カテゴリー「旅行・地域」の記事

2018年1月14日 (日)

PHOTO MAP OF KENNON ROAD, BAGUIO CITY  フィリピン・バギオ市ケノンロードを歩く

 

 

 

久しぶりに Photo Map of Baguio City を再開です。

今回は バギオ市が保養地として開発される前に 山岳道路として作られた ベンゲット道(現在の Kennon Road) を バギオ総合病院からスタートして キャンプ8、キャンプ7へと下ってみましょう。

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ここは Marcos Highway マルコス・ハイウエイ側から Baguio General Hospital バギオ総合病院へ入るところです。

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ここは バギオ総合病院(BGH)の庭園です。

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バギオ総合病院の前のロータリー。

Rotary  in front of Baguio General Hospital.

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Baguio General Hospital & Medical Center への入口です。

 

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さて、ここからケノン・ロードが始まります。

マニラまで TPLEX経由で 3時間半と書いてありますが・・・・

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左側にできた新しいビル。

銀行や薬局が入っています。

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BGHMC CANCER INSTITUTE バギオ総合病院の癌センター。

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左側(バギオ総合病院の向かい側)にある Baguio Medical Center バギオ医療センター。

BGH(&MC)は国立病院ですが、こちらのBMCは私立の病院です。

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バギオ総合病院の敷地の中には フィリピンの保健省の事務所があります。

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保健省のビルも新しいビルです。

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バギオ医療センター(BMC)の横で、ケノン・ロードから Military Cut-Off通りへの分岐点があります。

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ケノン・ロードはもろい地質ですので、バスなどの重量級の車両は通行が制限されています。 バスやトラックなどは通常マルコス・ハイウエイを使っています。

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この地点から Camp8,  7, 6, 5, 4, 3, 2, 1へと下って 山の麓のキャンプ1までは 34キロメートルと表示されています。

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ケノン・ロードでは 観光客の急激な増加に伴い、道路拡幅工事があちこちで進められてはいますが、なかなか渋滞の緩和には至っていません。

 

特に週末やお祭りの時期には あちこちのボトルネックを中心に大渋滞となっています。

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私が昔勤務していた会社のシャトル・バスが走っていました。

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Barangay Camp8  キャンプ8地区の中心部に入りました。

地区の町会ホールがある場所です。

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この辺りからは かなり庶民的なお店が並んでいます。

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タイヤ屋さん、修理屋さんなども並んでいます。

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Kaizen Builders 改善建設? という名の工務店のようです。

 

 

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鶏さんが売られています。

檻の前には 大きな木の切り株が置いてあります。

もしかして、これがマナ板・・・でしょうか・・・でしょうね。

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この路地から右に入ると Barangay San Vincente サン・ビンセント地区。

そしてここはそのサテライト・マーケット(衛星市場)です。

 

 

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「高い山」を出て、さらに下って行くと、道路わきに こんなものが・・・・・

どうも豚肉を干してあるようです。

 

干し豚????

どんな料理に使われるんでしょう。

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電信柱に ケノンロード周辺の 土地建物売買情報が貼ってありました。

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山の上であるバギオ周辺には このような家がたくさんあります。

道路に面した玄関は 二階であったり、三階であったり。

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谷底に建てられた 5階建てや6階建ての民家も当たり前です。

本音で言えば、怖いです。

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WELCOME  TO  CAMP7.

ここからが キャンプ7地区になります。

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Camp 7 is a barangay situated at the southern limits of the city of Baguio. It is the city's 3rd most populated barangay, registering 9,726 inhabitants in the 2010 Census, and is also one of the city's largest in terms of land area. The barangay's main access road is Kennon Road. Camp 7 was historically one of the several 'camps' used by the builders of Kennon Road in the early 1900s.

 

http://wikimapia.org/8108742/Camp-7 

 

 

 

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 ちょっと下ると、左側への小路 Tony Agpada Drive への入口、 

そしてその向かい側には・・・・

 

 

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TAKAI YAMA 「高い山」という日本料理店がありました。

(「高山」ではありません。)

 

  

 

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 このお店は 2018年1月にオープンしたばかりのお店です。

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メニューには、刺身やにぎり寿司など ひととおりの日本食があります。

 

 

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清潔感溢れる 明るい店内です。

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窓の外にはバギオ市の周辺部が広がっています。 

左奥に見えるビル群は セント・ルイス大学のバカケン地区キャンパスです。

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昼食後まだ時間が経っていなかったので、とりあえず うなぎ寿司を持ち帰りました。 久々の鰻で満足でした。

 

 

 

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さて、「高い山」 を出て、 さらにケノン・ロードを下ります。

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SAROK ROAD への交差点。

右に入っていくと WOODSVILLE サブ・ディビジョンという地区です。

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この交差点の角には キャンプ7の交番(交番と言うには大きいな)があります。

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さらに 下りましょう。

左側には中古車販売会社があります。

 

 

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右側に、ライト・ハウスという教会があります。

バイブル・バプティスト・チャーチと書いてあります。

(聖書・洗礼・教会・・とでも言うのでしょうか。)

 

 

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Parisas Street への交差点。

この右側への道は レムナント・インターナショナル・カレッジへの入口だそうです。

 

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この交差点の角に建った新しいビル。

 

 

 

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銀行やスーパーマーケットが入っています。

 

 

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スーパーは地下部分にあります。

建物の外側の右側から降りて行きます。

 

 

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このスーパーは、そこそこ小綺麗ですが、日本食はありません。

韓国のラーメンみたいなのはありました。

入口の荷物預けのカウンターの女性は、ちょっと日本語が出来ます。

 

「どこで日本語を習ったの?」と訊ねてみたところ、

「私の姉が日本人と結婚しているんです。」との答でした。

 

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路傍の花・・・・・

 

 

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ケノン・ロードをさらに下って行くと、左側に WOODS GATE という地区への入口の案内板が出ています。

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そして、もっと下って行くと、右側の緑色の屋根の建物で、

JICと言う英語学校があります。

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英語学校の先生向けの宣伝でしょうか?

日本や韓国で働きませんか・・というのが電信柱に貼ってありました。

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ケノンロードから左へ入る小路。

この奥には お屋敷でもあるのでしょうか・・・・・

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さらに行くと、右側へ鋭角に交わる道があります。

CAR AIRCONの看板のある店の横から入ります。

 

AMPARO HIGHTES ロードと言いまして、

入ってすぐ左側には PETERSVILLE サブディビジョンがあります。

昔 私が駐在員時代に住んでいた 高級住宅地です。

 

 

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ケノン・ロードの道のあちこちに こんな表示があります。

K0246 と言うのは マニラから246キロメートル地点という意味です。

その下の S38は・・・・分かりません。

 

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前方右に HIGH POINT というホテル・レストランの看板が見えてきました。

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・・・そして、すぐ左側には、こんな立派な門構え。

もしかして、さっき見た小路の奥が このお屋敷と繋がっているんでしょうか。

 

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自動車のメンテナンスをする会社のようです。

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BOSCHの代理店のようですね。

 

 

 

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この周辺は 10年前に比べると 随分開発が進んで来ています。

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Oink Oink(ブーブーという豚の声)という名前の 韓国焼肉のレストランや、

薬局、クリニック、SPAなどもあります。

 

