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2015年3月21日 (土)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 56  交通、通信、貿易、120年前からどんだけ幸せになったのか?

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

8  OUR ECONOMY UNDER SPAIN  第八章 スペインの下のフィリピン経済

 

p120

「交通と通信の改善」

 

 

19世紀の経済成長に寄与したもうひとつの要因は、交通と通信の改善

であった.  スペインは特に1830-1840年の10年間に

多くの道路や橋を建設した.  航行を支えるために、フィリピンでの

最初の灯台は1846年にパシグ河の河口に建設された.

(中略)

 

 

最初の蒸気船が1848年にマニラ湾に到着した.

(略) 最初の鉄道は、1891年に建設された マニラ-ダグパン

鉄道であった.  鉄道は英国の会社が所有していた. 

マニラでは、トラムカー・サービス(Tranvia)が1893年に

公共に開かれた.  その2年後に、町に最初の電灯のシステムが

出現した.

 

 

新しい通信手段も導入された. 1854年、マニラと香港の間で、

毎月の郵便サービスが設立された.

 

 

p121

フィリピン最初の切手は、1854年2月1日に発行された.

1873年に、マニラとスペイン間の蒸気船の航路が始まった.

1880年には、フィリピンと海外を結ぶケーブルが敷設された.

最初の電話がマニラに現れたのは1890年のことだった.

 

 

=== ちなみに、日本の鉄道はといいますと、1872年・・

    フィリピンの1891年より20年ほど早かったんですね・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E5%8F%B2

 

 

「日本の鉄道は明治5年(1872年)912日(旧暦、新暦だと1014日)に、新橋駅 - 横浜駅間で正式開業した。」

 

 

=== ところで、1903年にバギオのケノンロード(当時のベンゲット道路)

の建設の為に日本からやってきた日本人移民・出稼ぎの労働者たちは

このマニラーダグパンの列車にゆられてやってきたようです・・

http://www.minaminokai.com/nangokudayori/baguio/101006.html

 

「1903年にバギオに通じるベンゲット道路(現ケノン・ロード)建設

の為に日本から到着した工夫達もこの鉄道でマニラからダグパンに向いました。」

 

p121

「商業の発展」

 

1810年、マニラが世界に開かれる14年前、海外貿易は

ほんの11,025,000ペソで、その内輸出が

4,795,000ペソ、輸入は6,230,000ペソであり、

貿易赤字は1,435,000ペソという結果であった.

 

フィリピンが世界貿易に開かれた後には、海外取引が増加し、

・・・・

 

年          輸出入総額        貿易黒字

1841         7,462,432  1,277,568ペソ

1894        61,708,536  4,591,432ペソ

2013 4,859,400,000,000 (323,400,000,000)ペソ

 

 

=== ちなみに、比較してもしょうもないんですが、

    最近の貿易額は、こちらで:

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/philippines/data.html

 

2013年の輸出額が 540億米ドル、輸入が 617億米ドル

総額が 1,157億米ドルになっています・・77億米ドルの赤字・・

 

これをペソに換算してみると・・2013年ごろは

1ドル=42ペソぐらいだったので・・・・・・・・

 

(昔は1米ドル=2ペソの固定相場だったそうだ・・)

(日本の場合は 1米ドル=360円で固定でしたからねえ、

 つまり、1ペソ=180円だったってことになりますか・・

 最近は 1ペソ=2.8円ぐらいですけどね・・

 昔は日本からフィリピンへの出稼ぎ者がたくさんいたわけだ・・)

 

 

48,594億ペソ・・・ってことになりますね・・・

4、859、400、000、000ペソですか・・?

4兆8千億ぺそ・・

 

 

1894年から2013年まで120年で、78,000倍・・??

 

 

こんなに貿易額が増えて、世界の人々は 120年前に比べて

8万倍も幸せになっているんでしょうかねえ・・??

意味ないですか???

 

 

=== シリーズ 57 へ続きます ===

 

 

 

 

 

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2015年3月20日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 55 フィリピン最古の銀行は?

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

 

日本語教室の方が忙しくて、すっかり「フィリピンの歴史」の勉強から

遠ざかってしまいましたが、3月の初めに昨年7月からの550時間の

講座を無事に終わったので、これから又ぼちぼち読んでいきます.

