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2017年5月14日 (日)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 108  人気のボニファシオ と 実力のアギナルド

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

Img_2758

「第18章  フィリピン革命」

 

 

 

p236

 

「武装抵抗の拡大」

 

サン・ファンでのボニファシオの破滅的敗北の後、革命の炎は

森林火災のように、マニラ周辺や他の町々へと広がっていった。 

武装蜂起が、パシグ、パテロス、タギグ、マンダルヨン、モンタルバン、

サン・マテオ、そして、モロング(現在のリサール州)の

政治的地区の町々で勃発した。

ボニファシオ指令下のこれらの全ての反乱はスペイン軍によって

鎮圧された。 

しかしながら、カビテ州に於いては、その反乱はもっと成功した。

なぜなら、その愛国者たちには有能な軍の指揮官、とりわけ

エミリオ・アギナルドがいたからだった。 彼は、1896年

8月31日にカウィットでの反乱を率い、又、同日にノベレタを

解放したマリアノ・アルヴァレズも居た。

 

 

p237

・・・・やがて、カビテ州は革命の拠点となっていった。

 

北部では、マリアノ・ラネラ司令官が 「ヌエバ・エシハの叫び」

という反乱を起こし、サン・イシドロ(ヌエバ・エシアの州都)の

スペイン軍の陣地を1896年9月2日に攻撃した。

彼は、町を占拠したが、スペインの鎮圧軍が到着したため、

4日後に撤退した。

 

・・・

 

=====

「ヌエバ・エシアの叫び」については、こちらのサイトでどうぞ:

Mariano Llanera

https://en.wikipedia.org/wiki/Mariano_Llanera

 

Mariano Nuñez Llanera (1855-1942) of Cabiao, Nueva Ecija. He was a Filipino

General who fought in the provinces of Bulacan, Tarlac, Pampanga, and

Nueva Ecija. He is one of the three Fathers of The Cry of Nueva Ecija, along

with Pantaleon Valmonte and Manuel Tinio.[1]

 

 

 

 

p237

 

「恐怖のスペイン統治」

 

スペイン当局は、革命の上昇機運を抑え込む為、死に物狂いで

恐怖政治を進めた。 マニラや州に於いて、数百人のフィリピン人

著名な知識人や産業界の著名人なども逮捕され投獄された。

サンチャゴ要塞、ビリビド刑務所、そして市の城壁の下の地下

の牢獄は無実の被害者で溢れ返った。

 

例えば、サンチャゴ要塞の下の小さな地下牢には169名が

投獄された。 この地下牢には通気の為のひとつの小さな空気穴

があるだけだった。  ある雨の日、馬鹿な見張り番が、雨が

入らないようにと、この空気穴を塞いでしまった。

翌朝、窒息のため、54人の囚人が死体となっていた。

 

1896年9月6日、4名のカティプナンのメンバーが

・・・・銃殺刑に処され・・・カティプナン最初の受難者となった。

 

 

p238

 

およそ1,000人の愛国者たちは、銃殺刑を免れ、

グアム、フェルナンド・ポ(アフリカ)、その他のスペインの

流刑地に流された

 

 

=== グアムにフィリピン人が多いというのは

    こういう歴史にも理由があるんですね。

    おそらく流刑された人たちが親戚などを呼び寄せた

    こともあったでしょう。

    フィリピン人の移民については、こちらでどうぞ:

 http://www.waseda.jp/sem-urata/2003/report/taikou-semi98/keio98/keio9800.html

 

 

    ちなみに、アフリカのフェルナンド・ポというのは

    こちらに地図がありました。

    ポルトガルが持っていたものをスペインが取ったようです。

 http://www.zum.de/whkmla/histatlas/centrafrica/haxgeq.html

    今のカメルーン(ナイジェリアの東隣り)の領土に

    なっているように見えます。

    今はBIOKOという名前のようです。

    ・・・おっとっと・・・カメルーンじゃありません。

    カメルーンの方に近いけど、赤道ギニアの領土だそうです。

    「ビオコ島」

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%AA%E3%82%B3%E5%B3%B6

    「1472年にポルトガルフェルナン・ド・ポー (Fernão do Po)

