにへばりついて
キャッチボールをしている、ってことらしいんですが。
だから、会話をしている二人の間での文脈が前提で
主語が消されてしまうってことみたいなんですけど。

・・・なんてことを「ややこしい」って日本語教師症候群に
なっていたら、こんなサイトがありました。

「深く考えたらアカン。言語はアホになってマネして覚えた勝ちや」
http://rocketnews24.com/2015/07/26/612390/

まあ、それも真理。
だけど、日本語教師としては、一応格好をつけないといけないしねえ。
あはははは

  

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