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2018年1月22日 (月)

四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」の異次元世界 <あとがき編>

 

 

 

 

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

 

 

<あとがき>編

 

 

さて、事前の情報なしに自分の素直な感想をまずは書いてみようと

リアルタイム感想文を その6まで書きました。

 

そして、今、「訳者あとがき」を読んで、自分の感覚と

この小説を一番よくわかっている訳者のコメントを比較してみます。

訳者は 古賀林 幸 という方です。

 

まずは、訳者コメントの中で私が「納得」と思う言葉を拾ってみます。

011

 

1― 欧米の批評家もいささかとまどったらしく、評価は二分。

2― とにかく長すぎる。

3― 小説の時間も空間も大きく歪み

4― 登場人物がとうとうと語りかける言葉は冗漫

5― 出来事は荒唐無稽にして、夢とも現実ともつかない

6― 人間の独善性や自己正当化

7― 過去の記憶や人物が次々に立ち現われ・・・奇妙な既視感

8― つねに奇妙なズレがつきまとうライダーのパラレル・ワールド

9― 夢のベールに包まれたような

10― すべてが相対化したこの二十世紀の状況

11― 先が見えず、目的地にたどりつけない

12― 親子や夫婦間の不毛なコミュニケーション

13― 筋の展開に脈絡がなく

14― 自発的、意志的に語るというより、

    闇雲に何かに動かされ、振り回されて遭遇

15― 夢想とも現実ともつかない曖昧さ

16― 各人物の「思いのずれ」

 

・・・まあ、訳者コメントと 私がなるほどと納得できるものが

これだけあるんだから、まあ私の読書感想文もあながち

的外れではなさそうで、ほっとしました。

 

では、上記の中で 私にとってどれが上位にくるかと言えば:

3番と8番、時空を超えたパラレルな宇宙感

5番と9番と15番、夢想と現実

6番と12番と16番、自己正当化による不毛なコミュニケーション

 

 

時空を超えたというのは、

人間の意識・記憶が小説の中でランダムに脈絡なく現れたり、

いきなり思いもよらぬ場所に忍者屋敷のごとく、

あるいはドラえもんのどこでもドアーみたいに転送されたり、 

誰の視点で書かれているのかが混じりあったり。

 

夢想と現実に関しては、

特に主人公のセリフが、単なる妄想を語っているのか、

それとも小説の中の現実を語っているのか区別がつかない。

 

不毛なコミュニケーションについては、

この小説のほとんどの登場人物のセリフが信じられないほど

すれ違っていることでしょうか。

 

 

それで、この小説は 私にどんなことを考えさせているかって

言えば、

 

人間の意識や記憶ってものは、どの程度安定あるいは不安定

なんだろうか。

 

いわゆる客観的な事実と言えるものが果たして存在するのだろうか。

 

認知症のような状態になった時には、幻想と現実の

区別がちゃんとつけられるのだろうか。

 

お互いにコミュニケーションが出来ている、理解が出来ているという

ことは 何をもってそう言い切ることができるのだろうか。

 

 

そして、13番と14番についていえば、

脈絡という一定の物語の流れがない場合に、

つまりは言語によって積み上げられた論理的な見通しがない

状況の場合に、自発的で意志的な次の一歩が出来るのだろうか。

 

・・・などということです。

 

ちなみに、この小説には現代音楽のことがちょっと出てきたんです

けど、従来のベートーベンやモーツアルトなどのクラシック音楽に

慣れていた者たちにとって、現代音楽と言われるものが出てきた時には

なんと雑音のような代物なんだろうと感じたわけです。

 

もしかしたら、この小説というのは、その雑音のような小説に

思える読者もいるんじゃないかと感じたんです。

それはおそらく、論理性や脈絡というものが飛んでいるからかも

しれません。

つまり、日常的な論理の進み方を乱すようなストーリーだからです。

それで、頭が痛くなっちゃう。

 

音楽というものに 言語における論理性あるいは脈絡をつくる

作用があるとするならば、その完成度によって 脳で感じる

快適度も違ってくるのでしょう。

 

しかし、一方で、音楽にはそのようなものは関係ないと

いうことであれば、昔のあの不快感をともなう現代音楽というのは

なんだったのだろうかと思うんです。

 

映画「2001年宇宙の旅」も「こりゃなんじゃ」という感じで、

私にとっては初めて聴いた現代音楽のようなものでした。

 

もしかしたら、この イシグロ作品が 読者にとって

心地良くなる日が いずれ来るのかもしれません。

 

 

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============

 

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四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」の異次元世界 その6<完>

 

リアルタイム感想文

   

 

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

 

 

 

その6

 

 

さあ、いよいよ第四コーナーを廻りました。

そろそろストーリーの種明かしが出てきてもよい頃合いです。

 

文章のタッチは かなり普通の小説の感じになってきてまともです。

 