 

元大学教授の個人教授も再開しなくては・・・

・・・と言いながら、4月早々に一時帰国するんですけど・・・

 

前回までの最後はこのページでした・・・

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2014/12/54-14ee.html

 

始めからの場合は こちらへどうぞ:

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2014/02/post-1103.html

 

 

 

8  OUR ECONOMY UNDER SPAIN  第八章 スペインの下のフィリピン経済

 

 

 

p119

「マニラの世界貿易への開港」

 

19世紀のヨーロッパ植民化勢力によるリベラルな「laissez-faire

(自由放任主義)という経済原理の受容とともに、スペインは制約的な

重商主義の方針を緩和させました. Regent Maria Cristina女王は、

幼い娘(Isabel三世)の名において、1834年9月6日の王令を

発布し、破産していたフィリピンの王室会社を廃止し、マニラを

世界貿易へと開いた.  これは恩恵のある王令のひとつであり、

フィリピンの経済開発に著しい影響を与えた.

 

マニラを世界貿易に開いた即座の効果は外国の商事会社がマニラに設立

されたことに表れた. また、外国の領事館も開かれた.

1856年までに、マニラに13の外国の商事会社があった -

アメリカ2社、英国7社、スイス2社、ドイツ1社、そして

フランスが1社であった.

 

 

Sinibaldo de Masの 経済調査および提案

マニラが世界貿易に開かれて間もなく、マドリッド政府が

Don Sinibaldo de Mas、スペインのエコノミストで外交官、

を1842年にマニラに派遣し、植民地の経済および政治的な

調査を行った. かれのミッションの結果、彼は

Informe sobre el estado de las Islas Filipinas en 1842

(1842年に於けるフィリピン諸島報告書)というタイトルの本を

書いた. (マドリッドで出版、1843年、3巻)

この本はマドリッド政府への公式の報告書であった.

 

De Masの報告書の中で興味を引くのは、彼の提案である、

ことに: (1)もっと多くのフィリピンの港を世界貿易に開く、

(2)農業開発を刺激する為に、中国人移民を奨励する、

(3)タバコ専売を廃止する.

これらは全て実施された・・しかし、遅きに失した.

 

 

 

銀行の興隆

銀行は国の成長のバロメーターである. 

フィリピンでの最初の銀行は Obras Pias で、異なる修道会の

監督下にあった慈善団体であった. 彼らの資金は裕福な

信心深い人たちが亡くなり、その遺産の一部が宗教的な事業

(慈善事業)に使われるよう遺贈されたものだった.

Obras Pias はビジネスマン(商人や金融業者)に様々な金利で

貸し付けた.

 

 

p120

 

初めて銀行業に参入したフィリピン人は Francisco Rodriguez

であった.  1835年にマニラで「ロドリゲス銀行」と

呼ばれる最初のフィリピン人の銀行を設立した.

1832年の不運な No vales Mutiny (ノバレスの反乱)への

連座の為亡命していたロンドンから戻って間もないことだった.

 

(中略)

 

・・・ノバレスの反乱については、こちらのサイトに詳しく書いてあります.

Philippine revolts against Spain」(スペインに対するフィリピンの反乱)

http://en.wikipedia.org/wiki/Philippine_revolts_against_Spain#Novales_Revolt_.281823.29

 

・・・これを見ると、16世紀から19世紀まで、

様々にフィリピン人はスペインに対して反抗していたんですねえ・・

考えてみると、日本はその間は江戸時代で、外国人との戦いも

なく、平和にやっていたということです・・・

 

フィリピンでの最初の政府による銀行は Banco Espanol-Filipinoで、

Isabel女王の1851年8月1日の王令によって設立されたものである.

この銀行は、銀行券を発行することを認可されており、女王はこれに

美しいcoat-of-arms(紋章)を与えた. 1852年5月1日、初の

10ペソ紙幣を発行した. これにはスペインのイサベル2世の肖像

があった. これがフィリピンに現れた最初の紙幣である.

Banco Espanol-Filipino 現在のバンク・オブ・ザ・フィリピン・アイランズ

(BPI)であり、東南アジアで最古の現存する銀行である.

