カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2017年8月 4日 (金)

「抜かす」と聞いた時には「腰を抜かした」??

私が「抜く」と言う意味で「抜かす」という言葉が使われている
のに気がついたのは 埼玉県で子供が育ち その「抜かす」を
聞いた時だったんです。
だから多分 埼玉の方言なんじゃないかって思っていたわけ。

それが最近は関東地方一帯に広がりさらには全国制覇をしている
らしいんです。

・・・で 国語辞典で調べてみました。

(済みませんが 私のパソコンで 句読点の「点」が出なくなりました。)

まず ふる~~い国語辞典で調べてみると:

1) 1996年発行の三省堂版

ぬかす [抜かす]
(他5)①おとす もらす ②(間を)とばす
    ③(俗)言いやがる 

2) 2003年発行の明鏡版

ぬかす [抜かす]
(他5)①入れなくてはならないものを入れないでしまう。
     間を飛ばす ②省く ③力や勢いなどを失わせる
     「腰をぬかす」 ④(俗)追い抜く
    ⑤(俗)言いやがる

3)2005年発行の小学館版

ぬかす[抜かす]
(他サ5)①あるべきものをなくする 力などをなくす
     ②入れるべきものを入れおとす。間をとばす。
     ③追い抜く。 「抜く」を用いるのが正しい言い方
     ④(俗)言う しゃべる の卑しめる言い方。

・・・ということで 1996年には国語辞典での認知はされて
いなかったようですが 2003年版には既に俗語として
掲載されていました。

こちらのブログにちょっと詳しく書いてあります。
https://blogs.yahoo.co.jp/w_cup_2002/63785202.html

「抜かす」「抜かされる」
この言葉は上京してから初めて聞いた言葉です。

・・・私も長崎県からの上京組でして その当時(1970年頃)は
神奈川 東京 千葉で転々としていましたが この言葉で
「あれっ」と思ったことはなかったので おそらくその頃は
埼玉辺りだけの方言だろうと思ったわけです。

上のブログを見ると 全国制覇も近そうですね。

埼玉出身の皆さん。 ルーツを教えてください。

 

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2017年7月27日 (木)

こだわりの職人は 女の後ろにいた : チラシのコピー屋

日本と違って、フィリピンは女性の社会進出が進んでいるんです。
学校の先生たちはほとんどが女性だし、一般の会社でも
管理職レベルに女性たちが非常に目につくんです。

おとといのこと、イベントのチラシのコピーを2千部作る
ことになったんで、印刷屋・コピー屋さんに行ったんです。

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カウンター近くにいるのは3~4名、全員女性。
見積書を作ってくれたのは、ちょっと偉そうな女性。

パソコンの前に座って作業をしているのは男たち。
機械の前でプリント作業をしているのも男たち。

「このメモリーに入っているカラーのチラシを
 白黒で2千部、リソグラフでコピーして欲しいんだけど・・」

・・・すると、カウンターの女は、テキパキと注文内容を
メモし、リソグラフのコピー機の担当者を呼びに行った。

女は、男に指示を出している。

・・・しかし、男が何やら女に話をして、なかなかコピー機を
動かさない。

女が私に聞いてきた・・・

「これは、オフセット印刷じゃないと印刷できないって
 言っているんですけど・・・」

「いや、去年も リソグラフで何千部もコピーしてもらったん
 だけどなあ。 出来ないことはないでしょう。」

女は男のところへ戻って 何やら話している。

「試し刷りをしますから、ちょっと待って下さい。」

男はコピー機の前でなにやらぶつぶつ言っている。

「オフセット印刷じゃないと、きれいに印刷できないって言うん
 ですよ。 担当者が・・・」

「この部分がはっきり分からなくなるって・・・」

・・・男がこだわっていたのは、絵柄の部分のところだった。

「ああ、ここはコピーで綺麗に出ないのは分かっているから
 いいの。 このスケジュールが書いてあるところが
 ちゃんと読めればいいから。」

男が女のうしろからやってきた・・・

「いいの、いいの、これは このスケジュールのところが
 読めればいいから、リソグラフでいいの。
 あなたの問題じゃなくて、我々の予算の問題だから・・・」

男はやっと納得したようだった。

 

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2017年6月20日 (火)

人工知能AIを使う 日本語の翻訳・通訳ってどこまで出来るんだろ

2~3日前に FACEBOOKで こんな情報を見たんです。

世界初! ウェアラブル 音声翻訳デバイス
https://iamili.com/ja/

「ワンフレーズの旅行会話」に特化することで高精度の
翻訳を可能に。

「高い」という言葉には、「expensive」と「high」という訳
が考えられますが、旅行のシーンではexpensiveを使う率が高い。
Iliは旅行というシーンに絞ることで、「使える」翻訳機を
実現しています。
交渉や商談は苦手です。

iliは「旅行」に特化した翻訳機のため、商談・交渉・医療現場
・専門用語などの翻訳は苦手です。

・・・ちょっとニッコリしてしまいました。
CMにしては 謙虚だなあ・・と思ったんです。

・・・・

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で、そもそも、人工頭脳とか人工知能とかAIとか言うのは
どんな動き方、仕組みなんだろうって思ったわけです。

それで、こんなサイトで 5分で分かりたい ってことで
読んでみました。

「【5分でわかる】人工知能(AI)とは?概要や種類を
わかりやすく解説」
http://www.sejuku.net/blog/7290

人工知能とは、人間の脳が行っている知的な作業をコンピュータで
模倣したソフトウェアやシステム。

具体的には、人間の使う自然言語を理解したり、論理的な推論
行ったり、経験から学習したりするコンピュータプログラムなど
のことをいう。

・・・・ はい、やっぱり 人間が作ったプログラムな訳ですね。

人工知能研究者、研究機関によってその解釈や認識に多少の
ずれがあるからです。

いずれも本来の人工知能の実力が理解されないまま、限界が見えた
段階からブームが去ってきました。

・・・・ なるほど、人工知能って一言で言っても、
     そこにはいろいろな考え方、定義があるらしい。

個別の領域に特化して能力を発揮する「特化型人工知能」と、
異なる領域で多様で複雑な問題を解決する「汎用人工知能(GAI)」
の2つに分類できます。

・・・・ つまり、上記の旅行者向けの日本語通訳の場合は、
     特化型ってことですな。
     謙虚に 「これ以外は出来ません」って書いてあります
     もんね。

逆に、ある枠を超えて考える人工知能を「強いAI」と呼び、
人間のようにものを考え、認識・理解し、人間のような推論・価値
判断のもとに実行をすることができるものを指します。
この AIは自律的に学び、意思決定行うことができるものです。

・・・・ これですねえ。
     私がなんで、日本語の自動翻訳のAIがどんなもん
     なんだろうと思ったのは・・・

     
レベル3になると ある程度のサンプル数から自動的にそのパターン
ルールを学ぶことができます。
判断軸さえあれば、データからルールを設定・学習してより良い
判断ができるのです。

・・・・ はい、ここです。
     私が日本語を教えてきて、16年ぐらいになるんです
     けど、日本語のいろんな表現を見て、そのパターンと
     どんな規則性があるのかを考えて、それを踏まえて
     どんな教え方が出来るかを考えるんです。

このレベル(4)は先ほどのレベル3にあったパターンとルールさえも
人工知能が自ら学んで知識データとして積み重ねていく段階です。
判断軸を自分で発見し、自分でルールを設定して、判断を下すことが
できます。

・・・・ これは判断軸を自分で発見するってことですから、
     まさに私みたいな日本語教師がやっていることと
     同じですね。

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学習の根幹を成すのは「分ける」という処理である。ある事象に
ついて判断する。それが何かを認識する。うまく「分ける」こと
ができれば、物事を理解することもできるし、判断して行動する
こともできる。「分ける」作業は、すなわち「イエスかノーで
答える問題」である。

