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2017年1月28日 (土)

この写真 どうやって撮ったの?  95歳のお婆ちゃんの疑問・・・

先日 こんな写真を 大家のお婆ちゃんにプレゼントしたんです。

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・・そしたら、随分 喜んでくれたんですけど、

「あの写真、どうやって撮ったの?」 って疑問がお婆ちゃんから・・・・

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お婆ちゃんの娘さんも そんな質問をされて、なかなか理解されなくて困ったと笑っていましたが・・・・

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これは、お婆ちゃんが 若かりしころの写真。

この見目麗しい女性が・・・昨年の12月に95歳の誕生日を迎えられまして。

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今は、このようなお姿でいらっしゃるわけです。

なかなかの美しさだと思います。

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このお婆ちゃまがですね、なんと10人の子持ちなんですね。

(お一人は亡くなっていて、今は9人)

昔のお母ちゃんは偉かった・・・つくづく思います。

今のフィリピンもカトリックということもあって、結構な子だくさんではありますが、日本と同様にかなり少なくなってきているようです。

その9人の子供たちが、もちろんそれぞれに家族を持っていて、95歳の誕生日に 大集合をしたというわけです。

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こんな感じで 200名以上の親族、友人、知人が集まっての大パーティー。

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この会場に集まった 子と孫は、これだけなんですけど、アメリカなどに居て 参加できなかった家族を含めると 総勢70人を超えるんだそうです。

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その子や孫からのプレゼントが こんな演出。

アメリカからやってきた サンタクロースさんです。

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ライオンズ・クラブとか ロータリー・クラブという成功者の団体がありますが、その女性版とでも言える ZONTAクラブというのがありまして、以前は その団体の会長も務めたお婆ちゃん。 ご挨拶の列が出来ました。

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さらに、さらに・・・こんな楽団まで・・・・

これはバギオ大学の楽団で、このメンバーの中に教授が3~4人ばかり参加しているとか。

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このお婆ちゃん、95歳ということは、戦争中は二十歳をちょっと超えたお年頃の時期だったわけです。

そして、その頃に、ある村の村長をしていた父上は、日本の占領軍によって指名されていた村長ということもあって、抗日ゲリラに拉致され、そのまま帰らぬ人となり、その他の親族も行方不明になったという苦難の経験を持つお婆ちゃんなんです。

さらに、かの悪名高い「バタアンの死の行進」で捕虜となった男性を、父上が収容所から解放してあげて、自宅に住まわせたのがロマンスの始まりで、結婚

捕虜収容所から解放される為に御主人がアピールしたことが、「私は先の東洋オリンピックの東京大会でメダルをもらったんだ」という陸上選手だったことでした。

その御主人がバギオ市警察の副署長へと出世して、10人の子をもうけたという物語。

・・・・

今は、健在の9人の子供家族のうち、5家族がアメリカ在住という大家族。

ひとつの ビッグ・ハウスから 世界に飛び出すフィリピン人と言えば、出稼ぎ大国フィリピンとしては当たり前なのかもしれませんが、いつも忙しく動いて廻る このお婆ちゃんのバイタリティーなくしては、この家族はなかったんだろうなと 感服するばかりです。

・・・・

それにしても、今後のアメリカ・・・・

排他的な政策を矢継ぎ早に繰り出す大統領の政策が、この幸せな家族に襲いかからないことを祈るばかりです。

お婆ちゃんの次なる目標は 「100歳の誕生日を祝う」こと。

お婆ちゃんはいけそうな感じなんですが、私の方がそれを見届けられるかどうかが 怪しい今日この頃。 笑

・・・・・・・・・・・・・・・・

この合成写真のプレゼントをする前に、娘さんから 「お婆ちゃんは 去年の12月に 95歳の誕生パーティーをやったことを 覚えていないのよ・・・・・」って話を聞かされたもんですからね・・・・

その大パーティーを忘れないようにするって意味も含めて、お婆ちゃんが御主人と一緒に 戦後にバギオ市に建てたビッグ・ハウスを背景にした 大家族の合成集合写真をプレゼントしたってわけです。

つまり、最近の私と同じで、外付けメモリーを追加したってことですね。

 

・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

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2017年1月 8日 (日)

子供が悟ると こうなる・・・・割引セールでもやってんの? バギオの床屋

私は椅子に座るやいなや、こう言った。

「今日は 子供の為の割引セールでもやってんの?」

「いいえ、そういうことじゃないです。」

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「なんで、こんなに子供が多いの、今日は?」

「新学期が始まるからですよ。」

年が明けたんで、新年会の前に散髪に行ったんです。
いつもの床屋。

すると、珍しく、子供たちがうじゃうじゃいるわけ。

小学生ぐらいの男の子が二人、すでに椅子に座って
大人しく散髪してもらっている。

入口に一番近いところに、遊園地のミニ・カーみたいな
乗物の形にしてある子供用の椅子がある。

その運転席に座って 泣き叫んでいる男の子がいる。

おそらく 2歳前後じゃないだろうか。
そんな年齢の男の子たちが、母親たちに抱きかかえられて
5人ほどもいるのだ。

その車の運転台に座らせられた男の子。
ギャーギャーと泣き叫んで止まらない。

目の前にある待合席のベンチで、どうやったら泣きやむん
だろうかと観察した。

母親が子供の両手を握り、父親は子供の頭を押さえている。

黄色いユニフォームのTシャツを着たお兄ちゃんが、
せっせと髪を切るのだが、泣きわめき、椅子の上に
立ち上がろうとし、頭の向きを変えようとする男の子に
大人たちは翻弄されている。