 

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ローカルな ガソリン・スタンド。

 

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左側には 工事関連の商店が並びます。

 

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右側には 大手ガソリンスタンドの TOTAL。

ここのディーゼルは 42.90ペソ。

さっきの ローカルなガソリンスタンドのディーゼルは  37.90ペソと

なっていましたね。

 

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最近建てられたビル。

 

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ビルの一階には 「シナモン・ベークショップ」というパン屋さんが入っています。

 

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この交差点を右に入ると 急な坂道があって、その先に

昔 日本人が経営していた「白雲山荘」というホテルがありました。

今は インターナショナル・スクールになっています。

 

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では、真っすぐに この橋を渡りましょう。

 

 

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白い橋を渡ったところが CAMP7 の サテライト・マーケットです。

地元の言葉では 「タリパパ」 と呼んでいます。

 

 

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マーケットの前には ヘルス・センターとジープニー乗り場があります。

ここは発着折り返し点なので、満員通過ということはありません。

 

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このマーケットは バギオのお土産が買える ほぼ最後のポイントでも

あるため、野菜やいちごをはじめとするバギオの名物が売られています。

 

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また、観光客の車が列をなすため、大渋滞のボトルネックにもなっています。

 

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この先には ケノン・ロードの展望台などがあります。

では、マニラなどへのドライブ、ご安全に。

 

 

From  Camp 7   Baguio City  to   Camp 6, Tuba, Benguet,

please visit the below link for further walking

to see  Kennon Road View Deck,  Lion Head,  etc.

 

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2017/03/camp7camp6-f8cb.html

キャンプ7から バギオ市を出て キャンプ6 への道のりは

上記のリンクでご覧ください。

ケノン・ロードの展望台や ライオン・ヘッドなどがあります。

キャンプ6は バギオ市を出て ベンゲット州ツゥバ町になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年12月28日 (木)

フィリピン・パンガシナン州で レタスの有機栽培 !? Teraoka Farms

先日 誕生パーティーにご招待いただきまして、バギオ市から
車で4時間ほど南へ下ったところにある パンガシナン州の
農場に見学を兼ねて行って来ました。
002
目的地は この「寺岡ファームズ」という農場です。
この標識から 4.5km 中へ入ったところにあるらしい。
ここは MACARANGという町のようです。
・・・
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道すがら、闘鶏の鶏を育てているところがありました。
・・・・・・・・
 
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・・・なかなか立派な姿をしています。
・・・・・・・
 
014
道沿いには バカと呼ばれる白い牛の姿も あちこちにあります。
・・・・・・・・・
 
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寺岡ファームズがあるのは こちらの Cabaluyan バランガイです。
これは カバルヤン・バランガイの入口のゲート。
 
 
・・・・
 
010
 
右手に見えてきた この山。
これが 別名 マウント・テラオカ (寺岡山)とも呼ばれているそうです。
 
・・・・・・・・・・
 
 020
ここからが 寺岡ファームズ です。
 
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こちらの左側 奥の方に ガーデン1 がありまして、
右側には ゲストハウスがありました。
二つの山の右の山が マウント・テラオカだそうです。
左側の山は ほぼ禿山ですが、 元々は右側の山も
もっと赤い石だらけの禿山だったそうで、
植林をして 今のようになったのだとか。
・・・
 
026
その ガーデン1 に行く この道は 元「滑走路」。
オーナーの寺岡さんは、1992年にこの一帯 200ヘクタールを買い、
63歳の頃に 軽飛行機とヘリコプターのパイロットの免許を
取ったそうです。
そして、なんと驚くことに その後 10年間 自分で操縦をしていた
とのことでした。
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右側のゲストハウス。 4棟ばかりありました。
・・・・
 
 
029
 
ゲストハウスの先にこんな案内板が。
右に行くと ガーデン2、 養鶏場、 トレーニング・センターがあると
書いてあります。
・・・
 
050
真っすぐ道を登って行くと、
ここが寺岡ファミリーの 母屋の入口です。
031
 
 
母屋のある場所から 農場を見渡すと・・・
およそ5千本の マンゴーの木が あるそうです。
・・・・・・・・・・・・
 
034
 
・・・これは 昔の写真。
寺岡山からの写真。 母屋と 向こう側にあるのが 滑走路です。
 
 
・・・・
 
043
母屋のすぐ横には 大きなプールが・・・
 
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誕生パーティーの様子です。
87歳の誕生日。 おめでとうございました。
寺岡さんは 1930年の生まれで、
木材関係の仕事をリタイヤして、1992年に この敷地を
手に入れたのだそうです。
カルロス寺岡さんの歴史は こちらのサイトで詳しく掲載されています。
ご本人が72歳の時の記事です。
 
・・・・
 
 
136
「すべては 土から 始まる。」
・・・さて、農場の見学をさせていただきます。
 
137
139
こちらの 温室1 では、 きゅうりなどが生産されていました。
こちらの土地は 元々 荒地で、石が多く、普通ならば
「こんな土地では農業なんてできないよ」と言われるそうなのですが、
ここを任されているマネジャーには 何か秘策があるようでした。
・・・・
 
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こちらは 苗床ですね。
 
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見学の案内をしてくださった マネジャーのラフィーさん。
トレーニング・センターでの講師もやっているそうです。
 
145
・・・・さて、問題の レタス です。
 
こちらのサイトで勉強しますと、
レタスって野菜は 
レタスの住みやすい環境
 冷涼な気候が適します。
発芽適温
15~20℃とされ、30℃以上、または0~4℃以下ではまったく発芽しません。25℃以上になると休眠状態になって発芽しません。」
生育適温
 15~20℃で、耐暑性は弱く、30℃以上では生育が阻害され、10℃以下では葉数分化を停止します。根の生育適温は15℃前後です。」
・・・てなことが書いてあるんです。
・・・・・・・・・・・・・・・
 
150
さて、 こちらは 有機栽培のエリアなんですけどね・・・・・
 
151
この 温室3  の中には・・・・
 
154
なんと、こんなに立派な レタスが・・・・・
159
サニー・レタスもあります。
ここの有機野菜は マニラなどへ出荷されているそうです。
レタスは高原野菜であって、標高1500mのバギオ市近郊ならともかく、
フィリピンの暑い低地で出来るなんて驚くほかないんですが、
マネジャーに訊いてみると、
「有機栽培なら出来るんだよ・・・・・」
と自信満々の説明がありました。
 
 
 
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野菜のベスト・セラーは この 白い筋の入った ナス だそうです。
 
 
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パッション・フルーツも ちょっと酸っぱくて 美味しかったんです。
こんな花が咲くんですねえ。
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・・・パパイヤの木もあちこちにありまして。
これも 有機栽培だそうです。
・・・・・・・・・
 
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真っ赤に熟した パパイヤ・・・・・
そりゃあもう、美味しいに決まっています。
まず、日本では こんなに甘いのは無理でしょうね。
 
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Carbonizing Area  カーボナイズ って 何をどうするんでしょうかね?
有機栽培に必要な 肥料になるんでしょうか?
 