001_2

主人公は指揮者の事故現場から妻と息子の待つ家に車を

走らせます。 そして、義理の父が倒れたホテルに駆けつける

んですが、この倒れた父親への接し方が実に奇妙なんです。

 

妻が話していることは、この場にまったく相応しくない

ちぐはぐな言葉。 それも、息子を介してしか父親と

話そうとしない。

 

主人公と妻も、それぞれ勝手なことを口走って、まったく

話が噛み合っていない。 読者からすれば、お互いに何に

憤慨しているのかさえ分からない。

しかし、考えてみれば、夫婦喧嘩というものはそういうもの

なのかもしれません。

議論がかみ合わないまま、自分の主張だけを投げ合う。

 

そこへ、交通事故で足を切断された指揮者がやってきます。

足を切断されたばかりの男がどうして?

その種明かしは本を読んでいただくとして、ここから

やっとコンサートが始まるのです。

 

ホテルの支配人の息子がピアノ演奏を始めます。

いわゆる前座ですね。

しかし、その父と母の姿は客席から消えてしまいます。

ああ、やっぱりうちの息子には才能がないのか・・・みたいな

雰囲気なんです。

しかし、その後、両親がいないところで、息子は大喝采を

浴びるんです。そして両親はそれを知らない。

 

夫婦の間には結婚したときからのぎくしゃくがあったんですね。

それはいわば逆玉の輿みたいな関係で、夫はその重圧に

苦しんできた。 妻はそのことについて何も語らなかった。

それがここにきて大噴火を起こしてしまうんです。

 

 

いよいよ足を切り落とした指揮者がステージに上がります。

主人公のプロの見立ては、素晴らしい演奏になるんです。

・・・が、その演奏がだんだん不評になって、指揮者は

ステージで倒れてしまう。

元妻、あの墓地で会うはずだった妻が、ステージに

上がって来て見守るんですが、もう一人で生きていくしか

ないと三下り半を突き付けるんです。

ハッピー・エンドとは行かない。

 

コンサートは大混乱。

お客も多くが会場を出てしまう。

さて、有名なピアニストである主人公の出番はどうなっちゃうの?

 

しかし、主人公の今の最大の関心事は、何を置いても、彼の

両親が会場のどこにいるのかってことなんですねえ。

 

このコンサートの諸々をしっている筈のホテルの支配人は

両親のことは知らないという。

そこで、主人公のこの町でのスケジュールをすべて知っているはずの

女性の部屋に怒鳴り込むんですがね・・・・・

 

その冷静な女性に反撃を喰らっちゃうんですねえ。

「わたしの両親は今どこにいるのか?」

という主人公に対して、女性の答えは、

「あなたから両親が来るからたのむよと一度言われただけで

その後なにも詳細を聞かされていない。」

そして、主人公は

「両親が来るという確信があったんだ」

なんて返事をしちゃうんですねえ。

 

要するに、主人公の妄想だったってことのようです。

その妄想の為に、町の人々は歓迎準備で大騒動していたわけです。

 

この主人公の両親との関係に何らかの問題があるということが

この土壇場になって浮上してくるわけ。

 

ところで、ここでひとつ実に変なことがあるんです。

 

「おはようございます。 ライダーさま。 すぐすみますわ。」

「ミス・シュトラットマンは夜明けの光の中で慎重にわたしを

観察してから、ため息をついた。」 

 

なに?  もう朝!?

夕方に始まったはずのコンサートが、もう朝???

それも、有名なピアニストである主人公の出番は今からだというのに?

 

ハンガリーって、そんな国なんですかね??

この小説の時間間隔は私の頭を混乱させます。

 

さてさて、主人公のピアノ・コンサートはどうなったのでしょう。

それは内緒です。

この感想文は「ネタばれ注意!」というサイトじゃないもんで。

悪しからず。

元々、この主人公がこの町にやってきたその理由、

町の歴史的背景、町の問題ってのはなんなのかについては

明示されてはいないんですが、

おそらくこのホテル支配人も息子の言葉が近いんじゃないかと

思うんです:

「今夜ブロツキーさまが指揮したあの音楽は・・・最高の演奏でした。

・・・市民はそれを望まなかった。 驚愕させたのです。

それは彼らが期待していたものをはるかに超えていた。

それで彼があんなかたちで倒れたことに、実はほっと

しているんです。 彼らはいま、何か別のものを望んで

いることに気がついた。 何かもう少し、極端でないものをね。」

 

 

そして、もうこの小説の最後の最後まで来ているというのに、

こんな会話が出てくるんです。

 

「グスタフは三十分前に息を引き取りました。」

これは主人公の妻の父親、ホテルのポーターをやっている

爺さんが死んだと ポーター仲間が主人公に伝えたんです。

 

主人公の答えが、

「それはまことにお気の毒です」

????

何? 自分の身内が亡くなったのに、他人事か?