・・・・ はい、この「分ける」、そして「イエスかノーか」
     で答える。
     これも、日本語を分析して、その分けた中に
     どんなルールがあり得るかを見つけ出す作業です。

ディープラーニング(深層学習)」とは、「分けるための軸
自分で見つけることができる」ものを言います。

・・・・ さて、この辺りからが難しいんですよねえ。
     私がなんで、この辺りにこだわりを持っているかって
     言うと、私が日本語の教授法を学び始めた頃、
     2000年ころに遡るんです。

その当時、私は 確かNHKのドキュメンタリー番組だったと
思うんですが、「コンピューターで日本語を翻訳するエンジニアの
挑戦」みたいな感じの番組を見たんです。

ある大手のコンピューター会社のエンジニアが、自動翻訳の
プロジェクトを任され、まず日本語とはどんな言語なのかを
日本語研究の大御所のところへ指南してもらいに行くわけです。

ところが、その日本語学の大御所が、
そんな無駄なことはやめなさい。」
みたいなことを言うんですねえ。

なんでかって言うと、
日本語の文法ってのは、学者の数ほど学説がある。」
ってな話なんです。

つまり、これが日本語の標準的な文法だ・・っていうような
万能な文法規則が未だ見つかっていないって話なんです。

勿論、我々日本人は、学校時代に「国文法」と言われるものを
学んできたんですが、これは一説によれば、英文法をベースに
して、日本語に無理やりにあてはめた解釈のひとつに過ぎない
・・・なんてことでもあるようなんです。

wikipediaで、まず 「日本語」の文法の部分を読んでみましょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E

「日本語の文にはそもそも主語は必須でないという見方も成り立つ。
三上章は、ここから「主語廃止論」(主語という文法用語を
やめる提案)を唱えた。」

・・・・ これは有名な学説なんですけど、「日本語には主語がない」
     という学者もいるんです。

「ただし、三上の説に対する形で日本語の文に主語が必須であると
主張する学説は、生成文法や鈴木重幸らの言語学研究会グループなど、
主語に統語上の重要な役割を認める学派を除いて、少数派である。
森重敏は、日本語の文においても主述関係が骨子であるとの立場を
採るが、この場合の主語・述語も、一般に言われるものとはかなり
様相を異にしている。現在一般的に行われている学校教育における
文法(学校文法)では、主語・述語を基本とした伝統的な文法用語
を用いるのが普通だが、教科書によっては主語を特別扱いしない
ものもある。

・・・・ まあ、ことほど左様に、日本語の文法に関しては
     一筋縄では行かないまま、今に至っているってことです。

     そこで、こういうものを、人工知能AIが
     どのように扱えるのかというのが 興味のある
     部分になるわけです。

     そこで気になるのが「ビッグデータ」と「ディープ・
     ラーニング」がどう関わるのかという点です。

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ディープラーニング(深層学習)」とは、「分けるための軸
自分で見つけることができる」ものを言います。

猫の特徴を覚えさせる必要があります。
まず、「どの部分が猫と判断できる特徴なのか?=特徴量」を人が
人工知能に教え込む必要があります。
そして、その特徴を元に認識した物体が「猫」であるという概念を
覚えてもらう必要があります。

「ディープラーニング(深層学習)」は、この特徴量を自分
見つけ出すことができる技術で、最大の壁を崩すことができる
可能性を持った技術なのです。

・・・・ さて、このリンクしたサイトは、宣伝サイトですから
     ここまでの説明ですが、きっと最先端の研究では
     かなりいろんな分野での研究が進んでいるのでしょう。

     では、仮にAIが進んで、コンピューターが
     ビッグデータを元にして 自動翻訳が出来るように
     なったとしましょうか・・・

     私がそこで思ったのは、NHKテレビの字幕のこと
     なんです。

まずwikipediaでチェック

リアルタイム字幕放送
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E5%AD%97%E5%B9%95%E6%94%BE%E9%80%81
リアルタイム字幕の原理には、人間が聞き取ってキーボードから文字を
入力する方式と、音声認識技術を用いた音声認識方式と、の2方式が存在する。

基本的には音声認識による文字情報の直接生成を用いたものである。
音声認識は現在でも100%の変換が難しいものであるが、ニュース
おいては語調や使用される単語などを一定の条件に制限できる事から、
この用途に限って音声認識を用いる事で高い変換効率を実現した。

・・・・ で、さらに、NHKで使われる放送用語をチェックしてみると:

放送のことばと日本語の未来
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2007_11/071101.pdf
   
放送番組のことばは,NHK の放送用語委員会などが中心になって決
めてきたと思われますので,それは大変だったと考えます。

放送を離れて日本人のことばづかいという点から考えても,
国民はNHKの放送の影響を大きく受けてきたと思うのです。

実際に社会生活の中で使われている お手本となるようなことば
がないと,私たちは日本のことばを学ぶことができないんです

日本語の将来についても,NHKとして果たさなければならない責任
がきっとあるだろうと思うのです。

問題はむしろ日本人のための日本語をどうするかということだ
と思うのです。しかしそれを決めることは非常につらい
面があるのです。なぜかといいますと,放送の場合は不特定
多数に開かれていて全国民が対象になります。その人たちの
需要のすべてを分析しきるということは非常に難しい。

何を標準とするかいうことが問題で,不特定多数を対象にした
規範づくりは容易なことではありません。

「これから先,共通語と方言とどちらを大事にする教育を
すべきだと思うか」という二者択一の問いをしたときに,
お年寄りよりも若い世代のほうがむしろ「方言を大事にすべきだ」
と言ってるんです。

昭和34年の段階では「放送のことばは,原則として標準
による。必要により方言を用いるときは、慎重に取り扱う。
また娯楽番組では,その地方の人々に反感や不快の念を
与えないよう配慮する」とうたっていましたが,平成7年
に改訂されたときには「必要により方言を使う」と,
より積極的な表現に変わっています。

話していることばは全部字幕にしようと,テレビもそういう
方向になりつつあるのですが,最近は携帯のワンセグで
音声の文字字幕を出せるものもあるので,音を聞かずに
そのまま画面だけ見てドラマを見るというのがそれほど
不思議でもなくなってきているんですね。

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・・・・ 私が日本語教師として NHKの字幕を見ながら
     何を考えたかというと、
     字幕はアナウンサーではない人たちの方言や、
     ごく普通の日本語を 文法的に正しい言い方に
     修正したり、標準語として通用する言い方に
     言い直して表示していると思うんです。

     それは、上記にあるように、音声認識は
     使えないレベルの自由な日本語なわけですね。

     それが、いわゆるAIやその元になるビッグ
     データが使われるようになったら、どんなこと
     になるんだろうと興味を持ったんです。

さて、そこでビッグデータとは そもそも何ぞや??

「ビッグデータ」を扱うためには、既存の概念に捕らわれていてはダメ
https://www.graffe.jp/blog/2693/

「ビッグデータ」という言葉から、大量データを扱う事は
分かっていても、どのようなデータを扱っているか?
どのような効果があるか?