もしかして、こちらのサイトに解説してある 
くん炭(籾がら炭化させたもの)」みたいなものを作るんでしょうかね?
・・・・・・・・・・・・
 
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こちらは 有機農法などのセミナーをする部屋だそうです。
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ラフィーさんが 特に見せてくれたのが これです。
皆さんご存知の 日本の「5S」 ですね。
躾け、整理、整頓、清掃、清潔・・・・が掲げられています。
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こちらに 有機栽培のポイントが掲げられていました。
 
186
もっと野菜を食べましょう~~~~~
有機野菜だったら 安心ですもんね。
185
猫ちゃんも 安心して 歩き回っています。
 
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この ケイトウの葉は 虫食いだらけです。
・・・しかし、これは ここで虫を集めて、有機野菜に虫が寄らないように
するための 生贄みたいなもんなんだそうです。
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この辺りには こんな 黄色い蝶々が飛び回っていました。
止まっていると 黄色いんですが・・・・
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飛び立つと 白い羽を見せるんです。
羽の下は黄色、上は白いんです。
奇麗ですねえ・・・・
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・・・・さて、次は 車にゆられて 10分ほど 敷地内の農場を移動します。
 
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こちらは 養鶏場です。
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さすがに、鶏さんたちに病気がうつるといけないので、
鶏舎に入ることは厳重に制限されています。
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ワンちゃんが 不審者を見張っています。
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さて、最後は 有機農法と農業ビジネスの 研修センターを
見せていただきました。
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こちらは 以前 日系人の為の 日本語の授業が行われていた校舎。
 
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こちら側には 研修の為の 食堂棟、教室棟、宿舎棟などが
ありました。
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200ヘクタールと言われる Teraoka Farms の敷地。
敷地内には ヤギさんたちも 放牧されています。
 
この 寺岡農場についての新聞記事が
バギオ・ミッドランド新聞に掲載されていました。
詳しくはこちらでご覧ください:
 
 
 
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Cabaluyanのバランガイを出て、 大通りへ出る道筋に
こんな黒豚ちゃんたちの遊園地がありました。
236
写真を撮ろうと 近づくと、
赤ちゃんたちが わっと逃げ出し、
そして 大人たちが 鋭い目をこちらに向けて 警戒態勢をとりました。
やっぱり 親ですねえ・・・・
243
そして バギオへまっしぐら。
バギオへの帰り道はスムースでしたが、
反対車線の バギオからマニラへ向かう道は
ヘッドライトが 延々と続いていました。
 
 
一緒に車に乗せていただいた Yさんに感謝です。
 
 
for more details, pls visit here:
Green manuring is needed to enrich our soil with organic matter,
nitrogen and other nutrients for next crop cycle.
Remember, "Healthy Soil, Leads to Healthy
'Teraoka' literally translated into English is 'Temple on a Hill'. Like our name, this hill has become iconic to us and as we continue to grow our sacred garden of love, we extend our welcome to enjoy our sanctuary!

Add us on
Instagram: @teraokafamilyfarm
Twitter: @teraokafarms
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年12月24日 (日)

東京赤羽界隈 自由の女神、一番街飲み屋、そして昔ながらの喫茶店 

 
Akabane, Tokyo Walk & Drink
 
一時帰国中にバギオ繋がりの人たちと一杯やろうってことになりまして。
001
JR赤羽駅構内・・・
女性のマークに「化粧室」、男性のマークに「男子化粧室」。。。。
「男子」と「化粧室」の組み合わせに違和感を感じたんで一枚パチリ。
「雪隠」 「厠」 「ご不浄」 「便所」 「WC」 「トイレ」 「洗面所」 
・・・いろいろと変わってきたもんですねえ。
003
はい、赤羽東口に出ました。
 
 
005
駅前はこんな感じです。
 
015
・・・で、右側の方に進むと、自由の女神が ビルの上に。
パチンコ屋さんですね。 ・・・自由です。
 009
 
Akabane Church...
 
ちょっと進んで、道路の向こう側には 教会もあります。
・・・自由です・・・
 
013
Akabane Bus stop  for  Haneda Tokyo Airport
 
教会の前には 羽田空港へのバス停もあります。
海外に行くのも・・・自由です・・・・
007
「立ち飲み いこい」
・・・・これも 自由です・・・
 018
 
 「完全前金制」 「安心明朗会計」 で遊ぶのも
・・・自由です・・・
017
 
「いいとこどり」
鶏の良いところを取って食べる・・・自由です・・・
 
020
「厄除け、八方徐」 
「杉並のお伊勢様」・・・・に行くのも・・自由です・・・
022
 
・・・そして、我々は 一番街へ 入ります。
・・・どこで 飲もうが 食べようが ・・・ 自由です・・・
024
「人情あふれる横丁」 「OK横丁」 です。
・・・ここでは 「無情・非情・薄情」は きっと許されないんじゃないかと思います。
 
027
昭和25年創業 「鯉とうなぎ」 のお店。
私と同じ年の生まれです。 それだけで、身近に感じます。
行列ができています。
・・・並ぶのは・・自由です・・・
 029
・・・ここに入ろうと思ったんです・・・
午後2時半ごろでした。
 
 
028
 
 
「浜焼き」とかあって、店内から美味しそうな匂いが・・・
でも、ここには 自由はないんです・・・
既に店内は 満席・・
並ばなくちゃいけないんです・・・
031
 
「鉄板焼き・ワインバル」 「博多流」 「大阪・串カツ」 「2F オイスター」
・・・・・
いろいろあるんですけどね。
・・・選ぶ自由は有るんです・・・・
033
 
 
焼き鳥じゃなくて 焼きトン もあるんです。
提灯が 破れるのも 自由です。
ほっといてちょうだい・・・
 036
 
 
この時は まだ座れそうだったんですけどね・・・
30分後には 満席でした・・・
 039
 
 闇市・・・・・
・・・なんか 昭和な感じですね・・・・
鍋の中に何が入っていても・・・自由・・なのかもしれません。
 062
 
 ・・・で、結局 第一志望、第二志望、第三志望・・・
・・ずっとダメで、 入ったところは ここでした・・・
・・・ 選ぶ自由は ・・・ ほとんどありません・・・
 
041
 
こだわって・・・ます。
 
こだわる・・・・ってことは 自由を自分で制限するってことです・・・
 
 
052
・・・ここのお店は もつ鍋 が名物だったんです。
スープは結構 旨かったな。
 
・・・でも、追加スープは 有料です。
・・・自由ではありません。
054
 
 
フィリピンじゃ食べられない 馬刺し・・・ 
好きなんです。
 
店員の宣伝文句は 良さげでしたが・・・・・
・・・予想は自由ですが・・・・現実は自由ではありません・・・・
 
063
 
 
酔っ払った後・・・・
「昔ながらの喫茶店」 というのを見つけました。
 
・・・ しか~~し。
この吉野家のビルに 二階への入口が な~~~い。
・・・・
もしかして、裏側に入口があるんじゃないかと
酔っ払い3人で ビルの裏側に廻っても、壁があるばかり。
・・・
正面に戻って、 左隣りのビルの一階にある表示板をみても
喫茶店の案内はなく。
・・・・
試しに二階へ上がってみると・・・
064
・・・・ありました。 入口が。
左隣りのビルから上がって、右隣りの二階に・・・そんなのありかい?
・・・ はい、自由です。
・・・ 既成概念にとらわれてはいけません。
 065
 
