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2015年6月27日 (土)

自閉症、アスペルバー症候群、そしてNHKのTEDS 思考方法の違い

今から4年前にこんなことを書いたんです・・・・

外国人の日本語 と アスペルガー症候群
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/01/post-6145.html

この時には、言語の問題として考えていたんです。

それに、こんなことも考えました・・・

右脳・左脳と ブッダの仏教の「空」は なにか関係があるのか・・・」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/12/post-29b6.html

要するに・・・音楽脳と言語脳の話です。

過去にいろいろ考えた これらのことは、あくまでも人間は
「言語」でものを考える・・ということが前提だったんです。

しか~~し、NHKのTEDSを観て、びっくりしました

Temple Grandin
テンプル・グランディン
The world needs all kinds of minds
世の中には いろんなタイプの脳が必要だ

http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/150617.html

上記の動画の中での発言が こちらに翻訳してあります:
http://www.ted.com/talks/temple_grandin_the_world_needs_all_kinds_of_minds/transcript?language=ja

「まず 自閉症とは何かを お話ししましょう 自閉症とは 言語障害の
ある子供から 優秀な科学者や技術者までを含む 一つの大きな連続体です
ここは居心地が良いですね 自閉症の遺伝子ばかりですから 自覚はない
でしょうが... (拍手) 」

「ある特質の連続体なんです オタクをアスペルガーから隔てる 境界線は
どこにあるのでしょう? アインシュタインやモーツァルト ニコラ・
テスラなど 今日であれば みな自閉症と見なされたでしょう 私は自閉症
の子供達を 新エネルギーを発明するような人間に 育てたいんですよ
今朝ちょうどビル・ゲイツが話しましたね 」

異なる思考法についてお話しします 言語からは離れてください
私は絵で考えます 言葉では考えません 自閉症の脳は 細部に注目します
これは大きい文字か 小さい文字を 識別しなさいというテストです
自閉症の脳は 小さい文字を より早く認識します 」

・・・ここです!
「私は絵で考えます、言葉では考えません」 ってところです。

今の世の中は概念的な方向に 偏りすぎています 実践するという事から
遠ざかっています 」

絵で考えるという事は脳内で 映画を観るようなものです 私の脳は
Google画像検索に近い 子供の頃 自分の思考法は変わっていると知らず
みな絵で考えていると思っていました 」

「 私がデザインする過程で出来た点は その設備を自分の脳内で 試運転
出来たという事です コンピュータ内の仮想現実のようにです 」

視覚型思考

「私の視覚野には極太の インターネットの幹線が通っていると 冗談を
言ったもんです これはテンソル画像ですが 私のこのインターネット幹線は
比較対照の2倍あります 」

「自閉症の脳は 特定の行動に熱中しがちです ある事に秀でていて ある事に
劣る 私は代数が苦手でした 幾何学などの クラスは許可されませんでした
大きな間違いです 代数が苦手であっても 幾何学や三角法は学べるのです 」

「もう一つは パターン型思考です
より抽象的で エンジニアや プログラマに向いています」

言語的な脳があります 物知りタイプです 」

「動物は知覚で考える生き物です 言語ではありません 絵で考え
音で考え においで考えます 」

「天才を生む代わりに 社会性の回路を失うんです 思考能力と社会性の
トレードオフ
ですね これが極度に偏ると 全く言語を使わなくなります」

「異なる頭脳と協力する必要があります 将来 このようなタイプの人々を
必要とする時が必ず来ます 」

「初めて石槍を作ったのは アスペルガーの人でしょう もし自閉症が無く
なれば シリコンバレーも終わるでしょうし エネルギー問題も解決され
ないでしょう (拍手) 」

