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2020年6月11日 (木)

親鸞さんから空海さんに宗旨替えってどうすんの? - その5 竹村牧男著「空海の哲学」

 

親鸞さん(浄土真宗)から空海さん(真言密教)に宗旨替えってどうすんの?

 

 

親鸞さんから空海さんに宗旨替えってどうすんの? - その5 竹村牧男著「空海の哲学」

 

 

二冊目の本を読んでいます。

竹村牧男著の「空海の哲学」です。

小説家でもなく、密教の僧侶でもない著者の

いわば中立的な学者さんがどのように書いているのか

を読んでみたいと思ったわけです。

 

元々、何故 こんな本を読むことになったのか、その事情に

ついては その1 のページでお読みください:

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2020/06/post-0369e4.html

 

なんとか自分自身をむりやり納得させるための

右往左往だとご了解いただければ有難い。

 

004_20200611200601

 

p177

 

ともかく「即身成仏」の語は、総体的にみれば、

「即身に成仏する」という読みになるものの、

詳しく分析して読めば、

  •  「即ちの身、成れる仏の義」

(この身はすでに成就している仏である)

  •  「身に即して仏と成る義」

(現世のこの身において仏となる)

  •  「即(すみやか)に身、仏と成る義」

(即時に仏となる)

 

といった意味が籠められているのである。

・・・三種ともに正意であるとの理解が妥当で

あろう。

 

==>> 同じ表現の言葉であっても、いろいろと

     含蓄が深い言葉であるようです。

     「即」の意味が多様だということですね。

 

p179

 

このように、「身」という一語をとっても、簡単では

ない。 それはむしろ、一身に無量身を聚集している

という、いわば曼荼羅即自己のことを表すものでも

あるのである。 このとき、「即身」の「即」の字の

意味も、「他者と相即している」の意の「即」でも

ありうることが理解されるべきであろう。

 

==>> 当たっているかどうかは分かりませんが、

     人間の身体そのものが宇宙と相通じている

     ようなイメージでしょうか。それが

     仏様たちの曼荼羅に表現されていると・・・

 

p189

 

空海は「十六生とは、十六大菩薩生を指す」という。

この意味は、十六大菩薩の功徳が現れる(顕生)という

ことを意味しているのだというのである。

・・・ この教証の意味を簡単に述べれば、密教の修行

をすれば、現世のうちに成仏を果たし、その後は

もっぱら利他の活動に励むということである。

なお、十六大菩薩とは、金剛界曼荼羅にみられる、

大日如来を取り囲む四仏のおのおのに協働している

四菩薩のことである。

 

==>> ここでは、密教の修行をすれば・・・と

     言うところが凡人にはどきっとする点

     ですかねえ。

     私は いち抜けたってことなんですが。

 

 

p216

 

密教の経典において六大が説かれていることは、

・・この六大は、密教においてだけでなく、顕教の

経典においても説かれていることを示している。

仏教では、五蘊・十二処・十八界等はよく出るものの、

六大はさほど出ないので、仏教の教えではないのでは

ないかと怪しむ者のために用意したものであろう。

 

 

P230

 

「上は法身に達り、下は六道に及んで」とは、仏教で

考えている世界、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・

声聞・縁覚・菩薩・仏の十界のすべてということである。

そこには粗・細、大・小、種々さまざまな現象が存在

しているがそのすべては、六大を出ないという。

この六大については空海はここに、じつは法界体性で

あると念を押すのである。

 

P231

 

地大・水大・火大・風大の四大、さらには空大を

含めた五大は、顕教では物質界を構成する元素のこと

という。 これらは心を持たないので非情とされる。

しかし密教では、一見、物質界を示すと思われる五大

は如来の三昧耶身であると説く。

要は、世界は仏身にほかならないということである。

 

==>> ここでは、空海は 物質と心は

     別物ではないということを言いたいのだ

     そうです。 

     上記の五大に 心大を加えて六大と

     呼んでいるようです。

 

 

P241

 

絵図が曼荼羅なのではなく、本来、曼荼羅の原意は、

一切の集合体のことと見るべきである。

身には聚集の意味があるので、それはただちに曼荼羅

を意味すると解して問題ない。

よって法曼荼羅とは、教法の全集合という意味になる。

教法には、所説法(言葉で説かれた教え)と所証法

(言葉による表現以前の真理そのもの)とが含まれ

うるが、要は教法にかかわる言語のすべてである。

 

==> 曼荼羅とは集合体のことでしたか。

    私は例の絵図のことだと思っていました。

    

P241

 

次に印とは「種類の幖幟、即ち三昧耶曼荼羅なり」とある。

諸仏諸尊の持ち物である刀剣や蓮の花や五鈷杵やらの

全集合ということになる。

これらは、諸仏諸尊の本誓を象徴するものであり、

その集合とは、むしろ本誓の全集合、衆生救済の願い

の全集合ということになろう。

それが三昧耶曼荼羅なのである。

 

==>> まあ、こういう言葉はこのようにきちんと

     解説をしてもらわないと分かりっこない

     ですね。

     つまりどんな仏さんがどんな道具を持っている

     かで、その専門分野が分るってことに

     なりますか。

 

P251

 

仏教では衆生の行為(業)について、身・語・意の三業と、

その三方面から見ている。 しかし密教では、仏の行為を

三密と呼ぶ。 なぜ業と言わずに密と言うかといえば、

それは、一般の衆生はもちろん、大乗仏教で相当高位に

上った菩薩でも見聞することはできないからという。

この空海の説明のなか、法仏の三密とある。

この法仏は、必ずしも自性身に限定されず、四種法身

(自性身・受用身・変化身・等流身)を意味すると

解釈することもよいであろう。

 

==>> 空海さんは 実にハードルを高くする人の

     ようですね。高位の菩薩でも分からない

     真理の世界があるって言っているわけですよね。

 

P252

 

身に印を結び、口に真言を唱え、心は三摩地に住する

のは、一定の型を取るもので、有相の三密である。

また、衆生にも四種方身が内在していて、そこに仏の

三密がはたらいている時、仏と衆生の区別はなくなる。

そこで仏の相も衆生の相もないということで無相の

三密と言われるとのことである。

 

==>> 上記の表現とここの表現は 私には相反する

     もののように見えるんですが、どう理解

     したらいいのでしょうか・・・・・

 

P254

 

手に印契を作し、口に真言を誦することは、理解

しやすいであろう。「心、三摩地に住す」るとは、

阿字観や月輪観や五相成身観などの、密教の観法を

修することであり、具体的には師に就いて学ばな

ければならない。衆生がこの有相の三密を実践する

とき、仏の三密と相応して一体になっていく。

この優れた行法によるとき、小悉地ではない、

大悉地、すなわちあらゆる徳を具足した大日如来

そのものとなるのである

 

==>> おお、ここで、速習コースの案内が

     出て来ました。

     つまり、ライセンスを持っている

     先生に特別講座をやってもらって、

     直接指導を受けないと大日如来には

     会えないってことですよね。

     これって、オンライン講座でも

     いいんでしょうか・・・・笑

     私が空海はビジネス・クリエーターだと

     思うのは こういうところなんです。

 

P256

 

印する、もしくは加持するということも、

具体的にどうすることなのかは私には不明であるが、

師に就いて学ばなければ知られないであろう。

 

==>> この著者、学者さんは実に正直ですね。

     上に書いた速習コースをきちんとした

     先生から実践的に教えてもらわないと

     解説はできないと言っているわけです。

     こういう謙虚な学者さんはいいですね。

     解らんことは分らんと言うのは

     なかなか勇気のいることだと思います。

 

P259

 

諸仏がともに行者にはたらきかけ、行者はそれを

受け止めることから、成仏がすみやかに実現する。

「乃ち十地・等覚・妙覚に至るまで」とあるが、

・・・密教では初地で成仏するので、初地以降の

階梯は必要ないはずであるが、懈怠驕慢の者を教化

する方便として、十地等の階梯を経る姿を示すのだ

という。

 