男の子は、諦めることもなく泣き続ける。

眼には涙が一杯になり、顔は真っ赤になり、上半身は
汗だらけの苦行である。

観察していた私は、その根性と忍耐力に感心し、
しまいには笑いそうになった。

やっと、散髪が終わった。
しかし、まだ余韻を楽しむかのように、男の子は
泣いている。 母親の膝の上で、体中の汗を拭いて
もらいながら。

・・・・

さて、次の男の子の番が廻ってきた。
母親に抱かれていた男の子は、その可愛い車の
運転台に乗せられようとした。

しかし、その運転台は、その男の子にとっては処刑台
だったのだ。

待っている間中、前の男の子が泣きわめいていた、その
処刑台である。

感情移入は十分過ぎるほど出来上がっていたのだ。
恐怖心はピークになっていた。

男の子は、何が何でも、その運転台に乗せられてはいけないのだ。

足を伸ばし、身体をのけぞり、暴れまくって、処刑台行きを
拒否した。

母親の身長は、その運転台に子供を軽々と載せるほどには
高くなかった。

床屋のお兄ちゃんも その抵抗の激しさにはお手上げだった。

運転台を諦め、大人の椅子に母親が座り、その膝の上に
子供を抱いた。

母親に向き合って抱かれた状態では、やや静かにしていたが、
紺色の大きな布を身体に巻かれた時には、その臨場感が
戻ったのだろう、拒否行動を取り始める。

母親の膝の上で、立ち上がり、のけ反り、頭を右に左に
廻し始める。

床屋のお兄ちゃんは、子供専任なんだろうか、同じお兄ちゃんが
急降下する戦闘機のように、子供の頭が静止するそのタイミング
を狙って ハサミを入れる。

母親は、子供の腰と両手を抑えるのに精いっぱいで、頭の
動きまでは制御できない。

さっきの男の子ほどではなかったが、最後まで諦めずに
泣き続けた。

・・・・・

そして、三人目の男の子の番がやってきた。

前の二人の修羅場が目に焼き付いていたのだろう、
母親の膝に抱かれたその男の子も、抵抗し、泣き叫んだ。

「なんで、我々はこんなに非道な扱いを受けなければならないのだ?」

「これは 子供虐待ではないのか!」

とでも叫んでいる活動家集団である。

・・・・しかし、その叫びは長くは続かなかった。

前の二人とは違っていた。

「なんだ、別になんてこともないじゃないか・・・」

そうだったのだ、前の二人の修羅場は 彼にとっては
修羅場ではなかった。

シャキシャキと リズミカルに、 お兄ちゃんのハサミの音が
鳴り響いた。

やっと、大人の時間が戻ってきたのだ。
悟りを開いた子供であった。

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2016年12月29日 (木)

バギオのインターナショナル・スクールで、元職場の同窓・クリスマス会

12月28日・・・こんな同窓会兼クリスマス・パーティーがあったんです。

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TIPIっていうのは、某アメリカ系の半導体の会社でして、私は1998年から二年間だけ、日本の兄弟会社から駐在員として派遣されていたんです。

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まずは、こちらで受付。 100ペソ(250円くらい)の会費でした。

この白装束の女性は、1980年に このフィリピンの会社が出来た時の 第一期生だったそうで、 30名で始まったんだそうです。

私が日本の兄弟会社に入ったのが 1978年でしたから、私の方が二年先輩って話です。

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この会場なんですけどね、 保育園からジュニア・ハイスクールまでが揃っている インターナショナル・スクールなんです。

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この校舎がなかなかユニークでして・・・・

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中に入って歩いてみたんですが、なかなか ゲージツ的な構造になっていました。

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教室の窓には なかなか素晴らしい言葉が並んでいます。

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小学5年生の教室の窓には、ピカチューなんかが踊っていました。

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うって変わって、こちらの校舎は アメリカンなクラシック・スタイル。

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保育園や幼稚園など、小さな子供たちの教室がありました。

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いやあ~~、楽しい学園です。

・・・・

おっと、本筋は 同窓会の方でした・・・

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私は 言われるままに 8:30amに行ったんですけどね、日本人なんで・・・

ほぼ 先着一番のお客って感じでした。

・・で、みんなが集まるまで 主催者側の人たちが 暇つぶしと盛り上げで、カラオケを開始。


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こちらでは、進行の打合せ中。

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そこへ、メインのスポンサーが登場。

私が駐在員時代には バギオ市の兄弟会社の人事・資材部の役員だった人で、私を地元のロータリークラブにも入れてくれた恩人です。

その人が、今年2016年には、なんと下院議員に当選しちゃいました。

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・・・ってことで、こんな記念写真もありです・・・

ちなみに、このインターナショナル・スクールも 彼がオーナーなんです。

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このお二人が 司会。

漫才コンビみたいにうけていました・・・

内容は・・・・現地の言葉なんで わかりませ~~ん。

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この写真の中に 手を挙げている人たちがいますけど、このちょっと後に手をあげた人たちが数名いたんです。

なにかって言うと、「二重国籍の人たちはいますか~~」という質問に対しての挙手なんです。

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これは、お祭りで必須アイテムの 豚の丸焼きですけど、 上に書いたメイン・スポンサー以外に、世界中から寄付金が届いたそうなんです。

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元同僚たちが、世界中に散らばっていて、シンガポール、オーストラリア、アメリカ、カナダ、イギリスなどから 5千ペソ、1万ペソ(2万5千円くらい)を この同窓会の為に寄付してくれているそうなんです。

