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2016年12月 2日 (金)

Opening of Christmas in Baguio : Lantern Parade by Saint Louis University

このページは、毎年12月1日に フィリピン・バギオ市のクリスマス・シーズンの幕開けとして実施されている セントルイス大学による「Lantern Parade」(ランタン・パレード)のスナップ写真を掲載しています。

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2016年11月30日 (水)

アスペルガー、発達障害の日本語の論理 と 「空気の研究」 その7

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

上記のサイトをじっくり読みながら、日本に蔓延している「空気の醸成」における日本語と、
アスペルガーの「論理的」な日本語の違いを見て行きたいと思います。
これはあくまでも、日本語教師としてのお勉強なので、誤解のないようお願いいたします。
また、アスペルガーを持つ「個性」についても 思ったことを書いてみようと思います。

・・・などと言いながら、結局 自分の人間分析になっちゃってます。
すんません。

今日は「第9回」の途中から読みます・・・

まず、こちらの問題をご覧になって、答えてください:
(朱記されている部分です)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34414?page=4

「ここで質問です。この場を気まずくさせたのは誰だと思いますか? 」

「ただ、しばらく考えて、きっと答えは「おじさん」なのだろうな
と思った。それは、僕がこれまでの人生で、必死で「学習」を
重ねてきたから推測できたことだ。」

「仮にその行為に欠けているところや、部分的な問題があっても、
一切指摘してはならず、全面的に感謝と誉め言葉を述べなければ
ならない。そうしないと、場の雰囲気が悪くなり、人々の怒りを買う---。」

「考えてみると、僕も十代の頃までは、料理を作ってくれた人に
「まずい」とか「これ、嫌い」などと平気で言う人間だった。
それを周囲の人たちに注意され、叱られるうちに、「どうやら、
何かをしてもらっているときは、少しでもそれについてネガティブ
なことを言ってはいけないらしい」ということを推測し、理解し、
後天的に身につけたのである。」

=== こういう正直な発言をする人はたまに居ますね。
    それでその場の雰囲気がぶち壊しになることは確かに
    あります。

    
「少なくとも、作り始める前に、「チーズケーキは好き?」という
質問くらいしておけばいいではないか。簡単なことだ。それを
怠った方が悪い。」

=== これは もっともな話だと思います。
    確かに押し売りになってしまう。
    恐らく、こういう事が何度かあって、その女の子Aちゃん
    は、「おもてなし」の意味を理解していくのでしょう。

=== ここで、私が疑問に思ったことは、
    何故 著者が この問題文を読んだ時に意味が分からなかった
    のかという点です。
    どういう文章であれば、気まずさというのが理解できる
    文章になるのか・・・です。

    上記の「押し売り」の論理が前提にあるので、
    理解できないということだとは思うんですが、
    それじゃあ、その前提があっても、論理的に「気まずさ」
    を伝える文章が作れるものだろうか、という疑問です。

    例えば、A子ちゃんが、こんな風に言ったとしたら
    どうなんでしょう:

    「私、おじさんのためにチーズケーキを作っているのよ。
     これは私が一所懸命作っているチーズケーキなんだから、
     叔父さんが不味いなんて言ったら、私は気まずくなって
     泣いちゃうからね。 絶対美味しいと言って食べてよ。」

    ・・・どんなもんでしょうね?

    なんで、こんな文章を考えたかっていうと、
    日本語ってのは、「地上の会話」であって、ボールの
    投げ合いで、「点と点を繋いで文脈をつくる」言語だ
    というような学者の説があるんです。
    (英語は 空から俯瞰的に地上を見る「神の視点」で
     文を作ると言われています。)

    だから、早い話が、「舌足らず」な言語ってことですね。
    なので、上記のように、自分の気持ちを「点」で表す
    「おじさんのために・・作っているのよ」という
    舌足らずな表現ではなく、「線」として、一連の気持ち
    の流れを論理的?な繋がりとして表現したらどうなる
    んだろう・・・ってことです。
    どこまでしつこく説明したら アスペな人がその意図を
    理解できるレベルになるんだろうか・・・・ですね。

ここから 「第10回」に入ります。

「給食の時間、担任の先生が僕たち児童に向かって
給食は最後まで食べなさい」と言ったことがあった。」

「僕はこの言葉を、「教室で給食を食べている最後の一人になるまで
食べ続けなさい」という意味だと受け取った。」

「ところが数ヵ月後、ひょんなことで、先生の「給食は最後まで
食べなさい」という言葉の意味が、「給食は残さず全部食べなさい」
であることがわかった。」

=== ここで、「ひょんなことで」としか書いてないので、
    どうやって本来の意味が分かったのかがわかりません。

    A「最後まで食べなさい」
    B「最後になるまで食べなさい」
    C「残さず全部食べなさい。」

    ・・・こうやって並べてみると、Aの文は
    確かにCよりもBに近いですね。

「先生が黒板に式か何かを書き、それを指差して、「ここに注意しなさい
と強調したことがある。僕は、「ここ」というのを「先生の指先」だと思い込んだ。」

「チョークを持ったり、窓を開けたり、尻を掻いたり、鼻をほじったり
する先生の指から、僕はずっと視線をそらさなかった。」

「先生が「どうした?」と聞いてきた。僕は瞬間的に「何か勘違いを
したらしい」と気づいて、・・・」

「普通の人なら自然に理解できる「言わずもがなのこと」について、
まったく違う意味だと思い込んだり、記憶が完全に抜け落ちて
しまったりすることが多いらしい。でも、本人は勘違いしている
つもりは皆無なので、周囲が気づいて指摘してくれない限り、
延々と「おかしな行動」を取り続けることになる。」

=== これは日本語教師的には、面白いところです。
    日本語の入門講座では、「ここ、そこ、あそこ、どこ
    というのを教えるからです。
    私は媒介語を使わない日本語だけの直接法で教えるので、
    場面設定をして、感覚的に「ここ」が分かるように
    教えないといけません。
    もしかしたら、初めて日本語を学ぶクラスで勉強したら
    アスペな人は 外国人と同じ感覚で日本語を学べる
    のかもしれません。

    なぜかと言えば、初級ほどフル・センテンスで
    いわばシツコイ日本語で意味が取れるように教え、
    中級に上がって行くほど、徐々にしつこい説明の
    部分を削除しながら 日本語の会話の形に
    近づけていくやり方をしているからです。

「これら一連の行動は、僕が教室で一部の同級生から「嫌われ者」に
なる理由として十分だった。しかし、困ったことに、このときの
僕の言動の背後には悪意も嫌みもなく、ただ、「相手がうまく
行っていない理由を聞いて、うまく行く手伝いをしてあげたい」
という好意しか存在しない。」

=== こういうのを「押しつけがましい」って言うんでしょうか?
    好意が悪意に受け取られることは、良くある話
    だと思います。要するにその人のなんらかの期待値
    がどこにあるのかが、人それぞれに異なることが
    原因になっているのでしょうか。
    期待するからこそ厳しく指導するって話もあるし。

「小学校時代の僕のように、学校で他の生徒に理解できない言動
を取り続けたせいで いじめに遭い、不登校になってしまった
発達障害の子供たちがいるそうだ。気の毒でたまらない。」

「僕が深刻ないじめなどに遭わなかったのは、やや鈍感で図々
しかったのと、母親が僕の、発達障害に特徴的な言動を否定
しなかったおかげだと思う。その意味で、発達障害の子供の
成長には、周囲の理解が極めて重要だろう」

=== こういうのは現場をしらない私としては
    何も言えません。

「そして翌朝、とんでもない行動に打って出た。登校すると、
女子児童を一人一人つかまえて、「どうして俺にチョコレート
をくれないの?」と聞いて回ったのである。」

「彼女たちの表情には、明らかに蔑みと哀れみと嫌悪があった。
その光景は、今もくっきりと脳裏に刻み込まれている。
一人一人の表情を克明に覚えているのだ。苦い記憶である。」

「最近、この話を職場の仲間たち(全員男性)にしたところ、
「自分はモテると思っていたのに、バレンタインデーに
チョコレートをもらえなかった」という経験は珍しくなかった。
でも、女子の同級生一人一人に「なぜ自分にチョコレートを
くれないのか?」と理由を問いただして回った男は一人もいなかった。」

=== 疑問に思ったら、どうしてもその理由を知らずには
    いられないという衝動でしょうか。

    その5 で書いたことですが、
    男の脳の働きのところで、
    「【男性】
      •一つのことにしか集中できない
      •他人の感情を読み取るのが苦手」 

     ・・の部分が、偏って強く出ているってことでしょうか?
     思い込みが激しいというのは、私にもありますが・・・
     しかし、いずれにせよ、自分に自信がないと
     出来ることではないですね。

     上記2つを言いかえれば、
     ・ ひとつのことに集中できる。
     ・ 他の人の思惑を考えずに執着できる。
     ・・・この点は、いろんな研究者に必要な資質で
     あるような気がします。
     この前読んだ孤高といわれた国語学者の大野晋などは 
     そういう人だったんじゃないかと思えてきます。

