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2017年5月12日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 103 フィリピン文学の開花とリサールの風刺演劇

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

「第17章 ポロパガンダ運動とカティプナン」

 

Img_3312

p223

 

La solidaridad、プロパガンダ運動の組織」

 

プロパガンダの目的を宣伝するマス・メディアの重要性を認識し、

グラシアノ・ロペス・ジャエナは 隔週発刊の新聞 

La Solidaridadを、バルセロナで、1889年2月15日

設立した。

この日の創刊号で、ジャエナは大胆にも、彼の社説で

La Solidaridadの目的を以下のように宣言した:

(1)フィリピンの惨めな状況を鮮やかに描く、

(2)政治的及び社会的改革を平和的に行なう、

(3)中世的及び反動的な悪の力と闘う、

(4)自由主義の考えと発展を主唱する、

(5)民主主義と幸福の為のフィリピン人の合法的な願望を

擁護する。

 

p224

La Solidaridadは2月15日から1889年10月31日まで

バルセロナで印刷され、その後、マドリードに移って、

1889年11月15日から1895年11月15日に最後の

発行をするまで印刷された。1889年12月15日に、

M.H.デル・ピラールがジャエナに代わり、編集者となった。

そして、7年間存続して、1895年11月15日に

La Solidaridadが活動停止するまで続いた。

 

La Solidaridadへの貢献者は主にフィリピン人で、

以下の人々であった。

M.H.デル・ピラール、ホセ・リサール博士、マリアノ・ポンセ

・・・(以下多くの人の名前を列挙)

 

La Solidaridadの最終号(1895年11月15日)で、

M.H.デル・ピラールは彼の別れを告げる社説で、

「我々は確信しています。 何の犠牲も無いということでは、

 奴隷制度で抑圧された国に権利と自由を勝ち取ることは

 ほとんど出来ないということを。」と書き記しました。

 

=== おそらく、ここでは、敗北宣言ということに

    なるのでしょうか。

    それが、その後の改革から革命、平和的運動から

武力闘争に変化するってことですかね?

 

ところで、これは半分冗談ですけど、

ある事業に貢献した人たちの名前をたくさん

列挙するというのは、こういう教科書にも

その伝統が表れているんでしょうかねえ。

いろんなイベントやらに参加すると、

そのイベントに協力した偉い人たちがいちいち

紹介されるというのが、フィリピン・スタイル

なんですよねえ。

それも、一回ならいいんだけど、スピーチを

する人たちが同じことを言うんだよねえ。

日本のスピーチは簡略で、長々とやると

嫌われますけどね。

 

 

p224

「プロパガンダ運動の文学」

 

政治的精神ではあったが、プロパガンダ運動は、フィリピン文学

の開花に貢献した一定の賞賛すべき文学作品を産み出した。

それは最初のフィリピン小説 Ninayを産み出し、それは

法学博士であり文筆家のペドロ・A・パテルノ博士によって、

1885年にマドリードで出版された。

・・・・

 

=== この小説については、以下のサイトで詳細を

    ご覧ください:

Nínay

https://en.wikipedia.org/wiki/N%C3%ADnay

 

Nínay is the first novel authored by a native Filipino. Originally written

in the Spanish language by Pedro Alejandro Paterno when he was

twenty-three years old and while living in Spain in 1885, the novel was

 later translated into English in 1907 and into Tagalog in 1908.

 

・・・ここにあるように、フィリピン小説とはいいながら、

最初は1885年にスペイン語、1907年に英語、

そして、1908年にタガログ語に翻訳されているんですね。

 

・・・で、どんな小説なのかっていうと:

 

The novel explores the life and love story of the female protagonist

named Ninay, a heartbroken young woman who died of cholera.

Her heartbreak was due to her separation from her lover Carlos

Mabagsic. Ninay's misfortune became harder to bear because of the

 loss of her parents.

 

小説のタイトルは主人公の女性の名前なんですね。

そのニナイの、人生と愛の物語だそうです。

失恋をして、両親を亡くして、コレラで死んじゃうんですね。

悲しいですね。

 

 

p224

グレゴリオ・サンシアンゴは、エコノミストで法学博士でも

あったのですが、El Progreso de Filipinas(マドリード、1881年)

という本と、フィリピンの植民地経済と政治の学術論文を著した。

M.H.デル・ピラールは、法律家でジャーナリストですが、

政治的なパンフレット著者として優れていました。

・・・・・

 

 

p225

リサール博士は、もちろんプロパガンダ運動の最高の著作者でした。

彼の有名な小説(Noli Me Tangere と El Filibusterismo)に加えて、

文学的価値のある多くのエッセーや詩を著しました。

彼はまた恐るべき論客で、中傷者への皮肉な返事で明らかでした。

その中傷というのは、とりわけ La Vision del Frey Rodrigues

(1889年)で、その中で、ホセ・ロドリゲス修道士という

ノリメタンヘレを攻撃した最初の修道士の愚かさと無能さを暴露し;

そして Por Telefono(1891年)で、ノリメタンヘレを

禁止しようと検閲委員会の報告書を書いた サルバドール修道士を

風刺したのでした。

 

 

=== この著書については、こちらにサイトがあります:

下のサイトでは Frayとありますが、教科書には Freyとなって

いますね。

下のサイトの英文には The Vision of Friar Rodriguez となって

いますので、 FreyFray=Friar=修道士と考えられます。

 

La Vision de Fray Rodriguez

http://en.wikipilipinas.org/index.php/La_Vision_de_Fray_Rodriguez

La Vision del Fray Rodriguez (The Vision of Friar Rodriguez) is a satire
written by Philippine national hero, Jose Rizal, pictures a conversation
between Saint Augustine and the Augustinian priest Friar Jose Rodriguez.

To counter the effects of “Noli Me Tangere,” especially those from
Fr. Jose Rodriguez, Jose Rizal wrote “La Vision del Fray Rodriguez”
(The Vision of Fr. Rodriguez) through a small pamphlet. He used his
pen name Dimas Alang (Cannot be Touched) and made it as a satire
with a simple plot.

Por Telefono

http://en.wikipilipinas.org/index.php/Por_Telefono

Por Telepono or By Phone is a play written by Philippine national hero,
 Jose Rizal. It discusses social issues and plans for the Philippines
by two Friars.
It was published in 1889 as a reply to a friar named Fr. Salvador Font
in connection to his discrimination about Noli Me Tangere and for
initiating the banning of Noli in the fall of 1889. The first pamphlet was
printed in Barcelona under the authorship of Dimas Alang.
Por Telefono is a satirical comedy about Father Font, who was
at Madrid speaking with a provincial priest in San Agustin Monastery
using a telephone line that is spear-headed by The Trans-Oceanic
Telephone Co.

=== これは、ホセ・リサールが Dimas Alangという名前で書いた
風刺コメディーの演劇のようですね。

 

・・・・ 次回 シリーズ 104号には フリーメースンが登場です。・・・

 

 

 

 

 

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2017年5月 3日 (水)

「浄土三部経ー無量寿経」を読む-その8- 金色の仏像には革命的仏教思想があった

漢文書き下し文の 註釈をピックアップして
勝手なことを考えています。

Img_2579

ちょっと漢文書き下しのところに戻って、

p155

3. たとい、われ仏となるをえんとき、国中の人・天
ことごとく真金色ならずんば、正覚を取らじ。

=== これの註釈がなかなか興味深いんです。

p303
155  3 --悉皆金色の願

梵本によれば、「すべて、一色、すなわち金色で
ないようであったら」とあり、色は皮膚の色をさすと
同時に、インドのカースト制度からいえば、同一の
種姓を意味する。
「漢訳」以外の諸本はすべて金色、真金色と訳出して
いるが、これはおそらく右の諸本の成立時代における
インドの経済・文化の影響に基づくものと思われる。

紀元後のインドが中近東やギリシャの諸国との貿易により
多量の金を保有したことと、バラモン教の興隆に伴って
カースト制度が次第に固められ、外来人の渡来とその
文化の接触が白色・黄色・黒色などの雑多な皮膚
人種差別を惹起したことなどから、カースト制度を打破し
一味平等の平和社会を建設しようとする仏教の理念が、
この願文の中に同一の金色の皮膚をした人々の社会建設
として、宗教的に打ち出されている・・・・

「呉訳」は、人・天とせずに「わが国中のもろもろの菩薩・
阿羅漢」とし、かつ、第六天の人のごとしとする。

=== な~~るほど。 前出の時に、極楽浄土に
    往くのはいいけど、自分の身体がキンキラキン
    になっちゃうのは嫌だなあ~~とか、
    仏像がキンキラキンも嫌だなと書いたんですが、
    こんな社会的背景が当時のインドにあったん
    ですねえ。