 

そして、その妻と息子がうなだれてコンサート・ホールを出て、

電車に乗るのを追いかけるんですが・・・・

 

 

その電車の中で、まったくの他人である乗客とこんな

会話をするんです。

 

「・・・私の両親が何年か前にこの町にやってきたことがある

らしいんです。・・・もしかしたら何か私の両親の訪問のことを

ご存知ないでしょうか。」

 

主人公はこんな質問をするんです。

そして、その乗客は、もしかしたら多分その母親のことは

記憶にあるってなことを無理やり答えるんですが、

父親のことは覚えていないというんです。

 

そうすると主人公は、

 

「でも、そんなばかな! 母は一人で、ここで何をしていたん

でしょう?」

 

・・・・こんなばかな質問はあり得ませんよねえ。

まったくの他人を責めるような言葉。

この主人公はやっぱり変です。

 

電車の中でやっと妻と息子に近づけた主人公、

妻からこんな言葉を投げ掛けられるんです。

 

「放っておいて。 あなたはいつだって、あたしたちの

愛情の外にいたじゃない。 いまだって自分を振り返って

みてよ。 あなたはあたしたちの悲しみの外にいる。

放っておいて。 消えてちょうだい。」

 

息子は、

「いやだ、いやだ。 ぼくたち一緒にいなくちゃ」

 

そして、二人は電車を降り、主人公は何故か電車に

残るんです。

 

この電車、不思議な電車なんです。

どんな電車かって?

それも本を読んでのお楽しみ。

 

この小説が何を言いたいのか、にわかには分かりません。

しかし、今 読み終わって ふと頭に浮かんだのは

次の松尾芭蕉の「奥の細道」の文句です。

 

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

 船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、

日々旅にして旅を栖とす。」

 

007_2

 

=== 一応 これで リアルタイム感想文は終わりです ===

この後、あらすじやあとがき、書評などを読んでみて、

この小説が何を語ろうとしているのか 調べてみたいとおもいます。

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四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」の異次元世界 その5

 

 

 

リアルタイム感想文です。

 

 

 

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

 

その5

 

 

さて、昨夜は2:30am頃迄小説を読み、

今朝は8:30amに起きました。

それで ふと小説のことを思ったんです。

 

やっぱりこの主人公は認知症に似た症状なんじゃないのかってね。

007

 

小説が始まった時には 長い旅行の後に この町に辿り着いた

ところだったんですが、この町でどういう日程で何をするのか

ということが記憶からすっかり抜け落ちているんですね。

 

それに、めちゃくちゃ妄想のようなセリフというか物語が多い。

それも、誰の記憶なのか、正確な事実を述べているのか、

その辺りも曖昧なんです。

おまけに 時間と空間が頻繁に飛んで廻る。

 

自分が今から何をしなければならないのかという予定が

すっと手の中からすべり落ちて行くようなストーリー展開が

やたらと多い。

だから、読者は「お前、早く次の仕事をしろよ」とハラハラ

しながら思ってしまう。

 

しかし、主人公は、その場の取り巻き連中の様々な言葉に

その都度動かされてしまう。本来やるべきことが頭の

中からすっとんだようにです。

 

だから、読者としてはこの主人公に口出ししたくなるわけ。

「おい主人公よ、ここで一言いわなくちゃいけないんじゃないの?

 次のスケジュールがあるから、それは出来ないよって。

今は出来ないから、明日の何時にしようよ・・・」

 

かと言って、まったく忘れているかっていうとそうでもない。

その場その場では主人公は対応しているわけです。

そしてそれが不安を増幅しているんですねえ。

 

それに一番感じるのは、ひとりひとりの登場人物の

セリフがめっちゃなが~~い。

何ページにも渡って続くという一人のセリフが何度も出てくる。

これって普通の会話のセリフじゃないんじゃないかと

疑いたくなってくるんです。

 

もしかしたら、主人公の妄想なんじゃないか・・・・

 

ちなみに、私はこの小説に関しては、一切予備知識はありません。

あるのは裏表紙に書いてあることだけです。

実験的で不条理な・・・それだけ。

わたし自身がどんな気持ちで読み進めることになるのか、

それを逐一記録しながら読んでみたい・・・つまり感想文も

実験的というわけです。

 

では、あと一日で読み終えることができるか・・・

今日も頑張りましょう。

 

 

ところで、この小説の舞台なんですけどね。

どうもハンガリーみたいです。

大陸にあって、フランスやイギリスには遠いと書いてある。

カフェでの大騒ぎの時にハンガリー語で歌っている・・・と

出てきたんです。 そして、主人公はイギリス人。

 

さて、どこまで来たんでしたっけ。

 

はい、目の前にコンサート・ホールがありながら、その前に

万里の長城みたいな壁があって、近づけない。

 

