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2017年5月 2日 (火)

「浄土三部経ー無量寿経」を読む-その7- なに? 阿弥陀さんはお釈迦さん? 浄土教は一神教??

残すところ 梵語訳は あと20ページほどとなりました。
一気にいきましょう。

前回は「五つの悪」の染まっている人間の話でした。

Img_2574a

p118

師はマイオレーヤ(弥勒菩薩)に言われたーー
「世間のありさまはこのようである。<目ざめた人>たち
は皆、これをあわれみ、威力を発揮して、さまざまな悪を
うち砕き滅ぼし、すべての人を善に向けさせるのだ。
(自分のことばかりを考える)考え方を捨てて、経典に
説かれている戒律を守り、正しい法に従って生きる
生き方を実行して違反せず、ついには完成や、永遠の
安らぎを得ることができるようになるのだ。」と。

=== 私みたいな悪さをする人間ばかりなんで、
    ちゃんと戒律を守って修行をした人たちに
    頑張ってもらって、憐れみをもって助けて
    いただくということかな?

p120

他の方角にある諸々の仏国土は、善をなす者が多く
悪をなす者は少なく、自然に福徳が積まれ、悪を犯す
ことがない所なのだ。
ところが、この世界にだけは悪が多く、自然に善をなす
などということはなく、人々は苦しみを求めて次々に
偽り欺き、心も体も苦しんで、苦を飲み、毒を食している。
・・・このようにあわただしく生きるばかりで、安らかさ
というものは全くないのだ。

p121

こう言われたときに求道者マイトレーヤは合掌して言った
ーー 「師の教えは甚だ親切であります。 世の中の人々は
まことに師の言われるとおりであります。 如来はあまねく
慈悲の心をもって、あわれんで、すべての人々を解脱され
ました。師のねんごろな教え諭しを受けて、わたくしどもは、
そむいたりはいたしません。」と。

=== ありゃりゃ・・・どうも、多元宇宙の中で、
    他の宇宙はそこそこ良い奴が住んでいるんだけど、
    この我々の宇宙だけが、不良が集まっている
    らしいです。
    こいつら自分たちじゃどうにもできないみたい
    だから 憐れんで救ってやらなくちゃ・・・って
    ことらしい。
    かなり足元みられちゃってますね。
    弥勒菩薩さんも、立場がないなって感じかなあ。
    スミマセンね。

p124

師は、求道者・すぐれた人・アジタ(=弥勒菩薩)に告げ
られたーー「アジタよ。 そなたはかの仏国土において、
みごとな特徴や装飾や配置がそなわっているのを見たで
あろうか。 また、上は虚空において、美しい園林や、
美しい森や、美しい庭園や、さまざまな宝石よりなる
青蓮花・紅蓮花・黄蓮花・白蓮花に満ちた美しい川や池を
見たであろうか。 ・・・・・如来によって現わし出され
た種々の鳥の群れが棲みついているのを見るであろうか。」
と。

p126

かれら求道者たち・立派な人たちは、両脚を組んで安座した
姿で紅蓮花のうちに出現する。

=== 出ましたね。 極楽浄土の映像と、蓮の花の上に
    座る仏さんたちの姿。

その映像は、こちらの中国製アニメでご覧ください:
https://www.youtube.com/watch?v=DPTEFcjP6nM

p134

そのとき、師はまたこれらの詩句を説かれた。

1.功徳を積まぬ者どもは、このような(教えを)聞くことは
ないであろう。
ただ勇猛にして、一切の目的を成就した者たちのみ、この説
を聞くであろう。

5.ただ仏のみが、仏の徳を明らかに知る。
神々・竜・アスラ(阿修羅)・ヤクシャ(夜叉)や、教えを
聞くのみの修行者たちは、(知ら)ない。
仏の智が説き明かされても、独居する修行者たちは、
これを知るいかなる道があるであろうか。

=== やっぱり、真面目に道を求める人は
    かなり厳しい修行を通りぬけないとダメなんですね。
    私なんぞは、楽をすることしか考えてないし・・・

p136

9.あるときには人間の身をうけることとなり、
あるときには仏となって出現する。
信も智慧もきわめて長い時を経て得られるであろう。
その意義を知る智慧ある人々は精進をおこすべきである

=== おお、人間になったり、仏になったり出来る人が
    いるみたいですね。
    いわゆる「霊界」と行き来ができる人なのかな?
    これを読んで、精進したいと思った方は是非
    頑張ってください。
    私は書類選考で没ですね。

p137

尊師がこの法門を説かれたとき、十二億の百万倍の生ける者
どもは、諸々の事物に対して・・・清らかな法の眼を得た。
二十四億の(生ける者どもは)<もう決して生まれ変わって
来ない者>という成果(不還果)を得た。
八百の修行僧たちは、執着が無くなって、いろいろな汚れ
から心が解放された。 二十五億の求道者たちは、<存在する
ものには自体がなく、生ずることもないという認知>を得た。

=== まあ、何度も書いてあるとは言え、
    十二億の百万倍って何ですか。
    人類がこの地球に現れて、何万年だかしりませんが、
    合計して何人ぐらいになるんでしょうねえ。
    しかし、この無量寿経では、どうも多元宇宙論を
    論拠??にしているみたいなんで、他の宇宙の
    人数もカウントしているのかな??

