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2016年7月 2日 (土)

「バギオ歴史遺産フォーラム」で もらってきたお土産の話

バギオ歴史遺産フォーラム」の第一回ってのがフィリピン大学バギオ校の

山岳地域研究センターとバギオ歴史遺産財団の共催で開かれたので、

ちょっと顔を出して、今制作中の「バギオ歴史探訪アート・マップ」の話を

してきたんですけど、

ちょっとお土産もいただいてきたんです

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フィリピン大学の Cordillera Studies Center (山岳地域研究センター)のパンフレット。

社会科学の研究センターという位置づけで、ルソン島北部の文化や社会などにかんして、いろんな出版をしているようです。

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フィリピン大学バギオ校の 2015年の年報・・ですね。

出版物の案内もあります。

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そのひとつを見てみますと、「(バギオ)市の歴史の断章」 とあります。

興味をそそられますね。

・・・・

それで、もうひとつ、もらったお土産が これです:

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分かりますか?

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右手が 結構 赤く膨れていますよね・・・

はい、フィリピン大学バギオ校の 学長室の前にある会議室の中で 

 

虫に刺されたんです。

この写真は さされて2日後の写真。

刺された当日は あまり気にならなかったんです。

さほど痒くもないし、痛くも無い。

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一応 虫さされの塗り薬 ムヒ を何度も塗っていたんですけどね、

なんだか風船みたいに膨れてくるもんだから・・・・

フィリピンの伝統的な薬みたいなのはないか

って聞いたら、こんなのを ペッタンコ・・・・

なんだか 頭に葉っぱをのっけた トトロ になった気分。

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この葉っぱは、 「ラグノブ」 と呼ばれる ビサイヤ地方の薬草らしいんです。

だから、ルソン島北部出身の大家さんには 名前すら分からない。

たまたま、ビサイヤ出身のヘルパーさんが 知っていて、近くのお店で調達してくれました。

これを半日貼っていたところ・・・

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こんな感じで、腫れがかなり楽になってきた・・・・

でも、手の甲の方は かなり皺しわになってきたのに、手首の方に

腫れが移動してきた感じがあったんで、

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・・・とどめの 二倍貼り・・・・、さあ どうだ!

このラグノブの葉っぱの効能ですけど、

本来は 鎮痛解熱の効果があるそうで、この葉っぱを煎じて飲んだりするんだそうです。

ちなみに、貼った感じですけど、

葉っぱがヒンヤリしていて、痒みも和らぐし、腫れもかなりひく感じです。

もっとも、昨日は ムヒのクリームを 塗りまくっていましたから、

その効果が正確には分かりませんが、

少なくとも ムヒを塗っている間は、赤い腫れは収まりませんでしたからね。

半日 葉っぱを貼って、腫れがここまで減れば、効果ありってことでしょうね。

伝統的な薬草、馬鹿に出来ません。

こちらのサイトに ビサヤ語で Labnog の名前がありました。

http://www.stuartxchange.com/Hauili.html

 

ヘルパーさんから聞いたのは 「ラグノブ」 だけど、 スペルは Labnog 。。。

私の聞き間違いか・・・

・・・でも、まあ、これで間違いはないでしょう。

http://dr-ernie-photography.blogspot.com/2012/07/plants-ficus-hauli-ficus-septica-septic.html

お土産のお話でした・・・・

 

 

 

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初めての「バギオ歴史遺産フォーラム」開催 : フィリピン大学バギオ校

「バギオ歴史探訪アート・マップ」 Baguio Historical Walk Art Map ってのを制作しようってことで動き出した矢先に、「第一回バギオ歴史遺産フォーラム」ってのがあるよと教えてもらったので、押っ取り刀で フィリピン大学バギオ校へ駆けつけました・・・

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なんで 駆けつけたかって言いますと、実は このポスターに・・・・

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Baguio Heritage Foundation (バギオ歴史遺産財団)って名前を見たからなんです。

アート・マップ制作の為に、1930年代のバギオにどんな歴史的建物があったのかってことが知りたくて、FACEBOOKの同財団のアカウント経由で、38のサイトのリストを頂いたもんで、関係者に合わなくちゃいけないなって話なんです。

(まあ、今時のインターネットは便利ですねえ・・・)

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右側に立って話しているお二人が主催者の方々でして、男性の方が 私が会いたかった ドクター・パラアン(眼医者さん)なんです。