    海外のキンキラキンの仏像もそういうことだったんですね。
    そういうことなら、キンキラキンでも納得です。 
    でも、自分の顔が金色になったら、どんな感じになるかなあ。   

    それに比べて、今の仏教界の情けないこと・・・

    まあ、仏教界に限らず、政治も世界的に
    理念を無くしちゃって混乱状態だけどねえ。

    人間の幸せという原点に戻って、政治理念を
    追究してほしいもんです。

p312

19ーー臨終現前の願
・・・この願は、諸本を通じて阿弥陀仏の見仏と臨終来迎
を誓っている願にほかならない。 阿弥陀仏信仰がインドに
おいて発生し伝播した過程において、見仏ないし来迎
期待する宗教的情念が主流をなしていた点を見落としては
ならないであろう。

親鸞が不来迎の説をたて、臨終来迎は待つべきではないとの、
平生業成の立場をとったのは、親鸞独自の発揮による。

=== おお、これもびっくりです。
    阿弥陀仏来迎図のお迎えなんですが、浄土真宗の
    場合は、不来迎・平生業成と言って、出迎え無用
    と言っているそうです。
   
    「平生業成」については、こちらのサイトで:
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%9F%E6%A5%AD%E6%88%90
    、「平生に業事成弁(生きている平生に、往生の業事が、
      完成(成弁)する)」
    http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%AE%89%E5%BF%83%E8%AB%96%E9%A1%8C/%E5%B9%B3%E7%94%9F%E6%A5%AD%E7%94%9F
    「「平生」とは臨終に対する語で、つねに日ごろという意味。
     「業成」とは業事成弁とか業因成就という意味で、
      往生の業因が行者の上に成就することであります。
     臨終になり、仏の来迎を得ることによって往生が決まる
     (臨終業成)というのに対して、平生業成とは、つね日ごろ
      仏法を聞信したときに往生は決定するというのであります。」

    2012年に浄土真宗はかなりユニークだってことは
    読んだんですが、これは知りませんでした。
    http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/05/post-9417.html
    
    詳しいことはお調べください。

=== さてさて、註釈に 法然さんと親鸞さんの違いの部分を
    書いてありました。

p324

四十八願建立について、浄土宗と真宗とは見解を異にする。
浄土宗では「大経」の説の通り、一国王が発心・出家し、
世自在王仏の教えをうけ、五劫の思惟をへて本願を立て、
その願が成就して阿弥陀仏となった。 その本願の成就
すなわち成仏は今から十劫の昔であって、久遠の弥陀を
説かない。

真宗では、久遠実成の阿弥陀仏と十劫正覚の阿弥陀仏を
考え、久遠の弥陀が方便を現じて法蔵菩薩となり、十劫の
昔に本願を成就して仏となった(十劫正覚)。
釈尊は久遠の弥陀の応化身であるから、釈迦・弥陀二尊は
一致するという。 その意味で、池本氏は弥陀の本体は
釈尊が菩提樹下においてさとった法であると論じている・・

=== なかなか難しい註釈です。
    私の理解が当たっているかどうかは分かりませんが、
    こんな風に解釈しました:

ー 法然さんは、この無量寿経に書いてあるとおりに
  理解して、法蔵菩薩が世自在王仏に教えをうけ
  願を立てて成就し阿弥陀仏となった。
  それ以外に阿弥陀仏はいない。 お釈迦様とは別人
  である。
  言い方を変えれば、多仏思想

ー 親鸞さんは、永遠の存在である阿弥陀仏を考え、
  方便として法蔵菩薩となり、その後 その同じ
  阿弥陀仏がお釈迦様に化身して現れた。
  つまり、法蔵菩薩もお釈迦様も阿弥陀仏が
  姿を変えて現れた同一人物ってことのようです。
  言い方を変えれば、阿弥陀仏の一神教
  
・・・これは、前回その7で書いたことと同じです。

私の今までの理解は、法然さんの浄土宗までは多仏思想で、
親鸞さんから阿弥陀さんだけの一神教になったということ
ですかね?

p358

202 弥勒菩薩 -- これまでは阿難(アーナンダ)を
相手に説法してきたのが、以下は釈尊についでこの地上に
仏となる弥勒・・・を専ら対告衆の代表として出す。

=== 途中でアーナンダさんから弥勒菩薩に代わった
    理由は書いてありませんが・・・

p359

202 善をなしーー浄土宗は善を称名念仏ととり、
真宗は廻向された念仏の功徳を得ると解す。

202 道の自然なるを念じ --浄土宗は因としての
念仏往生の道が熟するとき、仏果をうること自然である
という道理を信ずると解す。
真宗は阿弥陀仏の本願の大道が願力自然(他力)であって、
凡夫のはからいを離れているということを信ずるとみる。
親鸞は他力を自然法爾とも呼んだ。

p364

212 五悪ーー 五悪を解釈するのに二通りあり、
浄土宗は不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒の
五戒に背くことを五悪とする。
真宗は五善を仁・義・礼・智・信の五常ととり、
五悪はその五常に背くことと解する。
しかし、中国仏教以来、不殺生などの五をそれぞれ、
仁・義・礼・信・智に配当して、五常と五戒は異名同義
だと考える説も行なわれた。

・・・・浄土宗は「不飲酒」がしっかり書いてあるな・・・笑

・・・・ 上記の「廻向された念仏の功徳」の関連は、こちらで:
回向(廻向、えこう、: Pariṇāmanā, パリナーマナー)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E5%90%91
自分の修めた善行の結果が他に向って回(めぐ)らされて所期の期待を満足することをいう。善行の報いは本来自分に還るはずだが、大乗仏教においては一切皆空であるから、報いを他に転回することが可能となる。善行の結果を人々のためになるよう期待し、それを果すのを「衆生回向」といい、善行の結果を仏果の完成に期待するならば、それを果すことは仏道への回向である。」

 

=== 同じ経典を元にした、法然さんの浄土宗と
親鸞さんの浄土真宗ですが、註釈のページを読むと
上記以外にも多くの解釈の違いを書いてあります。

かなり難しいので、私にはきちんと理解できません。

ちなみに、2012年にこんな本を読んでいましたので、ご参考まで:

「山折哲雄著「法然と親鸞」を読む(15) 決定的な法然と親鸞の違い」http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/09/post-0295.html

 

以上、中途半端な感じですが、これで一応
「無量寿経」が全体としてどんなものかは分かった
つもり・・・としましょう

お付き合い有難うございました。

 

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2017年2月 9日 (木)

フィリピンの大学と 日本の大学の ランキング比較 2016

日本とフィリピンの教育制度は 下記の2016年の時点では
日本が12年間であるのに対して、フィリピンは10年ですので
ここではあくまでもランキングによる、国内でのイメージ
把握するためのひとつの試みとして、下記リンクのサイトから
抜き書きしています。

2016年最新完全版の日本の大学ランキング
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10155287445

アジア大学ランキング 2016
http://hot-topic-news.com/asia-university-rankings-2016

世界の大学 ランキング 2016
World | Ranking Web of Universities
webometrics.info
https://www.webometrics.info/en/world

 

フィリピンの学園都市でもあるバギオ市には大小10校
程度の大学がありますが、その内のトップ5大学を
日本の大学のイメージと比較してみましょう。

2017229_up_baguio_aimg_8709

<<フィリピンの大学の国内でのイメージ>>

日本とフィリピンの大学の実質的比較はできませんが、
バギオ市にある有名大学について、それぞれの国での順位を
そのまま使うとすれば、どんな国内イメージになるのか:

フィリピン大学(UP)ディリマン校がフィリピンの1位なので、
これを日本の東京大学というイメージにしてみます。

UPバギオは  18位なので、日本の一ツ橋大学。
SLUバギオは 32位なので、日本の横浜市立・防衛大学
BSU大学は  38位で、お茶の水女子大・学習院

バギオ大学は 78位で、静岡大学・岩手大学
UC大学は   97位で、桜美林大学・日本大学

   
という感じになります。。。。。
それぞれの国内でのイメージですけど。

 

Img_8108a

<<上記の世界の大学ランキング2016でみると>>

Universities in Baguio city
フィリピン・バギオ市にある大学は、世界の中で:

http://www.thesummitexpress.com/2017/02/list-2017-top-200-colleges-universities-philippines-webometrics-ranking.html?m=1

