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2015年3月13日 (金)

まさか佐世保つながりがあるとはねえ・・・艦コレのコスプレがバギオで見られるか

まあ、たまたまなんですがね・・・・

FACEBOOKでこんな写真が入ってきたんです・・・

2015313

・・・これを見て・・おお、なかなか恰好ええじゃないか・・なんて思ったもんで、

FACEBOOKに 「このコスプレをバギオ市でやる人いないかな~~」

などと書き込みをしたんです・・・

すると、昔の日本語の生徒から、

「佐世保だからですか?」

という書き込みが・・・

・・どういう意味だか 分からなかったんですが、さらに、

「Shigure Kai Ni 時雨改2 の別名は Shigure of  Sasebo 佐世保の時雨 っていう名前なんですよ」

・・・なんのこっちゃ分からないんで、検索してみたんです・・・

そしたら、 艦隊コレクションっていうゲームの説明で こんなのが見つかったんです・・

http://wikiwiki.jp/kancolle/?%BB%FE%B1%AB%B2%FE%C6%F3

「「呉の雪風佐世保の時雨」と謳われた幸運艦らしい運の数値に引き上げられ、対空特化駆逐艦として登場した。」

・・・確かに、「佐世保の時雨」って書いてありました・・・

まあ、よくこんな詳しいことまでフィリピン人の生徒が知っているもんだと感心しきり・・・

流石にオタクです・・・

・・・それで、wikipediaで 元々の史実を読んでみたところ・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%9B%A8_(%E7%99%BD%E9%9C%B2%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)

「。「雪風佐世保の時雨」と並び称された武勲艦である[3]。本艦について歴史学者サミュエル・モリソンは著書『モリソンの太平洋海戦史』の中で「幸運艦」[4]、「不滅艦『時雨』」[5]と表現している。」

フィリピンのレイテ沖の海戦では・・・

]「朝雲」の沈没により西村艦隊は「時雨」1隻を残して全滅[374]。」

そして、最後は 1945年の1月のようですが・・・

「1月24日早朝、「時雨」以下ヒ87A船団はタイランド湾マレー半島東岸を速力12ノットで航行していた[423]。」

「7時4分、「時雨」は左30度に魚雷を発見して面舵回避を開始、この魚雷は艦尾をかすめたという[431]。1分後、4本確認された魚雷のうち魚雷1本が「時雨」左舷後部に命中[432]。急激に傾斜した為、ただちに総員上甲板が下令される[433]。7時10分総員退去、艦中央部で前後に分断された「時雨」は7時15分に沈没した[434]。 」

・・・という歴史上の話なんですが・・・

なんと、こういう太平洋戦争の時の日本の軍艦の話を、ゲームから始まって歴史まで細かくしっているってんですから、恐れ入りました・・・

2015313_a

・・・ まあ、一応 バギオ市の中では、コスプレ大好きな変な日本人の爺さんってことになっているみたいなんで、

「誰か このコスプレやってみない~~」

って、FACEBOOKで 声を掛けてみたら、

コスプレ大好きの女の子が 「なんだか面白そう・・・」

っていう反応を示してくれたんで、

「次は これをやってちょうだいよ」

・・・と言ってみたら・・

「はい、勉強してみます・・・」

・・ってなことになりまして・・・

「佐世保の時雨」が バギオ市で見られるかもしれません・・・

楽しみ、楽しみ・・・

////////

ちなみに、ご当地、我が故郷の佐世保市では、こんなイベントが予定されているようです・・・

https://circle.ms/ev/EventDetail.aspx?EVID=80002244

西海ノ暁5

開催日 2015年4月26日

一行説明   艦これオンリー同人誌即売会

http://saikai.tsukushi-fes.com/

「佐世保鎮守府でのご当地開催!アルカス佐世保にて『西海ノ暁5』を開催いたします。艦これ関係の頒布物があれば参加OK。もちろんコスプレも可能です。関係団体と協力して様々な企画も計画しております。ぜひご参加下さい。」