・・・・

それでは、次回は その8 になります。

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アスペルガー、発達障害の日本語の論理 と 「空気の研究」 その6

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

上記のサイトをじっくり読みながら、日本に蔓延している「空気の醸成」における日本語と、
アスペルガーの「論理的」な日本語の違いを見て行きたいと思います。
これはあくまでも、日本語教師としてのお勉強なので、誤解のないようお願いいたします。
また、アスペルガーを持つ「個性」についても 思ったことを書いてみようと思います。

・・・などと言いながら、結局 自分の人間分析になっちゃってます。
すんません。

今日は「第8回」から読みます・・・

「『今日の午後、塾に行きなさい』って言うんだよ。そんなことを
突然言われても・・・。どうすればいいんだよ~!」

「さっき、塾から送ってきた資料をもう一度読みかえしたら、補習は
来週じゃなくて今日だったの。お母さんが間違えちゃった。ごめんね」

「お母さんは自分が間違えたのに、僕が悪いみたいに言うんだよ。
お母さんは僕のことが嫌いなんだ!」

「お母さんは『たったの1時間半』って言ったんだよ。お父さんも
聞いてたでしょ? 何なの? 『たったの』って。なんでああいう
言い方をするの!」

「「たったの」という言葉を使われたことに執拗にこだわり、
それに対する不満を爆発させ続けるのだった。」

「息子も僕も、想定外の出来事に対応するのが極端に苦手だ。
そのことは、医師から「ASDの人にありがちな傾向です」と言われている。」

「嬉しそうにスケジュール帳に書いていたのに、いくら予定が1週間
早くなったからと言って、なぜあんなに怒るのかしら」

「。「突然、スケジュールが変わったこと」だけが問題なのである。」

「事前に立てた計画にこだわり、それが変更になると激しいパニック
に陥る僕たち親子。同じような傾向を持つASDの人は、医師に言わせると、
「時間に強い執着心を持つタイプ」が多いらしい。」

「たとえば「○○通りの三つ目の信号を渡るのは午後4時13分」と決めて、
必ず4時13分きっかりにそこを渡ろうとするのだ。もし、
それが1分でも遅れたら、大変なことになる。」

=== こういう人は、フィリピンには住めませんね。(笑)
    フィリピンでは、約束の時間は あってなきがごとし
    で、30分や1時間の遅れは当たり前。
    そもそも、そういうので怒ったりしたら、
    「あんた、どうかしちゃったの?」の世界ですからね。
    そもそも、そんなところで怒る人をみたことがない。
    もしかしたら、アスペルガーなんてのはフィリピンには
    存在しないのかな?

    それに、仮に「フィリピン時間」が「日本時間」に
    なったとしても、交通インフラが そもそも整備されていないし、
    お客が十分に乗ったらジプニーが動く・・ってな感じの運用
    ですから、出発時刻すら分からず、秒単位でうごく
    電車なんてありえない。
    
    私の日本語教室では、
    「日本では、約束の時刻の10分前にはその場所
     到着しなさい。」
    「I am on the way。 今、そっちに向かっています、
     という言い方はするな。
     今、どこそこに居るので、何時何分にはそこに着きます。
     と事前に伝えなさい」
    ・・・と教えることにしています。

    フィリピン人に「日本人の良い点は?」と聞くと、
    まず最初に挙げられるのが 「規律正しい」「時間に正確
    だったりするんですが、こりゃあ「一億総アスペルガー」
    みたいなもんじゃないかと思ったりもするわけです。

「バス通学のせいで、僕は毎日、登下校のたびにパニックを起こし
かけていたのである。理由は簡単。バスが定刻通りにバス停に来る
ことはほとんどなかったからだ。」

「僕は昔も今も、どんなことであっても、「定刻から遅れる」と
いうことが嫌いだ。だから当時、高校の前のバス停に3時55分に
バスが姿を見せないと、僕の心の奥底から急速に苛立ちが
こみ上げてきて、あっという間に全身を支配してしまうのだった。」

「途中のバス停を通過するたびに、「このバス停では定刻から何分
遅れているんだろう」という風に、やはり時間が気になって仕方が
なかったからだ。」

=== なるほど~~。
    電車や駅のアナウンスが、「何分遅れております。
    ご迷惑をおかけしております」と言うのは、こういう
    人たち向けという側面もあるんでしょうかねえ。

    まあ、フツーの人でも、乗り継ぎが出来なかったら
    「どうしてくれるんだ」と怒るでしょうけど。

そんなくだらないことに怒っても仕方ないだろ」 

「確かに同級生の言う通りだ。理屈ではわかる。しかし、そう自分に
言い聞かせて感情をコントロールしようと試みても、腕時計の針が
3時55分を指し、そのときにバスが見えないというだけで、僕の心
には不意に巨大な波が立ち始めるのだった。自分でも不思議で
ならなかった。」

=== こういう押さえられない感情が湧きあがるというのは
    本当にやっかいでしょうね、。

    もしかしたら、恋愛感情に似たような動きなのかも
    しれませんね。
    馬鹿馬鹿しいと思ったとしても、押さえられない恋心
    ・・・かな?
    もしかしたら、ストーカーみたいになっちゃったりして。

「僕は葬儀場に教科書や参考書を持ち込み、机と椅子を借りて
それらを広げ、通夜の場で、事前に立てた勉強の計画をやり遂げた。」

「僕は決して勉強熱心ではない。はっきり言って勉強は嫌いだった。
でも、事前に立てた計画を崩すことはもっと嫌いだ。」

=== 他人の心が分かるって人は、もしかしたら超能力者が
    いるかもしれないけど、
    外から観察して判断するその人の気持ちなんてのは
    分かるわけがないって思うんです。

    その判断がどのくらいの確率で当たるかは分からないけど、
    人の行動とその動機や心持ちなんてのは、全く
    正反対だったりすることもありますからねえ。
    受け取る側の勝手な妄想だったり、美しい誤解だったり、
    好意を悪意と受け止めたり、余計なお世話だと思ったり、
    皮肉を褒められたと勘違いしたり・・・

  
・・・これより 「第9回」です・・・・

「結構おいしいカレーが作れるようになったのである。これは、
「物事が計画通りに進むこと」に無上の喜びを感じる僕にとって、
本当に嬉しいことだった。」

「へぇ、そうなの。僕、お父さんのカレーを食べてみたいな」

「僕は「どうだ、おいしいか?」と聞いてみた。事前に味見をした限り、
うまくできているはずだ。妻はすぐに「おいしいね」と誉めてくれた。
あながちお世辞でもなさそうだ。」

「お母さんのカレーの方がおいしいよ。お父さんのカレー、
イマイチだね

「言うまでもないことだが、息子にはまったく悪気がない。ただ、
「思ったこと」をそのまま口に出しただけなのだ。」

「息子の頭の中で、「おいしいカレーの味」は、普段食べている
お母さんのカレーの味」と完全にイコールで結ばれている。
それ以外の味は一切、「おいしいカレーの味」とは認識されない。」

「これはカレーに限らない。超一流のシェフが腕によりをかけて
作った豪華な料理でも、あらかじめ頭の中で「おいしい味」と
決めているものと合致しなければ、息子には「おいしくない」
で片づけられてしまうのだ。」

「そして、ここからもまたASDの特徴的な点なのだが、息子は、
事実だと思ったことについて、相手の気持ちを忖度(そんたく)
して発言するということができない。つまり、思ったことを、
何かしらのオブラートに包んで相手に伝えるという能力が欠如しているのだ。」

==== ここで、ちょっと、私がこれを読んでいる目的を
     思い出してみましょう。
     それは 日本語の論理性です。
     アスペルガーの日本語は、事実を論理的に述べる
     ・・ってことであるのか・・・です。

     それと 事実に基づかないことを、非論理的に
     述べる 「空気をつくる」日本語なのか・・ってことです。

     上記の部分で感じたことなんですけど・・

     「イマイチ」という言葉は曖昧ではないか。
     「美味しくない」という言葉を使わなかったのは何故か。

     それと、味というのはかなり抽象的なものなので
     非常に難しいんですが、その場合の事実というのは
     何なのかです。

     もちろん、美味しい、不味いに絶対的な尺度はないと
     思いますが、「お母さんの味」が一番美味しいという
     尺度がいつも使われるのなら納得なんです。
     「あらかじめ頭の中で決めているもの」というのが
     なんなのか、です。

     一般に、味に関しては、「自分がどう思うか」なので、
     ひとりひとりに一定の尺度があって、美味しい、不味い
     を決めているのでしょうから、著者の息子の判断も
     一般と同じじゃないかと思うわけです。

     ただ、ここで「イマイチ」と言ったのも、
     お父さんだから「不味い」とは言えなかったという面も
     感じられるような気がします。

     いつも、テレビの料理番組や旅番組を見ていて
     思うんですが、芸能人などが なんでもかんでも
     「美味しい」ということを聞いて 私は もう少し
     言い方を変えられないもんかと思うことが度々あります。