 

国内順位、世界での順位
18 7023 (3) University of the Philippines Baguio
6770 6160 7789 5777

32 9665 Saint Louis University Baguio City
9696 9717 7937 5777

38 10385 Benguet State University
4972 11666 7897 5777

78 14047 University of Baguio
13749 12803 8636 5777

97 15456 University of the Cordilleras (Baguio Colleges Foundation)
13329 14965 8636 5777

99 15597 Philippine Women's University
20778 13358 8636 5777

 

<<日本の大学とフィリピンの大学を世界順位で並べてみると>>

フィリピンの大学までの教育年数は、まだ 日本より2年短いので、
教育制度が大学終了まで12年に変更された後に どうなるか 楽しみです。
2017年現在、教育制度改革が進行中です。

尚、このランキングは、上記リンクの世界ランキングですが、
評価項目は、プレゼンス、インパクト、オープンネス、エクセレンス
の4つで、その総合評価でのランキングになっています。

(詳しくはこちらのページでご確認ください)
https://www.webometrics.info/en/Methodology

Objectives and motivation

        The original aim of the Ranking is to promote academic web presence, supporting the Open Access initiatives for increasing significantly the transfer of scientific and cultural knowledge generated by the universities to the whole Society. In order to achieve this objective, the publication of rankings is one of the most powerful and successful tools for starting and consolidating the processes of change in the academia, increasing the scholars’ commitment and setting up badly needed long term strategies

        The objective is not to evaluate websites, their design or usability or the popularity of their contents according to the number of visits or visitors. Web indicators are considered as proxies in the correct, comprehensive, deep evaluation of the university global performance, taking into account its activities and outputs and their relevance and impact.

        At the end a reliable rank is only possible if the web presence is a trustworthy mirror of the university. In the second decade of the 21st century the Web is key for the future of all the university missions, as it is already the most important scholarly communication tool, the future channel for the off-campus distance learning, the open forum for the community engagement and the universal showcase for attracting talent, funding and resources.

 

January 2017 Edition: 2017.1.0

48 University of Tokyo / 東京大学
82 Kyoto University / 京都大学
165 Osaka University / 大阪大学
214 Tohoku University / 東北大学
227 Nagoya University / 名古屋大学
263 Hokkaido University / 北海道大学
265 Kyushu University / 九州大学
277 Keio University / 慶応義塾大学
286 Tokyo Institute of Technology / 東京工業大学
324 University of Tsukuba / 筑波大学
376 Hiroshima University / 広島大学

(中略)

1301 Hosei University / 法政大学
1305 Fukuoka University / 福岡大学

1308 University of the Philippines Diliman
1326 Yokohama City University / 横浜市立大学
1340 Juntendo University / 順天堂大学
1348 University of Miyazaki / 宮崎大学
1358 Saitama University / 埼玉大学

(中略)

1804 Hitotsubashi University / 一橋大学
1813 Shiga University of Medical Science / 滋賀医科大学
1841 Utsunomiya University / 宇都宮大学
1879 Oita University / 大分大学

1925 De La Salle University Manila
1942 Showa University / 昭和大学
1948 Sapporo Medical University / 札幌医科大学

2796

University of Santo Tomas

4296 Ateneo de Manila University

(中略)

5992 (3) University of the Philippines Mindanao

6957 Hokkaido University of Science / 北海道科学大学
6971 Kyoto University of Art and Design / 京都造形芸術大学
6982 Kyushu University of Health and Welfare / 九州保健福祉大学
6991 Ibaraki National College of Technology 茨城工業高等専門学校 7005 Seijo University / 成城大学

7022 (3) University of the Philippines Baguio
7083 Kyoto Koka Women's College / 京都光華女子大学
7106 Daito Bunka University / 大東文化大学

(中略)

9416 Beppu University / 別府大学
9591 Nippon Bunri University / 日本文理大学
9630 University of the Sacred Heart / 聖心女子大学

9664 Saint Louis University Baguio City
9682 Tokiwa University / 常磐大学
9816 Nagaoka Institute of Design / 長岡造形大学
11967 Tokyo Junshin Women's College / 東京純心女子大学

 

<<ご注意>>

上記の世界ランキングにおける日本とフィリピンの大学の順位は
このスペインのリサーチ機関によるものですが、
大学のランキングがそのまま両国の大学生のレベルを表して
いるものとは考えない方が良いと思います。

実際に私がバギオ市にある大学生や卒業生と接した感触では、
大学で提供されているアカデミックな教育の授業のレベルとは
関係なく、非常に優秀な若者がたくさんいます

それは、世界トップの欧米の大学のアカデミックなレベルの
高さとは関係なく、各国にはそれぞれ大変優秀な学生たち
がいるという意味です。

また、フィリピンの場合には、公用語がフィリピン語と英語であり、
世界の中で競争するという意味では、英語力は非常に
大きな武器になっていると思われます。

ちなみに、ビジネス英語に関しては、英国やアメリカを含めて
フィリピンが世界で1位であるというデータもあるくらいです。

ただ、世界トップの大学には、世界中から、日本からも、
優秀な学生たち、人材が集まるという面はあるかと思います。
また、各国の経済的な地位、教育に注がれる財政面、
社会の中での教育に対する考え方などで、それぞれの
事情があるでしょうが、優秀な若者は世界中どこにでも
いるということです。

個人的な興味としては、
このフィリピンの大学のランキングが、現在進行中の
教育制度改革(10年制度から12年制度への変更)が
進行する中で、どのように変化していくかを見て行きたい
と思っています。

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2017年2月 8日 (水)

フィリピンの大学の観光学部って何だ? 研究論文発表全国大会の(中身)  

フィリピンの大学の観光学部って何だ? 

研究論文発表全国大会の中身

(中間部は後日書き込みします」と書いたんですが、
長くなりそうなので、別途こちらに書くことにしました。

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北ルソン日本人会の3人で 内容が分からぬままに 老舗のバギオ・カントリー・クラブの多目的ホールに行ってみました。

バギオ大学の教授に引率されて、受付へ。

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ホールの入口へ向かう途中、こんな女性たちが・・・・

スチュワーデスではございません

どこかの大学(たぶんバギオ大学)の観光学部の学生の制服です。

日常的に着る制服ということではなく、イベントや実習みたいな時の制服じゃないかと思います。

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・・・で、ステージのド真ん前のVIP席に着席。

左の女性がバギオ大学の教授です。

日本語も教えている方で、北ルソン日本語教師会の副会長さん。

国際交流基金の埼玉にあるセンターで、研修を受けた方です。

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ちょうどお昼時だったんで、700名の学生さんたちは、列にならんでビュッフェの昼食。

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さすがに観光学科。

元はと言えば、ホテル・レストラン経営学部ですから、実際の老舗ホテルで、フィリピンでも最高峰の料理やサーブの仕方などを学ぶのも 勉強のうちってことでしょうか。

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料理を皿にとっている女性たちは、いずれも大学生です。

右側のドレス姿も このイベントのスタッフをやっている大学生

我々3人は このドレス姿のスタッフにエスコートされて、会場入りしたのでした。

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・・・で、VIP席には どんな料理が出てきたかっていうと・・・

まずは、サラダ・・・

見た目は ぱっとしないんですが、ソーセージは、流石に老舗ホテルの味でした。

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メイン・ディッシュは、豚肉と鶏肉と魚、それに野菜。

ジャガイモも美味しかったなあ・・・

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これは、デザート。

甘さも上品で、老舗ホテルの抑えた味でした。

・・・・しかし、これだけのものを食べながら、赤ワインがなかったのは残念無念・・・

まあ、大学生の研究発表会だから、しょうがないよね。

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プログラムはこの通りで、朝8時ごろから、夕方6時過ぎまで。

依頼があった時の話では、日本人のスピーチは 2時半か3時ごろってことだったんですが、案の定・・・・遅れに遅れ・・・・結局5時半ごろになりました。

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主催者は、フィリピン全国の大学が作っている観光学部の組織のようです。

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食事の後は、エンターテインメント。

これも学生たちの授業の一環みたいなものですね。

お客様を楽しませるためのパフォーマンス。

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二組のパフォーマンスがあったんですが、これはバギオ大学の学生による 今時のダンスです。

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そして、こちらは・・・・セントルイス大学だそうです。

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このパフォーマンスは、 フィリピン南部の伝統的踊りを現代風にアレンジしたような踊りで・・・・・・

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物語があって、ミュージカルのような音楽劇でした。

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各大学には、フィリピンの伝統の踊りなどを伝承する部活動があるようです。

