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2017年5月 7日 (日)

「浄土三部経ー観無量寿経」を読む-その3- あの世と冥土は何が違うのか??

では、今回は、観無量寿経のメインである 観想のマニュアル
部分を読んでみます。

まず、極楽浄土に行きたい人は、こんなことをしなくちゃいけない
って言う、条件が書いてあります。

p15
かの仏国土に生まれたいと思う者は、三つの福利を修め
なければならない。

一つには、
父母に孝養をつくし、師につかえ、慈しみの心を持って
生けるものを殺さず、十種の善行を行なうこと、

二つには、
仏法僧の三宝に帰依し、多くの倫理的規定を守り、
誇りを失わないこと、

三つには、
覚りに向かうという願いをおこし、深く因果の道理を信じ、
大乗経典を読誦し、他の人たちにもこの道を勧めること、

=== う~~ん、極楽浄土への道は遠いなあ・・

p17
世尊はヴァイデーヒー(大王の奥さんですね)に告げられた
ーー「あなたと、そして、生ける者どもは、心を一筋にし、
思念を一処に集中して西方を観想するのだ。 さて、どのように
観想するかというと、・・・・・正座して西に向かい、はっきりと
太陽を観るのだ。 心をしっかりと据え、観想を集中して
動揺しないようにし、まさに沈もうとする太陽の形が天空に
かかった太鼓のようであるのを観るのだ。
すでに太陽を観終わったならば、その映像が目を閉じている
ときにも、眼を開いているときにもはっきり残っている
ようにするのだ。 これが<太陽の観想>であり、
<最初の冥想>と名づけるのだ。

=== へえ~~~。要するに、日没の太陽をじっと見て、
    その残像を瞼の中に観るという雰囲気でしね。

Img_2615_2

p17
次には<水の観想>を行なう。
清らかな水を観たならば、その映像がはっきりと残って
いるようにし、想念がかき乱されないようにするのだ。
水を観終わったならば、<水の観想>をおこさなければ
ならない。 

氷の透き通ったさまを観終わったならば、<青玉の観想>を
行なう。 この観想をなし終えたならば、青玉の大地の
内も外も透き通っているさまを観るのだ。
下にダイヤモンドなどの七種の宝石に飾られた黄金の幢幡(はたぼこ)
があって青玉の大地を支えている。

・・・・そこには百の宝石から成る千万の楼閣があり、・・・
八種の清風が光明から吹きおこり、この楽器を鳴らして、
苦・空・無常・無我についての教えを聞かせる。
これが<水の観想>であり、<第二の冥想>と名づけるのだ。

=== この辺りから、極楽浄土の描写みたいな感じなんですが、
    書いてあることをCGの画像にでもしないことには
    理解不能です。

    しかし、「宝石に飾られた黄金の旗が青玉の大地を支え」   
    ってどういうこと???

    青玉の大地って、もしかして地球のこと???
    宇宙飛行士みたいな描写じゃないですか。

p18
この観想ができるようになったら、その一々をきわめて
はっきりと観られるようにするのだ。 眼を閉じているときにも、
眼を開いているときにも、その映像が散ってなくなったりしない
ようにする。

・・・このような観想に到達したら、ほぼ、<幸あるところ>
という世界を観たと言えるであろう。
さらに進んで精神集中ができるようになったら、かの仏国土を
はっきりと観ることになる。・・・これが<大地の観想>であり、
<第三の冥想>と名づけるのだ。

=== ここまで読んだだけで、凡人には無理・・と思って
    しまいますね。

p19
師はアーナンダに告げられたーーー
・・・この大地を観想する者があったら、その人は八十億劫の
間、かれを生と死に結び付ける罪から免れ、死後にはかならず
<幸あるところ>という世界に生まれるであろう。・・・

=== ああ、安心しました。
    こんなことが出来る人は特別な人みたいです。

p19
大地の観想ができたならば、次には宝石の木を観想するのだ。
宝石の木を観想するときには、七重に並ぶ七種の宝石の木の
一々を観想する。
・・・大光明は、無数の幢幡を吊るした宝石の天蓋と化し、
この宝石の天蓋の中に三千大世界の仏たちの一切の所作が
映っており、十方の仏たちの仏国土もまたその中に現れている。
この木々を見終わったならば、それらの一々を次々に観想
しなければならない。
幹・茎・枝・葉・花・果実を観想して、それぞれの映像を
はっきりとさせておく。 これが<林の観想>であり、
<第四の冥想>と名づけるのだ。

=== まあ、そういう木が極楽浄土には生えているって
    ことみたいですけど・・・
    かなりの想像力がないと無理ですね。

p20
次には池水の観想を行なわなければならない。・・・
<幸あるところ>という世界には、八つの功徳のある池水がある。
一々の池水は七種の宝石でできている。
・・・溝の下には、さまざまな色をもつダイヤモンドが
底砂となっている。 一々の水の中に六十億の七種の宝石の
蓮花があり・・・・・
・・・珠宝からは美しい黄金いろの光が流れ出し・・・
相和して鳴く声は甘美優雅であって、常に仏を思念し、
教法を思念し、僧団を思念することを讃える。
これが<八種の功徳ある池水の観想>であり、<第五の冥想>
と名づけるのだ。