途方に暮れていたら、目の前に泊まっているホテルで働いて

いるポーターが主人公を見つけるんです。

 

このポーターですが、主人公の元妻みたいな女性の父親らしい。

 

で、有名なピアニストがポーター達のたまり場であるカフェに

やってきたってんで、その場が大騒ぎになる。

そして、ポーターダンスなるもので盛り上がるんです。

 

その前に、このポーターが、「この後すぐにコンサート・ホールに

行かなくちゃいけない」ってことを言うんですけど、

ここで何故か、主人公は「一緒に連れていってくれ」という

大事なことを何も言わないんです。

まったく馬鹿げています。

 

で、ダンスで大騒ぎの後、カフェのマネジャーみたいな男に

勧められてカフェの奥でひと眠りしちゃうんです。

 

で、はっと起きた主人公。

もしかしたら寝過ごして、コンサートに穴をあけたんじゃないかって。

 

でも、それは杞憂でした。

主人公は、誰もいなくなったカフェを出て、人通りがほとんどない

道をうろうろと迷いながら歩くんです。

 

そこで偶然にも、小説ですから、ホテルの支配人の妻と出くわす。

で、無事にコンサート・ホールに到着。

 

しか~~し、ここでまたとんでもない事に巻き込まれるんです。

 

 

ポーターダンスで重いスーツケースやらゴルフバッグの

パフォーマンスをやり過ぎた あの義理の父かもしれない男

が倒れてしまって今にも死にそうな状態なんです。

 

その男に頼まれて、男の娘と孫を急遽呼びにいかなくては

ならなくなった。

主人公は コンサートまであと1時間ぐらいしかないというのに、

自分でホテル支配人の車を借りて迎えにいくことに。

 

この車を借りるという結論になる前が、これまた支配人の

セリフがなが~~い。 イライラする。

しかし、そのセリフの内容は 例の墓場で元妻と話し合う

ためにまっている 今夜のコンサートの指揮者のトラブルなんです。

 

ここでは、主人公は今やるべきことを優先するんです。

男の娘と孫を迎えにいくこと。

 

ところがどっこい、まだそうは問屋が卸してくれないんです。

暗い道で車を走らせているとその途中で数名の人たちが

車を降りて 合図を送ってくる。

フツーなら緊急事態で走っているんだから、こんなところで

止まるわけがないんですが、主人公は止まるんです。

 

そして、そこで起こっている議論に加わってくれと強引に

車から降ろされちゃう。

なんてこった!! 信じられん。

 

ですが、これは小説です。

その現場は交通事故の現場だったんです。

そしてその犠牲者は、なんと墓場で元妻を待っていた筈の

今夜のコンサートの指揮者だったんですねえ。

う~~~ん。

010_2

 

「市民たちが次々に邪魔に入り」と裏表紙に書いてはあるんですが、

こりゃああんまりですよ。

それに、「邪魔に入り」というよりも、主人公が自ら巻き込まれて

いるという感じなんです。

 

752ページでホテルの支配人と話している場面。

 

「きょうの夕方、わたしがあなたをピアノの練習場から

お連れする車のなかで、あなたがたまたま何気なく、ミス・コリンズが

ブロツキーさまとお会いになるのを承知したと・・・」

 

これは支配人が主人公から聞いた情報に驚いて、なんとか

しなければと説明しているセリフなんです。

 

ところが、その主人公が車の中で支配人に話したというのは

本当だったかな? と読者である私は疑問に思ったんです。

 

その時の場面に戻ってちょっと読みなおしました。

長々とホテルの支配人が今夜のコンサートの準備を念入りに

やっているかという自慢話みたいなセリフがありました。

しかし、確かに あの二人が墓地で会うという話を主人公が

支配人に教えていたんです。

 

・・・つまり、読者の私の記憶も まあいい加減ってこと。

 

なぜ、ここで私がわざわざ確認したかと言うと、

もしかして著者は 登場人物の個別の記憶や主人公の記憶や

妄想をバラバラにして、しかもその間になんらかの繋がりを

もたせようと意図しているのかなと ふと思ったからなんです。

 

 

さて、交通事故の現場のレポートです。

 

今夜のコンサートの指揮者が、元妻が墓場には来てくれない

ということをホテルの支配人から聞かされ、自暴自棄になって

深酒し、自転車で元妻に会いに行こうとしていたところを

この車と事故ってしまい、足を切断しなくてはいけない状態に。

 

主人公と言えば、その事故に巻き込まれ、はっと思い出し

自分の元妻らしき女性に父親であるポーターが危ない状態

であることを電話ボックスから連絡しようと電話を掛ける。

・・・なのに、肝心のことは言わずに全く関係のないこと

ばかりをぐだぐたとしゃべり始めるんです。

 

そして、その元妻らしき女性との会話の中で、ようやく

それは元妻らしきではなく主人公の妻であることがはっきり

してきました。

 