なかなか迫力のある素晴らしいミュージカルでした。

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・・・さてさて、研究発表の午後の部が始まります。

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大学生の卒論研究の発表だったようで、発表の後に、教授が突っ込みを入れていました。

ドローンを使った観光振興の提案。

私は、お腹も一杯で、まともに聞いちゃいませんけど・・

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これは、ケソン市における、マイクロ・ツーリズム・エンタープライズという会社の経済効果を研究したもののようです。

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これは女子大生の発表で、フィリピンにおけるアドベンチャー・ツーリズムの研究。

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これは、メトロマニラのホテルにおける サービス品質に関する発表。

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発表者の表彰式。

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その後に、大学と提携しているらしき旅行業者からの発表。

多くの業者が 研修生を受け入れたり、就職先となったりしているようでした。

ただし、日本のように 大学4年は就活でつぶされるなんてことは一切なく、4年次まで、しっかり落第しないように勉強するのが大変なんだそうです。

大学は就職先のお世話なんかは やらないそうですよ。

 

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そして、いよいよ、 韓国 - アメリカ - 日本 の順に各国の観光事情を話す時間になったんですが・・・・・

韓国さんは、韓国人の「アーティスト」ってことで、女性の歌手を準備。

それも、韓国ドラマの人気番組の歌を フィリピン語で歌うという立派な芸当。

・・・この時点で、日本は 負けました・・・あははは

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この方は、バギオの韓国人会の会長さんなんですが、

まあ、プレゼンテーションが 上手いこと上手いこと、 聴衆を引っ張り込む力を この人以上に持っている人は そうそういないだろう・・・という位 凄いパフォーマンスでした。

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プレゼンテーションの資料もしっかり準備されていたし・・・

韓流ドラマの俳優の写真やら、Kポップの歌手の写真やら・・・

会場はキャーキャー、ワーワーの 大盛り上がり。

これでも 負けました

いや~~、韓国は商売がうまい。

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その後に、インターミッション(休憩)のパフォーマンス。

バギオ大学の ミスなんとからしい女子大生。

これはかなり上手い歌唱力でした。

先のアーティストより上手だったなあ。

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アメリカの観光事情は、旅行会社のフィリピン人女性の発表。

まあ、これは商売だから、比べちゃいけないな。

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そして、満を持しての 我がニッポンのスピーチだったんです・・・・・が・・・

可哀そうな事情があったんです。

なにせ、二日前の夕方に大学から依頼が舞い込み、

準備は1日しかなく、

依頼内容が 「日本のことを話して欲しい」・・・という漠然としたもの・・・

一応観光事情だと分かったもんで、

大昔に観光業・エアラインで働いた経験をお持ちの、大先輩に急きょ引き受けていただき・・・

大学の教室でせいぜい数十人の学生を相手に話すんだろうと思っていたら、とんでもなく大規模な会場に連れ込まれ・・・

上の写真のスクリーンに映っている映像は、大学の教授が気を利かせて準備してくれたものだったんですが、本人との打合せが首尾よくいかず、ちぐはぐになってしまい・・・・

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・・・まあ、何はともあれ、観光業の歴史などを取り混ぜながら、乗り切っていただきました。

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これが 努力の結果です。

大変お疲れ様でした。 ありがとうございました。

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会場となった バギオ・カントリー・クラブは、 1905年、バギオ市が高原保養地として アメリカによって造られた時に出来た、アジアで一番古いゴルフ・クラブだとされています。

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敷地内では、料理に使われる野菜も自家栽培しているようです。

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しかし、フィリピンの大学の観光学部が、こういうイベントをやっているとは・・・

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そして、面白いものも見せていただき・・・・・・

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将来、世界のどこかの、ホテルやら、豪華客船やら、レストランやらで、この中の誰かに会うことがあるのかもしれません・・・・

ご招待いただき、ありがとうございました。

来年は、1週間前に お電話ください。 笑

 

 

 

        

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2017年2月 5日 (日)

フィリピンの大学の観光学部って何だ? 研究論文発表全国大会

先日、こんなイベントがあって、中身もよく分からないまま
行ってみました。

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International Tourism and Hospitality Students Convention

日本語教育の関連で数年来の知人である大学教授から
2日前に突然に依頼があって、「日本のことを話してください
という漠然とした話だったんです。

で、Eメールで詳しいことを教えてくれと頼んだら、
立派な依頼文が届きました。

内容を読んでみると、ツーリズム、観光に関する大学生の
イベントで、「日本の観光に関するスピーチをして欲しい
と言うことが判明。

「そんなこと、私は門外漢だから無理ですよ~~」

「日本人の人で誰かいませんか?」

いろいろ考えていたら、たまたま 昔 観光関係の経験者
が居ることを思い出し、その年配の方にお願いしたら
「いいよ」という答が返ってきて、安堵したんです。

その方も、依頼状をみてびっくり。

「大学っていうから、大学の教室でせいぜい何十人かを
前にしゃべればいいかと思っていたら、こりゃあ大変だ・・・」

ってことで、丸一日を掛けて、スピーチ原稿を考えて
もらったんです。

さて、当日。

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お昼前に落ち合って、バギオの名門老舗カントリークラブ
多目的ホールに到着。

担当の人に聞いたところ、フィリピン各地の大学から
700名ぐらいの 学生と教授、観光関係者が参加している
とのこと。

スピーチを受けてしまった方も、
「こんなに大勢の人を前に話したことなんかないよ・・・・」

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・・

・・

(中間部は 後日 書き込みします)  ・・・ここをクリックしてください・・・

さて、フィリピン・バギオ市には、大小数えると10校ぐらいの
大学があるんですけど、その多くには 数年前までは
Hotel and Restaurant Management (ホテル・レストラン経営)
学部なるものがあったんですが、最近はなぜか、どちらの
大学も International Hospitality and Tourism Management
(国際ホスピタリティ・ツーリズム経営)学部と名称が変わって
いるんです。ちょっとお洒落な感じですかね?

その例として、バギオ大学の その学部の内容をこちらの
サイトでご覧いただきましょうか:
http://www.ubaguio.edu/index.php/school-of/intl-hospitality-and-tourism-mgmt.html

このバギオ大学は、たまたま、今回のイベントの幹事大学ですが、
他の大学でも 将来は観光、旅行、ホテル、リゾート、レストラン、
あるいは外洋航路の大型客船などでも、世界中で活躍する
フィリピン人の供給拠点となっていて、地元でも海外に於いても
提携するホテル、レストラン、旅行会社などでの実務経験も
やっているようです。

そこで、ふっと頭に浮かんだんですが、
日本には こういう学部を抱えている大学たあったかな、
ってことで検索してみたんですが、国際観光学部系の
学部は数えるほどしかないみたいですね。

たまたま見つけた大学はこちらにありました:
文教大学 国際学部 国際観光学科のサイトです。
http://www.bunkyo.ac.jp/department/inter03.htm

これをフィリピンの学部と比べてみると、日本ではレストラン経営
というのは入っていないようです。

多分、レストラン系は、調理師学校などの専門学校が
扱っているんでしょう。
フィリピンの大学では、レストラン学科で調理などもやっている
ようです。 かなり実務的です。

・・・・

海外にいると、時々 日本人というだけで、大学などから
講演、スピーチをやってくれという依頼が来ることが
あるんですが、今回は 観光というトピックだったので
最新の情報を1日で準備するのは無理だったんです。

終わった後で、今後の為に何か情報を仕入れておかなくては
いけないってことで、某所より情報をいただきました。

日本の観光について、日本政府観光局のサイト。
http://www.jnto.go.jp/jpn/index.html

フィリピンを管轄しているのはバンコク事務所だそうです。
http://www.jnto.go.jp/jpn/about_us/overseas_network/bangkok/index.html

訪日観光客向けのサイト。
http://www.jnto.go.jp/

ビジネスオペレーター等が動画をダウンロードできるサイト。
http://www.visitjapan.jp/en/

これらのサイトの情報は、海外で生活している皆さんに
とっては、事情通の日本人を気取るにも いいかもしれないですね。

私自身は今回はただ観るだけでしたんで、
次回からは気取ってみます。

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2017年2月 1日 (水)

「この頃」・・・ってどう読みますか? ー 日本語教師症候群

「この頃」・・・ってどう読みますか?

このころ」ですか、「このごろ」ですか?

