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2017年5月 3日 (水)

「浄土三部経ー無量寿経」を読む-その8- 金色の仏像には革命的仏教思想があった

漢文書き下し文の 註釈をピックアップして
勝手なことを考えています。

Img_2579

ちょっと漢文書き下しのところに戻って、

p155

3. たとい、われ仏となるをえんとき、国中の人・天
ことごとく真金色ならずんば、正覚を取らじ。

=== これの註釈がなかなか興味深いんです。

p303
155  3 --悉皆金色の願

梵本によれば、「すべて、一色、すなわち金色で
ないようであったら」とあり、色は皮膚の色をさすと
同時に、インドのカースト制度からいえば、同一の
種姓を意味する。
「漢訳」以外の諸本はすべて金色、真金色と訳出して
いるが、これはおそらく右の諸本の成立時代における
インドの経済・文化の影響に基づくものと思われる。

紀元後のインドが中近東やギリシャの諸国との貿易により
多量の金を保有したことと、バラモン教の興隆に伴って
カースト制度が次第に固められ、外来人の渡来とその
文化の接触が白色・黄色・黒色などの雑多な皮膚
人種差別を惹起したことなどから、カースト制度を打破し
一味平等の平和社会を建設しようとする仏教の理念が、
この願文の中に同一の金色の皮膚をした人々の社会建設
として、宗教的に打ち出されている・・・・

「呉訳」は、人・天とせずに「わが国中のもろもろの菩薩・
阿羅漢」とし、かつ、第六天の人のごとしとする。

=== な~~るほど。 前出の時に、極楽浄土に
    往くのはいいけど、自分の身体がキンキラキン
    になっちゃうのは嫌だなあ~~とか、
    仏像がキンキラキンも嫌だなと書いたんですが、
    こんな社会的背景が当時のインドにあったん
    ですねえ。

    海外のキンキラキンの仏像もそういうことだったんですね。
    そういうことなら、キンキラキンでも納得です。 
    でも、自分の顔が金色になったら、どんな感じになるかなあ。   

    それに比べて、今の仏教界の情けないこと・・・

    まあ、仏教界に限らず、政治も世界的に
    理念を無くしちゃって混乱状態だけどねえ。

    人間の幸せという原点に戻って、政治理念を
    追究してほしいもんです。

p312

19ーー臨終現前の願
・・・この願は、諸本を通じて阿弥陀仏の見仏と臨終来迎
を誓っている願にほかならない。 阿弥陀仏信仰がインドに
おいて発生し伝播した過程において、見仏ないし来迎
期待する宗教的情念が主流をなしていた点を見落としては
ならないであろう。

親鸞が不来迎の説をたて、臨終来迎は待つべきではないとの、
平生業成の立場をとったのは、親鸞独自の発揮による。

=== おお、これもびっくりです。
    阿弥陀仏来迎図のお迎えなんですが、浄土真宗の
    場合は、不来迎・平生業成と言って、出迎え無用
    と言っているそうです。
   
    「平生業成」については、こちらのサイトで:
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%9F%E6%A5%AD%E6%88%90
    、「平生に業事成弁(生きている平生に、往生の業事が、
      完成(成弁)する)」
    http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%AE%89%E5%BF%83%E8%AB%96%E9%A1%8C/%E5%B9%B3%E7%94%9F%E6%A5%AD%E7%94%9F
    「「平生」とは臨終に対する語で、つねに日ごろという意味。
     「業成」とは業事成弁とか業因成就という意味で、
      往生の業因が行者の上に成就することであります。
     臨終になり、仏の来迎を得ることによって往生が決まる
     (臨終業成)というのに対して、平生業成とは、つね日ごろ
      仏法を聞信したときに往生は決定するというのであります。」

    2012年に浄土真宗はかなりユニークだってことは
    読んだんですが、これは知りませんでした。
    http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/05/post-9417.html
    
    詳しいことはお調べください。

=== さてさて、註釈に 法然さんと親鸞さんの違いの部分を
    書いてありました。

p324

四十八願建立について、浄土宗と真宗とは見解を異にする。
浄土宗では「大経」の説の通り、一国王が発心・出家し、
世自在王仏の教えをうけ、五劫の思惟をへて本願を立て、
その願が成就して阿弥陀仏となった。 その本願の成就
すなわち成仏は今から十劫の昔であって、久遠の弥陀を
説かない。