==== なんと驚愕の、素晴らしい話なんでしょうか。

私は人間の思考は すべて言語だと思っていました。

そうじゃないんですね。

画像が連続して動くように視覚で考える人がいる。

画像よりも抽象的なパターンで考える人もいる。

そして、言語で考える人もいる。

そして、人類の大きな変革をもたらしたのは、視覚型あるいは
パターン型思考をするような 変な人たち、天才たちであったのかも
しれない。

・・ってことは、言語が失われた人であっても、
それ以外のツールを使って考えることができるってことですね。

言語はツールのひとつでしかない。

認知症だからと言って、すべてが無くなっているわけではない。

脳梗塞で言語脳が働かなくなったからといって、
全てが無くなったわけでもない、視覚で、未分化の世界を
感じて、その中で感じ、思考できるということになりそうです。

もしかしたら、そういう世界が、ブッダの悟りの世界なのかも
しれないですね・・・
お釈迦様も 天才だったんでしょうから・・・

 

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2015年6月26日 (金)

フィリピン、犬、猫の”人生”? に見る無常 - 小太郎の今

小太郎は一人ぼっちだったんです。

お母ちゃんは近くの道路で車に轢かれて死んじゃった。

日本に一ヶ月半 一時帰国した時には ちょっと心配だったんです。

生きもの係、猫の係、餌やり担当は私なもんでね・・・

犬の係は 私じゃないんです。

それは大家さんの係。

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猫ちゃんは好き嫌いが激しくて、気分屋なんで、
しっかり食べないことが多いんですけどね・・・

そんな時の猫ちゃんの残り物は ワンちゃん達がきれいに
餌入れを掃除してくれたんです・・・

 

でも、そのワンちゃん達も あの世に行ってしまった、
私が一時帰国から戻ってすぐのことでした。

ワンちゃんは 「うりぼう」と「ナナッシー」だったんです。
「うりぼう」は、イノシシの赤ちゃんですね。
顔がイノシシの赤ちゃんみたいに可愛かったんです。

「ナナッシー」ですか・・・
特にこれと言った特徴がなくて、みすぼらしい犬だったんでね。
「ふなっしー」にあやかって・・・とでもしておきましょうか。

「うりぼう」は、ちょっと骨格が歪んで生まれてきたんです。

多分、うりぼうが、お母ちゃんがそのお父ちゃんとの間に
産んだ、いわゆる近親相姦の子だったからじゃないかな・・・
と思っているんですけどね・・・

そして、そのお母ちゃんが車に轢かれて死んだ後は、
うりぼう自身が いわばお爺ちゃんとの間に子を作っちゃって。

でも、その赤ちゃんたちは、うまく育たずに、すぐに死んでしまった。

そのお爺ちゃんは、なかなかの姿の、番犬としても頼りになる
立派な犬でした。

もうこの大家さんのところに10年以上住んでいるんです。

ワンちゃん達が何代目なのか忘れましたけど、
最初に居た二頭の犬は、毛並みも綺麗で、よく躾もされていて
「お手」なんかもやれました。

しかし、最期は、何かの病気で、何日も悲鳴をあげながら
死んでいったんです。

うり坊とナナッシーが何故同時に死んだのか、分かりません。

立派なお爺ちゃんが生きていた時、その頃は数匹の家族だったんです。

ある時、その数匹が 同時に皮膚病になったんですね。

でも、うり坊以外は すぐに治ったんですよ。

うり坊は可哀相なことになってしまったんです。

その皮膚病が何故か、子宮の中まで廻っちゃったみたいで、
脱肛を起こしちゃって、直径10センチばかりに腫れあがって
しまったんです。
そういう状態が一年も続いたでしょうか。