さすがにフィリピン人ですねえ。

私が一緒に働いた人たちも、アメリカやカナダで、マネジャーなどの高いレベルでの仕事をしています。

幼稚園のころから英語教育で育ってきた人たちですから、実質的には国境みたいなものが無い人たちなんですね。

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これは、豆腐のおやつ・・・・

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赤ちゃんや子供たちも一緒の同窓会。


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カラオケとダンス・・・・

ほとんどが女性なんです・・・・

部課長クラスは女性が多かった職場でした。

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自然に踊りだす 山岳民族の踊りも・・・・

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そして、入場券でのクジ引き・・・・

たまたま、私がうろうろと撮影をしていたので、クジを引かされました。

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これは、最近流行の 「ズンバ」のパフォーマンス。

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満を持して現れたのは、昔の役員や部長レベルの男性たち・・・・

もう20年近くも前に一緒に仕事をした人たちなんで、お互いにそれなりになっております・・・

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そして、「ズンバ・クイーン」の登場。

インストラクターとして皆を指導・・・・・

司会者からは、「クイーンっていうけど、男みたいだな・・・」とのコメント。

会場は爆笑でした。

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そして、お昼の食事の前の お祈り・・・・

この男性は、20年前は、人事課の課長さんだった人なんですが、

今はなんと パスター(牧師)さんなんですねえ。

フィリピンは キリスト教の国ですから、会社や団体の中には、こういうことが出来るひとが必ずいるみたいです。

社内の司祭みたいなかんじかな??

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・・ってことで、クリスマス 昼食会となりました。

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私は、ここまでで、会場から抜け駆け。

なんでかって言うと、

ゲームで 200ペソが当たったもんで、入場券100ペソを引いても 100ペソのプロフィットになっちゃったので、勝ち逃げですな。

っていうか、この会場では、酒もたばこもダメなんで、

お昼ごはんは 街中のカフェに行ったんです。

それに、この220名がイベントが終わって一斉に帰宅したら・・・・

まず、帰宅の交通手段がないってことです。

そうでなくても、この時期のバギオ市は、観光客が溢れていて、ジプニーも満杯、タクシーは捉まらない、観光客はぞろぞろ道を歩いている状況なんです。

・・・ってことで、先に帰ったんですけどね、

世の中そんなに甘くはないっすねえ。

結局 目抜き通りで昼ごはんを食べた後に、自宅に戻ったんですが、

50分間歩きで帰ることになっちまいました・・・・とさ。

今日は、筋肉痛です。

 

 

 

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2016年12月10日 (土)

あのメスティーサは鼻が高くかなりの美人。 おまけに4人の日本兵も・・

先日 ラジオ番組で亡霊の話を紹介したんですけど、

下宿の二階に住んでいるオーナーの兄弟から新たな証言が・・・・

ラジオ番組の中で 4つ目の亡霊の話をしましたが、その続編。

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2016/12/post-dbc5.html

まず、私の部屋に住んでいるというメスティーサ(スペインとフィリピンのハーフの女性)の亡霊について。

その男性は、霊感が強くて、良く亡霊を見るらしいんですが、

元々 私が今住んでいる一階の部屋は、彼の事務所だった場所。

その彼が、

「そのメスティーサは、鼻が高くて、結構美人だよ。スペイン人みたいな顔。」

「髪は黒髪で、長いと ヒーロットの小母さんたちから聞いたんですよ。」

「そう、腰の辺りまでの長い髪で、スカートは黄色、そして白いシャツを着てるよ。」

そして、スカートは、ちょっと短めだと膝の上あたりに手を当てた。

「おお、見てみたいもんだなあ・・・」

「それに、ここには、日本兵が4人もいるんだよ。」

「えっ? 4人もいるんですか?」

「夜に、テラスで珈琲を飲んだりしていると、兵隊たちが 裏山から降りてきたり、登っていったりするんだよ。」

裏山というのは、戦争中に日本兵の陣地があって、そこから

家の前を通っている ケノン・ロードを守っていたそうな。

「なにも悪さはしないんですか?」

「基本的には大丈夫だけど、あまり好まない相手だと、ちょっと攻撃的になるかも・・」

・・・・・

この前の4日の慰霊祭の翌日から、今日10日まで、風邪気味になったのは、亡霊の仕業かな??

・・・・・・・・・

 

 

 

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2016年11月27日 (日)

アスペルガー、発達障害の日本語の論理 と 「空気の研究」 その1

過去にも「アスペルガー症候群」について本を読み、その感想など
を書いたことがあるんですが、

外国人の日本語 と アスペルガー症候群
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/01/post-6145.html

お薦めです

「大人の発達障害」 「アスペルガー症候群、自閉症が楽になる本」
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2016/09/post-7ba2.html

つい先日、FACEBOOKで、たまたま偶然に下のサイトに出会いました。

さかもと未明「奥さまは 発達障害」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50229

・・・・こういう度量のある旦那さんみたいになりたいもんです。

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

引き込まれるように、第一回から第39回までを読みました。
感動しました。

これは、素晴らしい人間研究だと思います。

様々な個性を理解するためのテキストみたいです。

 

以前、私はインターネットのサイトでアスペルガーの傾向があるか
ないかの自己診断をやったんですが、残念ながら、その気は全くありませんでした。

でも、ある意味、特別な能力に優れた人たちがいるということに
一種の憧れみたいなものを感じることがあります。
ご本人やご家族は それはそれは大変な思いをされているようですが・・・