真宗では、久遠実成の阿弥陀仏と十劫正覚の阿弥陀仏を
考え、久遠の弥陀が方便を現じて法蔵菩薩となり、十劫の
昔に本願を成就して仏となった(十劫正覚)。
釈尊は久遠の弥陀の応化身であるから、釈迦・弥陀二尊は
一致するという。 その意味で、池本氏は弥陀の本体は
釈尊が菩提樹下においてさとった法であると論じている・・

=== なかなか難しい註釈です。
    私の理解が当たっているかどうかは分かりませんが、
    こんな風に解釈しました:

ー 法然さんは、この無量寿経に書いてあるとおりに
  理解して、法蔵菩薩が世自在王仏に教えをうけ
  願を立てて成就し阿弥陀仏となった。
  それ以外に阿弥陀仏はいない。 お釈迦様とは別人
  である。
  言い方を変えれば、多仏思想

ー 親鸞さんは、永遠の存在である阿弥陀仏を考え、
  方便として法蔵菩薩となり、その後 その同じ
  阿弥陀仏がお釈迦様に化身して現れた。
  つまり、法蔵菩薩もお釈迦様も阿弥陀仏が
  姿を変えて現れた同一人物ってことのようです。
  言い方を変えれば、阿弥陀仏の一神教
  
・・・これは、前回その7で書いたことと同じです。

私の今までの理解は、法然さんの浄土宗までは多仏思想で、
親鸞さんから阿弥陀さんだけの一神教になったということ
ですかね?

p358

202 弥勒菩薩 -- これまでは阿難(アーナンダ)を
相手に説法してきたのが、以下は釈尊についでこの地上に
仏となる弥勒・・・を専ら対告衆の代表として出す。

=== 途中でアーナンダさんから弥勒菩薩に代わった
    理由は書いてありませんが・・・

p359

202 善をなしーー浄土宗は善を称名念仏ととり、
真宗は廻向された念仏の功徳を得ると解す。

202 道の自然なるを念じ --浄土宗は因としての
念仏往生の道が熟するとき、仏果をうること自然である
という道理を信ずると解す。
真宗は阿弥陀仏の本願の大道が願力自然(他力)であって、
凡夫のはからいを離れているということを信ずるとみる。
親鸞は他力を自然法爾とも呼んだ。

p364

212 五悪ーー 五悪を解釈するのに二通りあり、
浄土宗は不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒の
五戒に背くことを五悪とする。
真宗は五善を仁・義・礼・智・信の五常ととり、
五悪はその五常に背くことと解する。
しかし、中国仏教以来、不殺生などの五をそれぞれ、
仁・義・礼・信・智に配当して、五常と五戒は異名同義
だと考える説も行なわれた。

・・・・浄土宗は「不飲酒」がしっかり書いてあるな・・・笑

・・・・ 上記の「廻向された念仏の功徳」の関連は、こちらで:
回向(廻向、えこう、: Pariṇāmanā, パリナーマナー)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E5%90%91
自分の修めた善行の結果が他に向って回(めぐ)らされて所期の期待を満足することをいう。善行の報いは本来自分に還るはずだが、大乗仏教においては一切皆空であるから、報いを他に転回することが可能となる。善行の結果を人々のためになるよう期待し、それを果すのを「衆生回向」といい、善行の結果を仏果の完成に期待するならば、それを果すことは仏道への回向である。」

 

=== 同じ経典を元にした、法然さんの浄土宗と
親鸞さんの浄土真宗ですが、註釈のページを読むと
上記以外にも多くの解釈の違いを書いてあります。

かなり難しいので、私にはきちんと理解できません。

ちなみに、2012年にこんな本を読んでいましたので、ご参考まで:

「山折哲雄著「法然と親鸞」を読む(15) 決定的な法然と親鸞の違い」http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/09/post-0295.html

 

以上、中途半端な感じですが、これで一応
「無量寿経」が全体としてどんなものかは分かった
つもり・・・としましょう

お付き合い有難うございました。

 

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