==>> この点は私も同感です。

     凡夫は即身成仏した後にも多くの

     ランクがあるから修行を続けないと

     いけませんって言っているんですけどね。

     成仏してもうかうかしていられないようです。

 

P261

灌頂は、本来、太子が国王に就任する時の儀式であり、

仏教ではこれを仏と成る時によせて象徴的にいわれてきた。

密教では実際にこの灌頂の儀式を、結縁灌頂、受明灌頂

(学法灌頂)、伝法灌頂等として、種々とりおこなうよう

である。 また、実際の儀礼を伴わず、心から心へ、

秘密裏におこなうこともあるという(以心灌頂)。

なお、灌頂の儀式の際に授法の師となる人を、密教では

阿闍梨という。

 

==>> 灌頂とか阿闍梨という言葉はよく聞く言葉

     ではあったんですが、こういう意味が

     あったんですね。

     もし真言宗の檀家になったら、ここでいう

     結縁灌頂ってのをやるんでしょうか。

     最澄は空海から灌頂を受けたそうですが、

     結縁灌頂だけだったんでしょうか。

     受明灌頂は別名弟子灌頂というそうですから、

     おそらく最澄は結縁灌頂だけを受けたの

     でしょうね。

p269

 

「三密金剛」とは、「三密である金剛」「金剛に

ほかならない三密」のことである。

金剛はダイアモンドのことで、堅固と能破の意味が

ある。 三密の無明・煩悩をよく断ち切ることを

金剛と称したのである。

 

==>> ここは言葉の意味の解説なんですが、

     こういう解説が延々と続いています。

 

 

p271

 

「加持」」とは、「互相加入・彼此摂持」と言われて

いるわけだが、これを別の観点から、加は如来の

大悲、持は衆生の信心と説明している。

 

==>> 加持祈祷の加持の意味です。

     今までは漠然と ああいうもの という

     感じで見ていたんですけど。

 

p272

 

行者は、この道理の趣きをよく考察して実際にこの行に

取り組めば、如来の三密と衆生の三密が一体となって、

この身にすばやく、自己自身に本来具わる仏身の全体

を実現し体得する。 仏身がここでも三身として

表現されていて、普通には自性身・受用身・変化身の

三身が想起されようが、密教では三身=三密=三宝=

三秘密等、なんとも融通無碍である。

いずれにしても、成仏するのである。

 

==>> 仏教の本に出てくる言葉は、これに限らず

     ひとつの意味を表す言葉がたくさんあって、

     これとこれとこれは同じ意味ですよと

     解説されていたりするんですが、

     これが頭の中の混乱を引き起こす大きな

     要因だと思います。

     まあ、経典を書いた本人にしてみれば

     微妙な違いを表しているんでしょうが。

 

 

p279

 

真言の最後の「莎呵(ソワカ)」は、これを唱えるとあらゆる

ことがすべて円満し成就するという。

 

==>> なんとかソワカの意味です。

     漢字辞典でみてみると 「莎呵(ソワカ)」の

     莎: はますげ。かやつりぐさ科の多年草。

     呵: しかる。せめる。大声でどなる。

ふく。息をふきかける。また、

息をふきかけてあたためる。

     ・・という意味になっています。

 

 

p284

 

大日如来は、およそ衆生の心のはたらきは本来、無数多彩な

智慧のはたらきであることを証得している根源的な

覚者である、と言いたいのであろう。

「我は一切の本初なり」とは、直線的な時間をさかのぼって

もっとも初めの存在であるというのではなく、

時間を超えて、そもそも本覚そのものだという意味である。

・・・その大日如来の内証の智と同じ智を衆生も具有して

いるのである。

・・・しかしながら、衆生はこの事実を覚知していない。

そこで仏は、この道理、人間存在の構造の趣を衆生に

教えて自覚せしめるのだという。

 

==>> ちょっと飛躍して空想して、

     宇宙論的なたとえをするならば、

     人体は宇宙と同じであるけれども、人間は

     そのことを知らない。だから宇宙そのものである

     大日如来さんがそのことをいろいろな手続きを

     経て教えてくれるんだよ・・・ってことかな?

 

Form182

 

 

 

p286

 

因果と縁起は、同じようでじつは異なる。

仏教の縁起では、因があってもそれだけで必ず果が

実現するわけではなく、そこに縁が関わることによって、

果の成不成も決まると考える。

しかもすべての事物等は他を待って初めて存立しえていて、

故に無自性・空である。 空を本質・本性としているが

故に、その本性は不生・不滅であり、本来寂静・自性涅槃

である。 その本不生において無数の現象も成立している

のである。「因果を楽欲する者」はこの道理を解りえていない

のである。

 

==>> こういう言葉が出てくると やっとお釈迦さん

     が唱えた仏教の話だったんだなと思いだします。

     今まで何年もかかって読んで来た仏教の本とは

     密教はかなり違う表現ですからねえ。

 

p293

 

空海が一切智の語に読む意味は、一切の対象を知る智

という顕教の一切智智の意味とは、内容が全然、異なって

いるのである。

 

==>> こういう話になってくると、

     空海の密教の本を理解するには 専用の辞書

     が必要になってくるみたいですね。

     それほど空海は 新しいコンセプトに基づいた

     クリエーターに見えてきます。

 

p308

 

この諸仏諸尊の無量・無数の三密が交響するダイナミックな

世界こそが、空海における内証の世界のまさに原風景なので

あろう。 如来の内証の世界としての曼荼羅を、けっして

平面上の静止した姿のみでとらえるべきではない。

 

==>> 日本の観光ブームの中には、お寺の仏像などを

     拝観してまわる、信仰というより美術鑑賞の

     ツアーなんかもあるわけですが、

     曼荼羅の見方としては、もちろん邪道なんで

     しょうね。

 

     「交響」という言葉でふと思ったのですが、

     密教というのは音楽みたいなもので、

     実際にその音楽を聴いてこその宗教であって、

     一方、顕教というのは、楽譜だけを読んで

     その音楽を理解しようとする感じなのかなと

     思えます。

     もしそうだとするならば、

     楽器を使わずに、頭の中で音楽をイメージし、

     いきなり楽譜に落とせる作曲家というのは

     正に空海みたいな人なのかもしれない

     などと空想するわけです。

 

     だから、凡人は、楽譜を読むだけじゃ

     密教は理解できないんだから、ちゃんと音楽を

     聴いて、それも直にライセンスを持った

     師匠から手に手を取って教えてもらわないと

     正しい理解は出来ないよと言っているのかな

     などと思うわけです。

 

p313

 

空海のこの立場に立った「即身成仏」の語の読み方は

「(一切の他者と相)即せる身において成仏している」、

あるいは「(一切の他者と相)即せる身として成仏する」

といった読み方となるであろう。

したがって、前に揚げた即身成仏の語の三つの読み方

(に、このふたつの)

読み方も加えるべきである。

 

==>> p177で既に3つの読み方が書かれているん

ですが、即身成仏という言葉の意味には

     この学者さんの説では 5つの読み方と

     意味があるということになります。

 

p317

 

空海においては、あらゆる他者を自己とするということ

がくりかえし明かされている。 ・・・

密教においては、このようにはてしなく交響する宇宙の

なかに生かされて生きている自己の自覚が、

即身成仏においてもたらされるであろう。

 

==>> こういう解説だと、やはり音楽をイメージします。

     人々がひとつの音楽を通して カントが言う

     いわゆる アプリオリな何かを使って

     共感するような空間でしょうか。

 

 

<あとがき>の部分から抜き書き

 

p319

 

空海の著作は、言葉がむずかしく、じつは暗号(密号)を

用いていたりして、簡単に了解できるものではなかった。

 

p320

 

空海の著作を真に理解するには、事相(密教の観行)を

修しておくことが必須であるが、私はいまだ行じたことが

ない。 よって空海の説くところのすべてを余すところなく

了解することなど、とうていできない身に違いない。

・・・

私のように宗門の門外漢にとって、そのような空海の

著作を読むには大きな困難がともなわれているのが

実情である。

 

