« 2017年12月31日 - 2018年1月6日 | トップページ | 2018年1月21日 - 2018年1月27日 »

2018年1月20日 (土)

四次元か五次元か: カズオ・イシグロ著 「充たされざる者」 の異次元世界

 

 

リアルタイムで感想文

 

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

 

その1です。

 

この小説は重い。

重いといっても、まだ読み始めたばかりなので、その内容が

重いという訳ではないんです。

左手に持って読んでいると重いのです。

普通の小説の二倍はある分厚い小説なんです。

読み始めてからそれに気づき、もしかしたら腱鞘炎に

なってしまうかも・・・と思い、左ひざを立ててその上に

本を置くことにしました。

 

007

小説の出だしで、いきなりなが~~い会話が始まります。

それがとっても不思議なんです。

主人公がホテルのポーターと一緒にエレベーターに乗るんですが、

そのポーターの話がめっちゃ長い。

もう、とっくの昔にエレベーターは目的の階に到着しているだろう

と思われる時間的感覚を無視した、なが~~い会話が続くのです。

本の内容より その時間の長さが読者は気になってしょうがない。

こんな小説は初めてです。

 

この主人公は一応ピアニストってことになっているんですけど、

登場人物との人間関係が これまた不可思議。

やけに他人行儀かと思えば、やたらと家族のように親密。

そして、登場人物の間の過去の記憶が交錯するんです。

まったく相手のことを知らない筈の関係なのに、その他人の

過去の記憶が自分の記憶と混じりあってストーリーが交錯するんです。

 

まるで、三次元に住んでいる人間が、四次元あるいは五次元の

世界に迷い込んだような不可思議な世界なんです。

一応、この本の裏表紙には、「悪夢のような不条理の世界を紡ぐ・・」

と書いてあるんですが、不条理というより異次元を感じます。

 

でも、私と同じ年代の小説家です。

166ページに映画館での話が出てくるんですが、その上映中の

映画がSFの古典「2001年宇宙の旅」なんですね~~。

主人公は、「わたしは少しほっとした。 何度見ても飽きない、

大好きな作品の一つだったのだ。」とあるんです。

私もまったく同じです。

私が見てきた映画の中では、ダントツの一位の作品ですからね。

 

主人公が、もしかしたら元妻とも思える女性と映画館にいるんです。

そして、たまたま主人公の後ろの席に座っていた市議会議員が

声を掛けてくるんですねえ。

そして、主人公は「2001年宇宙の旅」に気を取られているにも

かかわらず、市議会議員は「町の危機」なるものについて、

主人公にも読者にもさっぱり訳の分からないことをとうとうと

話すんですねえ。 場面設定が尋常ではないですねえ。

読者の私は、そんな映画館の中で、それも映画上映中、それも

主人公が映画に気を取られているまさにその時に、町の危機なんて

話をするか? ・・・などと、この場面設定そのものに

気を取られてしまうわけですねえ。

 

この異様なストーリー展開。

訳のわからない内容。

もしかしたら、この上映中の映画「2001年宇宙の旅」ってのは

その不可思議さをリンクさせているのかもしれないな・・・って

気付いたんです。

 

そう思って読み進むと、市議会議員に促されて映画館にいた

町民たちに囲まれ、その町の危機なる話題に流されるうちに

なんと一緒にいたはずの妻かもしれない女性がいきなり

置いてけぼりになるんです。 どうなっちゃったの?

 

231ページにこんな一行がある・・・

 

「わたしたちが着く前の出来事の一部始終をまだ思い返していたとき、・・」

 

この小説の全体のストーリーの流れに、私が四次元あるいは

五次元の世界のような感覚を覚えると言ったことが

この一行に表れていると思うんです。

 

「わたしたちが着く前の出来事」を、私がまだそこにはいなかった時の

その場の出来事を私自身が「思い返す」ことなど出来るわけがない

じゃないですか。

 

つまり、主人公の記憶あるいは意識が時間と空間を超えているんです。

 

その後にもフツーの小説ではあり得ないストーリー展開が続きます。

主人公が泊まっているホテルから、かなりの時間をかけて車で辿り着いた

屋敷で、タキシードやドレスを着た町の人たちの夜会に担ぎ出され、

今や主人公がスピーチをやろうとした時に、婦人が横から個人的な

会話を始め、それが終わらないうちに、夜会の会場にいた男が

主人公に、「歩いてお部屋までお送りしましょう・・」」と連れ出すと

なんとそこは主人公が泊まっているホテルの一部だった・・なんて。

 