多くの場合、ビッグデータとは単に量が多いだけでなく、様々
種類・形式が含まれる非構造化データ・非定型的データであり、
さらに、日々膨大に生成・記録される時系列性・リアルタイム性
のあるようなものを指すことが多い。

「ビッグデータ」という言葉には、「巨大なデータ」、
「様々な種類・形式のデータ」、そして、それらを扱える
「仕組みやシステム」という3つの要素が含まれています。

ビッグデータでは「構造化データ」以外に「非構造化データ」
の中の一定の規則性があるデータについて、ファイルデータ
からデータ項目単位で値の検索、取得などが行えるようになりました。

しかし、ビッグデータ分析では、今まで対象にならなかった
データ種類を扱うことができるため、データ種類を組み合わせ
たり、扱う事が困難なデータ構造を分析する必要が出てきます。

様々なアプローチで分析を行い、その中から新たな仮説を導き出し、
更に様々なアプローチで分析する必要があります。

・・・・ まあ、よく分からんのですが、要するに
     様々の形式の様々なデータが膨大にあるのが
     ビッグデータなので、分析のアプローチを間違えると
     変な結果も出るよ・・・ってことですかね?

     つまり、上のNHK用語の関連で言えば、
     ある一定の「あるべき日本語」という意識的な
     目標がないと、日本語が変な方向にいくかも・・・
     ・・・てなことになりませんか。

私がNHKの字幕をみる度に思っていたのは、そういうこと
なんです。

ビッグデータに基づいて、それをAIがディープ・ラーニングで
自律的にパターンやルールを発見し、判断の軸なるものを
作って、様々な日本語を自動翻訳するようになったら
一体ぜんたい どんな日本語になってしまうんだろうってこと
なんです。

言語は生きているものだから、時代に沿って変化していく。
そして、ビッグデータも変化していく。
それは大多数の人たちの日本語ではあるだろうけど、
将来を見ながら「あるべき日本語」を目指すというものでは
なくなるわけですね。

ある方言が、その自動翻訳をとおすことによって、
新種の共通語みたいな日本語に翻訳され、それがNHKの
画面に表示されるってことになるんでしょうか?

そして、そういうAI日本語が外国語との間で相互に翻訳
されることになるのでしょうか。

ちょっと前に、どこかの会社のAIがいわゆるヘイト・スピーチ
を多用するようになったとかで、停止されましたよね。

そんなことが日本語で出てくるってことなんでしょうかねえ。

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こちらにこんな記事がありました。

「コンピューター自体を教育する」時代の到来
http://gakkai.univcoop.or.jp/pcc/2016/papers/pdf/pcc100.pdf

片寄ったデータをAIに「偏食」をさせることで「偏向教育
のリスクが生じる。マイクロソフトのAIがツイッターで
ヒットラーを礼賛し人種差別発言を行った話はそのためと
推測される。

AIは、原則としてデータのキュレーションを人手でやら
ないという。多少問題ありそうな文献であっても、とにかく
全数を読み込ませることによって、学習を進展させる。
つまり、全数読み込みが基本なのである。
そこでヒトがふるいをかけていない文献を全数読み込むこ
とによって問題が生じる。

「Tay」は、公開直後から徐々に差別的なヘイトスピーチや
ヒトラー礼賛を始めてしまったのだ。これは一部のユーザー
が意図的に人種差別や性差別などを書き込み、それを繰り返す
ことを通じて機械学習していったからである。つまり、
意図せずに「マイクロソフトの人工知能が差別思想に染まっ
た」のである。結果、同社はたった一日で実験中止に追い
込まれてしまったのだ。

・・・まあ、例えばこんなこともあるわけで、日本語の
AI自動翻訳なんかにも、日本語教師が必要になるって
話でしょうか???

AIに人間教育って話ですかねえ・・・・変なの!

 

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2017年6月19日 (月)

ある女の子の「父の日」

小学校6年生だという女の子がスマート・フォンの動画を
楽しそうに見せてくれる。

お父さんへ送られてきた「父の日」のお祝いの言葉を
笑顔で伝える人たち。

それはスペインからであったり、イタリアからであったり。

女の子のお父さんはスペイン人。

お母さんはフィリピン人。

そして、その女の子の国籍はアメリカであるそうだ。

お父さんとお母さんがアメリカで結婚し、女の子は生まれた。

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そして、両親は離婚。

フィリピン人のお母さんは、アメリカで再婚し家庭がある。

スペイン人のお父さんと女の子はマニラに住んでいた。

昨年の12月、この旧家族の3人は お婆ちゃんの記念日を
祝う為に、数年振りに お母さんの実家があるバギオ市へ
やってきた。

そして、ひとつの家族として3人で記念写真に収まった。

今年の3月だった。

スペイン人のお父さんが病気で突然亡くなった。

女の子は一人取り残された。

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女の子は お母さんの実家に引き取られた。

アメリカ生まれのマニラ育ち。

スペイン語と英語はできるが、フィリピン語はあまり出来ない。

マニラでは、国籍の問題などもあり、小学校で普通には
勉学が出来ていなかったらしい。

女の子は、バギオ市の小学校に入る為に、フィリピン語の
家庭教師についている。

女の子が 近くの親戚から借りてきたギターをポロロンと
弾いて見せる。

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そして、「お父さんにたくさんメッセージが来ているのよ。」
・・と、スマート・フォンの動画を見せてくれる。

そこには生前のお父さんの姿もあった。
女の子は楽しそうだ。

私は 掛ける言葉を 見つけることが出来なかった。

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2017年6月18日 (日)

「人生ってそんなもの・・・」 のどかで、そして無常な日々、三毛2世の子猫ちゃん

昨日の朝のことでした・・・

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大家さんちの庭の階段。

ここを、三毛2世の子猫たち、三毛3世と白黒ブッチーの二匹が

一所懸命登って、お母ちゃんの後を追っていたんです。

・・・

そして、階段を上ったところで・・・

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ご褒美の おっぱいを飲んでいたんです。

左に三毛3世、右にちょっと見えるのがブッチーです。

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もっとはっきり見てみると。

左にブッチー。

おっぱいを飲んでいるのが 三毛3世。

右はお父ちゃん・・・・みたい。

・・・

ところが、その午後のことでした。

明るい日差しに照らされながら、ブッチーが コンクリートの上に寝そべって動かない。

寝そべっていると思ったんです。

ヘルパーさんが 足でつついたんですけど、動かない。

・・・・・・

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子猫は 三毛3世だけに なってしまったんです。

「人生ってそんなもの・・・・」

95歳の大家のお婆ちゃんの口癖です。

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のどかです・・・

癒されます・・・

でも、無常です。

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三毛3世だって、兄弟が居なくなって・・・・

どうしたんだろう・・・って思っている筈です。

のどかです・・・

無常です・・・・

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お母ちゃんの三毛2世だって、何も言わないけれど、

じっと こらえて

「人生って こんなもの・・・・」

と呟いているのかもしれないんです。

のどかです・・・・・無常です・・・・

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こいつは 虎ちゃんです。

三毛2世のきょうだいです。

だから、白黒ブッチーの伯父さんです。

のどかです・・・・こいつは のどかなだけです・・・

私は どっちかって言うと、虎ちゃんに近いです。

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・・・でも、 三毛3世が 気がかりです。

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お母ちゃんほど 心配してはいないけど・・・・・

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三毛3世が こんなところで 隠れんぼをするのが気がかりです。

お母ちゃん、しっかり見ててちょうだいね。

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こんな オジサンは 頼りにはならないしね・・・・

こいつは 無常じゃなくて、無情な奴だから。

なさけない奴だから・・・・・

 

 

 

    

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2017年5月 6日 (土)

「浄土三部経ー観無量寿経」を読む-その2- 殺人未遂か殺人か、それが問題だ

さて、観無量寿経の中身で、私が気になったところを抜き書き
してみます。

その前に、目次を見てみますと、
漢文和訳の部分は、32ページ、その註釈も32ページあります。
つまり、和訳しただけでは、その意味を理解することはなかなか
困難であるってことですね。
しかし、その註釈というのも、かなりの知識がないと訳が分かりません。

