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2019年4月23日 (火)

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その8(完) 長崎・外海とハウステンボス

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 

- その8(完) 長崎・外海とハウステンボス そして 熊本城

 

World Cultural Heritage : Hidden Christian
Sites in the Nagasaki and Amakusa Region

http://kirishitan.jp/en

 

2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

その8は、過去に行ったことのない 長崎の外海です。

パックツアーの旅、ハウステンボスも込み込み・・・・・

ついでに、熊本城へも・・・・

 

 

2019年4月2日の朝・・・・

 

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生まれて初めての佐賀空港へ・・・

本来なら長崎空港直行なんでしょうが、これも良し。 

 

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桜も真っ盛り・・・ 

 

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川登サービスエリアで 「天ぷら」・・見るだけ。

 

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目的地は 長崎外海地区の世界遺産 出津の集落。

 

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私の本当の気持ちは、世界遺産の出津集落ではなく、

右端にかろうじて描いてある黒崎地区の枯松神社だったんですが・・・

 

と言うのも、隠れキリシタンの時代も、そして今も

神社とキリスト教が共存していると聞いたからです。

 

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で、何はともあれ、出津教会堂。

この教会の背が低いのは 風当たりが強い場所に

あるからだそうです。

 

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この教会では、我々が内部を拝観した時に、

韓国語でのミサが行われていました。

 

 

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ガイドの方に伺ったところ、韓国からの巡礼ツアーの

団体だとの話でした。 

 

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出津の集落で有名なのは マルコ・アリ・ド・ロ神父です。 

 

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神父は村人の窮状を救うため・・・授産・福祉施設に私財を投じたそうだ。 

 

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この石積みの塀が特徴的なものだとのことです。 

 

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 ところで、「外海」(そとめ)とはどこなのかと言いますと

上の地図のように長崎市から北西に入った山々に囲まれた

ところで、隣の村へ行くにも大変なところです。

 

禁教時代に、全国から九州へ、九州から長崎へ、

長崎から外海、そして五島などの島々へと

隠れキリシタンの移住が進んだのです。 

 

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ここには 「沈黙」の遠藤周作文学館もあります。 

 

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バスの車窓から撮影した 黒崎教会。

出津の集落は世界遺産に含まれていますが、

黒崎の集落は入っていません。         

 

https://www.at-nagasaki.jp/spot/1096/

1897年にド・ロ神父の指導で敷地が造成され、1899年から

建設計画が進行、1920年に完成した、遠藤周作の小説『沈黙』

の舞台ともなった黒崎の地に建つ教会。」 

 

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「沈黙」の海が光っていました。 

 

私が外海に興味を抱いたのは、金鍔次兵衛の関連資料が

あるかもしれないと思ったからです。 

 

しかし、残念ながら、出津の外海歴史民俗資料館には 

私の目当てのこれというものはありませんでした。

バスの出発時刻が迫っていたので、ささっと見て廻ったん

ですけど・・・

 

https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/kibe187/densetsu/

「大村家の記録には、西彼杵半島の横瀬浦と面高から長与に

至るまで行われた「金鍔狩り」の様子が詳しく記されている。

その後、戸町の裏山の洞穴に身を移し、「金鍔谷」と

して知られるその場所から長崎の中心部に潜入した。」

 

耐久力があれば、この「次兵衛岩」に行きたいところなんですけど・・

https://blog.goo.ne.jp/rarirari-pinot/e/86be20943fc0d4d477a21d0e43cb9fe9

「外海の先、神ノ浦地区に「次兵衛岩」(その山中にも潜んでいた)

というのがあるのですが、そこへは山道を1時間以上登らないと

行けないそうなので、いつかはチャレンジしてみたいのです。

そこは金鍔岩とは言わなくて、次兵衛岩なんですけどね。

入口にはこんな案内板が立っています。」

 

・・・なぜ、この忍者司祭である金鍔次兵衛にこだわるか

と言うと、天正使節の4名、特に千々石ミゲルとの

接触が潜伏期間になかっただろうかと思うからです。

 

そして、もう一点は、隠れキリシタンの時代に

神社、寺などの年中行事に隠れキリシタンの人びとが

どのように関わっていたかを知りたいからなんです。

枯松神社のように・・・・

 

 

 

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そこで、この 諏訪神社(鎮西大社)なんです。

 

鎮西大社 諏訪神社

https://www.osuwasan.jp/

「長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かつて

長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社を、

寛永2年(1625)に初代宮司青木賢清によって、西山郷円山

(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりです。」

 

何と言っても有名なのは「おくんち」ですね。

https://www.osuwasan.jp/page0115.html

「一年でもっとも重要な祭典を例祭といいます。

当神社では107日~109日に行われる一連の祭典

がこれに当たります。

当神社の例祭は「長崎くんち」と呼ばれ、昭和5423

に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

荘厳な御神幸と国際色豊かな奉納踊により日本三大祭

と称されています。」 

 

そして、何かの本でも読んだことがあるのですが、

「長崎くんち」が始められた理由が興味深いのです。

これは、島原の精霊流しにも共通する理由なんです。 

 

「長崎くんちが始まった衝撃の理由とは?」

http://kininaru-trend.net/post-2635/

 

「この祭りを始めたのは、長崎奉行・榊原職直(さかきばら

もとなお)。武家出身で池上本願寺の僧となっていましたが、

徳川家康の命で「徳川四天王」の一人、榊原康政の養子と

なった人です。

長崎は、江戸時代を通じ幕府の直轄領で、幕府の奉行所が

置かれていました。


長崎奉行が「長崎くんち」を始めたのはなぜか?

その理由は、キリシタンの弾圧でした。

諏訪神社の祭礼(長崎くんち)を、長崎の町の神事と認定。

町民を神社の氏子にさせました。その背景には、キリシタンを

改宗させたり、弾圧する目的があったと言われています。」

 

・・・と言うことが歴史的にあるらしいので、


今年の日比友好月間イベントの「17世紀の日比交流」と

いうテーマの中で、どんなコンセプトにするか

悩みどころということです。

 

 

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長崎の港・・・そして出島

 

 

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そして、長崎市で最初に行ってみたのが出島です。

 

 

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異国人の靴が汚れないように、石畳にしたという話も

ありました。 

 

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これで見ると、マニラ以外にも、カガヤンやパンガシナンに

寄港していたというのが目新しい情報です。 

 

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こんなミニチュアの南蛮船を展示できたらいいん

ですが、金欠病なんで・・・・ 

 

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蘭学のことなどは 誰でも知っていることなんですが・・・ 

 

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「須弥山儀」なるものがあったなんて、初耳です。 

 

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出島の南蛮人や紅毛人は ビリヤードをやっていたらしい。
実際、現物が置いてありました。

 

 

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長崎も 春爛漫でした。 

 

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そして、夜には、 

 

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稲佐山の展望台からの夜景。 

 

この夜景ツアーのバスガイドのお姉さんにちょっと質問をしたんです。

何故かって言うと、ガイドさんご本人が長崎・外海地区の

出身だということが分かったからです。

それで、これ幸いと 今回のツアーで知りたかったことを

尋ねました。

 

「外海などに住んでいる隠れキリシタンの人たちは

 日本の伝統的な季節の行事、例えば七夕祭りなんかも

 普通にやるんでしょうか?」


「はい、一般的な年中行事はやっていますよ。」

 

ああ、これこそ聞きたかった言葉です。

なんとなく イベントのコンセプトをイメージできそうな

大発見になりました。

 

さて、パックツアー二日目の 4月3日・・・

今日は大浦天主堂、長崎平和公園からハウステンボスへ向かいます。 

 

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浄土真宗の境内からすぐ隣にある大浦天主堂をちらりと望む・・・

 

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その妙行寺のおニャン子ちゃん。

 

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こっちは、大浦天主堂の猫ちゃん。
後ろ足が不自由な猫ちゃんでした。 

 

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バスの車窓から撮影。

原爆で半分が吹き飛ばされたという鳥居。
分かりますか?

 

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平和の泉から望む 平和祈念像。 

 

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母子像 

 

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長崎市平和会館の展望台から・・・・

 

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長崎の桜・・・ほぼ満開でした。 

 

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ランチタイムは、

角煮まんじゅうと皿うどん。

皿うどんには やっぱウースターソースですかねえ。

 

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さあ、佐世保出身なのに、今まで中に入ったことがない

ハウステンボスです。 

 

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何度も倒産の危機があり、HISに助けてもらった

大規模な施設。

 

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様々なアトラクションを 次から次に打ち出さないと

安定した経営は非常に難しいのでしょうね。

 

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こういうショーは、寒かったけど、一見の価値は

ありました。

 

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夜のライティングは素晴らしい。
絵画を見ているような・・・

 

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ハウステンボス内の 大村湾に繋がる運河は

素晴らしいものでした。

 

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ホテル・ヨーロッパは

パックツアーならではの格安設定。

 

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朝ごはんに シャンパン付いてます。 

 

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チェックアウトは ボートで・・・・ 

 

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展望台からヨットハーバーを見下ろす。

大村湾の一部です。

 

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自宅からボートでお出掛けの生活はいかがですか? 

