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2016年12月15日 (木)

アスペルガー、発達障害の日本語の論理 と 「空気の研究」 その13(中断)

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

上記のサイトをじっくり読みながら、日本に蔓延している「空気の醸成」における
日本語と、アスペルガーの「論理的」な日本語の違いを見て行きたいと思います。
これはあくまでも、日本語教師としてのお勉強なので、誤解のないようお願いいたします。
また、アスペルガーを持つ「個性」についても 思ったことを書いてみようと思います。

・・・などと言いつつ、どっちかと言えば、自分の性格の分析や
他人を理解するための勉強みたいになっていますけど。

今日は「第18回」から読みます・・・
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34967

・・・・ ななな~~んと!!

前回読んだときには 第39回まで全部読めたのに・・・・

二回目の今回は、このページから
この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。」
・・ってことになっちまっている。

ああ、大ショック!!

ということになりましたので、
残念ながら このシリーズはここで中断と致します。

いや~~、真に残念です。

しかし、私にこの著者みたいにフォトグラフィック・メモリーの
能力があれば、第39回まで全部を記憶して、きっちり最後まで
書けたのになあ・・・

ただ、考えてみるに、
大体ここまでの回が、著者本人の子供のころの体験や、それに
絡んで息子の行動や発言などを書いてある部分なので、
私が目的としている「日本語の論理」と「空気」という面では
ほぼ材料と出来る部分は読んだかなと思います。

つまり、この後の回は、著者が大人になってからの話ですし、
本人が社会での立ち振る舞い方を修得してきた結果としての
行動、発話がほとんどなので、第17回までの話で
私の目的とするところはカバー出来ているかなと思います。

ということで、このシリーズは終わります

お疲れ様でした。

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2016年12月13日 (火)

アスペルガー、発達障害の日本語の論理 と 「空気の研究」 その12

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

上記のサイトをじっくり読みながら、日本に蔓延している「空気の醸成」における
日本語と、アスペルガーの「論理的」な日本語の違いを見て行きたいと思います。
これはあくまでも、日本語教師としてのお勉強なので、誤解のないようお願いいたします。
また、アスペルガーを持つ「個性」についても 思ったことを書いてみようと思います。

・・・などと言いつつ、どっちかと言えば、自分の性格の分析や
他人を理解するための勉強みたいになっていますけど。

今日は「第16回」から読みます・・・
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34834

「4年生の春、僕は深刻な悩みに直面していた。
 大学を卒業した後の進路、つまり就職先がまったく決まって
いなかったのだ。」

「「人間関係の構築が大の苦手」「場の空気が読めない」
「人の気持ちを忖度(そんたく)して発言することができない」
「その結果、人を不快にさせたり、怒らせたりしがちで、コミュニティ
や組織の中で嫌われ者になりやすい
」といった特性を持っていること
ははっきり自覚していた。」

==== さて、いよいよ「社会人になる」ところに入って
     来ました。 この方の場合は、まで「自覚していた」
     だけでも、そうでない人に比べればまだチャンスが
     あったのでしょうが・・・・

     アスペじゃない人にとっては、そこまで自分自身に
     「自覚」があるかどうか疑問です。
     私なぞは、まったくそんな自覚はありませんでした。

「「俺たちみたいな人間は組織の中でうまくやっていけないのかも
しれない」と一瞬でも思ったが最後、それはすぐに「俺のような人間は
社会で働いて食っていけないのかもしれない」「俺にはこの社会に
"居場所"がないのかもしれない」という予感を呼び起こすからである。
それは本当に、身も震えるほど恐ろしいことだった。」

「「研究者になろう」と決めていた最大の理由は、Numbers研究会の
先輩たちや顧問教授の話を聞いて、大学の研究室には僕と同じような
タイプの人間が多くいることを知ったからだった。他人の気持ちや
場の空気などを気にせず、偏愛する物事の研究に、深く専門的に
没入する人たちが集まる場所---。」

「好きなのは、あくまでも数字だけである。そういう人間は、
とても理科系とは呼べないだろう。
 実は、Numbers研究会の先輩たちにも同じタイプが多かった。
物理や化学を専攻する人はなぜかごく少数で、数学、経済学、哲学、
心理学、文化人類学などを学ぶ人が多数派だったし、僕とも気が合った。」