「昔ながらの喫茶店」です。
 070
 
「今どきの喫茶店」に入るのも・・・もちろん自由です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年12月23日 (土)

フィリピン・バギオ市 周辺山岳地帯での 亡霊の話 -ラジオ放送の原稿

 

2016年12月4日 アジア太平洋国際平和慰霊祭 

フィリピン・ルソン島北部 

DZWT540 AMラジオ局 生放送

スピーチ原稿 日本語翻訳版

 

 

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私は第二次世界大戦の5年後、1950年に生まれました。

ですから、戦争経験者でもありませんし、両親から詳しい戦争の話を聞いたこともありません。

 

==============

 

これは私の一番上の姉から聞いたことですが、戦時中、私の父とその妻、そして4人の子供たちは中国の東北部、満州と呼ばれたところに住んでいました。 父は、満鉄商事の社員で、鉄道会社の石炭の受け入れ検査をしていました。

戦争中に、妻が病気で亡くなった為、父は4人の子供たちを一人で育てなくてはなりませんでした。

その時、一番上の娘は10歳でした。

ある日、父は、日本軍から召集令状を受け取りました。 その当時、日本には徴兵制度があったからです。 

父は、残される4人の子供たちのことを非常に心配して、大きなストレスを感じていました。

しかし、幸運なことに、父は徴兵検査に合格出来ませんでした。古傷があって、指がきちんと動かなかったからです。

 

ロシアが中国に侵攻した後、父は4人の子供たちと一緒に日本へ帰ろうとしました。

しかし、日本に辿り着く前に、二人の幼い子供を亡くしました。 食糧が十分になく、栄養失調が原因でした。私の父は終戦後二人目の妻と再婚し、私は1950年に生まれました。

 

その結婚の前、私の母は、多くの日本人と同様に、いわゆる愛国少女あるいは軍国少女でした。

しかし、日本がすべてを失った後、母は東京でキリスト教の洗礼を受けました。

価値観を失った衝撃が理由でした。

 

===============

 

日本では、第二次世界大戦の歴史については、学校でも十分には教えられていません。

ですから、私よりも若い日本人のほとんどは、戦争の歴史を知りません。

従って、私が1992年に出張でフィリピン、バギオを訪問した時には、フィリピンでの戦争のことは何も知りませんでした。 山下財宝のこともです。

 

私がバギオのホテルに滞在していた時に、私は松林の中に一人の日本人のお婆さんを見つけました。

そして、そのお婆さんは、戦争中にバギオで亡くなった日本兵の親戚で、その慰霊をしていたということを教えてもらいました。

 

私は、1998年から2000年まで、日本の半導体会社から派遣された駐在員として、兄弟会社のバギオの工場に勤務しました。

その時以来、私は、戦争のこと、バギオやルソン島北部などで何があったのか、多くのことを学ぶことになりました。

 

=================

 

私は、90歳ぐらいの元日本兵の方々と話す機会に恵まれました。

彼らは、戦没者慰霊の為に、バギオや他の場所を訪問していました。

又、私は、日系人の皆さんや、バギオへ慰霊にやってきた日本人の遺族の方々からも多くのことを教えられました。さらに、元日本兵、軍医そして看護師など、バギオや周辺地域で戦争を体験した日本人の人たちが書き遺した本を何冊も読みました。

 

そのいくつかを、ここに述べたいと思います:

 

- 終戦近くに、およそ700人もの日本兵が亡くなり、マインズ・ビューの道の側溝に

埋められました。

 

- バギオ総合病院は、戦争中は日本の陸軍病院として利用され、およそ800名の重傷患者が、1945年4月の米軍による絨毯爆撃の間に、毒殺されました。

 

- ベンゲット州のアグノ河(アンボクラオ・ダム周辺)沿いにあったインチカクの野戦病院には、食糧も薬品もありませんでした。

 

- 看護師たちでさえ、一日におにぎり2個のみで、数百人の傷病兵には、何の食糧もありませんでした。

 

- 看護師たちが出来ることは、日本の家族に送り返すために、死亡した兵士たちの髪の毛や爪を集めることだけでした。

 

- ベンゲット州やイフガオ州などの深い森の中では、恐ろしい飢餓の為に、カモテ芋を見つけら

れない時には、日本兵たちは何でも食べました。例えば、キノコ、木の根、  

蛇、トカゲ、昆虫、ネズミ、ゴキブリ。そして、最悪の場合には、

人肉までも。

 

- ですから、日本人看護師の間では、日本兵のカニバリズムに警戒するようにとのチラシが配られました。

 

-  もし米でも持っていようものなら、日本兵に殺されてしまうのです。

 

==============

 

 

ある元日本兵のひとりが、その死後2012年に出版された彼の著書の中で、戦時中のことを告白しています。

 

- 彼は、友人に、自分が死んだ後に この本を出版するように依頼していました。

 

- 彼は、銃剣で3人のフィリピン人を殺したと告白しています。 その中には抗日ゲリラの

リーダーであったアコスタ氏の愛人も含まれていました。

 

- 皆さんには理解できないでしょうが、戦場にいたら、なんの躊躇いもなく敵を殺せるようになるのです。 特に、自分の同僚たちがたくさん殺されたような恐ろしい現場を見た後などは。

 

- ある兵士仲間は、結婚式のほんの20日後に日本軍からの召集令状で呼び出されました。

 そして彼は戦地で死にました。

 

- この著者は、マニラの近郊で恐ろしい作戦に携わりました。 そして、戦後、30回以上も

マニラを訪問しました。しかし、著者は それを思い出したくもなく、その恐ろしい作戦が

どこで行なわれたかを聞きたいとも思わなかったのです。

 

- この恐ろしい作戦に参加した同僚兵士たちは、その後レイテ島に派遣され、

誰も日本へは帰還しませんでした。

 

- 同僚兵士の母親の一人は、戦地の息子から航空郵便を受け取りました。

しかし、その息子は戦後日本に帰ることはありませんでした。

その母親は、精神を病み、著者にこう聞きました。

「私の息子はどこにいるの?」

 

- リンガエン湾に400隻以上の米軍艦船を見つけた時、特別攻撃隊

 (神風特攻)が 艦船を襲ったが、無駄であった。

 

- 1945年4月、日本人の人々がバギオ市から逃れ、ラ・トリニダッド町、そしてハルセマ・ハイウエイ方面へ向かった時、米軍はベンゲット州庁舎のすぐ近くのバリリ河の橋を爆撃しました。 日本人たちは、その川底を、多くの日本人の屍の上を歩いて渡りました。

1975年から1985年の間に、著者がバリリ河に来た時には、

日本人の戦没者慰霊碑がたくさんありました。

 

- 著者(日本兵)が、看護婦たちに 「あなたたちの為に、河から魚を獲ってきてあげるから、あなたの手榴弾をくれませんか」と尋ねました。

すると、彼女らは、「これはいざと言う時に、自害するための手榴弾

だから、あげるわけにはいきません。」と応えました。

 

- バギオ市にあった捕虜収容所では、酷い飢餓の後に突然栄養価の高い食べ物を食べたために、死んでしまった日本兵がたくさんいました。

 