==>> この著者の この謙虚さは素晴らしい。

     私のような初心者にとっては、このような

     「門外漢」である学者の解説は非常に

     理解を助けてくれるものであると思う。

 

これで、司馬遼太郎著の「空海の風景」と

竹村牧男著の「空海の哲学」の二冊を読んだことに

なりますが、私としては、まだまだ頭の中が

混乱状態にありますので、ここは三冊目で

初心者用の入門の本に立ち返ってみたいと思います。

 

三冊目は、

福田享成著の「知識ゼロからの 空海 入門」という

空海の概要をコンパクトにまとめた本です。

 

 

========= その6に続きます ============ 

(ですが、仕事が入ったので、しばらく時間がかかります。)

 

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2020年5月30日 (土)

作者選 19首: 狂歌でストレス解消 - 新型コロナウイルスの都市封鎖、自己隔離 

 

フィリピンで3月中旬に始まったロックダウン。

私が住んでいるバギオ市でも60歳以上は厳格な外出禁止となりまして。

暇つぶしに 4月から 短歌とも言えぬ狂歌を作り始めました。

4月13日にバギオ市を出て、埼玉に一時帰国中。

そして4月・5月の二か月で 読んだ狂歌は302首。

その中から 作者自身が19首を選びました。

これらは、女房殿が選んだ笑い中心と言うよりも、

他の人には伝わりにくい 作者の個人的な想いが込められた狂歌です。

 

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最近は真言密教をお勉強中なので・・・・

 

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素粒子に意識があるという説まで 最近は出ているようです。

 

 

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私がまだニ十歳そこそこの頃、

福岡の国立癌センターでのこと。

 

 

 

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父と姉兄は満州からの引揚者。

父の名前に「民」という文字が入っていまして、

上記の「民」には 国民と言う意味と、父の「民」を

重ねています。

 

 

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我が身が 宇宙に散らばる星々によって作られて

いるようなものだとは・・・・

 

 

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カミュ著「ペスト」に出てくる人物。

ランベールはあの手この手で封鎖された町からの

脱出を企てる・・・

 

 

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「サピエンス全史」「ホモ・デウス」などを書いた

ハラリ氏の視点は 鳥が地上を俯瞰しているというよりも

地上を離れた宇宙人の眼のように感じる。

 

 

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4月13日にバギオ市から羽田空港に到着。

その日はサンプル採取だけで自宅に隔離。

5日後の日曜日夕方に保健所から電話連絡があった。

 

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フィリピン・バギオ市では厳格な都市封鎖の中で

一か月間を過ごし、その後日本でも 2週間の自宅隔離。

そして、その後は、ご近所散歩のみ。

 

 

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若い頃は ホームステイの留学は 夢のまた夢だった。

 

 

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2020年のボランティア・イベントは

すべて来年に そのまま延期か・・・・

 

 

Form134

 

親の宗旨は浄土真宗。 それで育った私も親鸞を中心に

本を読んできた。 が、ここに来て、終活でお墓を買ったら

そのお寺さんは真言宗。 空海さんの真言密教を勉強中。

 

 

Form157

小学校で勉強を始めて間もなく 強度の近視になってしまい、

なにもかもがぼんやりと見えていた。

それが性格にまで移ってしまったのか?

 

 

Form186

居酒屋でのふとした言葉が お互いに生きるヒントに

なることだってあるのです。

 

 

Form194

 

天台宗の最澄と 真言宗の空海の関係については

いろんな本が出ていますが、いまひとつすっきりしなかった。

しかし、真言密教のある本を読んでいたら 顕教と密教との

渡れぬ橋が見えて来た。

 

 

 

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浄土真宗と真言宗は 真逆のものに見えていたものが、

苫米地氏の本を読むと 漠然とした共通点が見えてきた。

 

 

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若い頃から ド近眼で ぼ~~としていた私は、

「耳を澄まして」生きていこうと、そして「慌つるな」を

座右の銘とすることにした。

 

 

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瑞々しくありたい紫陽花は、6月の雨を待っているようです。

 

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女房特選22首: 狂歌でストレス解消 - 新型コロナウイルスの都市封鎖、自己隔離 

 

フィリピンで3月中旬に始まったロックダウン。

私が住んでいるバギオ市でも60歳以上は厳格な外出禁止となりまして。

暇つぶしに 4月から 短歌とも言えぬ狂歌を作り始めました。

4月13日にバギオ市を出て、埼玉に一時帰国中。

そして4月・5月の二か月で 読んだ狂歌は302首。

その中から うちの女房殿が22首を選びました。

主に、笑える狂歌と言うことで選んだものを 並べてみます。

 

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2020年4月26日 (日)

顔の無い夢のお話 「旧道のカフェ」

 

 

顔の無い夢のお話

「旧道のカフェ」

 

 

<この話は4月26日の朝にかけて、私が見た夢を書き出したものですので、

 始めっから支離滅裂であることにご留意ください。>

 

 

私にとっては非常に珍しく ストーリーをはっきり覚えていた夢を

そのまま書き下ろしてみます。

私が創作して追加したものは一切ありません。

 

 

 

場所はどこであるのか、そして誰と集まっていたのか、それは知らない。

しかし、時刻は夜の11時だった。

 

私は数人の人たち、顔の無い人たちと一緒で、会社の帰りなのか、

それともなんらかの集まりなのか分からないが、ともかく、それを

終わって、どこかに帰ることになった。

 

もうすでに11時であるから、電車もバスもないだろうと途方に暮れた。

なぜそう思ったのかもわからないが、おそらくそれは田舎町だという

設定があったのだろう。

 

既に終電もなく終バスもないという観念が私に歩けと命じていた。

近くに電車の駅あるいはバスの停留所があるかの確認もしないままだった。

 

私には「とりあえずあそこまで歩かなくては」という思いがあった。

それは、その町の新道である広い目抜き通りにT字路となってぶつかっている

道を探すことだった。

 

そのT字路の突き当たった先には、崖があって、その崖の上には

旧道の細い道があるはずであった。

 

私は運よくそのT字路に辿り着いた。

そして、その突き当たった先には、コンクリート舗装された広場の

ような処があって、ここから旧道にはどう行けばいいのかと迷った。

 

その広場には3匹の黒っぽい犬がばらばらに離れて立っていた。

日本犬のような割と大型の犬だった。

犬たちは唸り声もあげず、静かに近づいてきた。

 

私は、恐怖を覚えたので、手に持っていた懐中電灯を点け、

一番近いところに迫ってきた犬の顔にその眩しい光を当てた。

 

すると遠くに黒い人影が現れ、その人影がなにか声を掛けた。

男なのか女なのかも分からない。

声は聞こえなかったが、声があったのだ。

私に迫っていた犬はそれ以上は私に近寄らなくなった。

 

ホッとした私は、暗がりの先、左の奥に、旧道へ繋がっていると

思える道筋を見つけた。

 

その旧道への入口は、崖になっていた。

おそらく、広い新道は昔は海であったのだろう。

そして、この崖の上の旧道こそが昔の本道だったに違いなかった。

 

旧道の入口付近は、工事中であった。

道幅は軽トラックがぎりぎり通れるほどの幅しかなく、

その道の真ん中部分はV字型に深く浸食されていた。

車はそのV字型の溝の両側に車輪を通してゆるゆると走るしか

なかった。

 

そして、その道の車輪がとおる部分には補強の石が積まれていて

その上がネットで固定されていた。

 

私は、そのV字型の溝に落ちないように、ゆっくりと歩いた。

 

旧道沿いには、いかにも古い家々が昔の海、つまり新道に向かって建っていた。

コンクリートの家はなく、すべて木造で朽ち果てていた。

ペンキで塗られた家もなかった。

 

その道筋のところどころには、その古い家並みをそのままに活かした

こじゃれた小さな店もいくつかあった。

 

しばらく細い旧道を歩いていると、崖から少し離れるように

右側に道が曲がり、そして、さらに左側に曲がって、

そこに道を塞ぐように家が建っていた。

 

その家を通らなければ崖の下の新道には降りられない。

 

進んでいくと、そこはカフェであった。

 