・・・どんなことやるんでしょうかねえ・・・

即売会だけなんかなあ~~~

4月26日かあ・・・

一時帰国中だけど、行くのは無理だなあ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2015年3月 9日 (月)

自作の日本料理で 卒業昼食会 - 550時間の日本語研修 修了証書授与式

3月9日・・・去年の7月から550時間の日本語研修を続け、本日無事に修了証書授与式を行いました・・・

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550時間だと 平均的には 日本語能力試験のN4合格ぐらいだと思うんですが、なんと2名はN3の模擬試験に合格してくれました・・・

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・・・で、今回の日本語研修は委託内容の中に 「調理用語」を教えてくれというのがあったもんですから、日本料理のクッキング・ブックを教材にしたんです・・・

せっかく日本料理の作り方を日本語で勉強したんだから、これは 卒業記念に作ってもらおうじゃないか・・・ってんで、2人1組で それぞれに料理をしてもらいました・・・

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このチームは 「けんちん汁」 班・・・・

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鶏肉に骨がたくさん入っていたり、味が何か足りない今一つの感はありましたが、きちんと出来ていました・・・

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このチームは 「とんかつ」 班・・・・

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お肉の素材も、揚げ具合も 合格でした・・・

しいて言えば、練りからしが 無いな・・・

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男チームは 「天ぷら盛り合わせ」 班・・・

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あの カラッと揚げるというところまではいきませんが、まあ家庭の味にはなっていました・・

紫蘇の代わりの葉物を何にしようかと考えていたようですが、結果は カモテの葉 を使っていました・・

カモテは 薩摩芋のような芋です・・・

良く チャレンジしてくれました・・

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・・で、 「じゃあ~~ん」 と出来上がり!!

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大学のツーリズム学部で学んだ生徒が、テーブル・セッティングも勉強したそうで、かなり手の込んだ形が出来ました・・・

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団体の事務局長さんからのお祝いの詞・・・

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・・・で、 「いっただっきま~~す !!」

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そして、最終兵器は これ !

スイカとアイスクリーム・・・・

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生徒の一人一人が スピーチ・・・ 笑いもあり、ほろっと涙も出そうな、なかなか良い卒業式になりました・・・

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皆さん、 今からが 本当の勉強ですよ~~~.

頑張りましょう・・・・

卒業 おめでとう ございます !!

 

 

 














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ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その6

さて、いよいよ 今回のスタディー・ツアーの最後は、ほとんどバギオなんですが、隣町のラ・トリニダッドから・・・・

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フィリピンでの戦いで亡くなった皆さんを慰霊する平和之碑・・・

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この墓地には、先の戦争で亡くなった日本人の皆さんの遺骨を、シスター海野と日系人の皆さんが山に分け入って拾い集められ、無名の人々が眠っていらっしゃいます・・

シスター海野の遺志を継いで、北ルソン比日基金及び友交協会、そして比国育英会バギオ基金などが今も活動を続けていらっしゃいます・・

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説明に聞き入る 地理教育研究会の皆さん・・・

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この墓地の場所は、この看板から1分ほど歩いたところです・・

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そして、次に立ち寄ったところは、ベンゲット州の州庁舎・・

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2015年は、ベンゲット州と高知県の姉妹提携 40周年の年だそうです・・・

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そして、州庁舎前を バギオ方面へ・・・・

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ベンゲット州国立大学の前にある 立派なビル・・・

CALAJOという 山岳民族系のレストランでお昼ご飯・・・

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立派なビルの中も なかなかのインテリアで、お値段も従来の山岳民族系のレストランとしては、やや高級志向です・・・

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お試しくださいませ・・・

このツアーの最後は、お二人の日系人2世の方のお話を聞く席が設けられました・・

戦前は 日本国内の親戚よりも 裕福な生活を送り、日本へ仕送りをし、そのお金で親戚は 家を建てることが出来たという話などが出ました・・・

しかし、もちろん、戦後の生活は一変し、どん底の生活の中で、敵国だった日本の血が混ざっているということで、様々な迫害を受けたそうです・・・

山下奉文大将の通訳をやっていた兄弟が、山下大将とともに死刑に処せられたことなどの話を伺うことも出来ました・・・

戦後70年・・・フィリピンに生活してみてこそ分る歴史のひとこま、それも重いひとこまです・・・

 