 

=== おおお、フィリピン・ナショナル・バンク(PNB)じゃあ

    なかったんですねえ・・

    私が初めて出張でフィリピンに来た頃は、確か

    PNBが国営銀行だったように記憶しているんですが・・

 

    ありました: http://www.pnb.com.ph/index.php/about/history

    「The Philippine National Bank was established as a government-owned

 banking institution on July 22, 1916 with headquarters in the old

 Masonic Temple along Escolta, Manila.

    「With the establishment of the Central Bank in 1949, PNB's role as

  issuer of currency notes, custodianship of bank reserves, sole

 depository of government funds and clearing house of the banking

 system ceased.

    「The privatization of the Bank started when 30 per cent of its

 outstanding stocks was offered to the public and its stocks were

  listed in the stock exchange in 1989.

    ・・・なるほど、1989年に民間銀行になったんだ・・

 

一方、BPIのサイトには、以下のように書いてあります:

https://www.mybpimag.com/index.php?option=com_content&view=article&id=277&Itemid=318

 

Established on August 1, 1851 under Spanish colonial rule, BPI was originally

known as El Banco Español Filipino de Isabel II, named after then Queen of Spain,

 Isabel II. The Bank was the first to be established in the Philippines, and was

responsible for starting the country's banking and finance industry. It performed

many functions that in effect made it the country's de facto central bank,

including printing and issuing currency in its own name.

 

・・確かに、実質上の中央銀行であったと書いてありますね・・

 

 

(中略)

 

p120

 

外国銀行の支店がマニラに開設された・・

チャータード・バンク・オブ・インディア、オーストラリア、

チャイナ(1873年)、そして、香港上海銀行(1876年)などである.

 

・・・「チャータード」っていう言葉の意味が分からなかったんですが、

    要するに「公認」銀行ってことでいいみたいですね・・

 

 

== それでは次回 56号 に続きます ===

 

 

 

 

 

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2015年3月17日 (火)

日本の英語教育は授業時間数がそもそも足りないんじゃないの? その2

日本の英語教育に関する議論が、その授業時間数の合計について
どんな感じでされているのが 気になったもんで、調べてみたんです・・

いろいろ検索したんですが、英語授業時間の合計の比較をやっているデータは
あまりなく、やっとこのサイトで合計時間が書いてありました:

http://www.edu.pref.shizuoka.jp/shizuoka-h/home.nsf/DL/CA002EF247495D1D49257B14001AEEC8/$FILE/2012%E8%AB%96%E6%96%873.pdf

「日本の中学校習指導要領では 英語授業時間日本の中学校習指導要領では
英語授業時間日本の中学校習指導要領では 英語授業時間3年間で 270時間で、
高校の授業は厳 密な規定がい、およそ 470 ~650 時間である。
これは世界的に見て非常少ないと言える時間である。

言語距離で考えると学習に必要な時間が日本の  4分の 1であるドイツも日本の 1.3 倍オラ ンダでは日本の約 3倍の時間を英語授業に充てている。

母語の言語距離が短い国々でも、それだけ長時 間を英語学習に割いているのに. 
大した授業時間も設けずに世界平均水準の英語力を求めるは無謀としか思えない。 」

・・・まさに、おっしゃる通りです・・
虫が良すぎるってもんですな・・

カナダのオンタリ州教育省が目標とするレベ ルの言語習得に必要な時間を
日本文部科学省と比べてみる.
表 10 をみると日本の授 業時間は驚くほど少ない。

    
ここでの第二言語は英語話者にとってのフランス語の学習なのであり、
日本語話者にとっての英語よりはるかに学習しやすいはずなのに、
それでも3000時間以上を必要としている.

上のサイトから抜き書きすると:

       カナダ  日本
初級   1200   270時間
中級   2100   740-920時間

・・ってことになっています・・・

他にも 英語教育関連資料・・ってのがあるんですけど:
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/kaisai/dai3/2seku/2s-siryou4.pdf

週に何回授業があるよ・・というデータはあっても、累積合計で何時間やるのか
っていうデータの比較がないんですよねえ・・・

日本人の英語力はアジアの中でどれくらいか?」
http://www.nagano-c.ed.jp/seiho/risuka/2012/2012-6.pdf

このサイトでも、授業の総合計時間の比較はしていないんですねえ・・・
なんでだろう???