 

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保育園の子供達もお散歩に来ていました。

 

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「天翔けるブーツ ~長崎での竜馬~」 観ました。 

 

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ミニ「宝塚」で、初体験。
田舎な佐世保で こんな歌劇を観られるとは

まさに驚きでした。

 

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もちろん 食べました。 佐世保バーガー。 

 

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ハウステンボスを一歩出たところに

「変なホテル」もありました。

外国人観光客に人気があるようです。 

 

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さて、ここから、私だけパックツアーを離れて

熊本へ向かいます。 

 

そして、 4月5日・・・熊本・・・

 

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熊本市国際交流会館での待ち合わせ。

 

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天草市の古楽器アンサンブル・グループ

「コレジヨの仲間」との演奏会の打合せ。

 

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目の前に熊本城。 

 

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熊本地震で大きな被害を受け・・・・ 

 

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建物の修復はあと2年ほど、

そして石積みの石垣は あと20年ぐらい掛かるとの

ボランティアガイドさんのお話でした。

 

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どの石垣がいつの時代に造られ、補修されたのかを

忠実に 元の材料で復元するのだそうです。

 

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熊本空港から羽田へ向けて・・・

熊本空港も初体験。

 

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さあ、東京へ戻ってきました。

(・・・・と、埼玉人は言う・・・笑)

 

おやすみなさい。 

 

― これで一連の 長崎・天草の資料探しツアーは終了です。 -

― お付き合い、ありがとうございました。 -

 

 

 

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2019年4月22日 (月)

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その7 福岡・西南学院、東京・國學院と上智

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 

- その7 福岡・西南学院、東京・國學院と上智

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2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

その7は、福岡の西南学院大学で行われていた

「キリシタン 日本とキリスト教の469年」展、

今回の9日間のツアーの最終日の「潜伏キリシタン」を訪ねての旅です。 

 

2018年11月9日の朝・・・・

 

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博多から地下鉄で西新へ。

 

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西南学院大学に到着。 

 

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この「キリシタン 日本とキリスト教の469年」展は、

東京の國學院大學との相互協力で開かれていました。

 

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日本に初めてキリスト教が伝えられたのは 1549年。

ザビエルはバスク人で、イエズス会の創設メンバーの一人

とされています。

 

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そして、1582年に 巡察師ヴァリニャーノの企画で

大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代という建前で

4名の少年がローマへと派遣された。

巡察師というのは 地方の布教状況をチェックして廻る

役割らしい。

 

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「千々石ミゲル夫妻伊木力墓」

仏教式の墓石の下に眠っていた二基の墓石のひとつが

ミゲルの妻のものとみられることがわかり、

しかもそこにキリシタンであることを示す遺品が見つかった

ことから、もうひとつの墓にはミゲルが眠っているのでは

ないかと期待されている。

 

ここで、ついでに、10月27日に行ってみた

東京の國學院大學での おなじキリシタン展の様子をちょっとだけ。 

 

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國學院大學。 学園祭みたいな準備をしていました。 

 

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ここでやっていたのは、長崎県平戸の生月島の

隠れキリシタンに関する 特別講義。

 

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さらについでに、10月13日に開催された考古学的な

発見に関する講演。 

 

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私の興味の焦点は・・・

 

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この中でも、特に 大石一久氏の

「天正遣欧使節と千々石ミゲル」でした。 

 

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キリスト教信徒の中では、悪魔とされてきた 千々石ミゲル

あるいは 大村藩の千々石清左衛門は、果たして実際に棄教したのか

という疑問です。 

 

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ミゲルは4人の少年の中でも 藩主の名代という身分において

疑いのない血縁にあった。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/天正遣欧少年使節

「伊東マンショ(主席正使) 大友宗麟の名代。宗麟の血縁。

日向国主伊東義祐の孫。後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。

千々石ミゲル(正使) 大村純忠の名代。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。

後に棄教。

中浦ジュリアン(副使) 後年、司祭に叙階。1633年、長崎で穴吊るし

の刑によって殉教。2007年に福者に列せられる。

原マルティノ(副使)後年、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオで死去。」 

 

伊東マンショは主席正使なんですが、企画したヴァリニャーノを

良く思わないイエズス会内部の反対派から、正当な名代では

ないとのいちゃもんをつけられたりしているんです。

 

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はい、これが ミゲルの墓じゃないかと期待され、

発掘をまっている墓石なんです。

 

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出ました! 天草四郎はミゲルの息子だった説。

この噂は、私みたいな者のとっては都合の良い話でして、

ミゲルが大村藩に仕えた後の足取りやどこで死んだかも

分からないような歴史になっているので、

もしかしたら、信仰は捨てずに、自分の息子を

天草四郎にするための画策をしていたのでは

ないか・・などと夢想するわけです。

 

そして、さらについでに、 2018年12月8日、上智大学。

この講演会は 期待以上に面白かったんです。 

 

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第一部と第二部の途中までしか座っていなかったんですが・・・ 

 

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 日本へのキリスト教の布教は 侵略を意図していたのか

どうか・・というような核心の議論が出てきたんです。 

 

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もちろん、当時は大航海時代で、植民地を拡大することが

常識的な大前提としてあったのでしょう。 

 

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ここで興味深いのは、

― フィリピンは「事業」として失敗した感覚と

  有益な植民地支配のための見通しの欠如

― 経済的な要請から - 布教活動による新帝国主義

の辺りでしょうか。

 

つまり、正確ではないかもしれませんが、

日本に対しては 一番下の

― 宣教師を守ることと 布教活動優先

と言うことになっていた時代かなと思います。

 

フィリピンではビジネスとしては失敗したんですが、

今のフィリピンのキリスト教の普及を見ると

成功したように思えます。

 

しかし、信長の時代はともかく、秀吉以降は

ビジネスはやるけれども、日本を統一するためには

キリスト教はお断りという状況になっていたわけですね。

 

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これはかなり日本人を持ち上げている感じではありますが、

こういうことをヴァリニャーノは理解していたからこそ

日本人司祭を育てようと 天正遣欧使節を企画したのでしょう。 

 

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一方で、中国征服の中には、中国にフィリピンを植民化

させるというアイデアもあったのですね。

 

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・・・というようなわけで、

 

2019年7月・8月の日比友好月間イベントのコンセプトを

どんなストーリーでまとめるか・・頭が痛いわけです。 

 

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そこで、脳みそに活力を与えるために・・・

 

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上智大学に来たら、ここに立ち寄るってことになります。

 

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これで、11月1日からの9日間の長崎ツアーと

東京でのおまけの講演会の部を終わります。 

 

おまけのオマケですけど、

福岡の西南学院大学の近くには こんなのがありました。

 

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次回 ― その 8 - では、

まだ行ったことのない長崎・外海と ハウステンボスの巻です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その6 島原・原城跡

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その6 島原・原城跡

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2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

その6は、島原での2日間、今回の9日間のツアーの内

7日目と8日目の「天草・島原の乱」を訪ねての旅です。 

 

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もちろん、その目玉は この 原城跡 です。 

 

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まずはお宿で 朝ごはん。

 

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お宿の玄関には 熊本県の天草地方と同じく、

しめ縄を一年中飾っておくという風習が残っていました。

 

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お宿の裏には、キリシタン墓碑が・・

 

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 ここには、

ヒリ作右衛門ディオゴ 生年

御出生 以来 1610

10月16 慶長15

・・と書かれています。

 

これは、グレゴリオ暦年と元号年を併記したもの・・・

・・とあります。

 

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そして、早速向かったのは 南島原市役所。

なんと、昨夜、真っ暗な中、この市役所の前をウロウロしたの

すら分かりませんでした。

 

南島原出身のある方のご紹介があり、元町長さんのご案内で、

バギオ市での日比友好イベントへのポスターなどのご提供と 

歴史資料の情報提供をお願いに行きました。

 

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最初にご案内いただいた処は もちろん原城跡。

「島原の乱」の攻防の後、荒地となり、その後

耕作もされていたところを文化財として整備してきた

そうです。 

 

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この原城跡には 掘っても掘っても人骨が出てくるほど

島原の乱の犠牲者が発掘されたため、このようなお地蔵様が

建てられたとのこと。

「ホネカミ地蔵」と呼ばれています。

 

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「島原の乱では3万人以上のキリシタン・農民が命を落とし、

原城一帯で後に多くの遺骨が出土されました。散乱していた

遺骨を敵・味方の区別なく拾い集めてその霊をなぐさめた

のが、このほねかみ地蔵です。」

https://www.nagasaki-tabinet.com/course/60311/

 

一方の幕府軍は総勢12万人とも言われ、そちら側にも

相当の犠牲者が出たものと思います。

 

 

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「埋門跡」(うずみもんあと)

 

「一揆の後、幕府軍によって壊され、埋められて

いましたが、発掘調査で・・・」とあります。 

 

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敷地内では、今でも一部が農地として使われています。

向こう側に並んでいる岩は、復元するための岩だそうです。

 

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「天草四郎の墓」というものがあります。

上のリンクで見てみますと、

「墓石は西有家町にある民家の石垣の中に埋もれていたもの。

その後ゆかりの深い原城に移し供養したと言われています。」

と解説があります。 

 