((ご注意))

今回のスタディー・ツアーは、退職された学校の先生方のツアーだったのですが、イフガオ州などの、特に今回のような奥地の村々では、日本人が来たとなると 必ず 「山下財宝を探しに来ている」 と誤解されます・・

日本人には全く理解できないことなのですが、バギオから山岳地帯にかけて住んでいる人たちの中には、大学関係者、地方政府関係者、会社経営者、そして農家など一般の人々の末端まで、山下財宝の神話が根強く生きていまして、どんな日本人であっても 疑いの眼で見られ、常に監視されます・・・

今回のスタディー・ツアーでも、学校の先生方のツアーであることを何度説明しても、地元の有力者から 「でも、本当の目的は違うだろう・・・」 としつこく疑われたそうです・・

また、非常に閉鎖的な山岳地帯の村ですので、余程信頼できる地元の人との関係がないと、車での移動ひとつをとっても危険が伴いますから、安易な旅行はお控えください・・

特に雨季には 頻繁に土砂崩れが発生する地域ですので、危険です・・

=== 完 ===

 

 

 

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2015年3月 8日 (日)

ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その5

3日間のツアーの最終日・・・・

アバタンからバギオへの道すがら、こんなところへ迷い込みました・・・

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私が小学生の頃に流行ったから・・・・・55年くらい前ですかね・・?

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子供たちが 元気に遊んでいます・・・

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ここは 小学校・・・・ それも・・・

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こ~~んな 山の頂上にあるんです・・・

おそらく標高は2,000メートルに近いんじゃないかなあ・・・

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なぜここに来たかっていうと、この写真のように、村中で農薬、除草剤、殺虫剤などの薬物を大量に使った農業をしていて、それが原因かどうか決定的な結論はないものの、一年で35人もの自殺者を出した村なんだそうです・・・

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ここの農家は、実に熱心で、良く働く、真面目な人たちだそうで、生産性が非常に高く、他の村から移ってきた人たちが多く成功したのだとか・・・

ところが、衝動的に自殺をする人たちが増え、問題化して、この村出身の女性たちが、ベンゲット州国立大学などと協力して調査をしたのだとか・・・・

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小学校の先生の話では、近年は減ったものの、まだ自殺者は出ているとのことでした・・・

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一所懸命に働く農家の人たち・・・

その努力が将来的に幸せで実りのある人生に繋がるよう祈りたい・・・

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ちなみに、このキャベツは、バギオへ出荷されるそうです・・・・

日本から来た先生方は、農薬などの影響が土の色に出ている・・・とか・・・

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標高7,400フィート・・・・

ここは ベンゲット州のATOK・・・ フィリピン国内の国道の中で、標高が一番高いところなんだそうです・・・

7,400フィート = 2,255メートル ですね・・

日本で一番高いところを走っている国道は どこなんでしょ??

C_583

2千メートル級となると、さすがに寒いんです・・・

特に日本の冬場の夜などは、ジプニーのように風が吹き抜ける車両だと、吊り革ならぬ鉄棒を握る手は、完全にかじかんでしまいます・・・・

一度 ひどい目にあったことがあるんです・・・・

・・・ひどい目に会った・・・で、思い出しました・・・

C_632

・・はい、乾電池なんですがね・・・

これ、上の写真にある 小学校の前にあった雑貨店で買ったんです・・

カメラの電池が切れちゃったんでね・・・

ちゃんと写真のとおりに封入されているんですよ・・

一個22ペソ x 4個 = 88ペソ、およそ250円ぐらい払いました・・

ところがどっこい、

カメラに入れたんですが、全く動かないんです・・

新しい乾電池にしたのに、一枚もシャッターが切れないんです・・・

そういう話を聞いたことはあったんです・・

一度使った 使用済みの乾電池を 集めて、パッケージをし直して、売っている輩がいるって・・・

おそらく、それに当たっちゃったんですねえ・・

いや、もう、見事に、一枚も撮影できなかったんですから・・

舐めちゃいけない フィリピンの乾電池・・・

=== その6 に続きます ===

 