     いきなり「これは不味いっすねえ」とは流石に言えない
     でしょうけど・・・笑
     洒落た言い方が出来る人は 凄いなと思います。

           洒落た言い方というのは嘘とは違います。

     「イマイチ」という評価は家庭の外ではできない
     これは「空気を破る」ことになりますよね。
     でも、家庭内の親子の間であれば「イマイチ」は
     それには当たらないんじゃないかと思います。

「しかし、作った側(つまり僕)は、カレーの味に自信があっただけに、
大きなショックを受けてしまう。」

=== だから、ここは、カレーを作ったお父さんの側の
    期待値に対して予想外の息子の判定にがっくりしたと
    いうことなんでしょうね。
    私だったら、「そうか、イマイチだったか」で
    終わりですね。

    実は、私は根が正直なんで、「美味しい」という言葉は
    めったに口から出てきません。
    だから、本当に美味しいものじゃない時は、無口に
    なってしまうんです。
    だから、洒落た言い方がないものかと考えるんですね。

    私が本当に美味しいなと思ったのは、
    大昔に家族で尾瀬に行った折、尾瀬を抜けて
    反対側の山裾の蕎麦屋で食べた 「ざるそば」でした。
    今でも あれが食べたいと思います。

    それと、メルボルンで日本語を教えていた頃、
    イタリアン・レストランで食べた「ほうれん草の
    スパゲティー」でした。
    これは 2~3度食べたんですが、
    パリパリとしたほうれん草に、スパイスと塩が
    効いていて、絶品でした。
    その後は季節が終わったと言われ、二度と食べられず、
    「幻のスパゲティー」になってしまいました。

    ただ、このような場合は、事前に私の中に尺度が
    あったわけではなくて、過去の蕎麦なりスパゲティー
    の味を超えていたと言うことになります。
    「今まで食べたことが無いほど、美味しい」って
    ことですね。
    それが、私にとっての「事実」ということです。

=== ここで、非常に興味深い問題が出てくるんですけど、
    それは 次回のお楽しみ・・・

・・・・・

次回 その7 に続きます。

================

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アスペルガー、発達障害の日本語の論理 と 「空気の研究」  その5

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

上記のサイトをじっくり読みながら、日本に蔓延している「空気の醸成」における日本語と、アスペルガーの「論理的」な日本語の違いを見て行きたいと思います。
これはあくまでも、日本語教師としてのお勉強なので、誤解のないようお願いいたします。
また、アスペルガーを持つ「個性」についても 思ったことを書いてみようと思います。

・・・などと言いながら、結局 自分の人間分析になっちゃってます。
すんません。

今日は「第6回」から読みます・・・

 

「誰もが自然にできる「あること」が、自分にはできない---。」

「僕はS太郎の横で、口を開けたまま、絶句してしまったのだ。
なぜか、口からまったく歌詞が出てこない。」

「何ということだろう。メロディーは頭に入ってくるのだが、
肝心の歌詞が記憶に残らない
。」

「「どんなに好きな歌を聴いても、自分はその歌詞を自然に
覚えることができない」という事実だ。」

「正確に表現すると、「僕は歌を聴きながら、同時に歌詞を
覚えるという行為ができない」となる。」

「メロディーと歌詞という2つの情報が耳から入ってくると
理由はまったくわからないが、メロディーしか脳にインプット
されないのである。」

「しかも、視覚情報として脳にプリントした歌詞を、メロディー
に合わせて歌うには、さらなる努力が必要となる。なぜなら、
「メロディーに合わせよう」ということに意識が向くと、覚えた
はずの歌詞が口から出てこなくなるからだ。」

「ピアノの伴奏に合わせて歌詞を歌おうとすると、これが非常に難しい。」

「正直に告白すると、僕はいまだに『君が代』が歌えない。ただし、
これは思想信条とは何の関係もない話である。」

=== こういうのって、脳科学的にはどう説明できるんでしょうね。
    フォトグラフィクメモリーで記憶する領域が広すぎて、
    それが他の機能をもつ脳の部分まで使っちゃっていると
    いうような話なんでしょうか。

    メロディーはOK、歌詞もOK、だけど、そのふたつを
    シンクロさせる機能の部分がうまく働かない・・・のかな?

    まあ、私が考えても無駄な話ですけど。

では、「第7回」に入ります。

「突然、体育教師の声が聞き取れなくなったのである。
ほんの数メートル先で彼が何を話しているのか、内容が急にわからなくなった。」

「教師が喋っているのは聞こえる。周囲で同級生たちがお喋りしている
のも聞こえる。しかし、体育教師が発する言葉が、あたかもクラスメー
たちの声に溶け込んでしまったかのように、何を意味しているのか急に
理解できなくなったのだ。」

「教師の太い声は、音としては十分に僕の耳に入っており、単純に「聞く」
ことはできる。同級生たちのお喋りでかき消されているわけではない。」

「言ってみれば、同級生たちの声と体育教師の声が、僕の頭の中で混在し、
一緒に鳴り響いているような状態だった。その音のカオスの中から、
教師の声のみを選んで意味を取ることができなくなったのだ。」

「隣に座っていた生徒に「ちょっと聞き逃しちゃたんだけど、俺、どの
チームになった?」と尋ねて、事なきを得た。」

「いや、「忘れていた」というのとは違う。正確に言えば、僕には、
リポートの宿題を出されていたことの記憶が最初からまったくなかったのだ。」

「原因はすぐわかった。隣の席のHが、前の席のKとボソボソ喋っている。
その声が、教師の話を理解するのを邪魔するのだ。彼らの声と教師の声が
僕の中で重なり、絡まり合って、またも音声のカオスが出来上がる。
どう集中しても、そこから教師が喋っている話だけを取り出して、
意味を汲み取ることができない・・・。」

 

=== これは非常に自分にとっても興味があるところです。
    もちろん、この著者のように明確な支障があるわけでは
    ないのですが・・・・

    これで思い出すのは「指向性」という言葉です、
    私の場合は、何かをやっていると、いつの間にか周りの
    音が聞こえなくなります。 雑音が気にならなくなります。

    かと言って、場面によってはそうではない。
    大昔の話ですが、運転免許の試験会場での話。
    試験中に、試験官が床の音をたてながらミシリ、ミシリと
    歩いたんです。 それがめちゃくちゃ気になって
    試験問題に集中できなくなった

    仮免許はとれたんですが、コメント欄に、注意力が
    散漫になりやすいというようなことが書かれていたんです。
    つまり、運転中に同乗者と話なんかしていると、
    話の方に気持ちがいっちゃうよということです。
    かなり危ない・・・二度ほど、それでヒヤリとしたこと
    があります。

        つまり、興味のある方に指向性が働く、集中しちゃうってこと?

=== また、聖徳太子も思い出しますね。
    複数の人たちの話を同時に理解することが出来たという話。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90
    「豊聡耳
     ある時、厩戸皇子が人々の請願を聞く機会があった。我先に
     と口を開いた請願者の数は10人にも上ったが、皇子は全ての
     人が発した言葉を漏らさず理解し、的確な答えを返したという。」

    著者のような人がいるということは、その反対の能力
    を持っている人がいても不思議じゃないのかもしれません。

=== もうひとつは、女の方が、脳科学的に言語能力が高いという
    話です。 これも関係がありそう・・・

    http://informationnow.xyz/archives/11475.html
    「脳梁とは、左右の大脳皮質をつなぐ神経線維の束で、
     言語や知能といった情報が流れる通信回路の役割を果たし
     てる部分です。
     この脳梁の太さを比べると、女性は男性よりも太いのです。
     この差が男女の違いを生む要因の一つであると指摘する
     専門家も少なくありません。」   

     「右脳と左脳の情報を交互に操あやつりながら複数のこと
      を同時に処理できます。
      また男脳は、言葉をつかさどる領域が左脳にしかありませんが、
      女脳は、左右の6~7ヶ所に言語中枢が散らばっています。」

     「女性】 •複数のことを同時にできる 
         •コミュニケーション能力に優れている

     ・・・だから、女性の脳は、子育てができる・・らしい。
     ・・・だから、会社でも複数の部下を操れる・・かな?  
  
     「【男性】
      •論理的で、空間認知能力や情報処理能力に優れている
      •決断力や直観力に優れている
      •一つのことにしか集中できない
      •地図や表を素早く理解できる
      •他人の感情を読み取るのが苦手」   

     つまり、聖徳太子は極めて女性的な脳をもっていて、
     著者の場合は きわめて男性的な脳をもっている
     ・・・ってことになりませんか?
     それぞれの特徴が はっきりと出ているように見えます。

     コンピューターに例えれば、並列的な分散処理ができるか、
     あるいは直列的な集中処理になっているかって話??
    
