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2016年8月 9日 (火)

沖縄からのバギオ・ベンゲット移民は どうなったのか

先日 沖縄からのお客様がバギオ市にいらっしゃいまして、
沖縄からフィリピンに渡った移民のことを 色々と教えていただきました。

その話の中で、沖縄からの移民も 当初はバギオを切り開く為に
建設されたケノン・ロード(当時はベンゲット道路)の建設に
携わったことを聞きました。

そして、その道路工事で亡くなった沖縄の人たちの慰霊碑
ケノン・ロードの ライオン・ヘッドの少し下の道路脇にあって
今でも数年に一度は慰霊団の皆さんが沖縄からいらっしゃるのだそうです。

キャンプ3にある 鹿児島歩兵71連隊の慰霊碑の黒光りする
大きな石柱とは異なり、沖縄式の屋根と柱のある慰霊碑だそうです。

私は バギオ市に住んで11年目なんですが、この話は初耳でした

 

・・・ところが、さらに・・・

沖縄からフィリピン・バギオへの移民。
この移民の話は 現在の北ルソン比日基金(アボン)が移民100周年に制作した
「Japanese Pioneers in the Northern Philippine Highland」
の本には掲載されていません。

Img_6713

なぜバギオの日系人の記念誌に沖縄からの移民のことが
記録されていないのか・・・不思議に思い検索してみました。

沖縄県の歴史学習 「海外移民
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~yamauchi/08-fuzoku02.pdf

沖縄フィリピン協会 会長の話:

「フィリピンへの沖縄移移民第1号は1904年(明治37年)、
ルソン島中部の高原都市バギオと低地を結ぶベンゲット道路の建設工事に雇われ、
バシー海峡を渡った出稼ぎ労働者360人。翌年道路の完成にともない、
移民らは新天地を求めてミンダナオ島のダバオへ流れ、マニラ麻栽培の開拓に乗り出す。
言葉や習慣の違いよる現地人との衝突、マラリア風土病などに戦いながらの開墾であった。」

「麻栽培の全盛期には年間2千人の県人移民がダバオへやってきた。
当時日系人は約3万人いた。その7割が沖縄県出身者だった。」

「特にフィリピンに関しては「宜野座村史」が充実している。」

・・・確かに、話に聞いたとおり、ベンゲット道路建設の為に 
沖縄から360人の労働者がやってきたと書いてあります。
そして、その後 ミンダナオへ渡った。

それにしても、上記の記念誌に一言もふれてないのは何故なのか・・・

こちらのサイトに こんな記事がありました:

琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)」鳥越 皓之 著
http://kousyou.cc/archives/11106

バギオへの1900年代初頭の日本人移民の記録の中に
沖縄からの「ベンゲット移民」の記録がないのは
この辺りに理由がありそうです・・・

「本書で紹介される1944年の部外秘とされた米国海軍省資料の記述が興味深い。


『日本人と琉球人(沖縄人)とのあいだの、たいへん近い民族的関係や、
言語の類似性にもかかわらず、琉球人は日本人からは民族的に平等だとは
みなされていない
。日本人は、琉球人たち特有の粗野なふるまいから、
かれらを、いわば田舎から出てきた貧乏な親戚みたいなものだと見下し、
いろんなところでかれらを差別してきた。ところが一方、琉球人の方は、
自分たちが劣っているとは全然感じておらず、自分たち自身の伝統や、
中国との長期にわたる文化的紐帯に誇りをもっている。そのため、
このような琉球人と日本人との間の動かしがたい関係は、潜在的に
不和の種をはらんでおり、そこから政争の具とするものをつくりだすことが
できるかもしれない
。ほとんどたしかなことは、この琉球においては、
軍国主義や狂信的な愛国心は、たとえあったとしても、それは大きくなる
とはとても思えないことである。』(鳥越P159)」

・・・・ これだけの記録では、実際に当時の様子は推し量ることは
できませんが、沖縄とアメリカの当時の関係、沖縄と日本の関係が
影響しているようです。

当時の沖縄は やっと日本による統治が始まったころですので、
同国人としての意識が まだなかったのかもしれません。

では、当時の記録では、この360人の沖縄からの移民は
どこで どのように 記録されているんでしょうか・・・

ちなみに、英語のサイトを読んでみると、

Kennon Road
https://en.wikipedia.org/wiki/Kennon_Road

The project was begun in 1903 and opened for travel on January 29,
1905. It was originally called the Benguet Road and later renamed
in honor of its builder, Col. Lyman Walter Vere Kennon of the
U.S. Army Corps of Engineers.

The construction of the road commenced in 1903 by cutting across
the mountains of Benguet with the combined efforts of Filipinos,
Americans, Filipino-Chinese and Japanese nationals.

