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2017年5月 8日 (月)

「浄土三部経ー観無量寿経」を読む-その4- 阿弥陀さん、観音さん、勢至さん大集合

さて、観想のマニュアルの説明が終わって、
その後のお話です。
・・・と思ったら、まだまだ続いていました・・・

p21
師はアーナンダとヴァイデーヒーに告げられたーー

「・・・これから言うことをよく思念しなさい。
仏は今、あなたたちのために、苦悩をとり除く法を
考え、それを解説する。・・・・」

こう言われたときに、無量寿(アミターユス・かぎりない命)
仏は空中に立たれた。 アヴァローキテーシヴァラ(観世音
とマハースターマブラーブタ(大勢至)という二人のすぐれた
人はその左右に侍して立った。

Photo

(この写真はバギオの寺院での写真です。釈迦三尊像なのか阿弥陀三尊像なのか、どっちだろう・・・)

p22
「かの仏を観たいと思ったならば、観想の念をおこさなければ
ならない。七種の宝石でできた大地の上に蓮花を観想するのだ。
・・・」

p23
・・・あるものはダイアモンドの台となり、あるものは真珠の
網となり、あるものはさまざまな花の雲となり、十方の方面に
おいて、観る者の思うままに変現して、仏の所作を現している。
これが<花の座の観想>であり、<第七の冥想>と名づけるのだ。

「このような美しい花は、もと修行僧ダルマーカラ(法蔵比丘)
の誓願力によってできたものである。・・・」

=== 蓮の花の上の阿弥陀三尊像を観るってことのようですね。

「このことを観終わったならば、次には仏を観想するのだ。
それは何故かというと、諸々の仏・如来たちは、存在するもの
すべてを身体とするものであり、すべての生ける者どもの
心想の中に入って来る
からである。それ故に、あなたたちが
心に仏を観想するとき、この心がそのまま仏の三十二の大相
あり、八十の小相なのだ。 この心が仏を作り、この心がそのまま
仏なのだ。・・・」

「・・・冥想中に聞いたことを記憶していて忘れず、経典の
記すところと照合してみるがよい。・・・これが<像の観想>
であり、<第八の冥想>
と名づけるのだ。・・・・
<仏を念ずることによる心の安らぎ>を得ることであろう。・・」

=== ここで註釈を読んでみますと・・・

p100
第八「像想観」。 この第八観以後は正報観であるが、
とくに第八観は第九観の真身観に入るための準備的観法である。
画像・木像を通じ、あるいは心中に三十二組の仏身が放つ
光明を観想して仏を思い、二菩薩を思い、そして浄土の
荘厳を観ずる。

・・・・・と書いてあるんですが、前半の言葉が分かりません。
・・・・・で、註釈のp96に戻ってみたらこんなことが
・・・・・書いてありました。

p96
禅定に入って観想する定善十三観を明かす。
善導によれば、十三を分けて依報(衆生のよりどころとなる
山河大地など)と正報(衆生の身体や精神)に関するものとする。
さらに各々に、浄土教家は仮観(かりにこの世のものについて
観ずる)と真観(真実の浄土について観ずる)の二つを分ける。

=== 要するに全部で 十三の観想があるって話です。
    今まで読んできたのは、その内の8までってこと。

p25
「この観想ができたならば、次にはさらに無量寿仏の身相と
光明とを観想するのだ。・・・
この観想を行なうのを<すべての仏たちの体の観想>と名づける。
仏の体を観ることは、また、仏の心を観ることになる。
仏の心とは大慈悲心である。無条件の慈しみを以てもろもろの
生ける者たちをおさめ取られるのだ。
この観想を行なう者は、死後に仏たちの前に生まれて、
<諸々の事物には自我というものがなく、生ずることもない、
と認容し得るような精神状態>に達するのだ。・・・・」

「・・・無量寿仏を観る者は、すなわち、十方の無量の仏たち
を観ることになる。・・・これが<あまねく一切の体や形を
観る観想>であり、<第九の冥想>
と名づけるのだ。

=== ここにとても大事そうな言葉がありますね。
    「無条件の慈しみ・・・」
    もしかして、ここが例の「除外規定」と矛盾する
    ところでしょうか??

p28
これが<アヴァローヒーデーシヴァラ(観世音)ぼさつの真実の
体の形を観る観想>であり、<第十の冥想>
と名づけるのだ。

p30
<マハースターマブラーブタ(大勢至)の形や体を観る観想>
であり、<第十一の冥想>
と名づけるのだ。

p30
この観想をするようになったら、自分自身の心に目覚めなければ
ならない。 西方の<幸あるところ>という世界に生まれて、
蓮花の中に両足を組んで座り、蓮花が閉じる観想を行ない、
蓮花が開く観想を行なうのだ。・・・

・・・仏たちの音声がみなすぐれた教法を説いており、
それがみな十二部経に説く所に一致していることを、冥想から
さめても忘れないようにするのだ。
このことを観想するのを<無量寿仏の幸ある世界の観想>と
名づける。 これが<完全な観想>であり、<第十二の冥想>

と名づけるのだ。

=== ここに来て、やっと、自分自身が極楽浄土の
    蓮の花の上に座っている場面を観るようです。

p31
「もし心から西方に生まれたいと願うなら、まず一丈六尺
の像が一つ、池の水の上にあると観想するのだ。
先に説いたように無量寿仏は身の大きさが無限であるから、
これは普通の人間の理解を超えている。・・・・」

「・・・・この二ぼさつはアミタ仏を助けてあまねく
一切の者たちを教化するのである。 これが<雑多の観想>
であり、<第十三の冥想>
と名づけるのだ。」

=== 十三番が出てきたんですけど、ここは読んだ感じは
    大したことを書いてないように思うんですけど、
    最後だから大事なはずですよね??
    名前も<雑多の・・・>ってどういうこと??

・・・随分長かったなあ・・・・・
・・・この後は、「上品上生の者・・・・・」という話が
・・・出てきますので、またまた長くなりそうです。

=== では、その5 でお付き合いください ===

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