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2016年3月26日 (土)

「フィリピン人の怠惰について」 1890年の論文 Jose Rizal

 

この記事は、元々2002年に掲載したものを 古いhomepageから 引っ越しています。

スペイン植民地以前のフィリピン人は・・・

 
マラヨ・フィリピン人は、 ヨーロッパ人の到来以前
には、自分たちの間だけではなく、近隣のすべての
国とも、 活発な交易を営んでいた。
 
・・・ ルソン島の商人たちの活動と 正直さとに
言及している。
かれらは、中国の産物を取り集めて、 九ヶ月間
諸島を回航してまわり、 品物をくばって歩き、
その後で、中国に帰ってきて、中国人が渡した
ことを覚えていない商品の価格まで、きちょうめんに
支払うのだった。
 
逆に、フィリピン諸島から輸出する生産物は、
生ワックス、もめん、真珠、べっこう、ペテル・ナット、
織物などだった。

・・・ ピガフィッタは、 1521年に マゼランと
いっしょに来て、 フィリピンでは最初に サマール島
にたどりついたが、 そこで 第一に気がついたこと
は住民たちの礼儀正しさと、親切なこと、それに、
かれらの商業だった。
 
・・・ なんども引用される モルガ博士の証言は
ものを言うだろう。
博士は七年間フィリピンで、総督代理および
マニラ裁判所の判官をつとめ・・・・

モルガは 第七章で、・・・
「現地人たちは、 このような職務をはたすどころ
ではなく、 かれらが異教徒だった時代にも、
また、国が占領された後も、 長い間やっていたこと、
鳥や家畜や もめんの栽培と飼育、 機織などを、
まったく忘れてさえしまっていた。」
(「フィリピン諸島誌」リサール全集 第六巻)


上記のように、ホセ・リサールは、 ヨーロッパ留学
中に さまざまな文献を読み漁り、 植民地以前の
フィリピン人の本来の姿を 追い求めたのである。
 
そして、この論文によって、 フィリピン人の怠惰と
言われるものは、 生来のものではなく、
スペインの植民地政策によって ねじ曲げられて
来た結果なのだ、と立証している。

05/14/2002

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Noli Me Tangere ノリ・メ・タンヘレ を読む フィリピンの英雄Jose Rizalの名著

「われに触れるな」は ホセ・リサールの運命なのか?

 
国会図書館に毎日出かけるわけにも行かず、地元の図書館で蔵書検索をしてみたところ、 運良く 「ノリ・メ・タンヘレ」は見つかった。
ホセ・リサールの著書はこれ一冊きりであった。
ただし、 これも共同倉庫なるところにはいっているそうで、あまり読む人はいないらしい。
2週間の貸し出しが出来たので、興味ある部分を抜書きしながら やっと読み終えることが出来た。
 
ひとことで感想をいうならば、 26歳であったというホセ・リサールは この「ノリ・メ・タンヘレ」で 自分自身の運命まで書き上げてしまったのではないか、と言うことである。  35歳で銃殺刑に処せられるまでの彼の人生は、この本を そして この後に書かれた 二作目「エル・フィリブステリスモ」(邦文訳「反逆・暴力・革命」)を書き、 フィリピンをスペインからの独立に向かわせるためだけのもののように思えてくる。
 
「あるいは おまえの思い出にふけろうと思い、 または 他の国と比較しようと思って、 なんどおまえの姿を思い起こそうとしたことだろう。 ・・・・・ なつかしいおまえは、 いつも これと同じような社会的な がんに苦しんでいる姿で 目の前に現れてくるのだった。  ・・・・・  わたしは 真実のためにはすべてを、自尊心でさえ犠牲にして、 この病をおおうベールを もちあげることにしよう。」
 
最初のページに書かれたこの「序」は、 たしかに この本への決意を表しているのであるが、 読後感としては ホセ・リサールの遺書の書き出しでもあるかのように響いてくるのである。

 
このことを 手っ取り早く ご理解いただくには、 ホセ・リサールの略歴をご紹介したほうがよいであろう。
 
Art_of_vince_01

(art work  by  Vincent  F. Navarro 亡くなったVince君の作品より)

 