なので、いい加減なコメントを書きますので、ご容赦ください。

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この観無量寿経には、サンスクリット原文が発見されておらず
現代語訳は漢訳本を元にされているそうなんですが、
それにしても、流布本、高麗本、宋本、元本、明本などが
相互にチェックされ、さらに、中国や日本でそれぞれの時代の
僧侶たちによって、様々に解釈されて発展して来ているので、それを
ど素人の私がどう感じるかのフィーリングだけの話になります。

=== では、まず、註釈から入ってみます。

p87
43 観無量寿経 -- 経の題名は無量寿仏(阿弥陀仏)と
その仏国土を思念の対象として観察する方法を明かす経
の意。
・・・阿弥陀仏は西方、極楽浄土の教主であるから、本経に説く
観察とは、その仏国土や教主をとりまく聖衆および阿弥陀仏自身を、
観行者がそれらの具体的形相によって自己の心中にそのまま現出
させて(事観という)観察し、あるいはまた、観察力の弱き者は
仏名を称えることによって、減罪・見仏・往生の利益を得る
ことを
目的としている。

=== まあ、これだけ読めば、全部読んだも同然の解説
    なんですけど、それじゃあ身も蓋もないので、
    我慢しながら読みましょう・・・あはは

p11

あるとき師は、千二百五十人もの修行僧たち、法の王子である
マンジュシュリー(文殊)を上首としる三万二千人の求道者
たちとともに、ラージャグリハ(市)の<鷲の峰>(グリドゥフ
ラクータ)に滞在しておられた。

註釈
p88 
43 - 文殊師利王子ーー文殊菩薩のこと。法王子とは
法(仏の教え)の王子、したがってやがて仏となる菩薩をいう。

43 - 王舎城 --すなわちラージャグリハは中インドの
マガダ国の首都。 ・・「無量寿経」や「法華経」もこの山
(霊鷲山)を説法の会座としている。

=== 33,250人・・・って本当かなあ??
    
https://kotobank.jp/word/%E8%A6%B3%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C-49688
こちらのサイトでチェックしてみると、
「中国で424~442年ころ良耶舎(きょうりょうやしゃ)(カーラヤシャス)
によって翻訳されたというが、サンスクリット原典がなく、
チベット訳もなく、漢訳のなかでも他に異訳が存在しない。
ただウイグル語訳断簡が現存しているが、これは漢訳から重訳された
ものである。これらの点から、『観経』の成立については、インドで
編纂(へんさん)されたとみることは困難
である。」

・・・ 釈迦が生きていたのは、
釈迦(しゃか)は、紀元前5世紀ごろの北インドの人物で、仏教の
開祖である。」ってことですんで、釈迦の時代から800年ぐらい
後に多分中国あたりで作られたお経の可能性が高いってことですもんね。
日本の現在で言えば、鎌倉時代の話を今書いているって話ですもん。

しか~~し、こちらのサイトにこんなことが書いてありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99
「上座の長老たちが新しい見解を否定して、ついに上座部と大衆部に
根本分裂した。仏滅後約100年のことで、この戒律の異議のため、
毘舎離で七百人の比丘を集めて第二結集が行われた。さらに仏滅後
200年には、アショーカ王の時代に、パータリプトラで1,000人の比丘
を集めて、第三結集が行われた。」

・・・・これがあったのが紀元前4世紀のころって話なんで、
この時に1,000人の修行者がいたってことになると、
その700年後に3万人ってのはアリですかねえ。

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p11~15 「王舎城の悲劇」の親殺し事件の部分

・・・アジャータシャトル(阿闍世)と名づけられるひとりの
太子がいた。・・・父なる王ビンビサーラ(頻婆娑羅)をとらえ、
・・・幽閉し、・・・。
・・・大王を敬愛していた・・ヴァイデーヒー・・国王の大夫人は、・・
ひそかに王に(食物を)与えた

アジャータシャトルは・・・怒って・・・母を殺そうとして

ひとりの大臣が・・・「大王よ、・・・はるかな昔よりこのかた、
さまざまな悪王があり、帝位に早くつくためにその父を殺した者
一万八千人に上っている。しかし、未だかつて非人道にもその母を
殺したというためしは聞いたことがない。・・・」
・・・
王はこの言葉を聞いて、懺悔して救いを求めた。すなわち、剣を
捨てて、母を殺すことを止め・・・幽閉してふたたび外に
でられないようにした。

幽閉されたヴァイデーヒーは・・・・師を礼拝して・・・
如来よ、尊き師よ、・・・」・・・
師・釈尊の体は紫を帯びた金色に輝き、数百の宝石の蓮花の
上に座られ、マハーマウドガリヤーヤナは左に、アーナンダは
右に侍し、シャクラ(帝釈天)・ブラフマン(梵天)・護世の
天人たちは虚空にあって・・・・・

・・・十方の仏たちの清らかな美しい国土はすべてこの光の中にお
現れた。
・・・・ このような無量の仏たちの国土の荘厳で
きらびやかなありさまをヴァイデーヒーに見せしめられたのである。

・・・わたくしは今、<幸あるところ>という世界のアミタ仏
(阿弥陀仏)のみもとに生まれたいと願っております。

・・・師は・・告げられたーー
「あなたは知っているであろうか。 アミタ仏のいられるところが
ここから遠くないといいうことを。 あなたは思念を集中して
はっきりとあの仏国土を観想しなさい。・・・・・
・・・未来にあらわれる一切の生ける者どもの中で清らかな
行ないをしようとする者が、西方の<幸あるところ>という世界に
生まれることができるようにしよう

==== 11ページから15ページに渡って、概ね上のような
     ことが書かれているんですが、「父殺し」というのは
     書いてないんですよ。

     この後には、観想のマニュアルが書いてあるんです
     けどね。
     だから、観無量寿経の中では、父を幽閉し、母も幽閉
     したことしか書いてないんです。
     だから、「殺人未遂」に終わっているんですけどねえ。

=== そこで、註釈を見てみると、

p87
43 -- 「涅槃経」などの伝えによれば、父王は王子のいない
のを心配し占師に尋ねたところ、ある仙人がやがて死んで
王子として生まれるであろうと予言した。
父王は仙人の死をまちきれず殺させたところが、王妃韋提希
(いだいけ)はただちに懐妊した。 占師は、いつかは生まれ出る
王子すなわち阿闍世が仇を報ずるであろうといったため、
出産のとき高楼から産み落として殺そうと夫婦が相談した。
しかしながら、王子は手の指を折っただけで一命をとりとめたという。
これは阿闍世が父王を幽閉する動機となったという。

・・・

大乗涅槃経」は、王が父を殺害したために、心に悔熱を生じ、
それが原因で身体全体に瘡を生じ・・・・・ブッダの教えを仰ぎ
瘡癒えて菩提心を発したという。
親鸞は「教行信証」の信巻末に右の記事を長々と引用し、・・・
阿闍世王をあげ、もって如来の大悲に背きつつある愚悪の凡夫の
救われゆくすがたを暗示している。

=== この註釈にもあるように、結局「父殺し」の話は
    「観無量寿経」にはないみたいで、「涅槃経」にある
    みたいなんですねえ。
    「親殺し未遂」VS「親殺し」です。
    どういうこと!??
    ・・まあ、未遂とは言え、父親を餓死させようとして
    いたわけなんですけど。

=== 結論が判明しました。
    こちらを読むと、母親を幽閉した後に、食糧をもらえなく
    なった父親が餓死した
と書いてありました。
    やっと納得。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%AB
    
「成長したアジャータシャトルは、釈迦仏に反逆し新教団を形成せん
としていた提婆達多(デーヴァダッタ)に唆され、その言を入れて
ビンビサーラを幽閉した。また母が身体に蜜を塗って王に施していた
事を知るや母も幽閉せしめ、ついに父王は餓死し命終してしまった
。」

・・・しかし、これだと、親鸞さんもいろんなお経から題材を
引っ張ってくるのに大変だっただろうなあ・・・・

殺人未遂と殺人じゃあ、インパクトが違うからねえ・・・・・

=== 註釈にこんな記事がありました。

p91
45 父を殺害するものーー王子が王位につこうとして父なる
国王を殺すということは、釈尊の時代またはその後に実際に
しばしば行なわれたこと
であった。
恐らく当時は異母の王子が多勢いたであろうから、王位に
即きたい王子は、こういう強行手段に訴えたのである。

・・・・家族が大きければいいってものでもなさそうですね。

=== では、その3 では、観想のマニュアルを読んでみます ===
  

=====================

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2017年5月 2日 (火)

「浄土三部経ー無量寿経」を読む-その7- なに? 阿弥陀さんはお釈迦さん? 浄土教は一神教??

