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2017年5月12日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 103 フィリピン文学の開花とリサールの風刺演劇

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

「第17章 ポロパガンダ運動とカティプナン」

 

Img_3312

p223

 

La solidaridad、プロパガンダ運動の組織」

 

プロパガンダの目的を宣伝するマス・メディアの重要性を認識し、

グラシアノ・ロペス・ジャエナは 隔週発刊の新聞 

La Solidaridadを、バルセロナで、1889年2月15日

設立した。

この日の創刊号で、ジャエナは大胆にも、彼の社説で

La Solidaridadの目的を以下のように宣言した:

(1)フィリピンの惨めな状況を鮮やかに描く、

(2)政治的及び社会的改革を平和的に行なう、

(3)中世的及び反動的な悪の力と闘う、

(4)自由主義の考えと発展を主唱する、

(5)民主主義と幸福の為のフィリピン人の合法的な願望を

擁護する。

 

p224

La Solidaridadは2月15日から1889年10月31日まで

バルセロナで印刷され、その後、マドリードに移って、

1889年11月15日から1895年11月15日に最後の

発行をするまで印刷された。1889年12月15日に、

M.H.デル・ピラールがジャエナに代わり、編集者となった。

そして、7年間存続して、1895年11月15日に

La Solidaridadが活動停止するまで続いた。

 

La Solidaridadへの貢献者は主にフィリピン人で、

以下の人々であった。

M.H.デル・ピラール、ホセ・リサール博士、マリアノ・ポンセ

・・・(以下多くの人の名前を列挙)

 

La Solidaridadの最終号(1895年11月15日)で、

M.H.デル・ピラールは彼の別れを告げる社説で、

「我々は確信しています。 何の犠牲も無いということでは、

 奴隷制度で抑圧された国に権利と自由を勝ち取ることは

 ほとんど出来ないということを。」と書き記しました。

 

=== おそらく、ここでは、敗北宣言ということに

    なるのでしょうか。

    それが、その後の改革から革命、平和的運動から

武力闘争に変化するってことですかね?

 

ところで、これは半分冗談ですけど、

ある事業に貢献した人たちの名前をたくさん

列挙するというのは、こういう教科書にも

その伝統が表れているんでしょうかねえ。

いろんなイベントやらに参加すると、

そのイベントに協力した偉い人たちがいちいち

紹介されるというのが、フィリピン・スタイル

なんですよねえ。

それも、一回ならいいんだけど、スピーチを

する人たちが同じことを言うんだよねえ。

日本のスピーチは簡略で、長々とやると

嫌われますけどね。

 

 

p224

「プロパガンダ運動の文学」

 

政治的精神ではあったが、プロパガンダ運動は、フィリピン文学

の開花に貢献した一定の賞賛すべき文学作品を産み出した。

それは最初のフィリピン小説 Ninayを産み出し、それは

法学博士であり文筆家のペドロ・A・パテルノ博士によって、

1885年にマドリードで出版された。

・・・・

 

=== この小説については、以下のサイトで詳細を

    ご覧ください:

Nínay

https://en.wikipedia.org/wiki/N%C3%ADnay

 

Nínay is the first novel authored by a native Filipino. Originally written

in the Spanish language by Pedro Alejandro Paterno when he was

twenty-three years old and while living in Spain in 1885, the novel was

 later translated into English in 1907 and into Tagalog in 1908.

 

・・・ここにあるように、フィリピン小説とはいいながら、

最初は1885年にスペイン語、1907年に英語、

そして、1908年にタガログ語に翻訳されているんですね。

 

・・・で、どんな小説なのかっていうと:

 

The novel explores the life and love story of the female protagonist

named Ninay, a heartbroken young woman who died of cholera.

Her heartbreak was due to her separation from her lover Carlos

Mabagsic. Ninay's misfortune became harder to bear because of the

 loss of her parents.

 

小説のタイトルは主人公の女性の名前なんですね。

そのニナイの、人生と愛の物語だそうです。

失恋をして、両親を亡くして、コレラで死んじゃうんですね。

悲しいですね。

 

 

p224

グレゴリオ・サンシアンゴは、エコノミストで法学博士でも

あったのですが、El Progreso de Filipinas(マドリード、1881年)

という本と、フィリピンの植民地経済と政治の学術論文を著した。

M.H.デル・ピラールは、法律家でジャーナリストですが、

政治的なパンフレット著者として優れていました。

・・・・・

 

 

p225

リサール博士は、もちろんプロパガンダ運動の最高の著作者でした。

彼の有名な小説(Noli Me Tangere と El Filibusterismo)に加えて、

文学的価値のある多くのエッセーや詩を著しました。

彼はまた恐るべき論客で、中傷者への皮肉な返事で明らかでした。

その中傷というのは、とりわけ La Vision del Frey Rodrigues

(1889年)で、その中で、ホセ・ロドリゲス修道士という

ノリメタンヘレを攻撃した最初の修道士の愚かさと無能さを暴露し;

そして Por Telefono(1891年)で、ノリメタンヘレを

禁止しようと検閲委員会の報告書を書いた サルバドール修道士を

風刺したのでした。

 

 

=== この著書については、こちらにサイトがあります:

下のサイトでは Frayとありますが、教科書には Freyとなって

いますね。

下のサイトの英文には The Vision of Friar Rodriguez となって

いますので、 FreyFray=Friar=修道士と考えられます。

 

La Vision de Fray Rodriguez

http://en.wikipilipinas.org/index.php/La_Vision_de_Fray_Rodriguez

La Vision del Fray Rodriguez (The Vision of Friar Rodriguez) is a satire
written by Philippine national hero, Jose Rizal, pictures a conversation
between Saint Augustine and the Augustinian priest Friar Jose Rodriguez.

To counter the effects of “Noli Me Tangere,” especially those from
Fr. Jose Rodriguez, Jose Rizal wrote “La Vision del Fray Rodriguez”
(The Vision of Fr. Rodriguez) through a small pamphlet. He used his
pen name Dimas Alang (Cannot be Touched) and made it as a satire
with a simple plot.

Por Telefono

http://en.wikipilipinas.org/index.php/Por_Telefono

Por Telepono or By Phone is a play written by Philippine national hero,
 Jose Rizal. It discusses social issues and plans for the Philippines
by two Friars.
It was published in 1889 as a reply to a friar named Fr. Salvador Font
in connection to his discrimination about Noli Me Tangere and for
initiating the banning of Noli in the fall of 1889. The first pamphlet was
printed in Barcelona under the authorship of Dimas Alang.
Por Telefono is a satirical comedy about Father Font, who was
at Madrid speaking with a provincial priest in San Agustin Monastery
using a telephone line that is spear-headed by The Trans-Oceanic
Telephone Co.

=== これは、ホセ・リサールが Dimas Alangという名前で書いた
風刺コメディーの演劇のようですね。

 

・・・・ 次回 シリーズ 104号には フリーメースンが登場です。・・・

 

 

 

 

 

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