ホセ・リサール略歴
1861年6月19日 ラグナ州カラムバ町で誕生。
1877年 アテネオ・ムニシパルで中等教育終了。
       同年サント・トマス大学入学。
1882年 スペインへ出発。 
       同年末、マドリッド中央大学入学。
1883年 フリーメーソンに加入。
1884年 医学コース終了。 学位を受ける。
1885年 哲学・文学コースの学位を受ける。
1886年末まで、 パリで医学実習。 終了後、
       ハイデルベルク、 ライプチッヒ経由
1887年 ベルリン着、2月22日「ノリ」を完成、出版。
       ドイツ、オーストリア、イタリアを旅行。
       8月5日マニラに帰着。
1888年 総督の国外退去の勧告を受け、2月3日
       マニラ発、日本(2月28日ー4月13日)、
       北米経由、6月中旬ロンドンに落ち着く。
1889・90年 プロパガンダ運動の強力な闘士として
       活動。 政治論文を多く発表。
1891年 正月ビアリッツで「フィリ」原稿完成。 
       9月18日、ゲントで出版。
       11月ホンコンで医業開業。 繁盛する。
1892年6月26日 帰国。 
     7月14日ー1896年7月31日 
       4年間ダピータンに流刑。 
       一度マニラに帰り、スペインに向かった
       が、 船中で再逮捕。
1896年11月3日、フォート・サンチャゴに監禁。
      12月30日、バグムバヤンで銃殺刑。 

(上記すべて  岩崎 玄 訳 より)

この続きは 下のリンクより入って 詳しくお読みください。
ノリ・メ・タンヘレ と エル・フィリブステリスモ の内容と感想を書いております。

・・・続きは、こちらへどうぞ:

ノリ・メ・タンヘレ  Noli Me Tangere を読む」

「われに触れるな」は ホセ・リサールの運命なのか?

「エル・フィリブステリスモ El Filibusterismo  を読む」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2005/09/post_a44c.html

 

 

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フィリピン独立の父: JOSE RIZAL ホセ リサール の ことなど・・・・ 「ノリ・メ・タンヘレ」

こちらに書いているのは、元々2001年に書いたものでしたが、これで2回目の引っ越し記事です。

「ノリ メ タンヘレ」 を読む。

3月18日、 国会図書館へ出かけてみた。  
フィリピンの人たちにとっての英雄である ホセ・リサールの著書 「ノリ メ タンヘレ」 を読むのが目的である。
「ノリ・メ・タンヘレ」 というのは 「我に触れるな」という意味のラテン語であるそうだ。

 
この本は、 ホセ・リサールが ヨーロッパ留学中の 1886年に、 スペイン語で表された長編小説である。
東京の岩波ホールで、その映画「ホセ リサール」が紹介されたので、 ご覧になったかたも いらっしゃるであろう。
あの映画も 3時間の長編映画であった。

スペイン語で書かれた原本を読む語学力は無いので、 私は 岩崎玄の邦文訳による 
「Noli Me Tangere -わが祖国に捧げるー」
(井村文化事業社発行・勁草書房房発売・ 1976年初版・ 本文 374頁) を読むことにする。
この本は インターネット書店でも 既に絶版のために 手に入れることが出来なくなっている。  
もうひとつの小説 「エル・フィリブステリスモ」(El Filibusterismo 反逆) も 同様である。

これら2冊の小説は、 「フィリピン人の聖書」とも呼ばれており、 「フィリピン独立の父」の手による特別な本なのである。    フィリピンの高等教育では、 ホセ・リサールの伝記と これら2冊の小説を読むことが 義務付けられているという。
 
さて、 訳者の 岩崎玄氏であるが、 1948年にシンガポールから復員したあとに、 日本語教師になっており、 
外国語教授法なども研究されたらしい。
1960年には フィリピン大学の客員教授、 1972年には デリー大学の客員教授でもある。
日本語教師としては、 国際学友会日本語学校や 早稲田大学、東京工業大学などで 留学生などを指導している。
又、 1975年以降には リサールの関連書籍の翻訳に専念されたらしい。


3月18日には、 図書館で正味5時間ほど読んだが、 本文374ページ、それも 小さな字で 1ページ上下二段に
書かれた本の やっと 六分の一しか読むことが出来なかった。

この小説の第一印象 ? 
ホセ・リサールの天才ぶり、そして ヨーロッパ留学中のその博学ぶりが その文にも表れていて、 意味のわからないところも多い。  
しかし、 読みすすむうちに 次第しだいに 引き込まれてゆくのである。
ホセ・リサールは そうとうな皮肉屋であるようだが、 同時にかなり 茶目っ気のある天才であったようだ。
35歳という若さで スペインによって 銃殺刑にされてしまったのは、 この天才をスペインが恐れたためで
あったろうが、 かえって その事が フィリピンを独立へ向かわせたのは間違いないのだろう。

さて、 読後の感想は、 次回以降に持ち越しとさせていただきます。
お楽しみに・・・・。

   佐世 保 (3/21/2002)

the guy visited japanese national diet library in tokyo on 3/18/2002 to read  "Noli Me Tangere"
written by Jose Rizal.
 
he cannot understand the novel written in spanish, so he is reading the japanese version translated by Gen Iwasaki 
who used to be a professor at  the philippine university in 1960.
 
the japanese version was published in 1976, but it is no longer being sold in the japanese market.
the guy is trying to find the japanese version at second-hand book stores in japan now.