 

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ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その4

ワンワン村に別れを告げ、さらに白骨街道を 世界遺産のバナウエへと進みます・・

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この スペイン小道は、今や 国道として開発がすすめられているようですが、この長くて険しい、断崖絶壁を縫っている道が 安心して利用できるには まだまだ時間が掛かりそうです・・・

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左側は崖崩れ、右側は断崖絶壁・・・

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その崖崩れ防止の 石積み・・・・途方もない作業に 頭が下がります・・・

そんな時に、TOYOTAのオンボロ車が タイや交換・・・・

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このオンボロ車が 今回のツアーの疫病神でして・・・

アバタンでは、乗換場所に大幅に遅れ、渓谷から登る山道を登れず、時々エンジンがかからず、パワーが足りずにノロノロ運転、おまけにこの悪路の連続地帯に座席のクッションは無く・・・

当初のスケジュールをめちゃくちゃにしたのは、こいつでした・・

私は便乗組なので腹も立ちませんが、日本から遠路お越しの皆さんには不運なことでした・・・

しかし、一方で、とてもとても普通の旅行代理店が手配できるようなツアーでもなく、排他的な地域に入る、それも危険な山道に詳しい熟練した運転手でなくてはならず・・・4WD車を借りるにしても、こんな山道を行くといったら新車など貸してくれそうな貸し手もなく・・・・

そのような難しい条件の中でのツアーなのでした・・・

このタイヤ交換・・・・

幸運にも、こんな景色が広がる場所でした・・・

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世界遺産ではありませんが、うっとりする眺めです・・・

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何百年も前からの たゆまぬ営みに 頭が下がる思いです・・・

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そして、こんな村に たまに見かける伝統的な家・・・・

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もちろん、今は 倉庫などに使われているのでしょうが、

バギオ近郊では 観光用で見られる程度なのです・・・・

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フンドアンの棚田・・・ここも世界遺産になっていました・・・

有名な バナウエの棚田からも ほとんど舗装された道が続いていて、数年前の恐ろしいぬかるみの道からは 想像も出来ないほどに 快適になっていました・・

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バナウエの棚田よりもコンパクトな感じですが、ちょっとメルヘンチックな雰囲気があります・・・

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数年前に、この棚田の畦道を歩いたことがあるのですが、

狭くて段差の大きい この畦道を 今もう一度歩けといわれても、恐ろしくて足がすくむのは目に見えています・・・

もちろん、地元の人たちは 頭に荷物を載せたりして、軽々と歩いて行きます・・

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昔は国有だったという バナウエ・ホテル・・・

険しい山岳地帯から とほほな思いで抜け出してきた者にとっては、正に心からほっとするひとときでした・・・

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ここは 確かに 観光地です・・・・

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これが 一番有名な 絵葉書にもなっている ライス・テラスですね・・・

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棚田を守っている人がいました・・・

このバナウエの棚田にしても、危機的な状況にあると聞きました・・・

さて、バナウエ・ホテルで、 2台の4WD車から 1台の車に乗り換え、あれよあれよと言う間に、ボントックを周り、こんな展望台へ・・・・

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こんなところに 日本語をちょっと話すお兄ちゃんがいました・・・

C_519

山また山の景色・・・・

たまにこういう景色を見ると清々しい気持ちになりますね・・・

なんで 人間って、上から見下ろすのが好きなんでしょうかねえ・・・

これが 上から目線ってこと??