- 戦後、日本の名古屋駅でのことです。 私は多くの日本人女性がアメリカ兵と手を組んで歩いているのをみました。

私はそれが我慢できず、立ち上がって怒鳴ろうとしました。

しかし、私の隣に座っていた大学生が私を制して言いました、

「おじさん、あなたの気持は私も重々理解できます。あなたと同じです。

 でも、今の日本は、この状態を乗り越えなくちゃいけないんです。

 彼女たちは、食べて、生き残るために、自分の身体を売るしかないんです。」

 

===========

 

私達は、ベンゲット州イトゴン町のダルピリップの村を訪ね、すでにお話した元日本兵が参加した作戦の場所である教会を見に行きました。

 

私達は、その村のあるお婆さんから、日本軍はその村のすべての大人たちを集め、その教会を丸ごと焼こうとしていたと聞きました。

しかし、そこで奇跡が起こりました。

そのお婆さんは、ゲッコーと呼ばれるヤモリが皆を救ったと言うのです。

日本兵たちがその教会を燃やそうとした時、ゲッコーが鳴いたのです。

日本兵たちは、その声は神様のお告げだと思い、その作戦を中止したと言います。

 

=====

 

アンティーノ カランテス氏 と 霊媒師の話

 

2009年5月に、ベンゲット州イトゴン町の 元抗日ゲリラ アンティーノ・カランテス氏の息子さんから電話を受けました。

 

霊媒師が彼に言うには、日本兵の霊が 日本語らしき言葉で何かをしゃべっていると。

「日本兵はここに埋まっていて、腹を空かせている。」

「だから、日本式に慰霊をやるのが良い。」

 

私達は、その場所に行き、慰霊祭をしました。

 

その場所は、アグノ河の横にあって、その河は、戦時中に日本兵たちが「三途の川」と呼んでいた河でした。

 

アンティーノ・カランテス氏は、マテオ・カランテス氏のお孫さんで、

バタアンでの戦闘に参加し、あの死の行進を生き延びた方です。

 

彼は、戦争中に多くの日本人を殺したと告白しました。

そして、それはただ、戦争だったからだ、と言いました。

 

2009年9月14日に、91歳でなくなる直前に、

カランテス家の人たちが、日本兵の霊が 親戚の一人に取り憑き、紙に何かを書いた、と言うのです。 それで、彼らは私たちに、死者の霊を鎮めるために慰霊祭をやってくれないかと依頼してきました。

 

============

 

過去10年間、私はバギオ市に住んで、地元の人たちに日本語を教えてきました。

私のニックネームは グニ・グニで、これは幻覚と言う意味でしょうか?

ですが、私は、亡霊を見たり、聞いたり、感じたりしたいと思っているんです。

しかし、今回は、私がバギオ市で聞いた 亡霊の話をいくつかしてみたいと思います。

 

ある日のこと、私は、日本語の生徒から、彼女とそのお兄さんが亡霊を見たり声を聞いたりできるという話を聞きました。彼らはベンゲット州ブギアスの出身で、ブギアスの町で、日本兵の亡霊を感じたと言うのです。 ある夜、彼女は誰かが兄の部屋で兄と話しているのを聞きました。兄の話では、戦争中に死んだ日本兵と話していたということでした。 

また、彼女は、二人の日本兵を見たそうです。 一人は兵士で、もうひとりは頭の無い将校でした。

それから、彼女によれば、彼女の御近所さんが、ブギアス町のその家には亡霊が多過ぎるという理由で、マニラに引っ越したとも言いました。

 

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ふたつ目の話は、日本人の友人から聞いた話です。

その友人は、高校生時代からバギオ市で勉強し、セントルイス大学を卒業した人です。

 

ある日、彼は、地元の人から電話を受け、小さい女の子が多分日本語で、それも男の声でしゃべっているので、助けてくれとのことでした。 

彼はその女の子に会い、日本兵の霊がその子に憑いていると思ったそうです。

日本兵の霊は、「英語が分からないので、地元の聖職者が言っていることが理解できない。」と言ったそうです。

おそらく、その日本兵は日本語を話せる仏教の僧侶と話をしたかったのでしょう。

私の友人は、「それで、私に何をして欲しいのか?」と霊に尋ねたそうですが、返事はありませんでした。

 

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三つ目の話は、ケノン道路のキャンプ7に住んでいる95歳のお婆さんから聞いた話です。

彼女とその子供たちは、彼女の大きな家の裏山から歩いて下りてくる軍靴の音を聞いたそうです。

その地域の元々の住民によれば、この場所には戦争中に日本軍の陣地があったそうです。

 

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四つ目の話は、私がヒーロットというフィリピンの伝統的マッサージをしてもらった時に、私の部屋で起こったことです。

二人のヒーロットの小母さん達がやってきて、窓の外を見ながら、何かを話していました。

私は、何を見ているの? と尋ねました。 すると、二人は、「あそこの松の木の下に、4人の亡霊がいるのよ。 両親と子供が二人ね。」と言うのです。

 

「私の部屋にも亡霊が見えますか?」 と、私は尋ねました。

すると彼女らは、「ええ、長い黒髪のメスティーサ(スペイン人との混血)がいるわよ。」と答えたのです。

 

二人のヒーロットは、亡霊について、このように説明をしてくれました:

亡霊というのは、私達、生きている人間、と同じように、この地球上に住んでいるんです。

そして、私たちは、この世界に一緒に住んでいるんです。

霊感のある特別な人にしか、見たり感じたりすることは出来ないけれど、彼らは確かに私達の傍に存在して、私達と同じように毎日の生活を過ごしているんです。

 

そこで、私はもうひとつの質問をしました。「何故日本人の霊は、戦後70年も経った今でも、フィリピンのこの辺りを彷徨っているんでしょうね。」

 

ヒーロットは答えました。「それは、多分、遺骨がここにあるからでしょう。」

 

日本の人たちは、同じように考えがちです。 なので、日本兵の遺族の人たちは、今でも、戦没者慰霊の為に、バギオ市や近隣の州にやってくるのです。

 

二人のヒーロットの小母さんたちは、私の部屋を出て行く時に、こう言いました。

「本当なら、あと二回 マッサージをやらなくちゃいけないんだけど、もうここには来たくないんです。 なぜって、ここは亡霊が多過ぎるんですもの。」

 

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もし皆さんが日本兵の亡霊に会って、その日本兵が怠け者で、70年経った今でも英語やイロカノ語をしゃべれなかったら、どうぞ私に教えてください。 私が通訳をやりましょう。

でも、私に山下財宝のことは聞かないでください。私は、youtubeからの情報しか知りませんから。

 

ご清聴有難うございました。

 

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葛西臨海公園・水族館そして東京湾クルーズ・スカイツリー Tokyo Bay Tour Part 2

 
Water Bus Cruise around Tokyo
Kasai Rinkai Park(Tokyo Sealife Park), Tokyo Bay and Sumida River to Asakusa
 
では、東京湾クルーズに出発!!
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葛西臨海公園から 浅草二天門まで 東京湾と隅田川を通って参りましょう。
 
 
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葛西臨海公園の船着き場の左には 東京ディズニーリゾートが見えます。
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船の後ろのデッキには 水しぶきが掛かってきます・・・・
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・・・なので、 船の上のデッキで撮影・・・・ 寒い・・・・
 
