« 世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その5 大浦天主堂 | トップページ | 世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その7 福岡・西南学院、東京・國學院と上智 »

2019年4月22日 (月)

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その6 島原・原城跡

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その6 島原・原城跡

World Cultural Heritage : Hidden Christian
Sites in the Nagasaki and Amakusa Region

http://kirishitan.jp/en

 

2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

その6は、島原での2日間、今回の9日間のツアーの内

7日目と8日目の「天草・島原の乱」を訪ねての旅です。 

 

03-113

 

もちろん、その目玉は この 原城跡 です。 

 

05-005_1

 

まずはお宿で 朝ごはん。

 

05-014a

 

お宿の玄関には 熊本県の天草地方と同じく、

しめ縄を一年中飾っておくという風習が残っていました。

 

05-046

 

お宿の裏には、キリシタン墓碑が・・

 

05-056

 

05-058_1

 

 ここには、

ヒリ作右衛門ディオゴ 生年

御出生 以来 1610

10月16 慶長15

・・と書かれています。

 

これは、グレゴリオ暦年と元号年を併記したもの・・・

・・とあります。

 

05-102

 

そして、早速向かったのは 南島原市役所。

なんと、昨夜、真っ暗な中、この市役所の前をウロウロしたの

すら分かりませんでした。

 

南島原出身のある方のご紹介があり、元町長さんのご案内で、

バギオ市での日比友好イベントへのポスターなどのご提供と 

歴史資料の情報提供をお願いに行きました。

 

05-118_1

 

最初にご案内いただいた処は もちろん原城跡。

「島原の乱」の攻防の後、荒地となり、その後

耕作もされていたところを文化財として整備してきた

そうです。 

 

05-130

 

この原城跡には 掘っても掘っても人骨が出てくるほど

島原の乱の犠牲者が発掘されたため、このようなお地蔵様が

建てられたとのこと。

「ホネカミ地蔵」と呼ばれています。

 

05-207_1

 

「島原の乱では3万人以上のキリシタン・農民が命を落とし、

原城一帯で後に多くの遺骨が出土されました。散乱していた

遺骨を敵・味方の区別なく拾い集めてその霊をなぐさめた

のが、このほねかみ地蔵です。」

https://www.nagasaki-tabinet.com/course/60311/

 

一方の幕府軍は総勢12万人とも言われ、そちら側にも

相当の犠牲者が出たものと思います。

 

 

05-137

 

「埋門跡」(うずみもんあと)

 

「一揆の後、幕府軍によって壊され、埋められて

いましたが、発掘調査で・・・」とあります。 

 

05-141

 

敷地内では、今でも一部が農地として使われています。

向こう側に並んでいる岩は、復元するための岩だそうです。

 

05-143

 

「天草四郎の墓」というものがあります。

上のリンクで見てみますと、

「墓石は西有家町にある民家の石垣の中に埋もれていたもの。

その後ゆかりの深い原城に移し供養したと言われています。」

と解説があります。 

 

05-162

 

しかし、様々な資料を読んでみると、いろいろな説があって、

誰の子で、どこで生まれたのか、本当にこの原城で死んだのか、

等々 明確な証拠はなさそうです。

幕府軍の中には、天草四郎の顔を知るものはおらず、

母親に首実検をして、その反応で これが四郎の

首だと決めたのだとか。

 

05-169

 

巷には、豊臣秀頼の子であったとか、この原城を抜け出して

生き延び、ルソン島に逃げたという説まであるのです

 

原城は、海側が断崖になっていているのですが、この本丸から

抜け穴があって、断崖の横穴に繋がっていたという話も

あるのです。

ある小説では、四郎と思われる若者が長崎の港で船に乗る
ことを匂わせるシーンがあります。

 

05-172_1

 

南島原市有馬キリシタン遺産記念館 

 

05-183

 

1579年 イエズス会巡察師 ヴァリニャーノが

南島原の口之津にやってきた。

 

この人こそが、日本での布教は日本人に任せた方が

良いとの考えで 天正遣欧少年使節団を企画した

プロデューサーだったのです。

 

003

 