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しかし、様々な資料を読んでみると、いろいろな説があって、

誰の子で、どこで生まれたのか、本当にこの原城で死んだのか、

等々 明確な証拠はなさそうです。

幕府軍の中には、天草四郎の顔を知るものはおらず、

母親に首実検をして、その反応で これが四郎の

首だと決めたのだとか。

 

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巷には、豊臣秀頼の子であったとか、この原城を抜け出して

生き延び、ルソン島に逃げたという説まであるのです

 

原城は、海側が断崖になっていているのですが、この本丸から

抜け穴があって、断崖の横穴に繋がっていたという話も

あるのです。

ある小説では、四郎と思われる若者が長崎の港で船に乗る
ことを匂わせるシーンがあります。

 

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南島原市有馬キリシタン遺産記念館 

 

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1579年 イエズス会巡察師 ヴァリニャーノが

南島原の口之津にやってきた。

 

この人こそが、日本での布教は日本人に任せた方が

良いとの考えで 天正遣欧少年使節団を企画した

プロデューサーだったのです。

 

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その時代の詳しいいきさつ等が この「クアトロ・ラガッツイ」に

詳しく書かれています。

 

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ヴァリニャーノの時代の布教の中心は

京都、大分、そして長崎にあったようです。 

 

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セミナリオは小中学校レベルで、

コレジヨは大学レベルの教育がされたようです。

 

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有馬の最初のセミナリヨの入学生は22名、その中には

伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノもいた

と書いてあります。

天正遣欧少年使節の4名です。

 

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興味深いのは 棄教したとされている 千々石ミゲルです。

本当は信仰を死ぬまで守っていたのではないかと

考えられてもいるのです。

 

墓の発掘が2019年の冬までには計画されているそうでので、

そのミゲルの墓にキリシタンであることを表す

十字架などが出てくるかもしれません。

 

ちなみに、キリスト教の信徒の中では

このミゲルは悪魔のように言い伝えられているそうです。

もちろん、信徒であったミゲルが 大村藩に仕えて

弾圧する側に回ったのですから、当然のことなのですが。

 

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そして、ここで、私が 喜びのあまり声を上げそうになったのが

探し求めていた トマス金鍔次兵衛でした。

 

「キリシタンの間でヒーロー伝説が語り継がれた 

・・・6歳の時有馬のセミナリヨの予備級に入学、

禁教令でマカオに追放後、マニラに渡ってアウグスチノ会の

司祭となり、日本に潜入。・・・」

・・と記載されているではないですか。

 

これが発見できただけでも、南島原まで足を延ばした甲斐が

あったというものです。

 

何故かと言いますと、 天正遣欧使節の4人と フィリピンに行き来した

金鍔次兵衛の間に なんらかの接点がないものかと 資料を探して

いたからなんです。

 

 

 

 

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そして、彼らが日本に持ち帰ったもの。

その中でも 今年の日比友好イベントに登場するのが

この16~17世紀のヨーロッパ音楽とその楽器です。

Nagasaki-tour-and-amakusa-concert-by-fri

 

ちなみに、上の絵にある楽器が、天草市立の博物館である
「コレジヨ館」で復元され展示されているのですが、
これを「コレジヨの仲間」という古楽器アンサンブルの
グループが 2019年7月21日と23日に
バギオ市とマニラ市で演奏会をしてくださることになったのです。

 

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領主の圧政に耐えかねた農民や 豊臣側だった武士などが

集結し、天草四郎を旗頭としたのです。

その中に多くのキリシタンがいた。 

 

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島原と天草の間にある湯島(談合島)。

この島で「天草・島原の乱」に火がついたのでした。 

 

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では、その原因は何だったのかといいますと・・

 

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いろいろと複雑な要因があったようです。

 

05-241

 

 そして、その後、1865年の大浦天主堂の完成まで

潜伏が続き、信徒発見に繋がっていきます。

 

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そして、次にご案内いただいた処は、

口之津歴史民俗資料館です。 

 

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口之津が貿易で栄えたころの状況。

フィリピンとの関係で言えば、スペイン船をチェック。

貿易品の品目は興味深いですね。 

 

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ガレオン船と呼ばれているものですね。
高山右近も、支倉常長も、金鍔次兵衛もこれに
乗って長崎とマニラの間を渡ったことでしょう。

 

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 そして、この資料館にあった、「からゆきさん」の

コーナー。

ほんの100年程前には 日本は貧困の中にあり、

こんな悲しい時代もあったのです。

そして、その頃、フィリピンはその受け皿にもなって

いたのです。

 

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最近日本で囁かれている貧富の格差。

そして一方で、経済成長著しいフィリピン。

歴史は繰り返されるのでしょうか。 

 

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晩御飯を食べた島原駅の近くのお店。

若い夫婦が始めて日が浅い居酒屋だった。

 

ちょっと主人と話をしてみたところ、

島原の乱で当時のほとんどの住民が死んだ中で

自分の先祖は生き残り、今でも地元を離れないでいると

いうことだった。

 

実際、原城周辺の多くが、戦乱で死んだ為、

他の藩からの移住者が多いという話がある。

 

さて、翌朝 11月8日になりました。

 

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午前中は島原城の見学です。 

 

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この島原城では、一階でキリシタン史料館もやっていました。

 

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 隠れキリシタン大日像 

 

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 潜伏キリシタンが信仰の対象とした マリア観音像 

 

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石像マリア観音 

 

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鬼子母神の聖母子像 

 

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聖母子像(丁頭仏)

 

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天草びな(マリア観音) 

 

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キリシタン鍔・・・

おそらく金鍔次兵衛も このような金の鍔を

使っていたのでしょう。 

 

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影踏・踏絵

 

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島原切支丹地図 

 

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島原半島の南部では、 島原の乱への参加が

「全村参加」、中部では「一部参加」となっており、

参加者合計が 23,891名となっています。

そして北部の「全村不参加」を入れても

全体の参加割合が 58.8%になっています。

 

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原城での戦いでは、立て籠もった一揆軍は、

一人を除いて全員戦死したということになっていますから、

島原の南半分からはほとんど藩民がいなくなったということになります。

 

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精霊流しは キリシタン復活を抑えるために

盛んになった・・・しかし、その中には

隠れキリシタンもいた。

 

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この島原城の資料館には こんな武将隊も・・・

館内には韓国語が飛び交っていました。 

 

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休憩所でタバコを吸っていたバスの運転手さんと

話をしたところ、最近は韓国人観光客専門の旅行会社が

あって、韓国からキリスト教の巡礼団が島原にも

やってくるのだと聞いた。

 

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島原半島殉教者記念聖堂

 

島原に従来から住んでいる人たちはほとんどキリシタンでは

ないことになっているので、一般的な教会ではなく、

巡礼の人たちのお祈りの場所になっているらしい。

 

原城跡のような歴史的にキリシタン殉教の場所もあり、

観光客は歴史史料館に行き、巡礼を目的とする人たちは

このような聖堂に行くということらしい。

 

http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukuokahatu/shimabara_church.html

「この聖堂は、1612年~1658年の間に、島原半島一帯で

殉教した数万人にもおよぶキリスト教信者を記念し、

祈りの家として建てられたものです。」

 

http://www1.odn.ne.jp/tomas/simabara.htm

「島原半島のキリシタンは、藩主松倉重政とその子勝家の

雲仙硫黄地獄の過酷なキリシタン迫害と、重税に苦しめられた

農民がおこした一揆によって全滅した。

島原の乱でキリシタンが絶滅した後に移住してきた信者が

殆どで、土着の者は少ない。尚、官庁、警察、学校、銀行などに

勤務する信徒の転出入が激しく、また地域的にも島原半島全域に

散在し、まとまり難い。長崎教区でも福音宣教の最先端の地

とも言えるが、状況は甘くない。」

・・との記載があります。

 

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では、島原城に別れを告げて、城下町を散策しましょう。 

 

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武家屋敷の静かな佇まい 

 

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何軒か内部を公開している屋敷があります。

 

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清らかな水が道の真ん中を流れていて、蝶々も元気・・・

 

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名物の具雑煮・・・だったんですが、

残念ながら定休日でした・・・

 

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・・で、雰囲気のよいお店で・・・ 

 

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こんなランチになりました。

 

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人通りの少ない商店街には こんな看板が出ていました。

なして????

