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2017年5月16日 (火)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 110  ホセ・リサールの共謀罪、公開処刑、辞世の句

  

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

 

 

「第18章  フィリピン革命」 

Img_2758

p242

リサールは軍事裁判所で、反乱、扇動、違法共謀について裁かれた

彼の裁判は、彼が有罪であるという決め手になるものがなく

茶番狂言であった。 それにも関わらず、軍事法廷は彼に死刑を

宣告した。 Potavieja総督は、軍事法廷の死刑の評決を確認し、

12月30日の朝にリサールを処刑することを命じた。

1896年12月29日に、リサールは親友である フェルヂナンド・

ブルメントリット教授(オーストリア人)に最後の手紙を書き送り、

以下の通り無罪であることを宣言した:

「私は反乱の罪に関しては無罪である。 私は穏やかな道義心を抱いて 

死んでいく。」

1896年12月30日の夜明け、彼の処刑の2~3時間前に、

リサールは 香港から来たアイルランド人の恋人ジョセフィン・ブラケンと

フォート・サンチャゴの礼拝堂で、カトリックの儀式にのっとって結婚した。

結婚式は ヴィンセント・バラクエル神父(イエズス会)によって

執り行われた。 

午前6時、リサールはルネタでの公開処刑の準備が出来ていた。

30分後に、フォート・サンチャゴからルネタへの死の行進

始まった。 リサールは、黒いスーツを着て、腕は後ろ手に

肘から肘に縛られ、厳重な警護の中を、太鼓の鈍い音の中へ

行進した。 フィリピン人と外国人の大きな群衆が その死の行進を

見つめた。 ルネタに到着すると、リサールは静かに、銃殺執行隊

に背を向けて立てと言われたその場所へと歩いた。

7時30分丁度、銃殺執行隊は彼を背中から銃撃した。

超人的な力を持って、彼は銃弾だらけの身体を翻して、

地面に倒れ落ちた。 ―― リサールの顔は昇る太陽に向かって

上を向いた。 こうして、リサールは、彼が辞世の句に描いた

ように、最期をとげた。 

我は死す。 夜明けに天国が絢爛たる時に。 

そして、最後の日はその夜の上に昇り、 

朝がそのあかね色を深めるならば、 

我が生ける血を受け取れ、そして広めよ 

呼び覚ますおぼろげな光を受けとめよ。 

=== 一応 上のように翻訳はしましたが、

    私には詩歌を翻訳する才能はないので、こちらのサイトで

    邦文訳をご覧ください 

今日の辞世の句 - 新・立命館大学戦史研究所

http://ufononatu.blog10.fc2.com/blog-entry-503.html

「空が朱に染まるのを見る時私は死ぬ
 
夜の暗い闇の後で私はこう言おう
 
もし朝の光を染めるために色が必要ならば
 
我が血潮を注ぎ正しい瞬間に散らして
 
君の旭で金色に輝かしてくれ!」

 

p242 

「リサール受難の重要性」 

リサールを処刑したことは、フィリピンでスペインが行なった

大きな失敗のひとつであった。 フィリピンの人々は彼を

自由の殉教者として喝采を送り、フィリピンの国民的英雄となった

のである。

スペインの銃殺隊の銃弾はリサールの息の根を止めたが、

スペイン帝国を破壊するという愛国者たちの思想を止めることは

出来なかった。 例えば、偉大なフィリピンの叙事詩人である

セシリオ・アポストルは スペイン語で熱狂的に歌い上げた 

おお、奴隷とされた国の救い主よ! 

その墓の神秘の中で、泣くのではない 

スペイン人のつかの間の勝利を気にかけることはない; 

もし銃弾が汝の頭蓋骨を破壊したというのなら、 

同じように、汝の思想は帝国を破壊したのだ。

 

=== 上の詩も私の翻訳なので、あてにしないで下さい。

    残念ながらこの詩の翻訳はインターネットでは

    探し出せないのでご勘弁ください。

    要するに、ホセ・リサールという人物を

    わざわざスペインから呼び戻して、公開処刑に

    しちゃったのは、火に油を注ぐ 結果になって

    しまったということですね。

 

    キューバの医者の仕事をやらせときゃ、こんなこと

    には成らなかったかもしれないのにねえ。

    まあ、いずれにしても、フィリピン革命は時間の

    問題だったのでしょうが。 

・・・ では、次回 シリーズ 111 でお会いしましょう・・・・

 

 

 

 

 

 

 

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