ってことは、今危機にあるポーターは主人公の義理の父と

いうことですね。

 

さて、義理の父はどうなるのか、コンサートの指揮者は

足を切断されてどうなるのか、それにコンサート自体は

どうなってしまうのか、コンサートに現れる予定の

主人公の両親はどうなるのか、その両親の面倒を見てくれる

グループの あの幼馴染の女性に 主人公はちゃんと

失敗してしまった逆襲の罪滅ぼしができるのか・・・

001

 

ああ、今 786ページまで来たところです。

 

 

=== その6 に続く ===

 

 

 

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四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」のリアルタイム感想文 その4

 

これはリアルタイムでの感想文です。

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

その4

 

主人公は小高い山の上のぼろっちい小屋でピアノに向かいます。

傾いた小屋のぼろさに似合わない素晴らしい状態のピアノに

主人公は満足して、練習を始めます。

 

そして、練習は順調に進み、主人公は懸念していた自分の

演奏力にほっと胸を撫でおろすんです。

003

 

ところが、演奏の途中に、気になる音が下の方から

時々聞こえてくるんですねえ。

どうも、誰かが地下を掘っているような・・・・

 

そして、主人公の意識がここでも飛んで、妄想状態に入ります。

 

主人公の語りになっているんですが、それが事実だとは

とても思えないストーリーなんです。

 

ところがところが、その妄想が現実に繋がるという奇想天外。

 

地下から聞こえてきた音というのは、元指揮者が亡くなった

愛犬のために掘っていた墓・・・・らしい。

そして、その愛犬の葬式のために、元指揮者ブロツキーは

主人公に哀悼のピアノを弾いて欲しいと懇願していたんです。

そして、その懇願を主人公は拒否した・・筈なんです。

それがいつも間にか、懇願されたとおりにピアノを弾いた

ことにすり替わっている。

 

・・・そしてブロツキーはその墓地で元妻の女性とよりを戻そうと

懇願し、やっと会ってくれることになった場所。

 

そして、墓地を歩いているうちに、主人公は、ある葬列に

巻き込まれてしまうんですねえ。

有名なピアニストである主人公はそこで見知らぬ死者のために

祈ることになってしまう。

 

ところが、その埋葬の式のグループの中で、主人公を原因とした

トラブルに発展するんです。

 

それはどうも、あの新聞社の連中に引き回されて、なにがなんだか

分からないうちに、小高い山の上にある塔のところで

撮影された写真が新聞で大々的に掲載されたことが原因のようなんです。

 

ここで、また、例によってストーリーの次元飛びが発生。

 

何かっていうと、新聞社の連中に連れまわされて、なにがなんだか

分かっていなかったはずの主人公が ここにきてこんなことを

いうんです:

 

「きのうはサトラー館の前で写真を撮らせるなどという見込み違い

をしてしまったのだ。 もちろんあのときには、それがこの町の市民に

とってふさわしいメッセージを送る何よりも効果的な方法のように

思えたし、それにかかわる賛否両論についても十二分に認識

していたのだが・・・・」

 

・・・これって、まったくの妄想なんですよねえ。

もし妄想ではないとすれば、その時のこの小説の中での描写自体が

そっくりそのまま抜け落ちているって話になってしまう。

あるいは主人公自身の物語っている本人の記憶違いということに

なりそう。

 

 

まあ、そんなことが墓場でありまして。

そんな騒動がブロツキーのお陰で静まった頃に、タイミングよく

ある男、多分映画館で会った市議会議員かと思うんですけど、

今からコンサート・ホールに急いでいくといういうので乗せて

もらうんです。

 

そして、車の中で、その男の意見を聞いてみると、新聞に掲載された

サトラー館にまつわる話を聞かせてもらうんですが、どうもこれが

この町の人々にとってはおおむねネガティブな受け止め方をされて

いるらしいってことが分かっちゃうんですねえ。

 

そうこうする内に、街中の渋滞にはまってしまう。

男は、主人公に、あそこに見えている建物がコンサート・ホールで

歩いて数分の場所だから、ここから歩いた方が早いですよってんで、

親切にも降ろしてくれたんです・・・・

 

・・・が、ここでも例によって、異次元は話に突入するんですねえ。

主人公が迷いながらもすぐ目の前にコンサート・ホールの屋根が

見えてきたところまでくると、なんとそこには万里の長城みたいな

歴史的な壁が聳えているんです。

近くにいた女に尋ねると、この壁をくぐる穴みたいなものはない

っていうんです。

 

車で送ってくれた男は、この町の住人で、そんなことぐらい

分かっている筈なのに・・・どゆこと??