 

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そして、この高速バスで 博多へ 

 

― その 7 - に続きます

 

 

 

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2019年4月21日 (日)

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その5 大浦天主堂

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その5 大浦天主堂

World Cultural Heritage : Hidden Christian
Sites in the Nagasaki and Amakusa Region

http://kirishitan.jp/en

 

2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

その5は、長崎市での2日間、今回の9日間のツアーの内

5日目と6日目の資料探しの旅です。

 

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長崎市での一日目は、新地中華街の隣のホテルから出発。

 

 

 

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坂道を登って、大浦天主堂を目指します。 

 

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大浦天主堂と右側に連なる博物館。

 

 

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公式サイトでの解説では、

https://nagasaki-oura-church.jp/history

「大浦天主堂は、正式には、「日本二十六聖殉教者聖堂」と言い、

1862年に二十六人の殉教者たちが聖人に列せられたのを受け、

捧げられた教会です。そのため、大浦天主堂は殉教の地である

西坂に向けて建てられています。」

との記載があります。

 

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国宝であり世界遺産になったのは、この潜伏キリシタンと

「信徒発見」によるところが大きいようです。

 

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こちらのマリア像「日本之聖母像」は、手を合わせた

「ルルド(地方)のマリア」と呼ばれている形のようです。

 

「この像は、「日本に数多くの潜伏キリシタンたちがいた」

というニュースが全世界に伝えられた際に、フランスから

その記念として贈られたものです。」と記載されています。

 

教会内部の様子は、こちらの公式サイトでどうぞ:

https://nagasaki-oura-church.jp/archives/category/point

 

「信徒発見のマリア像」は、教会の祭壇にあります。

 

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そして、石畳の坂を歩きながら、グラバー園へ向かいます。

 

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修学旅行で来て以来・・・何十年ぶりだろう・・・

旧グラバー住宅

昔はグラバー邸って言っていたように思いますが・・

 

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公式サイトはこちらです:

http://www.glover-garden.jp/about

 

 

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博物館の中。

さまざまな船のミニチュアが展示されています。

 

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博物館二階からの展望。

大型客船がすぐ近くに停泊していました。

 

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季節外れの桜も咲いていました。

今日は2018年11月5日です。

 

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もちろん 蝶々夫人の像もあります。 

 

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プッチーニと オペラ「マダム・バタフライ」。 

 

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長崎伝統芸能館は グラバー園の一部でした。

 

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「長崎のお祭り「長崎くんち」に奉納される龍踊りの白龍、

青龍、各町の奉納踊りを先導する「傘鉾(かさぼこ)」と

呼ばれる豪華な飾りなどが展示されており、長崎くんち

の映画も放映されています。」

http://www.glover-garden.jp/gardenmap/ntpa-center

 

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2019年8月にバギオ市で開催する日比友好イベントで

何を展示したらよいか迷っているところです。

もちろん、長崎のなにかをイメージできるものを

制作するということなんですが。

 

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坂本龍馬も魅力的なんですが、フィリピンとは

関係ないしなあ・・・

 

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四海楼のちゃんぽんを一度はこの店で食べてみたいんですが・・・ 

 

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満席でした。

インターネットショップでこの店のちゃんぽんと

称するものを食べてみたんですが、

微妙な味だったんですよねえ・・・

 

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大型客船がど~~んと横づけしていました。

こちらのサイトで、大型客船情報をどうぞ:

http://www.nagasaki-port.jp/index.html

 

「長崎港 は、1571年開港し、オランダや中国との交易で栄え、

さまざまな文化や学問を発信してきました。

 19世紀には、日本と中国(上海)の架け橋として、

多くの人の交流の場となりました。

 現在は、日本屈指の観光船寄港実績があり、長崎水辺の

森公園など親水空間が整備され、多くの人に親しまれています。」

 

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長崎と言えば、この路面電車も魅力。

便利です。 

 

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では、大浦天主堂から出島まで行ってみましょう。

 

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長崎港の「出島ワーフ」という処へ向かいます。

 

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さて、ここが「出島ワーフ」のカフェ。

ぬいぐるみみたいなワンちゃんもお散歩。 

 

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なぜここに来たかと言いますと、情報収集の為に

午後の約束があったからなんです。

で、その前にランチ。

 

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カプチーノを頼んだら、こんなんが出てきました。

 

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二階からの展望。 いいっすねえ~~、港町。

 

「長崎は今日も雨だった 内山田洋とクールファイブ」

https://www.youtube.com/watch?v=YGfseX5WdVE

 

「ああああ~~、ながさき~~わ~~

きょうも~~ はれ~~だあった~~」

 

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で、私がアポを取ったのは、

「長崎の教会群 インフォメーションセンター」です。

 

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インフォメーションセンター内の展示。 

 

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私がこの潜伏キリシタンの歴史の流れの中で

注目している部分は、

 

1637年: 「島原・天草一揆」 から

キリシタンの「潜伏」が始まり、

平戸、出津、大野、崎津集落での「黙認」時代、

 

そして、1797年の共同体維持のための移住先

として 久賀島、野崎島、頭ケ島、さらに佐世保の黒島

という流れです。 

 

05-318

 

しかし、その前に、1582年に長崎から出航し、

1590年に長崎に帰着した「天正遣欧少年使節」とを

どういうストーリーで繋ぐか・・・なんです。

 

そして、この迫害時代に、日本とフィリピンとの

間でどのような交流があったのか・・・・

 

実は、このインフォメーションセンターのセンター長の

方が、「フィリピンと長崎のキリスト教500年の歩み」

500 Year History of Christianity in the Philippines

and Japan-Nagasaki という本を編集されていたので、

そのお話を伺いに行ったのでした。

(ただし、この本は 英語版だけがフィリピンで出版

 されているとのことでした。)

 

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次に私が行ったところは・・・・ 

 

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西坂の「日本二十六聖人殉教地」

ここへは、11月5日と6日の両日行ったので、

二日分をごちゃまぜに書きます。

 

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ここでは私にとっての大発見がありました。 

 

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最初のフィリピン人殉教者

聖ロレンゾ・ルイス

この像は、フィリピンから寄贈されたものだそうです。

 

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そして、マニラの世界遺産・聖アグスティン教会とも

縁のある アグスティノ会の司祭 トマス金鍔次兵衛。

 

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神出鬼没の司祭で、忍者のような活動で、

こちらのサイトには以下のように記載されています。

 

1631年、侍に変装して帰国に成功した。長崎奉行所の

馬丁になり、クルス町の牢に囚われた宣教師や信者を訪れる

など、至る所に出没して使徒職を果たした。隠密によって

彼の人相書きが作られるに及んで、次兵衛は外海の山中に逃れた。」

https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/kibe187/densetsu/

 

 

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そして、こちらのユニークな塔をもつ教会。

この教会は、「二十六聖人のひとりで、メキシコ人フランシスコ会

修道士聖フィリッポ・デ・ヘススに捧げられた教会。」

であるとされています。

https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/1076/

 

 

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こちらのサイトで、二十六聖人の中に

フィリッポ・デ・ヘススというメキシコ人の名前があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本二十六聖人

 

「フェリペ・デ・ヘスス(またはフィリッポ・デ・ヘスス、

本名・フェリペ・デ・ラス・カサス)

メキシコ人、24歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。

メキシコの初聖人。」

 

メキシコ人でありフランシスコ会ということであれば、

当時のメキシコとフィリピンはスペインの領土でしたから、

おそらくマニラから長崎に渡ってきた人だと思われます。

 

この教会には、多くのフィリピンの人たちも礼拝に来ていると

聞きましたので、おそらくこのような歴史的背景も

あっての礼拝かと思います。

 

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次に 5日と6日の両日資料探しにいったのは

こちらの中町教会です。

 

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聖トマス西という フィリピンのドミニコ会で叙階された

司祭と、フィリピン人初の殉教者がここに含まれているからです。

 

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そのフィリピン人というのは、5番目にある 聖ロレンソ・ルイスです。

すでに上の方でその像を見た人です。 

 

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こちらの教会では、こんな像になっています。 

 

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そして、もう一人 気になるのが 7番目にある

「長崎の聖マグダレナ」なんです。 

 

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この写真の真ん中の女性です。

なぜ気になるかと言いますと・・・・

 

  066

 

実は、マニラのイントラムロスにある

世界遺産である聖アグスティン教会博物館に

こんな絵画が展示されているからです。

 

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博物館の一階から二階へいく階段の壁に

数点の長崎での殉教を描いたと思われる絵画が

展示されているんですが、その中にこの絵が

あるんです。

 

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タイトルは明記してないのですが、

学芸員の方によるとこれは「長崎のマグダレナ」

を描いたものだとの話でした。 

 

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ところで、この中町教会の場所なんですが、

実は昔は大村藩蔵屋敷があったんですね。

 

「大村純忠、大友宗麟、有馬晴信のキリシタン大名らは、

ヨーロッパのキリスト教文化を見聞させ、日本をヨーロッパに

紹介するため、10代半ばの4人の少年をローマに派遣しました。

一行は活版印刷機械などヨーロッパの進んだ技術や知識を

持ち帰り、日本文化に貢献しました。」

https://www.e-oomura.jp/sansaku/oomura

 

大村藩は 当時キリシタン王国を築いた藩でした。

 

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そして、少年使節と言えば、謎の多い千々石ミゲル。

この大浦天主堂博物館の研究部長さんのお部屋に

お邪魔して、千々石ミゲルの墓と思われるところの

発掘事業のことやら、日本とフィリピンとの関連性

についてお話を伺いました。

 

そこで伺った驚くような話。

大村藩の古文書の中に、大村藩に仕えたミゲルが

他の家臣と伴に、ルソン島に派遣されたようなことが

記録されているというのです。

これはその文書を読んでみるしかないのですが・・・・

 