その大きなボールをお尻にぶらさげて、普通に座ることも
儘ならなくなり、それでも番犬としてしっかり働いていたんです。

でも、最期には そこから血を流しながらあの世に逝ってしまった。。。

ナナッシーは、近所の家から 突然うちの敷地に入ってきた
よそ者だったんです。

入って来た時から、みすぼらしくて、皮膚病だったようです。

立派なお爺ちゃんが生きていた時には、追いかけられ、
脅され、苛められていました。

でも、他に行くところがなかったんでしょうね、
いつの間にか お爺ちゃんに許されて 養子になっちゃった・・・

しかし、弱々しい身体と弱い立場で、いつもまともに食べることが
できず、わずかな残り物を舐めるような生活が続いていたんです。

うり坊と二人っきりになってからも、うり坊が圧倒的に強くって、
食事にありつけず、たまに私がビスケットなんかを口に持っていって
あげたぐらいです・・・

だから、かなり痩せていたことは事実なんですけど、
うり坊が 血を流しながら今にも死にそうだった時に、
何故か 急に ナナッシーまで まともに歩けなくなって、よろよろと
震えながら、悲壮な小さい声を出していたんです・・・

・・・そして、小太郎は すっかり一人ぼっちになってしまった。

うり坊とナナッシーがいた時には、二匹にすりすりしていたんですよ。

 

・・・さて、私が一時帰国から戻ってから・・・・

小太郎が なかなか姿を見せないんです。

まあ、一ヶ月半も いなかったわけだし、ちゃんと食事ができて
いたかどうかも分からないし・・・遠ざかっていたのかも
しれません。

餌の切れ目が 縁の切れ目 ?

でも、私が食事をしていたら、みゃ~みゃ~と現れましてね。

一応 2~3日に一度くらいは 姿をみせるようになりました。

猫はそもそも つれない奴らですからね。
犬みたいに忠実ではない。

小太郎は そのお母ちゃんとは違って、私にすりすりすることも
ないんです。

時々、部屋に入れてやると、私と一緒にテレビを見たりはしていたんですよ。

ところが、一時帰国から戻った後は、かなりつれなくなっちゃいましてね。

ご飯を食べたら 知ら~~んっぷりで 闇の中へと消えて行くんです。

ずいぶん小太郎も変わったな・・・寂しいな・・・

などと思っていたんですがね。

理由があったんです。

 

今日、ちょっと飲み物を買いに、近くのお店に行ったんです。
そして、その帰りに・・・・

隣の家の軒先に、可愛い子猫ちゃんが遊んでいたんです。

おやっと思って、近づくと・・・

お母ちゃんみたいな、同じ柄の猫が近くにいましてね・・・

なんと、その二人を テーブルの上から 小太郎が見守っているじゃないの。

そして、子猫ちゃんを相手に じゃれて遊んであげているじゃないの。

おお~~~、小太郎、家族ができたのか!

お父ちゃんをしているのか!

良かったなあ・・・一人ぼっちじゃなくて・・・・

そうか、それで忙しかったんだなあ。

頑張れよ、小太郎 !!

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2015年6月25日 (木)

Photo Map of Military Cut-Off road, Baguiio city バギオの地図 写真で歩く

今日は バギオ市の ミリタリー・カットオフ・ロードを歩いてみましょう。

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ミリタリー・カットオフ通りは、ケノン・ロードの一番上、Baguio General Hospital(バギオ総合病院)、Baguio Medical Center (バギオ医療センター)から、ロアカン・ロードや キャンプ・ジョンヘイへ抜ける道です。

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ミリタリー・カットオフという名称は、おそらく ケノン道路から 昔の米軍の基地であったCamp John Hay へ抜ける近道・・とでも言う意味合いではないかと思います。

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これが Baguio Medical Center で、この写真の左側に BGH(バギオ総合病院)があります。 

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ミリタリー・カットオフ・バランガイ(バランガイは地区の単位)の入り口には ZONTAクラブという女性で構成された団体のバギオ支部があります。

このゾンタ・クラブは女性の地位向上や福祉活動に力を入れている世界組織で、女性版のライオンズ・クラブ、ロータリークラブといったところでしょうか。

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こちらは、Sacred Heart Community の看板がありました。