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そして、 マウンテン州から ベンゲット州への境を 超えました・・・・

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今夜は アバタン泊まりです・・・・

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お休みなさ~~い・・・・

=== その5 に続く ===

 

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ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その3

ワンワン村での一夜が明け・・・・

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水場では 鶏の親子が 朝の巡回・・・・

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私が寝たのは このベッド・・・

バランガイ・ホールの 食堂兼用の部屋・・・

ベッドがない人たちは、コンクリートの上にマットレスを並べての一泊でした・・

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さて、このワンワン村なんですが、この目の前の山を越えたところが

戦時中に 「大和基地」と呼ばれた 山下奉文大将の最後の日本軍の基地があった場所なんですね・・・

本来なら 今回のツアーで 往復2時間ほどを掛けて、谷へ下り、吊り橋を渡り、山を登って、日本軍が掘ったという山下大将の司令部のトンネルを見ることになっていたのですが、ここでは全員が棄権・・・

ちなみに、この辺りの戦時中の地図は、「イフガオの墓標」に このように描いてあります・・

003_2

右下寄りに 大和基地があって、その左下に フンワンとありますが、これがワンワン村かと思われます・・・

左側に アバタン、 上側が 世界遺産のバナウエ方面、 右上方面の キヤガンは 山下大将が 事実上の降伏をした町です・・

その翌日に正式の降伏文書に署名するため、バギオのキャンプ・ジョンヘイに移されました・・・

C_312

左を向くと・・・小学校・・・

この前方下の方で、アシン川とタウアン川が合流しているとか・・

水音は聞こえましたが、川の姿は見えませんでした・・

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昨夜 歓迎会が開かれた 小学校・・・・

「日本の皆さん・・・屋根がまだないんです・・・・」

と、冗談とも本音ともいえぬ 「要望」が・・・・

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山肌を走る Spanish Trail スペイン小道(白骨街道)・・・

このような断崖の山道が 延々と続く 恐怖の道です・・・

土砂崩れの跡は あちこちにあり、ガードレールは無く・・・・

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上の言葉・・・・

Fear of the Lord を Road に代えても 意味が通じそうな・・・・笑

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犬がたくさんいたんですけど・・・

ペットってことじゃなくて 家畜なんだそうですよ・・・

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この村のプロジェクトの一部・・・イフガオ州で力を入れているようですね・・・

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登校の時間になると・・・子供たちが ワラワラと出て来ました・・・

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しっかり勉強してちょうだいね!!

フィリピンの将来は あかるいなあ~~~

=== その4 に続く ===

 

 

 

 

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ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その2

さて、戦中・戦後に日本人が 「白骨街道」と呼んだ スパニッシュ・トレイルを進み、車のトラブルがいろいろありまして・・・

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真っ暗になって、やっと辿り着いた ワンワン村・・・・

6pmに到着の予定が・・・2時間以上も遅れ・・・

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バランガイ・ホールでの歓迎会・・・

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そして、自己紹介などを済ませ、ここから、戦没者の慰霊の儀式をやることに・・・

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町長が見守る中、伝統的祈祷師が祈りを捧げ、黒豚が生贄にされる・・・

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・・・そして、この生贄の黒豚が 料理されるまで さらに2時間以上待つことに・・・

夕食は それまで お預けです・・・

さて、ここは イフガオ州ティノック町のワンワン村なんですが、

この村は アシン川とタウアン川が合流し、囲まれた土地だとの話だった・・・

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さっそく、ガンサの音に合わせて、歓迎の踊りが始まります・・・

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村の人たちも 遅くまで大変です・・・

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町長や村長や祈祷師は 踊りが上手じゃないと務まらないみたいです・・・

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今回参加された地理教育研究会の皆さんたちは、日本の高校や大学などで教えてきた既に退職された教職の方々ですが、皆さんのタフさには恐れ入りました・・・

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返礼に 地元の先生たちの合唱・・・・

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・・そして、11pmごろ、黒豚さんの料理が出来上がり、日本とフィリピンの戦没者への祈りが捧げられました・・・・・・・・・・

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いただきま~~~~す !!!

=== その3 へ続きます ===

 













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ルソン島北部 Spanish Trail (白骨街道)を行く: 戦後70年スタディー・ツアー その1

2015年3月4日から6日まで、日本から研究旅行に来られた 地理教育研究会の皆様のツアーに便乗させていただき、3日間の貴重な体験をしてきました.