     私の場合は、全く分散処理が出来ないコンピューターに
     なってしまっているようです。

===  こういう話になってくると、今流行りの人工頭脳なんかも、
     どういう機能をもった部品をどういう風に繋ぐかで
     あるいは どの程度の感度をひとつひとつの部品に
     持たせるかで、人間と同じように「個性」が出てくる
     ということになるんでしょうか?

「僕はたどたどしく、「すみません、他の人たちの話が耳に入ると、
なぜか先生の話がよく聞き取れなくなってしまうんです」などと言って
みた。考えてみれば、僕はこのとき初めて、「耳の症状」について
人に説明したのだった。
 でも、顧問教師はわかってくれず、「ごまかすんじゃねえ!」
「人の話をきちんと聞け!」とひたすら怒鳴り続けた。」

「正確に言えば、相手は口頭で約束したと思っているのだが、
僕の頭には入っていないため、そもそも約束したという認識がない。
結果として、約束をすっぽかしたということになってしまう。」

「今、奥村さんが説明してくださった二つの症状の根本には、
同じものがあると考えられます。それは『複数の音を同時に耳
聞いたとき、それらの情報を脳内で処理することが困難』という、
ASD(自閉症スペクトラム障害)の人によく見られる症状の一つなんです」

「しかも、聴覚情報を処理する能力と、視覚情報を処理する能力
との差が大きければ大きいほど、深刻なケースになる可能性が
高いのだという。」

=== こういうのを読むと、学校と会社には、
    少なくとも保健の先生やら人事部には、こういうことが
    人間にはあり得るのだということをきちんと勉強し
    基本的な部分だけでも理解し、サポートできる人が
    必要ですね。
    根性論じゃなくて、医学的あるいは脳科学的に
    概略の説明やアドバイスが出来る啓蒙家が必要
    だと思います。
    そうでなければ、卓越した能力をもつ個性を
    潰してしまうことになってしまう。
    それは、日本という国にとっても大いなる損失と
    いうことになりかねません。
    最低でも、小学校や中学校の先生たちには
    そういう知識と自覚を持ってもらわないといけない。

・・・・・

それでは 次回 その6 に続きます。    

================

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 100 反動総統の自爆?と神父たちの殉教

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

今日は記念すべき「第100号」なんですが、

先が長いなあ・・・・・

 

Img_3979_16



 

「第十六章  フィリピンのナショナリズム」

 

 

p218

「反動体制への逆戻り」

 

1868年のスペイン革命で作られた一時的なスペイン共和国は、

1870年の終焉を迎えた。 そして、専制政治に逆戻りした。

その新しい王は、サボイのアマデオ王(1871-73年)で、

イタリア王の次男だった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%AA1%E4%B8%96_(%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%8E%8B)

 

スペインの政権の変化によって、フィリピンの政治的雰囲気も

同じように変化した。 デ ラ トレ総統の民主的体制は

その短い時代を終え、反動的体制へ逆戻りしてしまった。

 

 

Izquierdo、独裁的総督 (1871-73年)」

 

・・・Izquierdo総督の最初の公的な行為は、マニラのフィリピン人

によって組織された芸術・商業学校の非承認であった。

彼の反対は学校が政治的なクラブとして使われるかもしれないという

薄っぺらな疑惑に基づくものであった。

修道士と君主制主義のスペイン人の支援を得て、総督は物事の

古い命令を復活させた。 彼は、新聞の検閲を復活させ、

政治的権利と教区のフィリピン人化のすべての議論を禁止し、

デ・ラ・トレ体制を支えた全てのフィリピン人に疑いをもって見た。

 

=== スペイン本国の大混乱で フィリピンの体制も

    右往左往の状態になったんですね。

    しかし、デ・ラ・トレ総督の民主的な時代に

    フィリピン人の権利意識が既に芽生えてしまっていた。

 

 

「1872年の カビテの反乱」

 

1872年1月20日の夜、カビテ兵器工場のおよそ200人の

フィリピン人兵士と労働者が反乱を起こした。

・・・反乱した者たちは、マニラのフィリピン人兵士たちが

彼らに呼応して決起するものと信じさせられていた。

その夜に、市の城壁からロケットを打ち上げて合図としていた。

ところが、不運なことに、その城壁の郊外にあるマニラの

サンパロックでは、丁度その日にお祭りが開催されていて、

派手な花火大会が行なわれたのだった。

 

=== ってことで、間抜けなことに、この計画は1月22日に

    鎮圧されてしまうわけです。

 

p219

その反乱の直後に、多くのフィリピン人聖職者や愛国者たちが

逮捕され、牢獄に放り込まれた。・・・・・

・・1872年1月27日に、総督は反乱者41名の死刑を

承認した。

 

 

「殉教者の処刑」

 

1872年2月17日、Burgos神父とZamora神父が

厳重な警備の中で、ルネタへ連行された。

フィリピン人や外国人を含めて、膨大な数の人々が

その処刑を目撃した。

 

p220

 

GomBurZa の殉教の重要性」

 

Gomez神父、Burgos神父、そしてZamora神父Gom-BurZa

の処刑は、フィリピンのスペイン人官吏にとって大きな失策であった。

幸運にも、教会は、国によって実施された不正に関与していなかった。

 

処刑に先立ち、大司教の Gregorio Meliton Martinezは、

総督からその3名の聖職者から聖職者の地位を取り除き

降格するよう要請されたが、それを拒否したのだ。

 

処刑の当日、市の教会の鐘は、葬送歌を打ちならし、

去ってゆく殉教者の魂に全キリスト教徒の別れを告げる敬意を

表したのである。

 

フィリピンの民衆は3名の神父たちの処刑に心から憤慨した。

3名の神父たちは無罪であることを知っていたし、フィリピン人の

権利を代表した為に殺されたということを知っていたからである。

従って、フィリピン人たちは、殉教した神父たちは彼らの

祖国の真の殉教者だと見なしたのだ。

その怒りの中にあって、民衆は部族の違いや地域の障壁を忘れ、

ひとつの主張のために闘うべく結集することになった。

GomBurZaの処刑は、フィリピン・ナショナリズムの拡大

早めることになった。 そして、そのことが、結局 スペインの

没落をもたらすことになった。

 

=== 反動総督が、自らスペイン没落の引き金を引いてしまった

    ということですね。

 

    細かい表現のところで、ちょっと日本人的表現とは

    違うかなと感じた点をひとつ・・

    「神父たちの処刑に心から憤慨した」という文が

    あるんですけど、この「憤慨した(resented)」と

    いうのは、日本人的には「悲しんだ」ぐらいじゃ

    ないかなと思ったんです。

    フィリピン人の方が、こういう場合は日本人よりも

    怒る方に傾きやすいかなと思ったんです。

 

=== たまたまですけどね。 こんな記事があったんです。

    「「日本には抵抗の文化がない 

福島訪問したノーベル賞作家が指摘」

 http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/29/svetlana-alexievich-_n_13295940.html?utm_hp_ref=japan

 

     これを読んで、日本人は深く悲しむんだけど、

     一応民主主義国でありながら、権利意識が低い

     民族なのかなと思ったわけです。

     地震や津波や台風やら、自然災害が多く、

     八百万の神々を大切に思う日本人には、人災に対する

     正当な権利意識が 戦後70年くらいの民主主義教育

     では育ってこなかったのかな・・って話です。

 

 

・・・・・

 

では、その101号に続きます。

フィリピンの革命は どのように進んでいくのでしょうか。

 

 

 

 

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2016年11月29日 (火)

アスペルガー、発達障害の日本語の論理 と 「空気の研究」  その4

さて、下記のサイトをじっくり読みながら、
日本に蔓延している「空気の醸成」における日本語と、
アスペルガーの「論理的」な日本語の違いを見て行きたいと思います。
これはあくまでも、日本語教師としてのお勉強なので、誤解のないよう
お願いいたします。
また、アスペルガーを持つ「個性」についても 思ったことを書いて
見ようと思います。

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

今日は「第3回」から読みます・・・

「いいですか。息子さんが絵に描いた子供には、本来、人間にあるべき
はずのものがないんです」

耳が描かれていないんです

「僕は幼い頃から、落書きだろうが、高校の美術の課題だろうが、
一度も人の耳を絵に描いたことがないような気がしてきた。」

耳を描かない人には『人の話を聞かないタイプ』が多いんです。
これは、あくまで絵から読み取れる精神分析学上の傾向で、
すべてのケースに当てはまるわけではありませんが・・・。息子さんも
お父さんも、そういうタイプですか?」

「医師は正しい。確かに僕は「人の話を聞いていない」タイプの人間
だからだ。いろいろな人から指摘されているし、自分でもそう思う。」

「誰かと会話をしていて、相手の発言の中に自分が話したいことを見つけると
会話の流れがどうであれ、すぐに自分の話を始めずにはいられない性格なのだ。」

「息子さんの屋根瓦の描き方が丁寧すぎるんです。実際の家を見ずに、
頭の中で想像して家を描くとき、普通の子供は屋根瓦を何十枚も丁寧
に描けないものですよ。そもそも面倒で描かないということもあります」