それは置いといて、
私の興味は、日本語教師をやっていることもあって、
日本という国における「空気」と 「空気を読めない」とされている
アスペルガー症候群の人たちの 日本語の「論理」の部分です。
アスペルガーの人たちは、論理的に話さないと通じないとされて
いるからです。

何故かと言えば、今までにいろいろ読んできた本の中で、
「あいまいな日本語」、「日本語の論理」、「点をつなぐ日本語」、
「事実を隠す日本人」、「論理的でない日本語」、「空気をつくる日本語」、
「神の視点の英語と地べたの視点の日本語」、「主語のない日本語」、
等と言う 「曖昧な日本語の論理」と「アスペルガー症候群の論理
とを比べてみたら 何が分かるんだろう・・・と興味が湧いてきたんです。

そこで、アスペルガー的傾向のある人たちの日本語の論理という
ものには どんな特徴があるんだろうか・・・と思ったわけです。

たまたま、上記の 奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」のサイト
には、アスペルガー症候群の傾向のある人たちを納得させられる
論理的な話し方の例が 具体的な状況の描写とともに掲載されて
いるので、私のような一般的、フツーの「空気が読める」日本人
「空気が読めない」日本人との論理には、どんな違いがあるのかを
注目して読んでみたいと思います。

今の時点で、どんな結論が出せるのかは、まったく分かりません。

ただ単に 引用の羅列に終わるかもしれません。

面白い話にならなかったら、ごめんなさい・・です。

・・・ では、 次回 その2 からスタートです ・・・

注: 今は、フィリピンの歴史教科書も並行して翻訳しているので、
   飛び飛びになりそうです。

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2016年11月25日 (金)

フィリピンの歴史教科書から学ぶ 94 なぜフィリピンには大河ドラマが無いのか

 

 

HISTORY OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

WRITTEN BY GREGORIO F. ZAIDE

 

フィリピンの大学などで教科書として使われているフィリピンの歴史

の本を読んでいます。 要点のみを引用して翻訳しています。

 

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下宿の大家さんとこのヘルパーさんとの会話

彼は優秀な大学を事情があって中退したお兄ちゃん。

 

「今、フィリピンのザイデが書いた歴史の教科書を読んで

 いるんだけどさ・・フィリピンにはテレビの歴史ドラマ

 みたいなのはある?」

 

「う~~ん。 歴史ドラマはないなあ。」

 

「フィリピンの歴史上には いろんなヒーローとか、反乱劇が

 あるじゃないの。 そういうエピソードってのはストーリーが

 あって、ドラマに出来そうだと思うんだけど・・・・」

 

「フィリピン人は、歴史ドラマって興味ないからなあ・・・

 バイオレンスとか恋愛物のドラマならあるけど。」

 

「じゃあ、フィリピンの歴史って、学校でしか勉強するチャンスは

 ないっていうこと?」

 

「そうだねえ。 フィリピン人は生まれつき歴史にはあまり興味が

ないって感じかなあ・・・」

 

「じゃあ、あるとしても、インターネットで記事や動画をみる

 くらいなんだ・・・」

 

「そういうことだね。 ホセ・リサールとか、ボニファシオとか、

 ラプラプとか・・・・」

 

 

・・・・・

 

「第十四章 フィリピン人の反乱」を読んでいる時に感じた

ことなんですが、これだけの様々な歴史的エピソードがあるのに

なぜフィリピンには日本の大河ドラマや歴史秘話ヒストリアみたいな

歴史物、時代劇がないんだろうと思ったんです。

 

そこで、今読んでいる教科書のもくじを眺めてみると・・・

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第一章から第十章までは、スペインが来る前のいわば先史時代と

スペインの植民地となった初期の話。

 

先史時代には、マニラあたりからセブ周辺の小さな王国があった

という話が書かれているんですが、それもスペインがやって来た

時のスペインとの関わり方が中心で、フィリピン側の視点で

歴史的な事柄を書いてあるかと言えば、そこは難しい。

 

この著者自身が、スペイン系フィリピン人で、スペイン語が出来た

から、スペインでの歴史資料を読みこなして書いた本という

感じしかない。

まあ、スペイン植民地時代に、すべてが管理されていたわけだし、

フィリピン人自身が書いた歴史資料もないというのが原因らしい。

 

・・・・

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次の第十章から第二十章のもくじを見ると、

イスラム教、中国、日本、英国との関係に話が及び、

スペインに対する反抗そしてスペインの衰退、

そして、民族主義が台頭したものの、スペインに代わって

アメリカの植民地となったわけです。

 

ここに於いても、ほとんどが、他の国との関係が中心で、

国内の文化やら芸術はなく、そして政治的問題がほとんど。

 

・・・・

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さらに第二十章から第三十一章は、

アメリカの植民地時代、独立準備政府、第二次世界大戦、

日本軍占領時代、そして、戦後の独立、戒厳令、そして

いわゆるピープル・パワーというほとんどが政治的な

動きについての話ばかり。

 

・・・・

 

そこで、最初の疑問に立ち戻って考えてみると、

要するに政治的なものが人気がないとするならば、やはり

これは歴史ドラマは流行らないということになるでしょうか。

 

仮に歴史ドラマ、フィリピン人の反乱のドラマを

あるヒーローを持ち出して作ったとしても、スペインや

イギリス、アメリカと闘って負けてきた歴史になっちゃう

訳ですね。

 