いつから小学校、中学校、高校で 英語の授業が必修化されたかと、
それが週に何時間かしか書いてないですね・・・

週の授業時間数
         日本     韓国    中国

小学校     1       3      4
中学校     3       4      4
高校       4       5      5

・・・まあ、これじゃあ負けて当然ですよね・・・

成績の比較、順位は 上記ふたつのサイトで掲げているんですけどね:

順位  国名

01  シンガポール
05  フィリピン
09  香港
10  韓国

13  インドネシア
16  中国
19  台湾

21  タイ
26  ベトナム
27  日本

30  カンボジア

つまり、日本はほとんどドン尻ってことですな・・・

日本語教育の内容や指導法について、いろいろ議論するのもいいけど、
絶対的に授業時間数が足りないってことを早いところ認めちゃった
方がいいんじゃないのかなあ~~~

もちろん、日本人みんなが こんだけの時間を英語の勉強に費やす
必要なんて無いと思いますよ・・・

ものに出来ない英語なんかやっている暇があったら、もっと大事な勉強をやってくれ
って気持ちもあります・・・・

そこんとこ宜しくね・・・

================

一旦 書き終わった後に、さらに別のキーワードで検索してみたらこんな面白いサイトがひっかかってきました:

英語の習得に必要な学習時間

http://www.etn.co.jp/approach/period.html

私は上で、「授業時間」だけを問題にしましたが、このサイトでは実質的な時間数、つまり、「自主学習も含めた時間数」で比較しているんですねえ・・・正しいアプローチですねえ・・

中を読んでいただけると分かるんですが、かいつまんで言えば:

ー 日本の中学・高校の3年間で自主学習も含めた英語の勉強時間は およそ1,500時間である・・・・(授業時間だけだと 787時間)

ー 米国務省の新人エリートの日本語学習は、2,400~2,760時間である・・

ー 英語の習得に必要な 学習時間は 最低でも 3,000時間である・・・

ー 戦前の米海軍の日本語学校で、ゼロから教えて 4,500時間であった・・

ー 英語を習得した日本人の学習時間は 4,000~5,000時間である・・

つまり、このサイトでは、これらの習得にかかる学習時間の半分を自主学習としていますので、「習得」というレベルが英検1級だと仮に決めてみると、授業時間だけで、2,000時間から2,500時間ってことになるわけです・・・

私が、日本語教育にかかる授業時間を、N1(一級)レベルで 2年間=1,800時間ぐらいだと言ったこととほぼ一致します・・・

これをベースに考えれば、高校までの今の英語教育の授業時間数だったら、せいぜい N3レベル、英検で言えば 3級が妥当な線だってことです・・

これは文部省が 中卒レベルだといっているものですね・・・

・・・・ こういう立派なデータがあるのに、日本の文部省は 何を考えて 高卒で英検2級なんて目標を作っているんでしょうかねえ・・・

よっぽど教え方に自信があるんでしょうかねえ・・・

ちなみに、私が日本語を教えるときは、「あいうえお」のゼロから 完全に日本語だけでおしえる「直接教授法」で教えています・・・一切 英語などは使いません・・

日本の英語教育でも、最近は 英語だけで授業をする方向にあるそうですね・・

ともあれ、日本の英語教育は、不可解極まりない・・・・

・・・ってことで、追加は終了です・・・

 

 

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日本の英語教育は授業時間数がそもそも足りないんじゃないの? 日本語教育との比較

yahooニュースで 時事通信の 2015年3月17日発信のこんな記事があった・・

高3の英語力、中卒級=「書く、話す」に課題―文科省
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150317-00000038-jij-soci

「。「読む、聞く」の平均的学力は英検3級(中学卒業程度)相当、「書く、話す」はさらに低く、書くは過半数が正解率1割以下だった。国の教育振興基本計画の目標(高卒時英検2~準2級程度)とは大きな差があり、英語嫌いの生徒も多かった。」

朝日新聞では:

高3の英語力、7~8割が目標に届かず 国実施のテスト

http://www.asahi.com/articles/ASH3J6SW5H3JUTIL03K.html?iref=comtop_pickup_03

「国際指標で日常の範囲で単純な情報交換ができるレベルとされる「A2」(英検準2級程度)に達した生徒は1~2割、英語圏で暮らせる「B1」(2級程度)は最大でも2%にとどまった。」

「高卒で準2~2級程度以上を達成する中高生が50%との目標を掲げつつ、20年度以降に高卒時の目標を2~準1級程度に引き上げることも検討中だ。」

・・・卑近な例で、私自身のことですが、

中学1年から英語は好きで、英語部に入っていたり、

英語暗唱大会で県大会に出してもらったり、

高校の時も、割と英語は好きで、得意な方でしたけど、

高卒の時点で 英検2級の実力なんて とんでもなかったと記憶しています・・

まあ、ウン十年も前の話ですけどね・・・笑

その後、ビジネス英語の専門学校で2年を過ごし(あえて勉強したとは言いません)、その後は、アメリカ系の企業を渡り歩いたわけですが・・・

・・・これを読んで、日本語を教えている身として、学校教育での授業時間数
気になったので、ちょっと調べてみることに・・・

そこで見つけたデータがこのサイト:
http://berd.benesse.jp/berd/data/dataclip/clip0014/

このサイトの中ほどに こんなデータが: 
【1-2】英語の授業、小学校から大学までで736時間

小学校  18時間
中学校 266時間
高校  362時間
大学   90時間
合計  736時間

高校までの累積では 646時間である・・・

問題は、この646時間で 目標とされている 英検2級が達成可能なのかという
ことである・・・
私の疑問はこの点にあるんです・・・

まず、英検2級というのは どういうレベルかといいますと:
http://www.eiken.or.jp/eiken/exam/about/

「医療やテクノロジーなど社会性のある英文読解も出題されます。
海外留学、国内での入試優遇・単位認定など、コミュニケーション力が高く評価されます。
ビジネスシーンでも採用試験の履歴書などで英語力をアピールできます。」

・・・これを読んで 私は 笑っちゃいました・・・
授業時間646時間で こんなに高いレベルまで 出来るわけがないって意味です・・

ちなみに、英検3級のレベルは、
「使える英語の登竜門 基礎力定着 高校入試レベル」

「二次試験でスピーキングテスト。英語で考えを伝えましょう。
筆記試験の題材は、海外の文化など少し視野が広がります。
中学卒業段階の英語力の達成目標:3級(文部科学省)」

英検は5級から1級まであります・・

私はフィリピンの若い人たちに 過去10年間 ゼロから日本語を教えていますが、
比較の為に 「日本語能力試験」のレベルと 日本にある日本語学校の
授業時間数を見てみましょうか・・・

まず JLPTと呼ばれる日本語能力のレベルは:
http://www.jlpt.jp/about/levelsummary.html

「日本語能力試験にはN1、N2、N3、N4、N5の 5つのレベルがあります。いちばんやさしいレベルがN5で、いちばん難ずかしいレベルがN1です。」

英検と同様に5段階になっていまして、

上から2番目のN2のレベルは・・・
「日常的な場面で使かわれる日本語の理解に加わえ、より幅広い場面で使かわれる日本語をある程度理解することができる」

N3のレベルは・・・
「日常的な場面で使かわれる日本語をある程度理解することができる」

・・・ということになっていますので、レベル的には、大雑把に言えば、
英検の2級は 日本語能力のN2、  3級はN3ぐらいと考えてみます・・

英検1級と日本語能力N1は、どちらも大学あるいは社会人レベルとなっていて、それが5段階に区分されているので、当たらずとも遠からずかと思います・・・

 

・・・さて、そこで、日本語を外国人がゼロから勉強して、授業時間数がどの程度
必要かということなんですが・・・

 
こちらの日本語学校では、1年=880時間、 2年=1760時間:
http://www.naganuma-school.ac.jp/jp/courses/regular.html