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琉球エキスプレス・・・お疲れ様です。
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日が落ちていく方角は 海が眩しく光っています。
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上空には かもめ達が 挨拶にやってきます。
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カモメもたまには 脇見運転するみたいです・・・
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  カモメの上を 人間が飛んで行きます。
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クレーンは シルエットになって もくもくと働いています。
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お~~い、そこの船・・・ 名前はなんというのだ? 「おおい」・・・
 
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Japan Coast Guard 海上保安庁。
かなり錆びていますね。・・・ご苦労様です
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かばさん・・・・水陸両用車みたいですね。
乗ってみたいなあ~~~。
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お台場に 入りま~~す。
 
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 左の島みたいなのが 昔の砲台があったところなんですかね?
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カッコいいなあ~~~。 乗りたいなあ~~。
でも、写真を撮るには 不便そうだなあ~~~。
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こっちの船の方が 周りの写真を撮るには良さそう。
・・・
ところで、左に立っているのは フランス人のオジサン。
日本中を北から南まで 旅行して廻っているそうな。
 
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・・・この船だったら、 宴会もやれそうな感じだなあ~~~。
 
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 お日様が ブリッジに掛かって、シルエットも鮮明になってきました。
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東京タワーは、 ビルの合間に ちらりほらり・・・・
 
 
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東京海洋大学の船。。。。
人類社会の持続的発展に資するため、海洋を巡る学問及び科学技術に
係わる基礎的・応用的教育研究を行う。」
しっかり研究をお願いします・・・
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さて・・・・いよいよ 隅田川に入ります。
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この橋の名前は 見つけられませんでした・・・
勝鬨(かちどき)橋でしょうか??
ですよね?
 
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遠くに スカイツリーが 見えてきました・・・・
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中央大橋・・・だそうです。
隅田川にかかる橋:
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永代橋かな・・・多分・・・
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隅田川大橋・・・です。
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清洲橋 と スカイツリー。。。。。 いい感じ。
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・・・新大橋・・・・
 
 
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橋の下をくぐる・・・ってのは 私にとっては 非日常なんで、
なんかワクワクしますよねえ・・・・
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両国橋・・・・
・・・シンプルだけど なんか趣がありますねえ。
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この橋・・・なんだっけ?
 
黄色い電車は 総武線ですよね。
 
隅田川橋梁ってんですかい???
 
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両国乗り場です。
私は まだ降りません。
 
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・・・寒いんで、・・・時々 室内へ・・・
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蔵前橋・・・・・・
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・・・屋形船が並んでいます。
一度は乗ってみたいなあ。
 
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駒形橋・・・・
・・・ この外国人・・・・スカイタワーを撮影中。
・・・ 女性かと思っていたら・・・・???
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吾妻橋・・・・ 
 
 
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・・・こちらにも 屋形船 あります。
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スカイツリーは 目の前。
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浅草で 下船・・・
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浅草ニ天門乗り場は こちらですよ。
 
 
 
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・・・浅草寺が見えてきました。
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新仲見世どおりを歩いてみましょう。
 
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いつ来ても この界隈は 人だらけですね。
 
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ず~~っと 船の屋根上で 風にあたっていたんで、
すっかり身体が凍えてしまいました・・・
 
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担々麺・・・・これしかないっす。
 
 
 
 
 
 
 

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2017年12月20日 (水)

葛西臨海公園・水族館そして東京湾クルーズ・スカイツリー Tokyo Bay Tour

 
quote :
 
Tokyo Sea Life Park is not an exception. Its most important aim is reproducing aquatic habitats in Tokyo and in the world. In this light, we installed a huge donut-shaped tank (2,200t), where bluefin tunas swim around freely.
 
ちょっと水族館にでも行きたい気分になりまして・・・
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葛西臨海公園駅・・・・駅のトイレも水族館モード・・・
 
 
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駅の前には 雰囲気を盛り上げるこんなものが・・・
こんなもんで ワクワクしちゃうもんですねえ。
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海浜公園なんだけど、こういう林もあって いい感じ。
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こんな動物もうろうろしています。
どこでご飯をもらってんのか不思議。
 
 
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Tokyo Sealife Park 水族園の入口・・・
手をつないでお入りください。
 
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立派なドームのような建物に潜り込むように入っていきます。
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う~~ん、これぞ水族園。 素晴らしい光景です。
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こんなひょうきん族もいて 楽しいですねえ。
フジツボ科のピコロコ(picoroco)って名前みたいです。
名前も可愛いっすねえ。
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定番・・・タツノオトシゴ・・・
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映画館のようなスクリーン・・・・じっと見ているだけで満足してしまいそう。
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こっちも 気持ちよさそうに泳いでいました。
やっぱり 子供たちには 一番人気みたいですね。
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泳ぐ姿はカッコ良く・・・・・
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歩く姿はあくまでも可愛く・・・・
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女子高生の姿に 似ているような、似ていないような・・・・
 
 
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水族園を抜けると しばらくは 庭園を歩きまして・・・
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フィリピンにもないわけじゃないけど、日本のススキは美しい・・・・
 
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世界中どこにでもありそうで、 
日本だなあ~~と思う景色。
 
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・・・で、たまたま見つけたのが 東京湾クルーズの看板。
これは乗らねば。
 
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おお、かっこええじゃないっすか。
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船内はこんな感じです。
この日は結構寒かったんですけど・・・・・
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やっぱ、写真撮るなら この屋根の上ですもんね。
・・・では、ここから しばらく 東京湾クルーズを お楽しみください。
寒いっす・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年12月16日 (土)

東十条界隈: 3勝4敗の人間ドック - 精密検査は・・・

一時帰国中に たまには人間ドック。
昨年は 「脳ドック」ってのをやりまして、とりあえず認知症の疑いはなかったんですけど・・・・・
 
 
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たまたま インターネットで検索して、日程が合ったのが ここだけでして。
結構 どこでも スケジュールがびっしり埋まっているんですねえ。
流行っているらしい。
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人間ドック自体は 7項目のセットだったんですけど、
まあ、結構良さげな病院でした。
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まず驚いたのが これ・・・・
最近の支払いは 自動精算機なんかでやるんですねえ。
病人も自分でやんなくちゃいけなくて 大変だ。
で、受付をやってもらって、
「あそこで 血圧を測ってください・・・」
って言われて 自動血圧測定器で 測定。
病院も合理化しなくちゃいけなくて 大変なんっすね。
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窓口に番号がありまして。
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番号の順に 廻っていくんです。
超音波検査って くすぐったいし・・・・
途中で 笑い出しそうになりませんか?
 