もう、何というか、ミステリー小説を超えてしまっています。

異次元小説といった方がいいかもしれない。

 

さて、私は今、このブログの文面を 読書を進めながらリアルタイム

で書いているんです。

 

なぜかって言うと、この小説は938ページもの大作でして、

これを読み終わったころにはほとんどなにもストーリーが頭に

残っていないんじゃないかと思うからです。

 

なんてったって、フツーのストーリー進行じゃないんですから。

 

それで、今は314ページまで読んだところなんですけど、

もしかしたらこの主人公は認知症なんじゃないか・・なんて

感じがしてきたんです。

 

それと言うのも、主人公が会う人会う人、彼となんらかの

約束をしていたらしいんですが、彼はそのことを覚えていない

みたいなんです。

 

さて、今の時点でのストーリー展開も不可思議なことに

なっちゃってます。

 

主人公は男の子と一緒に、男の子のアパートに行くといって

ホテルを出たんですが、その途中で新聞社の男たちにつかまり

インタビューをやるっていうので、男の子をカフェでケーキでも

食べるように言いつけたんです。

ところが、新聞社は数分のところにある有名な建物のところで

写真を撮りたいっていうので、男の子に何も言わずに電車に

乗って行ってしまうんです。

すぐにもどるつもりなんですがね。

 

ところが、その電車の中で、幼馴染の女性に会う。

すると、昨夜の約束を忘れていた主人公はその女性に

「なぜ昨日は約束を破ったの!」って話になってしまい、

新聞社の取材のすぐ後に 彼女の家に謝りに行くことにしちゃう

んですねえ。

・・さて、カフェに置き去りにされた男の子はどうなるのでしょうか。

 

003

 

===  その2 に続きます ===

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月19日 (金)

地震・津波を生き延びたければ必読の一冊: 磯田道史著「天災から日本史を読みなおす」

地震・津波を生き延びたければ必読の一冊

磯田道史著「天災から日本史を読みなおす」 中公新書

 

 

 

この一冊は、学校教育でのテキストとして使うべきじゃないかと

私は真面目に思いました。

 

磯田道史著「天災から日本史を読みなおす」 中公新書

は数百年も前からの日本の先人たちが 現代に生きる我々の

ために祈りを込めて残してくれた資料を この著者が一所懸命

掘り起こしてくれた力作だと感じます。

001

 

私が育ったのは長崎県の佐世保市。

地震を感じたことは一度もなかったと記憶していましたが、

九州ですから幼い頃から台風の接近にはいつもびくびくしていました。

 

それで、新聞、ラジオ、テレビのニュースでみる気象情報には

今思えば異常なくらいの関心をもっていました。

 

幸いにも歴史に残るような大災害に私自身が遭ったことはありませんが、

私の個人的な記憶にしっかり残っていることはいくつかあります。

 

 

 

台風:

 

私がまだ小学生だった頃、最大の台風を経験しました。

屋根の瓦がひらひらと空を飛んでいくのを見たのです。

我が家は戦中の空襲を辛くも生き延びた古い家でした。

木造二階建てで、私の家族はその二階部分に住んでいました。

通りに面する部分は、開口部が広く一面ガラス戸でした。

その昔には、ガラス戸の外側に木製の雨戸があったのですが、

なにせ古い家ですから雨戸は腐ってしまい、ガラスの引き戸だけの

明るい室内でした。

二階の部屋からは 佐世保の港が一望できる絶好の展望台にも

なっていました。

 

ですから、台風ともなれば、風当たりは尋常ではありません。

 

私の親父と兄貴が、畳を剥がして、ガラス戸の内側に立てかけ、

その内側に横木を打ち付けて、暴風雨が家の中に入らないように

慌ただしく対策をしました。

幼い私は それを呆然と見ていました。

その危機感はひしひしと伝わってきました。

 

家の前にあった大きな木が倒れたのは、その台風の時だったと思います。

 

二階建ての我が家は、一階部分は自動車が通れる道に面して玄関があり、

二階部分もその玄関は急坂の階段に面していました。

つまり二面に対して一階と二階に出入り口がありました。

長崎と言えば坂道で有名なところですが、佐世保も同じです。

 

その急坂の階段は、ある台風が来た時に、たままた道路工事中で

階段のコンクリートが掘り起こされていました。

 