こちらの学校では、レベルと期間をおおまかに書いてあります:
http://www.okinawajcs.com/zyugyo/long_1.5-2.0.htm

N3レベルに達するまでには、およそ1年ぐらい
N2レベルには さらに半年ぐらいかかる目安となっているんです・・

つまり、N3(英検3級)レベルで800時間、N2(英検2級)だと1200時間前後
は掛かるということです・・・・平均的な生徒ならば・・・

私が日本語を教えてきた経験から言っても、これは納得できる時間数です・・

つまり、日本の文部省が目標としている 高等学校までの646時間の
英語の授業で、 英検2級を達成するなんて言うこと自体が 現実的ではないと

いうことです・・

                  
646時間だったら 英検3級レベルが 妥当なレベルであって、
今回の調査結果で 「中卒レベル」の3級相当というのは 実に現実
結果として証明しているということになります・・・

日本人の生徒・学生の努力が問題なのではなく、
文部省の目標の立て方自体に問題があるということだと思うんですよねえ~~~.
現実を踏まえていない・・・・

 

ところで、日本語学校で日本語を勉強している生徒さんたちは
一日4時間程度 毎日勉強して、あとはアルバイトなどをして、日本人に
囲まれた環境にあると思うんですけど、

日本人の英語の勉強は、週に何回かで、周りは英語を使う環境には
ないですもんねえ・・・

もし、日本が 高等学校卒業までに 普通に使えるレベルまで英語教育を
したいのだったら、少なくとも 今の646時間から 1200時間ぐらいまで
2倍の授業をやらないと 目標は何年たっても達成できません・・・

その不足分を学校以外に求めるという話もあるでしょうけどね・・

=== その2 へ続く===

 

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2015年3月15日 (日)

フィリピンGMAテレビ 「Let's Fiesta」 ・ バギオとベンゲット州の旅案内

普通はめったにフィリピンのローカル番組を見ることもないんですけど、

今朝は バギオ市内で新開店した日本料理店が番組で紹介されるってんで、日曜日なのに早起きして テレビ画面を 写真撮りまくり・・・

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番組は 「レッツ・フィエスタ」

フィエスタって言うのは、村祭りみたいな感じでしょうか・・・

Gma_000a

今日のタイトルは 「ベンゲットの旅」

ベンゲットというのはフィリピン・ルソン島北部の州の名前でして、

バギオ市は行政的には独立しているんですが、地理的にはベンゲット州に含まれます・・・

Gma_001

テレビ画面の切替わりが速くて、ここぞという映像の写真を取り損ねたんですが、

これは バギオ市の中心部にある バーンハム公園の池です・・・

LAKEって呼んでいるみたいですけど、人工池ですね・・

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バギオは、美しい花や野菜でも有名なところなんです・・

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これは、バギオ名物 「フラワー・フェスティバル」の ひとコマ・・・

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バギオ市は、標高1,500メートルぐらいの高地にありますから、

フィリピンの低地では見ることのできない温帯性の植物もあるんですねえ・・

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ルソン島北部の山岳民族の衣装を着た女性たち・・・

Jlpt_001

ちなみに、この6種類の民族衣装は、

ルソン島北部山岳地帯の 6つの州を代表する民族衣装です・・・

スペインによる植民地時代にも、この山岳民族は独自の文化と自治を守っていたとされています・・・

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これは バケーション・ホテルと呼ばれる宿泊施設の案内・・・

かなりお洒落で贅沢な内装で、料金も高額です・・・

元々 バギオ市は アメリカ軍などの高原保養地・別荘地として開発された都市なんですねえ・・

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ライト・パークでは、ポニーなどで乗馬も出来ます・・・

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フィリピンの山岳地帯には こんな恐竜もいるんですねえ・・・笑

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ダイナソー・アイランド・バギオ って書いてあります・・・

まだ行ったことはありません・・・

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・・・なんか、エジプトみたいな・・・・

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ホーリーランド、エコパークのガイドさん・・・って書いてあります・・

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これは なんだろなあ~~~

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この映像は、分かりにくいんですが、「天地創造・十戒」の話の中の 海が割れる・・・

ってところですね・・ モーゼの「出エジプト」の場面ですか・・

http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/30230523.html

割れた海の海底を 歩いているところ・・・

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これはご存じの場面・・・キリストの処刑です・・・

つまり、ホーリーというのは、聖書の物語をテーマにしたパークなわけですね・・

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・・・おっと、いきなり ラーメンが出てきました・・・

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「山下 アンド 桜 れすとらん」 って書いてあります・・・

