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2017年5月13日 (土)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 106  革命前夜 ホセ・リサールとボニファシオ

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

 

 

「第17章 ポロパガンダ運動とカティプナン」

Img_2758


p231

「リサール博士とカティプナン」 

1896年6月、ピオ・ヴァレンズエラ博士はボニファシオの特使

として、ダピタンに向け出航し、来るべき革命へのリサール博士の

支援を求めた。 スペイン当局の眼から本当の使命を隠すため、

彼はリサール博士の専門的サービスが必要な盲目の男を連れて

行った。ダピタンに到着するや、直ちに、彼は追放された英雄

に相談した。  

ヴァレンズエラによれば、彼の回顧録の中で、リサールは反乱を 

開始するカティプナンの計画に賛成しなかったとされる。

それは、人々は未だ準備が出来ていないとの理由だった。

また、リサールは、カティプナンが彼を救出するという計画にも

反対した。 リサールは、当局に対し、逃走しないと約束し、

その約束を守るとしたからであった。

ヴァレンズエラは、革命的な策略にリサールの支援を確保すると

いう使命に失敗し、マニラに戻った。 ボニファシオがその特使の

報告を聞いた時、かっと怒り、強い調子で言った:

「まったく!  リサールはどこを読んでいるんだ。  

革命の為にあなたが最初に船と武器を持つべきじゃないのか? 

どこを読んでいるんだ?」

(このボニファシオの怒りの言葉は、イマイチ翻訳の自信は

 ありません。)

 

「カティプナンと日本」

革命を計画中に、カティプナンはその眼を日本に注いでいた

その当時、日本は西欧からの圧迫に対抗してアジアの解放を

すべき見込みのある擁護者としてぼんやりと浮かび上がって

いたからである。

1896年5月、カティプナンの代表団が、ジャシントと

ボニファシオに率いられて、訪問中の日本海軍将校と日本領事

マニラのジャパニーズ・バザールで相談をした。

通訳は モリトリ・タガワで、ブラカン州ボカウエの

フィリピン人女性と結婚していた。

彼はヴァレンズエラの友人でもあった。

p232

通常の挨拶を交わした後、ジャシントは日本の天皇へのカティプナンの 

覚書を提出した。 その中で、「日本を照らす解放の光が、フィリピン 

の上にもその光線を及ぼすように」、企画された革命の中で、日本の

助力をフィリピン人は祈っていた。

 

それは、カティプナンが日本の助力と同盟を懇願する良い理由で

あった。 その国はフィリピン人に対してずっと友好的であった

スペインの圧政から逃げた多くのフィリピン人たちは、日本で

歓迎され、日本の法律の下で完全に保護された。 ボニファシオは

日本で武器弾薬を購入しようとしたが、資金不足で失敗した。 

=== さて、日本がかなり期待されていたようですが、

    残念ながら上手くいかなかったようです。 

ここで、その当時の日本はどういう時代であったのかを

ちょっと振り返ってみましょうか。

1896年ごろ・・・・

日本はイケイケで軍事力を増強していた時代だったんですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB#.E5.B9.B4.E8.A1.A8

 

1883年(明治16年) 陸軍大学校開設。鹿鳴館開館。

1888年(明治21年) 海軍大学校開設。

1889年(明治22年) 大日本帝国憲法発布

1895年(明治28年) 下関条約で日本が台湾・澎湖諸島

遼東半島を獲得

1902年(明治35年)日英同盟締結

1904年(明治37年)日ロ戦争―1905年

1905年(明治38年)日本海海戦 

一方、フィリピンの年表は:

http://pichori.net/Philippines/history/philipino_chronology.html

1892年、ホセ・リサール帰国。「フィリピン同盟」を結成。
同年、ホセ・リサール、ダピタン島へ流刑。
同年、独立革命をめざす秘密結社カティプーナン結成。

1896年、カティプーナン機関誌「カラヤーン(自由)」創刊号発行。
同年、日本海軍練習艦金剛マニラに入港、カティプーナン代表が支援要請。
同年、ホセ・リサールの流刑生活が終わり、スペインに到着。
    カティプナンの独立闘争が開始され逮捕。
同年、アンドレス・ボニファシオ、武装蜂起(バリンタワクの叫び)
同年、エミリオ・アギナルド、カビーテで武装蜂起。
同年、ホセ・リサール、ルネタ(Luneta)で銃殺。

1897年、 米西戦争勃発、米軍マニラ占領。
エミリオ・アギナルド
、カビーテでフィリピン独立を宣言。  

「カティプナン 戦争を準備」

1896年の中旬までに、カティプナンは自由の為のストライキを

準備していた。 そのメンバーは設立いらい増えて、1896年

までにおよそ20,000人に到達していたと見積もられた。 

戦争の計画もボニファシオとジャシントによって準備され、

カティプナンの軍事オペレーションの戦略とされた。 

「カティプナンの発覚」

カティプナンが革命の準備に忙しくしていたころ、その存在に

ついての様々な告発がスペイン当局に届いた。

・・・・

1896年8月19日に、カティプナンはついにスペイン当局に

よって発見された。

・・・・

警告をされた、特にボニファシオ、ジャシント、そしてその他の

者たちはなんとか逃げて隠れることができた。

 

=== さて、さて、ホセ・リサールさんは ボニファシオさんと

    意見が合いませんでした。

    バギオの地元の若い人に聞いたことがあるんですけど、

    最近の人はどうもボニファシオの方が偉かったと

    思っているようです。

    学校なんかで学ぶ本としては、やっぱりリサールさんの

    方が圧倒的だと思うんですが。

    私は随分前にホセ・リサールの有名な二冊の本を

    読んだ時には、「今のフィリピンにもホセ・リサールが

    5人ぐらい必要だな」と思ったものでした。

 

    それはともあれ、今の日本は 他の国から期待される

    ほどの力と技量がありますかねえ?? 

・・・では、次回は 「第18章 フィリピン革命」 に入ります・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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