 

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西アフリカは ベナン共和国の国歌

2005年に作った 古いhomepageが サービス終了になるってことで、こちらのブログに引っ越し作業することにしました。

大事な、想い出に残っているものだけを、こちらに移します。

ベナン共和国 国歌の 邦文訳

国歌の原文は 仏語とフォン語です。
素人の翻訳ですので ご容赦下さい。

立ち上がれ ベナンの子たちよ
自由の雄叫びを 夜明けの光の中に 響かせよ
立ち上がれ ベナンの子たちよ


恐れずに 人々の勇気、情熱、喜びを かみしめよ
血に代えても闘った人々を 想い起こせ
君達も 進むのだ

新しい時代を築く 若者よ
日々 結束して 励め 繁栄のために
休みなく 創り出すのだ

立ち上がれ ベナンの子たちよ
自由の雄叫びを 夜明けの光の中に 響かせよ
立ち上がれ ベナンの子たちよ


翻訳:(フランス語―>英語―>日本語)
    英語ー>日本語訳 by させ たもつ

フォン語版の国歌 その読み方

フォン語版 ベナン共和国の国歌の 発音の仕方は
おおむね 以下のようです:

べね  と ぶぃ れ み 
BENIN  TO  VI  LE  MI

み  ちて
MI  CHITE

お みちて  ば  に  みです
O  MICHITE  BA  GNI  MIDESSOU

あに ど ひんほん うぇ ど あい じ うぇ み ぼ ふぉん
AGNI  DO  HINHON  WE  DO  AGNI  DJI  WE  MI  BO  FON


えぇん しん ふぇ ほ ぬうぇ
HIN  SI  HOUE  HO  NOUWE

よろ  えぃいぇ こ そ あぷぁぷぁ
WOLO  E  YE  KO  SO  AKPAKPA

とぼ  み  とん  れ ぼ  え こ じぇ ごどめ
TOGBO  MI  TON  LE  BO  YE  KO  DJE  GODOME

ろぼ  ぷぁこん  ぼ  ぶぁんかん
LOBO  KPANKON  BO  VANKAN

ぽ  ほ  め ふんふん    ぷぁん
KPO  HO  ME  HOUNHOUN  KPAN

ぼ  い  そ ぞぬ   ぼ かんじょ  こん
BO  GNI  SO  ZONOU  BO  KANDJO  KON 

 にゃに  び  ふぁんにゃん ふぁんにゃん
  GNAGNI  BI  VANGNAN  VANGNAN


<<最初の4行 繰り返し>>

国歌の 曲は ふたつある

ベナン共和国の国歌には 曲が二つあります。
 
フランス語で歌われる国歌と フォン語で歌われる国歌は、その歌詞の意味は同じだとのことですが、 曲は全く異なります。
 
仏語で歌われる曲は 軽快で勇ましい感じの曲であり、若い人たちが 元気良く歌うのに最適という雰囲気です。
 
一方、フォン語で歌われる場合の曲は、ベナン独特の節回しで なかなか 趣のあるメロディーです。  地元の人がフォン語版で歌うときは 自然に身体が動くようで、 一種独特のかわいい仕草をしながら歌います。
この動作は 言わば手話みたいなものだそうで、どのような歌詞かを 表現するのだそうです。
 
例えて言うならば、日本の国歌を ひとつは西洋の行進曲で、 もう一つは 演歌で こぶしを利かせて 都はるみ風に 身体でリズムをとりながら歌うような 違いでしょうか。 

なお、 フォン語版の場合は、 上記の歌の前に イントロの歌が 追加されます。

はんべ    で  でぃ し あいて  ほぬ
HANGBE DE DI SI AYITE HONNOU

みま    せ  や
MIMAN SE YA

このイントロの歌の意味は 「早い朝に 歌をひとつ歌います。 この歌が聞こえますか。」というように、 聞いている人の 注意を喚起するものだそうです。

又、このフォン語版は 最近の学校では教えられておらず、若い人たちは お爺さんや お婆さんたちから 教えてもらうのだそうです。

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上記の記事とは別に、参考までに フランス語での国歌がこちらのサイトにありましたので、御紹介します:

ベナン共和国の国歌「新しい日の始まり」 」

http://anthem.cool-navi.info/africa/benin.html

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子猫ちゃんの 冷蔵庫上デビュー。 下界はワンちゃんたちのテリトリー

小太郎の家族・・子猫ちゃんたちが順調に育っていたようでして。

本拠地は小太郎のお嫁さん三毛ちゃんの実家、隣の家なんですけどね・・・

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(これが お父ちゃんの小太郎)

その三毛ちゃんが子供たちを連れて、ちょくちょく食事にくるようになったんです。

・・・だけど、我が下宿には、こんな連中が下界を支配しておりまして・・・

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子猫ちゃんたちは、お父ちゃん小太郎の家には なかなか近付けない。

おまけに、お父ちゃんの食堂は、大きなアメリカ製冷蔵庫の上にあるんです。

ワンちゃんたちと喧嘩しなくていいようにね。

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その 小太郎の食堂に、お母ちゃんと1匹の子猫ちゃんを発見!!

子猫ちゃんの冷蔵庫上食堂デビューなんです。

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三毛お母ちゃんと一緒に小太郎食堂でご飯を食べる 小太郎ジュニア1号。

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・・・こんだけ高いところにある 小太郎食堂ですからねえ。

子猫ちゃんたちには ハードルが高いんです。

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お母ちゃんは、ジュニア2 と ジュニア3 も呼んでいるんだけど・・・

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「ジュニア1. まだ食べてんの? 少しは残しておきなさいよ・・・」

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「ちょっと 呼んでくるからね・・・」

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「お母ちゃ~~ん。 もっとご飯ないの~~?」

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「J2、来た来た・・・」

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J2 「よいしょ・・・・ ご飯、まだある?」

J1 「あるけど・・・」

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J2 「あれれ・・・ あそこに 一つ目怪獣がいるけど・・・」

J1 「大丈夫だよ。 危害は加えないから・・・」

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J2 「さて、食堂は どこだ・・・?」

J1 「こっちの方から いい匂いがすんだけどなあ・・・・」

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J2 「こりゃだめだ・・・高過ぎて 無理・・・・」

・・・・てなことで、今日のところは ジュニア1だけのデビューでした。

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(こちらは、ジュニア3号と ジュニア1号)

   

しかし、今までは 小太郎と三毛ちゃんが 夫婦らしく、

仲良く食べていたんだけど、今からは 争奪戦が激しくなっちゃうんだろうなあ・・

Img_2683

・・・・

この後の深夜。

小太郎は、ねずみさんたちの出入り口になっている下水溝の穴の前で 見張り番をやっていました・・・・・

お父ちゃんは辛いよ。

 

 

 

 

 

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2016年3月22日 (火)

ややこしい日本語 - 10 「後で」と「後に」、どうすんだよ! 

「後で」 と 「後に」 が尾を引いているんです。

先日 日本語の 「後で」 と 「後に」は どう違うのか・・
ってのを色々考えたんですけど
、まだまだ尾を引いていまして・・

Img_5980

今日、授業を始めようとした時に ふっと言葉が浮かんだんです。

「後で、日本に出す書類の話をしますからね・・・」

・・・おっと~~。
ここで 「後で」って言葉が出たぞ。

で、「後に」と比べるとどうなのかって一瞬考えたわけ。

「後に、日本に出す書類の話をしますからね・・」とは言わないな。

・・・・

普通に、自然に、考えてみると:

「後で、OOの話をやります。」(A)

 

「OOの話は、後にします。」(B)

って語順になるみたいですね。

(A)の場合は、OOの話は、ここで初めて言う話。(未知)
(B)の場合は、OOの話は、既に相手にとっても知っている話。(既知)

・・ってニュアンスになりませんか?