「精神分析学上の傾向ですが、『家の屋根瓦だけを細かく描く人には、
特定のものへのこだわりが強いタイプが多い』と考えられています」

「息子がASDであるのは間違いないような気がしていた。」

「息子さんのIQを調べたところ、140以上ありました。その事実に加え、
木の絵の見事さを鑑みると、息子さんは非常に恵まれた才能を持っていると言えます。」

=== この部分は医師による分析の結果の話なんですが、
    その2で書いた NHKテレビの番組TEDSの中で、
    自らもアスペルガーである大学教授が、いみじくも
    TEDSの会場で聴衆に向かって言ったんです。

    「この会場にいると安心できる。この会場に居る人たちは
     私に似ているから・・・」

    つまり、様々な分野で卓越した業績を残しているような
    人はアスペルガーやASDであることが多いという話です。

    芸術家なんかは 私みたいな凡人から見ても この人は
    「超えている」と分かりますしね。
    ゴッホやピカソや山下清なんかは典型的だと思います。
    https://matome.naver.jp/odai/2133463977476548601
    私はダリみたいなのが好きですけど・・・

 

    アスペルガー症候群(コミュニケーション障害)注意欠陥障害
    (ADD)であったとされる天才達まとめ
    https://matome.naver.jp/odai/2133463332675828801

「私は少なくとも、息子さんをアスペルガーと呼びたくないのです。
息子さんのような子供を、我々は『神から贈られた才能』という意味
で『ギフト』と呼びます。科学者や芸術家に多いタイプです。
息子さんは、その『ギフト』の一人です」

「僕は、医師の説明を聞きながら、「『アスペルガーと呼びたくない』
ということは、本当はアスペルガーなのだろうな」と冷静に考えていた。」

「パニックになる必要がないという理由を、問題が起きた発端の段階から、
丁寧に、かつ論理的に息子さんに説明してあげてください。決して曖昧な
表現はしないでください。余計に不安になります。」

=== このお父さんは、医師の説明を聞いて
    「本当はアスペルガーなのだろうな」と言っているという
    ことは、その場の「空気」を読んでいるように思えます・・・
    断定ではない、医師の主観だから そう判断したのでしょうか。

・・・・ ここから 「第4回」に突入です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34086

「お父さん、さっき先生には言ったんだけど、僕、お母さんのお腹の
にいたときの記憶があるんだ」

「ボンヤリした、うす~い赤い色の中に僕がいて、目の前に長い紐が
伸びている。そんなことを覚えているんだよ」

「僕はこのとき、自分と同じ記憶を持つ人間に、生まれて初めて
出会ったのだった。」

「後日、医師に電話でこのことを尋ねてみたところ、「息子さんの
ようなタイプの子供に、胎内の記憶があることは珍しくありませんよ」
と教えてくれた。」

=== これはもう、私には100%ないことなので、
    信じるか信じないかの話です。
    そういう意味で言えば、亡霊が見えるか見えないかの
    話とまったく同じレベルの話なんです。

    亡霊の話については、こちらに書きましたので
    読んでください。
    http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2014/11/post-097d.html
    「私たちが地球に住んでいると同じように、亡霊たちも 
     この地球に普通に住んでいるのよ・・・
     この世と あの世という違いはあるけど、同じ地球に住んで
     いるわけ・・普通に暮らしているってこと・・・」

    日本にもいわゆる「霊媒師」みたいな人がいますよね。
    フィリピンの山岳民族には そういう人たちがいます。

「たとえば歴史の教科書を覚えようとするとき、僕はまず、
教科書の最初の1ページを、大声を出しながら猛烈なスピードで
3回読み、脳にプリントしていく。次に目を閉じて、脳に焼き
つけたページの文章を、また大声で、最初の文字から最後の
文字まで猛スピードで音読していく。これでプリント完了である。」

「しかも、暗記系科目以外のテストではまったく役に立たない。
だから暗記系以外の科目で、僕の成績は今一つぱっとしなかった。」

・・・ここから「第5回」を読みます:
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34148

「普段は教科書を学校に置きっぱなしにして、「勉強なんか人生の
役に立たねえんだよ。体力と人間関係がありゃいいんだ」と、
威勢よく"世間のすべてを知っているかのような口"をきいて
同級生の尊敬を集めていたIは、深刻そうな表情で教科書をのぞき込んでいる。」

「僕たちが夏休みを迎える前の最後の難関、期末テストが実施
される日だったのである。」

「僕とTとMの3人は、小学生の頃からサザンの大ファンだった。
でも当時は、チェッカーズ、松田聖子、中森明菜、田原俊彦、
近藤真彦、小泉今日子などが次々とヒットを飛ばすアイドル全盛期。
ザ・ベストテン」の総合ランキングも、毎週のように彼らに席巻されていた。」

=== 「体力と人間関係」そして こだわりの「雑学」。
     私にはどちらも 全く不得意なことでした。
     将棋や囲碁、ゲーム、賭けごと、パチンコ、スポーツ
     なにをとっても興味はほとんど湧かなかったし
     夢中になるということもなかったんです。
     かなりそういう意味では遅れていたように思います。
     高校時代に、学生運動の話をしている同級生がいた。
     大人だなあ、と羨ましかった。

     だから面白い話なんてのも全く出来なかった。
     敢えて言うなら、学校の教科書の範囲でしか
     ものごとを知らなかったと言えるでしょう。
     糞まじめな秀才タイプに見えていたと思います。
     だから、それ以外のことが面白いものにも見えていた。
     人がやることを凄いなあと思いながら観ているだけだった。

「スポーツの記録集やギネスブックを細かく眺めるのが大好きだった
僕にとって、4つのランキングが次々と表示される番組冒頭のシーンは、
まさにこたえられないものだった。大半の視聴者があまり注意を
払わないであろうこの最初のシーンを、僕は毎週、じっと見つめていた。」

「食い入るようにテレビ画面を見つめているうちに、画面に映った
ランキングの映像が、短時間でもくっきりと脳にプリントされていたのである。」

「テストのために覚えるのは本来、何も興味がない内容なので、
脳にプリントされている期間は数日間に過ぎなかった。」

「他の同級生も口々に「お前、天才だったんだな」と話しかけてきた。
僕にとっては、それまでの人生で最も晴れがましい瞬間だった。
そして僕は、この後、TとMに話を聞いて、多くの人が自分と
異なる方法で暗記を試み、日々、苦闘していることを知った。」

=== 私の記憶力は いわば最低レベルです。
    暗記科目はめっちゃ不得意。
    しかし、小学校の時に公民館でやらされた詩吟だけは
    訓練の成果だったのか、一応覚えることが出来ました。
    漢詩漢文に抑揚をつけて歌うというか、唸るやつです。

    中学校の時は、英語が好きになって、英語クラブの部長に
    なり、英語の暗証大会で長崎県大会に出たことはありますが、
    暗記は得意じゃない。
    その時の思い出は、英語教師が長崎市への遠征の時に
    にぎり寿司を食べさせてくれたことぐらいです。

    詩吟は、特に好きでやっていたわけでもなく、それが習慣になって、
    他にやっている生徒たちもいなかったんで、
    高校までは詩吟部の部長なんかをやることになってしまった。
    でも、そのお蔭で、漢文の授業は楽しかった・・・
    漢文の予習だけは欠かさずにやった。

    つまり、暗記するには、かなりの努力か、習慣化が
    必要だったんです。

・・・・・・・・・・・

それでは 続きは その5 で・・・・

 

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アスペルガー、発達障害の日本語の論理 と 「空気の研究」その3

さて、下記のサイトをじっくり読みながら、
日本に蔓延している「空気の醸成」における日本語と、
アスペルガーの「論理的」な日本語の違いを見て行きたいと思います。
これはあくまでも、日本語教師としてのお勉強なので、誤解のないよう
お願いいたします。
また、アスペルガーを持つ「個性」についても 思ったことを書いて
見ようと思います。

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

今日は「第2回」から読みます・・・

曖昧な言葉を絶対に許さない

「いつもニコニコしているのだが、本当は他人と人間関係を構築するのが
不得手(嫌い?)なこと。事前に立てた計画を崩されたり、予想して
いない出来事が起こったりしたとき、うまく対応できないこと。
時間に非常に細かいこと・・・。医師に伝えたいことはいくらでもあった。」