    
=== ここで、注釈を見てみますと:

p279
もう決して生まれかわって来ない者>という成果ーー
・・・欲界の煩悩を断じつくした聖者の位をいう。
死後、色界・無色界には生ずるが、欲界には二度と生を
享けないから、このようにいう。

・・・・つまりは、輪廻転生から抜け出すことが出来た
ということなんでしょうか。

=======================

=== 以上で、「サンスクリットからの訳」の章を
    終わりました。

    この後は、漢文書き下し文の「注釈」の中から
    気になる言葉を拾ってみます。

p288

142 微妙の法 - 釈尊がさとったさとりの内容は
縁起の理法であった。 ここでは、菩薩らがそれぞれ、
すぐれた理法をさとって仏となることを示す。

=== へえ~、お釈迦様が全ての創始者ってことじゃ
なくて、いろんな菩薩が 博士論文を書いて、それぞれの
理論で合格して来たってことのようですね。

p294

146 浄土教の註釈家たちの説によれば・・・・
釈尊は阿弥陀仏を、阿弥陀仏は釈尊を相互に念ぜられて
いるから、本経を説く釈尊はこれまでの釈尊とちがって、
実に阿弥陀仏その人とみて差し支えない。
従って、本経こそ阿弥陀仏の直説法であると解釈している。

p296

147 三界 -- 輪廻する迷いの生存を三つに分けて
欲界・色界・無色界の三界とする。 また、三界にとどまる
衆生をいう。

p296

147 乃往過去 -- 乃往(ないおう)とは、むかしの意。
・・・世自在王仏の出現以前の過去仏五十三を挙げ、法蔵菩薩
が第五十四番目の世自在王仏の許で、はじめて仏になったのでは
ないことを強調する。
過去仏思想については、ブッダを第七仏とする過去七仏の観念
はすでに古く成立し、ブッダの神格化の発展につれ、過去二十四仏、
過去三十二仏が考えられた。

浄土教は大乗仏教の多仏思想を阿弥陀仏(実は釈迦牟尼仏と
一致する)一仏で統一しようとする意図を有していた
から、
「魏訳」では五十三仏と阿弥陀仏の師仏たる世自在王仏の
過去諸仏を列挙する。

=== おお、びっくりしたあ~~~。
    ここにさりげなく書いてありますけど、
    「阿弥陀仏=お釈迦様」ってこと???
    私の今までの理解は、法然さんの浄土宗までは多仏思想で、
    親鸞さんから阿弥陀さんだけの一神教になったと
    思っていたんですが、元々浄土教が一神教を
    意図していた
とは驚きです。

p297
149 世自在王 -- 阿弥陀仏の師仏
ローケーシヴァラとはヒンドゥー教でシヴァ神の別名である。

=== おお、これもまたびっくり。
    まあ、インドには元々たくさんの神々がいたわけで、
    驚くには当たらないとも言えるんですが、
    阿弥陀様の先生がシヴァ神に繋がっているとはねえ。

シヴァ神」については、こちらで確認:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B4%E3%82%A1
「シヴァ([ˈʃivə]; サンスクリット: शिव, Śiva、「吉祥者」の意)
はヒンドゥー教の神(英語版)である。現代のヒンドゥー教では
最も影響力を持つ3柱の主神の中の1人であり、特にシヴァ派では
最高神に位置付けられている。」

「最も賞揚される文脈では、シヴァは形の無い、無限の、超越的な、
不変絶対のブラフマンであり、同時に世界の根源的なアートマン
(自我、魂)であると語られる。」

「現代のヒンドゥー教で知られているシヴァの特徴は、ヴェーダ時代
のルドラの持つ特徴と多くが共通しており、ヴェーダ神話に登場する
暴風雨神ルドラがシヴァの前身と考えられている。」

p298

149 法蔵 -- 仏法を蔵して失わぬという意に解せられるが、
原義は「法の鉱床」「法の堆積」という意味である。
阿弥陀仏が菩薩として修行していたときの名。

p301

154 五劫 -- 非常に長い時間をいう。
浄土教では、法蔵菩薩が発願して衆生救済と浄土建設のために
長年月を要した修行を「五劫思惟」と呼ぶ。
・・・法蔵菩薩は「一の静処に往きて独座し、功徳を修習し、
仏刹を荘厳せんことを思惟して、大誓願を発し
」(宋訳)た
のである。 ・・・原始仏教以来ブッダをはじめ仏弟子たちが
修した基本的瞑想法である。
真宗では五劫を発願に至るまでの思惟とみ、修行とはみない。

=== やっぱり、日本では、法然さんまでは修行、
    親鸞さんでは思惟あるいは信仰・・・となるわけですね。

=== ちょっとここで、漢文読み下しに戻りまして:

p154

法蔵比丘、二百一十億の諸仏の妙土の、清浄の行を摂取せり。

・・・この文の「妙土」の註釈なんですけど・・・

p302

154 妙土の -- 「梵本」では諸仏苦にの荘厳よりも
八十一倍もすぐれたものとする。 しかしながら、他の
大乗経典例えば「華厳経」では、阿弥陀仏の浄土を娑婆穢土
に最も近い最劣の浄土としている

=== ほお~~、阿弥陀さんお浄土は、一番娑婆に近いんで、
    いまいちパッとしない所みたいですね。
    これって、上記のp120の「不良の世界」
    一致するポイントでしょうかね??

    我々人間どもは、阿弥陀様にかなりご迷惑をお掛け
    しているようですね。
    申し訳ない・・・

・・・ では、漢文読み下しの註釈を その8 でも続けます ・・・

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