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2017年5月14日 (日)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 107  ボニファシオの特攻隊と大虐殺

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

 

いよいよ フィリピン革命です・・・・

 

 

「第18章  フィリピン革命」

Img_3982_18

 

p234

フィリピン革命(1896-1898)は、自由に向かっての

フィリピンの人々の国民的闘争であった。 これはスペインに

対しての100以上の反乱の頂点となったが、部族反乱の全てが

部族民の反乱であり、失敗へと消滅していった。

 

 

フィリピン革命は1896年8月26日にバリンタワクの丘で

始まった。 それは、アンドレス・ボニファシオ司令官の下で

起こされたタガログ民衆のカティプナンの反乱としてであり、

この反乱は主に軍の機能不全によるボニファシオの引き続く

敗北によって失敗した。アギナルド将軍が軍の最高司令官

として彼にとって代わることによって、革命政府の設立

失敗したカティプナンのテジェロス会議での解体がなされ、

革命の動きは新たな推進力を得たのだった。

アギナルドの有能な指導力の下で、それはフィリピンの人々

(知識人、中間層、そして民衆)の自由の為の国民的革命と

なり、カウィットでフィリピンの独立を宣言し、マロロスに

於いて最初のフィリピン共和国を建国することとなった。

 

「バリンタワクの叫び」

1896年8月19日のカティプナンの非劇的発覚の後、

ボニファシオ、エミリオ・ジャシント、そして多くのマニラの

カティプナンのメンバーたちはスペインの法律の捜査網を

逃れなければならなくなり、カロオカンとその近隣の村に 

逃げ込んだ。 

・・・・・ 

会議は順調に開始された。・・・・・

メンバーたちの荒れ狂う論争に怒り、ボニファシオが怒鳴った

「兄弟たちよ! 君たちはスペイン人の手に落ちた我々の仲間

の非劇的な運命を分かっているな。 我々の運は尽きた。

我々は家に戻ることは出来ないんだ。 もしそうしたら、

逮捕されて処刑されるだろう。 今、我々は何をすればよいのか?」

p235

「闘うぞ!」、愛国者たちの多くが叫んだ

ボニファシオは演劇のように彼のセデュラ証明書(スペインの

臣下であることのシンボル)を取り出し、それを破り捨て、

そして叫んだ、「フィリピンよ永遠なれ!」。

彼に倣い、カテイプナンの仲間たちは、自身のセデュラ証明書を

破り捨て、気勢を挙げた。 

「革命の最初の銃撃」

1896年8月26日の朝、嵐のような会議の後、

ボニファシオとカティプナンのメンバーは、空腹で疲れていた・・・

・・・昼食の後・・・・市民警察が来るとの警告があった・・・

市民警察が近づいたので、愛国者たちは攻撃した。

彼らの武器は劣悪で、軍としての規律も不足しており、

敵のマウサーとレミントンの銃には及ばなかった

・・・このカティプナンのメンバーが革命の最初の犠牲者と

なった。

 

「サン・ファンの戦い」

・・・・それは嘆かわしいほどに不利な闘いであった ――

スペインの砲兵隊と近代的なライフルに対し、フィリピンの

ボロ刀、竹槍、魔よけ、そしていくつかの古い鉄砲があるだけ

だった。 戦術も戦略もなく、ボニファシオは 彼の兵隊たちを

雨あられの一斉砲撃とライフルの銃弾に対して、特攻させた。

 

=== 圧倒的な武器の差・・・刀と竹槍、それに魔よけ??

    第二次世界大戦の時のどこかの精神論の国の

    やり方と似ていますね。

    ボニファシオは自分の仲間たちを玉砕させてしまった。

    ホセ・リサールにはそれが見えていたのでしょうか。

 

p236

ボニファシオの苦境に留めを刺すべく、・・・マニラからのスペイン

増援部隊が到着し、・・・・この戦闘は大虐殺となった 

・・・ボニファシオは軍司令官には向いていなかったことを

証明してしまった。 しかし、彼は偉大な革命の組織者であり

勇敢な戦闘員であった。・・・・

全部を合わせると、ボニファシオは29の戦闘を闘い、全てに敗北した。

 

「ブランコ総督による戒厳令の宣言」

1898年8月30日の午後、サン・ファンで朝の戦闘があった

午後に、ブランコ総督はルソンの8州に戦争状態を宣言する

声明を発した。 - それは、マニラ、カビテ、ラグナ、バタンガス、

ブラカン、パンパンガ、ヌエバ・エシハ、そしてターラック州だった。

それらは、現在のフィリピン国旗の8つの金色の光線によって

表わされている。 

=== あっけなく敗北してしまった 血気盛んなボニファシオ。

    しかし、それがその後 どんな事態につながっていったのか。

 

・・・・ シリーズ 108 をお楽しみに・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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