残すところ 梵語訳は あと20ページほどとなりました。
一気にいきましょう。

前回は「五つの悪」の染まっている人間の話でした。

Img_2574a

p118

師はマイオレーヤ(弥勒菩薩)に言われたーー
「世間のありさまはこのようである。<目ざめた人>たち
は皆、これをあわれみ、威力を発揮して、さまざまな悪を
うち砕き滅ぼし、すべての人を善に向けさせるのだ。
(自分のことばかりを考える)考え方を捨てて、経典に
説かれている戒律を守り、正しい法に従って生きる
生き方を実行して違反せず、ついには完成や、永遠の
安らぎを得ることができるようになるのだ。」と。

=== 私みたいな悪さをする人間ばかりなんで、
    ちゃんと戒律を守って修行をした人たちに
    頑張ってもらって、憐れみをもって助けて
    いただくということかな?

p120

他の方角にある諸々の仏国土は、善をなす者が多く
悪をなす者は少なく、自然に福徳が積まれ、悪を犯す
ことがない所なのだ。
ところが、この世界にだけは悪が多く、自然に善をなす
などということはなく、人々は苦しみを求めて次々に
偽り欺き、心も体も苦しんで、苦を飲み、毒を食している。
・・・このようにあわただしく生きるばかりで、安らかさ
というものは全くないのだ。

p121

こう言われたときに求道者マイトレーヤは合掌して言った
ーー 「師の教えは甚だ親切であります。 世の中の人々は
まことに師の言われるとおりであります。 如来はあまねく
慈悲の心をもって、あわれんで、すべての人々を解脱され
ました。師のねんごろな教え諭しを受けて、わたくしどもは、
そむいたりはいたしません。」と。

=== ありゃりゃ・・・どうも、多元宇宙の中で、
    他の宇宙はそこそこ良い奴が住んでいるんだけど、
    この我々の宇宙だけが、不良が集まっている
    らしいです。
    こいつら自分たちじゃどうにもできないみたい
    だから 憐れんで救ってやらなくちゃ・・・って
    ことらしい。
    かなり足元みられちゃってますね。
    弥勒菩薩さんも、立場がないなって感じかなあ。
    スミマセンね。

p124

師は、求道者・すぐれた人・アジタ(=弥勒菩薩)に告げ
られたーー「アジタよ。 そなたはかの仏国土において、
みごとな特徴や装飾や配置がそなわっているのを見たで
あろうか。 また、上は虚空において、美しい園林や、
美しい森や、美しい庭園や、さまざまな宝石よりなる
青蓮花・紅蓮花・黄蓮花・白蓮花に満ちた美しい川や池を
見たであろうか。 ・・・・・如来によって現わし出され
た種々の鳥の群れが棲みついているのを見るであろうか。」
と。

p126

かれら求道者たち・立派な人たちは、両脚を組んで安座した
姿で紅蓮花のうちに出現する。

=== 出ましたね。 極楽浄土の映像と、蓮の花の上に
    座る仏さんたちの姿。

その映像は、こちらの中国製アニメでご覧ください:
https://www.youtube.com/watch?v=DPTEFcjP6nM

p134

そのとき、師はまたこれらの詩句を説かれた。

1.功徳を積まぬ者どもは、このような(教えを)聞くことは
ないであろう。
ただ勇猛にして、一切の目的を成就した者たちのみ、この説
を聞くであろう。

5.ただ仏のみが、仏の徳を明らかに知る。
神々・竜・アスラ(阿修羅)・ヤクシャ(夜叉)や、教えを
聞くのみの修行者たちは、(知ら)ない。
仏の智が説き明かされても、独居する修行者たちは、
これを知るいかなる道があるであろうか。

=== やっぱり、真面目に道を求める人は
    かなり厳しい修行を通りぬけないとダメなんですね。
    私なんぞは、楽をすることしか考えてないし・・・

p136

9.あるときには人間の身をうけることとなり、
あるときには仏となって出現する。
信も智慧もきわめて長い時を経て得られるであろう。
その意義を知る智慧ある人々は精進をおこすべきである

=== おお、人間になったり、仏になったり出来る人が
    いるみたいですね。
    いわゆる「霊界」と行き来ができる人なのかな?
    これを読んで、精進したいと思った方は是非
    頑張ってください。
    私は書類選考で没ですね。

p137

尊師がこの法門を説かれたとき、十二億の百万倍の生ける者
どもは、諸々の事物に対して・・・清らかな法の眼を得た。
二十四億の(生ける者どもは)<もう決して生まれ変わって
来ない者>という成果(不還果)を得た。
八百の修行僧たちは、執着が無くなって、いろいろな汚れ
から心が解放された。 二十五億の求道者たちは、<存在する
ものには自体がなく、生ずることもないという認知>を得た。

=== まあ、何度も書いてあるとは言え、
    十二億の百万倍って何ですか。
    人類がこの地球に現れて、何万年だかしりませんが、
    合計して何人ぐらいになるんでしょうねえ。
    しかし、この無量寿経では、どうも多元宇宙論を
    論拠??にしているみたいなんで、他の宇宙の
    人数もカウントしているのかな??

    
=== ここで、注釈を見てみますと:

p279
もう決して生まれかわって来ない者>という成果ーー
・・・欲界の煩悩を断じつくした聖者の位をいう。
死後、色界・無色界には生ずるが、欲界には二度と生を
享けないから、このようにいう。

・・・・つまりは、輪廻転生から抜け出すことが出来た
ということなんでしょうか。

=======================

=== 以上で、「サンスクリットからの訳」の章を
    終わりました。

    この後は、漢文書き下し文の「注釈」の中から
    気になる言葉を拾ってみます。

p288

142 微妙の法 - 釈尊がさとったさとりの内容は
縁起の理法であった。 ここでは、菩薩らがそれぞれ、
すぐれた理法をさとって仏となることを示す。

=== へえ~、お釈迦様が全ての創始者ってことじゃ
なくて、いろんな菩薩が 博士論文を書いて、それぞれの
理論で合格して来たってことのようですね。

p294

146 浄土教の註釈家たちの説によれば・・・・
釈尊は阿弥陀仏を、阿弥陀仏は釈尊を相互に念ぜられて
いるから、本経を説く釈尊はこれまでの釈尊とちがって、
実に阿弥陀仏その人とみて差し支えない。
従って、本経こそ阿弥陀仏の直説法であると解釈している。

p296

147 三界 -- 輪廻する迷いの生存を三つに分けて
欲界・色界・無色界の三界とする。 また、三界にとどまる
衆生をいう。

p296

147 乃往過去 -- 乃往(ないおう)とは、むかしの意。
・・・世自在王仏の出現以前の過去仏五十三を挙げ、法蔵菩薩
が第五十四番目の世自在王仏の許で、はじめて仏になったのでは
ないことを強調する。
過去仏思想については、ブッダを第七仏とする過去七仏の観念
はすでに古く成立し、ブッダの神格化の発展につれ、過去二十四仏、
過去三十二仏が考えられた。