台風の大雨はその坂道の掘り起こされた地面にどんどん浸み込んで

いました。坂道の下の土砂が我が家を押しつぶす危険がありました。

 

親父は雨合羽を着て、長靴を履き、そのコンクリートが剥がされた

地面に米や小麦粉などが入っていた藁袋か紙袋みたいなものを

かぶせ、その上から麦踏みのように、一所懸命地面を踏み固めていました。

それがどれほどの効果があったかは甚だ疑問ですが、

ここでもその危機感が幼かった私の胸に強烈に残っています。

 

 

028

 

集中豪雨:

昭和427月豪雨 
「被害の中心だった佐世保市から、「佐世保水害」とも呼ばれている。

佐世保市の被害状況は、死者29人・負傷者270人・被害総額約743千万円」

https://ja.wikipedia.org/wiki/昭和427月豪雨

 

この佐世保水害の時、1967年ですから私は高校2年生でした。

 

私が通っていた高校の敷地内を川が流れていて、

万葉園と言うなかなか風情のある日本庭園などもありました。

 

その川が高校の少し上流で集中豪雨によって氾濫したのです。

その川は蛇行していました。

蛇行していた部分で川が決壊し、その先にあった数十軒の家々が

一気に押し流されてしまいました。

その中には我々の同級生の家もありました。

 

記憶はあまりはっきりしていませんが、川が決壊したのは

7月9日の午後だったろうと思います。

我々は多分授業中のことだったと思います。

そこにその悲報がもたらされました。

そしてその女子学生は家族を亡くし、一人残されました。

 

高校では、全校生徒が順番にその現場へ後片付け作業に

入ることになりました。

私も一日だけ参加しました。

それはそれは酷い惨状でした。

家屋はほとんど倒れ、土砂に埋まっていました。

現場には鼻をつく異様な臭いが充満していました。

敢えて例えるなら 糠みそが腐ったような臭いでしょうか。

今でもその時のことを思い出すと、その気持ちの悪い臭いが

鼻に蘇ってきます。

 

しばらくして、その川は 蛇行が修正され、まっすぐに流れる

川として護岸工事が行われました。

 

 

こちらのサイトに詳しい研究資料がありました:

豪 雨 と水 害 の研 究(19677.月 西 九 州豪 雨 災 害)

坂 上 務 (九州大学農学部)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/agrmet1943/25/4/25_4_257/_pdf

 

「また死者 の60%は がけ くずれに よる圧死者で,2の原因は急激な

出水に押 し流 されて死んだ人であ るか ら, この点か らも山 くずれ

が災害の原因の大部分を占めている。

ことに最近は佐世保市の よ うに丘 陵地帯の多い所 は公営住宅で も,

が け下 とか河川 の屈曲部分に建 て られて い るものがあ り,

が け くずれ,あ るいは奔流 となつ た水が河道を進 まず まつす ぐ

突 き当つて堤防を こわ し住宅をそ の まま押 し流 し人災だ 

とマス コ ミが さわ いだ の も当つてい るともいえ よ う。」

 

私みたいなど素人でも「そうだよな」と思うぐらいですから、

明らかに人災でしょう。

 

 

さて、私のこのような経験は ほとんどの皆さんには役に

立たないでしょうから、磯田道史さんの

「天災から日本史を読みなおす」に書いてある「先人の経験」から

学んでみましょう。

 

以下、私の心に残った「生き残るために必要な」大切なことを

引用します:

 

022

 

「第5章 津波から生きのびる知恵」より

 

歴史上の災害をみてきて、私がとくに着目するのは、同じ災害に

遭っても、逃げ方は三者三様、千差万別なことだ。 家族の性格や、

生い立ち、価値観は如実に、避難に影響する。

その逃げ方によって、生死がわかれている。

 

その日の揺れは激しすぎた。 平吉は「これはだめだ」といい、

寝間着一つの女たちに向かって「服を着て、(高台の)海蔵寺に

逃げろ」と命じ、誰が誰を連れて逃げるか、真っ暗な中で担当を

きめた。

 

どこへ逃げるかをあらかじめ家族で話し合っておくことは

津波避難の第一である。

 

安全な避難先を知っている場合、地元住民は「津波警報。 

○○へ避難」と、逃げ場所を連呼しながら逃げること。

 