「このころ」だったら 「当時」の意味になりますね。

「このごろ」だったら 「最近」ですか・・・

なんなんだ、日本語って・・・・あ~~あ。

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・・・ってことをFACEBOOKに書きこみまして。

きっかけは既に忘れてしまったんですが、複数の皆さんから
いろいろ書き込みをいただいてディスカッションになって、
話があらぬ方向に発展したので、ブログでメモをしておきます。

ブログは私の外部記憶装置なんで・・・

==============

Aさん:  当時は「あのころ」なのでは?

私: 前提文が昔の話をしているときには、「このころ」と
   いう言い方もありますね。

   例えば:1960年に私は小学生でした。 このころ・・・・・

Aさん: 私なら、「その頃」となるのですが。

私:  はい、その頃というのも使います。 
    上の例文はちょっと短すぎて いまひとつですが、 
    前提文が長くなると このころ という言い方もしますね。

     過去形の前提文にどっぷりつかっている時は このころ で、 
    過去の描写をちょっと離れた視点で現在の視点で書いていたら 
    そのころ かもしれません。

Bさん:  深い、、、日本語って難しいですね。

Aさん:  勿論、過去でもその時点に立った文章になればこの頃でしょう。 
      それは日本語に限らないと思います。

私:  そういう意味じゃなくて、 この頃の読み方として、
    ころ と ごろ があって 内容が異なるということを
    言っているんです。

Cさん:  広辞苑には「このころ」と言う言葉表現は無く「此の頃」
     なら有り、そのよみは「このごろ」と書かれているので、
     この場合は「このごろ」として読むのが一般的ではないでしょうか。
     この表現で過去を表すときは、誤解されない様に、
     「このころ」と平仮名だけで書く事が良い様に思います。

私:  辞書は書いていない場合もあるので それが絶対ということ
    にはなりませんけど、 「このころ」って使いませんか? 
   「そのころ」「あのころ」はありますよね。 
   「そのごろ」「あのごろ」とは言わないですし。

私:  品詞で分けて考えると、「このごろ」はひとつで名詞
   「このーころ」は 連体詞「この」+名詞「ころ」ですね。

    連体詞「このー」については、辞書に 「話し手に空間的・
    心理的に近い人や物・物事をさし示す」あるいは 
   「話し手が話題として取り上げている事柄をさし示す」と
    ありますから、「このーころ」は これに当たりますね。

     具体的に言えば:
    歴史年表を見ながら、「このーころ」には アポロ11号が 
    月に着陸しましたね・・・ などと使えます。

Aさん: なるほどね。 そうですか。 
    「このごろ」は発音の都合上の濁点だと思っていました。 
     確か、日本語にはもともと濁点や半濁点は無かったと記憶
     しています。 その記述方法も日本語の歴史からすると
     ごく最近のことだと記憶しています。 あくまで私の記憶ですが。 
     だとすると名詞の「このごろ」はいつ頃にできた言葉なの
     でしょうか? 「このころ」から派生した語ではないので
     しょうか? 
     因みに、朝鮮語や韓国語には未だに濁点や半濁点の記述
     方法がなく私には濁点や半濁点の発音に聞こえても発音して
     いる人にはその意識がない。 それから推察するに、
     日本語でも記述方法が確立するまでは発音者には濁点の意識
     がなかったような気がするのですが。

私:  話がだんだん難しくなってきたなあ・・・

    「「は行」の子音は、奈良時代以前には [p] であったと
    みられる。すなわち、「はな(花)」は [pana](パナ)の
    ように発音された可能性がある。[p] は遅くとも平安時代初期には
    無声両唇摩擦音 [ɸ] に変化していた。すなわち、
    「はな」は [ɸana](ファナ)となっていた。」

     「「じ・ぢ」「ず・づ」の四つ仮名は、室町時代前期の京都では
    それぞれ [ʑi], [dʲi], [zu], [du] と発音されていた
が、
    16世紀初め頃に「ち」「ぢ」が口蓋化し、「つ」「づ」が破擦音化
    した結果、「ぢ」「づ」の発音がそれぞれ [ʥi], [ʣu] となり、
    「じ」「ず」の音に近づいた。16世紀末のキリシタン資料では
    それぞれ「ji・gi」「zu・zzu」など異なるローマ字で表されており、
    当時はまだ発音の区別があったことが分かるが」

     発音的には 上記のwikipediaのとおりで、 昔から濁音と半濁音
     の区別はあった
ようです。ただ、表記上でどのように、
     いつからかというのが発見できません・・・

私:  発音の都合上の濁点というのは 「会社」は「かいしゃ」で、
   「電気会社」は「でんきがいしゃ」と読むようなものですね。  
    音便化すると言っていいのかな?

私:  平安時代の発音の再現ビデオ・・・・
    https://www.youtube.com/watch?v=5jEWDiPlxXU
    朗読 源氏物語(Tale of Genji) 若紫1
    平安朝日本語復元による試み

Aさん: 濁音・半濁音は在ったと言う事ですね。 
     但し、私が知る限り濁点や半濁点の記述は最近のことだ
     と思います。 昔の人は濁点や半濁点がなくてもその言葉
     とそれの現れ方で発音を区別していたのでしょうね。 
     まー、今でも「わたしわ」とは書かないから。 
     それといつになったら「私は」が「私わ」になるのかと思って
     いるが未だにならない。 
     因みに五箇条の御誓文を見たら濁点が在ったが大日本帝国憲法
     を見たら濁点がなかった。 
     ルビが振ってない「昭和天皇実録」に「昭和」にだけは
     「せうわ」とわざわざ書いてあった。 これを編纂した人達に
     とってはこれが「しょうわ」と思われる訳には行かないのだろう。 
     言葉と言うものは人間の証の一つなのにあまりにも複雑怪奇
     で私には理解は不可能。

私:  音はあったってことになると、大昔は 音に合わせて漢字を適当に
    当てはめていたわけだから、漢字の使い方で区別していたかも
    しれないですね。

Aさん: なるほどね。

Aさん:  そうそう、一つ聞くのを忘れていた。 
     「このごろ」が名詞だと言う事ですが「このころ」と
     「このごろ」は別の言葉とのことなのでしょうか? 
      私は無意識に別の言葉を使い分けていると言う事なのでしょうか?

私: はい、「このーころ」と「このごろ」は 別の言葉ということに
   なりますね。 日本人は無意識に使い分けているんだと思います。 
   日本語を教えていると、こういう言わばどうでもいい細かい
   ところに意識が向いちゃうんです。

Aさん: なるほどね。 全く同じ言葉だと思っていました。

=== 以上、専門家から見れば 突っ込みどころはたくさん
    あると思いますが、井戸端日本語学会ってことで
    ご容赦ください。

   

=================

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2017年1月27日 (金)

フィリピンの公立ハイスクールで日本語の授業。 こんなのありかい???

先日 バギオ市から車で3時間ぐらいのところにある、パンガシナン州のハイスクールに行ってきました。

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なかなか立派なハイスクールでして、今は教育改革で4年制度が6年制度に移行している最中なんですが、6年制になると 8千人を超えるマンモス校になるそうです。

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広大なキャンパスの中に、こんなお店が何か所かあって、まるで大学のキャンパスみたいな感じ。

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割と緑も多くて、思ったよりは暑くなかった。

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こちらの女の子には 「ネコみみ」 が・・・・ 

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これ、「ゴミ箱」。。。。

この発想の自由さが フィリピン人の凄さだなあ~~~。

バスケットは、フィリピン人の国技とでも呼べるほどに、町内のどこにでも バスケット・コートがありますからねえ。

これだったら、ムキになって、ごみを入れようとするんじゃないですかね?

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「ジャーナリズムの特別プログラム」の建物って書いてあったんで、

ジャーナリズムってことは、高学年だけの特別なコースかと思って、

ここでは何を教えるんですかと先生に聞いてみたところ、

1年生から いろいろなインタビューをして、文章を書くための訓練をする、

というような話でした。

ああ、そういうのもジャーナリズムと呼ぶのか、と新発見。

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英語部門公園?

