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2019年4月22日 (月)

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その7 福岡・西南学院、東京・國學院と上智

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 

- その7 福岡・西南学院、東京・國學院と上智

World Cultural Heritage : Hidden Christian
Sites in the Nagasaki and Amakusa Region

http://kirishitan.jp/en

 

2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

その7は、福岡の西南学院大学で行われていた

「キリシタン 日本とキリスト教の469年」展、

今回の9日間のツアーの最終日の「潜伏キリシタン」を訪ねての旅です。 

 

2018年11月9日の朝・・・・

 

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博多から地下鉄で西新へ。

 

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西南学院大学に到着。 

 

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この「キリシタン 日本とキリスト教の469年」展は、

東京の國學院大學との相互協力で開かれていました。

 

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日本に初めてキリスト教が伝えられたのは 1549年。

ザビエルはバスク人で、イエズス会の創設メンバーの一人

とされています。

 

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そして、1582年に 巡察師ヴァリニャーノの企画で

大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代という建前で

4名の少年がローマへと派遣された。

巡察師というのは 地方の布教状況をチェックして廻る

役割らしい。

 

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「千々石ミゲル夫妻伊木力墓」

仏教式の墓石の下に眠っていた二基の墓石のひとつが

ミゲルの妻のものとみられることがわかり、

しかもそこにキリシタンであることを示す遺品が見つかった

ことから、もうひとつの墓にはミゲルが眠っているのでは

ないかと期待されている。

 

ここで、ついでに、10月27日に行ってみた

東京の國學院大學での おなじキリシタン展の様子をちょっとだけ。 

 

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國學院大學。 学園祭みたいな準備をしていました。 

 

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ここでやっていたのは、長崎県平戸の生月島の

隠れキリシタンに関する 特別講義。

 

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さらについでに、10月13日に開催された考古学的な

発見に関する講演。 

 

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私の興味の焦点は・・・

 

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この中でも、特に 大石一久氏の

「天正遣欧使節と千々石ミゲル」でした。 

 

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キリスト教信徒の中では、悪魔とされてきた 千々石ミゲル

あるいは 大村藩の千々石清左衛門は、果たして実際に棄教したのか

という疑問です。 

 

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ミゲルは4人の少年の中でも 藩主の名代という身分において

疑いのない血縁にあった。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/天正遣欧少年使節

「伊東マンショ(主席正使) 大友宗麟の名代。宗麟の血縁。

日向国主伊東義祐の孫。後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。

千々石ミゲル(正使) 大村純忠の名代。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。

後に棄教。

中浦ジュリアン(副使) 後年、司祭に叙階。1633年、長崎で穴吊るし

の刑によって殉教。2007年に福者に列せられる。

原マルティノ(副使)後年、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオで死去。」 

 

伊東マンショは主席正使なんですが、企画したヴァリニャーノを

良く思わないイエズス会内部の反対派から、正当な名代では

ないとのいちゃもんをつけられたりしているんです。

 

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はい、これが ミゲルの墓じゃないかと期待され、

発掘をまっている墓石なんです。

 

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出ました! 天草四郎はミゲルの息子だった説。

この噂は、私みたいな者のとっては都合の良い話でして、

ミゲルが大村藩に仕えた後の足取りやどこで死んだかも

分からないような歴史になっているので、

もしかしたら、信仰は捨てずに、自分の息子を

天草四郎にするための画策をしていたのでは

ないか・・などと夢想するわけです。

 

そして、さらについでに、 2018年12月8日、上智大学。

この講演会は 期待以上に面白かったんです。 

 

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第一部と第二部の途中までしか座っていなかったんですが・・・ 

 

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 日本へのキリスト教の布教は 侵略を意図していたのか

どうか・・というような核心の議論が出てきたんです。 

 

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もちろん、当時は大航海時代で、植民地を拡大することが

常識的な大前提としてあったのでしょう。 

 

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ここで興味深いのは、

― フィリピンは「事業」として失敗した感覚と

  有益な植民地支配のための見通しの欠如

― 経済的な要請から - 布教活動による新帝国主義

の辺りでしょうか。

 

つまり、正確ではないかもしれませんが、

日本に対しては 一番下の

― 宣教師を守ることと 布教活動優先

と言うことになっていた時代かなと思います。

 

フィリピンではビジネスとしては失敗したんですが、

今のフィリピンのキリスト教の普及を見ると

成功したように思えます。

 

しかし、信長の時代はともかく、秀吉以降は

ビジネスはやるけれども、日本を統一するためには

キリスト教はお断りという状況になっていたわけですね。

 

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これはかなり日本人を持ち上げている感じではありますが、

こういうことをヴァリニャーノは理解していたからこそ

日本人司祭を育てようと 天正遣欧使節を企画したのでしょう。 

 

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一方で、中国征服の中には、中国にフィリピンを植民化

させるというアイデアもあったのですね。

 

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・・・というようなわけで、

 

2019年7月・8月の日比友好月間イベントのコンセプトを

どんなストーリーでまとめるか・・頭が痛いわけです。 

 

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そこで、脳みそに活力を与えるために・・・

 

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上智大学に来たら、ここに立ち寄るってことになります。

 

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これで、11月1日からの9日間の長崎ツアーと

東京でのおまけの講演会の部を終わります。 

 

おまけのオマケですけど、

福岡の西南学院大学の近くには こんなのがありました。

 

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次回 ― その 8 - では、

まだ行ったことのない長崎・外海と ハウステンボスの巻です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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