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正しくは 「山下ラーメン」 と 「さくら・テラス」 という日本料理のお店の名前なんです・・

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日本人の方の経営なんですけど、

「私はテレビには映らない」・・ってことで、マネジャーさんたちが代理出演したそうです・・

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ここは 「ザ・マンション・ハウス」

今は観光施設となっていますが、昔は フィリピンの夏の時期だけの大統領官邸だったんですねえ・・・

日本の「マンション」とは 違いますねえ・・・笑

(日本のいわゆるマンションは 英語では「コンドミニアム」なんですねえ・・

 私は日本では マンションに住んでいるんですけど、そもそもの意味は

 「大邸宅」ですからねえ・・・英語圏の人に「マンションに住んでいる」なんて

 言っちゃったら恥ずかしいことこの上ないんですねえ・・)

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・・・なんか・・・アートなスペースが出てきましたねえ・・・

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写真がボケボケで スミマセンねえ~~~

このお店は 映像作家・監督で世界的に有名な キドラット・タヒミックさんの家族が造っている 芸術的なカフェなんです・・・

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アーティストの溜まり場にもなっています・・・

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セッション通りの AZOTEAビルの屋上にある VOCAS は、このお店の姉妹店のようなお店です・・・アート・ギャラリーと ベジタリアン・レストランがあります・・

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・・・ほお~~、カラフルな・・・カクテルでしょうか?

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飲み屋には違いないですけど・・・・

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おおおお・・・これはビールなんですねえ・・・

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はい、ここは バギオの 「地ビール」 のお店だったんですねえ・・・

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こんなにたくさんの種類のビールを造っています・・・

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ここは 地ビールを 売っているだけじゃなくて・・・・

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ここバギオ市で醸造をしているんですね・・・

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さて、バギオ市を出て、ベンゲット州に 入ります・・・

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ここは どこだか不明ですが、段々畑が出てきました・・・

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はい、ベンゲット州の アトック という所ですね・・・

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岩盤を掘り進んで造られた 山岳道路・・・恐ろしや・・・

九州大分県にある 青の洞門 を思い出します・・

http://www.city-nakatsu.jp/kankou/kankouti/2011080800440/

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さて、段々畑の農家にやってきました・・・

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この農家では 人参をつくっているようです・・・

テレビのタガログ語でのお喋りを、理解できないのに、聞いていたんですが、どうも 「ここで出来た野菜は、バギオ市の隣町である ベンゲット州の首都ラ・トリニダッドに集積して、その後 マニラ方面に出荷される・・・」 と言っていたように聞こえました・・・

(私は フィリピン語は 全く分かりませんけど・・・笑)

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この前、白骨街道(スペイン小道)をツアーで行った時に、山岳地帯の農家では農薬漬けの野菜が多いという話を聞いてきたので、やっぱり疑いの眼で見てしまいます・・・

(もちろん、バギオ市には 「低農薬」やら「有機栽培」を売りにした野菜も 最近は売られていますけど・・・)

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お次は、温室です・・・

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フィリピンの低地は 熱帯ですからねえ・・・

標高1,500メートル前後の 温帯の花は こういう所じゃないと無理・・・

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ちなみに、ラ・トリニダッドでは 温室で観葉植物を栽培している日本人の方もいらっしゃいます・・・

そちらは、ヨーロッパやアメリカへの輸出用なんだそうです・・・

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ともあれ、この お花の温室からは、マニラ方面への出荷が多いようです・・

もちろん、バギオ市の「フラワー・フェスティバル」の時なんかは、大量の花が 高値で取引されているらしいですよ・・・

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この前、私もツアーに参加して行ってきた 「ハイエスト・ポイント」

フィリピンの国道の中で、ここが一番標高が高いということだそうです・・

7,400フィート = 2,255メートル 

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・・・ってことで、番組終了・・・

日本人が「フィリピンの歩き方」なんかで行く観光スポットと、ちょっと違った、フィリピン人目線の旅案内・・・いかがでしたか?

恐竜パーク、天地創造パーク・・・行ってみようかな・・・・

 

 

 

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