右側には崖があって、板が張ってあり、左側にその店はあったが、

店の中を通らなければ 階段を降りられない。

 

「すみません、お店やってますか?」

 

「はい、やっていますよ。」

 

顔を最初にみせたのは 婆さんだった、と思う。

しかし、どんな顔だか分からない。

 

なにかを注文しなければ、そこを通過できないような雰囲気だった。

 

「メニューを見せてもらえますか?」

 

「はい、これです・・・・」

 

メニューを持って来たのは、若い女だった。

しかし、どんな顔だか分からない。

 

顔が分からないのに、なぜ婆さんだったり、若い女だと分るのか、

それも分からない。

そこには映像はなかったが、意味があった。

 

メニューにはろくなものは無かった。

 

仕方がないので、カレーライスとビールを頼んだ。

特に何かを食べたいと思ったわけでもなかった。

 

カフェの家は、まさになんの飾りっけもなく、

家じゅうがセピア色だった。

古ぼけた木肌が風化で侵食され、文様を浮き上がらせていた。

 

ウエイトレスの女が、カレーライスとビールを無造作に

私の前に置いた。

 

私はなぜか、座敷のようなところから、婆さんのいる土間

のようなところを見下ろすように座っていた。

店の中には椅子は見当たらなかった。

 

私がビールを飲んで、カレーを食べようとすると、

そのウエイトレスが 私の背中に張り付くように

座っていた。

 

背中に貼り付かれているとカレーが喰えないじゃないかと

イラッとしたが、土間にいる婆さんと少ししゃべる

ことにした。

 

「この旧道はなかなか面白いところですね・・・・」

 

婆さんが何を言ったか分からない。

しかし、

 

「この道筋には アーティストが何人かお店を出していますからね・・」

 

と言ったような気がした。

 

「そうなんですか。 それでなんだかお洒落な感じだったんですね。

 私が住んでいるフィリピンにも面白い街がありましてね。

 まあ、アーティストの街という雰囲気の・・・・・」

 

・・・・

 

私の夢はここで終わった。

 

 

<以下はこの夢のベースになったかもしれない私の昔の思い出です>

 

 

この夢の元になったかもしれない私の記憶にあるものを掘り起こして

みるとこんなことがあるのかもしれません。

 

まず、この話の最初の場所がどこなのかはほとんど見当がつきません。

東京なのか、埼玉なのか、大分なのか、それとも我が故郷なのか・・・

しかし、広い新道にぶつかるT字路の手前の道は

おそらく我が妻の実家につながる道なんだろうと思います。

その道は実家から急な坂を下って、本通りにT字路に繋がっています。

 

そのT字路の正面、つまり3匹の犬がいた広場には、

観音様が祀ってあって、こんもりとした森のようになっていました。

しかし、私自身はその森の中で観音様を拝んだという記憶は

ありません。

その代わり、その森の裏側あたりの丘の上辺りで、

小学生だったころに友達と戦争ごっこで2B弾遊びをやっていて、

ボヤを起こした記憶があります。

 

そして、その観音様に向かって右側には豆腐屋さんがあって、

そこの息子は私の高校時代の同級生で文学青年でした。

 

広い本道、新道というのは、我が故郷を貫く広い道路で、

この道路が駅前や繁華街に繋がっています。

 

しかし、この夢に出てくる崖の上の旧道というのが

あるのかどうかは不明です。

夢の中にだけ出てきた道だと思います。

 

カフェについては、故郷に関わる記憶はありません。

しかし、あの店内の雰囲気に近いものとしては、

バギオ市にあるアートスペース兼カフェがもしかしたら

頭の中にあったのかもしれません。

 

そして、カフェの婆ちゃんと背中に張り付いた若い女についても、

まったく心当たりはありません。

本当です。 あはは

 

―― おわり ――

 

 

 

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2019年4月23日 (火)

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その8(完) 長崎・外海とハウステンボス

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 

- その8(完) 長崎・外海とハウステンボス そして 熊本城

 

World Cultural Heritage : Hidden Christian
Sites in the Nagasaki and Amakusa Region

http://kirishitan.jp/en

 

2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

その8は、過去に行ったことのない 長崎の外海です。

パックツアーの旅、ハウステンボスも込み込み・・・・・

ついでに、熊本城へも・・・・

 

 

2019年4月2日の朝・・・・

 

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生まれて初めての佐賀空港へ・・・

本来なら長崎空港直行なんでしょうが、これも良し。 

 

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桜も真っ盛り・・・ 

 

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川登サービスエリアで 「天ぷら」・・見るだけ。

 

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目的地は 長崎外海地区の世界遺産 出津の集落。

 

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私の本当の気持ちは、世界遺産の出津集落ではなく、

右端にかろうじて描いてある黒崎地区の枯松神社だったんですが・・・

 

と言うのも、隠れキリシタンの時代も、そして今も

神社とキリスト教が共存していると聞いたからです。

 

00-273

 

で、何はともあれ、出津教会堂。

この教会の背が低いのは 風当たりが強い場所に

あるからだそうです。

 

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この教会では、我々が内部を拝観した時に、

韓国語でのミサが行われていました。

 

 

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ガイドの方に伺ったところ、韓国からの巡礼ツアーの

団体だとの話でした。 

 

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出津の集落で有名なのは マルコ・アリ・ド・ロ神父です。 

 

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05-303

 

神父は村人の窮状を救うため・・・授産・福祉施設に私財を投じたそうだ。 

 

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この石積みの塀が特徴的なものだとのことです。 

 

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 ところで、「外海」(そとめ)とはどこなのかと言いますと

上の地図のように長崎市から北西に入った山々に囲まれた

ところで、隣の村へ行くにも大変なところです。

 

禁教時代に、全国から九州へ、九州から長崎へ、

長崎から外海、そして五島などの島々へと

隠れキリシタンの移住が進んだのです。 

 

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ここには 「沈黙」の遠藤周作文学館もあります。 

 

05-347

 

バスの車窓から撮影した 黒崎教会。

出津の集落は世界遺産に含まれていますが、

黒崎の集落は入っていません。         

 

https://www.at-nagasaki.jp/spot/1096/

1897年にド・ロ神父の指導で敷地が造成され、1899年から

建設計画が進行、1920年に完成した、遠藤周作の小説『沈黙』

の舞台ともなった黒崎の地に建つ教会。」 

 

05-362

 

「沈黙」の海が光っていました。 

 

私が外海に興味を抱いたのは、金鍔次兵衛の関連資料が

あるかもしれないと思ったからです。 

 

しかし、残念ながら、出津の外海歴史民俗資料館には 

私の目当てのこれというものはありませんでした。

バスの出発時刻が迫っていたので、ささっと見て廻ったん

ですけど・・・

 

https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/kibe187/densetsu/

「大村家の記録には、西彼杵半島の横瀬浦と面高から長与に

至るまで行われた「金鍔狩り」の様子が詳しく記されている。

その後、戸町の裏山の洞穴に身を移し、「金鍔谷」と

して知られるその場所から長崎の中心部に潜入した。」

 

耐久力があれば、この「次兵衛岩」に行きたいところなんですけど・・

https://blog.goo.ne.jp/rarirari-pinot/e/86be20943fc0d4d477a21d0e43cb9fe9

「外海の先、神ノ浦地区に「次兵衛岩」(その山中にも潜んでいた)

というのがあるのですが、そこへは山道を1時間以上登らないと

行けないそうなので、いつかはチャレンジしてみたいのです。

そこは金鍔岩とは言わなくて、次兵衛岩なんですけどね。

入口にはこんな案内板が立っています。」

 

・・・なぜ、この忍者司祭である金鍔次兵衛にこだわるか

と言うと、天正使節の4名、特に千々石ミゲルとの

接触が潜伏期間になかっただろうかと思うからです。

 

そして、もう一点は、隠れキリシタンの時代に

神社、寺などの年中行事に隠れキリシタンの人びとが

どのように関わっていたかを知りたいからなんです。

枯松神社のように・・・・

 

 

 

05-380s

 

そこで、この 諏訪神社(鎮西大社)なんです。

 