キリスト教関係の集まりがある場所のようです。

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左にこんなお家を見ながら、数分歩きます・・・

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道路の右側にはほとんど建物はなく、バギオの水源地として保護されています。

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さらに少し歩くと、左側にこんな建物が・・・

アメリカンの 1950年代の雰囲気を売りにしている ハンバーガーのお店です。

バギオ市には このお店が2軒ありますが、どちらのお店も、観光客などでいつも混みあっています。 ガイドブックなどで良く知られているようです。

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そのお隣には、Kubong Sawali という フィリピン料理のお店。

ここの料理は なかなか美味しいとの評判です。

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さらに隣にあるのが このお店。

Sakura Terras (桜テラス)は もちろん 日本料理。 日本人経営です。

そのお隣は Zio's という ピザハウスになっています。

ここには マッサージの SPAもあります。

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そして、こんな歩道をしばらく歩きましょう。

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左側に Car Repair Shop 自動車修理のお店があります。

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さらにこんなところを歩いて・・・

このミリタリーカットオフ通りは、まだまだ緑が残っています・・

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ちょっと花でも楽しみながら ぶらぶら歩いていきますと・・・

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こんな感じのカーブが見えてきます。

左側には 2~3の キリスト教系の施設などが並んでいます。

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右側に降りて行く道は HILLSIDEロードです。

くねくね道が ケノン・ロードに繋がっています。

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そのちょっと先で 右側に脇道があります。

ここを入って行くと、左がわに イミグレーション(入管)の事務所があります。

入管の前を通ってそのままどんずまり辺りまで行くと、CONVENT (修道院)の綺麗な庭園があります。

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脇道に入らずに、そのまま真っすぐ進みましょう。

左側には 今は工事中ですが Small World スモール・ワールドというキリスト教系の幼稚園、小学校があります。

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そのすぐ前、右側には Cafe Pino がありますね。

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そのお隣は Cafe Sage

サンドイッチ、コーヒー、デザート と書いてあります。

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そのお隣は index というカフェ・・・ コーヒー、本、ギフト・・・とありますね。

ここは いわゆる「地産地消」を目指しているカフェのようです。

コーヒーの LOCAL の豆を使っているようですね。

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indexカフェは、このホテルの建物の一部になっています。

Palazza d' Bliss   Hotel and Restaurant ですね。

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そして、さらに真っすぐ、しばらく歩いていきますと・・・

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左側には・・・・

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こんな石垣が続き・・・・・

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こんな生垣もあり・・・・・ 

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右側には、こんな アート作品と・・・・・

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落書き・・などがあります・・・・・

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道のカーブのところに CHALET Hotel  シャレーバギオホテル・・・

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PINES ECON という ホテルとレストランがあります・・・・

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ホテルと同じ並び、道の右側には こんな 韓国焼肉のお店があります。

Wood Nymph Korean Restaurant です。

SMバギオの中にもありますが、こういうローカルな雰囲気もたまにはいいかも・・・

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焼肉屋の前には Baguio City SPED Center バギオ市の特別教育センター

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バギオ市 工芸&トレード学校 ・・・ってのがあります。

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そして、この右側にちょっと気になる 看板が・・・・

FREDS serviced apartments ってなんでしょうね・・・・

はい、こちらにそのサイトがありました・・・・

サービス付きのアパートのようです。 グループで自炊するのに向いているような。

この看板の後ろの脇道を入ったところにあるようです。

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さて、ミリタリーカットオフはここまで。 ここから先は三つの方向に分かれていきます。

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左に行くと セッション通り、SMバギオ。

右に行くと キャンプ・ジョンヘイや フィリピン・ミリタリー・アカデミー、経済特別区など。

真っすぐ行くと、バギオ・カントリー・クラブや マインズ・ビュー・パークになります。

====

一応 終わりなんですが、

気になる Sakura Terras Japanese Restaurant  桜テラス 日本料理店に戻って 見ましょうかね?