「息子は、初めて行く場所が大の苦手だ。そこで起きることが事前に予想
できず、行動計画を立てられないからである。」

「小さな頭の中で、最悪の事態が起こることを勝手に想像して、ひどく怯え
てしまう。このときが典型だった。」

優しい先生だと思うよ

「お父さん、『思う』っていったいどういうこと? 怖い先生かもしれないの? 
注射される? 怒られたりするの?」

「僕は息子に「優しい先生だよ」と断定しなければならなかったのである。」

「思う」という主観的な一言が加わっただけで、「優しい先生」が、
正反対の意味の「怒る先生」へと変わってしまう。これこそが、
息子独特の思考回路なのだ。」

==== ここでは、ふたつのことを分けて考えてみます。

     一つ目は、「初めて行く場所=事前に予想できない
     行動計画を立てられない=最悪の事態を勝手に想像」の
     部分です。

     私の場合は、
     「初めて行く場所=予想できない=出たとこ勝負
      =面白そう」
     となりますから、明らかに違います。

     しかし、日本人は一般的に明日・将来の取り越し苦労をする
     という面がありますから、もしかしたら、今の日本、
     例えば 世界一正確に運行されている電車、などを
     考えてみると、少なくとも私みたいな日本人じゃなくて
     アスペルガーな人たちが 日本を計画的に上手く動かして
     いるんじゃないかと思ったりするんです。

=== 二つ目は、「思うという主観的な言葉」についてです。
    私の場合は、「優しい先生だと思うよ」と言われたら、
    それを言った人がどういう人なのかをまずは前提と
    して考えます。
    私との関係において、それまでのつき合いの中で
    自分と同じ感覚を持っている人が言っている言葉か、
    あるいは、まったく分からない人の言葉かで
    値踏みをします。
    だから、「自分にとっては「怖い先生」であるかも
    しれない」と何割かは覚悟をするわけです。

    アスペルガーな人の中には、この「思う」という
    曖昧な言葉が大きな意味を持つ人がいるということですね。

    断定: 「優しい先生だよ。」
    曖昧: 「優しい先生だと思うよ。」

「医師は「この『子供』と『家』と『木』の絵は、診察のため、
息子さんに描いてもらったものです」と説明した上で、僕に
質問を投げかけてきた。」

「この絵の中で、私が気になったところがあるんですが、わかりますか?」

「僕は「そうですね」と応じ、また端のスペースに家を描いてみせた。」

「ところが医師は、「ほほう・・・」と唸りながらそれを凝視している。」

「そして僕は、この記憶力の話題になると、なぜか感情が激しく波立ち、
どんな場所でも、誰が相手でも、自分のことを話さずにはいられなくなるのだ。」

「先生、息子より、僕の子供の頃の方が記憶力は良かったんですよ。
僕はフォトグラフィックメモリーの持ち主だったんです」

フォトグラフィックメモリーとは、視覚でとらえたものを画像として
脳に刷り込んでいく記憶法です。脳に画像を一枚一枚プリントしていく
感覚です。僕はこの方法で、ちょっと時間をかければ、文字でも映像でも、
見た通り丸暗記できるんです。」

=== ここでは、息子の絵の話が、「記憶力」というキーワード
    を父親が聞いたために、話の流れが横にそれちゃった
    わけです。

    私なんかも、あるキーワードが話の中に出てきたりすると
    そのキーワードで自分の頭の中が様々なことを考え
    始めるということはあって、全体の話の流れが分からなく
    なることはあります。
    ただ、アスペルガーな人の場合は、それが突発的に
    物凄いエネルギーで押し寄せるということのようです。

=== ところで、「フォトグラフィックメモリー」なんですが。
    この言葉自体は私も初めて聞くんですが、
    NHKテレビ番組のTEDSで、このような能力を
    もつアメリカ人?の女性が 苦労の果てに大学教授に
    なったという話を観ました。
    その教授の場合は、思考そのものが映像によるもので
    あって、言語での思考ではないという話でした。

    詳しくは、こちらでどうぞ:
    「自閉症、アスペルバー症候群、そしてNHKのTEDS 
     思考方法の違い」
    http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2015/06/post-9695.html

=== 実は、この画像を丸ごと記憶するという方法は、
    多分40~50年ぐらい前のことだと思うんですが、
    雑誌か何かの記事で「記憶術」というような扱いで
    読んだことがあります。
    もしかしたら大学受験の勉強をしていた頃かも
    しれません。
    そこに書いてあった「文章を数行毎に丸ごと頭に焼き付ける」
    という方法を試しましたが、私には全くその能力が
    無いことを確認しただけでした。
    そんなこと出来る奴なんかいるのか? とその時は
    思いましたが、そういう人たちがいたんですね。

・・・・・・

では、この続きは その3 で宜しく。

    

================

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アスペルガー、発達障害の日本語の論理 と 「空気の研究」 その2

さて、下記のサイトをじっくり読みながら、
日本に蔓延している「空気の醸成」における日本語と、
アスペルガーの「論理的」な日本語の違いを見て行きたいと思います。
これはあくまでも、日本語教師としてのお勉強なので、誤解のないよう
お願いいたします。
また、アスペルガーを持つ「個性」についても 思ったことを書いて
見ようと思います。

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

では、まず「第一回」から・・・

「息子にとっては、この「1分」が、いろいろな意味でとても大事なのだ。
だから僕が答えないと、何度でも繰り返し聞いてくる。「あと30分どう
するの?」ではなく、「あと29分どうするの?」

=== これは、フィリピンに住んでつくづく思うんですが、
    フィリピン人と比べると、日本人はアスペルガーの人たち
    も含めて、実に時間に細かいと思います。
    世界にはフィリピン以上の国もあるそうですが、
    フィリピンでは 30分から1時間の遅刻は当たり前。
    普通の日本人でも 慣れるまではイライラします。
    しかし、フィリピンの場合は、日本ほどに様々なインフラが
    時間を守れるほどにはしっかりしていませんから、
    慣れてしまえば ストレスから解放されます。

「息子は、時間に細かいだけでなく、先の予定が見えないことを何よりも嫌う。
その点は僕と同じだ。このとき、「つくづく親子だな」と思った。」

=== 「ケセラセラ」(Que Sera, Sera)という言葉があります。

    一般的には「なるようになる」という意味だとされています。
    
    「先の予定を考える」というのは、程度の差こそあれ、
     日本人には一般的にあることだし、世界的にもあると
     思うのですが、フィリピンでは、多くの場合は
    「ケセラセラ」に近いような気がします。
     私も先のことを考えて、悩んでも仕方の無いことを
     気に揉むことがあります。

     しかし、「ブッダの言葉」みたいな本を読んでから
     というもの、「執着するな」「全ては相依りの現象」
     というような話を読んで、悩んでも仕方のないことは
     頭の中から排除するように努力しています。
     
     日本人は自殺率が韓国人の次ぐらいに多いそうですが、
     先に起るか起らないかも分からないことを悩み過ぎる
     傾向があるように思います。

     ただ、アスペルガーの場合は、そういう日本人とは
     ちょっと違って、しっかり予定を立て、それが崩れた
     時にいきなり爆発するようですね。
     要するに、想定外のことがあると対応ができなくなる。

     非アスペルガーの日本人の場合は、先のことを
     いろいろ悩むためか、想定の範囲が広いのか、
     割と臨機応変な対応がとれるみたいですね。

「ASDの特徴として、主に二つの点が挙げられていた。
 一つ目は「他人の気持ちが分からない傾向があり、人間関係
 構築が苦手である」ということ。」

=== ここでは、一つ目としてふたつのことが一緒にされて
    いますが、ちょっとふたつに分けてみましょうか。

    「他人の気持ちが分からない」と
    「人間関係の構築が苦手である」の二つです。

    私自身は、前者については「当たり前」だろうと思って
    います。 自分の気持ちすら正確には分からないのに
    他人の気持ちなんか分かってたまるか、という感じです。
    夫婦であろうが、恋人であろう、家族であろうが、
    分からないものは分からない。
    人が言う言葉にしたって、まあ、ある一定の共通の
    理解はあるとは思うんですが、全く本人はそう思って
    いないのに、一般的な共通理解で理解して本当だと
    言えるのかという疑問があるんです。
    
    後者の方については、かなり相性の問題があるかなと
    思います。 もっとも、アスペルガーの場合は
    かなり異なるようですが。
    アスペルガー同士ならば、かなり相性の部分で
    人間関係が作れるのかもしれないようなことが
    後で出て来ますしね。

    つまり、前者が原因で、後者が結果というのは
    もしかしたら違っていて、後の方で著者が言っている
    ように、後天的に学習して表面的なコミュニケーション
    が出来るかできないかの差ではないかと思ったり
    します。

    典型的な例で言えば、敬語が使えるか使えないかで
    相手に与える印象ががらりと変わるということです。

「ASDの二つ目の特徴は「特定のことへのこだわりが強い」というものだった。
たとえば、自分のスケジュールを崩されるのを極端に嫌ったり、特定の事柄
については深い知識と旺盛な興味を持つものの、それ以外の分野のこと
はまったく知ろうとしなかったり、といった人が多いのだとか。」

「「特定の事柄に深い知識を持つ」のは間違いなかった。」

=== 私自身は、特には「こだわり」というものが無いので、
    時々「こだわり」の有る仕事人、専門家と言われる人たち
    が非常に羨ましい。
    日本には多くの「匠」と呼ばれる人たちがいて、
    様々な分野で「こだわり」を持ち、日本の産業の
    基礎の部分や最先端を支えているのが凄いなといつも
    感心し、そういう能力がなかった自分を恥じるのみである。
    しかし、これも性格だから仕方がない。

    確か高校時代だったか、日本史の知識において、
    教師とその知識を競うような男がいたのを覚えている。
    私は日本史はまったくの不得意科目だった。

「子供の頃から対人関係を築くことが苦手で、「変わった性格」だと
思われてきた人が、成人してASDと診断されたケースも増えているそうだ。
後者はいわゆる「大人の発達障害」である。」

=== 「変わった性格」の人というのは、若い頃にはほとんど
    あったことはない。
    それほど個性の強い人にはあったことがないという意味で。
    しかし、フィリピンに来てからは、何人かに会って
    いるかも知れない・・・と思う今日このごろ・・・

「第一回」終わり。

・・・・・・・・・・・

その3 に続きます

  

 

    

==============

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 99  相当な自由主義者のスペイン人総統!