浄土教は大乗仏教の多仏思想を阿弥陀仏(実は釈迦牟尼仏と
一致する)一仏で統一しようとする意図を有していた
から、
「魏訳」では五十三仏と阿弥陀仏の師仏たる世自在王仏の
過去諸仏を列挙する。

=== おお、びっくりしたあ~~~。
    ここにさりげなく書いてありますけど、
    「阿弥陀仏=お釈迦様」ってこと???
    私の今までの理解は、法然さんの浄土宗までは多仏思想で、
    親鸞さんから阿弥陀さんだけの一神教になったと
    思っていたんですが、元々浄土教が一神教を
    意図していた
とは驚きです。

p297
149 世自在王 -- 阿弥陀仏の師仏
ローケーシヴァラとはヒンドゥー教でシヴァ神の別名である。

=== おお、これもまたびっくり。
    まあ、インドには元々たくさんの神々がいたわけで、
    驚くには当たらないとも言えるんですが、
    阿弥陀様の先生がシヴァ神に繋がっているとはねえ。

シヴァ神」については、こちらで確認:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B4%E3%82%A1
「シヴァ([ˈʃivə]; サンスクリット: शिव, Śiva、「吉祥者」の意)
はヒンドゥー教の神(英語版)である。現代のヒンドゥー教では
最も影響力を持つ3柱の主神の中の1人であり、特にシヴァ派では
最高神に位置付けられている。」

「最も賞揚される文脈では、シヴァは形の無い、無限の、超越的な、
不変絶対のブラフマンであり、同時に世界の根源的なアートマン
(自我、魂)であると語られる。」

「現代のヒンドゥー教で知られているシヴァの特徴は、ヴェーダ時代
のルドラの持つ特徴と多くが共通しており、ヴェーダ神話に登場する
暴風雨神ルドラがシヴァの前身と考えられている。」

p298

149 法蔵 -- 仏法を蔵して失わぬという意に解せられるが、
原義は「法の鉱床」「法の堆積」という意味である。
阿弥陀仏が菩薩として修行していたときの名。

p301

154 五劫 -- 非常に長い時間をいう。
浄土教では、法蔵菩薩が発願して衆生救済と浄土建設のために
長年月を要した修行を「五劫思惟」と呼ぶ。
・・・法蔵菩薩は「一の静処に往きて独座し、功徳を修習し、
仏刹を荘厳せんことを思惟して、大誓願を発し
」(宋訳)た
のである。 ・・・原始仏教以来ブッダをはじめ仏弟子たちが
修した基本的瞑想法である。
真宗では五劫を発願に至るまでの思惟とみ、修行とはみない。

=== やっぱり、日本では、法然さんまでは修行、
    親鸞さんでは思惟あるいは信仰・・・となるわけですね。

=== ちょっとここで、漢文読み下しに戻りまして:

p154

法蔵比丘、二百一十億の諸仏の妙土の、清浄の行を摂取せり。

・・・この文の「妙土」の註釈なんですけど・・・

p302

154 妙土の -- 「梵本」では諸仏苦にの荘厳よりも
八十一倍もすぐれたものとする。 しかしながら、他の
大乗経典例えば「華厳経」では、阿弥陀仏の浄土を娑婆穢土
に最も近い最劣の浄土としている

=== ほお~~、阿弥陀さんお浄土は、一番娑婆に近いんで、
    いまいちパッとしない所みたいですね。
    これって、上記のp120の「不良の世界」
    一致するポイントでしょうかね??

    我々人間どもは、阿弥陀様にかなりご迷惑をお掛け
    しているようですね。
    申し訳ない・・・

・・・ では、漢文読み下しの註釈を その8 でも続けます ・・・

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「浄土三部経ー無量寿経」を読む-その5- 天国良いとこ、一度はおいで・・・

今回は、内容的にはメイン以外の その他の拾いものです。

=== 極楽浄土の様子を描いた部分をちょっとだけ
    ご紹介しましょう。

Shoujyuuraigou

p72

もしも、かれらが、どのような宮殿でも、どのような色彩や、
標識や、形状や、乃至、高さや広さがあるものであろうとも、
種々の宝石でできた百千の尖塔に飾られ、種々の天界の布を
うちかけられ、美麗な座布団を敷いた宝石の長椅子のあるような
宮殿を欲するときは、正にその通りの宮殿が、かれらの前に
現れる。 かれらは思うままに現われ出た諸宮殿のなかで、
それぞれ七千人の天女に侍かれ、敬われて、住み、戯れ、
喜び、逍遥するのだ。

=== さてさて、御用とお急ぎでない方。
    ここをしっかり読んでくださいな。
    「天国良いとこ一度はおいで、酒は旨いし
     ネエちゃんは綺麗だ・・・・・
」の部分ですよ。

    「帰ってきたヨッパライ」 フォーク・クルセーダーズ      
    https://www.youtube.com/watch?v=HgW5KUyJarw

    それどころか、どんな宮殿でも、あなたの好きな
    ようにデザインされた、カスタマイズされた
    宮殿も思いのまま。 天女はそれぞれ七千人
    だってさ。 そりゃあもう、この世じゃ
    あり得ない天国の凄さ満載。

    でも、酒のことは書いてないですね。
    やっぱ禁酒かな。

p73

かの世界では、世俗の習慣的な表現によって、神々とか
人間とかいう風に区別して数え立てるだけのことであって、
神々と人間との区別は存在しない

=== みなさん、あなた自身が神々と同格になれるん
    ですよ。
    昔、ある国に、天孫降臨の末裔で現人神と言われた
    神がいましたが、その後「私は人間だ」って言い
    ましたね。
    上の話は、その逆バージョンが実現するって
    ことみたいですよ。
    あなた自身が、天に昇って神々になるみたい。

p74

アーナンダよ、かの仏国土には、火とか、太陽とか、遊星とか、
星宿とか、星群とか、暗黒とか、闇
とかいうような名称を
つけて表現することも全くない。 また、夜とか昼とかいう
名称をつけて表現することも全くない。
ーー ただし如来がそのような名称をつけて表現される場合
別である。 家屋を所有するという思いもないのだ。

=== これはなんとも、宇宙的で凄い表現ですね。
    「星宿」ってなんでしょうね?
    こちらのサイトにこの名称はあるんですが・・・
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%AE%BF
    「星宿(せいしゅく・ほとほりぼし)は二十八宿の一つで、
     南方朱雀七宿の第4宿。距星はうみへび座α星。」
    なんか関係があるんですかね?

    「夜とか昼とかいう名称をつけて・・・如来が・・・」
    って部分は、キリスト教の創世記の「光あれ!」
    って言った話を連想させませんか?
    「家屋を所有するという思いもないのだ。」って
    ところは、上の「思うがままの宮殿」の話と
    ちょっと矛盾するような感じも
あるんですが、
    所有じゃなくてレンタルって話なのかなあ・

    レンタルだったとしたら、ビットコインみたいなのを
    使っているのかも??

=== 「師はこれらの詩句を説いて言われた」として
    次のような詩が書いてあります。

p76

3. 誰であっても、世界の最微小の原子のごとく、
打ち砕いて微塵となしたとしよう。
その(微塵の数)よりもさらに多くの世界を
宝石で満たして、それらを布施する者があったとしよう。

=== これって凄くないですか?
    「最微小の原子」「微塵」「さらに多くの世界」
    ・・・なんだか、現代の最先端の宇宙論を連想
    させませんか?