主なルートは:

バギオ - アバタン(ブギヤス) - トッカン -スパニッシュ・トレイル 

- バナウエ ー ボントック - アバタン - バギオ

この「Spanish Trail」というのは、フィリピンがスペインの植民地であった時代に スペイン人がやってきた 「スペイン小道」というぐらいの意味で、戦中・戦後の日本軍関係者の間では 「白骨街道」 とも呼ばれていた 険しい山岳地帯の道路であり、現在は BANAUE - HUNGDUAN - TINOC - BENGUET BOUNDARY ROAD という開発中の国道になっています・・・

TRAIL を辞書で調べてみますと・・・

「(荒野などの)踏みならされてできた道,(山中などの)小道

とありますので、当初は文字通りの小道だったのでしょう・・・

しかし、戦時中にどの程度の道であったのかは分かりません・・

それでは、バギオを出発して、まず 21K に立ち寄りましょう・・・

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21Kというのは バギオ市から21キロ・メートルの地点という意味で、バギオとボントックをつなぐ ハルセマ・ハイウエイ の途中にあります.

この看板で右に入ったすぐのところに・・・・

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バギオ周辺の 戦跡慰霊のひとつとして定番ともなった 十字架が立っています・・

読みにくいのですが、 「比島戦没将兵慰霊碑」と読めそうです・・

(「島」は旧字体を使っているものと思います・・

http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2009/10/22/shima/ )

この21Kから この道を降りていくと 昔 「山下道」 と呼ばれた道を進み、穀倉地帯のバヨンボン方面につながります・・

しかし、今回の旅は、この道よりも さらに険しい スパニッシュ・トレイルを行くのです・・

スパニッシュ・トレイル については、こちらのサイトに歴史的概説が出ています:

http://www.dilgcar.com/index.php/lgu/car-profile/ifugao/176-municipality-of-hungduan

During the Spanish Regime, the Spaniards established a commandancia in Kiangan, including schools and churches. Except for a few exploratory campaigns to other areas of Ifugao, the Spaniards confined their activities in Kiangan. The presence of old Spanish trails connecting Kiangan and Hungduan and the Banaue-Hungduan-Tinoc-Buguias, Benguet Spanish Trail are the only proof of Spanish influence in Hungduan. The Banaue-Hungduan-Tinoc-Buguias, Benguet Spanish Trail is at present the Banaue-Hungduan National Road.

 

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ベンゲット州 ブギアスのアバタンに到着・・・

この近くには ベンゲット州国立大学の ブギアス・キャンパスがあるようです・・

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ボントックに向かって、左側には このカトリック教会が見えます・・

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さすがに山岳民族ですねえ・・・

豚のこういう光景はバギオでも珍しくはありませんが、牛はなかなか見る機会がありません・・・

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「モンマを吐くな」 という注意書き・・・500ペソの罰金だそうです・・

アバタンの女性の団体が掲示していますね・・・

MOMMA と言うのは、Betelナッツのことだそうで、こちらのサイトに詳しく書いてあります:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%82%A6

http://www.lasieexotique.com/mag_betel/mag_betel.html

「ビンロウ・・種子嗜好品として、噛みタバコに似た使われ方をされ、ビンロウジ(檳榔子、areca nut / betel nut)という場合は通常この種子を指す。」

・・・とあるように、この種子を噛んで嗜好品として使っているのですが、口の中が真っ赤になって、唾を吐くと 其処ら中が 真っ赤になってしまうので、禁止されているようです・・

これも山岳民族の年配の人たちに残る風習でしょうか・・・

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・・・さて、アバタンで 車を乗り換え、 2台の 4WD車で 一路 TOKUCAN(トッカンあるいはトクカン) へ向かいます・・・

TOKUCAN は、イフガオ州のティノック町にある地区ですが、

第二次大戦末期のフィリピンで、山下奉文大将率いる日本軍が バギオ市陥落後逃げ込んだ山岳地帯の村のひとつです.