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

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「第十六章  フィリピンのナショナリズム」

 

 

p215

「スエズ運河とフィリピン人」

 

 

・・・・海上旅行と通信が整えられたことによって、

さらに多くのスペイン人(役人、冒険家、そして求職者)が

フィリピンにやってきて、スペイン人の人口が膨れ上がった。

1810年には、フィリピンにはほんの4,000人しか

スペイン人居住者はいなかったが、これが1870年には

15,000人へと増加した。

スペイン人ばかりではなく、ヨーロッパ人旅行者や自由主義思想

がスエズ運河経由でフィリピンに到来した。

 

 

=== なんで、スエズ運河が フィリピンのナショナリズムと

    関係あるの?  って思ったんですけど。

    こういうことでした。

 

 

De la Torre、 自由主義のスペイン人総督(1869-71年)」

 

・・・・総督 de la Torreは、期待通りで、素晴らしい最高責任者

であった。 彼は民主主義の哲学を 私的にも公務においても

示した。 彼は質素に暮らし、前任者のようなきらびやかな華美さ

や浪費は排除した。彼は、1591年以来色鮮やかな制服と

古風な武器を持ち、総督を取り囲んできた宮殿の儀仗兵を解職した。

総督は、市街地に出て、一般市民の格好で、警備員にも守られては

いなかった。 彼は、自由に褐色の肌のフィリピン人の中に入り

青白い顔色のスペイン人やスペイン系メスティーソ(混血)も

公平に扱った。

 

 

「1869年の自由主義の夜の調べ」

 

1869年7月12日の夕べ・・・・フィリピン人は、総督の公邸で、

総督の自由主義政策への高い評価と感謝を明らかに示すために、

歌って演奏した。 夜会は有名なマニラの住民によって催された・・・

 

・・・その夜会は、マニラの専制主義者のスペイン人たちに衝

を与えた。それは、フィリピン人は一切自由主義や民主主義に

ついて自由に話すことを許されていなかったし、スペイン人の

最高責任者がフィリピン人を宮殿での食事会に招待するなどと

いうことはなかったからであった。

総督は多くのスペイン人の敵を作ることになった。

しかしその反面、彼は数え切れないほどのフィリピン人の友人

獲得したのだった。

p216

 

「自由のパレードと赤いリボンの宴会」

 

1869年9月21日、新しいスペインの憲法がマニラで

公布された。  ・・・・・

 

総督は再び、自由のパレードを準備したフィリピン人のリーダー

たちを、宮殿に招き歓待した。

総督の夫人は病弱だったので、活発なサンチェス夫人が宮殿の

ホステス役を務めた。

彼女は赤いドレスで、髪には赤いリボンをつけていた・・・

・・・彼女は 親フィリピン人の気持ちがあったので、

フィリピン人の母」と呼ばれた。

 

 

「自由主義とフィリピンの愛国者」

 

・・・・フィリピン人愛国者たちは、「改革委員会」という組織

を作り、三つの部門を設けた ―― 聖職者、一般人、学生

部門である。・・・・

 

・・・Buencaminoは、いつくかの学生組織を率いて、サント・トーマス

大学のドミニコ会当局に対峙し、授業の改善、学業の自由、そして

フィリピン人学生の公平な扱いを求めてデモを行なった。

彼は、これらのデモを率いたことで、1869年10月18日に逮捕され

投獄された。 しかし、彼は、Burgos神父の要請で、総督によって

短い投獄から解放された。

 

 

p217

 

「デ ラ トレ総統の業績」

 

二年間の任期の間に、総統 De la Torreは 多くの実りある

業績を残した。 彼は、新聞の厳しい検閲を廃止し、

政治的問題の自由な議論を育てた。 彼は、言論と新聞の

自由を認識し、それをスペインの憲法によって保障した。

総統の寛容な政策によって、Burgos神父及び彼の同胞は、

教区のフィリピン人化という世論を喚起した。

 

・・・・デ ラ トレ の最大の功績は、カビテにおける

農地紛争の平和的な収拾であった。 この州は、18世紀

の中ごろからずっと農地暴動の温床になっていた。

それは、土地を失ったフィリピン人小作農の抑圧が原因

であった。 ・・・・・

 

 

 

==== いきなりの自由主義の到来で、一番面喰った

     のは既得権益を持っていたスペイン人だったのでしょうね。

     さて、今からが革命の本番に入っていくみたいです。

     その前に、ひと波乱ありそうですけど・・・

 

 

・・・・・

 

それでは、次回 100号をお楽しみに。

 

 

 

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2016年11月28日 (月)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 98 ナショナリズムってなんだろう?

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

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p214

 

「第十六章  フィリピンのナショナリズム」

 

=== さて、PHILIPPINE NATIONALISM という章に入るんですが、

    このナショナリズムってのが曲者でして、

    英和辞典によれば:

    国家主義、民族主義、国粋主義、愛国心、民族自決主義、

    国民主義、国家本位、官営主義、独立運動、

    国を愛すること、

国の文化と趣味が他の国より優れているという主義、

国が独立して行動すべきであるという主義、

国家独立への望み・・・・・

・・・などなど、いろんな意味があるんですねえ。

今の時点では、その意味を確定することは出来ないので、

とりあえず「ナショナリズム」ということで読んでいきたい

と思います。

でも、まあ、この教科書の流れから言えば、

おそらく「国家独立へ望み」というのが、ここでは合って

いるのかもしれません。

 

=== ちなみに、日本では どういう定義になっているかって

    言うと、wikipediaでは:

    「ナショナリズムは日本では、文脈や立場によって、

 国家主義国民主義民族主義愛国主義国粋主義

     とも訳されており、その一義的な定義は困難である。」

    ・・・ってことになっていますねえ。

    結局 文脈で決めるしかなさそうです。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

 

 

 

p214

海外からの自由主義思想の流入、1868年のスペイン革命、

1869年のスエズ運河の開通、そして Gomez神父、Burgos神父、

Zamora神父の殉教が、フィリピンのナショナリズムの誕生を

もたらした要素であった。

それらが人々に、国民性、共通の血と人種、共通の習慣と伝統、

共通の歴史と宿命、そして共通の不満と熱望をもっている

ひとつの国としての意識の火花を発火させた。

 

 

「自由主義思想の流入」

 

フィリピンがスペインによって、世界貿易へ開かれた時、

ヨーロッパとアメリカの自由主義の思想がフィリピンにも

流れ込み、海外の港から船や人々によってもたらされた。

これらの自由主義思想、書籍や新聞に掲載されていたものは、

アメリカやフランスの革命のイデオロギーであり、

モンテスキュー、ルソー、ボルテール、ロック、ジェファーソン、

そしてその他の政治哲学者の思想であった。

 

これらの考え方に影響を受けて、フィリピン人は彼らの

嘆かわしい状況に疑問を持ち始めた。 政治、司法、そして

自由を語り始め、時が経つにつれて、政府の改革を要求する

ほどに勇敢になった。 ―― その改革は、フィリピン人の間

にある苦難を引き起こしている条件を修正するために、

緊急に必要なことであった。

 

 

「1868年のスペイン革命」

 

1868年に、スペインは美しいが手腕のない女王イサベラ二世

(1833-68年)の専制政治に対して、Juan Prim将軍と

Francisco Serrano将軍に率いられた革命が席巻した。 

革命は成功し、女王は王座から引きづり降ろされた。

その成功に勢いづけられ、スペインの愛国者たちは、1873年

2月12日に、ブルボン王朝の廃墟の上に、第一スペイン共和国

を樹立した。

 

=== この1868年の革命は こちらのサイトでは

    「9月革命」ということになっています。

    1898年のパリ講和条約でスペイン帝国は滅亡

    するわけですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%B3%E6%9C%9D

 

 

p214

自由主義のスペインでの勝利は、海外の植民地の海岸にも

海を隔てて鳴り響いた。 

フィリピンの人々は、初めて自由主義体制の甘い万能薬

を味わうことになった。 それは、言論の自由、報道の自由、

集会の自由、そしてその他の人権を含んでいた。

多くの植民地の官吏たち、とりわけ、Carlos Ma. de la Torre

司令官は、民主的な考えと情感をもっていたのだが、マニラに

派遣された。

 