    「微塵」の意味は、こちらの辞書では:
     http://www.weblio.jp/content/%E5%BE%AE
     「② 〘仏〙 物質の最小単位の極微(ごくみ)が
      六方から集まったきわめて小さい単位。」
     (〘仏〙とありますから、仏教用語ですね。)

    「多くの世界」って、多元宇宙論みたいな・・・
     曼荼羅にあるような・・・

     さすがにゼロを発見したインドならではでしょうか。
     

「ゼロの発見」については こちらをご覧ください:
https://ja.wikipedia.org/wiki/0

「古代インドの数学で「膨れ上がった」「うつろな」の意
サンスクリット語: शून्य, śūnya (シューニャ 膨れ上がった物は
中が空であるとの考え方
から来ている。)すなわち数としての
「0」の概念が確立された。ブラーマグプタは、628年に著した
『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』において、0 と他の整数
との加減乗除を論じ、0 / 0 を 0 と定義した以外はすべて現代と
同じ定義をしている。そしてこれがアラビア数学に伝わり
フワーリズミーの著作のラテン語訳 羅: Algoritmi de numero
Indorum により西欧に広まっていった。しかし、ヨーロッパでは
得体の知れない概念から悪魔の数字とみなされ
ローマ法王により
使用が禁じられた時代もあった[10]。」

「仏教における 0
詳細は「空 (仏教)」を参照
仏教ではシューニャ(漢訳で空)」

=== 「ゼロ」が仏教では「空」であるというのは印象的ですね。

p77

5.勝てる者(=仏)のことばと想いを信ずる人々の福徳は、
これよりもなお多いであろう。
そのわけは、信こそは世の人々にとって(<幸あるところ>
という世界に)到達するための根本
であるからである。
それ故に、(わたしのことばを)聞いて疑いを除くべきである、と。

=== ここは真面目に読みますが、まず注釈は、

p270
信こそは・・・根元である・・・
信こそは世の人々にとって、極楽に達するための根元である」
という意味になり、「華厳経」にいう「信は道元なり」という
思想に通ずるものがあることになる。
なお、「信」の原語はsraddhaであるが、これはことばをそのまま
受けとること、普遍的な理法に従うこと
である。

=== もしかしたら、この「信心」ということこそが
    親鸞さんが「絶対他力」の元だと考えたことに
    繋がっているんでしょうか?

    阿弥陀様を信じて、すべてをお任せする為の
    「南無阿弥陀仏」であるという話かな?

p78

いかなる生ける者どもであろうとも、かの如来のことを、
すがた形ある者としていくたびも心に思い、多くの、
無量の善根を植え、覚りに心を向けて、かの世界に生まれたい
と願うであろうならば
、かれらが死ぬ時期が迫って来たときに、
かの敬わるべき人・正しく目ざめた人・無量光如来は、
多くの修行僧たちの群にとりまかれ
、恭敬されて、(その前に)
立たれるであろう。 かれらはかの世尊を見て、静かな
澄んだ心になって死んで、かの<幸あるところ>という世界に
生まれるのである。

=== これは「阿弥陀如来の来迎図」の描写ですかね?
    極楽往生をしたい人がいたら、阿弥陀如来が
    弟子たちをひきつれてお迎えに行きますよ・・って。
 
阿弥陀二十五菩薩来迎図 (国宝) 知恩院  
http://www.chion-in.or.jp/04_meiho/hob/rai.html

=== そして、上記の続きで、怠け者の私にもなんとか
    お願いできそうな話が出てきました。

p79

また、誰であっても、かの如来を多く思念すること無く
またしばしば多くの善根を植えることもしないけれども
かの仏国土に心を向ける者があるならば、かれの臨終の
時分に、色も、形も、高さも、広さの点でも、修行僧たちの
群にとりまかれている点に関しても、かの敬わるべき人・
正しく目ざめた人・無量光如来に全く同ような化身の仏
(かれらの)前に立つであろう。

=== これは本物じゃないけど、「化身の仏」さんが
    来てくれるって話です。
    今時の言葉で言えば、初音ミクみたいな仏さんかな
    本格的なリアルなもんじゃないけど、略式の
    バーチャルなもんでいいでしょ、ってことみたい。
    まあ、信心の深さによって、ランク付けしちゃう
    から、そこんとこちゃんと事前に分かって
    おいて頂戴ねってことですね。
    まあ、阿弥陀さんも、そのお付きのお弟子さん
    たちも忙しいだろうから、そりゃあしょうがないね。

p89

そのとき、若きアーナンダは尊者に向かってこう言ったーー
「尊師さま、善き人であるその二人の求道者・すぐれた人は
何という名でありますか。」と。
師は言われたーー「アーナンダよ。 かれらの中の一人は
求道者・すぐれた人・アヴァローキテーシヴァラ(観自在
であり、第二の人は スターマ・プラープタ(勢至)という
名の人なのだ。

=== おお、これが釈迦または阿弥陀三尊像の由来でありますな。
    アーナンダの師である お釈迦様と、阿弥陀如来には観音菩薩
    そして勢至菩薩です。

    (釈迦三尊像の場合は、組み合わせがいろいろみたいですけど・・)

 

Photo

    この三尊像は、フィリピンのバギオ市にもあるん
    ですよ。 ご存知ですか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E4%B8%89%E5%B0%8A

阿弥陀三尊(あみださんぞん)は、仏教における仏像置形式の一つである。

阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍[1]観音菩薩と、右脇侍[1]勢至菩薩を配する三尊形式である。根拠は『無量寿経』・『観無量寿経』である。

 

・・・・ その6 に続きます ・・・・・

 

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2017年4月 5日 (水)

バギオの地元の女を口説いたら、西田幾多郎を知っていた? 何者だ!

先日のこと。
日本からの客人がバギオに来たんです。

目抜き通りのバーで、3人で飲んだんですが、その客人の一人が
なかなかの人で、バーのお客だった地元の女性を口説いたんです

で、ライブ・ハウスに一緒に行こうって話になって、
3人で行ったんですが、いろいろ話を聞いているうちに、
そのフィリピンの女性の口から 「ニシダキタロウ」という
日本人の名前が飛びだして来たんです。

5img_1498

この女は何者だ!?・・って思ったんです。
はい、日本の有名な哲学者「西田幾多郎」です。

大学の先生だったという自己紹介は聞いていたんですが、
もうびっくり仰天。

大学で何を教えていたんですか?」

「哲学と倫理です。」

「へえ~~、西田幾多郎を知っているフィリピン人に
 初めて会いましたよ。」

「今度 セントルイス大学で哲学の教授たちが集まって
 学会があるんですけど、来ませんか?」

「とんでもない。 私が勉強していたのは45年も前の
 ことだし、フッサールの現象学なんてのを3日やって
 脱落しましたからねえ・・」

Img_1487

・・・いやはや、そんなところに出て行っても
まんず理解は不能だな・・・
内容的にも英語的にも・・・

ってことで、お断りしましたけどね。
なかなか理知的な感じの女性で・・・電話番号聞くの忘れた・・・

私が二十歳の頃でした
哲学を真正面からやっていたというより、哲学っぽい
一般向けの本をかじっていただけなんですけど。
まあ、「かぶれ」ってやつですね。

覚えているのは、
亀井勝一郎、小林秀雄、三木清、西田幾多郎、プラトン、
カント、デカルト、ショーペンハウエル、ニーチェ 等。

その中で、今でも印象に残っているのは
亀井勝一郎の「愛の無常について」、
西田幾多郎の「哲学概論」、そして、
ショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」でした。