よって発見され、フェルナンド・ポー島と命名された。」

 

p238

「ビナカヤンとダラヒキャンの 対をなす戦闘」

スペイン軍に対する革命軍の初期の勝利の中で、ビナカヤンと

ダァヒキャンのふたつは決定的に輝いていた。

これらの対の戦闘は、1896年11月9-11日に

同時に戦われたもので、スペイン正規軍の初めての屈辱的

敗北を見て、又、スペインの誇る旗がフィリピンの塵に

初めて汚されたものであった。

・・・・・・

ふたつの戦闘は1896年11月9日の朝に始まった。

それは総督ラモン・ブランコの直々の指揮によるスペインの

侵略軍が、スペイン艦船による重海軍砲兵隊を伴ったもので、

ダラヒキャンの海岸に上陸し、彼は指揮所を建てたのでした。

直ちに、彼はその軍を二つの縦隊に分けた。 ・・・・

3日の間、物凄いハリケーンのような激しさで戦闘は

荒れ狂い、双方の兵士たちは甚大な犠牲を被った。

p239

 

11月11日の夕刻、ブランコは二つの戦闘に勝つことは

出来ないとみて、総退却を命令した。 敗退した部隊を

待機していた艦船に引き揚げさせ、勝利の冠も無いままに

出航した。・・・・・

 

「アギナルド将軍の頭角」

革命の騒乱と戦闘の中から、ボニファシオと交代する運命の

新しいリーダーが頭角を現した。 それはカウィットの

若き町長 エミリオ・アギナルドで、闘う愛国者であり

大学中退者であった。

 

=== アギナルド将軍については、こちらでどうぞ:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AE%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89

マニラサンファン・デ・ルトラン高校に進学したものの、

1882コレラによる高校の閉鎖後、復学せずに13歳にして

学校教育を終えている。」

・・・今読んでいる本では、college drop-out(大学中退)と

書いてあるんですが、wikipediaでは高校中退とあります。

13歳ですから日本でいえば中学中退ですね。

しかし、17歳で地区長、25歳で町長になっていますね。

これは私の下衆の勘繰りなんですが、この歴史本は大学で

使われる教科書ですし、フィリピンは学歴を非常に重視

するお国柄なので、もしかしたら著者自身が将軍の為に

学歴詐称をしているのかも・・・???

 

p239

アギナルドが最初に世間の注目を集めたのは、彼が

単発の戦闘で 市民警察隊の軍曹を打ち負かし、かれの

故郷の町カウィットで起こした反乱が成功した時であった。

・・・・1896年11月の初期に、彼はバタンガスまで

遠征し、スペイン軍からタリサイの町を解放した。

革命家たちの多くに印象付けたのは、・・・彼の指揮官と

しての功績であった。

 

「ボニファシオ、カビテに行く」

カビテのマグディワン地区のカティプナンの招待により、

ボニファシオはモロングの隠れ家を出て、カビテ州に行き、

アギナルドの回顧録によれば、1896年12月1日に到着した。

彼は、妻と二人の兄弟、ルシノ司令官と20名の兵士を伴っていた。

アギナルドは、その時、ザポテ、ラス・ピニャスそしてバコールで

スペイン軍と闘っていたが、部隊を離れ、マグダロ議会の拠点で

あるイムスで ボニファシオを歓待した。

・・・・

p240

その後すぐに、マグディワン議会は緊急会議を開催し、ボニファシオに

Hari」(王)の称号を与え、彼を喜ばせた。

 

=== さあ、フィリピン革命は 本格的な戦争に突入しました。

    この後 どんな展開をしていくのでしょう。

 

・・・ 次回 シリーズ 109 をお楽しみに・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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