英語はフィリピンの公用語のひとつですから、幼稚園から英語はやっているんですけど、この公園にはどんな意味があるんでしょうか・・・・

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机はかなり詰め込まれているんですが、それでも30~40人前後と見える1クラス。

それにしても、やっぱフィリピンの人たちは明るいよねえ。

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この教室の一角が 日本語の先生の部屋。

フィリピン語(国語)の先生が 今は日本語を兼任だそうで。

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これが このハイスクールで使用されている日本語のテキストの目次です。

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これは 先生が持っている 教える内容を書いたマニュアルです。

ほとんどが 英語で書いてあります。

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これは カタカナとローマ字のチャートですが、
日本で普通にみる日本語のテキストのチャートとは かなりコンセプトが違うようです。

これは基本的には 日本の国際交流基金が海外向けに作ったものらしいのですが、日本人の先生にとっては使いづらいテキストだろうなという印象でした。

海外の先生にとってどうなのかは分かりませんが。

昔 同じ交流基金制作の ひらがな練習帳みたいなのを使ったことがあるんですが、ローマ字での表記が発音重視と思われる書き方だったので、教える方が非常に混乱しました。

これだと、パソコンでのひらがな・漢字変換はできないのにな、と思ったことでした。

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これが 日本語の授業風景です。

今回は 日本人が見学に来るってことで、特別に真ん中を空けてあるのかと思いますが・・・・

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今日のお題は 「日本の季節の行事」・・・みたいでした。

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・・・で、驚いたのは、先生が生徒たちに質問をすると、

生徒たちが競って手を挙げること・・・・

実に活発でした。

日本の年中行事についての 質疑応答です。

・・・が、日本語で質問して、答えるわけではなく、すべて英語です。

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・・・そして、そのような年中行事の「パーティー」でどんなことをやるか・・・

それを先生が 生徒の答を受けて 英語でリストアップしまして、

その短いセンテンスの動詞を 日本語でどう言うかを勉強するという進め方でした。

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さてさて、ここからが 驚愕の授業になっていきました。

ゲームなんですけどね。

黒板の前に立っている男性が、「らーめん」の絵と文字を書いたカードを 

立っている4人の女の子以外の生徒たちに見せます。

周りのクラスの全員が、この絵を見て、ジェスチャーで 立っている4人に それが何であるかを教えるわけです。

そして、立っている4人が その答を考える。

そして、日本語で答えるというゲーム。

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・・・これが、まあ、めちゃ受けでして。

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ゲームが進むにつれ、大爆笑の渦。

後ろで見ているだけで、そのパワーに大汗をかくほどでした。

本当に、フィリピンの若い人たちは ノリノリです。

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日本でこういうゲームをやっても、まあ、のってこないだろうなあ。

これは、こういうフィリピンの若者たちの間に入って経験してみないと 分からないことだと思います。

このエネルギーには 圧倒されました。

もし私が この教室の先生だとしたら、2時間でぐったりですね。

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日本人のお客様ってことで、興奮は最高潮!!

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その興奮度は こんな感じ・・・です。

・・・・

日本語を勉強して使えるようになると言うよりも、

日本の文化をちょっと知識として学ぶという雰囲気でした。

日本の外国語教育、英語教育は、余程外国語という言語が好きな生徒じゃないと、授業に出たくなくなる感じかもしれませんが、こういう授業であれば、日本ってどんな国なんだろうって興味を持てるでしょうね。

先生に伺ったところ、 1時間授業が週に4回だという話でしたので、

一か月に16時間、一年が10カ月だとして 160時間、

4年間学ぶとすると 640時間になります。

一般的な日本語教育の場合だと、640時間授業があれば、中級に届くぐらいの日本語能力はつけられるんですが、日本文化を学ぶのが中心になっているようなので、それは望めません。

ただし、この方針は フィリピンの教育省の方針として、異文化を学ぶことを通じて、人間教育をするということらしいので、日本とは方向性が違うように思います。

詳しくは、こちらでどうぞ:

「フィリピンの日本語教育の新しい動きにびっくり。 日本の英語教育は?」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2016/04/post-cdbc.html

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このメインの校舎の玄関に なかなか良い言葉が書いてありました。

「ここで出来たら、君はどこに行っても成功できる。」

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年寄りの私が、ぐったりする程のパワーをもらった授業。

素晴らしい経験を ありがとう!!

     

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2017年1月23日 (月)

ムカつくの「つく」って何だ? 久々の日本語教師症候群

タクシーの中で ふっと頭に浮かんできたんです。
ムカつく」って言葉が。

日本語教師症候群が久々に発症したわけです。

頭の中だけで浮かんできた理屈は・・・

「ムカつく」=「ムカ」+「つく」 だろうなと思うわけです。

おそらく、「ムカ」は、ムカムカするってことだよな。

じゃあ、「つく」ってのは何?

日本人って、ひらがなだけじゃ意味がわかんないから、
漢字ではどうかくんだっけって思うじゃないですか。

「つく」の漢字ってなに?

尽く、着く、突く、吐く、付く、就く、憑く、衝く、搗く、点く、撞く、漬く、

なんて漢字が文字変換で出てくるんです。

この中で、「ムカつく」のイメージに近いかなと思うのは、
私の感覚だと 突く、付く、そして敢えて冗談まじりには 
憑く、点く ぐらいかなと思うんです。

一方、XXつく という似た言葉にはどんな言葉があるのか・・・

「イラつく」、「ガタつく」、「バラつく」、「チラつく」
「マゴつく」、「ベタつく」、「イチャつく」
なんかがあるんですねえ。

この言葉を眺めると、一応なんだか 一定の傾向がありそうな。

はい、擬態語+つく ってことになりそうですね。

さて、意味の方から見てみると、
「ムカつく」には大きくふたつの意味がありますよね。

「あいつの態度にはいつもムカつく。」=頭にくる。
そして、もう一つは、
「ケーキを喰い過ぎてムカつく。」=胸がムカムカする。

実際に国語辞典で確認してみると:

[動カ五(四)]
1 吐きけを催す。むかむかする。「車酔いで胸がむかつく」
2 腹が立つ。しゃくにさわる。「話を聞いただけでむかつく」

・・・・「吐き気」の方が一番目に書いてあるんですが、
私の感覚では、最近の日本人は 2の意味「腹が立つ」の方で
使うケースが多いような気がします。

「吐き気」の場合は、「ムカムカする」を使う方が多いんじゃないでしょうか。

1の場合は 身体の感覚 + つく
2の場合は 感情 + つく

ということになりそうです。
いずれにしても、「擬態語+つく」ということですね。

・・・・

さて、そこで「つく」に戻るんですけど、どの漢字が一番ぴったり
するかという点ですが・・・

「ムカムカ」の感覚が、「突く」のか、「付く」のか
「憑く」のか、はたまた「点く」のか・・・・

「突く」というのは、「突きあげてくる」というイメージだったら
「ムカムカ」が突きあげてくる感覚にぴったり来そうですね。

「付く」だったら、その感覚が「くっ付いてくる」イメージ。

「憑く」なら、ちょっとおどろおどろしい「憑依」かな?

「点く」だったとしたら、「スイッチが入る」感覚。

まあ、普通に考えれば 前者のふたつなんですが。

さて、そこで、そのふたつを検討してみましょうか・・・・

国語辞典によれば:

つつ・く【突く】[動カ五(四)]
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/147638/meaning/m0u/

1 何度も軽く突く。こつこつと小刻みに突く。また、
そのようにして合図や注意をする。「棒で草むらを突く」
「アカゲラが幹を突く」「ひじで突いて注意する」

・・・用例をみても、ぴったり来るのがないんですが、
「胸を突く言葉」なんてのは もしかして?
「胸を突くムカムカ」なんちゃって。

「付く」にはいろいろ意味がありまして
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/147036/meaning/m0u/

その中で一番今回の意味に近そうなのは・・・・

[動カ五(四)]
1 あるものと他のものが離れない状態になる。
3 あるもののそばに寄ってそい従う。
4 ある働きが活動を始める。
・・・この4の中にこんなのがありまして、
㋒病気にかかる。感染する。「ばい菌が―・く」
㋔五感にとらえられる。意識・知覚がはたらく。
「よく気の―・く人」「目に―・く広告」「高慢さが鼻に―・く」
8 病気にかかる。感染する。
9 (動詞の連用形について)動作・状態の激しい意を表す。
「しがみ―・く」「食い―・く」

・・・この中で 意味的に近そうなのは、1か4か8ぐらい
なんですけど、用例がぴったり来ないんですねえ。

=== と言うことで、ここまでは動詞の方から見てきたん
    ですが、やっぱりこれは接尾語ってことで・・・

づ・く【付く】 の意味
[接尾]
《動詞五(四)段型活用。動詞「つ(付)く」から》
名詞またはそれに準ずる語に付いて動詞をつくり、そのような
状態になる、そういうようすが強くなるという意を表す。
「秋付く」「元気付く」「おじけ付く」
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/147051/meaning/m0u/

・・・ってことで、漢字としては 「付く」が正解なんですね。

意味的には、「そのような状態になる、そういう様子が
強くなる」という意味だそうです。

「ムカムカ」する状態になる、あるいは強くなる、ってこと
ですね。

==== 一方、手元の明鏡国語辞典をめくってみますと:

つ・く「付く」
(接尾)(擬声語・擬態語に付いて五段活用の動詞を作る
そのようなようすを示す状態である。

==== まさに、この「擬態語+付く」の説明です。

なんだよ、最初っから 手元の辞書を見ればよかったんじゃ
ないの・・・インターネットだとここまでは見つからないん
だなあ~~~~~。

ところで、これは「WEB辞書批判」でも「紙の国語辞典礼賛」
でもありませんので 誤解なきよう。

個人の趣味的に言えば、

「ムカムカ」が「 取り憑く」って漢字が好きなんだけどなあ。

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2016年11月16日 (水)

タミル語起源説 「空気の研究」と「国語学者・大野晋の生涯ー孤高」川村二郎著 を読む - その5

「空気の研究」と「国語学者・大野晋の生涯ー孤高」川村二郎著 を読む - その5

ふたつの書籍を読み比べながら、日本語と「空気」の
関係のヒントを得たいと思っています。

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「空気」と関係づけるのは、ちょっと無理やり感があるん
ですが、その無理やりをやっちゃいましょう。

p315

ゆきつけの大きな書店をのぞくと、大野の著作を集めた
コーナーがなくなっていた

小学生のための書きとり練習の大規模な組織を大野中心に
つくることになっていた出版社は、その計画から撤退して
いた。

講演の依頼がこなくなった。

=== まあ、酷いもんですね。
    本人が留学中の留守を狙って、「空気」を形成
    した輩がいたわけだ・・・
    こういうのを陰湿ないじめって言うんでしょうね。

大野が「毎月、タミル語について書かせる気はないかね」と
聞くと、社長は「先生、あの研究は大丈夫なんですか」という。

「ああ、あれは大丈夫だよ」というと、「そうですか、それじゃあ、
よござんす。 連載を始めましょう」といってくれた。

十七年後に刊行する「日本語の形成」の母体になった。

学問のことは、学問で決着をつけるべきだと考えることにした。

p316

スリランカ・ジャフナ大学のサンムガダス教授夫妻の身に、
危険がおよびそうになった・・・

スリランカでは・・・シンハリ人と、・・・タミル人の間で、
深刻な対立が続いていた・・・

大野は夫妻を東京に呼ぶことにし・・・

夫妻にとって日本語は発音が簡単なうえ、文章の語順が
同じなので、覚えやすいらしい。

国際交流基金の助成金も受け、大野と共同研究することに
なった。 ・・・大野の研究は、一気に加速することになる。

=== やっぱり、出版社の社長といい、タミル人教授夫妻
    といい、最後は信頼できる人ですね。
    国際交流基金も偉い! (ちょっとゴマスリですが)

p317

大野は以前から、タミルの文学作品としても最古の歌集
「サンガム」と「万葉集」の関係に注目
し、日本最古の
歌集がタミル最古の歌集にならって編まれたのではないか、
と見ていた。

p318

大野の説をきちんと批判するためには、上代古語と
古典タミル語に通じていなければならない。
日本には大野以上に上代古語のわかる学者はいそうにない
そのうえ古典タミル語の知識ともなると、これはもう
ドリーム・チームをつくるようなものである・・・

p319
マレーシア・クアラルンプールで開かれた「世界タミル学会」
で、古典日本語と古典タミル語は、助詞と助動詞の間にも
対応のあることを発表
した。

=== まあ、これで 勝負あったということなの
    でしょうね。
    最後に残っていたパーツを解決したわけだし。

p321

祝賀の宴で(小説家)丸谷(才一)はグラスを手に、
・・祝辞を読み上げた。 大野の数々の業績を讃えてから、
「大野さんの玉にキズは、ケンカっ早いことです」
といって会場を沸かせた。

p323

大野の頭の中にある学者は、学問研究に誠実で、
事実に対して謙虚で、メンツなどにはこだわらない、
そういうものだったのだろう。

しかし大野は委細かまわず、「日本語の起源(新版)」などで、
日本語はどこからきたのかといった、学会を刺激するような
著書を次々に発表した。

その時、学会は無視するのが精一杯だったようである。
これは、という反論や批判はなかった。
大野が古典タミル語の生き字引と組んでいることを知り、
攻撃を諦めたのかもしれない。

=== その当時はそういうことになったのでしょうが、
    今現在はどうなのでしょうね。
    大野氏以上のタミル語の学者はいるのでしょうか。
    もしいないのであれば、このタミル語起源説は
    一定の定説として語り継がれるのでしょうか。
    学問には学問で対抗するという姿勢が
    なければ、これを乗り越えることはできない
    でしょう。

大野は、縄文時代の日本では母音が四つで母音終わりの、
オーストロネシア語族の一つと思われる言語が話されて
いたと推定する。
そこに南インドから、稲作や機織りという最先端の
文明を持つ人たちがきた。

彼らは文明と一緒に言語を持ち込み、その言語の基礎語や
文法や五七五七七の歌の形式
を受け入れてできたのが、
ヤマトコトバの体系である。

==== 分かりました。
     様々に事実を検証した結果がそういうもので
     あるのなら、そして、他の学者がこれを
     ひっくり返せないのなら、タミル語起源説
     を支持します。
     もっとも、こういう研究論文を読んでも
     理解できる能力は 私にはないのが
     残念ですけどね。 あははは

=== ちなみに、最新のDNA研究ではこんなことになっているそうです。

「2016年4月3日(日曜日)午後11時30分から放送の「サイエンスZERO」は、日本人のルーツについて。」

https://www.youtube.com/watch?v=oKGmG5hfANQ&feature=youtu.be

http://yonta64.hatenablog.com/entry/zero/2016-0403-%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84

「今回判明したのは、「縄文人」は「東アジア」「東南アジア」の分岐よりも前にすでに分岐が始まっていたということ。

”オリジナル縄文人”は、中国人の先祖やベトナム人の先祖よりさらに古い時代に日本にやってきて独自の文化を作った可能性があるという。

オリジナル縄文人のDNAはアジアのどこにも見つからないもので全く新しい場所から発生している可能性があり、ユーラシア大陸のどこからやってきたのかもわからず、調査も振り出しに戻ってしまったという。」

p328

古代は女の方が男より地位が高かったんです。
ですから平安時代は女の方が立派な作品を多く残したし、
鎌倉時代もはじめは、優れた女流歌人が出ています・・・
・・大昔の日本は女性上位だったんですよ。

=== 立派な女性は 今も私の周りだけでも大勢いますしねえ。
    なぜ、今の日本は男社会になってしまったんでしょう。
    世界でも女性の社会進出が最低レベルですもんね。
    鎌倉時代からの武家社会がそのルーツなんで
    しょうか。士農工商ですか。

p331

教則本のようなもの・・・・「日本語練習帳」だった。
根底にあったのは、「日本語は曖昧な言語だ」という
誤った考え方を正したいという気持ちである。
どんな言語も、使い方を誤らなければ、曖昧になるような
ことはない
、ということである。

もし日本語が曖昧だとするなら、それは日本語のせいでは
ない。 使う人間の頭の中が曖昧なせいだ
これは大野が折あるごとに言い続けてきたことだった。

=== う~~~ん。
    これは非常に厳しいお言葉ですね。
    日本語教師としても考えを改めないといけません。

    ここにも、「空気による支配」があるのかも
    しれないですね。
    日本語は曖昧だ・・・ってのを厳密に事実として
    立証したものがあるのか、って話。
    私自身も、文脈によって、意味が変化する日本語は
    実に曖昧な言語だって思ってきましたからね。

    「日本語練習帳」を読み直さないといけません。

p333

大野から「日本語の形成」の「序文」が届いた。

「私はこの本の序文を書く時まで生きていることが出来て
仕合せである。私の一生はこの一冊の本を書くためにあった
と思う」

・・・鈴木は文字がにじんで、その先を読むことが
できなかった。

====  この本を読まなくちゃいけないな。
      おそらくこんなに仕合せな学者はいないので
      しょう。
      「空気に支配」され、事実の声も耳に入らず、
      他者の何かを絶対化して、情況に流される
      学者が多い中で、もしかしたらこの人は
      汎神論的な日本の風土の中で、
      自分を臨在的把握で絶対化できた、
      あるいは、学問自体を臨在的把握で絶対化
      することが出来た人なのかもしれないですね。