「次第に「大学の研究室こそが、俺のような人間にとっては理想的な
職場ではないか」と思えてきた。」

=== ここまで読めば、確かにそうだよなと私も思ったん
    ですが、学問の世界はそんなもんじゃないようです。

「僕は自分の途方もない甘さを、ある授業によってきっちり
思い知らされることになった。」

「おい奥村、後期にめっちゃおもろい数学の授業があるんや。
たぶんうちの大学の数学の教員で、あれ以上の授業をやれる
もんはおらんぞ。俺はちょうど1年前に取ったんやけど、
お前も取った方がいいと思う。まあ、お前が授業についていけるか
どうかは、俺にはわからんけどな」

「A助教授は大学院生のとき、斬新な発想で数学の未解決問題を解き
世界に名を轟かせたという。ほとんどの受講者は、第一にその
実績のすごさに惹かれて授業を取ったそうだが、僕にとっては
それと同じくらい「鉄道旅行好き」「遅刻嫌い」が重要だった。」

「このときも僕は、授業の冒頭のA助教授の奇妙なしぐさから、
強烈な「同種の人間だけが発する雰囲気」を受け止めていたのである。」

「そう言われて改めて見ると、確かにA助教授は落ち着かない様子で、
しきりとシャツの肘の部分で顔の汗を拭き、下を向いたまま何やら
独り言を言いつつ、持ってきた教材をいじっている。どうやら、
教材を机の縁と平行に並べることができず、イライラしているようだった。」

「僕は「結構難しそうだな」と思いつつ、今まで記憶にプリントして
きたさまざまな解法を引っ張り出し、それらを組み合わせて、正解
を考えていった。僕は数学の問題を解くとき、いつもその方法を
駆使していた。A教授が出した5問についても、しばらく集中して
考えていると、脳内のメモリーから呼び起こしたいくつかの解法の
コンビネーションで、どれも解ける見込みが立った。」

「A助教授は思わぬ行動に出た。出題した5問それぞれの下に、再び猛
スピードで解答を書き始めたのだ。どれも、教科書が教える解法を
組み合わせた模範解答であり、しかも、僕がつい今しがた考えついた
ものとほぼ同じだった。」

「「すべての問題を、今、私が書いたものとは別の解法で解いてください
ここに書いたのは、教科書に載っているやり方を組み合わせただけの、
バカでも思いつく解法です。私が君たちに求めるのは、これとは別の
解法を考えることです。
 いいですか。他の人と同じ解法で問題を解いても、数学の研究には
何の意味もありません

「黒板に書いたもの以外の方法で3問以上正解したら、今日の授業に
出席したと認めます。2問以下だったら、欠席にします!」

=== こりゃあ、もう、まさに天才の世界ですね。
    その場で、新しい数学の解き方を自分で作れってんですから。
    高校3年の数学で落ちこぼれた私には想像もできません。

「僕は一礼して再び助教授の顔を見ると、その視線は明らかに
こう語りかけていた。
「君がそういうことをしたいのなら、勝手にすればいいさ。でも、
君には才能がないし、そんな卑怯な手段を使ったところで、
才能が芽生えるわけでもないんだよ」」

「こんな話を聞くたびに、僕は震え上がった。数学の才能がない
(正確に言うと、「数学ではバカ」な)だけでなく、一般社会
より閉鎖的で面倒くさそうな人間関係
の中を渡っていかねばならない。
これは、二重の意味で、「お前に研究者は無理だ」と宣告されて
いるのと同じことではないか。」

=== ここで思い出したのが「国語学者 大野晋の生涯」です。
    大野氏は大学内どころか、国語学会や、果てはマスコミ
    までを敵に回して闘っていたんですねえ。
    学問の世界は恐ろしい。

    本来なら、学問は真実を求めて研究することなんだから
    どんな説を誰が提唱しようが自由な筈だと思うんですが
    例の小保方事件のような死者まででた件もありますしねえ。
    (私は小保方頑張れ派ですけど・・・)
    「それでも地球は廻っている」・・・

 

 

・・・ ここから「第17回」に突入です。

「お父さん、これ、英語で何ていうの? 英語の先生から
『お父さんかお母さんか、家族の誰かに聞いてきなさい』って
言われたんだ」

「さっそく「糊は英語で『ペイスト(paste)』というんだよ」と
教えてあげた。」

「僕が質問しているのは、糊のことじゃないよ。糊が入っている
『箱』
のことだよ!」

「息子は、糊が入ったプラスチックの箱の部分を指でコツコツと
苛立たしげに何度も叩くと、詰問口調でこう問い糾してきた。」

おそらく先生は、糊が入ったプラスチックの箱を児童たちに見せて、
「これを英語で何と言うのか、家で聞いてきなさい」と指示したに
違いない。当然ながら、これは、「糊を英語で何というのか、
家で聞いてきなさい」の意味である。」