=== いや~~。 こりゃあ現代のCGで映像にするって
    いうのも無理みたいっすねえ。
    六十億の七種の宝石だもの・・・・

p21
・・・国土の一々の境界の上に五百億の宝石の楼閣があり、
その楼閣の中に無数の天人たちが居て、天上の音楽を奏でる。
・・・・音楽はみな、仏を念じ、教法を念じ、僧団を念ずべき
ことを説いている。 この観想に到達したら、ほぼ、
<幸あるところ>という世界の宝石の木・宝石の大地・宝石の池
を見たと言えるであろう。
これが<総てを観る観想>であり、<第六の冥想>と名づける
のだ。 この観想を行なう者は、無量億劫のきわめて思い悪業
から解放されて、命が終わったのちかならず、かの仏国土に
生まれるであろう。

=== ああ、やっと、6つの観想の方法が終わりました。
    ところで、今頃気がついたんですけどね、
    「瞑想」じゃなくて「冥想」なんですね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9E%91%E6%83%B3
瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、心を静めて神に祈ったり、
何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて
深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の
静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、
絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るような
ものまで、広い範囲に用いられる。」

上のサイトでは、同じ意味のようなんですが、
こちらのサイトで 意味が異なることを述べています。
http://www.the-world-meditation.com/entry120.html
「瞑想は静かに座って精神を集中させることに対し、冥想は普段
から自分の内面を見ることという違いがあります
。ただ動かない
ことだけが“めいそう”ではないのです。」

しか~~し、私が漢字から受けるイメージとは違うんだなあ・・・

おお、やっとこちらにイメージしていた答えがありました:
http://www.horakuji.hello-net.info/dhyana/meisou/about.htm
「瞑想
〈冥想〉とも書く。〈冥想〉は漢語としては、目を閉じて深く
思索するという意味
。東晋の支遁(あるいは支道林、314-366)の
「詠懐詩」に「道会冥想を貴び、罔象 玄珠を掇る」とあり、
大道に合一するために冥想が貴ばれいる深い精神集中のなか
で根源的な真理と一体化することを「冥」の字を用いて表す
ことは、
『荘子』およびその郭象の注にしばしば見られる。」

「以上のように、瞑想あるいは冥想という言葉自体は、支那に
おいて主として道教から発せられたものです。しかも、日本では、
西洋のMeditationの訳語として近代において当てられたもの
であって、
伝統的にそのような言葉が使われてきたわけではありません。」

・・・ありゃりゃ、って感じの漢字ですねえ。

ところで、漢文とその書き下し文ではどう書かれているかって
いうと、以下のとおりです。

ー和訳ー
これが<八種の功徳ある池水の観想>であり、<第五の冥想
と名づけるのだ。

ー書き下し文ー
これを<八功徳水の想い>とし、<第五>と名づく。

ー漢文ー
是為八功徳水想、名第五

=== な~~んだ、そもそもの漢文には「観」としか書いて
    ないんじゃないの。
    和訳の、それも明治時代ぐらいからの日本の漢字
    みたいですねえ。

    私のイメージで言うと、極楽浄土=冥土だから、
    冥土を想って観るんだから「冥想」でいいんじゃないかって
    思ったんだけど。

    おっと~~、ここで私の大きな誤解を発見
    http://www.manaka-net.com/glossary/detail-367-7.html
    「冥土 (めいど)
    死者が行く迷いの世界
。あるいはそこまでの道程を意味する。
    生前、この世において仏道修行を怠ったものが、死後さま
    よい行く世界。この迷いの世界は、地獄、餓鬼、畜生、
    の三悪道で、そこは暗く、苦しい世界なので冥土と呼んだ
    道教の冥府信仰の影響もあります。盂蘭盆会、施餓鬼法要は、
    すべての冥土の 苦しみから逃れたいという表れという。」

私は、「あの世」=「冥土」だと思い込んでいたんですが、
上のとおり「冥土」は死後に行く「迷いの世界」で、「三悪道」。

こちらのサイトで類語辞典をみると:
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E3%81%82%E3%81%AE%E4%B8%96

「あの世」は 「極楽浄土」から「地獄」までの全部を含むもの
みたいなんですねえ。

「あの世」の意義素 
「死んだ後に人が行くといわれている世界のこと。」

類語:
「黄泉 ・ 黄泉の国 ・ 黄泉比良坂 ・ 天国 ・ あの世 ・ 向こう ・
彼岸 ・ あっち側 ・ 死後の世界 ・ 冥府 ・ 陰府 ・ 冥界 ・
常夜の国 ・ 極楽浄土 ・ 浄土 ・ 天上世界 ・ 天界 ・ 天上の楽園 ・
後生 ・ 後世 ・ 来世 ・ 未来世」

浄土宗のお寺さんのサイトにこんなのがありました:

十六観行浄土宗坐禅 ~静の瞑想(メディテーション)~http://www.ennouji.or.jp/event/a-practices/posture.html

「浄土宗の三部経である観無量寿経という経典に書かれた瞑想法として「16観法」と言われるものがあります。 極楽浄土の様子を順々に観想していくことによって最後には魂が浄土に生まれて見仏します。」

「数ある瞑想法の中でも最も具体的な対象を観想するので、初心者には分かりやすい方法です。」

・・・本当に初心者にも分かりやすいのかなあ・・・・

 

=== 私の今までの大きな誤解を発見したところで、   
    次回 その4 に参ります ====

 

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