 

さてさて、この先どうなっちゃうんでしょ。

 

 

皆さん、私はこれをリアルタイムで本を読みながら書いているん

ですけど、決して「あらすじ」というわけにはいかないと思います。

 

「あらすじ」ってのは話の筋があってのものだと思うからです。

 

もう今までのこの感想文でお分かりだと思いますが、

この本の「あらすじ」を書けるだけの能力は私にはありません。

 

元々、なぜ私がこの感想文を「リアルタイム」にしたかって言えば、

それはこの本を読み始めた時に、話の筋というものがなさそうだったんで、

これは読み終わってから思い出そうとしても無理だと感じたからです。

 

010

この本の裏表紙にあるように、この小説は

「実験的手法を駆使し、悪夢のような不条理を紡ぐブッカー賞

作家の問題作」

なんてことが書かれているんです。

 

若い時に文学少年、青年でもなく、ミステリー小説などは

ほとんど読んだこともない私に 「不条理」な「筋のない」小説を

解読できるわけもありません。

 

ところで、今現在 938ページのうち688ページまで

辿り着きました。

多分 あと一日あれば 一旦読み終えることはできそうです。

・・・が全体を理解できるかどうかは異次元にありそうです。

 

 

 

=== その5 に続きます ===

 

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2018年1月21日 (日)

四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」 感想文 その3

 

リアルタイム感想文

 

 

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

その3

 

さあ、ドキドキしながら到着したレセプション会場なんです。

 

011

ところが、レセプションらしきことはなにも起こらず、主人公が

なんか場違いとも思える罵声に近いことを会場にいた数名の

男女に投げかけるんです。

 

何故そんなことが起きたかというと、どうも、主人公が妻らしき

女性の昔の記憶を辿って、それを今はやりの「忖度」した結果みたいな

感じなんですねえ。

 

そして、レセプションの途中で三人が会場を抜け出すんです。

 

会場を抜け出した三人が行ったところは、男の子とそのお母さんの家。

それもすぐ近くのアパートなんです。

もう、位置関係なんかぐちゃぐちゃです。

 

で、まだはっきりしないんですけど、この三人は夫婦と息子みたい

なんです。 それなのに、男は一人で歩いてホテルまで戻るん

ですよねえ。 夫婦みたいなのに、夫婦らしくないっていうか。

その辺りの種明かしはまだまだ出てきません。

 

やっと主人公の素性らしきものが出てくるのがこの後なんです。

翌朝、スピーチの内容を検討するための情報収集にある女性の

家を訪問するんですが、そこでたまたま先客として居たのが

学生時代の知人という設定。

 

その男は学生時代に同級生の中の道化役として人気者だった男。

その男が言うんです。

「おれは何のためにまたあんなことをやったんだ?

二度とあんなことはしないぞと誓って、だからこそここへ

移ってきたのに。・・・あれは大昔の話だ、いまはもうそんな

人間じゃない、いまのおれを見せてやるぞ、と。」

 

そんな同窓会の席では、その男曰く、この主人公はピアノにしか興味

のない変人のような扱いをされ、みんなに茶化されているってんです。

 

同窓会と言えば、実際問題おそらくそのようなものなんでしょう。

同級生だった当時のイメージで相手を固定している。

それが嫌で参加しない人たちも多いのかもしれません。

反面、それが楽しくて参加もする。

人間は日々変化しているということで言うならば、固定された

イメージが苦痛な人たちは意外と多いのかもしれません。

しかし、人によっては何らかのトラウマを抱えている人も

いるのでしょう。

 

さて、この女性宅の待合室で、次にひと騒動が起こるんです。

その女性というのは昔なら町一番の美女と誉れの高い人で

その当時はオーケストラの指揮者と結婚していたらしい。

 

その後その指揮者であった夫とは離婚して随分年月も流れ

今や夫は落ちぶれた身の上というわけなんです。

 

その元夫がよりを戻したいと女性の家に現れてひと騒動。

まあ、その辺りは、小説を読んでいただくとして、

今更ながらで とんちんかんなんですが、どうもストーリーの

語り手の視点が変なんです。

 

というのは、例えばこういうくだり:

 

「彼女は掛け金に手を伸ばしたが、しばらく開けるのをためらって

いた。 そのときわたしは、ふと思いあたった。 ミス・コリンズ

にとっては、さっきからこうして二人が歩いてきたことと、

いま隣り合ってシュテルンベルク公園の入口に立っているという事実が、

このときのブロツキーには想像さえできない、はるかに重要な意味を

持っていたのだ。」 

 

「ミス・コリンズはまた歩き出した。今度はブロツキーが隣に並んで、

・・・ミス・コリンズが口を開こうとしたちょうどそのとき、

バークハートスが突然わたしの背後で言った。・・・・」

 

・・・なにに違和感があるかっていうと、

ここでの「わたし」は、主人公なわけです。

普通ならば、ストーリー全体の客観的傍観者である筆者が

その場面を俯瞰しながら物語を進めるのだと思うんですが、

ここでは主人公である「わたし」なんです。

主人公は、たまたまこの町をコンサートのために訪れている

ピアニストなわけで、この女性の今および過去の記憶、意識が

分かる訳はないんです。

 