3週間ぐらい前から 「会いたいよ~~」と ラブコールをしていたのに、一回だけ 「あとで見ておきます」という返事があっただけで、その後は音沙汰なし・・・・

バギオ歴史遺産財団の理事長さんらしいんです。

その方に、フォーラムが始まる前の 廊下でばったり会ったわけです。

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これが フォーラムのプログラムなんですけど、

どんな話になるのかも分からず仕舞いで参加したんです。

・・・で、プログラムに名前がある方々は 主催が フィリピン大学バギオ校の 山岳地域研究センターなんで、そこの教授の皆さんみたいでした。

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挨拶が終わって、早速基調講演が始まりました。

まずは背景の説明で、目的を読んだら どうもバギオ市における 歴史遺産の選定をどのような基準でやっていくか・・なんていうものでして・・・

ユネスコではどういう基準でやっているかとか、フィリピンの政府機関ではどうやっているかとか・・・まあ、そんなことで・・・

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その目的なんかの説明の後に、参加者の色々な意見を聞く時間がありまして、それぞれの立場からの発表がありました。

どうも、事前にアンケートみたいなものが配られていたみたいで、それに応ずる形での発表だったようすでした。

ちなみに、この男性・・・どっかで見たことがある人だなあ・・・と思っていたら、日系人会館でのミサを仕切っていた神父さんでした。

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そして、参加者2番手は、私の後ろに座っていたこの女性。

バギオ博物館でいつもお世話になっている職員の方でして、

「よっ! がんばって~~~」 ってなノリでした。

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3番手は、この女性が前には出ないで自分の席から意見の発表。

どっかで見たような女性だったんすけどねえ・・・思い出せない。

向こうは こっちを知っているような素振り。 

記憶力の無い爺さんは困る・・・・

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そして、参加者の10人目が 若い男性。

・・・で、結局どんな話があったのかって?

覚えていません・・・あはは

それぞれの立場で、それぞれの意見があったってことで。

で、あと一人 誰か意見のある方はいませんかって司会の人が言って、

誰も手を挙げなかったんで、私が手をあげちゃいました。

「バギオ歴史探訪アート・マップってのを作り始めたんですけど、

1930年代のバギオの情報や写真を探しているんで、

なにかありましたら、どうぞ宜しく・・・・・」

ってお願いをしました。

・・・まあ、この場は、バギオ歴史遺産の選定の為のコンセプト作りの場所です

からねえ・・・ 明らかに場違いの KY君だったかもしれません・・・あはは

・・・・

さて、この後が基調講演っていうか、研究している教授の皆さんの話が続いたんです。

プレゼンテーションをいくつか写真に撮りましたんで、それを御紹介しましょう。

・・・・・・・・・・・・

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基調講演・・・まずは現在の状況・・・

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写真にあるのはひとつの例として、CASA VALLEJO の現在のホテルが

あげられています。 数年前までは幽霊屋敷でした。

別のスライドでは、バギオ大聖堂の商業化が言及されました。

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観光という視点で見た時に どのような要素があるのか・・・

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記憶に基づく観光・・・・

2のところには、「文化的トラウマ」に基づく記憶と書いてあるんですが、

これは 当然のこととして、戦争の記憶、第二次大戦中の日本軍による

占領や アメリカ軍による解放などが入ってくるわけですね。

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バギオ市の目抜き通り「セッション通り」の名称の由来となった建物。

1904年に アメリカのフィリピン委員会がここで 「バギオを夏の首都とする」

ことを決めるセッションを開いたということだそうです。

この当時は BADENーPOWELL ホールであったそうですが、

今は BADENーPOWELL ホテルになっています・・・・

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(これが 今の BADENーPOWELLホテル・・・バス・ターミナルの お土産や飲食店の建物の後ろに押し込められるように建っています。)

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今現在 UC大学や選挙管理委員会がある場所に、1902年ごろ

最初の療養所が建てられた。

そして、1908年に 今のバギオ総合病院(BGH)が建てられたあと、

この療養所は バギオで初めての高級ホテル「パインズ・ホテル」となった。

戦後生まれの人の間では、パインズ・ホテルは 今現在のSMバギオの

場所にあったことが知られていますが、戦前は 今のUC大学の場所に

あったのです。

日本軍による占領時代には、ここは日本軍将校の社交の場となっていた

そうで、日本の少女歌劇団などが慰問公演に来たのだそうです。

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歴史には 明るい話ばかりではなく、暗い、トラウマになった話もある。

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バギオ市でのトラウマの歴史には、もちろん日本との戦争があるんですが、

1990年のバギオ大地震も大きな心の傷になっているものなのでしょう。

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バギオ大地震の避難民。

向こうに見える大きな建物は スカイワールドのビルだそうです。

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今のセッション通りの この場所ですね。 名前は残っています。

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今の バギオ・シティー・マーケットの場所にあった ストーン・マーケット。

これは 第一次世界大戦で捕虜となっていたドイツ人たちによって建造された、とあります。

ここでは、 第二次世界大戦中のアメリカによる絨毯爆撃を生き延びたと書いてあります。

・・・

ここで、ちょっと前の同じ講演者のスライドに戻ると、こんなのがあったんです:

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ここでは、「日本軍による絨毯爆撃」と書いてあります。

これは もちろん誤りで、米軍による、日本軍をバギオ市から追い出すための絨毯爆撃だったんです。

詳しくは こちらのリンクでご覧ください:

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/09/post-fdab.html

ついでに言えば、今のセッション通りに残っている「大戦時の廃墟」。

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こにKFCの右側にある空き地・・(その前にこんなお店が並んでいますが・・)

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上から覗くとこんな感じ。

ここは、戦争当時は Baguio Royal Bazaarという インド人経営のお店があったそうで、その経営者の息子さんから聞いた話ですから、間違いありません。

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次の基調講演は、こちらの方です・・・

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これは いわゆる先住民族と言われる山岳民族出身の方の 詩のようなものですね。

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バギオ近郊の先住民族としては イバロイと呼ばれるグループがあるんですが、ここに書いてあるのは、 バギオ建設時代に これらの先住民族は 道路建設などの労働者を除いて、主に 召使いや洗濯女としての仕事であり、技能者はほとんどが低地からやってきた人たちだったということなんです。

バギオ市を造る最初の工事は、ケノン・ロード(当時のベンゲット道路)建設だったんですが、その工事には、アメリカ人の指揮の下に、フィリピン人、中国人、日本人など、多くの国籍の人々が携わったとされています。

詳しくは こちらでご覧ください:

http://janl.exblog.jp/7076729

つまり、講演者の主旨としては、この「バギオの歴史遺産」というのは、誰にとっての文化遺産なのかという点ですね。

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「バギオとは何を意味するものなのか?」 ・・っていう、根本的な問題があるわけです。

バギオ市が建設された時から、アメリカの植民地政策の一環として開発され、1930年代には、スペイン人、アメリカ人、ドイツ人、イタリア人、中国人、インド人、日本人など、様々な国籍の人々が 街づくりや経済活動に関わっている 「人種のルツボ」とも呼ばれるバギオ市ですから、このような問いかけが出てくるのも不思議なことではありません。

戦前のバギオ市における 日本人や日系人の様子については、こちらのサイトでご覧いただけます。

http://janl.exblog.jp/13504807/

・・・・

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・・次の講演者・・・・

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心理学の立場からの発表でした。

心理学がどのように関与できるか・・・って話もあるようですが・・・

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難しいことが書いてあるんですが、つまるところは、親から子へ伝えられる「地元への愛着」なるものが グループごとに様々にあるけれど、それと歴史遺産への思いが大切だ・・ってことみたいです。

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基調講演が終わり、この後は 様々な意見交換がありまして・・・

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その中に バギオ博物館のキュレーターの方の 「博物館は大切だ」みたいな意見も・・・

そして、フィリピン大学バギオ校の学長を含む、数名の方々の意見が出て、・・・

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最後は、主催者の一人である、バギオ歴史遺産財団の理事長さん。

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その理事長に 「バギオ歴史探訪アート・マップ」 を制作中のアーティストと 話をしてもらいました。

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・・・まあ、これが目的で 横から参加したようなもんなんで、

お邪魔したしました。

 

 

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2016年6月26日 (日)

最悪な午前中と 最高の夕方: クラシック・ギタリスト Sachiko Miyashita コンサート

金曜日のことです。

今は、日本語教師養成講座をやっているんですけど、

それは月・火・水の午後だけなんです。

たまたま、来週は在外投票なんやらで マニラに行くことになったんで、

その振り替え授業を 金曜日の朝にしたんです。

習慣っていうか、慣れは怖いですねえ~~。

日比友好月間の諸々の準備で、頭の中が一杯だったんです。

・・・で、金曜日というのは頭の中にあったのに、すっかり午後だと思い込んでいたんです。

朝10時を過ぎた頃、携帯にメールあり。

ひげも剃らずに 家を飛び出し、1時間遅れでの授業。

幸運にも、午後1時までは 大丈夫ってことで、2時間の授業を無事に終了。

ぐったり疲れて、下宿に戻り、夕方のクラシック・ギター・コンサートに備えて昼寝。

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コンサートの会場は コーディリエラ大学の講堂。

一応 日比国交正常化60周年もお祝いしてのイベントということになっていたんですが、たまたまこの大学の創立70周年だってことで、ダブルのお祝いということになっていました。

舞台の設えも いつもとは違って しっかり作ってありました。

メインは、日本人 クラシック・ギタリストの 宮下祥子(さちこ)さん

聞くところによれば、日本の女性クラシック・ギタリストの中ではトップクラスの方だとか。

私は、オーケストラは好きなんですが、ソロの楽器にはほとんど馴染みがなく、あまり期待もしていなかったんです。

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大学側が仕切ってオープニングのお祈り、フィリピン国歌、日本の「君が代」と続き、その後に大学の賛歌なるものが 大学のコーラス部を中心に歌われました。

