« 橋爪大三郎x佐藤優「あぶない一神教」を読む 09完了 反知性主義が恐怖を煽る | トップページ | フィリピンの歴史教科書から学ぶ 80 アゴオは「日本港」(プエルト・デ・ハポン)だった!! »

2016年1月16日 (土)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 79  Tayfusaが日本人の海賊の王国を作ってた??

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

Img_3312

12 RELATIONS WITH THE CHINESE AND JAPANESE

「第十二章 中国および日本との関係」

 

 

 

さあ、いよいよ、日本の登場です。 わくわく・・

 

 

p166

 

「日本―スペイン 初めての接触」

 

日本とスペインの最初の接触は1570年で、

元帥のGoitiが、マニラ(Maynilad)のRaha Sulayman

のイスラム王国を占領した後に、20人の日本人居住者

発見した。 その中の一人はパブロというクリスチャン

あった。 明らかに、彼はマニラに来て住む前に、イエズス会

の宣教師によって、日本でキリスト教に改宗していた。

 

2年後(1572年)、Juan de Salcedo船長は、マニラから

イロコスに航行中、3隻の日本の海賊のジャンク帆船に

パンガシナン海岸沖で遭遇し、猛烈な戦闘後に追い払った。

 

10年後(1582年)、Juan Pablo Carrion船長率いるスペインの

派遣部隊は、日本人の海賊の王国を攻撃した。 その王国は

カガヤン川の河口にTayfusaによって築かれたものだった。

戦いは激しいものだったが、最後には日本人は打ち負かされた。

日本人たちが出港して逃げる時に、Tayfusaはスペイン人に

向かって叫び“Someday we shall return!”「いつか必ず戻って

くるからな!」と誓った。

勝利の後、Carrionカガヤン州に Lalloの町を築いた。

=== 教科書にこんな冗談を書いちゃっていいんかい?

    マッカーサーが言った言葉と同じじゃん。笑

 

 

=== こりゃあ知りませんでしたねえ。

    1570年っていうと、日本ではどんな時代ですかね?

 

こちらのサイトから、一部を抜き出してみますと:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7

 

1549(天文18年) イエズス会フランシスコ・ザビエル薩摩国鹿児島に上陸し、キリスト教を伝える

1550年代 南蛮貿易はじまる。

1560永禄3年) 桶狭間の戦い

1568(永禄11年) 織田信長足利義昭を奉じて入京する。

1573天正元年) 織田信長、足利義昭を追放して、室町幕府滅亡。

1582年(天正10年) 本能寺の変

1582年(天正10年) - 1590年(天正18年) 天正遣欧使節が渡欧。

 

=== なるほど、確かにイエズス会のフランシスコ・ザビエル

    20年前から日本で宣教をやっていたんですね。

    この時は、まだ、織田信長がキリスト教を歓迎していた

    頃のようです。

 

=== 日本の海賊の王国・・って、初耳、初耳・・・

    それに、Tayfusaって何者??

    (Tay Fusa (also referred to as Tayfusu or Tayfuzu)

 

    なんか、フィリピンじゃあ有名みたいですよ。

    1582年 カガヤンの戦闘、ってタイトルで

    こんなページがありました。

https://en.wikipedia.org/wiki/1582_Cagayan_battles

 

The 1582 Cagayan battles were a series of clashes between the Spanish colonizers of the Philippines led by Captain Juan Pablo de Carrión, and Wokou (Japanese pirates) headed by Tay Fusa.

 

This event was the only recorded battle between European regular soldiers against samurai warriors.[

(この事件は、ヨーロッパの正規軍がサムライと戦った

記録に残る唯一の戦闘である。)

(この侍というのは、浪人や足軽であったと書いてあります)

・・・唯一のという表現はいささか怪しいですが、

   この時代では、確かにそうなんでしょうね。

 

   さらに、こんなことも書いてありますね。

Around 1573, the Japanese began to exchange gold for silver on the Philippine island of Luzon, especially in the provinces of Cagayan, Metro Manila and Pangasinan, specifically the Lingayen area.

(1573年ごろ、日本人はルソンのフィリピンの島で、

 金を銀に交換し始めた。特に、カガヤン州、メトロマニラ

及びパンガシナン州のリンガエン地域であった。)

 

Pacified the region, and with reinforcements, Carrión founded in the city of Nueva Segovia (now Lal-lo).

上の教科書にかかれている日本人の海賊の王国っていうのは

Nueva Segovia(今の Lallo ラルーロー)とあります。

地図は、こちらで:

https://en.wikipedia.org/wiki/Lal-Lo,_Cagayan

台湾に近い、ルソン島の北東部、太平洋側ですね。

さらに、

Pirate activity was residual and the commercial activity focused on Lingayen Bay, in Pangasinan, on the port of Agoo and consisted principally on the deerskin trade.

それに、この倭寇が活動していたのは、リンガエン湾、

アゴオの港って書いてあります。

バギオから下ったところにあるラ・ウニオン州のアゴオですね。

 

 

=== 日本人倭寇も結構ルソン島周辺で

    いろいろやっていたんですねえ。

    面白いですねえ、おもしろいですねえ・・・

 

=== シリーズ 80 に続く ===

 

 

|

« 橋爪大三郎x佐藤優「あぶない一神教」を読む 09完了 反知性主義が恐怖を煽る | トップページ | フィリピンの歴史教科書から学ぶ 80 アゴオは「日本港」(プエルト・デ・ハポン)だった!! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134315/63073022

この記事へのトラックバック一覧です: フィリピンの歴史教科書から学ぶ 79  Tayfusaが日本人の海賊の王国を作ってた??:

« 橋爪大三郎x佐藤優「あぶない一神教」を読む 09完了 反知性主義が恐怖を煽る | トップページ | フィリピンの歴史教科書から学ぶ 80 アゴオは「日本港」(プエルト・デ・ハポン)だった!! »