津波の時は何も持たずに逃げる

一度、避難したら絶対に物を取りに戻らない

地震時に屋内に閉じ込められぬよう、戸口に一本ずつ

鳶口を置いておき、戸の破り方を子どもに教えておく

 

津波避難時、乳幼児のいる家庭では、だっこ紐が命。

いまでは、おんぶ紐と兼用のものが多いが、常に枕元に

置いておきたい。

 

津波てんでんこ=めいめい逃げる、が津波避難の鉄則だ。

 

死亡者名簿をみていて、五歳児と母親のペアの溺死者が

目立つのに気付いた。

重いわりに幼く、手がかかるのが四、五歳児だ。

四、五歳児の津波避難訓練はとくに大切だ。

 

やっとの思いではい上がった時、背中に子どもはおらず、

無情にも、ぶらんと肩から黒帯だけが垂れていた。

 

津波の時に金品にこだわってはいけない。

 

津波の時は、なるべく川や橋に近づくな。

河川をつたう津波は足が速い。 

川を高速でさかのぼる津波にされわれる・・・

 

井戸水が枯れたら津波がくる。

南海地震の前に井戸水が枯れた、減った、との証言は、

実は古文書にもある。

 

宿の女将がイカを先の井戸へ水をもらいに行ったが、

そこの水も濁っている。 「おかしい」といいながら洗った

イカの刺身であった。 

異変がおきたのは、未明のことであった。

 

引き波がくる前に脱出図れ。

早い勢いですーっと引いて行くのである。

この力が、来る時の何倍かで、四方の壁をついでにひっさらって行く。

 

第一波よりも第二波、第三波が大きいことが多い。

 

たとえ、津波に逃げ遅れて体が水に浸かっても、あわててはいけない。

津波に浸かりはじめた初期段階の時間は貴重なことがわかる。

むしろ、脱出のチャンスとみて、あきらめず、津波の水の

浮力の利用を考え、脱出を図らなくてはいけない。

・・・引き波になってしまうと、さらに状況が困難になるからだ。

 

025_2

 

「第6章 東日本大震災の教訓」

・・・これは皆さん、是非 この本を直接お読みください。

 

あなたとあなたの家族の命を守る教訓がたくさん書かれています。

 

最後に繰り返しますが、

是非 社会科の時間、歴史の時間、地理の時間、古文の時間には、

こういう先人の知恵を真面目に学校で教えて欲しいと思います。

文部科学省の皆さん、教育委員会の皆さん、学校の先生方、

お願いします。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月14日 (日)

PHOTO MAP OF KENNON ROAD, BAGUIO CITY  フィリピン・バギオ市ケノンロードを歩く

 

 

 

久しぶりに Photo Map of Baguio City を再開です。

今回は バギオ市が保養地として開発される前に 山岳道路として作られた ベンゲット道(現在の Kennon Road) を バギオ総合病院からスタートして キャンプ8、キャンプ7へと下ってみましょう。

Camp8_to_camp7_039_2

ここは Marcos Highway マルコス・ハイウエイ側から Baguio General Hospital バギオ総合病院へ入るところです。

Camp8_to_camp7_042_2

ここは バギオ総合病院(BGH)の庭園です。

Camp8_to_camp7_047_2

バギオ総合病院の前のロータリー。

Rotary  in front of Baguio General Hospital.

Camp8_to_camp7_049_2

 

Baguio General Hospital & Medical Center への入口です。

 

Camp8_to_camp7_051_2

さて、ここからケノン・ロードが始まります。

マニラまで TPLEX経由で 3時間半と書いてありますが・・・・

Camp8_to_camp7_052_2

  

 

左側にできた新しいビル。

銀行や薬局が入っています。

Camp8_to_camp7_054_2

 

 

BGHMC CANCER INSTITUTE バギオ総合病院の癌センター。

Camp8_to_camp7_056_2

 

 

左側(バギオ総合病院の向かい側)にある Baguio Medical Center バギオ医療センター。

BGH(&MC)は国立病院ですが、こちらのBMCは私立の病院です。

Camp8_to_camp7_058_2

  

 

バギオ総合病院の敷地の中には フィリピンの保健省の事務所があります。

Camp8_to_camp7_061_2

 

 

保健省のビルも新しいビルです。

Camp8_to_camp7_063_2

 

バギオ医療センター(BMC)の横で、ケノン・ロードから Military Cut-Off通りへの分岐点があります。

Camp8_to_camp7_066_2

 