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山下ラーメンの 姉妹店ですね。

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二階に上がって左側にあります。

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はい、桜・・・・です。

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メニューを チェックしましょう・・・・

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どんぶり物も いろいろあります・・・ 天津丼、いけました・・・

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基本的には 山下ラーメンと同じメニューのようですが、

こちら独自のメニューも ありました・・・・

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いいっすねえ・・・・サバの塩焼き・・・・ナスの味噌炒め・・・

食べたい・・・・

以上、報告 終わり・・・

 

 

 

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2015年6月23日 (火)

戦後70年 バギオの絨毯爆撃 Cafe by the Ruins 廃墟のカフェ

I found this page when i was googling "Salidummay Baguio"...
interesting page....

たまたま 「サリドンマイ」という民謡みたいなものについて
検索していたら こんなサイトがひっかかりました。

Salidummay Tribe

The recent development in SM showed the true colors of this corporate giant. This greedy Corporation does not really care about Baguio sentiments. They came here to make money and that’s it.

http://www.baguiosmile.com/

...

Part of the creation of Baguio was to rise from the ashes, ashes from the devastation of World War II most particularly caused by the American’s carpet bombing to drive out the Japanese army. Baguio was one of the most devastated Cities during World War II likened to Manila and Warsaw in Poland. And part of that rising from the ashes is to plant trees in historic and open spaces so that once again, the City will live up to its name as the City of Pines.

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(とりあえず訳してみました・・・)
バギオ市を創り上げるということは、廃墟の中から立ちあがるということでもありました。

廃墟というのは、第二次大戦中の破壊によるもので、その大部分は日本軍を追い出すためにアメリカ軍がおこなった絨毯爆撃によるものでした。

バギオは第二次大戦で最も壊滅した市のひとつで、マニラや ポーランドのワルシャワにも匹敵します。 

そして、その廃墟から立ち上がる為のひとつが、歴史的な空き地に木々を植えることだったのです。それが、ひいてはバギオ市が もう一度 松の都市という名前に寄って立つことだったのです。

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・・・・まあ、このサイトの全体的な主旨としては、バギオ市に進出したSMバギオが、松林を破壊しているので、それに対する反対運動なんですが、ここでは第二次大戦の時に バギオが廃墟になったのは何故なのかというところを 参考にさせてもらったということです。

アメリカ軍は 昔から アメリカ兵の死者数を減らすために、絨毯爆撃をやっていたということです。

ところで、バギオの名所のひとつにもなっている Cafe by the Ruins (カフェ・バイ・ザ・ルインズ)というカフェがあるんですが、このカフェには 戦争中に破壊されて残った壁の一部が 今でもそのまま保存されています。

 

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2015年6月22日 (月)

フィリピン・バギオ市に住む日本人、そして退職者の韓国人との比較

たまたま、ある大学の方からの紹介で、アメリカの大学から
研究の為にフィリピンに来た大学院生のインタビューを受けた。
大学院生と言っても、一度職に就いて再度博士課程に戻った
女性なのでおそらく30代だろうと思う。

彼女の研究の対象は フィリピンに於ける 韓国人退職者と
日本人退職者の比較
ということだった。

その前提の情報として、私の記憶にあるバギオ市の日本人在住者、
少なくとも長期滞在者を思い出しながら足し算をしてみた。
(この数字は2015年前期ごろの数字だが、
 私が知らない人も5~10家族はいるかもしれない)

1.バギオ在住の日本人家族数 = 29家族(86名)
2.上記の内 退職者の数   = 14家族
  (退職者は60歳以上とした)
3.29家族の内 国際結婚の家族 = 18家族
4.上記国際結婚の内の退職者の数 =  9家族
5.上記29家族の内ビジネス・定職者 = 16家族
6.上記退職者の内ビジネス・定職者  =  1家族

・・・という結果が出た。
日本大使館の方に数年前に伺ったバギオ市周辺の
在留届をした日本人は150名ぐらいだとの話だったので
おそらく大きな違いはないかもしれない。

