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2016年4月25日 (月)

フィリピンの日本語教育の新しい動きにびっくり。 日本の英語教育は?

先日 バギオ市で 国際交流基金主催の 日本語教師の為の
教え方セミナーが 開かれたんです。

Photo_by_robert_pablo_06

基本的には フィリピン人の現役の日本語の先生たちが対象で、
私は たまたま 北ルソン日本語教師会(ANT-NL)という
ルソン島北部のバギオ周辺の先生達のグループで、
アドバイザーということになっているんですが
(これは本当に「名ばかり」アドバイザー)、一応 日本語教師を
やっているもんで、ちょっと見学させてもらったんです

私の興味は、だいたいが 「教授法」にはどんなもんが
あるんだろう・・というものなんですが、今回の交流基金の
セミナーの中で 見せていただいたものは、新しく開発された
テキストにしても、そのテキストの内容にしても、講師が話す
内容にしても、「なんだ、これは?」 という違和感すら感じる
ようなものだったんです。

それで、「これは何なのか」ってことが知りたくなりまして、
関係する資料を教えてもらって、読んでみました。

Img_1090

まず、「まるごと」というテキストを開いての感想が、
こりゃあ、教えるのが難しいなあ・・・・」だったんです。

それに、国際交流基金の日本語教育スタンダード って何のこと?
ってのが 「????」だったんです。

それは、こちらのサイトで様子が分かって来ました:
http://jfstandard.jp/language/ja/render.do

しかし、これを読んでも、今までに ちょこちょこと仕入れてきた
日本語教育に関する情報とは、なにか次元が違うような感じなんです。

・・・で、「この背景には どんな考え方や教授法があるんだろ」
ってことで、情報を教えてもらったんです。

それが、こちら・・・・

http://www.skazumi.com/Brunnen441_CEF.htm

「「最近色々なところでCEF とかCEFR ということばを聞くようになったな」
とお感じではないでしょうか。この二つの略語はどちらもCommon European
Framework of Reference for Languages
の頭文字を取ったものです。
この一両年、日本の外国語教育の諸学会でもCEF が話題としてよく取り上げ
られるようになり、言語教育関係者には知られるようになりました。」

・・・これは、全く知りませんでした。
やっぱ 現場の人間ですから、こういう情報からは遠いですねえ。

上記のサイトで全体像は分かるんですが、下のリンクでもうちょっと
読んでみると、「こりゃあ単に外国語教育ってことだけの話じゃないな
というヨーロッパの事情が分かってきます。

外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠
Common European Framework of Reference for Languages:
Learning, teaching, assessment
http://www.dokkyo.net/~daf-kurs/library/CEF.pdf
(5Mのファイルで、かなり長い文書です。)

この長~~い文書の中で、「どんな教授法なんだ?」という
狭~~い範囲にしか興味のない私にとっては、以下のような
部分が気になったんです:

「Cmmon European Framewok of Refnce for Languages: Learning,
teaching, assessment(以下CEF)1) がヨーロッパ共同体内部の
種々の政治、文化、教育の必要性の中から生まれてきたものである
ことは、本書の序文および第一章に説明がある。そうした特殊な
背景をもつ本書を日本語に訳し出版することの意味については
それなりの説明が必要であろう。」

上記のリンクの「第一章」に 次のような記述があります:

「対象領域、内容、方法を明示的に記述するための共通基盤を示す
ことによって、CEFは、コース授業、シラバス、能力検定の透明化を
促進し、そうすることによって現代語の領域で国際的共同作業
前進させようとするものである。言語熟達度を表す客観的基準を
提示することにより、さまざまな学習環境の下で与えられている
資格の相互認定も容易になるはずである。これはまたヨーロッパ内
における人的移動を助長するものであろう。」

「A. 一般的方策
1. 可能な限り、全ての層の人々が他の加盟国(あるいは自国の他の
共同体)の言語知識を習得するための効果的な手段を利用できる
よう保証を与える、と同時に、これらの言語を使う技能を身につけ
させ、それぞれのコミュニケーション上の必要性に応える:」

「1.3 複言語主義(plurilingualism)とは何か
Council of Europeの言語学習との取り組みの近年の流れの中で
「複言語主義」の構想が大きくなってきている。複言語主義は
多言語主義(multilingualism)と異なる。」

「例えば、対話の当事者たちは会話の途中で言葉を別の言語に
変えることもあるし、方言を使い出すこともある。互いに、
自己をある言語で表現し、また別の言語を理解することができる
能力を利用するのである。」

・・・・つまり、このCEFなるものは、単に外国語学習という
狭い範疇のものじゃなくて、ヨーロッパ地域の統合の動きの
大きなうねりの中で出てきたものだって話なんですね。
さまざまな言語がある ひとつの陸続きの中で、人びとが自由に移動
できるようになることが、言語教育においてどのような
影響を及ぼすかという背景がここに横たわっているみたいです。