鎮西大社 諏訪神社

https://www.osuwasan.jp/

「長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かつて

長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社を、

寛永2年(1625)に初代宮司青木賢清によって、西山郷円山

(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりです。」

 

何と言っても有名なのは「おくんち」ですね。

https://www.osuwasan.jp/page0115.html

「一年でもっとも重要な祭典を例祭といいます。

当神社では107日~109日に行われる一連の祭典

がこれに当たります。

当神社の例祭は「長崎くんち」と呼ばれ、昭和5423

に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

荘厳な御神幸と国際色豊かな奉納踊により日本三大祭

と称されています。」 

 

そして、何かの本でも読んだことがあるのですが、

「長崎くんち」が始められた理由が興味深いのです。

これは、島原の精霊流しにも共通する理由なんです。 

 

「長崎くんちが始まった衝撃の理由とは?」

http://kininaru-trend.net/post-2635/

 

「この祭りを始めたのは、長崎奉行・榊原職直(さかきばら

もとなお)。武家出身で池上本願寺の僧となっていましたが、

徳川家康の命で「徳川四天王」の一人、榊原康政の養子と

なった人です。

長崎は、江戸時代を通じ幕府の直轄領で、幕府の奉行所が

置かれていました。


長崎奉行が「長崎くんち」を始めたのはなぜか?

その理由は、キリシタンの弾圧でした。

諏訪神社の祭礼(長崎くんち)を、長崎の町の神事と認定。

町民を神社の氏子にさせました。その背景には、キリシタンを

改宗させたり、弾圧する目的があったと言われています。」

 

・・・と言うことが歴史的にあるらしいので、


今年の日比友好月間イベントの「17世紀の日比交流」と

いうテーマの中で、どんなコンセプトにするか

悩みどころということです。

 

 

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長崎の港・・・そして出島

 

 

05-473

 

そして、長崎市で最初に行ってみたのが出島です。

 

 

03-419

 

異国人の靴が汚れないように、石畳にしたという話も

ありました。 

 

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これで見ると、マニラ以外にも、カガヤンやパンガシナンに

寄港していたというのが目新しい情報です。 

 

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こんなミニチュアの南蛮船を展示できたらいいん

ですが、金欠病なんで・・・・ 

 

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蘭学のことなどは 誰でも知っていることなんですが・・・ 

 

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「須弥山儀」なるものがあったなんて、初耳です。 

 

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出島の南蛮人や紅毛人は ビリヤードをやっていたらしい。
実際、現物が置いてありました。

 

 

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長崎も 春爛漫でした。 

 

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そして、夜には、 

 

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稲佐山の展望台からの夜景。 

 

この夜景ツアーのバスガイドのお姉さんにちょっと質問をしたんです。

何故かって言うと、ガイドさんご本人が長崎・外海地区の

出身だということが分かったからです。

それで、これ幸いと 今回のツアーで知りたかったことを

尋ねました。

 

「外海などに住んでいる隠れキリシタンの人たちは

 日本の伝統的な季節の行事、例えば七夕祭りなんかも

 普通にやるんでしょうか?」


「はい、一般的な年中行事はやっていますよ。」

 

ああ、これこそ聞きたかった言葉です。

なんとなく イベントのコンセプトをイメージできそうな

大発見になりました。

 

さて、パックツアー二日目の 4月3日・・・

今日は大浦天主堂、長崎平和公園からハウステンボスへ向かいます。 

 

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浄土真宗の境内からすぐ隣にある大浦天主堂をちらりと望む・・・

 

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その妙行寺のおニャン子ちゃん。

 

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こっちは、大浦天主堂の猫ちゃん。
後ろ足が不自由な猫ちゃんでした。 

 

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バスの車窓から撮影。

原爆で半分が吹き飛ばされたという鳥居。
分かりますか?

 

05-113

 

平和の泉から望む 平和祈念像。 

 

05-126

 

母子像 

 

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長崎市平和会館の展望台から・・・・

 

05-199_1

 

長崎の桜・・・ほぼ満開でした。 

 

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ランチタイムは、

角煮まんじゅうと皿うどん。

皿うどんには やっぱウースターソースですかねえ。

 

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さあ、佐世保出身なのに、今まで中に入ったことがない

ハウステンボスです。 

 

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何度も倒産の危機があり、HISに助けてもらった

大規模な施設。

 

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様々なアトラクションを 次から次に打ち出さないと

安定した経営は非常に難しいのでしょうね。

 

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こういうショーは、寒かったけど、一見の価値は

ありました。

 

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夜のライティングは素晴らしい。
絵画を見ているような・・・

 

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ハウステンボス内の 大村湾に繋がる運河は

素晴らしいものでした。

 

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ホテル・ヨーロッパは

パックツアーならではの格安設定。

 

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朝ごはんに シャンパン付いてます。 

 

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チェックアウトは ボートで・・・・ 

 

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展望台からヨットハーバーを見下ろす。

大村湾の一部です。

 

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自宅からボートでお出掛けの生活はいかがですか? 

 

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保育園の子供達もお散歩に来ていました。

 

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「天翔けるブーツ ~長崎での竜馬~」 観ました。 

 

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ミニ「宝塚」で、初体験。
田舎な佐世保で こんな歌劇を観られるとは

まさに驚きでした。

 

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もちろん 食べました。 佐世保バーガー。 

 

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ハウステンボスを一歩出たところに

「変なホテル」もありました。

外国人観光客に人気があるようです。 

 

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さて、ここから、私だけパックツアーを離れて

熊本へ向かいます。 

 

そして、 4月5日・・・熊本・・・

 

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熊本市国際交流会館での待ち合わせ。

 

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天草市の古楽器アンサンブル・グループ

「コレジヨの仲間」との演奏会の打合せ。

 

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目の前に熊本城。 

 

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熊本地震で大きな被害を受け・・・・ 

 

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建物の修復はあと2年ほど、

そして石積みの石垣は あと20年ぐらい掛かるとの

ボランティアガイドさんのお話でした。

 

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どの石垣がいつの時代に造られ、補修されたのかを

忠実に 元の材料で復元するのだそうです。

 

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熊本空港から羽田へ向けて・・・

熊本空港も初体験。

 

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さあ、東京へ戻ってきました。

(・・・・と、埼玉人は言う・・・笑)

 

おやすみなさい。 

 

― これで一連の 長崎・天草の資料探しツアーは終了です。 -

― お付き合い、ありがとうございました。 -

 

 

 

======

 

 

 

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2019年4月20日 (土)

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その3 上五島から佐世保へ

 

世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅 - その3 上五島から佐世保へ

World Cultural Heritage : Hidden Christian
Sites in the Nagasaki and Amakusa Region

http://kirishitan.jp/en 

 

2018年から2019年にかけて廻った隠れキリシタン

・潜伏キリシタンゆかりの地を見ていただきましょう。

 

その3はパックツアーで巡った 上五島の3日目。

五島で三つ目の世界遺産である、「奈留島の江上集落」がメインです。

 

では、お付き合いください。

 

05-019

 

お宿の朝の空には、ピーヒョロローと トンビが飛んでいました。

 

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そして、船着き場へ向かう車窓からは 柿の木が・・・

今日は11月3日です。

 

05-064

 

今日の我々の船はこれ・・・じゃありません・・・

 

03-257

 

はい、こちらの黄色い船です。

 

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向かっているところは、「キリシタン洞窟」です。

 

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「若松島・里ノ浦のキリシタンたちは、・・迫害を受けて、

船でしか行けないこの険しい断崖の洞窟に隠れた。」

とあります。

 

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その洞窟に近づきましょう。

 

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ぐるりと廻って反対側にキリストと十字架が見えます。

この後ろ側に洞窟があるそうです。

もちろん、当時は隠れ住んでいたわけですから

このように目立つものはありませんでした。

1967年にキリスト像が建てられたようです。 

 

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 そして、今でも、毎年11月にこのようなお祈りの

集まりがあるそうです。 

 

05-209

 