ここには、大雑把に フィリピン人、アメリカ人、中国系フィリピン人、
そして日本人が関わったとされています。

More than 2,300 foreign and local workers worked on the road.
Aside from Filipino engineers and construction workers and U.S.
Army Corps of Engineers headed by Col. Lyman Kennon, foreigners
from 36 countries were recruited to work on the road; the
majority, about 1,500, were Japanese.

海外からの労働者を含む 2,300人が関与し、36カ国の労働者
働いたとあり、日本人が1,500人ほどだったと書いてあります。

研究者などのデータによって、数字はいろいろとありますが、
日本人が割合としても多かったことは間違いないようです。

こちらのサイトの文献には 沖縄からバギオへ渡った移民のことが
もうすこし詳しく書いてあります:

Johanna O. Zulueta
Living as Migrants in a Place That Was Once Home
The Nisei, the US US Bases, and Okinawan Society
http://philippinestudies.net/ojs/index.php/ps/article/viewFile/4000/4595

1903 Okinawans, along with Chinese and Japanese, migrated to the
Philippines to work on the construction of the Benguet Road
(now known as Kennon Road), the major thoroughfare leading to
Baguio City. Upon completion of the road, some Okinawans decided
to settle in Benguet,
while others moved to Manila and other provinces.
Most of them settled in Davao, which earned the moniker Dabaokuo,
owing to the significant population of Japanese and Okinawan
migrants in the province. During

・・・これを読むと、1903年に沖縄人が ベンゲット道路建設に
参加して、建設終了後に幾人かはベンゲット州に落ち着くことを決めた
とありますね。
ほとんどがミンダナオ島のダバオに定住したともあります。

Prejudice among Okinawans toward the locals, among the locals
toward Okinawans (ibid., 92–93), and among mainland Japanese
toward Okinawans was also prevalent. These Okinawans, at that
time, were called Otro Hapon (the other Japanese) (Yu-Jose 1999,
91; Ohno 2006a, 7; Ohno 2006b, 92–93).

・・・ ここでも、労働者の間での偏見のことが書かれていまして、
沖縄人の地元民への偏見、 地元民から沖縄人への偏見、
本土日本人から沖縄人への偏見も 一般的だったと書いてあります。

そこで 念のために バギオの日系人団体が出版した
本を もう一度見直しましたところ、一家族だけ 沖縄出身者が
見つかりました。

Img_6702a


Img_6709

大城昌康 シズエ 雑貨商

Img_6714a

・・と 一世の名簿にありました。

幾人かがベンゲット州に落ち着いたというのは事実だったようです。

・・・ですが、以前 バギオの日系人団体の役員の方に
「沖縄出身の日系人はいませんか」と尋ねたところ
御存じありませんでしたので、非常に少なかったのは間違いなさそうです。

さらに、このサイトの論文は続きます:

The prejudices between Okinawans and the mainland Japanese stem
from the fact that Okinawa was historically not part of the
country
now known as Japan but was part of a group of islands
formerly known as the Kingdom of the Ryukyus, with its own cultural
traditions and distinct languages. At present Okinawans, despite
their Japanese nationality, still experience discrimination for
being not truly Japanese, or being “a different kind of Japanese,”
due to perceived cultural and ethnolinguistic differences.

つまり、元々 沖縄は 歴史的に日本ではなく 琉球王国だったので
現在でも 国籍は日本だが 文化や伝統が異なるので「他の日本人」と
見られていると書いてあります。

おそらく、360人が沖縄から バギオの道路工事にやってきたけれど、
ほとんどが纏まってダバオへ行ったというのも この辺りの理由が
あったのかもしれません。

///////////////////////

ちょっと 時間をおいて またまた検索をしてみたところ
下のサイトに さらに興味深いことが書いてありました:

「ダパオ国」の沖縄人社会再考
本土日本人,フィリピン人との関係を中心にー
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/123456789/6447/1/No2p001.pdf

「しかし,これらの研究は,Kaneshiroなどを除けば,邦人移民社会を
単一のエスニック集団であるとの前提
で議論し,日本本土出身者(以後, 「本土日本人」と表記) と沖縄県出身者
(以後,「沖縄人」と表記)の関係や両者の間にあったサブエスニックな溝
についてほとんど触れていない」

「ダパオに定住する最初の邦人移民のコア集団は,いわゆる「ベンゲット移民
である。ベンゲット移民とは,バギオというルソン島中部の高原の避暑地
(夏の首都)に通じる「ベンゲット道路」工事のために導入された日本人建設労働者
のことで,1903年から道路が完成する1905年初めまでの間,一説には延べ約2,800人
が工事に従事した(東亜経済調査局1936:212)。この中心は,沖縄人と九州人だった
(米田1939:31)。沖縄からのベンゲット移民は,本土日本人移民より1年遅れの
1904年4月に現地入りした。『琉球史料』によると,この年,計360人の
沖縄人がベンゲット移民としてルソン島に渡航した(金武町史編さん委員会1996a:265)。」

