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2016年11月23日 (水)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 88  フィリピン人の最初の反乱

このシリーズを最初から読みたい方は、こちらのイントロへどうぞ:

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2014/02/post-1103.html

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンに長年住んでいる外国人としては、少しぐらい勉強

しないといけないなと思い、フィリピンの大学などで教科書として

使われているフィリピンの歴史の本を読んでいます。

要点のみを引用して翻訳しています。

Img_3313a

 

 

p180

「第十四章 フィリピン人の反乱」の続き

 

 

=== ここからは、個別の反乱について、詳しくそのいきさつを

    書いてあるんですが、全部翻訳するのはかったるいので、

    ざっと読んでみて、面白いところだけを翻訳してみます。

    25ばかりの反乱について書いてあるもんで・・・

 

 

Lakan Dula および Sulayman の乱 (1574年)」

 

フィリピン人がスペインに対して初めて立ち上がったのは

Lakan Dula と Raha Sulayman の1574年の乱であった。

この二人は、Maynilad(今のマニラ)とTundok(Tondo 今のトンド)

の過去のそれぞれ地元の王であった。

彼らは、植民地指揮官であった レガスピとの間に平和・友好

協定を結んでいた。 そこで、レガスピは、先祖伝来の土地を

認め、人びとを公平に正しく扱うとしていた。

 

Lakan  Dula と Sulayaman の二人は、王国を失っていたが、

約束を守り、スペインに忠誠を示した。1571年6月に

パンパンガ州の人々が彼らを招待した折に、トンドの沖にある

Bankusayの可航水路でスペイン人と闘おうと誘ったが、

二人は、彼らがレガスピと結んだ平和協定を破りたくなかった

ので、その話を拒否した。

 

賢明なレガスピの側も、Lakan  Dula Raha Sulaymanとの間に

結んだ約束を守った。 しかしながら、レガスピが1572年

 

8月20日に死去した後、かれの後継者となった総督の

Guido  de  Lavezarisは、先祖伝来の土地を没収し、スペイン人の

荘園主(encomenderosに対し、住民を酷使し、厳しく支配する

ことを認めた。

 

Encomenderosについてはこちらで詳しく説明があります。

ただし、上記ではスペイン人のencomenderosとなっています。

http://en.wikipilipinas.org/index.php/Encomienda_System

 

Under the encomienda system, the native inhabitants in a given geographic

region were entrusted to an encomendero or trustee as a reward for his

service to the Spanish Crown. This system was not a land tenure. The

encomendero had specific responsibilities such as, to protect and to educate

the natives in reading, writing and Catholic doctrines. In return, the encomendero

was authorized to collect tribute from the natives and to recruit workers for

the polos y servicios. The encomendero also had no political authority or

jurisdiction over the Filipinos but he could be appointed to a post in the

colonial government.

 

 

新総督Lavezarisがレガスピの方針をひっくり返したことに憤慨し、

Lakan  Dula と Sulayman は、武器を取って立ち上がることを

決意した。1574年12月に起った Lim-Ah-Hong林鳳(りんぽう)

マニラ攻撃を利用して、二人の王は、反乱を宣言し、Navotas

彼らの兵士たちを集めた。 野営地指揮官の Juan  de Salcedo

林鳳(りんぽう)のマニラ攻撃を撃退したのだが、中国人海賊の

指揮官は、彼が打ち立てた王国があるパンガシナン州へと

進んだので、中国人の脅威はまだ残っていた。

 

総督Lavezarisは、林鳳軍をフィリピン人の支援なくしては

撃退することが出来ないと悟り、Salcedoと Geronimo Marin神父を

Lakan  Dula SulaymanNavotas野営地に派遣し、武器を降ろす

ように説得し、彼らの全ての不満を救済することを約束し、

武器を取ったもの達を赦免するとした。

 

二人の王は、Salcedo司令官(レガスピの孫)とMarin神父を

尊敬し信頼していたので、なだめられて、計画していた

蜂起を停止した。  幸運なことに、Lavezarisは約束を守り、

平和と友好は元に戻った。

 

 

p181

 

親友であるSalcedoに対し、感謝と友情を示すために、

Lakan   Dula と Raha  Sulaymanの二人は、親戚や兵士たちを

伴って、リンガエン湾へのスペイン派遣軍に参加し、

林鳳に率いられた中国人の海賊を追い払った

 

 

=== この反乱は中国人の海賊との戦いもかかわっていて

    なかなか面白いですね。

    ちなみに、この海賊はいわゆる倭寇かと思われます。

    林鳳が率いていた海賊軍の中には、日本人の副官も

    いたことが分かっています。

    こちらのページでご覧ください。

 http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/04/daisuke-49b0.html

 

 

    これ以外のフィリピン人の反乱については、

    よく知られている地名や バギオに近いところで起った

    反乱を中心に読んでいきます。

 

・・・・・

 

では、次回 89号 を宜しく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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