この大学の賛歌が なかなかのもの。 ちょっと宗教音楽みたいで立派だった。

主催者やら共催団体の紹介の後に、支援団体なんかの紹介もあったんですけど、たまたま北ルソン日本人会ってことで最低限の寄付をしていたもんだから、私の名前まで呼ばれてしまって、後ろを振り向いて軽く手を振りました。

(どうも、これは、司会者が 数年前から日本映画祭なんかで知り合いだったもんで、わざわざ名前まで出してくれたんじゃないかと思いますが・・・)

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その後、このコーラス部のパフォーマンスがあったんですけど、

これが感動ものでした。

琴線に触れる・・って言うんですかねえ

その素晴らしいハーモニーに 聴き入ってしまって、涙が出そうでした。

私の場合は、オーケストラで バイオリンなどが唸る(表現がいまいち)ようなところで、気持ちが昂ぶって感動することがあるんですけど、 人間の声っていうのは それを上回る素晴らしさがありますね。

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コーラス部とのコラボで、マニラからのフィリピン人女性声楽家も歌ったんですが、その高音が透き通っていてなかなかでした。

(ちなみに、後で聞いた話では、この声楽家の女性がバギオ出身だということで、今回のバギオ公演が決まったのだと聞きました。)

でも、やっぱ私の場合は、ソロよりもコーラスですかねえ・・・

言葉は分かりませんからね。

音のハーモニーなんですね。

それでも 感動して涙が出そうになった。

さて、いよいよ メインの登場です。

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結論から言うと、「凄かった」 です。

クラシック・ギターが こんなに素晴らしいものだというのは知りませんでした

これも涙が溢れるのを我慢するのが大変でした。

隣に座っていた女性も 目の周りが赤く見えました。

・・・・・・・

バギオ公演でも演奏された「羽衣伝説」 沖縄の昔話が元だそうです:

https://www.youtube.com/watch?v=4Y8KicphEfo

・・・・

何に感動したのか・・・なんとも表現のしようがないんですが・・・

「琴線に触れる」とはよくも言ったもんです。

私の「ギター線」に触れちゃったんですね。

ギターという楽器との 真剣勝負という雰囲気に圧倒されました。

電気を通していないクラシック・ギターで、こんなにも凄い音が出せるものかという感じ。

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これで、悪夢の午前中から 至福の夕方に 急旋回をしたのでありました。

こんなにハッピーな時間というのは そうそうありませんからね・・・

そのまま下宿に帰るのももったいない・・ってことで、

晩御飯を兼ねて、近くの ライブ・ハウスへ・・・・

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8時を過ぎていたんですが、まだライブはやっていなくて、

取りあえずは晩御飯。

9時ちょっと前くらいから 「ベン・ヘー」とか言うグループの演奏がスタート。

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結構年配みたいなメンバーも・・・

電気配線の中での ボリュームの大きな演奏です。

最初は ローカル曲・・・そして英語の曲・・・・

クラシックから いきなり5人編成のエレキ・バンドですからねえ・・

この落差・・・

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ギターが3本・・・手元が気になって、比べちゃいけないけど、比べちゃった。

まあ、素人の言う事ですから いい加減な話ですけど、

あのクラシックのギタリストは この3本を1本でやっていたな・・

ってな感慨がありました。

ドラムとジョンベ(太鼓)を含めて この5人分を 宮下さんは1人でやっていたんじゃないか・・・ってな感じ。

それに、このエレキ・バンドは、マニラで聞いたバンドなんかよりは、かなり抑えた音量だったんですけど、歌もやっぱり基本は「シャウト」なんですね。

ハーモニーというよりも リズムだなあ・・と感じたんです。

でも、まあ、飲み屋でのバンド演奏ですからね。

お客さんとの言葉のやり取りも仕事の一部。

「じゃあ、もう一曲 練習ね・・・あはは」

と言いながらの演奏でした。

でも、でも、そこで出てきたのが サイモンとガーファンクルの懐かしの一曲

https://www.youtube.com/watch?v=9C1BCAgu2I8

ミセス・ロビンソン

・・・これだけで、すべて水に流しました。

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そして、ハッピーな儘で 下宿に帰ることができました。

いや~~、いい一日だったなあ・・・・

=====

CDは amazonでも買えるようです:

https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%AE%E4%B8%8B%E7%A5%A5%E5%AD%90%E3%80%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%80%89-%E5%AE%AE%E4%B8%8B%E7%A5%A5%E5%AD%90/dp/B00U6VCGO6/ref=sr_1_5?s=music&ie=UTF8&qid=1466934111&sr=1-5

 

 

 

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