日本のドラマだったら、少なくとも明治の前までは、

国内の同じ日本人同士の戦いはあっても、外国に負けて

統治されたという歴史はないわけだから、

独自の服装も文化も芸術も技術だって語るものがあるってこと

ですね。

 

それに、日本だったら、独自の建物、お城やら城下町の

風情だってある。 

フィリピンの場合は、歴史遺産にしても、それはスペインの

ものだったり、アメリカのものだったりするわけです。

 

もしかしたら、フィリピンで歴史ドラマが作られない、

流行らない、興味がないというのは、自分たち自身の

アイデンティティーを確かめる素材がないからなのかも

しれません。

 

私が住んでいるバギオ市は、標高1,500メートル前後の

高原都市なんですが、元々はイゴロットと呼ばれる

山岳民族が住んできた山岳地帯なんです。

 

イゴロットという呼称は、元来は差別用語で、山岳民族の総称。

今日本で物議を醸している「土人」みたいなニュアンスなのか

と思います。

 

「あなだは どこの出身なの?」

「東京です。」

なんだ、東京の土人か・・・」

 

ってなことを言われたら おそらくムッとするでしょうね。

 

イゴロットという蔑称も、山岳民族は「猿だ」「尻尾が生えている」

などという偏見とともに使われたようです。

 

しかし、最近の若い人たちの中には、

イゴロットであることを誇りに思う」などというステッカーを

自家用車に貼りつけている人たちも出ています。

 

つまり、フィリピン人がアイデンティティーを探し求めると

結局のところ、スペイン時代にすぐに手を挙げてしまった

低地のフィリピン人(ローランダー)よりも、勇猛に戦って

自治を守った山岳民族(ハイランダー)の方に、昔からの

伝統文化が保存されてきた、というところに行きつくよう

なんです。

 

翻って、日本を眺めてみると、

沖縄での「土人」発言は、明らかに差別発言だと思いますが、

最近の日本人の起源に関するいろんな説を、DNA解析の

新発見なども考え合わせると、日本人のルーツたる

縄文人は沖縄や北海道のアイヌに求められるということ

のようですから、フィリピンの場合と同じような構図に

なってしまうんじゃないかと思います。

 

それにしても、日本人のルーツは、日本語のルーツも含めて

様々な説があって、謎に包まれているようですので、

隣人を差別して馬鹿にしていたら、自分の兄弟だった

なんてことになって、恥をかかないようにしなくちゃ

いけませんね。

 

・・・・

 

今日は、ちょっと一服して、次回95号 は第15章に入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年11月20日 (日)

「塀の中の人々」 フィリピン・バギオ市警察署内・刑務所 

フィリピン・バギオ市警察署内・刑務所 「塀の中の人々」

バギオ市役所に向かって右側。
道路を渡ったところに、バギオ市警察署があって、
その中にバギオ刑務所がある。

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たまたま、バギオでの昔の職場の同僚であるフィリピン人女性
デリア女史が、国会議員の地域生活支援活動の一環として、バギオ
刑務所に「うどんの作り方」を指導に行くから一緒にどうだと
誘ってくれた。
(この女性は、日本にも出張で行ったことがあり、
 「うどん」という言葉も知っていた。)

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刑務所の見学なんて、そうそう出来るものでもないので、
是非もなく見学させてもらうことにした。

この活動は、Mark Go という中国系のバギオ市選出下院議員
が行なっている Congressman Go Livelihood Program という活動で、
バギオ市内のバランガイ(町会)などを廻って、料理の仕方などの
指導をしているらしい。

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ちなみに、この国会議員は、2000年頃に私がバギオの兄弟会社で
駐在員をしていた時代に、人事・資材担当役員の地位にあって、
いろいろと世話をしてもらったという関係がある。

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バギオ警察署の正門は、左側へ坂を上ったところにあるが、
刑務所の入口は、坂の途中に、それとは分かりにくい狭い階段を
降りたところにあった。

その狭い通路には、列をなして座り込んでいる人たちがいた。

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そこには、鉄格子があって、中に入っていく人たちを
一人ひとりチェックしていた。
私は運転免許証を差しだし、3人のフィリピン人女性たちと
一緒に刑務所の中に入った。

カメラでの撮影は、「囚人の顔は撮らないように」との指示だった。

「うどん」作り講習会の会場は、刑務所内の中庭だった。
中庭はバスケット・ボール・コートになっていて、
片隅には 黄色いTシャツなどの洗濯ものが干されていた。

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さすがに、クリスチャンの国。
9月から12月までの4ヶ月間は フィリピンではクリスマス・
シーズンと言われるとおりで、ここにもクリスマス・ムード満載。

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私を誘ったデリアからは、事前に、
「参加する時は、黄色いもの以外の色の服を着てくるように」
との案内があった。

黄色は囚人服である。

3人の女性たちは、友達の家でパーティーの準備でもやるような
軽い感じで、持ち込んだ材料や器具類を整えた。

刑務所の中庭は、3~4階建てのビルに囲まれていた。
上の階は、バギオ市警察署になっている。

中庭をぐるりと囲むように、建物の中には廊下があって、
その廊下の向こうには鉄格子の房が並んでいる。

房の前の廊下には、面会に来たのだろう、女性たちが
たくさん座って、鉄格子の中の男たちと話をしている。

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通路や中庭には、黄色いシャツじゃない男たちが
おしゃべりをしたり、いろんな荷物を運んでいたりしていたが、
警察官なのか業者なのか、訳のわからない様子だった。