まだ二十歳の頃の私は、この三冊だけで、宇宙を手に入れた
ような気分になっちゃったんですねえ。

おそらく、埼玉の自宅の本棚の奥底に、その頃に一所懸命 本から
書き写した 汚い手書きのノートが眠っている筈です。

・・で、それじゃあ、西田幾多郎の超有名な「善の研究」を
読んだのかって言うと、それは挫折。
枕になっただけ・・・・

カントの「純粋理性批判」なんかをまともに読んだのかって
言うと、これも敢え無く撃沈ですから、まあ、私の頭は
その程度のものだったってことですね。

Img_1490_2

・・・・・

たまたま、2日ほど前、NHKでこんなものをやっていました。

NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
豆腐が、生き方を教えてくれた
http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0403/index.html

豆腐屋さんなんですけど、まあ、凄い人ですね。

生きているのか。 死んでいるのか。」ってのが突きつめた
人生の判断基準なんですね。

「成功していることが幸福ということではない。」

・・・・これは、私はすっと胸に入って来ました。

この豆腐屋さんは、早稲田大学の政経学部卒で、大手への
就職も決まっていたのに、嫌いで堪らなかった家業を
自分が潰してはならんってことだけで家業を継いだけど、
「死んでいた」って言うんですね。

そして、豆腐というシンプルなものを作る中に
面白さがあることに気が付いて、それ以来「生きて」いて
「幸せだ」ってことらしい。

その豆腐屋さんが、凄い読書家で、それも哲学書なんですね。

私は、プラトンじゃなくて、アリストテレスだ、って言ったんです。

プラトンは一元論。 アリストテレスは多元論。

この豆腐屋さんは、自分はアリストテレスだって言うんです。
人にはそれぞれに、様々な人生があって良い、それが幸福だ。
豆腐の豆には それぞれの良さがある。
これが一番だというものは、それぞれの豆にあるってんです。

私の理解では、一元論は一神教。 多元論は多神教。

私が二十歳の頃は、プラトンが好きでした。
しかし、今は、この筋に沿って言えば、アリストテレスになって
しまっているかもしれません。

・・・・

そして、その翌日・・・・

一所懸命哲学をかじっていた頃に、出会った一冊です。

NHK 100分de名著
「人生論ノート」 三木清
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/64_jinseiron/index.html

私が読んだ当時は、三木清という人がどういう人だったかという
ようなことは知らず、今みたいにインターネットで ささっと
人物像が分かるような時代じゃなかったんで、改めてそういう
人だったのかとテレビで今頃知ったわけ。

テレビでは、この本は難しい、難しいと言っていたんですが、
その当時の私は、良く理解していたつもりになっていましたねえ。
一所懸命 ノートにも書き写しました。

その著者の背景を知ると、それなりの読み方ってのがあるんでしょうね。

・・・でも、私は、本というのは著者の手を離れたら読者のものだ
って思ってますからねえ。 そのように理解するしかないっすね。

馬鹿な奴には馬鹿なりの、利口な人にはそれなりの・・・・
それで許していただきましょう。

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・・・で、今回思ったのは、
自分は昔の自分ではないってことです。

記憶を辿れば、勿論自分は自分として継続的な存在ではあるんで
しょうが、脳細胞もいろいろ複雑に展開してきたり、最近は
委縮してきたりしてんでしょうから、45年前の自分と同じで
あるわけがないですもんねえ。

でも、上に書いた豆腐屋さんと同じく、(レベルは段違いだけど)
今の私は「生きて」いて、「幸せ」だなあと思います
結局、金や物に興味がなくて、「成功」は無しでしたけどね。

私が二十歳の頃に心に刻んだのは、

耳を澄まして生きていこう」・・・でした。

感性に乏しい自分自身に言い聞かせた言葉です。

・・・なんか、既に、「この世とおさらば」モードですね。

あはははは

 

 

 

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2017年1月28日 (土)

この写真 どうやって撮ったの?  95歳のお婆ちゃんの疑問・・・

先日 こんな写真を 大家のお婆ちゃんにプレゼントしたんです。

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・・そしたら、随分 喜んでくれたんですけど、

「あの写真、どうやって撮ったの?」 って疑問がお婆ちゃんから・・・・

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お婆ちゃんの娘さんも そんな質問をされて、なかなか理解されなくて困ったと笑っていましたが・・・・

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これは、お婆ちゃんが 若かりしころの写真。

この見目麗しい女性が・・・昨年の12月に95歳の誕生日を迎えられまして。

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今は、このようなお姿でいらっしゃるわけです。

なかなかの美しさだと思います。

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このお婆ちゃまがですね、なんと10人の子持ちなんですね。

(お一人は亡くなっていて、今は9人)

昔のお母ちゃんは偉かった・・・つくづく思います。

今のフィリピンもカトリックということもあって、結構な子だくさんではありますが、日本と同様にかなり少なくなってきているようです。

その9人の子供たちが、もちろんそれぞれに家族を持っていて、95歳の誕生日に 大集合をしたというわけです。

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こんな感じで 200名以上の親族、友人、知人が集まっての大パーティー。

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この会場に集まった 子と孫は、これだけなんですけど、アメリカなどに居て 参加できなかった家族を含めると 総勢70人を超えるんだそうです。

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その子や孫からのプレゼントが こんな演出。

アメリカからやってきた サンタクロースさんです。

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ライオンズ・クラブとか ロータリー・クラブという成功者の団体がありますが、その女性版とでも言える ZONTAクラブというのがありまして、以前は その団体の会長も務めたお婆ちゃん。 ご挨拶の列が出来ました。

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さらに、さらに・・・こんな楽団まで・・・・

これはバギオ大学の楽団で、このメンバーの中に教授が3~4人ばかり参加しているとか。

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このお婆ちゃん、95歳ということは、戦争中は二十歳をちょっと超えたお年頃の時期だったわけです。

そして、その頃に、ある村の村長をしていた父上は、日本の占領軍によって指名されていた村長ということもあって、抗日ゲリラに拉致され、そのまま帰らぬ人となり、その他の親族も行方不明になったという苦難の経験を持つお婆ちゃんなんです。

さらに、かの悪名高い「バタアンの死の行進」で捕虜となった男性を、父上が収容所から解放してあげて、自宅に住まわせたのがロマンスの始まりで、結婚

捕虜収容所から解放される為に御主人がアピールしたことが、「私は先の東洋オリンピックの東京大会でメダルをもらったんだ」という陸上選手だったことでした。

その御主人がバギオ市警察の副署長へと出世して、10人の子をもうけたという物語。

・・・・

今は、健在の9人の子供家族のうち、5家族がアメリカ在住という大家族。

ひとつの ビッグ・ハウスから 世界に飛び出すフィリピン人と言えば、出稼ぎ大国フィリピンとしては当たり前なのかもしれませんが、いつも忙しく動いて廻る このお婆ちゃんのバイタリティーなくしては、この家族はなかったんだろうなと 感服するばかりです。

・・・・

それにしても、今後のアメリカ・・・・

排他的な政策を矢継ぎ早に繰り出す大統領の政策が、この幸せな家族に襲いかからないことを祈るばかりです。

お婆ちゃんの次なる目標は 「100歳の誕生日を祝う」こと。

お婆ちゃんはいけそうな感じなんですが、私の方がそれを見届けられるかどうかが 怪しい今日この頃。 笑

・・・・・・・・・・・・・・・・

この合成写真のプレゼントをする前に、娘さんから 「お婆ちゃんは 去年の12月に 95歳の誕生パーティーをやったことを 覚えていないのよ・・・・・」って話を聞かされたもんですからね・・・・

その大パーティーを忘れないようにするって意味も含めて、お婆ちゃんが御主人と一緒に 戦後にバギオ市に建てたビッグ・ハウスを背景にした 大家族の合成集合写真をプレゼントしたってわけです。

つまり、最近の私と同じで、外付けメモリーを追加したってことですね。

 

・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

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