それに、「ちょうどそのとき・・」の後の「バークハートスが・・・」

というその場所は、前者がミス・コリンズとブロツキーが散歩している

公園の中の話で、後者はミス・コリンズの家の待合室にいる

男と主人公の場面なんです。

いきなり主人公の視点が空間を飛んでいる。

もしかしたら時間をも飛んでいる。

 

なんとなく、この主人公というのは、元妻(らしき女)の意識にせよ、

この女性の記憶にせよ、他人の記憶なり意識を自分のものの

ように振る舞っているような 変な違和感があるんです。

 

だから、この小説は 時空を超えたみたいな変な雰囲気がある。

主人公の意識が時空を飛んでいると言ってもいいかも。

 

こういう意識が時空を超えて動き回るという話は、

先日読んだ 木内鶴彦著「臨死体験で明かされる宇宙の遺言」

という本の内容にかなり近いんです。

 

つまり、臨死体験の只中にいる人間の意識が時空を超えて

あちこちの人間の意識の中に入ることができるという話に

そっくりなんです。

 

それはまるで霊媒師のご宣託のような響きさえあるわけです。

霊媒師が先祖の魂にコンタクトを取って、時空を超えた世界から

先祖の意識が現在のリアルな世界の人間に霊媒師を通じて

意識を向けているような・・・・

 

ちなみに、最新の素粒子物理学の世界でも

意識は素粒子レベルにその根源がある・・・みたいな話も聞きます。

もしかして、著者は、そういう意識の世界を念頭に置いているの

かもしれないな・・・と思うわけです。

 

 

「ちょうどそのとき、バークハートスが突然わたしの背後で言った。」

の続きなんですけどね、・・・

 

「「だから何なんだ? それがどうした? しょせんみんなは

外国人じゃないか。 おれの母国にはいい友人がいる。 故郷に

帰りさえすれば、みんながそこで待っていてくれる」と。

結構毛だらけだよ、おまえがそんなに都合のいい助言をもちだすのは。」

 

・・・この部分が何なんだって話なんですが。

この物語の設定場所は、大陸側、つまりフランスあたりみたいで、

登場人物はイギリス人が多いみたいなんです。

それよりも、私としては この「結構毛だらけ・・・」が

ぐっときました。 昔よく使っていましたねえ。

翻訳者も同年代なのかな?

 

さて、やっと、この辺りで主人公は自分がピアニストでありながら、

それも目前に迫ったコンサートの為の練習をまったくやって

いなかったことに気が付くんです。 やっと・・・

 

本当に読者としてもハラハラする展開でしたからね。やっとです。

 

そして、もちろん、その1~2時間の練習の為のピアノと

練習場がまたまた問題になりまして。

 

ホテルの支配人がホテルの中の二カ所を勧めるんですが、

ここじゃだめだってことで、ホテルの別館と呼ばれるところまで

車で主人公を連れて行くんです。

 

で、その車の中での会話なんですがね、

会話というより支配人の独白みたいなものなんですが、

この文庫版のページ数で20ページほども延々と続くんです。

 

その内容はと言えば・・・支配人とその妻の夫婦関係に

隠されている20年以上も前からの秘密・・・なんです。

 

こんななが~~い独白が 今後のストーリー展開にどんな

伏線となっているのかは想像もつきません。

 

・・・ということで、主人公はピアノが置いてあるという別館が

ある小高い山の麓にとうちゃこ。

 

さて、どうなるのやら・・・

 

007

 

=== その4 に続きます ===

 

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四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」の異次元世界 その2

 

リアルタイム読書感想文

 

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

その2 です。

 

 

ストーリーはあらぬ方向へ進んでいます。

あらぬ方向と言っても、始めっからストーリーはあらぬ方向ですから

今更驚くこともないんですけどね。

010

 

新聞記者に連れられて小高い山の上にある塔のようなところで

写真撮影をするんです。 でも、インタビューらしきものは

ほとんど無いんですねえ。 話が違うじゃないか。

 

そして、そこで塔の横から突然現れた音楽家という男が

お約束だったみたいに、主人公を車に乗せてお仲間らしき

人たちが待っているカフェに連れて行きます。

 

主人公はすっかり、カフェに置き去りにした男の子や

幼馴染の女性との約束は忘れてしまったみたいに。

 

音楽家が連れて行ったカフェで、険悪な会合が開かれる

んですが、その時にふっと思い出すんですねえ。

男の子のことや幼馴染との約束を・・・

 

その険悪な会合ですけどね、音楽家の集まりなんです。

そこで話し合われている内容はこんなかんじ・・・

 

「アンリは、どんなことがあってもカザンの循環的強弱法を

放棄してはいけないと言いますけれど、正しいんですの?」

 