ケノン・ロードはもろい地質ですので、バスなどの重量級の車両は通行が制限されています。 バスやトラックなどは通常マルコス・ハイウエイを使っています。

Camp8_to_camp7_068_2

この地点から Camp8,  7, 6, 5, 4, 3, 2, 1へと下って 山の麓のキャンプ1までは 34キロメートルと表示されています。

Camp8_to_camp7_079_2

 

 

ケノン・ロードでは 観光客の急激な増加に伴い、道路拡幅工事があちこちで進められてはいますが、なかなか渋滞の緩和には至っていません。

 

特に週末やお祭りの時期には あちこちのボトルネックを中心に大渋滞となっています。

Camp8_to_camp7_084_2

 

 

私が昔勤務していた会社のシャトル・バスが走っていました。

Camp8_to_camp7_088_2

 

 

Barangay Camp8  キャンプ8地区の中心部に入りました。

地区の町会ホールがある場所です。

Camp8_to_camp7_089_2

 

 

この辺りからは かなり庶民的なお店が並んでいます。

Camp8_to_camp7_091_2

 

タイヤ屋さん、修理屋さんなども並んでいます。

Camp8_to_camp7_093_2

 

Kaizen Builders 改善建設? という名の工務店のようです。

 

 

Camp8_to_camp7_101_2

 

 

鶏さんが売られています。

檻の前には 大きな木の切り株が置いてあります。

もしかして、これがマナ板・・・でしょうか・・・でしょうね。

Camp8_to_camp7_104_2

 

この路地から右に入ると Barangay San Vincente サン・ビンセント地区。

そしてここはそのサテライト・マーケット(衛星市場)です。

 

 

224_2

 

  

「高い山」を出て、さらに下って行くと、道路わきに こんなものが・・・・・

どうも豚肉を干してあるようです。

 

干し豚????

どんな料理に使われるんでしょう。

225_2

電信柱に ケノンロード周辺の 土地建物売買情報が貼ってありました。

226_2

山の上であるバギオ周辺には このような家がたくさんあります。

道路に面した玄関は 二階であったり、三階であったり。

229_2

 

谷底に建てられた 5階建てや6階建ての民家も当たり前です。

本音で言えば、怖いです。

231_2

WELCOME  TO  CAMP7.

ここからが キャンプ7地区になります。

232_2

 

Camp 7 is a barangay situated at the southern limits of the city of Baguio. It is the city's 3rd most populated barangay, registering 9,726 inhabitants in the 2010 Census, and is also one of the city's largest in terms of land area. The barangay's main access road is Kennon Road. Camp 7 was historically one of the several 'camps' used by the builders of Kennon Road in the early 1900s.

 

http://wikimapia.org/8108742/Camp-7 

 

 

 

Camp8_to_camp7_106_2

 ちょっと下ると、左側への小路 Tony Agpada Drive への入口、 

そしてその向かい側には・・・・

 

 

Camp8_to_camp7_108_2

 

 

TAKAI YAMA 「高い山」という日本料理店がありました。

(「高山」ではありません。)

 

  

 

Camp8_to_camp7_109_2

 

 このお店は 2018年1月にオープンしたばかりのお店です。

Camp8_to_camp7_114_2

 

メニューには、刺身やにぎり寿司など ひととおりの日本食があります。

 

 

Camp8_to_camp7_117_2

 

清潔感溢れる 明るい店内です。

Camp8_to_camp7_123_2

 

窓の外にはバギオ市の周辺部が広がっています。 

左奥に見えるビル群は セント・ルイス大学のバカケン地区キャンパスです。

Camp8_to_camp7_129_2

 

 

昼食後まだ時間が経っていなかったので、とりあえず うなぎ寿司を持ち帰りました。 久々の鰻で満足でした。

 

 

 

248_3

さて、「高い山」 を出て、 さらにケノン・ロードを下ります。

250_2

 

SAROK ROAD への交差点。

右に入っていくと WOODSVILLE サブ・ディビジョンという地区です。

251_2

 

この交差点の角には キャンプ7の交番(交番と言うには大きいな)があります。

252_2

さらに 下りましょう。

左側には中古車販売会社があります。

 

 

256_2

 

 

右側に、ライト・ハウスという教会があります。

バイブル・バプティスト・チャーチと書いてあります。

(聖書・洗礼・教会・・とでも言うのでしょうか。)

 

 