 
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やっぱ、内視鏡が一番苦しかったんですけどね・・・
鼻から入れますか? 喉から入れますか?
今回は喉から入れてもらいました。
鼻から入れると 楽なんですかね?
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・・・大丈夫じゃないです。
一応、バギオの下宿では 魚と野菜を定番にしてもらってはいるんですけどねえ。
 
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こんなことも やっているそうですよ。 
いかがですか??
私なんかは やってみるまでもない・・・と思いますけど。
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この病院がどこにあるかって言うと、
北区立東十条小学校の斜め前です。
この小学校って 新選組みたいな小学校なんですね。
「誠を尽くす」 そうです。
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・・・人間ドックの後って、こういうのを食べたくなるんですよねえ~~。
でも、 胃カメラやるときに 喉の局所麻酔をやったもんで、
まだ飲み食いはできないんですねえ。
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こういうのも 喉ごっくん・・・
印度カレーもあるし。
 
 
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東十条界隈を歩くことも めったにないので、
喉のしびれが 終わるまで お散歩。
 
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こういうのがあるって、下町らしくて いいですね。
とても立派な屋根もあるし・・・・
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大衆割烹「鉄平」さん・・・・
残念ながら 廃墟になっていましたけど、
営業していたら ふらりと入りたくなる 佇まいです。
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東十条小学校は 右上にありますね。
今、どこを歩いているかっていうと、この現在地。
 
ここから 富士神社方面を廻って 右回りに 東十条駅に戻ります。
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中十条公園・・・ちょっとだけ 秋の装い。
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こんなところに 富士山が・・・・
山岳信仰の浅間神社 十条冨士講とあります。
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富士山という漢字と 冨士塚という漢字がありますね。
点があるか、ないか。
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こちらも 点なしの 冨士浅間神社です。
 
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この木には 「スダジイ」という名前が付けてありました。
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もう ほとんど落ちていましたけど、こんな花がかろうじて残っていました。
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東十条駅へ向かう路地。
こういう 個人商店が並ぶ路地って 落ち着きます。
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インド・カレーもあります。
・・・まだ、喉はしびれています・・・・
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・・・そして、ここは もう 川口駅周辺。
キティーちゃん、薬局でも頑張っています。
むくんだキティーちゃんがいるみたいです。
更年期のキティーちゃん・・・ってありですか??
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辛子レンコンがあったら 入ったんですけどねえ・・・・
 
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インド料理の店って あちこちあるんですねえ。
私も好きですけど・・・・・
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・・・しびれが取れる時を待ちながら うろうろ・・・・
 
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・・・で、結局 お昼ご飯は ここ・・・・
 
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英語と日本語で ちゃんぽんのメニュー。
まあ、絵が描いてあるから 分かるよね。
 
 
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女の子に受けそうな  飾りも ちょっと早めながら あります。
 
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スパゲティは 好きなんですけど、
やっぱ 日本で食べる時は 和風になりますね。
 
・・・・ で、
人間ドックの結果ですけどね。
3勝4敗なんです。
4敗と言うのは、4項目で Eランク。
Aは異常なし、健康で、5段階のEは 怪しいってやつです。
つまり Eの要精密検査が 4項目あったって話。
・・でも、自覚症状としては 
「朝起きた時から 一日中眠い」なんです。
やっぱり 睡眠時無呼吸症候群なのかなあ・・・
 
まあ、来年の一時帰国のお楽しみですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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新横浜ラーメン博物館から 新宿のロボット・レストランへ Ramen Museum in Yokohama

一時帰国中に 日本語の元生徒たちと会おうという話がありまして。
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元生徒というのは、日本のロータリークラブが創ったバギオ基金というのがありまして、その基金からの奨学金で 日本の大学を卒業した二人です。
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この二人は 私がバギオで日本語を教えていた時から なかなか優秀でありまして、一人は日本の国家試験である 介護福祉士に合格し施設で勤務中。
もう一人は 日本の旅行代理店に勤め、なんと 日本のロータリークラブの地域の青年組織の会長までやっているんです。
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すっかり秋ですねえ・・・・
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マリノスの街だそうで・・・・
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ハイボールもあるようです・・・・・
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待ち合わせは このお店・・・・
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私が日本語を教えた二人は、その時は既にバギオの大学を卒業していましたし、その後 日本の大学に留学して数年が経ちました・・・・
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はい、こちらが ラーメン博物館。
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外国人に人気のようです。
このグループは 中国語でした。
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この看板が目印です。
 
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館内に入ると 「おおおおお~~~~~」って感じです。
昭和33年(1958年)当時の街並みを再現」したテーマパークなんだそうで。
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1958年って言えば、私が小学生になりたての頃ですからねえ。
こんな飲み屋街に行ったことはないですよ。
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・・・でも、こういう看板は 見たことはありますよ。
カタカナは読めたしね・・・・
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実に芸が細かいですねえ。
素晴らしい。
確かに 昔は 質屋も多かった。
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「ココア・シガレット」・・・・う~~ん、ありましたねえ。
たばこを吸う真似事をやりました。
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銭湯にも行きました。
うちには 一応内湯もあったんですけどね、本当に古いタイプの風呂でした。
近所の大きな屋敷や田舎の親戚の家で、五右衛門風呂にも入れてもらったことがあります。
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私たちが食べたラーメン屋さんは ここ・・・・
 
チケットの販売機も なんだかレトロな感じ。
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いくつかの店を 梯子するお客もいるらしく、一杯は内容少な目です。
 
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私が小学生だったころ、親父が「しんせい」を吸っていまして、
よく小銭を持たされて 買いに行ったものです。
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昔のバー・・って感じですかね。
私が二十歳の頃の東京には、「コンパ」という 若者が丸いカウンターを
囲んで座る形の 飲み屋がたくさんありました。
そこで バーテンダーのお兄ちゃんの 素晴らしい手さばきを
眺めていたもんです。
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映画館・・・
・・確かにこんな感じの切符売り場でしたねえ・・・
でも、当時は 映画館やら喫茶店みたいなところは
不良の溜まり場・・・みたいな雰囲気がありました。
生真面目な学生だったもので・・・スビバセンネ。
ラジオの落語番組は 小学生の時から ラジオにかじり付いて聴いていましたけど・・・・
Kc_155
昔は 「便所」でした。
W.C.の時代もありました。
それから お手洗いとか トイレとか 化粧室・・・と変化して来ましたね。
厠や雪隠の時代には 私は生きていませんけどね。
ご不浄という言い方もありましたかね?
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これは懐かしい・・・・
紙芝居の自転車ですね。
 
紙芝居のおじさんは 本当に上手い弁士でした。
もしかして 昔は無声活動写真の弁士でもやっていたんじゃないかという感じ。
おじさんが売る 細工された飴も魅力的でした。
確か・・・上手に舐めて ある形をきちんと残したら もうひとつ貰えたと思います。
 
でも、それを買うお金もなくて タダ見が多かったかなあ・・・
 
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ロバさんに さよならして、横浜を離れます・・・
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そして次は・・・・歌舞伎町へ・・・
 
 
 
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新宿駅東口で もう一人の元生徒と合流。
そして、私ら夫婦を ここにある ロボット・レストランまで 連れていってくれたのは スマホのGPSさんでした。
フィリピンからやってきた若い女性たちに 案内されての 歌舞伎町詣でになるとはねえ。
「東口から 今までは この道を歩いて来たから、この先は あそこの路地を入ればいいんです・・・・」
スマホの画面には それまで歩いた道に 足跡が表示されてました。
凄いねえ・・・
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で、このお二人さんが 揃いました。
二人とも もうすっかり バリバリのキャリア・ウーマンです。
 
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ロボット・レストランの 次のショーが始まるまで ちょっとおしゃべり。
 