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そして、主な長崎ツアーの目的のひとつはここでした。

 

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潜伏キリシタン関連の観光ポスターやパンフレットを

日比友好月間イベントに提供していただけるよう

お願いに上がったわけです。

 

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そうです、私はがんばらんといけんとです。

(長崎弁、佐世保弁に自信がなくなった・・・)

 

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長崎二日目のランチは 「トルコ・ライス」でした。

どこがどう「トルコ」なんだか分かりません。 

 

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そして、11月6日の午後、長崎から諫早を経由して

島原へ向かいました。 

 

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島原鉄道・・・

一番海に近い駅・・・ってのがありました。

 

ローカル線は 実に魅力的です。

 

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これが島原駅。 

 

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そして、下校中の高校生で満員の路線バスにのって

南島原市へ・・・・

バスを降りたら 辺りは真っ暗。

 

右も左も分からず、うろうろしていたら、

近くの体育館みたいなところで スポーツをやっていた

人が声を掛けてくれて、その夜の宿まで送り届けて

くれました。

なんと、その男性は、翌日訪問予定の南島原市役所の方でした。

ああ、ありがたや、ありがたや・・・

 

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お宿での晩御飯。

到着時刻が遅かったので、出前です。 

 

と言うことで、長崎ツアー6日目の夜は更けていきました。 

 

― その6 - に続きます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年4月20日 (土)

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その4   佐世保の黒島

 

(一部の写真が、cocologのソフトの変更で 勝手に入れ替わっているものがあります。

 変な写真が表示されている場合がありますので、ご容赦ください。)

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 

- その4 佐世保の黒島

World Cultural Heritage : Hidden Christian
Sites in the Nagasaki and Amakusa Region

http://kirishitan.jp/en

 

 

2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

その4はパックツアーで上五島を巡った後、

離団して 一人旅となりました。

佐世保市の世界遺産、「黒島の集落」を訪ねます。

 

これは 2018年11月1日から9日間をかけて

長崎の世界遺産に関する資料を集めて廻ったツアーで、

この佐世保の黒島は4日目です。

 

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この黒島に教会があるんですが・・・

 

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この映画 「坂道のアポロン」の舞台にもなっているんです。 

ちなみに、この映画に、我が実家の映像がちらりと出ていました。

 

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黒島天主堂です。 

 

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さて、朝ごはんはこれです。 

 

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船に乗るために 相浦桟橋まで バスで移動。

 

 

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眼下には 佐世保重工業の造船所のクレーンなどが見えます。

 

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佐世保の相浦には 自衛隊の基地があります。

もちろん米軍の基地も。

 

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平戸と書いてあるんですが、この日は、この船が黒島にいく船でした。 

 

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通常は、こちらのサイトにあるように、

相浦―高島―黒島 のルートです。

http://kuroshimakanko.com/access/

 

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相浦港を出る時には、こんな釣り人の姿も見えました。 

 

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こちらには こんな漁師が・・・・

 

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素晴らし過ぎる快晴の空。

 

 

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黒島の観光センターに到着。

あらかじめ予約していた、ガイドさんと電動自転車を

お願いして、帰りの船に間に合うように効率よく

廻ります。 

 

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これは、佐世保市の教育委員会を通じて、観光センターに

お願いしていた資料なんですが、

ここに以下のようなことが書かれています。

 

1587年: 秀吉禁教令を出す。

       平戸藩家老・・・大村にのがれ、黒島に移る。

1815年~1820年: 黒島に外海地方と生月島より移住。

1864年: 大浦天主堂で信徒発見。

1865年: 黒島に600人の信徒がいる事を告げる。

 

これから判断すると、禁教令の後、全国から九州へ、そして長崎へ、

さらに長崎の外海地区や平戸へ、外海から五島へ、そしてついには

この佐世保の黒島へとキリシタンが移り住んだことが分かります。

 

こんな歴史があったことなど、佐世保出身の私は

全く知りませんでした。

 

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そして、今現在の黒島の人たちのルーツは上のように

明らかにされています。

 

こちらのサイトでもっと詳しく: 

 

「潜伏キリシタンが移り住んだ離島」

https://www.onestory-media.jp/post/?id=1825

江戸時代、平戸藩の領地だった黒島は、軍馬の飼育を主とする島

でしたが、平戸藩から移住してきた人々が開墾を進め、人が住める島

へと発展しました。

1815年ごろには佐世保と大村湾の間にある針尾島、平戸の生月島、

長崎市北部の外海などから多くの潜伏キリシタンが移り住んだそうです。

 

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観光センターの招き猫ちゃん・・・ 

 

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「本村集落」

この公園の鉄棒の辺りで、絵踏みが行われていたのだ

そうです。

 

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隠れキリシタンの時代に この曹洞宗のお寺が

表面上の祈りの場になっていたそうです。

 

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そして、この寺で祀られていたマリア観音像。

しかし、今は、この観音像がどこにいったか分からない

のだそうです。

 

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そして、このお寺の庭には、なぜかバナナの木がありました。

もしかしたら、フィリピンとの関係がなにかあるのではないか。

・・・しかし、どこから来たものかは不明だとのことでした。

 

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ガイドさんと一緒に島内を廻っていたら、こんなところで

お年寄りたちのピクニックをやっていました。

 

皆さん キリシタンだとのことでしたが、

「外海から来た方々はいらっしゃいませんか?」

との問いかけには 残念ながら返事はありませんでした。

 

 

 

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古いキリシタン墓地がありました。

 

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明治という文字が見えます。

 

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おしゃれなカフェがありました。

こちらの経営者もキリシタンで、兄弟が神父だとの話でした。

いただいたのは、懐かしのナポリタン・スパゲティー。

 

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映画「坂道のアポロン」の大きな横断幕があって、

カフェの中には漫画も全巻揃っていました。

 

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さあ、いよいよ、本丸である 黒島天主堂です。

1897年に建設が始まったと書いてありまして、

明治期の煉瓦造教会堂としては、規模が大きく完成度が高い

ことから、その後の教会堂建設の模範となり、全国的にも

貴重な存在である・・・とのことです。

 

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この教会は上の解説にもありましたが、まさに威風堂々という

雰囲気の教会でした。 

 

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よくもまあ、こんなに小さな島で、このように大きな

教会が建てられたものだと感心します。 

 

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しかし、ガイドさんによれば、これだけのものを

維持管理していくのは並大抵のことではないそうです。

 

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内部の撮影は出来ないので、絵葉書でご覧ください。

 

 

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こちらはポスターです。

 

あちこちの教会を見て廻りましたが、

故郷の教会という贔屓目も込みで、

大浦天主堂よりも この黒島天主堂の方が

美しいと感じました。

 

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キリシタンの島ではありますが、ここは軍港佐世保の

入口にあたる要衝でもあるんですね。

 

 

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相浦桟橋にもどりました。

懐かしいナタデココの飲み物が売ってありました。

 

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私も一人ぐらし・・・です。

 

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日本最西端の駅

 

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佐世保駅にある ちゃんぽんのお店。

 

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あちこちで「ちゃんぽん」を食べ歩いていますが、

ここのが一番旨いよなあ。

行く度に満席のことが多いお店です。

 

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 「名産・九十九島カキ」を使用して・・・

というのが旨さの秘密かなあ・・・

 

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・・・で、このちゃんぽん屋さんで発見したのがこれ。

こんなところにもこんなマリア様の神棚が・・・・ 

 

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な、な、なんと・・・

佐世保駅は 「ICカードが使えない」

さすが、最西端の駅だ・・・?

 

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しかし、私には これさえあれば百人力・・・

ビタミンCを補給。

 

05-547

 

シーサイド・ライナーで 佐世保から長崎へ直行。

 

05-550_1

 

長崎にとうちゃこ。

長崎は 世界新三大夜景になったそうな。 

 

これで 長崎ツアー4日目が終了です。

我が故郷で大発見がありました。

満足です。

 

 

― その5 - に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その3 上五島から佐世保へ

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その3 上五島から佐世保へ

World Cultural Heritage : Hidden Christian
Sites in the Nagasaki and Amakusa Region

http://kirishitan.jp/en 

 

2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

その3はパックツアーで巡った 上五島の3日目。

五島で三つ目の世界遺産である、「奈留島の江上集落」がメインです。

 

では、お付き合いください。

 

05-019

 

お宿の朝の空には、ピーヒョロローと トンビが飛んでいました。

 

05-038

 

そして、船着き場へ向かう車窓からは 柿の木が・・・

今日は11月3日です。

 

05-064

 

今日の我々の船はこれ・・・じゃありません・・・

 

03-257

 

はい、こちらの黄色い船です。

 

05-148

 

向かっているところは、「キリシタン洞窟」です。

 

05-150

 

「若松島・里ノ浦のキリシタンたちは、・・迫害を受けて、

船でしか行けないこの険しい断崖の洞窟に隠れた。」

とあります。

 

05-098

 

その洞窟に近づきましょう。

 

05-134

 

ぐるりと廻って反対側にキリストと十字架が見えます。

この後ろ側に洞窟があるそうです。

もちろん、当時は隠れ住んでいたわけですから

このように目立つものはありませんでした。

1967年にキリスト像が建てられたようです。 

 