・・・ なるほど・・ベンゲット道路に関わったのは 主に沖縄と九州から
の出稼ぎ者だったんですね。
しかし、沖縄人は1年遅れで入っている。

「ここで重要な役割を果たしたのが,沖縄で「海外移民の父」と言われる
常山久三と「フィリピン開拓の父」と言われる大城孝蔵である」

・・・関係があるのかどうか分かりませんが、「大城」という名字ですね。
上記の 雑貨商の大城さんとどういう関係でしょうか。

「,大城はベンゲットへの先遣人になり,300人以上の沖縄人労働者の「監督
として工事現場に赴任した(金武町史編さん委員会1996a:562)。ベンゲット
道路は1905年1月に完工しているから,沖縄人移民は9カ月間しか工事に従事
しなかったことになる」

「道路完成とともに,ベンゲット移民の多くは日本に帰国したが,百人単位
の労働者がそのままフィリピンに居残った。その主な理由は,帰国したくて
もそれだけの所持金がなかったからのようだ」

・・・そして、ダバオへ移動した・・・

「。バギオ周辺には最盛期,千人余りの日本人が居住していた。このうち
沖縄出身者は極めて少数だったようである3)。バギオ市には現在,
二世と三世を中心とする日系人団体「北ルソン比日友好協会」があるが,
戦前の沖縄移民を祖先に持つ日系人の会員はいない

「多民族・多言語の中で生きる地元住民からみれば,在留邦人社会は2種類の
エスニック集団で構成されると理解された。本土日本人と沖縄人である」

「。その点において,Codyの論文は光る。彼女は,ダパオの在留邦人を
非沖縄人」(本土日本人のこと) と「沖縄人」に分け,非沖縄人は知的
職業人,会社幹部,事務職,技術者が多かったのに対して,沖縄人は
「より頑丈な体格で,ひげや体毛が濃く,勇敢,機知に富み,優秀な労働者」
「無教育で,言葉も行動も粗野」という傾向があったという。そして,
本土日本人は,自分たちが沖縄人より優越だと考え,キリスト教徒
のフィリピン人が非キリスト教徒の先住民を差別したのと同じように
沖縄人を差別した,と指摘している(Cody1959:174)。」

・・・ これで どうやら バギオ市の北ルソン比日基金の
日系人団体に沖縄の人たちがごく少なかったことが分かりました。

上記の雑貨商の一世の大城さんですが、
JAPANESE PIONEERの本で 2世、3世の名簿を探しても
大城さんの名前は出てきませんから、その後ダバオへ移ったか、
あるいは子供がいなかったか・・・はたまた日本へ帰ったか・・・

・・・と言うことで、ケノン・ロードに沖縄出身の道路工事犠牲者の
慰霊碑がありながら、バギオの日系人の人たちや、私を含む在バギオの
日本人はこのことを知らなかったということになります。

======= おわり ===

 

 

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2016年8月 8日 (月)

Making of Baguio Tanabata Festival 7 - 仙台流・バギオ七夕祭7 の舞台裏

Snap photos :   Making of 2016 Baguio Tanabata Festival 7

日比友好月間イベントの一環として実施している 「仙台流・バギオ七夕祭7」の舞台裏のスナップ写真です。

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バギオ博物館での 「工事中」・・・

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Hasekura Tsunega 支倉常長像

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上の二つの 支倉常長像を ・・・・・

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無理やり 合成して・・・・・

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こう成りました・・・・・

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さて、フィリピン大学バギオ校美術学科の現役生が美術制作担当・・・

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フィリピン大学バギオ校美術学部のOGが監督でした。

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こちらは Bag-iw Art Society のグループ制作。

毎年 バギオ日比友好月間ポスターの コンテストを仕切っていただいています。

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北ルソン日本人会のメンバーも 準備の打合せ。

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アボン(北ルソン比日基金)、日系人団体のスタッフの皆さんが 七夕飾りの飾り付けをしてくださいました。

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これは、「防水タイプの吹き流し」の屋外での設営。

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GLOBEテレコムさんからお借りし、組み立てもしていただいたテントも6つ、設営完了。

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最後の仕上げ・・・

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一階の展示会場でも準備中・・・・

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UP SVA 現役生たちの展示準備・・・・

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UP Anime_HQ の作品展示準備中・・・

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JICAさんのパネル展示コーナーも・・・・

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こちらは 「宮城県観光ポスター展」の会場です。

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ご支援をいただいている政府機関、企業、団体などのロゴも整いました。

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アボンのスタッフの皆様、お疲れ様でした。

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(photo by Ms. Robin Balisi )

コスプレーヤーのグループも 開場を待つばかり・・・・

毎年 お世話になっています。

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7月3日に開かれた 最初の関係者会合。

Abong, UP SVA,  UP Anime_HQ,  Bag-iw Art Society, Baguio Museum,

Baguio Cosplay Community.....

そして、8月6日に迎えた バギオ博物館のオープニング式典。

皆々様、大変お疲れ様でした。

  


 

 

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