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2017年5月12日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 105  暴力革命を目指すカティプナンとボニファシオ

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

 

 

「第17章 ポロパガンダ運動とカティプナン」

 

さあ、いよいよフィリピン革命の始まりです・・・

 

Img_2761

p227

「カテイプナンの結成」

アンドレス・ボニファシオは リガ・フィリピナのメンバーであったが、

Compromisariosには参加しなかった。 それは保守的な知識人

(マビニやアンブロシオ・リアンザレス・バウティスタのような)

や、裕福な商人(ドミンゴ・フランコのような)のグループであった。

そして、ボニファシオは、貧しくて、行動の人であり、過激

考え方をしていたからだった。

彼は、フィリピンの人々の幸福と福祉は、改革への平和的な請願

では達成できず、暴力革命によるしかないと確信していた。

 p228

1892年7月7日の夜、彼と数人の、彼と同様に過激な愛国的な

友人が、・・・秘密裏に集まった。

この秘密会合で、彼らは秘密の革命共同体を結成した。

これは 

Kataastaasan Kagatanggalangang Katipunan ng mga Anak ng Bayan 

(Highest and Respected Soiety of the Sons of the People)  

(人々の息子たちの最高にして尊敬さるべき共同体)と呼ばれた。

あるいは、 K.K.K. 又は 簡潔に カティプナンとして知られている。 

K.K.K.の目的は、 

(1) フィリピン人を団結させる、 

(2) フィリピン独立の為に戦う

であった。

カティプナンの出現はフィリピンの歴史において顕著なものであった。

第一に、それは改革の為の平和的なキャンペーンの終焉であり、

武力革命運動の幕開けであった。

そして、第二に、フィリピンの人々は、絶望の中にあって、

もはや単なる改革を望まず、完全な独立を熱望したのである。

 

「カティプナン政府」

単なる秘密の共同体を超えて、カティプナンはそれ自体で

政府であった。  それは二つの憲法を持った。

最初の憲法は1892年に広められ、二番目(最初の憲法の

置換え)は1894年に公布された。

カティプナンの中央政府は最高協議会の中に、代表、

法務、書記長、財務そして監査を置いた。

それぞれの州には、州議会を置き、町ごとに民政議会を

置いた。 

カティプナンの初代の代表は、デオダト・アレラノで、

彼はマルセロ・H.・デル・ピラールの義理の兄弟であり、

ボニファシオの友人でもあった。

・・・・

 

p230

「カティプナンの文学」

カティプナンの3人の著作者は、ボニファシオ、ジャシント、 

そしてピオ・ヴァレンズエラ博士であった。

彼らは人々の愛国心を盛り上げる為、愛国的精神を起こす為に

扇動的文学を書いた。

・・・・・・ 

エミリオ・ジャシントは、サント・トーマス大学の若い法学部の

学生で、一番若く(19歳)そして最も知的であり、

最高の作家でもあった。

彼は、ボニファシオへの助言者となり、カティプナンの文書の

ほとんどを作成し、これによって、「カティプナンの頭脳」と

して知られるようになった。・・・・

ヴァレンズエラ博士はボニファシオやジャシントを助けて

KalayaanLiberty 自由)というカティプナンの新聞

編集した。

・・・・・

「 「Kalayaan(自由)」、カティプナンの機関誌」

1894年、カティプナンは、ビサヤ地方の愛国的フィリピン人

二人からの寛大な寄付金で、古い手動印刷機を購入した。

・・・この二人はオーストラリアで数年働き、その国で

福引の賞金を獲得したのだった。

・・・

 

印刷機の存在は極秘とされた。

ジャシントの監督の下で、二人の印刷者、ファウスティノ・ドゥクゥ

とウルピナオ・フェルナンデスは、カティプナンの機関誌である

Kalayaanを印刷した。

この革命的新聞は社会の理想を広めるために、ジャシントによって

創設された。 創刊号は1896年1月に出来上がった。

スペイン当局の眼を欺くために、発行人欄を偽り、編集者は

マルセロ・H.・デル・ピラールとし、横浜で印刷された

ことにしていた。

 

p231

「フィリピン独立の産声」

1895年の聖週間に、ボニファシオとKatipunerosの一団は

Montalbanの山々を偵察し、秘密会議を開く為の良い隠れ家を

探した。・・・・・

=== Katipunerosの意味は、こちらです:

Katipuneros

http://en.wikipilipinas.org/index.php/Katipuneros

List of Notable Katipuneros

これから判断するに、カティプナンのメンバーのことを

カティプネロスと呼ぶようです。 

1895年4月10日、ボニファシオと彼の仲間は

Bernardo Carpioの洞窟に入り、そこで秘密会議を開いた。

その会議の後、アウレリオ・トレンティノが炭の一片を

拾って、洞窟の壁にスペイン語でViva  la  Independencia Filipina!

(フィリピン独立万歳?)と書いた。

これがフィリピンの歴史に於ける フィリピン独立の産声であった。

 

==== さあ、いよいよフィリピン革命に向けての

     産声があがり、これから革命に向けて動きだします。 

・・・・ 次回 シリーズ 106号では 日本との関係も出てきます・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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