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2017年4月 9日 (日)

バギオの神社?散歩: 気象観測所、最高裁、コンベンション・センター、フィリピン大学、公園、博物館

最近かなり運動不足なんで、以前から噂に聞いていた 第二次世界大戦中にバギオ市に日本の神社があったって場所を探しに、散歩に行きまして。

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PAGASAというのは Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration の略号で、日本で言うなら気象庁なんです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E5%A4%A7%E6%B0%97%E5%9C%B0%E7%90%83%E7%89%A9%E7%90%86%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%B1%80

設立年月日は 1972年だそうです。

・・・

・・・で、なんでここに来たかって言うと、実は バギオ・コンベンション・センターの裏山にこんな話があるんです。

http://janl.exblog.jp/10965319/

p339
分院の裏には五〇米足らずの丘があった。 山の頂上から見渡す、バギオの町は美しく、ボルハンパーク(注:バーンハムパーク)、セッション通り、ハリソン通り、市役所が一望に見える。 この裏山には既に拡大な地下防空壕が構築されていた。

此の山上に神社の建設が開始されていた。 ・・・軽症患者の中より、大工、宮大工、製材者が選び出された。 
(略)
社殿、石垣、柵、表参道、裏参道、一の鳥居から三の鳥居まで建設され、流石の難工事も、昭和十九年三月八日完成した。 同日未明バギオ地区司令官荒木少将列席のもとに鎮座祭が施行された。

当時の模様をマニラ日系新聞は・・・・(略)
バギオ陸軍病院(注勿論兵站病院のこと)の白衣の勇士たちが勤労奉仕によって造営した「神明神社」は・・・・(略)・・・
バギオ市内の邦人も参詣し、勇士達の相撲や演芸なども奉納された。

p340
当時バギオ市及びその周辺には多数の邦人が居った。 市内では大商店を経営し、 トリヌダッドには多数の農業経営者が住んでいた。 日本人学校、日本人墓地はあっても、神社はなかった。

=== 上の記事の中で、「分院」というのは、今のバギオ・コンベンション・センターの場所には、戦前に ガバメント・センターと呼ばれたフィリピン政府機関の建物が集まっていて、戦時中には 日本軍の病院がそこを接収していたんです。 それで「分院」と呼ばれたわけです。

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これは、1910年に撮影された ガバメント・センターなんですが、

向こう側にバーンハム公園やバギオ市役所があって、写真の手前側が

「裏山」という方角になるんです。

で、現在のPAGASAは、この写真でいうと、手前の右の方向にあります。

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・・・で、そのPAGASAの入口に戻りますと、ご覧のように長い坂道が続いています。

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まっすぐ登った頂上に 気象観測の測候所の建物がありました。

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いくつかの機器類が設置されています。

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周りを眺めてみると、こちらの方角は、上記のガバメント・センターが前方右側にあったことになります。

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こちら側は、裏山のさらに裏側方向の眺め。

ここから下には民家があって、階段もあるようでした。

ここに神明神社があったとすると、こちら側が参道で、今の測候所の建物あたりに本殿があったのかもしれません。

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足元には かなり年代を感じさせるコンクリートが・・・・・

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では、PAGASAのゲートに戻り、昔のガバメント・センターの方角へ歩いてみましょう。

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道路の左側に、立派な建物があるんですが、ゲートの外側には何の表示もありません。

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ゲートから離れた建物の壁にある表示板を望遠で撮影すると、

1964年に建設が始まった最高裁判所の建物だと書いてあります。

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左に最高裁判所を見ながらまっすぐに進むと、右前方にバギオ・コンベンション・センターが見えてきます。

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コンベンション・センターの横には、大型バスが駐車していましたが、これは私が昔働いていた会社の シャトル・バスですね。

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振り返って最高裁の並びを見ると、立派なお屋敷みたいなのがあるんですが、その後ろには裏山と言えるほどの小山は見えません。

ってことは、やっぱり「別院の裏山」と書かれていた場所は、PAGASAの測候所がある場所じゃないかなと思うわけ。

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・・・さて、コンベンション・センターを抜けて、フィリピン大学バギオ校の方へ進みましょう。

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これがフィリピン大学のシンボルの像です。

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大学の入口を見ながら前進。

この辺りは、松林が多く残っています。

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フィリピン大学の正門に向かって右隣りにあるのが、この公園。

サンシャイン・パークと呼ばれています。

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ひまわりは、バギオのシンボルみたいな花になっているようです。

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おそらく、フィリピンの中でも、こういう温帯系の花が見られるのは、標高1500メートル前後のバギオ市ならではなんでしょうね。

それを代表するのが 2月のフラワー・フェスティバルです。

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モンシロチョウみたいなのもよく見かけるんで、松林と相まって、日本にいるような気持ちにさえなる町ですね。

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・・・かと思うと、南国らしく、こんな花もあります。

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この公園には、こんなステージもありまして、ここでは、よく近くの大学生と思しき若者たちがダンスの練習をしています。

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公園のステージの横を出ると、こんな看板がありまして。

右前方に見える建物は、 コーディリエラ大学の校舎です。

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左角を廻ると、バギオ博物館

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実は、今日の散歩のふたつめの目的は、この絵画展だったんです。

この写真のアーティストは、日比友好月間イベントの美術制作を過去6年間に渡って担ってくれた Vince Nabarro君

ビンス君はフィリピン大学在住時代から、七夕祭なんかを手伝ってくれたんですが、昨年2016年に、アメリカの財団から招聘され、武者修行を目前にして、突然の病に倒れてしまったんです。

その彼の作品を、大学時代の仲間たちが、追悼展として開催しているわけ。

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バギオ博物館の4階。 8月一杯開催中みたいです。

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RETROSPECTIVEってのは 回顧展という意味のようです。

ビンス君への追悼文・・・ですね。

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フィリピン大学の美術学部の教授らしき人が 何やら解説をしていました。

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彼が最後にやっていた作品は、コーヒー豆を煮出した後のガラを使ったユニークなものでしたが、どうも売れてしまったようで、ここには展示されていませんでした。

Baguio Beans という回顧展のタイトルは、コーヒー豆のことを言っているのかも。

個人のコレクションとなっている作品もいくつか展示されていました。

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バギオ博物館の1階では、別の若いアーティスト達のグループ展がほぼ同時にオープンしていました。

ちょっと覗いてみましょう。

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私は、美術が分かるというレベルの人間じゃないんですが、観るのは割と好きな方で、特に若いアーティストの面白い作品に出会うのがいいですね。

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多くの若いアーティスト達が 成功してくれるといいなあ~~と思いつつ、お金はありません。 悪しからず。

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仮に買ったとしても、飾る部屋もありません。

重ねがさね悪しからず・・・・

・・・・・

なんで、最近 「散歩」をことさらやっているかって言うと

最近とみに体力の低下をひしひしと感じておりまして、

4月17日から日本語教室が始まるもんで、

ヤバイなって思ってんです。

「散歩」はタダだしね。

写真を撮って歩いていれば、苦痛にはならないし・・・・・

昔っから、身体の為だけ、健康の為だけにことさら運動をするってのが嫌いなタチで、

なんか理由がないと身体を動かさないという意固地な、天邪鬼なんです。

・・・ああ、厄介だな。

 

 

 

    

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