そして、船が到着したところは・・・・

「奈留島の江上集落」

世界遺産の3つめの集落です。

 

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木々に隠されたようなところにひっそりと建っている

江上天主堂です。 

 

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この江上地区には 1881年に長崎の外海地区から

4家族が移住した・・とあります。

 

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内部撮影は不可なので、窓から内部を撮影 

 

05-161

 

さて、次にどこに行くかといいますと・・・・

五輪真弓さんが関係あるとかないとか言われている場所。 

 

05-316

 

こちらのサイトで五輪真弓さんのルーツをご覧あれ・・・

http://oratio.jp/p_column/itsuwa-roots

 

 

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はい、その島にとうちゃこです。 

 

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子猫ちゃんがお出迎え・・・

 

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これが、旧五輪教会。 

 

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県指定の有形文化財になっています。

 

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なかなか趣のある教会です。 

 

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窓は、天然のステンドグラスのような美しさ。

 

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現役の新しい教会も建っていました。 

 

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子猫ちゃんのお母さん?にもご挨拶して島を離れます。

 

05-408

 

そして、小舟で向かうところは・・・・

 

 

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福江港ターミナル

 

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ホテルでランチ。

島ぶり・・・だそうな。

もちろん五島うどんもね。 

 

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そして、この高速艇で 長崎の港へ・・・・ 

 

05-500

 

長崎港に到着。

このパッケージツアーの3日間本当にほぼ快晴の天気で

嬉しい限りでした。

 

この長崎港で、私は家内と別れ、パッケージツアーから離脱して

一人旅になります。

長崎市から佐世保市の世界遺産・黒島へ行くためです。

 

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長崎―諫早―大村―ハウステンボスー佐世保へと電車は走ります。

 

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大村藩はかつてはキリシタン藩主の下で、キリシタン王国でしたが、

その後禁教令で厳しい弾圧へと変わった藩でした。

 

千々石ミゲルは、天正遣欧少年使節の一人でしたが、

棄教して、大村藩に仕えたということになっています。

 

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そして、佐世保駅に到着。

右に見える山は 烏帽子岳。

私が小学生の時から遠足などで何度も登った山です。 

 

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佐世保は、元々は寒村であった場所に、天然の良港があるという

ことで、鎮守府がおかれ、軍港になりました。

今は、佐世保駅周辺はすっかり模様替えをして

大型客船が入るようになっています。

ここから、ハウステンボスに向かうようです。 

 

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佐世保の我が家から真っ直ぐに広く見えていた港や山は、

今は駅前に林立する高層ビルやマンションで

すっかり隠されてしまっています。

昔は、佐世保港の大花火は全部見えていたのですが・・・

 

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しかし、駅前から少し歩くと、カトリック三浦町教会が見えてきます。

元々は1897年に別の場所に建てられ、その後1931年に

今の場所で、佐世保港を見下ろしています。

 

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この教会は、私が幼かった頃から気になる存在で、

時々遊びに行っては、内部を覗いたものです。

 

ちなみに、私の両親は浄土真宗でしたが、

母は結婚前には 東京で洗礼を受けていたと

言う話でした。

 

それに、母の弟であった私の鹿児島の叔父は、

浄土真宗であったにも拘らず、

キリシタンの歴史に詳しい郷土史家でした。

信徒の人たちが博物館に来たときには

キリシタンの歴史を教えていたそうです。

 

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久々の故郷なので、佐世保バーガーとともに有名とされている

「レモン・ステーキ」を食べに行くことに・・・ 

 

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ひと昔前に一度有名なお店で食べようと行ってみたものの

満員御礼で食べそこなった レモンステーキ。

仇をとりました。 

 

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この佐世保の老舗レストランは、カレーライスと

シュークリームで有名な 蜂の家。

勿論 シュークリームは欠かせません。

 

05-751

 

お隣の白ばらも昔からのレストラン。

佐世保名物「レモン・ステーキ」と一緒に

長崎名物「トルコ・ライス」もやっていました。

 

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米軍基地もある佐世保には、こんなお店もあります。

 

05-775

 

ホテルの近くには ちょっと気になるバーもあったんですが。

明日は朝が早いので、自粛・・・

 

05-767

 

ツアー3日目はこれで終了。

 

4日目は 世界遺産のひとつ、佐世保市の黒島に

行きます。 

 

― その4 - に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年2月22日 (金)

若桑みどり著「クアトロ・ラガッツィ」<下巻>を読む - その34 KYだったバウチスタと 間が悪かったサン・フェリペ号の土佐漂着

 

 

 

 

若桑みどり著「天正少年使節と世界帝国・クアトロ・ラガッツィ」

よんで、私が感じたことを ランダムに書いています。

 

005_2

 

p265

 

イエズス会贔屓のグレゴリオ教皇のあとを襲ったシスト五世

が「フランシスコ会は東インドおよび中国のすべての地域で

修道院や司祭館を建てることができる」という小勅書を

出したのだから、日本を中国の一部とすればフランシスコ会が

日本で活動することは合法的だという論法だった

 

p267

 

秀吉の書状は船長カルパハールがマニラにもっていったが、

・・・着いたのは1594年4月15日だった。

これに先立って、3月24日、総督はスペイン国王にあてて

手紙を書いている。

日本は今年でなければ来年襲ってくるであろう

まだ使節が返事を持って来ないが、監視を怠らず、要塞や

小砲を準備している。・・・セブ島に・・・昨年到着した

大型船サン・フェリペが停泊している・・・」

 

・・・刻一刻と、確実に、二十六人の殉教へとことが

運ばれていく・・・

 

=== フランシスコ会がマニラから日本に入った時、

    母国ではポルトガルがスペインに飲み込まれ、

    教皇が替わり、日本で既得権を持っていた

    イエズス会と 新参者のフランシスコ会などが

    すったもんだしていたんですねえ。

    それも、日本事情が分からないフランシスコ会だった。

 

 

p268

 

・・日本に返書がくるまでとどまっていたバウチスタ師らは、

自分たちが住む場所を秀吉に要求し・・・許可した・・・

彼らの家では説教したり集会をしてはならないと厳命・・・

しかし司祭らはおかまいなしに・・・

 

p269

 

その記録は・・・第一次史料だから・・

・・最初から公刊される目的で書かれたものではないので、

あまり政治的な配慮がない。 彼はバウチスタの態度が

いかに秀吉や武士たちを挑発するものだったかを教えてくれる。

 

p270

 

「会見に及んだとき、・・・通訳は「臣下として太閤に応答せよ」

と求めた。 ・・バウチスタは「わたしたちの国王および国民は

全世界の主である天主のみを王として認めるのであるから、

殿下に対して臣下として対するべきではない」と答えた。

太閤は激しい怒りとともに「マニラに帰れ」と言った・・・・」

 

p272

 

フランシスコ会は貧者の味方であり、慈善の精神をもつ宗派

であって、今で言うハンセン病棟のある病院を作り

貧者を救うことに熱心であった。

・・・秀吉の甥秀次さえ寄付をしたそうだが、秀次が秀吉に

切腹させられるとまずいことになった・・・・・

 

=== このハンセン病(らい病)患者については、  

    フィリピンの大学で使われている教科書にも

    次のように書かれています:

 

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2016/01/83-bacd.html

「1614年に高山右近に率いられたグループとは別に、

もっと多くの迫害された日本人キリシタンが、その後にも

マニラに到着した。1632年に、日本当局は、船一隻のらい病

患者の人びとをマニラへ送った。これらのらい病患者は、

フランシスコ会の修道士たちの下に置かれ、San Lazaro

病院でよく世話をされた。」

 

・・・ただし、これは徳川家光の時代だったようです・・・

 

「日本人移民の増加と減少

前述のとおり、1570年に、Goiti元帥はマニラで20人の

日本人を発見した。 1592年、秀吉の侵略の脅威があった

時には、フィリピンに300人の日本人居住者がいた

日本でのキリスト教徒の迫害と排斥にともない、マニラには

次々に日本人が落ち着くことになった。

1619年、日本人の人口は2,000人に達し、1612年

には、この数字は3,000人に増え、スペイン時代では

最高の記録となった。 」

=== ああ、ここでも編集がきっちりされていませんね。

    1612年じゃなくて、1621年でしょうね。

 

