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2017年5月 6日 (土)

「浄土三部経ー観無量寿経」を読む-その1- 極楽浄土や仏様をどのように観るか

前回までに「仏説無量寿経」を読みました。

「浄土三部経ー無量寿経」を読む
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2017/04/post-89d0.html

6年前の2011年には、こんな本を読みまして。

「あなただけの阿弥陀経」を読む - その3
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/11/post-0c25.html

浄土三部経は 3冊の本ってことですから、私が読んだ順番で言えば:
1冊目は 「仏説阿弥陀経」
2冊目は 「仏説無量寿経」
3冊目は 「仏説観無量寿経」

・・・・で、昨晩 この3冊目の「仏説観無量寿経」の
漢文書き下し文の章を ぱらぱらと読んでしまいました。

Img_2608

ところで、この「観無量寿経」は、サンスクリット原文は
発見されていない
そうでして、漢文からの現代語訳への和訳だ
そうです。

手抜きで悪いんですけど、
概略の内容は、こちらでご覧ください:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C#.E4.BB.8F.E8.AA.AC.E8.A6.B3.E7.84.A1.E9.87.8F.E5.AF.BF.E7.B5.8C

「阿闍世という名の太子が、悪友の提婆達多にそそのかされて、
父の頻婆娑羅王を幽閉し餓死させようとした「王舎城の悲劇
を導入部として、王の后である韋提希夫人の願いにより釈迦が、
極楽世界や阿弥陀仏、観音・勢至の二菩薩を観想する13の観法を説く。
そして、極楽世界に往生する者を「上品上生」から「下品下生」
まで九品に分類し、最後に釈迦が阿難に向って「無量寿仏の名号を、
常に心にとどめ続けよ」と説く。」

つまり、
1.「王舎城の悲劇」の親殺し事件
2.「13の観法」の解説 
   観法というのは、瞑想のことみたいで、極楽浄土や仏様を
   どのように観るかという方法論 - これが中心ですね。
3.往生するものの分類

・・・・で、私が気になった部分を以下に書いてみます。

まず、上記1なんですけど、
親鸞さんは、これをかなり重視しているみたいで、
その著書「教行信証」の中でいろいろと書いているんです。

2011年にこの本を読んだ時に下のように感想を書きました。

「『教行信証』を読む」を読む - その5」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/10/post-6046.html

(師である法然さんが「これしかない」といったお経は「大無量寿経」で、
親鸞さんも「そうだ」とは言ってみたものの、そこには、その第十八願
には「除外規定」がある、浄土教の伝統のなかでは、「五逆と誹謗正法」
を除外するってことになっていたわけですよね。 五逆と言うのは、
母殺し、父殺し、聖者(阿羅漢)殺し、仏の身体を損傷する、教団を
破壊する、の五つの罪悪でした。 ・・・で、親鸞さんは上記の
アジャセの話を「大般涅槃経」の中に見つけたわけです。 
そこに突破口がありそうだってね。)

(この話のようなわけで、「父殺し」であっても、「懺悔」をすれば
助けてもらえそうだってことが見えてきたんですね。 ・・・で、
どうやって見つけたかというと・・・)

(どうも善導さんが既に、親鸞さんと同じようなことを考えていたんですね。
「観無量寿経」っていうお経には、上記のアジャセの父殺しの物語があって、
これを憂いた王妃の願いに応じた釈尊が、どのようにしたら往生できるか
を教えたということが書いてある
そうなんです。 その方法として
「観想」という修業や、それも出来ない悪人のための念仏などを教えた
らしいんです。 そして、その「観無量寿経」を研究した善導さんが 
その研究論文を残してくれていたってことですね。 そこに懺悔という
のが含まれていた。 「観想」って言葉は「一心に思いを凝らす」と
いう意味のようですが、仏教では、浄土や仏様の姿を精神統一をして
心の中に観る
というようなことのようです。 )

p viii

親鸞が最終的にたどりついた結論が、条件づきの悪人救済の道だった。 
善き師につくこと、そして深く懺悔すること、の二条件がそれである。

( と言うわけで、唯円さんの「歎異抄」にも辿り着いたし、「懺悔」
することが条件なのかということも分かったし、これでいいのかな? 
とも思うんですけど、さらにここから、この「懺悔」って何? って
ことと、悪人が善人と同じような浄土にすんなりと行けるんかって
ところが気になってくるわけです・・・ね? )

=====

しかし、この「観無量寿経」だけを読む限りで言うならば、
どっちかっていうと、やはり上記2の「13の観法」の解説が
重点だろうと思うんです。

で、この「浄土三部経(下)観無量寿経・阿弥陀経」の表紙の
裏側にこんなことが書かれているんです。

「日本では浄土宗は「観無量寿経」、浄土真宗は「無量寿経」、
時宗は「阿弥陀経」に重点を置く・・・」

Img_2610

・・・・

これを読んで思ったんですが、
私のフィーリングで言えば、
   
ー 法然さんは中国から来た浄土教やその経典に書かれている
  ことを忠実に、そして戒律を重んじて修行をする立場
  この観法を中心に書かれた「観無量寿経」に重点を置いた
  のではないか。
  (修行をする時、座禅なんかをする時に、瞑想をする。
   その瞑想をする時に必要なのがこの観法なのかな?)

ー 親鸞さんは、かなり独自の解釈で、「絶対他力」やら
  「悪人正機説」を唱え、戒律よりも信心に重きを
  置いたので、その論拠として「無量寿経」が中心になった
  のではないか。
ー 時宗については、まだ読んでいないので、分かりません。

・・・親鸞さんについては、「教行信証」の中で、こんな
ことを言ったらしいんです:
(2010・2011年に読んだ本の感想文から)

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2010/11/post-4ee2.html
「「無量寿経」は親鸞さんが「教行信証」に、「それ真実の教を
あかさば、すなわち大無量寿経これなり」と述べた
経典であり、
釈尊がこの世に現れた目的は阿弥陀如来の本願を説きたいがためで
あった・・・と書いてあるんです。」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/06/post-ce90.html
「「われは、念仏を選ぶ」といった師の法然にたいして、それでも
なおその師に抗して「われは、大無量寿経を選ぶ」と言わざるを
えなかったのはなぜか。 

(それで、その法然さんが信奉している浄土三部経のひとつ
「大無量寿経」は絶対なわけ。親鸞さんも「これだよ!」って宣言した。 
ところがどっこい、よくよく読んでみると、「みんな助ける」けど
「こんな悪いやつは例外だからね」ってことが書いてあったわけですよ。 
親鸞さんは困った。 「ぼくは例外なく助けたほうがいいんじゃない
かなと思う。」って多分思っていたんでしょうね。 ・・・で、
まずいな、先生と考え方がちがっちゃう、どうしよう。) 」

=== それでは、「観無量寿経」の その2 に続きます ===

 

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