そして、(A)は、敢えて 動詞を「やります」と書いたんです。
これは、「やる」というニュアンスが なんらかの「行為」をする
という意味、重点があるんじゃないかと思ったから・・・

一方 (B)は、「後にします」がひとつの一連の言葉ですよね。
後回しにすることに重点がある。

前回 いろいろ学んだ中にあったように:

(A)は、「ある行為」の順番を、今じゃなくて、「後でやる」ってことで、
(B)は、既に分かっている事柄を、「後に廻す」こと自体に重点が
   ありそうな感じです。

====

上まで書いた、その翌日(今日のこと)・・・

またまた頭に浮かんだ言葉:

(A) 「そんな話、後でやればいいんじゃないの?」
(B) 「そんな話、後にしようよ。」

これを念頭に 文型を考えてみたら:

(C) 「後で 話をしましょう」O
    「後に 話をしましょう」X

    「~~した後で 話をしましょう」O
    「~~した後に 話をしましょう」O

    「前で 話をしましょう」X
    「前に 話をしましょう」X

    「~~する前で 話をしましょう」X
    「~~する前に 話をしましょう」O

    語順によって微妙に違う。
    「前」というのは制約が多いみたい。

・・・・・・・・・

上のようなことを頭に浮かべながら、日本語の授業に突入。

作文の宿題にタイミング良く出てきた生徒の間違い・・・
助詞の間違いがいろいろありまして、説明したのが、これ

(A) OOは OOを OOで OOする。
    「私は そのニュースを 社員食堂 見た。」

(B) OOは OO ある/いる/乗る/行く/来る。
    「私は クジラの背中に 乗った。」

(A)は、いわば 一般の動詞と一緒に使われる 場所を表す助詞「で」。
(B)は、いわゆる 存在や往来を表す動詞と対で使われる場所を表す助詞「に」。
 「私は 小包を 郵便局に 持って行った。」にしても、
  何かを ある地点から別の地点に移動するという意味では往来ですかね
  (とりあえず、ここで これは「オーライ」ってことにして・・・)

====

まあ、こんなことを ごちゃごちゃ、ぐちゃぐちゃと考えているんですけど、
要するに 何を模索しているかって言うと、
完全な直接教授法」で、この「ニュアンス」を、解説文みたいな
理屈で教えるんじゃなくて、自然に授業の中で、段階を追って
学習者が使えるように教えていくには どうやったら良いかって
話なんです。

だから、料理する手順と、文型ってのが大事なわけですな。

1. OOは OOに ある/いる。(存在の動詞)
2. OOは OOで OOする。(一般的な動詞)
3. OOは OOに 乗る/行く/来る/送る・・・(例外的な往来動詞)
・・・ここまでは、場所を表す「に」と「で」。

・・・この後に、時間を表す「に」と「で」を出す?

4. OOは OOに OOで OOする。
   (私は 3時 カフェで お茶する。」
・・・ここで 時間の「に」が出てくる。
(まあ、実際は、2と3の間でしょうかね?)

5. OOは OOの後 OOで OOする。
   (私は 仕事の後に カフェで お茶する。」

6. OOは OOの後 する。
   (お茶の時間は 仕事の後にする。)
・・・・ ここで なにげに 「後にする」を展開。

7. いくつかの「やるべきこと」のカードを作り、
   その優先順位をつける作業を学習者にやらせる。
   文型は、「OOは OOの後/前にする。」

8. 7の「後に」が定着してから、「後で」を導入

   「テレビを見るのは 食事の後です。」1)
   「テレビを見る時間は 食事の後です。」2)

   「食事の後で(時間を気にせず)テレビを見ます。」3)

   「食事の、(すぐ)、テレビを見ます。」4)

    2)から3)への展開は、かなり強引ですけどね・・・
    ここで学習者の質問などは 受け付けない・・・笑
    (日本人だってそんな質問はしないでしょ。)

・・どうですかね? この教える流れ・・・

前回 検討した例文の中に こんなのがありました:

「主人は私が寝たあとで帰ってきました」A)
「主人は私が寝たあとに帰ってきました」B)

この二つの例文に 上記3)と4)を当てはめてみると:

「私が寝た後で (時間を気にせず)主人は帰ってきました。」A)
「私が寝た後、(すぐ)に、主人は帰ってきました。」B)

・・・あはははは・・・なんだか、変なことになっちまいましたね。

前回検討した時に書いた展開の文は:

「主人は 私が寝た後の時間を使って、いつでも(時間を気にせず) 帰ってきた。」A)

「主人は 帰ってくる順番を 私が寝た後に持っていって、すぐに帰ってきた。」B)

・・だったんですけどね。
かなり無理やりですが、まあまあって感じかな・・・

====

そこで、今日の最初に戻って。

「後で、日本に出す書類の話をしますからね・・・」

がどういうニュアンスかって言うと・・・・

今日の授業を予定通りやった後で、書類の話を(時間を気にせず)やりますよ。」

って感じですかね。
まあまあ、ニュアンスどおりになってるみたい。

ジャン、ジャン!!

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