トッカンで何があったかの記事は、「イフガオの墓標」(宍倉公郎著 昭和55年 育英印刷興業 発行)に詳しく書いてあります:

http://janl.exblog.jp/10844543/

・・・私たちが このトッカンで目指したのは、この本にも出てくる アシン川沿いにあったという 野戦病院 だったのですが・・・・

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車一台が やっと通れる まさに山道を進むと、アシン川の支流かと思えるところにぶつかり・・・・

ここから 歩いて さらに1時間掛かるとのこと・・・

(私は かなり急斜面があると聞き、ギブアップ)

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待機組は、この支流で 元気組を待つことに・・・

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そこにあったのが この 「温泉」・・・・

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そして、こんな温泉の湯船もあり・・・・

戦時中には、ここで日本兵たちが 風呂に入っていたという地元の人たちの証言もあるとか・・・

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おそらく、この水辺でも、飢餓地獄となって、多くの日本人の兵士、民間人が亡くなったことでしょう・・・・

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戦後70年・・・・今でも ここに彷徨っている日本人たちが いるのかもしれません・・

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この岩に 何が見えますか?

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自然にできたものなのか・・・・彷徨う魂が 岩に刻んだのか・・・・

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結局、野戦病院の跡を見に行った元気組も 時間がないため途中で引き返してきて、トッカンの本道へ戻りました・・・

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さて、ここからが Spanish Trail (スペイン小道、白骨街道)です・・・

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=== その2 に続きます ===

 

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バギオ・フラワー・フェスティバル 2015  Session Road in Bloom

毎年、2月の最後の土曜日・日曜日に、それぞれ ダンシング・パレードと 花車パレードが終わると、翌日月曜日から一週間、バギオ市の目抜き通りである セッション通りに露店が並び、「セッション通りは花盛り」になります・・・

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セッション通りの一番上には フラワー・フェスティバル財団の本部があります・・

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では、まず、お花のお店を覗いてみましょうか・・・

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庭園には 日本風のものが欠かせないみたいですね・・

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アジサイを見ると なんとなく和みます・・・

・・では、お次は、ちょっと日本っぽい食べ物を・・・

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これは ポルタ・バガのビルの中ですが・・・・ 

天ぷらとは言いながら どっちかっていうと「海老フライ」ですかね?

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「わさびバーガー」

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以前に一度食べてみましたが、結構いけますよ・・

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これも、この前 バーンハム公園の露店で買って 味見済みの 「お好み焼き」.

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ネーミングが なかなかいいんじゃないですか?

NINJA  PANCAKE  とか NINJA CURRY  とか・・・

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韓国フードもありました・・・まだ食べていませんけど・・・

どんなんだろうな?

・・・では、お次は JAPAN な物・・・

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「リサイクル・不良」・・・って

いわゆる JAPAN・サープラス のお店は 隣町のラ・トリニダッドには

少なくとも 3店はあります・・・

・・・そして、なぜか多いのが 「本屋」・・

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・・・そして、もちろん 名店のレストラン・・・

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言わずと知れた・・・バギオ・カントリー・クラブ・・・

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・・・エリザベス・ホテルは 乙女主義・・・・

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キャンプ・ジョンヘイ からは ホテル・マノール・・・・

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最近 隣町のラ・トリニダッドに 立派なビルでオープンした 「カラジョ」.

山岳民族系の料理が専門であるらしい・・・

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バギオ大学の ホテル・レストラン学部も 毎年出店しています・・・

・・・お次は、小物系・・・・

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NARDA’S は、大統領夫人御用達で有名な 山岳民族デザインの名店・・・

・・・そして、 アート系・・・・

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そして、そして、 エンターテインメント系は・・・

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・・日本じゃあ どうですか? 流行ってます???

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雑踏系・・・・

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今日 土曜日のお昼にも行ってみましたが、流石にごったがえしていました・・・

明日 日曜日が最終日です・・・・

行かなくちゃ・・・

 

 

 

 

   





















 

 

 

 

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