05-147

 

 そして、今でも、毎年11月にこのようなお祈りの

集まりがあるそうです。 

 

05-209

 

そして、船が到着したところは・・・・

「奈留島の江上集落」

世界遺産の3つめの集落です。

 

05-225

 

木々に隠されたようなところにひっそりと建っている

江上天主堂です。 

 

05-233

 

この江上地区には 1881年に長崎の外海地区から

4家族が移住した・・とあります。

 

05-230

 

内部撮影は不可なので、窓から内部を撮影 

 

05-161

 

さて、次にどこに行くかといいますと・・・・

五輪真弓さんが関係あるとかないとか言われている場所。 

 

05-316

 

こちらのサイトで五輪真弓さんのルーツをご覧あれ・・・

http://oratio.jp/p_column/itsuwa-roots

 

 

05-280

 

はい、その島にとうちゃこです。 

 

05-307

 

子猫ちゃんがお出迎え・・・

 

05-321

 

これが、旧五輪教会。 

 

05-323

 

県指定の有形文化財になっています。

 

05-338

 

なかなか趣のある教会です。 

 

05-333

 

窓は、天然のステンドグラスのような美しさ。

 

05-277

 

現役の新しい教会も建っていました。 

 

05-373

 

子猫ちゃんのお母さん?にもご挨拶して島を離れます。

 

05-408

 

そして、小舟で向かうところは・・・・

 

 

05-435

 

福江港ターミナル

 

05-463

 

ホテルでランチ。

島ぶり・・・だそうな。

もちろん五島うどんもね。 

 

05-482

 

そして、この高速艇で 長崎の港へ・・・・ 

 

05-500

 

長崎港に到着。

このパッケージツアーの3日間本当にほぼ快晴の天気で

嬉しい限りでした。

 

この長崎港で、私は家内と別れ、パッケージツアーから離脱して

一人旅になります。

長崎市から佐世保市の世界遺産・黒島へ行くためです。

 

05-562

 

長崎―諫早―大村―ハウステンボスー佐世保へと電車は走ります。

 

05-516

 

大村藩はかつてはキリシタン藩主の下で、キリシタン王国でしたが、

その後禁教令で厳しい弾圧へと変わった藩でした。

 

千々石ミゲルは、天正遣欧少年使節の一人でしたが、

棄教して、大村藩に仕えたということになっています。

 

05-637

 

そして、佐世保駅に到着。

右に見える山は 烏帽子岳。

私が小学生の時から遠足などで何度も登った山です。 

 

05-660

 

佐世保は、元々は寒村であった場所に、天然の良港があるという

ことで、鎮守府がおかれ、軍港になりました。

今は、佐世保駅周辺はすっかり模様替えをして

大型客船が入るようになっています。

ここから、ハウステンボスに向かうようです。 

 

05-663

 

佐世保の我が家から真っ直ぐに広く見えていた港や山は、

今は駅前に林立する高層ビルやマンションで

すっかり隠されてしまっています。

昔は、佐世保港の大花火は全部見えていたのですが・・・

 

05-688

 

しかし、駅前から少し歩くと、カトリック三浦町教会が見えてきます。

元々は1897年に別の場所に建てられ、その後1931年に

今の場所で、佐世保港を見下ろしています。

 

05-704

 

この教会は、私が幼かった頃から気になる存在で、

時々遊びに行っては、内部を覗いたものです。

 

ちなみに、私の両親は浄土真宗でしたが、

母は結婚前には 東京で洗礼を受けていたと

言う話でした。

 

それに、母の弟であった私の鹿児島の叔父は、

浄土真宗であったにも拘らず、

キリシタンの歴史に詳しい郷土史家でした。

信徒の人たちが博物館に来たときには

キリシタンの歴史を教えていたそうです。

 

05-725

 

久々の故郷なので、佐世保バーガーとともに有名とされている

「レモン・ステーキ」を食べに行くことに・・・ 

 

05-736_1

 

ひと昔前に一度有名なお店で食べようと行ってみたものの

満員御礼で食べそこなった レモンステーキ。

仇をとりました。 

 

05-746

 

この佐世保の老舗レストランは、カレーライスと

シュークリームで有名な 蜂の家。

勿論 シュークリームは欠かせません。

 

05-751

 

お隣の白ばらも昔からのレストラン。

佐世保名物「レモン・ステーキ」と一緒に

長崎名物「トルコ・ライス」もやっていました。

 

05-755

 

米軍基地もある佐世保には、こんなお店もあります。

 

05-775

 

ホテルの近くには ちょっと気になるバーもあったんですが。

明日は朝が早いので、自粛・・・

 

05-767

 

ツアー3日目はこれで終了。

 

4日目は 世界遺産のひとつ、佐世保市の黒島に

行きます。 

 

― その4 - に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その2 上五島

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その2 上五島

World Cultural Heritage : Hidden Christian
Sites in the Nagasaki and Amakusa Region

http://kirishitan.jp/en

 

2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

2019年に企画しているバギオ日比友好月間イベントの

メインテーマとして「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を

取り上げ、17世紀における日本とフィリピンの交流史に

焦点を当てた内容にしようという目的で、長崎と天草地方を

パックツアーなどを利用しながら見学し、資料集めなどを

やってきた内容を だらだらと書いてみます。 

 

その2はパックツアーで巡った 上五島の関連遺産の地です。 

 

01-104 

 

私は長崎県の佐世保市出身なんですが、五島列島に行くのは

生まれて初めてのことなんです。

 

05-043

 

まずは、羽田から長崎空港へ飛びまして、長崎の港へ。

 

05-126

 

ジェットフォイルという高速艇で長崎港から奈良尾港へ。 

 

05-149

 

奈良尾港に入ります。

 

 

05-671

 

「祈りの五島列島 教会巡り3日間」です。 

 

01-239

 

五島最初の可愛い教会。

 

05-261

 

最初は 中ノ浦教会。

ここはキリシタンであるこの観光ガイドさんの教会だそうです。

自分の庭なので、内部撮影もOKでした。

 

05-243

 

この説明の中に、

「この地区の信徒の祖先は、寛政年間に外海地方の黒崎から

移住してきたキリシタンだが・・・・」

と書いてあります。

 

外海地方というのは長崎市のちょっと北の方にある

東シナ海に面した地域です。 

 

05-308

 

跡次カトリック教会。これはバスの窓からの写真。

五島にはあちこちに教会が建っています。

 

 

05-322

 

十字架のお墓も目につきます。

 

05-362

 

宿に掲示されていた「日本のカトリック教会 16教区」

長崎地区は 信徒数が 61,262名とあります。

 

05-371

 

お宿の夕食です。

ほとんどが海のものでした。 

 

05-389

 

第一日目の夜が更けていきます。 

 

そして、翌日 第二日目。

 

05-060

 

おはようございます。

 

01-161

 

バスの車内に貼りだされた地図。

一番南の奈良尾港に入って、北の方にある旅の宿に

泊まっているわけです。

 

05-163

 

さて、今日は船で 島に渡ります。

こんなに天気が良くて、海が静かなのは、なかなか

ないことだそうです。

 

05-190

 

小値賀町野崎島にある旧野首教会へいきます。

船からその教会が見えてきました。 

 

05-235

 

打ち捨てられた集落の跡・・・・・ 

 

05-259

 

遠くには銀色の海に小舟の影。 

 

05-309

 

さあ、旧野首教会。

 

「野崎島の集落跡」が世界文化遺産のひとつになっています。

こちらのサイトで 世界文化遺産の12の地区と教会を

ご一覧ください。

http://kirishitan.jp/

 

05-284

 

 

丘の上に凛々しく建っている教会。

今はこの島に住んでいる人はいないそうです。

 

05-369

 

内部は限りなく荘厳でした。 

 

05-358

 

海を見下ろす教会。

清々しい気持ちになれます。 

 

05-411

 

「野崎島の集落跡」を見守ってきた木々たち。 

 

05-423

 

これが私たちの船。

快適でした。

・・波が静かだったので・・・? 

 

05-536

 

ランチは結構お洒落なマルゲリータ・ホテルでの洋食。

でも、ちょっと量が足りなかったなあ・・・

格安パックツアーの泣き所・・かな?

 

05-550

 

お土産はこれ。

絵柄だけで選んだ一品です。 

 

05-591

 

ホテルの近くにあった教会。 

 

05-592

 

曽根カトリック教会。

初代の教会は1889年に建立されたとあります。 

 

05-594

 

現役の教会。

椅子もたくさん並んでいました。 

 

05-650

 

青砂ケ浦天主堂のマリア像。 

 

05-653

 

1910年の建立とあります。

国指定重要文化財になっています。 

 

05-654

 

たまたま、補修工事中でした。 

 

05-722

 

鯨の骨の鳥居のある「海童神社」

車窓からの撮影。

五島は鯨漁も盛んでした。

 

 

05-736

 

五島二つ目の世界遺産 「頭ケ島の集落」 

 

05-743

 

このインフォメーションセンターは 上五島空港の

建物の中にありました。

 

05-754

 

上五島だけで、これだけの教会があるそうな。 

 

05-778

 

 頭ケ島天主堂は、江戸時代末期まで無人島だったところに

1859年に迫害を逃れて住み着いた、とあります。

1867年に仮の聖堂が出来たそうです。 

 

05-781

 

がっちりした石造りの教会。

 

 

05-798

 

1919年に完成したそうですが、

工事着手は1910年だったそうです。 

 

05-770

 

内部の写真撮影は禁止のため、

写真の写真を撮影。

船底のような天井です。 

 

05-793

 

拷問に使われた石。

これを膝に載せられたらしい。 

 

05-809

 

虹が見えますか?