房の中は、よく見えなかったが、蚕棚のようにベッドが
あって、天井からは洗濯物がぶら下がっていて、暗い。

「うどん」作り講習会が始まった。

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おそらく雑居房の中でも、優等生たちなのだろう。
十人ばかりの黄色いシャツの男たちが、テーブルの前に
集まって、小麦粉をこね始めた。

そして、女性たちが、いかにも切れ味の悪そうなナイフで
玉ねぎやニンニクを切っている。

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私は内心、こんなところで、ナイフを使っていいのかな、
と思ったが、そのナイフを囚人に渡して、手伝わせたのは
料理に参加していた女性の警察官(刑務官)だった。

後から聞いた話では、このバギオ市刑務所に収容されて
いるのは、軽い犯罪の受刑者ばかりで、殺人などの重罪犯は
マニラの刑務所に送られるとのことだった。

大鍋にお湯が沸き、おそらく牛の骨だと思うが、だし汁をとっていた。

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一方の大きなフライパンには、油が入れられ、
なにかの種のようなものを炒めて、赤い色付けがされた。
後で、その種の殻はすくい取っている。

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ニンニクと玉ねぎが炒められて、調味料としては パティス
呼ばれる 魚醤(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E9%86%A4
がベースになるらしい。

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一方、「うどん」作りに、男たちは大盛り上がり。
なにかを一緒に作るというのは、楽しいものだ。
ここが本当に刑務所の中なのか、という雰囲気だった。

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延ばす道具は・・・・

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「うどん」だというから、よく捏ねて、延ばして、包丁で細く切るか、
ひとつひとつを細く手で伸ばすのかと思っていたら、
スパゲティーのように切る器具を使った。

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結局、「うどん」でも、スパゲティーでもなく、
フィリピンでは MIKIと呼ぶ麺を使った、MAMI(ラーメン)
あるようです。
http://www2b.biglobe.ne.jp/~mbx/philippines_food_noodles.html#mami

このマミが出来上がると、タッパーなどの器が並べられ、
各房の代表者がそれぞれの房へ配達。

Img_3879

そして、3人の女性たちは、「プト」と呼ばれる蒸しパン
袋から取り出し、男たちと一緒に手分けして、小さい袋に
分け始めた。

Img_3895

デリア女史によれば、刑務所からの当初に依頼では
440個ということだったのだが、今になって、490個欲しいと
言われた。 また来週、女子房に講習にくるから、その時に
追加分を持って来ると約束していた。

ちなみに、このバギオ刑務所では、男が490名、女が250名
ぐらい収容されているらしい。
(この数はもしかして職員の分も水増しされているのかな?)

女子受刑者には麻薬関係の犯罪者が多いらしい。

3時間ほどで全て終了。
立ちっぱなしの写真撮影は、老体に応えました。

Img_3893

くじ引きのくじを一枚250ペソで2枚買わされましたが、
どうも当たった気配はありません。

Img_3903

ところで、刑務所の中には ワンちゃんたちが3匹いました。

この刑務所で育てているんだそうです。

Img_3742

囚人の一人は こんな文字が入った黄色いシャツを着ていました。

FREEDOM

Img_3636

早く 刑務所を出られるといいですね。

ところで、刑務所の財政がバギオ市ではどうなのかを聞いてみたところ、

バギオ市はきちんとしているから、ちゃんと食事も出るそうです。

もしかして、超貧乏な困窮家庭だったら、刑務所の方が安心?

・・・・なんてことは、日本でも起こっているそうですけど、

良い子は真似しないようにしましょうね。

 

 

 

===============

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2016年11月19日 (土)

まとめ  :「空気の研究」と「国語学者・大野晋の生涯ー孤高」川村二郎著 を読む - その7

空気の研究」と「国語学者・大野晋の生涯ー孤高」川村二郎著 を読む 

この大野晋氏の生涯を読んできた個人的な理由は、
私は一応日本語教師をやっているもんで、
「空気の研究」との関連で、日本語という言語との何らかの
つながりを見つけ出すことが出来ないかということでした。

Img_3357

二冊の本の内容をきちんと理解したかというと、それは
甚だ心もとないのですが、今のもやもやした時点で
無理やり感満載の結論らしきものを出すとすれば、下記のように
なります。

日本人の心の深層には、いわゆる八百万の神がしっかり
根をおろしている。
一神教的な唯一の絶対的なものはない。

そこで、日本人は様々なものを臨在感的に、つまり、ある神が
そこにいるというように、絶対化して把握してしまう。
例えば、現人神であり、民主主義である。
それが いけいけの「空気」を作りだす

一方、その空気に水を差すこともある。
それは「先立つものが無いなあ」というような通常性である。

この通常性も、ある集団的な情況倫理によって支配されて
いるので、個人主義を排除する。

その家族主義的情況倫理は、仲間内の隠し合いを生む。

この隠し合いが、事実を事実として認めない、あるいは
データを改ざんする集団内の風土を醸成する。

これを克服するには、臨在感的絶対化をやめ、
対立概念で相対的に把握しなくてはいけない
仏像は石である。 現人神は人間である。
事実を事実として認め、論理的に判断する。

                  
・・・・・さて、そこで、日本語との関連付けなんですが・・・

日本語の論理(外山滋比古著)を振り返ってみると。

「論理はそれを表現している言語と不離の関係にあるのではないかと
いうことである。 抽象的、普遍的な論理というものが、存在する
のではなくて、特定な言語によってあらわされた論理があるだけ
なのではないか。」