      さて、私は何を神がかりの絶対化の対象と
      しましょうかねえ。
      老い先短いし・・・・・

・・・・・・・・・・・・

一応ここで本編は終わりなんですが、

その6 では、エピローグの言葉を拾いたいとおもいます。

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2016年11月15日 (火)

「空気の研究」と「国語学者・大野晋の生涯ー孤高」川村二郎著 を読む - その3

「空気の研究」と「国語学者・大野晋の生涯ー孤高」川村二郎著 を読む - その3

ふたつの書籍を読み比べながら、日本語と「空気」の
関係のヒントを得たいと思っています。

今日は第六章 「タミル語」からです。

Img_3361

「空気」と関係づけるのは、ちょっと無理やり感があるん
ですが、その無理やりをやっちゃいましょう。

とりあえず、「日本語のタミル語起源説」のいきさつから・・・・

p263

日本語はどこからきたのか
国語学界では長い間、日本語の源流を北方に求める
研究者が多かった
。 日本語の文法的な構造が、
トルコ語やモンゴル語やツングース語といった「アルタイ語
群」と共通しているところから・・・・しかし文法的な
構造は似ていても、単語の対応は、はっきりしなかった。

朝鮮語と同系ではないかと・・・しかし百五十の中には
文化に関係した単語が多かった。文化に関係する単語は
言語の系統とは関係なく入ってくることが多い。
基本動詞については立証できない・・・・

p264

アイヌ語については、専門家の金田一京助が、「日本語と
アイヌ語は、文法的にもつながらない」と断定していた。

大野は・・・「日本語と関係の深い言語は、南方にある
のではないか
」と書いた。・・・それきりになっていた。

=== ここまでは、いわゆる良く知られている説ですね。
    でも、どうも、いま一つ決め手にかけるということ
    みたいです。

学習院に日本語の系統について講義にきていた江実が、
「大野君、南インドのドラヴィダ語族は、日本語と文法の
構造がよく似ているんだ。これは要注意だよ」といった・・
・・・京大出身の言語学者で、・・・内モンゴルで
モンゴル語の研究をした。

日本の言語学界はどういう理由からか戦後、戦争の前から
外地にいた言語学者を軽視し、ときには無視する傾向が
あった。

p265

江は・・・日本の南・・・ニューギニアに日本語の先祖
いるかもしれないという説を発表し・・・
パプア湾沿岸の言語に日本の上代語とよく似ているものが
あることを発表・・・
語順が似ていることや単語が日本語と同じように母音
終わっていることをあげていた。

=== ことほど左様に、日本語の起源については
    様々な説があるようです。
    私が今までに読んだ本の中にも、日本人の右脳や
    左脳と言語処理の関係が、欧米人のそれとは
    異なっているという説の中で、このポリネシアの
    周辺の言語が 日本語と同じ母音で終わる言語であって
    自然の音、虫の声などを楽しめる民族だとの
    説を読んだんです。
    もしかしたら、大昔のその昔に太平洋に沈んだと
    されるムー大陸の子孫が日本人なんじゃないか、ってね。
    誰か日本人ムー大陸起源説をやってくんないかなあ~~。

その時のメモはこちらでご覧ください:
右脳と左脳 音楽vs虫の「「声」・日本語を母語とすると・
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/12/post-aba3.html

謎の伝説の大陸ムー大陸:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E5%A4%A7%E9%99%B8

p265

ドラヴィタ語については若い言語学者の芝丞や・・・
芝は興奮した様子で「大野さん、タミル語はアイウエオ順
並んでいます」と電話をしてきたこともある。

p267

辞書を開いた・・・「アンガライ」を見つけた・・・
日本の古語に「アカラシ」という語がある。
・・意味が共通しているだけでなく、音素が五つ対応している。
これまで数々の言語と日本語の比較をしてきたが、一語とは
いえこんなに重なることが多い単語を見るのははじめてだった。

p268

ドラヴィダ語は二十を超える言語から成り立っているが、
語形も意味も日本語とよく似ているのは、タミル語だった。

p269

経済学者のタワラジという人が古典の教養もあることが・・・
かれは大野の関心が古代のタミル語にあることがわかると、
タミルに伝わる「ボンガル」という祭の話をした。

大野の家も子供のころは毎年一月十五日には小豆粥を炊き
それに白砂糖をかけて・・・正月の慣例になっていて・・・

思わず、「お粥にお砂糖はかけませんか?」と聞いた。
すると「イエース。 砂糖や砂糖キビで甘くして食べます」
と言ってから、「どうしてあなたはそんなことまで知っている
んだ」という顔をした。

p270

一月十五日に赤い粥を炊き、甘くして食べて祭をすることは、
平安時代に紀貫之が書いた「土佐日記」にも出てくる・・・

かなりの単語の音と意味が、良く似ているだけではない。
古い慣習も似ている。単なる偶然とは考えにくい

・・・稲作関係の言葉に対応しそうなものが多いことも
わかった。

p272

朝日新聞に載った大野の寄稿も「週刊朝日」の対談も、
学界からはほとんど無視されたが、一般にはよく読まれた
ようだった。

p273

NHKから電話があったのは・・・
「先生の朝日新聞の御文章、興味深く拝読しました。
それで実は、先生に南インドにいって仮説について調べて
いただいて、その様子をテレビ番組にできないか、と
考えておりまして」

大野はわずかな会話から、その人間の人となりを当てる
ことができた。 それは天才的といってもよいものだった。

「僕は「上代仮名遣の研究」に始まって「岩波古語辞典」
まで、約二万語の単語とつき合ったんだよ。人間でいうと、
二万人の人とつき合ったことになるんだな」

p277

インド大使館員に・・・マドラス大学の教授・・・を教えて
もらって・・・教授は古典タミル語の権威だった。

p278

教授の顔とノートを交互に見ていた。
我々はこの研究を進めなければなりませんね」と英語でいった。

p279

取材を通して知り合った東大の言語学、考古学、文化人類学
の教授たちに意見を聴いて回った。
しかし「面白そうだ」という学者はいなかった
ほとんどの学者が大野の仮説を「考えてごらんなさい。日本と
南インドは、七千キロも離れているんですよ。ありえない話
でしょう」といって、一笑に付した。

=== 私は学者とか研究者とかいう人たちは
    既成のことに囚われることなく自由な発想で
    面白そうなことに取り組む人たちだと思って
    いたんですが、頭が固いみたいですね。
    事実を見ずに、権威に寄り掛かるのが日本の学界
    ってことなんでしょうか。
    異端児じゃないとノーベル賞は無理みたいですね。

p280

「北方騎馬民族日本征服説」で有名な考古学者は、・・・
「七千キロなんて、大した問題じゃないよ。 海は大昔
ハイウェーだったんだから
。 大体日本の学界は、新しい
説が出てくると、まず叩く。悪いクセだ。
どんでもない話から仮説ができて定説になることは、そんなに
珍しいことじゃないんだ。」

橋爪は「新説はまず叩く」に、ヒザを打った。学界の中の
足の引っ張り合いや嫉妬のすさまじさは、教育番組を
つくるときにさんざん見てきた。

足を引っ張られまいとして井の中の蛙になって大海に
出ようとしない学者・・・波風を立てないように・・・

仲良しクラブ」の風潮は、何も学界に限ったことでは
なかった。 残念ながらNHKも例外ではなかった。
しかし大野は、そういう学者ではなかった。

=== この辺りが、例の「空気」に通じるところでしょうか。
    足の引っ張り合いや嫉妬のすさまじさが
    表面に出たのが あの「STAP細胞・小保方事件」
    なんでしょうか。
    自殺者まで出すすさまじさでしたが・・・
    私は密かに 小保方節が将来の定説になることを
    願っている一人なんですけどね。

    「それでも地球は廻っている・・・」
    「STAP細胞はあります!」

    卑近な例で申し訳ないんですけどね。
    私がフィリピンの大学で使われている歴史教科書を
    読んだ時に感じたことなんですけど。
    日本の教科書では感じなかった、東南アジアの
    古代からの海を通じての世界的交流の広さです。
    インドあたりからフィリピンあたりまでは
    当然のことのように交易が盛んだったんですね。
    それよりも後に、倭寇なんかがちょこちょこと
    フィリピン沿岸に姿を現わしている。
    植民地化をされる前の昔から交流が盛んだった。
    もちろん、仏教がはるばる北インドから
    ガンダーラや中国を経て、日本へ伝来したこと
    なんかを考えれば、まったく不思議じゃないです
    もんねえ。 海どころか歩きですよ。

・・・・・

それでは、 その4 でどう決着するんでしょうか。

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