 

 

p273

 

・・・メキシコとフィリピンの場合、宣教師は強力に組織化

された国家や宗教を相手にしたわけではなく、・・スペインの

植民地であった。 しかし日本の場合はまったく事情がちがう

・・・フランシスコ会士はそのことを理解できなかった。

 

p275

 

1596年10月19日に、マニラからメキシコに行く途中の

スペインのナウ船サン・フェリペが土佐の浦戸の浜に漂着

して座礁した。

・・・これから太平洋を横切る航海をはじめようというときに

猛烈な台風にあってしまい・・・

・・・一か月以上漂流を続けたが、・・その後二度の台風

に見舞われながら日本近海をさまよい・・・・

 

 

p277

 

・・・・難破が10月19日で、・・・25日に大阪に着いて

・・27日にはこの船を没収することが決定していた・・・

 

 

p278

 

バウチスタは秀吉に抗議文を送った。

これは当時の状況では正気の沙汰ではなかった。

これらのことは殉教の一週間後、司教が裁判を行って

種々の証言を集めた結果わかったことである。

 

 

p281

 

フランシスコ会のオイテンブルグは、「当初没収を望んで

いなかった」秀吉がなぜその方向へ傾斜したかについて、

秀吉のその当時の経済的、政治的状態が最悪だったせい

と書いている。

 

=== はい、ここでその原因として挙げられているのが

    以下の3つです:

    - 朝鮮侵略の失敗

    - 火山の噴火、京都、伏見、大阪、堺に大被害

    - 巨大台風の襲来

 

 

p284

 

ペレス師の「宣教師の殉教に関する書簡」によって

ラウレス師が書いた・・・・

増田は船長に向かって、彼とその部下は海賊であって、

日本征服に来たのであり、メキシコ、ペルーおよびフィリピンで

やったように、この日本征服のためにフランシスコ会の宣教師

を派遣したのだろうと言った・・・

 

p285

 

・・このときこの航海士は、スペイン王の世界的領土征服に

ついて述べ、その征服にはカトリック神父が先駆的な役割

を果たすのだと言ったとされている。

このひとことが、秀吉の怒りを買って、フランシスコ会を

はじめとするキリシタンの大量処刑に発展したとされてきた

 

 

p286

 

高知県中央図書館蔵の「南蛮絵図」が、サン・フェリペ号の

問題の世界地図の写しだと特定された。

・・・空欄に日本語で増田右衛門尉が太閤の命令で来たとき

に南蛮人がもってきた絵図の写しであると由来が書いてある。

 

p287

 

これらの記録は、少なくとも、イエズス会側では迫害の原因

がスペイン人船員の言動にあって、自分たちのせいではない

ことを証明しようという立場で書かれていることを

割引して読まなければならない。

・・・秀吉側にとっても民衆が聞いたら非常に愛国心を

刺激される上に、宣教師やキリシタンを売国奴、スパイと

見させるにはすばらしい宣伝になった・・・

 

=== なるほどねえ。

    いろんな本を読んでみても、大体がその船員の

    せいにされていますよね。

    しかし、ちょっと注意して史料を読んだ方が

    いいよと、著者は言っているわけです。

 

p290

 

秀吉はイエズス会士は無罪にするとしたが、フランシスコ会士の

死刑は譲らなかった。

・・・石田は最後まで希望を棄てず名簿を最小限にし・・・

・・・ところが12月30日、施薬院が、また秀吉に迫り、

・・・秀吉はすぐに石田を呼び、彼らの耳と鼻を削いで

京都、大阪、堺を引き回しの上、長崎で処刑するように命じた。

 

 

こうして十六世紀における、最初の大規模な殉教が起こった

のである。 ・・京坂の・・・二十六人が捕らえられ、

徒歩で長崎に曳かれ、1597年2月5日長崎の西坂で

十字架に架けられた。

 

05_076


p291

 

西欧世界ではこの事件についての同時代の史料はうなるほど

ある。 その理由は、二十六人の信徒の磔刑という大規模な

殉教は、少なくとも近世では、ほかの国では起こったことが

なく、ただ古代ローマの大迫害時代にしかその例を見なかった

ので、全世界のキリスト教徒に戦慄を与えた歴史的事件

だったからである。

そのためキリスト教世界の各地に日本二十六聖人殉教の

祈念碑や絵画が残っている

 

=== ということで、昨年世界遺産になった

    長崎の大浦天主堂や二十六聖人の記念碑などは

    一気に脚光を浴びているわけですが、

    このような歴史を知らなかったのは

    300年近くも世界に向かって窓を閉じていた

    日本だけだったのかもしれないですね。

    しかし、よくまあ、その後、ヨーロッパの

    どこの国も日本を攻めなかったもんですね。

 

< その35に続きます >

 

 

 

 

 

 

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2019年2月 2日 (土)

若桑みどり著「天正少年使節・・」を読む - その3 日本人は礼儀正しいが、好戦的だ

 

 

 

若桑みどり著

天正少年使節と世界帝国・クアトロ・ラガッツィ」を

よんで、私が感じたことを ランダムに書いています。

 

002_2

 

 

p95

 

ハンセン病などの病院を設けるための土地をあたえて

これを奨励する殿がいなかったならばこの慈善も

できなかっただろう。

このようなことをしたのは豊後の大名大友宗麟だった。

 

=== ハンセン病というのは昔は「らい病」と呼ばれて

    いましたね。 キリスト教関係の映画で

    イエスが一瞬にして治すというシーンが

    今でも記憶に残っています。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンセン病

    日本ではつい最近までいろんな迫害というか

    小島に隔離などの方法がとられていた病気です。

    「外見上の特徴から、日本では伝統的な穢れ思想を

背景に持つ有史以来の宗教観に基づく、神仏により

断罪された、あるいは前世の罪業の因果を受けた者

の罹る病と誤認・誤解されていた(「天刑病」とも

呼ばれた)。」

 

この日本のハンセン病患者については、

徳川家光の時代にフィリピンとの関係が

出てきます。

 

 

p103

 

このように大友とザビエルの双方が日本人をローマに送って

世界の情報を日本に知らせたり、世界に日本人のすぐれている

ところを知らせようとしたということを考えたのが、

早くも1552年のことだったということを忘れてはならない。

やがて三十年近くのちに・・・・・・

 

 

p105

 

ザビエルは戦国の日本人の殺傷をその目でたくさん見たので、

日本人が暴力的で強欲だという感想は持っただろう。

 

「日本人は自分たちを非常に高く評価している。 

彼らは自分たちの勇気や武器の扱いにまさるいかなる

国民もないと思っているからである。

そのため彼らは自分以外の国をすべて軽蔑している。

・・・彼らは刀や剣を家のなかでも外でも持ち歩き

眠るときにはまくらもとに置いて寝る。

わたしは人生のなかで、これほど武器に頼っている人間たち

を見たことがない。

 

・・・彼らはたがいに非常に礼儀正しい。しかし外国人には

その鄭重さを示すことがない。・・・・

彼らは非常に好戦的で絶えず戦争をしている

彼らはひとりの王(天皇)をもっている。 彼らはしかし

百五十年ものあいだこの王には従っていない。」

 

 

==== 日本人は礼儀正しいけれども非常に好戦的な

     人種だというイメージはこの時代から

     あるんですかね。

     第二次大戦の時も、もしかしたらこのような

     対外的イメージはあったのかもしれません。

     日本人は一見紳士的でも、ブチ切れますから

     ねえ。 怖いですねえ・・・・

 

     フィリピンとの関係で言えば、倭寇の好戦的

     なイメージはフィリピンの歴史の教科書にも

     出ているようです。

 

     「Tayfusa日本人の海賊の王国を作ってた??」

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2016/01/79tayfusa-d8af.html

     「2年後(1572年)、Juan de Salcedo船長は、

マニラからイロコスに航行中、3隻の日本の海賊の

ジャンク帆船にパンガシナン海岸沖で遭遇し、猛烈な

戦闘後に追い払った。」

 