ただし、この在留届というものは、フィリピン生まれ、フィリピン
育ち、日本語は話せず、日本に行ったこともない日本国籍の
人も入っているし、長期滞在の日本人であっても在留届を
出していない人もいるので注意が必要だ。

大学院生が一番興味を示していたのは、韓国人退職者は
フィリピンでビジネスをすることに大変熱心だが、
日本人退職者は何故ビジネスをやらないのかという点だった。

私自身も以前から、何故 バギオの韓国人はビジネスに忙しい
んだろうと思っていた。
おそらく若い人たちなのだろうと思っていたが、大学院生の
話によれば、60歳を過ぎた退職者でも まずビジネスをやる
と言うのだった。

いろいろと話を聞いていると、おおよそ日本人と韓国人の
ビジネスに対する考え方が違っていることが分かってきた。

ー 日本人退職者はほとんどがサラリーマンであった。
ー 韓国人退職者は自営業者だった人が多い。

ー 日本人退職者は 年金でそこそこの生活が出来る。
ー 韓国人退職者は 年金だけでは生活が難しい。

ー 日本人の場合、日本で商売をやっていたら、わざわざ
  海外に出ようとは思わない。
ー 韓国人は 政府も海外へ出ることを推奨しているし、
  お金を稼ぐことについては国内も海外もない。

ー 日本人は退職後にビジネスでリスクを取ることを好まない。
ー 韓国人は退職後でも ビジネスで金を殖やそうとする。

ー 日本人は自分で始めたお店だったら愛着をもって継続する。
ー 韓国人は お店などビジネスを転売することで利益を得る。

バギオ在住の日本人在住者は 上のように家族を含めても
90人程度であるが、韓国人は7千人ぐらいだとのことだった。
ただ、何年か前に読んだ新聞では、1万人とか2万人とかいう
数字が書いてあった。
ちなみに、バギオ市の人口は 公称で30万人以上である。
実際には登録されていない住民を含めると40~50万人では
ないかとも言われている。

韓国人の場合、フィリピンでお金を稼いだら、韓国に帰るという
人が多いそうだ。
高齢になってからの医療や介護施設を考えてのことらしい。

日本人はどうだろうか。
日本国内の現状を考えると、日本に帰ったからといって、
費用も考え合わせると 最先端だが高すぎるとか、
介護施設には長蛇の列で介護要員も足りないときている。

最近は日本政府が、高齢者は東京や大阪などの大都市から
田舎へ移住しろと言っている
らしい。

田舎へ移住するんだったら、フィリピンも同じようなもんである。
ただし、最近の円安で フィリピンもなかなか厳しいが・・・

最近は 日本では高齢者の孤独死なども多い。
フィリピンなら 人知れず孤独に死ぬということはなさそうだ。
なんせ人だけはてんこ盛りにいる。

しかし、日本人高齢者が英語も話せなくて一人でフィリピンに
住むには いろいろと難しい問題も出てくる。

身近なフィリピン人に迷惑をかけずに生き、そして死ぬという
ことを考えておくことも必要なことだと思う。

・・・・

たまたま、外務省から以下のような統計が発表されました:

海外在留邦人数調査統計

 (Annual Report of Statistics on Japanese Nationals Overseas)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/

下のリンクが平成27年度版(平成26年(2014年)10月1日現在)です。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000086465.pdf

これを見ると、日系企業のフィリピンへの進出がかなり増加しているようです。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000086464.pdf

平成27年度版(26年時点)の在留邦人の数は、
フィリピン 18,870人となっています。

又、その内の永住者は 5,098人です。

尚、在フィリピンの日本国大使館がまとめた在留邦人数については、こちら:

(ただし、平成23年10月13日に掲載されたデータ)

http://www.ph.emb-japan.go.jp/pressandspeech/osirase/2011/101411.htm

フィリピンは、1万8,202人 (前年比5.82%増) で13番目に在留邦人が多い国 となっています。」

マニラ首都圏は、1万227人 (前年比0.40%増) で17番目に在留邦人が多い都市 となっています。マニラ首都圏の 前年と前々年の順位は いずれも 19番目 です。 」

マニラ総領事館は、1万4,469人 (フィリピン全体の79.49%、前年比2.04ポイント減) で全223領事公館中25番目 (前年も25番目)、 セブ出張駐在官事務所は2,421人 (同13.30%、前年比0.01ポイント増) で73番目 (前年は72番目)、 ダバオ出張駐在官事務所は1,312人 (同7.21%、前年比0.63ポイント増) で89番目 (前年は93番目) に在留邦人が多い公館 となっています。」

・・・・

ところで、フィリピン側でのデータはどうなっているのかを探してみますと、下のサイトが見つかりました。

フィリピン政府の統計局の 2010年の数字です。

http://web0.psa.gov.ph/content/foreign-citizens-philippines-results-2010-census

これを見ますと、フィリピンに住んでいる外国人の人口は、総数で

177,400人となっています。

その内 日本人は 12,000人です。

1位は、アメリカの30,000人、2位は 中国 29,000人、3位が日本、

4位は インド、 5位は カナダ・・・なんですね。

あれれ・・・・あんなに多い韓国人の数字がないのは 何故???

地域別の外国人数で バギオ市を含むCAR(山岳地域)は 2,700人ですね。

これは日本でいうところの国勢調査 センサスの数字なんですけど、どういうデータ取りをしているんでしょうか?

・・・・

別のフィリピン退職庁関係のデータを探しだしました。

こちらのサイトには 韓国人の特別退職者ビザ所有者についてこんなことが書いてあります。

http://myphilippinelife.com/philippines-retirement-visa-srrv/

THE SRRV IS POPULAR WITH? The PRA reports issuing 27,000 SRRVs to citizens of 107 countries.  It may surprise you to learn that Chinese nationals comprised 38% of those who enrolled in 2011. Koreans were 27%, Japanese 10% and North Americans 6.5%.

つまり、特別退職者ビザは 107カ国 27,000人の外国人に発行されていて、中国人 38%、 韓国人 27%、 日本人 10%、 北アメリカ人 6.5%・・と書いてあるんですね。

ってことは、センサスのデータと違って、少なくとも 27,000人の27%=7,290人の韓国人がフィリピンにいるはず・・・なんですけどねえ・・・

おかしいなあ~~~~

 

 

 

 

 

 

 

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2015年6月21日 (日)

フィリピンのトイレ事情・使い方 Toilet(C.R.) in the Philippines

How to use C.R.(toilet) in the Philippines, and  its Background.

さて、お立ち会い。
フィリピンでは、トイレのことを C.R.(confort room)って
呼ぶんですけど、
この「トイレの使い方」、ご存知ですか?

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もちろん、日本人には、と言うより、一応世界的に当たり前なんでしょうね。

なんて書いてあるかって言うと:

「お姫様のように座ってね。 蛙みたいなのはダメよ。
 有難うございます!」

じゃあ、なんで、こんな注意書きがわざわざあるのか・・・
そこんところを ふか~~く掘り下げてみましょうかねえ。

まず、フィリピンのトイレの「常識」からいきましょうか。
(一部の高級ホテルを除く)

ー 基本的に洋式トイレ(便器)である。
ー しかし、便座が無い・・ところが多い。(理由不明)
ー トイレット・ペーパーは まずほとんど置いていない。
ー 水洗式の水が当たり前に出ると思ってはいけない。
ー 水が流れる場合でも、日本のようにスムーズには流れない。
ー トイレ内に バケツとタボ(ひしゃく)がある。
ー トイレ内に 蛇口があることが多い。(ただし、水が出るかは別)
ー トイレとシャワー室は同じ空間(部屋)にあることが多い。
ー トイレ室にドラム缶があり水が溜めてあることもある。
ー ドアの鍵が壊れていることもある。
ー 排水管が細いなどの理由で、トイレット・ペーパーなどを
  流せない、流したら詰まる、トイレが多い。