珍しい現象だそうです。 

 

05-837

 

町では 秋祭りが行われていました。

隠れキリシタンの時代には、このような祭りにも

キリシタンの人たちが参加していたのでしょう。

命を守るために・・・ 

 

05-853

 

大曾教会

最初の教会は1879年。

今の煉瓦造りの教会は1916年に竣工とあります。 

 

05-847

 

内部の撮影はできないので、・・・ 

 

05-860

 

外から窓ごしに・・・ 

 

05-874

 

 これが絵葉書の内部写真。 

 

05-897

 

 次は 冷水教会です。

1907年の建立。

純然なる木造建築と書いてあります。

 

05-894

 

他にくらべると庶民的な教会に見えます。

現役の教会なので内部は撮影禁止。

 

05-884

 

礼拝中。

ガイドさんが知人とお話し中を こっそり

外から望遠で撮影。 

 

05-896

 

 なかなか綺麗なマリア様でした。

どこで作られたのかは分かりませんが、

フィリピンのマリア像とはかなり違うように

見受けられます。

日本人好みの顔にしてあるのかな? 

 

05-915

 

その後 土産物センターみたいなところに

掲げてあった 冷水教会の内部の写真。 

 

05-901

 

その土産物センターは こんな塩を作っている工場でも

ありました。

 

05-911

 

これがその天然の塩の工程です。 

 

05-932

 

お土産センターの前は 海。

いい感じです。

ガイドさんは、塩屋の子供達と鬼ごっこをしていました・・・

 

05-925

 

椿油が有名だそうです。

 

これで、二日目終了。

三日目は 五島から佐世保へ向かいます。

 

― その3 - に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その1 熊本県・天草

 

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  記事の内容と関係のない写真が表示されていましたら
  お知らせいただければ幸いです。 )

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その1

熊本県・天草

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2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

2019年に企画しているバギオ日比友好月間イベントの

メインテーマとして「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を

取り上げ、17世紀における日本とフィリピンの交流史に

焦点を当てた内容にしようという目的で、長崎と天草地方を

パックツアーなどを利用しながら見学し、資料集めなどを

やってきた内容を だらだらと書いてみます。

 

まず2018年6月6日の天草訪問から振り返ってみます。

これは2018年の「天草四郎」をテーマにした展示を目的としたものでした。 

 

001_2

まずは、博多駅で 高菜漬けをたっぷり載せて腹ごしらえ。

 

009 

天草市では、まず最初に「天草四郎ミュージアム」

 

019

 

なぜ天草四郎からかと言いますと、

フィリピンと日本の交流史という観点からは

豊臣秀吉時代の伴天連追放令のあたりから関係が

出てくるからなんです。 

 

046

 

次に行ったところは、「天草市立・天草キリシタン館」

 

036a

 

昨年2018年のバギオ市の日比友好イベントで

バギオ博物館に展示した 天草四郎像の原型です。

 

05-007

これがそのコピーされた天草四郎です。

2018年の展示で披露されました。

 

048

 

ここでは、大変役に立つ資料を得ることができました。

 

 

052

 

特に秀吉に疑念をいだかせた事件が

この「サン・フェリペ号事件」です。

 

1596年にフィリピンからメキシコに向かっていた

ガレオン船が台風のため土佐沖に漂着したことから事件が

始まりました。

 

054

 

ここに書いてあるように、

日本でのキリスト教の布教は、ポルトガルのイエズス会が

1549年から40年以上独占していて、

主にマカオ経由で日本に入ってきていたんです。

 

 

そして、1593年に、スペインのフランシスコ会が

マニラからやってくるようになったんです。

もうその時には伴天連追放令が出されていた。

 

056

 

そして、ここで、有名な二十六聖人などの殉教があったわけです。

 

060

 

殉教者の中に、フィリピンからやってきた人たちを探してみると、

上のリストの中に、フランシスコ会の ペドロ・バプチスタ と 

マルチン・デ・ラ・アセンシオンの名前があります。

ペドロは フィリピン総督の使者だったんです。

 

 

062

 

こちらのリストには、サン・フェリペ号に乗っていた

メキシコ人や、ペドロ・バプチスタと一緒にフィリピンから

やってきたスペイン人、ポルトガル人の修道士がいます。

 

 

070a

 

しかし、一方で、徳川時代になっても、朱印船によるフィリピンなどとの貿易は続けられていたんです。

072

 

そしていよいよ、「天草・島原の乱」の天草四郎が出現

するわけですね。

 

1637年から1638年にかけての大きな一揆です。

私が学校で習ったころは確か「乱」と言っていたと

思いますが、最近は「一揆」とされているようです。

 

 

077

 

民宿で夕ご飯。

やはり魚は旨い。

 

088_1

 

そして、天草の1日目は終了。

 

 

翌6月7日は、 まず天気がいい内にということで、

崎津教会を望む諏訪神社へ行くことにしました。 

 

その前に、民宿の近所で、こんなものが・・・

5-026

 

川の流れは清らか・・・

 

5-155

 

そして、この日の最初は、大江天主堂へ。 

 

5-154

 

大江天主堂。

 

 

3-310

 

天草地方では、一年中 しめ縄が飾られている家が

あるそうです。

この風習は、禁教時代に「わたしはキリシタンではありません」という

意思表示をしていた名残りだとのことです。

 

 

5-158

 

天草ロザリオ館。

 

5-177

 

ロザリオ館所蔵のマリア観音像

 

 

5-267

 

そして、この施設が、天草市﨑津集落ガイダンスセンター。

 

 

5-272

 

この写真は、センターの展望台からの撮影。崎津教会を真正面に見て。

5-162

 センターで 崎津集落の歴史的意義などについて学ぶことができます。

 

 

5-174 

 

宣教師養成のための大学であるコレジヨが 1591年に

設置されたとあります。 この頃は、まだイエズス会の

布教が盛んだったころです。

 

 

5-208

隠れキリシタンが使っていたご神体。

 

 

5-253

大浦天主堂所蔵の「二十六聖人殉教図」

 

5-262

天草四郎の一揆軍がつかった陣中旗

 

5-314

 

そして、いよいよ、私が撮影したかった崎津諏訪神社。

 

5-320

 

この写真を撮りたかったからなんです。 

 

なぜかと言えば、隠れキリシタン・潜伏キリシタンの

歴史を象徴するような構図になるからです。

 

 

5-381

 

これが崎津教会です。

こじんまりした可愛い教会です。

でも、この場所は、昔は庄屋の屋敷があったところで、

絵踏みなどの様々なキリシタン弾圧もここで行われたのだそうです。

 

5-377

 

崎津教会が建てられたのは1569年ですが、

その後隠れキリシタンとなって諏訪神社の氏子を装い、

この新しい教会は明治時代1883年に再建され、

現在の教会は1934年に建て直されたものだと

書かれています。

 

 

5-395

 

この教会では、クリスマス・シーズンには

「コレジヨの仲間」という古楽器演奏グループによる

天正遣欧少年使節が持ち帰った楽器の複製品での

チャペル・コンサートが開催されています。

 

5-464

 

そして、ここが そのグループが活動している

天草市立「天草コレジヨ館」。

 

 

5-467s

 

なんと、フィリピンからやってきた者がいるということで、

わざわざ演奏を聴かせてくださいました。

 

こちらでその演奏の一端をどうぞ:

https://www.youtube.com/watch?v=3jShGElVeP0&fbclid=IwAR1S3fIZHyDmWEvKC_XtxUNNoajoERjsuo6ajiIjVEFm2qpRkrUWmffumz8

 

 

5-475

 

素晴らしい演奏に魅了され、

2019年の日比友好月間イベントの目玉として

もし可能であれば バギオ市とマニラ市で

特別演奏会をお願いしたいとついしゃべってしまいました。

 

5-491

 

コレジヨという大学は、1581年に大分県・豊後府内で

始まったものですが、1591年から6年間は

この天草にあったのだそうです。

そして、その中に、天正遣欧少年使節の若者たちも

ここにいたそうです。

 

5-495

 

そして、これが少年使節が日本に持ち帰ったとされる

金属活字印刷機(グーテンベルク印刷機(複製))で

日本における初めての出版ができたとか。

 

印刷機の後ろの絵は、少年使節がバチカンで行った

パレードだそうです。 

 

5-500

 

16~17世紀のヨーロッパの楽器の複製品。

 

 

5-010b

 

竹で作られたパイプオルガンの複製品。

フイゴで風を入れる構造になっていました。

 

