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2017年5月11日 (木)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ - 102  ホセ・リサール と プロパガンダ運動

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

 

Img_2755

 

「第17章 ポロパガンダ運動とカティプナン」

p221

「プロパガンダ運動が願った改革」

 

プロパガンダ運動は革命的でもなく、又治安を乱すようなものでも 

なかった。 その運動を率いた者たちはスペインに忠実であった;

彼らは単に改革を望んだだけで、独立を求めたわけではなかった。

彼らが求めた改革とは以下のようなものであった;

1.法の下にフィリピン人とスペイン人が平等であること。

2.スペインの正規のいち地方としてのフィリピンの融合。

3.スペイン議会でのフィリピン代議員の復帰。

4.フィリピン教区教会のフィリピン化と修道士の排除。

5.言論の自由、出版の自由、苦情への補償について集まり

陳情をする自由などの、フィリピン人の人権。

 

p222

「プロパガンディスト(運動員)」

プロパガンディストは良家の子弟たちであり、高い教養があり、

教育を受け、愛国的で、そして勇敢であった。 彼らは

フィリピンの成人男性の精華のシンボルであった。

これらのプロパガンディストの中でも、偉大な一人は

ブラカンの マルセロ・H・デル・ピラールで、彼は

法律家でありジャーナリストでもあり、雄弁なタガログと

修道士の虐待に対して恐れずに貧乏人を守ったことで、

多くの人々に愛されていた。

その他のフィリピン人プロパガンディストで言及すべきは、

医師―小説家で多くの輝きをもつ天才 ホセ・リサール

プロパガンダ運動の最高の演説家 グラシアノ・ロペス・ 

ジャエナ; 医学生で伝記作家の マリアノ・ポンセ

・・・・

 

「プロパガンダ運動の海外の友人たち」 

フィリピン人プロパガンディストたちは改革の為のキャンペーンを

自分たちだけでやったわけではなかった。 彼らは自由と正義を

愛する海外の人々にも支えられていた。 その中の一番は、

オーストリア人教授、学者、そしてリサール博士の友人であった

フェルディナンド・ブルメントリットだった。

彼はリサールの二つの小説(ノリとフィリ)を称賛し、Morga

Sucesos de las Islas Filipinas(1890年パリ)の リサールの

注釈版に「序章」を書いた

 

=== さて、上記のMorgaについての関連記事はこちらです。 

Antonio de Morga

https://en.wikipedia.org/wiki/Antonio_de_Morga

He was also a historian. After being reassigned to Mexico, he published

the book Sucesos de las islas Filipinas in 1609, considered one of the most

important works on the early history of the Spanish colonization of the Philippines.

このモルガが書いたフィリピンに関する歴史書に

ホセ・リサールが注釈版を出したようです。

このシリーズの36号でこのように書かれていました:

36 フィリピン植民地は赤字経営だった」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2014/06/36-95aa.html 

多くのスペイン人の著者とは異なり、Morgaは偏見無しに書いています.
フィリピンの最大の英雄であり学者であったホセ・リサール博士は、
Morga
の本に感銘を受け、1890年にパリで、彼自身が注釈を
 
付けて、その本を再出版しているのです.

=== おお、素晴らしい. そんな本があったんですね.
    このホセ・リサールによる注釈というのがここにありました:

    「http://joserizal.info/Writings/Other/morga.htm

    その元になった、Morgaの本の英語版はここにありそうです:    「http://www.gutenberg.org/ebooks/7001?msg=welcome_stranger

 

=== しかし、上記の「偏見無しに」というのは やや疑問も

    あるようで、インターネットで検索してみると

    「偏見や間違いがあったから リサールが注釈版を書いた」

    と観る向きもあるようです。

 

Rizal's annotation of Sucesos De Las Islas Filipinas by Princess Siasit ...

https://prezi.com/.../rizals-annotation-of-sucesos-de-las-islas-filipina...

2013/09/26 - Spanish conquistador, gov't official, and historical anthropologist; author of Sucesos De Las Islas Filipinas ... Modern historians (including Rizal) have noted that Morga has a definite bias and would often distort facts or even ...

=== 原典を読めばわかるんでしょうけど、私に能力はありません。
あしからず・・・
フィリピン人の歴史の教授に聞いてみることにしましょう。

p223

「1888年の 反―修道士・宣言」 

1888年3月1日に、マニラは騒々しい出来事で封鎖された。

これは数百人のフィリピン人愛国者たちによる反修道士のデモで、

マニラの愛国的法律家であった ドロテオ・コルテスによって

率いられたもので、背後には M.H.デル・ピラールと、ロンドンで

教育を受けた裕福な商人でありフリーメーソンの指導者である

ホセ・A・ラモスがいた。

・・・・

この「1888年の反修道士宣言」は、反フィリピン人大司教の

ペドロ・パヨと悪徳修道士を非難し、運動への干渉、清貧への

修道士の誓いに反する彼ら自身の蓄財、フィリピン人への

スペイン語教育への反対、そしてフィリピンを反啓蒙主義に

維持しようとすることを告発した。

このデモは、フィリピンから修道士たちを追放することを

求めた。

この1888年の反修道士のデモと宣言の結果として、

権力を持つ修道士たちは宣言の指導者や歌手たちを迫害によって

報復し、彼らを逮捕させ、牢獄に放りこませた。

幸いにも、スペイン女王Regentは、1889年に愛国的デモ

参加者たちの恩赦を発令した。

 

=== 実に国際的なプロパガンダ運動ですねえ。

    もちろんスペインの植民地政策にたいする

    改革運動ですから、国際的にならざるを得ないの

    ですが、日本史で学ぶ日本国内の様々な出来事

    とはかなり雰囲気が違いますね。

 

・・・では、次回 シリーズ 103号を 宜しくお願いします・・・ 

 

 

 

 

 

 

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