259_2

Parisas Street への交差点。

この右側への道は レムナント・インターナショナル・カレッジへの入口だそうです。

 

261_2

 

この交差点の角に建った新しいビル。

 

 

 

265_2

 

銀行やスーパーマーケットが入っています。

 

 

  266_2

 

スーパーは地下部分にあります。

建物の外側の右側から降りて行きます。

 

 

271_2

 

 

このスーパーは、そこそこ小綺麗ですが、日本食はありません。

韓国のラーメンみたいなのはありました。

入口の荷物預けのカウンターの女性は、ちょっと日本語が出来ます。

 

「どこで日本語を習ったの?」と訊ねてみたところ、

「私の姉が日本人と結婚しているんです。」との答でした。

 

263_2

 

 

路傍の花・・・・・

 

 

272

 

 

ケノン・ロードをさらに下って行くと、左側に WOODS GATE という地区への入口の案内板が出ています。

 276

 

そして、もっと下って行くと、右側の緑色の屋根の建物で、

JICと言う英語学校があります。

 279  

 

英語学校の先生向けの宣伝でしょうか?

日本や韓国で働きませんか・・というのが電信柱に貼ってありました。

285

 

ケノンロードから左へ入る小路。

この奥には お屋敷でもあるのでしょうか・・・・・

295

さらに行くと、右側へ鋭角に交わる道があります。

CAR AIRCONの看板のある店の横から入ります。

 

AMPARO HIGHTES ロードと言いまして、

入ってすぐ左側には PETERSVILLE サブディビジョンがあります。

昔 私が駐在員時代に住んでいた 高級住宅地です。

 

 

306

 

ケノン・ロードの道のあちこちに こんな表示があります。

K0246 と言うのは マニラから246キロメートル地点という意味です。

その下の S38は・・・・分かりません。

 

307

 

前方右に HIGH POINT というホテル・レストランの看板が見えてきました。

308

 

・・・そして、すぐ左側には、こんな立派な門構え。

もしかして、さっき見た小路の奥が このお屋敷と繋がっているんでしょうか。

 

314

自動車のメンテナンスをする会社のようです。

315

BOSCHの代理店のようですね。

 

 

 

317

 

この周辺は 10年前に比べると 随分開発が進んで来ています。

320

 

Oink Oink(ブーブーという豚の声)という名前の 韓国焼肉のレストランや、

薬局、クリニック、SPAなどもあります。

 

 

322

ローカルな ガソリン・スタンド。

 

323

 

 

 

左側には 工事関連の商店が並びます。

 

325

 

 

右側には 大手ガソリンスタンドの TOTAL。

ここのディーゼルは 42.90ペソ。

さっきの ローカルなガソリンスタンドのディーゼルは  37.90ペソと

なっていましたね。

 

326

最近建てられたビル。

 

327

ビルの一階には 「シナモン・ベークショップ」というパン屋さんが入っています。

 

329

 

この交差点を右に入ると 急な坂道があって、その先に

昔 日本人が経営していた「白雲山荘」というホテルがありました。

今は インターナショナル・スクールになっています。

 

331

 

では、真っすぐに この橋を渡りましょう。

 

 

332

 

 

白い橋を渡ったところが CAMP7 の サテライト・マーケットです。

地元の言葉では 「タリパパ」 と呼んでいます。

 

 

333

マーケットの前には ヘルス・センターとジープニー乗り場があります。

ここは発着折り返し点なので、満員通過ということはありません。

 

334

 

 

このマーケットは バギオのお土産が買える ほぼ最後のポイントでも

あるため、野菜やいちごをはじめとするバギオの名物が売られています。

 

335

また、観光客の車が列をなすため、大渋滞のボトルネックにもなっています。

 

337

 

 

この先には ケノン・ロードの展望台などがあります。

では、マニラなどへのドライブ、ご安全に。

 

 

From  Camp 7   Baguio City  to   Camp 6, Tuba, Benguet,

please visit the below link for further walking

to see  Kennon Road View Deck,  Lion Head,  etc.

 

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2017/03/camp7camp6-f8cb.html

キャンプ7から バギオ市を出て キャンプ6 への道のりは

上記のリンクでご覧ください。

ケノン・ロードの展望台や ライオン・ヘッドなどがあります。

キャンプ6は バギオ市を出て ベンゲット州ツゥバ町になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2017年12月31日 - 2018年1月6日 | トップページ | 2018年1月21日 - 2018年1月27日 »