つまり、欧米式の論理だけが論理ではなく、日本語には
日本語なりの論理というものがあるはずだ。

「・・代表的な例は家族同士の会話で・・・・
第三者が聞けば何のことかまるでわからぬような省略の多い
飛躍した言い方をしているが、・・話は通じ合っている。
形式論理から見れば没論理と言えるかもしれないが、
まったく論理を欠いているというわけでもないであろう。」

『日本語は敬語があって主語がない』金谷武洋著に論拠を
求めてみると。

英語などは一神教を土壌として「神の視点」で俯瞰的に
地上を見下ろす描写をする言語であり、日本語は「地上の視点
で、地上にへばりついて話者間の言葉のやり取りになって
いるため、主語が無かったり、時制が曖昧だったり、敬語
話者間の関係を規定するような言語になっている、という
説があります。

要するに、神の論理と地上の論理の対立ですね。

神の視点で人間の活動を俯瞰すれば論理的になるが、
島国の日本であれば、小さな集団内部での言葉のやり取りが
主体になって、以心伝心の言語になるということです。

そこで、大野晋の日本語観に戻ってみますと、

「学問は学問の中で、事実に基づいて喧嘩をする。
子供が言おうと、大御所が言おうと、事実にかわりはない。」

「日本語は曖昧な言語であるというのは事実なのか。
それはその人間の頭の中が曖昧というだけのことではないのか。」

「根底にあったのは、考える力、判断する力の基本に
なるものが国語
であるという信念である。」

「ヨーロッパの言語を勉強した人の中に「日本語は曖昧だ。
ヨーロッパの言語のような、明快な文法がない」なんて
言う人がいるけど、とんでもない間違いだ
そういう人は、日本語の文法をきちんと勉強していないだけ
だよ。 そういう人が出ないように、これからは
助詞の「は」と「が」の違いなんかを、小学校のときから
おしえないといけないんだ。」

「南インドから、稲作や機織りという最先端の文明を持つ人たちがきた。
彼らは文明と一緒に言語を持ち込み、その言語の基礎語や
文法や五七五七七の歌の形式を受け入れてできたのが、
ヤマトコトバの体系である。」

「もし日本語が曖昧だとするなら、それは日本語のせいでは
ない。 使う人間の頭の中が曖昧なせいだ。
これは大野が折あるごとに言い続けてきたことだった。」

・・・・大野晋という学者は、
日本語自体が曖昧なのではなく、事実を事実として日本語で
表現しない日本人に問題があるとしているのだと思います。

(ちょっと飛躍しましたかね・・・)

その原因がどこにあるかとするならば、
例えば、最近よく耳にする「ブラック企業」という一種の
仲間内集団みたいなものかもしれません。

死んでも働け」という企業の言葉があったとして、
それを臨在的、神がかりのものとして把握し、絶対化することが
いわゆる「空気の醸成」になるわけです。

それは、「水を差す」という通常化によって、
その「空気」の中に住んでいる人たちを我に返らせる効果、
例えば、「死んでどうすんだ」、「生きる為に働いているんじゃ
ないのか」と言うような、当たり前の常識に立ちかえるという
効果はある。

しかし、ここで難しいのが日本的な多神教的風土だというわけ
ですね。

一神教的には、個人と神の一対一の関係だから、個人主義が
徹底していて、労働は労働という観念がベースにあるけど、
日本的な風土は集団主義に根差していて、個人主義や
自由主義を排除するかたちになっている。

だから、そのブラック企業の中では、事実という水をKY君が
周囲に浴びせたとしても、情況倫理という通常性が醸し出す
企業内の雰囲気によって、事実の隠し合いが起こり、
客観的尺度での思考が抹殺されてしまうということになります。

逆に言えば、事実を事実としてしゃべることが出来ないような
その情況倫理や企業内の空気が、日本語を「曖昧な」ものに
している根本的な原因ではないのか、ってことになるでしょうか。

私の無理やりな結論を言うとするなら、

「事実に基づく、率直な表現が、日本語を本来の姿に戻す」 

「その本来の日本語が、曖昧で理不尽なブラック企業を
 正しい企業に成長させる」

ということになります。

私が読んだ本の著者の皆さんからは叱られるかもしれませんが、
以上のようなことで、この結論をお許しください。

・・・ ここまで書いて数日後・・・

NHKテレビを見ていたら新日本風土記 「もういちど にっぽん」の

コピーが流れた。

いわく・・・

「見えないけれどいらっしゃる。

空気のように宇宙のように・・・。

手を合わせれば・・・わかるはず。」

・・・・・・・・・・・ これです。 日本人の深層に横たわる

あるものを神がそこにいるとして、臨在的に把握し絶対化する・・

ってやつですね。

===============

=== これより下に書いてあるのは、上記の「まとめ」を導きだす
    ために、あちこちから引っ張って来たメモです。

これは、既にまとめ的に書いたメモですが・・・

   「空気の研究」では、日本の場合は汎神論的な、
    おそらくは八百万の神・自然崇拝的信仰に根ざした
    臨在感に基づく絶対的把握によって、その対象に
    感情移入をして、空気が醸成され、それに支配され
    るから事実が見えなくなり、仲間内での隠し合い
    が行なわれ、事実を見てそれを口に出す いわゆる
    KY君は村八分にされてしまう 集団主義の社会
    だと言っているように思います。
    そして、そこからは科学的合理性なども排除される
    という結果になってしまうと。