 

 

5-557

 

そして、夕方には 熊本市へ移動となりました。

 

010

 

 

そして、三日目の6月8日には・・・・・

 

バギオ市での日比友好イベントの展示に必要な

熊本県や天草市の観光ポスターや

天草四郎に関連する資料の提供をお願いするために

県庁を訪問しました。

 

023

 

そして、熊本をあとにしました・・・・・

 

 

1-001

 

そして、2018年の日比友好イベントの展示の為にいただいた

熊本・天草 観光ポスター展の準備が バギオ市で始まりました。

 

05-293

 

そして、そのバギオ博物館でのオープニング・・・・

 

 

025

 

 

観光ポスター展も無事に開催できました。

 

041

 

 

2018年8月に開催された 「バギオ・七夕祭り9」

「熊本・天草の観光ポスター展」そして「天草四郎」

 

皆様の支援に助けられて無事に実施することができました。

 

こちらで、イベントのまとめの動画をご覧ください:

https://www.youtube.com/watch?v=Lmc9KMHJVX4&t=226s

 

 

ー 天草地方の旅をおわります ー

 

ー その2は 長崎地方を巡ります ー

 

 

 

   

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

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2019年4月18日 (木)

村上春樹の本と カズオ・イシグロの本 - 私としては、カズオ・イシグロに軍配

 

 

村上春樹の本と カズオ・イシグロの本 - 私としてはカズオ・イシグロに軍配

 

 

この二人の作家の本に対する 私の感想は 圧倒的に

カズオ・イシグロに軍配を上げるということをまず断って

おきます。

まあ、早い話が、村上春樹の本は好きになれないという話です。

 

さて、私がまず読んだのは、カズオ・イシグロがノーベル文学賞

を取ったとニュースが流れた時でした。

 

私は、通常、いろんな文学賞をとった作家の本を読むという

ことはしないタイプの人間なんですが、この時はたまたま

日本に一時帰国していたことと、カズオ・イシグロが

私の故郷である長崎県の出身だと聞いたからです。

 

それで、私が何を読んだかっていうと、取り合えず、

ノーベル賞の発表があって、数日後に近所の本屋に

並べられていた本を全部買ってきました。

001

上の写真のとおり、4冊を読みました。

 

・・・で、その後、今年になって、こんな新聞記事があったんです。

003a_1

 

「平成の30冊」という記事でして、平成時代を代表する

小説は何だったのかの読者投票の結果だと思います。

 

で、その一位になったのは 村上春樹の「1Q84」で、

第二位に カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」が

ランキングしていたわけです。

 

「ほお~~~、カズオ・イシグロの本は凄いと思ったけど、

村上春樹の本はそれより人気があるのか。

それじゃあ、平成を代表するという村上春樹の本も

読まなくっちゃ」

・・と思ったんです。

 

そこで読んだのが以下の3冊です。

3冊といっても、合計すると 2+1+6=9冊

なんですけどね。

001_1 

 

002

 

 

まず読んだのが「海辺のカフカ」だったんですが、

フランツ・カフカの本をむか~~し読んで、好きだったので、

これを読んでがっかりしました。

女優のカフカは好きですけど・・・。

070

・・で、村上春樹はダメだという話を某映画監督と

議論していたら、その監督が

「村上春樹のデビュー作は読んで感動した。」

と言うもんだから、じゃあ読みましょうってことに。

で、私の感想としては、「海辺のカフカ」よりも

「風の歌を聴け」の方が爽やかでよい、

流石にデビュー作だと思ったんです。

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しかし、上の記事で一番人気は「1Q84」だと

言うので、あまり乗り気ではなかったんですが、

今年の一時帰国の間に買ってきたんです。

 

結論的には、「1Q84」が何故平成時代の人気

ナンバー・ワンなのか、理解できません。

 

で、ここから、村上春樹と カズオ・イシグロを

比較する形で、私の率直な感想を書いてみたいと

思います。

村上春樹のファンの方は 読まない方が

いいと思います。

(気分が悪くなると思うんで・・・笑)

 

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まず最初に私が過去に読んだ小説や観た映画の中で

どんな作家や作品が好きだったかと言いますと、

 

作家では、芥川龍之介、フランツ・カフカ、小林秀雄、

亀井勝一郎、井上靖、 ショーペンハウアー・・・など。

ただ、どの作品がどうかというのはすっかり忘れましたが。

映画では、圧倒的に「2001年宇宙の旅」でした。

絵画では、割とシュールな絵が好きです。

 

まず、村上春樹の作品ですけど、短く言ってしまえば、

準サイエンス・フィクション、準ポルノ小説、

異次元ミステリー小説・・・という感じでした。

 

確かに、「1Q84」では、当時の世相を反映して

社会問題などを題材にしているんですが、

SF、ポルノ、ミステリーの色が濃いので

その中に社会問題の深刻さが埋もれてしまい、

訴えてくるものがなかったんです。

 

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その上、一番辟易したのは、

形容句のしつこい長さと説教臭さ、それに何度も

繰り返される説明とエロいセックスシーン。

「1Q84」は文庫本で6分冊になっているんですが、

このストーリーなら1冊で十分だろうと思ったことでした。

 

そして、異次元を描いているので当たり前といえば

当たり前なんだけど、ひとつひとつの文章が

始めっから異次元な描き方なので、

「こんなのありえな~~い」って感じ。

 

その点で言えば、カズオ・イシグロの方は、

ひとつひとつの文章は、どこにでもありそうな

現実的な事柄を積み上げているのに、いつの間にか

異次元に連れ込まれるという感じでした。

 

要するに、村上春樹の本は、忍耐を強いられながら

読み続け、結局引き込まれなかったのに対し、

カズオ・イシグロの方は、文章が長いにもかかわらず

ついつい読んでしまい、引き込まれていくという

感じでした。

 

村上春樹は1949年生まれなので、私とひとつ違いで、

同年代を生きてきたんで、作品の中には懐かしい事柄が

いろいろと書かれていて嬉しいこともありました。

つまらないことですが、

珈琲店で、殻付きピーナッツを食べて、その殻を

床に敷き詰めるように捨てる・・・とかね。

 

ただ、そういう同時代人としての懐かしさはあるに

しても、「これじゃノーベル賞は無理だわ・・・」

って思うわけです。

 

カズオ・イシグロの作品は、真摯で紳士だと思います。

社会問題、将来の問題を真正面からとらえて、

誰にでもわかる文章を積み上げていながら、

いつのまにか異次元に連れられていく感じです。

 

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そのシュールな感じに「2001年宇宙の旅」に通じる

感覚を私は覚えたんです。

 

・・ってことで、私的には

完全に カズオ・イシグロに軍配を上げます。

 

最後に、「1Q84」でひとつだけ私の記憶に残ったもの。

 

「世の中の人間の大半は、自分の頭でものを考える

ことなんてできない -- それが彼の発見した

「貴重な事実」のひとつだった。 

そしてものを考えない人間に限って他人のはなしを

聞かない。」

 

まさに、私のことです。

そして、仮に話を聞いたとしても、

自分に都合のよい部分しか頭に入ってこない。

そのように私の頭はプログラムされている・・・かな??

 

だから、村上春樹の本は私の心に入ってこない。

 

― おわり -

 

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2019年4月17日 (水)

日本の高校の授業で是非教えて欲しい一冊 「ホモ・デウス - 人類はどこへ向かうのか」

 

 

 

日本の高校の授業で是非教えて欲しい一冊

「ホモ・デウス - 人類はどこへ向かうのか」

 

ユヴァル・ノア・ハラリ著 「ホモ・デウス - 人類はどこへ向かうのか」

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最初に結論から言えば、この本は是非とも日本の高校生全員に

学校の授業の中で教えて欲しい本だと思ったんです。

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私は高校生の時は、歴史という授業が一番苦手でした。

暗記が不得意だったからなんです。

 

日本史にせよ、世界史にせよ、面白いと思ったことがなかった。

やっとその面白さが分かったのは60歳になってからでした・・・

 

しかし、この本は何がなんでも、今の高校生に知っておいて

もらわないと困ると思うんです。

 

ある特定の国の、特定の事柄の、こまごまとした歴史の切れ端を

勉強するのではなく、人類の過去、現在、未来について、

ダイナミックに描いてあります。

 

これは、勉強がどうのこうのの話ではありません。

歴史、科学、文化、哲学、宗教、生活、仕事、医学、・・・

その他もろもろの人間としての生活に関わる、

人類である一人一人が知っておかなくてはいけない未来を

書いてあるからです。

 

将来どんな仕事につくにしても、これを読んでおいた方が良い。

進路指導の先生には必須だと思います。

 

私はもう少し、あと5年ばかりで、この世ともおさらば

するでしょうが、今から三十年以上生きる予定の人たちには

死活問題となるかもしれないことが描かれているからです。

 

是非、高校の先生が 生徒たちに教える教材として

人類の歴史を大きな視野で見る姿勢を教えて欲しい。

そして、人類が間違った、取り返しのつかない道に

進まないようにして欲しいと思う。

 

 

 

 

 

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