その時代の詳しいいきさつ等が この「クアトロ・ラガッツイ」に

詳しく書かれています。

 

05-185

 

ヴァリニャーノの時代の布教の中心は

京都、大分、そして長崎にあったようです。 

 

03-187

 

セミナリオは小中学校レベルで、

コレジヨは大学レベルの教育がされたようです。

 

05-219

 

有馬の最初のセミナリヨの入学生は22名、その中には

伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノもいた

と書いてあります。

天正遣欧少年使節の4名です。

 

05-226

 

興味深いのは 棄教したとされている 千々石ミゲルです。

本当は信仰を死ぬまで守っていたのではないかと

考えられてもいるのです。

 

墓の発掘が2019年の冬までには計画されているそうでので、

そのミゲルの墓にキリシタンであることを表す

十字架などが出てくるかもしれません。

 

ちなみに、キリスト教の信徒の中では

このミゲルは悪魔のように言い伝えられているそうです。

もちろん、信徒であったミゲルが 大村藩に仕えて

弾圧する側に回ったのですから、当然のことなのですが。

 

05-221

 

そして、ここで、私が 喜びのあまり声を上げそうになったのが

探し求めていた トマス金鍔次兵衛でした。

 

「キリシタンの間でヒーロー伝説が語り継がれた 

・・・6歳の時有馬のセミナリヨの予備級に入学、

禁教令でマカオに追放後、マニラに渡ってアウグスチノ会の

司祭となり、日本に潜入。・・・」

・・と記載されているではないですか。

 

これが発見できただけでも、南島原まで足を延ばした甲斐が

あったというものです。

 

何故かと言いますと、 天正遣欧使節の4人と フィリピンに行き来した

金鍔次兵衛の間に なんらかの接点がないものかと 資料を探して

いたからなんです。

 

 

 

 

05-229a

 

そして、彼らが日本に持ち帰ったもの。

その中でも 今年の日比友好イベントに登場するのが

この16~17世紀のヨーロッパ音楽とその楽器です。

Nagasaki-tour-and-amakusa-concert-by-fri

 

ちなみに、上の絵にある楽器が、天草市立の博物館である
「コレジヨ館」で復元され展示されているのですが、
これを「コレジヨの仲間」という古楽器アンサンブルの
グループが 2019年7月21日と23日に
バギオ市とマニラ市で演奏会をしてくださることになったのです。

 

05-197

 

領主の圧政に耐えかねた農民や 豊臣側だった武士などが

集結し、天草四郎を旗頭としたのです。

その中に多くのキリシタンがいた。 

 

05-198_1

 

島原と天草の間にある湯島(談合島)。

この島で「天草・島原の乱」に火がついたのでした。 

 

05-231

 

では、その原因は何だったのかといいますと・・

 

05-234

 

いろいろと複雑な要因があったようです。

 

05-241

 

 そして、その後、1865年の大浦天主堂の完成まで

潜伏が続き、信徒発見に繋がっていきます。

 

05-291

 

そして、次にご案内いただいた処は、

口之津歴史民俗資料館です。 

 

05-262

 

口之津が貿易で栄えたころの状況。

フィリピンとの関係で言えば、スペイン船をチェック。

貿易品の品目は興味深いですね。 

 

05-263

 

ガレオン船と呼ばれているものですね。
高山右近も、支倉常長も、金鍔次兵衛もこれに
乗って長崎とマニラの間を渡ったことでしょう。

 

05-281

 

 そして、この資料館にあった、「からゆきさん」の

コーナー。

ほんの100年程前には 日本は貧困の中にあり、

こんな悲しい時代もあったのです。

そして、その頃、フィリピンはその受け皿にもなって

いたのです。

 

05-336

 

最近日本で囁かれている貧富の格差。

そして一方で、経済成長著しいフィリピン。

歴史は繰り返されるのでしょうか。 

 

05-390

 

晩御飯を食べた島原駅の近くのお店。

若い夫婦が始めて日が浅い居酒屋だった。

 

ちょっと主人と話をしてみたところ、

島原の乱で当時のほとんどの住民が死んだ中で

自分の先祖は生き残り、今でも地元を離れないでいると

いうことだった。

 