「「もし糊のことを言いたいんだったら、先生は蓋を開けて中の
糊を指さしたり、糊をすくい上げたりして説明したはずだよ。
そうしないで箱を見せたんだから、やっぱり箱のことだよ。
ねえ、この箱、英語で何ていうの!?」
 という具合に、妙な論理(?)を並べ立てて譲らないのだ。」

「妻が、ポツリと言った。
「小学生の今なら、あんなことを言っても可愛いけれど、
大人になっても同じことを言っていたら、本当に大変よね」」

=== なるほど・・・「妙な論理」ですね。
    しかし、厳密に考えると それなりに納得して
    しまいそうな・・・・
    日本語を入門者に教える時に、「こ・そ・あ・ど
    は、丁寧に教えなくちゃいけないんですが、
    「これ、それ、あれ」の範囲がどこまでなのかは
    本人の位置と指し示されるものとの関係で動きます
    から、確かに曖昧なところはありますもんね。

「医師によれば、僕が仕事中に声をかけられるのを嫌がる理由は、
他にもあるらしい。ASDを持つ人間は、予定を変更されると感情が
激しく波立つだけでなく、「同時に2つのことを行うのが苦手」と
いう特徴もある。その点も大きく影響しているのではないか、
と医師は説明してくれた。」

「仕事をしているときに声をかけられたり、まったくの別件で
電話がかかってきたりすると、しばらくは何もできなくなってしまう。」

=== 「仕事中に声を掛けられる」「予定を変更される」
    「同時にふたつのことをする」
    これは 私も基本的に嫌いでした。
    (現役時代の話ですけど・・・)

    ちなみに、私の現役時代は、告白しますと、
    会社の携帯電話を持たされるのが大嫌いでして、
    だいたいいつも電源を切っていました。
    (どうもスビバセンね・・・笑)

「教官が黒板に10個の英文を書き、「では、ここに書いた英文
訳してください」と言った。」

「先生は『ここに書いた英文を訳してください』とおっしゃったとき、
上から4番目の文章を指さしていたんです。だから僕は、4番目の
英文を訳しました。先生は、それ以外の文章を訳せとはおっしゃら
なかったじゃないですか」

「絶句した教官は、そのまま何も言わずに教壇に戻った。おそらく、
腹を立てるのを通り越して、「こんなにエキセントリックで、
まともなコミュニケーション力もない学生とは話しても意味がない」
と考えたのだろう。」

「教師が黒板を指さして「ここに注意しなさい」と言うたびに、
高校時代の僕は「先生の指先に注意を集中させなければならない」
と思い込むのだった。その結果、チョークを持ったり、ペンを
持ったり、首筋を掻いたりする先生の指先をじろじろと視線で
追ってしまうのが常だった。」

「教官の言葉の受け取り方に関して、Yと僕に違いはなかった。
大きな差は、僕が「自分は嫌われやすい人間である」と知って
いた点だ。だから、常に周囲と同じように話し、同じように振る
舞わなければならないと、自分を省みて細心のチェックを怠ら
なかった。Yには、その自覚と注意がまるで欠けていた。」

=== 上記の「これ、それ、あれ」もそうですが、
    ここの「ここ、そこ、あそこ」の事例も
    内容的には アスペな人たちの「これ」や「ここ」の
    範囲が狭いという特徴があるようですね。

    それと、「思い込み」。
    私自身もかなり思い込みが強い方かもしれません。
    最近は歳のせいか、かなり学習したように思います。

         もっと歳をとったら、思い込みがまた強くなるのかなあ・・・
    
    もしかしたら、世の中のいわゆる「クレーマー」と
    呼ばれる人たちの中には、自分の思い込みから
    抜け出せない人というのが多いのかもしれないですね。

    インターネットやSNSなんかで、
    特に政治的な話になったときに、非常に強い主義
    主張を持っている人が書いたものを見ることが
    ありますが、私は常々「良くまあ、ブレずに
    自信を持って主張ができるものだ」と感心します。
    私なんかは、ふにゃふにゃですからねえ。
    政治的な話ってのは、その事柄について、余程の
    根拠になる事実を直接知らなかったら自信を持って
    言うことなんて出来ないよ・・・ってのが私の
    気持ちなんで。
    正に「空気を読む」ことぐらいしか現実には出来ない
    ですもんねえ・・・ああ、ヤダヤダ。

・・・・・

では、次回は その13 になります。

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