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2017年5月19日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 111 革命政府樹立と 選挙に敗れた ボニファシオ

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

 

 

「第18章  フィリピン革命」

Img_3313

p243 

「イムス会議」 

マグダロとマグディワン議会の対立は革命運動に対して破滅的な

ものであることが証明された。 それは、Polaviejaの部隊に対して

彼らの分断された兵力は敗北したからである。

彼らの違いを調整し、ひとつの革命政府の下に統合するため、

マグダロは二つの派の総会を1896年12月31日に主催した

――それはリサールの処刑の翌日であった。

この会議で、脱兎のごときボニファシオは、マグディワン議会の

議長であったのだが、正しくはマグダロ議会の主催者及び長として、

バルドメロ・アギナルド将軍に属すべき議長の座を、傲慢にも奪取した。

ボニファシオは、重要なポストを全てマグディワン議会の役員

割り当てた。

・・・・・・

そのイムス会議では、なんら決定的なものは成し遂げられなかった。

 

p243

「総督Polaviejaの総攻撃」 

革命を壊滅する目的をもって、総督Polaviejaは、1892年

2月15日に総攻撃を開始した。 この日、フランシスコ・

ガルビス将軍は、総督の戦闘将軍の一人であったが、ザポテを

攻撃し、一方 Lachambre将軍は、ふたつの部隊を率いて、

ラグナ-カビテの境界を越えて、シランに向けて行軍した。

2月17日、エバンゲリスタ将軍は、アギナルド将軍の勇敢な

将軍の一人であるが、スペインの射撃手によって殺害された。

二日後(2月19日)、シランはLachambreによって奪取された。

アギナルド将軍は、ビト・ベラルミノ将軍とアルテミオ・リカルテ

の支援を得て、反撃を準備したが、シランの奪還には失敗した。

・・・・・ 

p244 

「テジェロス会議」

 

1897年3月22日、戦争の潮目が革命派に不利であった頃、

脱兎のごときボニファシオのマグディワン議会は、Tejeros

総会を開催した。 ・・・・・

・・・アギナルド将軍と他のマグダロの役員達は、その時

スペインの攻撃からマグダロの町を防衛していたので

欠席であった 

・・・AlvarezMontenegroの爆発的確執は、会議を混乱

中に落とし入れた。大混戦を避けるために、Lumbreras

休会を求めた。  

p245

・・・新しい革命政府を設立すべしというのが大多数

願いであった。 ボニファシオはこの政府の役員の選挙を

求めることを強要された。  しかしながら、彼は、

誰が選出されようと、それに反対することは出来ないという

多数の意見を確保することが出来た。 

無記名による投票は、驚いたことに、以下の結果となった: 

大統領・・・・・ エミリオ・アギナルド

副大統領・・・・ マリアノ・トリアス

総司令官・・・・ アルテミオ・リカルテ

戦争長官・・・・ エミリアノ・リエゴ・デ・ディオス

内務長官・・・・ アンドレス・ボニファシオ

・・・・

ボニファシオは、議会の規則と作法を知らず、怒って、

選挙の無効を宣言し、会議を解散し、彼のボディー・ガードと

一緒に会議場を立ち去った。 

しかしながら、愛国者の大多数は、選挙の結果とカティプナンに

代わる新しい革命政府の設立を認めた

・・・・

アギナルド将軍は、部下と共に、Tejerosへ向かい、1897年

3月23日の黄昏時に到着した。 しかし、彼の入場を拒否する

ボニファシオの兵士たちによって入口が警護されていたので、

Recollect   estate-houseに入ることができなかった。

アギナルドは、敵対する土地にいることを悟り、サンタ・クルズ

デ・マラボン(タンザ)に向かった。そしてそこのカトリック教会で、

マリアノ・トリアス(副大統領)、エミリアノ・リエゴ・デ・ディオス

(戦争長官)、そして アルテミオ・リカルテ(総司令官)と共に、

宣誓し就任した。

 

=== ボニファシオは 結構我がままな人だったんですねえ。

    選挙の結果には従うと言いながら、怒って出ていくなんて・・

    あっと驚く選挙結果に「茫然自失」ってところでしょうか。

    しかし、地元の若者たちには、アギナルドよりも

    ボニファシオの方が人気があるみたいなんですけど、

    何故なんでしょうねえ・・・・

 

=== こちらのサイトにこの当時の歴史に関連する

    観光地の解説があります。 (英文)

Cavite Historical Tour

https://traveleronfoot.wordpress.com/tag/bonifacio-trial-house/

 

・・・ それでは、次回 シリーズ112 を お楽しみに・・・・

 

 

 

 

 

 

 

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