・・・しかし、「複言語主義」という考え方は
島国の日本人的には なかなか実感が伴わないし、
「日本語の乱れ」とか言われて許容されにくいかもしれないです。

「Council of Europeは言語学習と教育に従事する全てのものに、
 その仕事を始める前に、学習者側の必要性、動機、特徴、
 また学習教材について反省をめぐらすことを強く勧める。
 つまり以下の質問に答えてほしいということである。

1- 学習者は言語を使って何をしなければならないか。
2- その目的を学習対象の言語を使って達成するためには、
   学習者は何を学習しなければならないか。
3- 学習者を学習に向かわせるものは何か。
4- 誰が学習するのか(年齢、性別、社会的背景および教育歴、など)。
5- 教師が持っている知識、技能、経験は何か。
6- 学習者が入手できる教材は何か(辞書、学習文法書、など)。
  また視聴覚機器はどうなっているか、コンピュータとソフト
  ウェアはどうか。
7- どれほどの時間をかけられるか、あるいはかけるつもりか。」

このCEFは、特定の具体的やり方などを推奨している訳じゃ
なくて、大きな枠組みを提供するもののようですから、
私が思っていた 「どんな教授法」なんてのは 鼻っから議論は
していません。
「そこは好きにやってちょうだい」ってところでしょうか。

・・ただし、上記の7つの点には 気を配ってね、ということの
ようです。

3、4、5、7 は一般的な要件ですから、これは良しとして、
1と2や6 は具体的な指導方法を示唆しているような感じが
します。

国際交流基金が新たに開発した教材は、これらのことを
反映したものになっているようです。

さらに 以下の9ページの部分を読んでみますと:

CEFの理論的背景
2.1 行動中心の考え方
・・・・ここで採用された考え方は一般的な意味で行動中心主義
である。つまり言語の使用者と学習者をまず基本的に「社会的に
行動する者・社会的存在(social agents)」、つまり一定の与え
られた条件、特定の環境、また特殊な行動領域の中で、
(言語行動とは限定されない)課題(tasks)を遂行・完成すること
を要求されている社会の成員と見なすからである。」

それから、中をず~~っと すっ飛ばして、155ページ
行きますと・・・

「6.4 外国語の学習と教育の方法に関する選択肢
しかしながら、言語の学習、教育、評価に関する枠組みの中では、
方法論についても取り扱わねばならない。というのは、そうした
枠組みの利用者は、方法論についても考察し、総合的な枠組みの
中で方法論的な決定を話し合うことを望むに違いないからである。
第六章は、そのような枠組みを提供している。」

「外国語の教育と学習に関しては、総合的な方法であらゆる選択肢
を明確かつ分かりやすく提示し、特定の見解の推奨や教条主義は
避けねばならない
。学習者一人一人の社会的状況と必要性に照らして、
定められた目標を達成するために、言語の学習、教育、研究にとって、
最も効果的な方法が用いられなければならない、というのが
、Council of Europeの基本的原則であった。」

「もし、教育の現場関係者の中に、自分たちが受け持つ学習者たち
にとって適切な目標が、Council of Europeが他の所で提唱している
のとは違う方法でより効果的に達成できるとの信念がある人がいれば、
その教授法について、およびそこで追求されている目標について、
われわれだけでなく一般の人にも教えてくれるようにお願いしたい。」

「6.4.2.2 教師の役割
教師は、自分たちの行動が自身の態度や能力の反映であり、また、
言語を学習、習得する環境で非常に重要な部分を占めていることを
自覚しなければならない。学生が将来その言語を使用する際や、
学生が将来教師となったときの手本を見せているのである。
次の事項の重要性を考える必要がある。
a)教授技能
b)教室運営技能
c)実践研究(アクション・リサーチ)を行い、経験を反省する能力
d)教え方のスタイル
e)テスト・評価・総括評価の扱い方を理解し、実践する能力
f)社会文化的背景に関する知識とその教授能力
g)異文化に対する態度や適応技能
h)学生の文学鑑賞を理解し、育成する能力
i)さまざまな性格や能力を持つ学習者からなるクラスの中で
  一人一人に対処する能力」

・・・これらの部分が 私が探していたところなんですが、
これをざっと見た印象としては、いわゆるコミュニカティブ・
アプローチに近いものを連想します。

コミュニカティブ・アプローチというのは、こちらに説明が
あります:
http://www.eonet.ne.jp/~yasoo/page027.html

私が2001年に1年間学んだ教授法は
いわゆる「直接教授法」ってやつでして、この直接教授法
というものについては、こちらに解説があります:
http://eigokyojuho.sophia-gaigogakuin.com/chokusetsu-kyojuho.htm
「直接教授法と呼んだ理由は、翻訳を通さないで、その言語で
直接意味を教えていたからです。 」