 

 

=== この教科書では、「フィリピンのナショナリズム」に

    ついて、214から220ページまで、7ページ

    割いているんです。

    そこで気になったのが「日本におけるナショナリズム

    ってのが日本の教科書ではどう扱われているかってこと。

 

    手元にある1990年前後に発行されたの古~~い大学受験用

    の日本史参考書を見たところ、両方ともに「ナショナリズム」

    という言葉は索引にはなく、「国粋主義」「国家主義」

    「国民主義」などの言葉は、明治時代の思想のひとつとして

    出ています。

    これらのナショナリズムに相当する言葉は章レベルにはなく、

ひとつの章として出てくることばは、「ファシズムの台頭

    という言葉が、30ページほども割かれていますので、

    フィリピンの教科書とはかなり様相が異なります。

    つまり、日本史においては、ナショナリズムという言葉

    よりも、ファシズムという言葉の方が日本では歴史的には

    重い意味があるようです。

 

・・・・・・

 

翻訳したものが、徐々に貯まってきたので、そろそろ元大学教授の

フィリピン人の歴史の先生に家庭教師に来てもらって、

雑談をしようかなと思っているところです。

 

・・・・・・

 

それでは、続きは 99号をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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フィリピンの歴史教科書から学ぶ 97 政教一致による失政/ホセ・リサール登場

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

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「第十五章  スペインによる統治の黄昏」

 

 

p209

「修道士による統治」(The Frailocrasy)

 

政教一致はスペインのフィリピンに、悪名高い目に見えない政府を

生みだした。この政府は 「frailocracy(frailocracia)と呼ばれ、

その意味は「修道士による統治」であった。 

19世紀の最後の数十年間、スペイン人修道士たちは、非常に

影響力があり権力があった。 そして、実質的にフィリピンを

統治した。 スペイン人の文官、総督や王立大審問院のメンバーを

含めて、彼らを恐れた。 

The friars could not make and unmake them.

(修道士たちは、彼らを地位につけることはできないが、

 奪うことはできた。 ???)

修道士たちは、政府を支配した上に、植民地の教育制度を管理し、

フィリピンの優良な荘園を所有した。

 

フィリピンのキリスト教徒の町ならどこでも、教区司祭

実際上の支配者であり、選ばれた首長ではなかった。

教区司祭は、地方選挙の管理者であり、学校の検査官であり、

道徳の権威者であり、そしてまた、書籍や舞台上演の検閲官でもあった。

・・・

 

修道士たちは、あえて抵抗するものや彼らの手へのキスを拒否する

愛国的フィリピン人を逮捕する命令を出すことも出来たし、

遠隔地へ追放することも出来た。 彼らは、反修道士の

フィリピン人を filibusteros(売国奴)と呼んだ。

 

それは、フィリピンを啓発されないままに維持し、またフィリピンの

スペインによる統治を守るための、多くの修道士の執念となった。

 

 

p210

 

「スペイン統治に対するフィリピン人の不満の種」

 

・・・・スペイン統治に対するフィリピン人の不満の種は

次のようなものであった;

(1)政府へのフィリピン人の参加がほとんどなかった。

(2)人権が認められなかった。

(3)フィリピンでのスペイン人役人社会の汚職

(4)修道士たちの虐待と不道徳

(5)フィリピン人に対する人種差別

(6)スペインの司法における失政

(7)フィリピン人愛国者にたいする迫害

 

==== この後に上記1~7のひとつひとつについて

     説明が続きますが、一部だけ翻訳:

 

 

「フィリピンにおけるスペイン人役人社会の汚職」

 

多くのスペイン人植民地官吏たちが汚職にまみれ、無能で、

悪いことには虐待的であった。彼らは大抵は困窮した求職者で

あり、渡り政治家であり、フィリピンにやってきた放浪者で

あった。 彼らは、教育や良い道徳心もなく、市長職や

政軍知事や陸軍将校などの良い仕事を見つけた。

 

=== つまりは、スペイン人なら誰でもよかったわけですね。

    本国のスペインが混乱状態になって、失職し、

    植民地であるフィリピンに流れてきた貧乏人だった

    というわけですね。

    これと似たような話が、戦前の日本でもありました。

    食いっぱぐれた日本人たちが、満州へ満州へと

    国策で渡り、酷い目にあって敗戦後の日本に戻った。

    私は、そういう引き揚げ者の息子ですけど・・・

 

 

「悪徳修道士による虐待と不道徳」

 

・・・・悪いスペイン人修道士が、ホセ・リサール博士の小説

(「ノリ・メ・タンヘレ」と「エル・フィリブステリスモ」)の

中・・・・・で描写されている。

これらの悪い修道士たちは、傲慢であり、虐待的であり、

不道徳であった。 彼らの多くが、地元の女たちと不正な関係を

持ち、子供を産ませた。 ・・・・

 

 

「人種差別」

 

スペイン当局は、褐色のフィリピン人を劣等民族とみなし、

嘲るように彼らを「インディオス」と呼んだ。

このフィリピン人に対する人種的偏見は、政府機関、陸軍、

大学、裁判所そして上流社会にもあった。

 

・・・ホセ・リサールは、文学のコンテストにおいてスペイン人

著述家を凌ぎ、内科医、文筆家、学者、そして科学者としての

名声を獲得し、褐色の男が 偉大で、あるいは白人にも勝る

ことが出来ると証明した。

 

 

=== やっと、ホセ・リサールの登場です。

    随分前に東京の国会図書館で読んだ ふたつの小説

    については、こちらでどうぞ: 

ノリ・メ・タンヘレ  Noli Me Tangere を読む

「われに触れるな」

エル・フィリブステリスモ 
El Filibusterismo

岩崎玄 訳 「反逆・暴力・革命」 から

 

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2005/09/post_a44c.html

 

=== 私はこれを読んで以来、現代のフィリピンにも

    ホセ・リサールが必要だなあ・・・と思ったものです。

      ちなみに、この2冊の本は、フィリピンの学校では

      国民の英雄の書籍として 必ず授業で教えるそうです。

 

 

 

・・・・ その98 に続きます ・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年11月27日 (日)

アスペルガー、発達障害の日本語の論理 と 「空気の研究」 その1

過去にも「アスペルガー症候群」について本を読み、その感想など
を書いたことがあるんですが、

外国人の日本語 と アスペルガー症候群
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/01/post-6145.html

お薦めです

「大人の発達障害」 「アスペルガー症候群、自閉症が楽になる本」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2016/09/post-7ba2.html

つい先日、FACEBOOKで、たまたま偶然に下のサイトに出会いました。

さかもと未明「奥さまは 発達障害」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50229

・・・・こういう度量のある旦那さんみたいになりたいもんです。

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

引き込まれるように、第一回から第39回までを読みました。
感動しました。

これは、素晴らしい人間研究だと思います。

様々な個性を理解するためのテキストみたいです。

 

以前、私はインターネットのサイトでアスペルガーの傾向があるか
ないかの自己診断をやったんですが、残念ながら、その気は全くありませんでした。

でも、ある意味、特別な能力に優れた人たちがいるということに
一種の憧れみたいなものを感じることがあります。
ご本人やご家族は それはそれは大変な思いをされているようですが・・・

それは置いといて、
私の興味は、日本語教師をやっていることもあって、
日本という国における「空気」と 「空気を読めない」とされている
アスペルガー症候群の人たちの 日本語の「論理」の部分です。
アスペルガーの人たちは、論理的に話さないと通じないとされて
いるからです。

何故かと言えば、今までにいろいろ読んできた本の中で、
「あいまいな日本語」、「日本語の論理」、「点をつなぐ日本語」、
「事実を隠す日本人」、「論理的でない日本語」、「空気をつくる日本語」、
「神の視点の英語と地べたの視点の日本語」、「主語のない日本語」、
等と言う 「曖昧な日本語の論理」と「アスペルガー症候群の論理
とを比べてみたら 何が分かるんだろう・・・と興味が湧いてきたんです。

そこで、アスペルガー的傾向のある人たちの日本語の論理という
ものには どんな特徴があるんだろうか・・・と思ったわけです。

たまたま、上記の 奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」のサイト
には、アスペルガー症候群の傾向のある人たちを納得させられる
論理的な話し方の例が 具体的な状況の描写とともに掲載されて
いるので、私のような一般的、フツーの「空気が読める」日本人
「空気が読めない」日本人との論理には、どんな違いがあるのかを
注目して読んでみたいと思います。

今の時点で、どんな結論が出せるのかは、まったく分かりません。

ただ単に 引用の羅列に終わるかもしれません。

面白い話にならなかったら、ごめんなさい・・です。

・・・ では、 次回 その2 からスタートです ・・・

注: 今は、フィリピンの歴史教科書も並行して翻訳しているので、
   飛び飛びになりそうです。

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