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2017年5月12日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 104  フリーメーソンとホセ・リサール One Like All

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

 

 

「第17章 ポロパガンダ運動とカティプナン」

 

 

=== さあ、フリーメーソン(あるいはフリーメースン)が出て来ました。

    私のイメージは、秘密結社、世界的、陰謀論・・程度なんですが、

    フィリピンのバギオ市に来たら、フリーメーソンの看板が

    掛かった建物があって、おおっぴらだったんで驚きました。

    ちなみに、私にフィリピンの歴史を教えてくれている

    元大学教授もフリーメーソンだそうです。

    全然秘密でもなんでもありません。

 

フリーメイソン

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3

フリーメイソン: Freemasonry)は、16世紀後半から17世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛結社
現在多様な形で全世界に存在し、その会員数は600万人を超え、うち15万人はスコットランド・グランドロッジならびにアイルランド・グランドロッジの管区下に、25万人は英連邦グランドロッジに、200万人は米国のグランドロッジに所属している。

なお本項目は「フリーメイソン」と表記しているが、日本グランド・ロッジは「フリーメイスン」と表記している。

===それでは、さっそく本題にはいりましょう。

Img_2755


 

p225

 

「フリーメーソンとプロパガンダ運動」

 

フリーメイソンはプロパガンダ運動で著しい役割を演じた。

多くのフィリピン人愛国者がフリーメーソンになった。

その中には マルセロ・H.デル・ピラール、G. ロペス・ジャエナ、

 

リサール、ポンセ、等がいた。 なぜなら、彼らは

改革の為に戦う上で、スペインやその他の海外のフリーメーソンの

助けが必要だったからである。

 

最初のフィリピン人フリーメーソン・ロッジrevolucionと呼ばれた、

はロペス・ジャエナによってバルセロナに設立され、1889年

4月に ドン・ミゲール・モライタが率いる グランデ・オリエンタル・

エスパノールによって認められた。

残念なことに、この最初のフィリピン人フリーメーソン・ロッジは

長くは続かなかった。

それは、1889年11月29日に尊敬すべきマスターの地位から

ロペス・ジャエナが退いた後に消滅した。

 

翌月、M.H.デル・ピラールは、ジュリオ・ロランテの助けを得て、

マドリードに ロッジ・ソリダリダッドを組織した。

・・・・やがて、ロッジ・ソリダリダッドは成功し、

他のフィリピン人たちも参加した。 そこには、リサール博士、

 

ペドロ・セラノ、バルドメロ・ロハス、ガリカノ・アパシブルなど

がいた。

スペインとフィリピンの全てのフィリピン人フリーメーソン・ロッジ

はプロパガンダの拠点となった。 彼らはスペインでの

改革のキャンペーンを支える必要資金を調達した。

 

=== このフリーメーソンですけど、日本ではかなり

    秘密結社で、陰謀がらみの話が多いようですけど、

    幕末ごろに日本でもフリーメーソンが関与して

    いたんじゃないかという話もあるみたいですね。

    確かに、誰が黒幕になって、資金を提供していたのか

    という点では気になるところです。

 

ちなみに、こんな本も出版されているんですねえ。

龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン (祥伝社文庫) 文庫」

https://www.amazon.co.jp/%E9%BE%8D%E9%A6%AC%E3%81%AE%E9%BB%92%E5%B9%95-%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%A8%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E8%AB%9C%E5%A0%B1%E9%83%A8%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3-%E7%A5%A5%E4%BC%9D%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8A%A0%E6%B2%BB-%E5%B0%86%E4%B8%80/dp/4396335067

 

 

 

p226

「ヒスパノ-フィリピナ協会」

 

フィリピン人のプロパガンディスト及びスペインの協力者たちは

フィリピンの改革を確実にするために 1889年1月12日に

マドリードで ヒスパノ-フィリピナ協会を組織した。

・・・・

 

 

p226

「リガ・フィリピナ」

香港に住んでいる間に、リサールはフィリピン人によって構成

される市民団体を設立するアイデアを考え出した。

彼はそれを リガ・フィリピナ(フィリピン・リーグ)と呼んだ。

・・・・

 

 

1892年7月3日の夜、リサールは リガ・フィリピナ

(フィリピン・リーグ)をトンドのイラヤ通りにある家で

 

設立した。 その規約によれば、リーグの目的は次の

ようなものである:

 

1. 諸島をコンパクトで、強健な、均一な体制に統合する。

2. 緊急の必要があるいかなる場合にでも相互に助け合う。

3. すべての暴力や不正義に対して防戦する。

4. 教育、農業、商業の推進。

5. 改革の為の学習と実践。

 

 

このフィリピン・リーグのモットーは  Unus Instar Omnium

 

One Like Allであった。

その役員は以下の通り:

代表 アンブロシオ・サルバドール、

財務 オーガスティン・デ・ラ・ロサ

・・・・

(ここで、fiscalを財務と書いたんですが、スペイン語だと弁護士の

 意味があるようです。 財務のteasurerは別の人がいるので

 職務の内容が団体内部の規律を保つための役職のよう

 なので弁護士というか監査役のようなものかもしれません。)

 

 

 

p227

会員の中には次の名前があった、

アンドレス・ボニファシオ、アポリナリオ・マビニ

・・・・・・

 

リーグ・フィリピンはフィリピン人の市民団体であった。

その規約には、フィリピン全土の為の最高裁判所の設立

各州ごとの州議会、そして町ごとの民政議会

規定されていた。 ・・・・・

 

しかし、リーグの設立後3日で、リサールは逮捕された。

1892年7月14日、リサールは ミンダナオの

ダピタンに流刑となり、1896年まで刑に処された。

 

 

=== モットーの「One Like Allってのはどういう意味

    なんでしょうね。

    「一人はみんなの為に」ぐらいの意味になるん

    ですかね???

    「一人がみんなのように」???

 

リガ・フィリピナについては、こんなサイトがありました:

Today in Philippine history, July 3, 1892, Dr. Jose Rizal founded the La Liga Filipina

https://kahimyang.com/kauswagan/articles/735/today-in-philippine-history-july-3-1892-dr-jose-rizal-founded-the-la-liga-filipina

 

 

こちらのサイトでは、英語でのモットーが

http://worldfactsandknowledge.expertscolumn.com/article/filipino-reformist-movement-called-la-liga-filipina

 

The motto of La Liga Filipina is “Unus instar omnium” or “one like the others”.

 

One Like All ではなくて、 One Like The Others になっています。

しかし、その意味の解説は残念ながらありません。

 

こちらのサイトには以下のような文面があります:

https://www.pressreader.com/philippines/manila-bulletin/20160704/281878707690955

 

La Liga Filipina whose motto was Unas Instar Omnium – “One Like All”

- Involved  the people directly in the reform movement, through mutual

Aid, self-help, and setting up of cooperatives.

 

これが団体の趣旨に近いとするならば、改革運動に直接的に

人々を関与させる、そして、相互に助け合う・・・ということの

ようですので、「一人は皆のために」ぐらいの訳がいいかもしれません。

(自信はないですよ・・教えてください。)

 

=== この市民団体のメンバーの中に

    将来武力革命の立役者になるアンドレス・ボニファシオ

    入っていたんですね。

 http://ph-inside.com/site/hero/profile/07.htm

 

 

 

 

・・・では、次回は 「カティプナンの結成」を読みます・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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