字面は分かっても意味はさっぱり分かりません。

どうも、現代音楽のことを話しているらしい。

一般人には ベートーベンやバッハなどの古典音楽は理解

できても、現代音楽は理解不能である・・みたいなことが

論争の背景にあるみたいなんですが・・・

 

もう大昔のことですが、私がいわゆる現代音楽というものを

初めて聴いたのは NHKテレビからでした。

 

率直に言って、「なんじゃこれは?」でした。

とても音楽として聴けるようなものではありませんでした。

 

しかし、その時に聴いた現代音楽と今の現代音楽にどれほどの

違いがあるのかは分かりませんが、おそらく私の耳が慣れて

来たのでしょう。 「2001年宇宙の旅」と似ていて、

なるほどこういう音楽もあり得るのだなと思います。

 

ところで、この陰険な雰囲気の音楽家たちの集まりの場所

なんですが、なんとここでも、この会合のカフェのすぐ裏に

男の子が待っているカフェが繋がっている・・ってんですねえ。

前に出てきた、遠くのお屋敷の夜会に行ったら、そこは

主人公が泊まっていたホテルの一部だった・・・と同じ

パターンでした。

 

読者は主人公ともども、車で連れまわされた挙句に

元の場所にいつの間にか戻っていたって話です。

 

 

物語はその後、男の子が以前住んでいたアパートへと展開。

そこでその親子のアパートのお隣さんと主人公が喧嘩。

その喧嘩の内容は男の子の両親が家庭内の騒動で迷惑したという

お隣さんの文句。

主人公とその男の子が親子なのか、あるいは男の子の父親は

別人なのか・・・疑問が次々に出てくる。

 

おまけに、男の子の妄想を共有するかのような主人公の

妄想が延々と続く。

 

そうこうするうちに、主人公が記憶していなかった別のお約束で

急遽 レセプションに出かけることに。

そんな時に、アパートに電車の中で偶然出会った幼馴染の女性が

自宅に帰ってきて、ばったり出会う。

昨日約束をしていて、その敵討ちに燃える女性に付き合って

アパートの友人宅を廻ることになった。

 

主人公も読者も知らない約束事に振り回され、読者は主人公が

忘れてしまっている約束事にまでハラハラさせられるという

イライラ小説なのであります。

 

敵討ちの場面は、さらにイライラが続くんですが、問題はその後です。

 

そそくさと、主人公が運転してレセプションに行くことになるんですが、

住んでいる場所ではないので道が分からない。

アパートの管理人から「あの赤い車に付いていけばいい」と言われて

追いかけるんですけど、途中で母子の強いお願いでサービスエリアみたいな

ところへ。ここで、道案内はいなくなるんですねえ。

怖いですねえ。

 

で、そのサービスエリアで、たまたまおしゃべりをしていた

女性たちが主人公の噂をしているんです。

その噂話の内容が、なんと主人公の頭にコピーされちゃって。

そうだ、レセプションなんかを仕切ってくれている女性に

連絡しなくちゃってんで、電話をするんですけど、その中身たるや

その叔母さん達の噂話からもらった事柄なんですねえ。

で、肝心なレセプションや道案内については、何も話さず。

 

どうも、この主人公は、自分が過去に約束したことは忘れているのに、

今他人が噂話をしていた事柄によって次の行動を決めているような・・・

 

さて、トイレを済ませ、お腹にちょっと入れて、家族喧嘩をして、

噂話をして、女性に電話連絡をして・・・なん十分経ったのでしょう。

もうとっくに道案内の赤い車はいなくなって。

 

どうすんだろ~~~と思っていたら、ここで読者は裏切りに

会うんですねえ。

なんと、すぐに赤い車に追いついて、すんなりとレセプション会場に

ご到着なんです。

 

これって、やっぱり時空を飛んでいるとしか思えません。

反則だと思います。

 

そして、すんなり会場に入るかと思いきや、今度は建物の前の

駐車場に打ち捨てられた壊れた自動車の中で主人公が

夢想するんです。 夢想というか少年時代の記憶が展開するん

ですねえ。  やっぱ認知症なんじゃないの?

あるいは、別の精神的な症候群なのかな?

 

うちの大家のお婆ちゃんは96歳なんですけどね、認知症が

結構進んでいるらしく、家族によれば結婚前後の二十歳代の時の

世界に住んでいるような言動があるらしい。

その当時のご主人に対する嫉妬心なんかが蘇ったり、

当時の小作人に対する不平不満が口を突いたりしているそうな。

 

ちなみに、私に対しては、メリー・クリスマスだの

ハッピー・ニューイヤーだの、ご飯食べただのの言葉が

毎日のように繰り返されたり。

でも、私の名前だけはしっかり覚えてくれてんです。

不思議です。

 

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=== では、その3 に続きます ===

 

 

 

 

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