「直接教授法から派生した教授法にコミュニカティブ・アプローチ
(The Communicative Approach)というものがありますが、
コミュニカティブ・アプローチでは生徒が間違えた場合に訂正
しませんが、直接教授法では訂正するのが普通です。」

・・・ここに書かれていることから判断すると、
私の今の教え方は、コミュニカティブ・アプローチにも近いって
ことになりそうです。

さらに、次のようなことが書いてあります:

「しかし、意味を教えるための様々な道具の準備が必要な点、
言語活動、言語ゲームなど授業内での活動を行うための準備が
必要な点、さらに、ネイティブ・スピーカー並の高度な外国語力
を必要する点など、個々の教師への負担が非常に重く、
学校教育への普及は非常に遅れています。」

・・・まあ、これは確かにそういう面もあるにはあるのですが、
直接教授法と言う物が、「積み上げ方式で、易しいものから
徐々に難しいものを教えていく」という前提で考えれば、
入門や初級の時期では、必ずしも「ネイティブ・スピーカー並み
の高度な外国語力を必要とする」とは言えません

要は、「基礎的な日本語だけを使って」教える為のシナリオ、
台本がきっちりと出来ているかどうかによりけりです。

とりあえず、最初に感じた「違和感」は消えたんですが、
ここで、国際交流基金が実施しているフィリピンでの日本語
教育について、このCEFなるものがどのように展開されているか
を教えていただきました。
こちらのサイトです:

アイデンティティ形成を支える日本語学習活動の実際
-フィリピン中等教育機関向け教材

『enTree-Halina! Be a NIHONGOJIN?-』の学習活動から-」
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/teach/research/report/09/pdf/02.pdf

「〔要旨〕
フィリピンでは、中等教育機関において2009年6月から
日本語が試験的に導入された。海外の中等教育における日本語
教育では、言語能力の向上に加え、人間性の育成を目指した
人間教育」といった側面が期待されることが多く、フィリピン
教育省も「第二外国語におけるコミュニケーション能力の向上」、
「世界中の様々な就業の場で活躍する力」、「異文化への寛容的
な態度の育成」を教育目標に据えている。」

Img_1173

・・・私は、正直な話、これを読んで驚いたんです。
外国語教育が「人間教育」とされている点です。

上記のようにヨーロッパでの様々な、複雑な言語事情と
それに対する人材の移動を踏まえた「複言語主義」という
考え方が、フィリピンではぴったりくるのではないか
思うわけです。

つまり、フィリピンでは、このサイトで詳しく解説があるとおり、
私が住んでいるバギオ市でも、私の日本語の生徒たちは
だいたい 英語、タガログ語、地元の親の言語(カンカナイ語
やイバロイ語など)、北部ルソン島一帯の共通語である
イロカノ語など、4つ以上の言語を話す環境にあるからです。

また、フィリピン人のどこの家族にも1人くらいは
「海外出稼ぎ」をしている人たちがいますので、
外国語というのは「当たり前」のことなんですね。

Img_1181

だから、上記のようなヨーロッパの言語教育の最新の動きを
導入しているのは、理にかなっていると思えます。

翻って、日本を見てみると、この意味においては
全くと言っていいほど 遠い世界にあるように思います。
英語教育だけで すったもんだやっていますし、
いろいろ検索してみても、日本の英語教育には一貫性も、
高尚な目標もなさそうで、いわゆる文科省の指導要領を
見ても、ぱっとしません。

また、私が関心のある教授法についても、
これと言ったものはなさそうです。
(あったら教えてください。)

ヨーロッパのこの先進的な動きと枠組みは、いわゆる
「単一民族、単一言語」みたいな雰囲気を前提とする
島国では、受け入れられそうにもありませんが、
世界の人材の大きな動きの中で考えれば、
「美しい日本語」に拘泥することなく、大胆な枠組みを
議論する必要もあるんじゃないかと思います。

所詮、日本語と言っても、昔から中国や朝鮮半島、
そして、明治時代のヨーロッパ、戦後のアメリカなどから
多くの影響を受けて、日本人でも理解に苦しむ
カタカナ用語が溢れていますからねえ。
そういう意味では、ある意味 元祖「複言語主義」と
言えなくもないような気がします。

ところで、日本で「英語で英語を教える」という動きに
困っている英語の先生方にエールを送るつもりで、
過去に書いたページをご案内します:

「日本語「直接教授法」と 英語教育
・・・英語の教え方ってまだ今からなの?」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2016/03/post-016f.html

「日本の英語教育は授業時間数がそもそも足りないんじゃないの? 
 日本語教育との比較」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2015/03/post-ca70.html

以上、ぐだぐだと書いてしましました。
お付き合いくださり、有難うございます。

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