実際、原城周辺の多くが、戦乱で死んだ為、

他の藩からの移住者が多いという話がある。

 

さて、翌朝 11月8日になりました。

 

03-031a

 

午前中は島原城の見学です。 

 

05-251_1

 

03-199

 

この島原城では、一階でキリシタン史料館もやっていました。

 

05-120

 

 隠れキリシタン大日像 

 

01-091

 

 潜伏キリシタンが信仰の対象とした マリア観音像 

 

05-080

 

石像マリア観音 

 

03-115

 

鬼子母神の聖母子像 

 

05-117

 

聖母子像(丁頭仏)

 

05-119

 

天草びな(マリア観音) 

 

03-155

 

キリシタン鍔・・・

おそらく金鍔次兵衛も このような金の鍔を

使っていたのでしょう。 

 

05-107

 

影踏・踏絵

 

03-138

 

島原切支丹地図 

 

03-163

 

島原半島の南部では、 島原の乱への参加が

「全村参加」、中部では「一部参加」となっており、

参加者合計が 23,891名となっています。

そして北部の「全村不参加」を入れても

全体の参加割合が 58.8%になっています。

 

05-128

 

原城での戦いでは、立て籠もった一揆軍は、

一人を除いて全員戦死したということになっていますから、

島原の南半分からはほとんど藩民がいなくなったということになります。

 

05-204

 

00-203

 

精霊流しは キリシタン復活を抑えるために

盛んになった・・・しかし、その中には

隠れキリシタンもいた。

 

05-247

 

この島原城の資料館には こんな武将隊も・・・

館内には韓国語が飛び交っていました。 

 

05-061

 

休憩所でタバコを吸っていたバスの運転手さんと

話をしたところ、最近は韓国人観光客専門の旅行会社が

あって、韓国からキリスト教の巡礼団が島原にも

やってくるのだと聞いた。

 

03-140

 

島原半島殉教者記念聖堂

 

島原に従来から住んでいる人たちはほとんどキリシタンでは

ないことになっているので、一般的な教会ではなく、

巡礼の人たちのお祈りの場所になっているらしい。

 

原城跡のような歴史的にキリシタン殉教の場所もあり、

観光客は歴史史料館に行き、巡礼を目的とする人たちは

このような聖堂に行くということらしい。

 

http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukuokahatu/shimabara_church.html

「この聖堂は、1612年~1658年の間に、島原半島一帯で

殉教した数万人にもおよぶキリスト教信者を記念し、

祈りの家として建てられたものです。」

 

http://www1.odn.ne.jp/tomas/simabara.htm

「島原半島のキリシタンは、藩主松倉重政とその子勝家の

雲仙硫黄地獄の過酷なキリシタン迫害と、重税に苦しめられた

農民がおこした一揆によって全滅した。

島原の乱でキリシタンが絶滅した後に移住してきた信者が

殆どで、土着の者は少ない。尚、官庁、警察、学校、銀行などに

勤務する信徒の転出入が激しく、また地域的にも島原半島全域に

散在し、まとまり難い。長崎教区でも福音宣教の最先端の地

とも言えるが、状況は甘くない。」

・・との記載があります。

 

05-233_1

 

では、島原城に別れを告げて、城下町を散策しましょう。 

 

05-278

 

武家屋敷の静かな佇まい 

 

05-338_1

 

何軒か内部を公開している屋敷があります。

 

05-302

 

05-310

 

清らかな水が道の真ん中を流れていて、蝶々も元気・・・

 

05-344

 

名物の具雑煮・・・だったんですが、

残念ながら定休日でした・・・

 

05-362_1  

 

・・で、雰囲気のよいお店で・・・ 

 

05-361

 

こんなランチになりました。

 

05-010

 

人通りの少ない商店街には こんな看板が出ていました。

なして????

 

05-381

 

そして、この高速バスで 博多へ 

 

― その 7 - に続きます

 

 

 

==============

 

 

|

« 世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その5 大浦天主堂 | トップページ | 世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その7 福岡・西南学院、東京・國學院と上智 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その5 大浦天主堂 | トップページ | 世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その7 福岡・西南学院、東京・國學院と上智 »