 

 

 

p107

 

このような義鎮(宗麟)のキリスト教保護政策と、

前に述べた病院や慈善などによって、大分はキリスト教布教が

もっとも盛んな土地になった。

・・・山口にあった布教本部が豊後に移って、布教長トーレス

府内(大分市)に移ってきたので、これ以後ここが

日本キリスト教の布教本部になった。

 

== 大友宗麟については、キリシタンの歴史の中

   では、最初は良かったけれど、どんどん勢力が

   後退してしまって、キリシタンも長崎の方に

   追い詰められて行ったようです。

   その影響か、巡察師ヴァリニャーノも後々

   苦労することになっていくようです。

 

   http://oitahistory.jp/ootomosourin.html

   「周防・長門(すおう・ながと、現在の山口県)

博多(はかた、現在の福岡県)を支配していた大内氏

の滅亡後、一族を当主として送り、また肥後(ひご・

現在の熊本県)の菊池氏を1554年に滅亡させて支配

するなど、勢力を拡大します。そして、1559年には

幕府の信任を得て九州探題にも就任するなど、権力も

確立していきました。この直後に出家し、休庵宗麟

(きゅうあんそうりん)という法号を得て、これが現在

よく知られている宗麟の名のもとになります。

 

   しかし1570年、今山の戦いで肥前(ひぜん・現在の

佐賀・長崎県)龍造寺(りゅうぞうじ)に敗れ、

肥前国の征服に失敗してしまいます。この後に長男

の大友義統(おおとも よしむね)に家督を譲り隠居を

始め、1577年にはキリスト教の洗礼を受け洗礼名を

「ドン・フランシスコ」と名乗りました。」

 

 

p121

 

フロイスは、・・・・・・

宣教師にはそれがひたむきな殉教へのあこがれに見えた。

しかしこれはすこしちがう。

この人たちは、そこを死に場所だと思った。

戦国の世の中では命はだれにとっても不確かで長くない。

みな死に場所を探し、せめてその名誉ある死でこのはかない生を

まっとうしようとしていたし、そう教えられていた。

 

 

p123

 

イギリス人のリチャード・コックはこう観察する。

「この日本の国の統治は、世界にもかつて類を見ないような、

おそらく世界で最大最強の圧政である。君主に対してすべての

国民はさながら奴隷である。」

 

岡田章雄氏は・・・日本でキリスト教が敗北した原因は、

神仏信仰と拮抗したからだけではなく、封建社会の道徳が

これによって破壊される危険があったからだと述べている。

 

=== 絶対王政の西欧からみても、日本はとんでもない

    殺戮満載の国だったようです。

    もちろん、西欧も乱世の時代を通じて世界征服

    での安定が出て来たのでしょう。

    おいおい出てきますが、日本が秀吉によって

    統一されてやっと、スペインを中心とする王政

    に近くなるようですが、それでも、キリスト教か

    天皇かという部分での違いが根本的な違いと

    して語られています。

 

 

p123

 

秀吉や家康のキリスト教迫害が本格化し、

君主か神かというふたつにひとつを選ぶように迫られる

ような事態になると、・・・・あるいは神をえらんで

殺されることになる。

 

 

p126

 

およそ武士道と言われるものは、人を死にやすくする教

である。 これは中世において「弓矢の道」と言われ、

主君への献身、そのためには死を恐れぬ勇気という戦闘者の

教えであって、まさしく戦国武士に求められたものである。

 

 

p127

 

武士道とは死ぬこととみつけたり」という極端な

思想に凝縮され、近代現代の戦争時にも有効に作用して

若者に死ぬことを教えた。

 

生きていても辛いだけの凄惨な貧困にある者には、

ここで死ぬことによって至福の天国に再生する望みを

与え・・・・異なった階級で、異なった思いで、

人びとは死ぬために教会に歩いていったのである。

 

 

=== 武士道は侍の論理になるのでしょうが、

    庶民からすれば、戦乱の中で奴隷のように

    つかわれ、今日戦乱の中で殺されるか

    あるいは飢餓の中で死ぬかということに

    なると、一向宗(浄土真宗)みたいな

    ものに結集するということになったの

    でしょうね。

    私には、浄土真宗はキリスト教と

    限りなく近い一神教だと見えます。

    死ねば阿弥陀様に迎えにきてもらえる。

 

 

p131

 

仏教や神道はただ個々の人間の信仰や心の問題ではなく、

日本の国家の構造もそのものになっていた。 だから、

新しい宗教がきたとき、この構造を支えている支配階級の

人にとっては、その新しい宗教に走ることは、自分の身分や

地位、そして経済的基盤や支配の形式さえも破壊の危機に

さらすことになってしまう。・・・・

いっぽうなにもこの地上にもっていない圧倒的多数の

貧困な人びとは、この世においてこれ以上失うものは

何もない。・・・・この世になにも失うもののない人びとは、

それだけ自由なのだ。

 

=== ここが本を読み終わったあとも分からない

    点なんですが、秀吉や徳川が禁教に向かった

    一番の事情はなんなのでしょうかねえ・・・

    スペインの侵略への懸念だったのか、   

    あるいはキリスト教の拡大によって

    日本の基本構造が潰されることへの懸念

    だったのか・・・・

 

 

<その4に続きます>

 

 

 

 

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2018年8月14日 (火)

MRI検査に行ったら西川口で国際通りを発見・・・・

去年の人間ドックで 要精密検査になっちまったもんで・・
まずはMRI検査の前に 腹ごしらえ・・・・
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MRI検査は、食事制限がないから楽でいいっすねえ・・・・
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流石に日本の検査センター・・・
整然としていて「お客様は神様」でした。
。。。
。。
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そして、MRI検査をしたんですが、
結果が出るのは3週間以上掛かるってことでした・・・・
・・・
その結果ですか?
・・・
なんと、さらに精密検査が必要になっちまいました。
10月に再度 一時帰国する羽目になりました。
。。
。。
それはともかく・・・
。。
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西川口の西口周辺・・・・
国際的な飲み屋街だったことを発見。
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シルクロードってのは 国籍不明な感じですが・・・
。。
。。
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まあ、中国料理は当たり前ですが・・・・
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中華の食材屋さんもあり・・・・
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こちらは福建料理とありますね・・・
。。
。。
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こちらは焼肉店・・・韓国系ですかね?
。。
。。
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こちらは正真正銘 韓国居酒屋・・・です。
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こちらには 韓国式サウナの看板があります・・・・
。。
。。
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タイ料理店発見・・・・・
・・
・・
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一番左にも タイ料理の看板が見えています・・・・
一番向こうには 上海亭の看板・・・・・
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インド料理もありますね・・・・・
。。
。。
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こちらは なぜかヒューストン・・・・アメリカは関係なさそうだけど・・・
。。
。。
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・・・そして、駅のすぐ近くには・・・
フィリピンと韓国・・・・
・・
。。
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・・・そして、西川口の駅・・・・
・・
・・
043
駅から見える看板には ベトナム料理も見えます。
。。
。。
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・・・川口警察署から こんな注意書きもあったんで、念のため・・・
・・
・・
皆さん、注意して、お楽しみください。
。。
。。
 

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trip to Hakata/Fukuoka - Reunion with my sisters and Highschool friends

福岡の、いわゆる老人ホームにいる姉のところで、3姉妹と戦略会議・・・
そして、高校時代の同期生と久々の飲み会・・・・
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conference meal with my 3 sisters  in care home of eldest sister,
who is 83 years old....
..
..
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長崎のカステラと言えば・・・・
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女3人寄れば・・・・・やっぱこれか・・・
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トドメは これだもの・・・・シュークリーム・・・・
。。
。。
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。。
。。
5_057
・・
・・
5_096
壱岐は麦焼酎発祥の地・・・でしたか。
長崎県人としては嬉しい・・・・・
。。
。。
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50年前の若者たち・・・ high school mates   after  50 years....
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そして、親不孝通りへ・・・・・・
 

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