まあ、以上のようなことが前提だとしましょう。

前提を元にして、フィリピンのトイレがどんな状態にあるかを
想像してみましょうか:

ー 普通の日本人には「耐えられない」状態にある。
ー 鍵が掛かるかどうか、まずチェック。
ー 便座がないので、座る場合、何かで「拭く」必要がある。
ー 座る部分が汚れていたり、水で濡れていたりすることが多い。
ー トイレット・ペーパーは持参が必須。
ー 大の場合は、水があるかどうか事前チェックが必要。
ー 水がちゃんと流れ終わるまで「見送り」が必要。
ー トイレ内にバケツ(ゴミ箱)が置いてあるので、
  用が終わった汚れたトイレット・ペーパーはそこに入れる
  ことも必要なトイレがある。

このようなことで、慌てないだけの心の余裕と柔軟性が
求められるってことでんな。

・・・ここまで読むと、日本人的「常識」では、
「とんでもない!」って話なんですけどね、その背景を知ると
ある程度 ことの次第が分かるんじゃないかって思うんです。

フィリピン人だって「きれい好き」なんです。
だから、お尻は 「水で洗う」んです。

日本人だって、「ウォシュレット」みたいなもので
「水で」お尻を洗っていますよね、最近は・・・

だから、フィリピンの方がその意味では 進んでいたんですねえ。

ただ、フィリピンは電気を使って「自動」でやるんじゃなくて、
バケツに入った水を柄杓で汲んで、それで洗うってわけ。

そして、水で洗った後に、トイレット・ペーパーなんかで
拭くわけですねえ。
従って、フィリピン人がお尻を拭いたペーパーは綺麗なんですね。

・・・だから、トイレの便器が水で濡れているってことね。

トイレがシャワー・ルームと同じ空間にあるってことも
理由のひとつかもしれません。

・・・じゃあ、上の写真の「注意書き」をどう説明するんだって
話に移りましょうか。。。。

まず、「便座」が無いことが多いんです。
これは不思議なんですが、空港みたいな外国人が多い場所でも
そうなんですよねえ。
SMモールのような大型の商店街というかデパートでも同じ。

これは、元々のフィリピン・スタイルの便器が、
昔の日本のスタイルにかなり似ていて、便座は無いという
ことに由来するのかもしれません。

だから、日本式やラッパが上に開いたような便器なんです。

そういう訳で、便器の上で膝を曲げる 「X」の姿勢になるんですね。
これは、西洋式便器を知らない時代の日本人なら
こうなるだろうな・・っていう姿勢です。

日本人としては笑えない話なんです。
笑ったらあなたのご先祖様が怒りますよ・・・笑

しかし、あの細い便器の縁に立つってのは かなりの熟練技ですなあ・・
真似してもあなたの趣味の問題ですけど、
滑ってハマり込んでも私にクレームつけないでくださいね。

ちなみに、フィリピンの若い女性に、昔トイレ事情を聞いたときに、
彼女たちは 常にウエット・ティッシュみたいなものを
バッグに忍ばせていると話してくれました。

日本の「全自動トイレ」がフィリピンの人たちにも人気であることは
間違いないのですが、フィリピンのインフラはまだまだですから、
電気、水が止まらないことが常識の日本と一緒にしてはいけませんな。

停電になろうが、水が出なかろうが、平常心でトイレに入る
フィリピン人のフレキシビリティーを 日本人は少し学んだ方が
良い時代が来るかもしれません。。。。

・・・・以上、現地からの報告でした。
(この現地とは、ルソン島北部山岳地帯のバギオ周辺のことです。)

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