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結構寒かったんですけどね・・・・
お店の中は 既に満席でした。
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・・・ちなみに、このお店は バギオにもありますけどね・・・・
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・・・そして、我々夫婦は お二人さんとゴジラさんに さよなら。
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たまにお世話になっている ドン・キホーテ。
まあ、着ぐるみを買うぐらいのもんですけど・・・・・
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・・・最近の質屋さんは こんなことになってんですねえ。
凄いですねえ・・・・
昔の田舎の質屋とは 違いますねえ。
この一日は、
50年ほど前の懐かしい日本と、最先端のロボット・レストランの
入口まで行って来ました。
振れ幅が かなり大きかったなあ・・・・

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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新宿 Shinjuku Night Walk and mini Reunion 同窓会 in Tokyo

一時帰国の折に 高校時代のミニ同窓会がありまして、
久しぶりに 夜の新宿を歩いてみたんです・・・・
054
同窓生の馴染みのお店は こちらの方面にありまして・・・
055
今を遡ること 40年近くも前に 私の従兄がアルバイトをしていたのもこの街でして、上京したばかりの田舎者だった私は 眩暈を覚えたもんです。
 
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その店の場所は どこをどう歩いたかも 遠い記憶のかなたに消えてしまいましたが・・・・
 
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田舎では 絶対に足を踏み入れることもなかった
カフェ・バーのようなお店でした。
063
・・・そして、その従兄は 大学生だったはずですが、随分年上の大人に感じられたものです。
066
 
・・そして、其の頃 東京家政大学の学生会館の舎監をやっていた叔母からは、この有名な書店や斜め向かいの有名なフルーツパーラー、そして帝国劇場にも連れて行ってもらったものでした。
 
067
それは厳しい叔母で、私の田舎の母に代って、東京でのお目付け役となりました。
 
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その叔母が 某大手レコード会社の重役の家というところに連れていってくれました。
昔々、母と叔母が大変お世話になったという家でした。
 
その当時、私の母は、そのレコード会社の重役さんから
「あなたには絶対音感がある」と言われたそうです・・・
そして、一度耳で聴いた曲を その通りに歌えたという・・・伝説が・・
 
 
 
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結婚前の母の実家は、鹿児島の瀬戸物を商うそれなりの商家で、
伊万里焼や有田焼などを 佐賀県から船で鹿児島に輸送して
結構儲けていたという話でした。
 
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そういう商家のいわばお嬢様だった 母や叔母は
鹿児島という地方の県民性もあいまって かなり気位だけは高かった
ように 子供ながら感じたものでした。
 
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・・・しかし、戦後 貧乏な和菓子屋の男と、それも、満州からの引揚者と
して妻と二人の幼子を亡くした男の 後妻として入った母は、
父の二人の連れ子を育てるという 結婚生活を送ったのでした。
・・・そして、箪笥から和服を出し、幼い私の手を引いて、質屋へも通いました。
 
 
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・・・さて、現実に戻りますと。
ここは 新宿三丁目の「世界堂」。
美術関係の様々な画材やらなんやらが これでもか って言うぐらい
豊富に並んでいます。
 
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私がなんで、ここに来るかと言えば、
一応日本語教師なんで、 教材を作るための材料を買うためなんです。
今回は、この 果物や野菜を買い込みました。
 
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では、そろそろ 同窓会の場所を探索しましょうか・・・
 
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芝居小屋・・・・
いいですねえ・・・観たいですねえ・・・
新宿って街は こういうのがあるのがいいですね。
私が上京した頃には、 歌声喫茶なるものがあって
ロシア民謡みたいなのを アコーディオン演奏に合わせて
お客みんなで歌っていたもんです・・・・
不思議な世界でした・・・・
 
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まだ、新宿の夜としては 時間が早いみたいです・・・
 
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・・・まあ、朝の4時半まで営業中ですからねえ。
流石に新宿です。
 
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今夜の現場は この「のみや」です。
 
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もつ鍋屋・・・のようですね。
 
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こじんまりとした ちょっとお洒落な感じの もつ鍋屋・・・・です。
 
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・・・ これも お洒落・・・・・
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・・・・そして、 旨い・・・です。
 
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これが メインの もつ鍋・・・・です。
スープが 特に旨い。
 
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・・・そして、二次会。
みんな 遠慮なく 歌いまくる・・・
同窓会となると 遠慮がなくなります・・・・かな??
ちなみに、この中には 保育園の時からの 幼馴染みもいましてね。
保育所、小学校、中学校、高校と ずっと一緒でした。
彼の父上の シャキッと歩く姿は 今でも脳裏に焼き付いています。
 
 
 
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同窓生が経営する このバーを後にします・・・・
そろそろ外気は 晩秋の気配でした。
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新宿の夜。
気の置けない友と 飲むのは良いものです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年12月15日 (金)

運慶展を観に上野へ・・・そしてついでに秋葉原を歩く

一時帰国中に 「運慶展」を観に 上野へ出かけました。
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上野はいろんな刺激があるんで、やっぱ凄い場所だと思います。
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フィリピンに12年も住んでいると、Tシャツとジーパンが制服みたいな
もんですから、日本の人たち、特に女性たちのファッションが
目に新しく見えてしまうんです・・・・
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この広場では、いつもなんだかイベントをやっていますね。
・・・と言いながら、「準備中」とか「撤収中」にしか行き当たったことは
ないんですけど・・・
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東京国立博物館・・・
毎回 どんだけ混んでいるかが勝負どころ。
 
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はい、並んでいます。
しかし、こんなのは序の口・・なんだそうです。
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「最後尾 50分待ち」
・・・序の口です。
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こちらでは 「フランス人間国宝展」をやっていました。
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ご存知・・・野口英世博士。
なんでここにいらっしゃるんでしょうか??
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上野駅近くの植え込み・・・・
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でっかい蜂も忙しそう・・・・
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・・・で、 上野から秋葉原へ移動・・・・・
 
 
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秋葉原では・・・・ハロウィン・モードでした。
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・・・お昼は これ・・・・  
 
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最近はこんなスパベティー屋さんがあるんですね。
気軽に食べるには良さそう・・・・
ワインが無いのが 私的には不満が残るけど・・・・
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大通りにあった ピンクの実。
これって何ですか??
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流石に AKIHABARA です。
フィリピン・バギオのコスプレをやっている若い人たちをたくさん
知っていますけど 日本では・・・・・
でも、意外なことに、日本の方が 恥ずかしがり屋みたいでしたよ。
 
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最近は こういう「フィギュア」が 手ごろに買えるんですね。
仏像もマリア様も・・・・・・
 
運慶さんもびっくりだよなあ・・・
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警視庁・・・お仕事中でした・・・
若いお兄ちゃんが捕まっていたみたいです。
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AKIHABARA は上野と違って、別の刺激がありますね。
まあ、どっちかって言うと、壊れたパソコンの修理に来ることが
多いんですけど・・・・・
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では、最後は うちの近所の 猫ちゃんたち・・・・
 
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子猫ちゃんは やっぱり可愛い。
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ここには 10匹前後の猫ちゃんたちがたむろしているんですねえ・・・
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・・・なんでか~~って言うと・・・・
この喫茶店のおばちゃんが 優しいひとなんです。
だから、お店の前で 食事の時間を待っているんですね。
二匹ばかり 鼻水を垂らしたメンバーもいましたけどね・・・
今から寒くなると 大変だね、猫ちゃん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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