    日本教原理主義の肝の部分のようです。
    これって、汎神論というのが多神教、神道、
    八百万の神々って話と同じならば、
    結局神道が日本人の原理主義の根元にあるって話
    ですか?
    その上で、いわば自分が属する家族的な集団を
    絶対化して、空気を作り、水を差し、
    熱くなりやすく冷めやすい回心を繰り返して
    いるってことになるのでしょうか。

    「水」とは「通常性」のことで、

「ここでわれわれは、非常に複雑な相互関係に陥らざるを得ない。
「空気」を排除するため、現実という名の「水」を差す。
・・・
従って、「空気」を創出しているものも、結局は「水=通常性」
なのであり、われわれは、この空気と水の相互的呪縛から
脱却できないでおり、この呪縛のなかに固定的規範は
入り得ないわけである。」

「日本の通常性とは、実は、個人の自由という概念を許さない
「父と子の隠し合い」の世界であり、したがってそれは
集団内の情況倫理による私的信義絶対の世界になって行く」

「情況倫理は情況を設定しうる一定の基盤がないと成り立たない。
一君万民の原則、簡単にいえば、一教師・オール3生徒であれ、
・・・一つの固定集団が一定の情況を創造しなければ成立
し得ないわけである。 この点、情況倫理とは、集団倫理
であっても個人倫理ではなく、この考え方は、基本的には
自由主義とも個別主義とも相容れない。
・・・一種の「滅私的平等」の倫理であり・・・」

「問題克服の要点は、・・・
一つは、臨在感を歴史観的に把握しなおすこと、
もう一つは、対立概念による対象把握の二つである。」

「物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言い換えれば
物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずの
うちにその何かの影響を受けるという状態・・・」

・・・・これらのポイントを私なりにまとめると、

日本人の心の深層には、いわゆる八百万の神がしっかり
根をおろしている。
一神教的な唯一の絶対的なものはない。

そこで、日本人は様々なものを臨在感的に、つまり、ある神が
そこにいるというように、絶対化して把握してしまう。
例えば、現人神であり、民主主義である。
それが いけいけの「空気」を作りだす。

一方、その空気に水を差すこともある。
それは「先立つものが無いなあ」というような通常性である。

この通常性も、ある集団的な情況倫理によって支配されて
いるので、個人主義を排除する。

その家族主義的情況倫理は、仲間内の隠し合いを生む。

この隠し合いが、事実を事実として認めない、あるいは
データを改ざんする集団内の風土を醸成する。

これを克服するには、臨在感的絶対化をやめ、
対立概念で相対的に把握しなくてはいけない。
仏像は石である。 現人神は人間である。
事実を事実として認め、論理的に判断する。

さて、この「空気の支配」と日本語の関連性としては、

大野晋的にいえば、
学問は学問の中で、事実に基づいて喧嘩をする。
子供が言おうと、大御所が言おうと、事実にかわりはない。

日本語は曖昧な言語であるというのは事実なのか。
それはその人間の頭の中が曖昧というだけのことではないのか。

日本語は論理的でない言語であるというのは事実なのか。
しかし、日本語に情緒的な言葉が多く、アテネのように
論理学が育つような環境ではないと大野氏も認めている。

「たとえば個人主義、たとえば合理主義、例えば原理・原則、
たとえば科学的証明、たとえば論理的考証などの用語が
日本ではいかにもそれらしく用いられながら、最後のところ
では日本化されて本来の切れ味を失っている状況が
克明に語られる。」
・・・という言葉は、日本語自体が、キリスト教に基づく
本来の意味を正確には伝えきれていないということ。

そもそも、日本語の論理ってのは何か・・・ってことで、
過去に読んだ本に遡ってみました:

日本語の論理(外山滋比古著)を読んでいます -その1
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/06/post-3512.html
p12
論理はそれを表現している言語と不離の関係にあるのではないかと
いうことである。 抽象的、普遍的な論理というものが、存在する
のではなくて、特定な言語によってあらわされた論理があるだけ
なのではないか。
われわれが論理と考えているものは、ヨーロッパの原語、その
文章法が表現するのに適した特殊相の論理にすぎないのでは
なかろうか。
それならば日本語で完全に表現できなくてもむしろ当然である。

日本語には日本語の論理があるはずで、もし、まったく論理が
なければ、日常の言語生活にも支障がおこってくるにちがいない。

p14
送り手と受け手が未知の人間であるような場合、筋道は
しっかりした線状をなしていて、受け手がそれから脱落しない
ようになっていなくてはならない。
・・・その典型的な例は法律の表現で・・・

これと反対に、・・代表的な例は家族同士の会話で・・・・
第三者が聞けば何のことかまるでわからぬような省略の多い
飛躍した言い方をしているが、・・話は通じ合っている。
形式論理から見れば没論理と言えるかもしれないが、
まったく論理を欠いているというわけでもないであろう。

p16
日本語は、・・・島国の言語である。
・・・家族語におけるような論理が社会の広い範囲に流通していると
考えてよい。・・・点的性格の方がよく発達しているのは自然の
ことである。

成熟した言語社会の点的論理を認めるならば日本語はそれなりの
論理をもっていることがわかる。

p17
点的論理の背後には陥没した線的論理がかくれて下敷きになっている。

p17
「連想の論理」

p18
点的論理が通用するところでは、・・・・
かりにAという言葉があるとする。 それを聞き、あるいは、
読む人は、それにゆかりのあるさまざまなものを連想する。
・・・一見無関係と思われるAとBとが引き合って脈絡
をつくり上げる。

この連想はかならずしも意味の次元にかぎらない。
音が似ていることも連想の重要なきっかけになる。

アイランド・フォーム(島国形式)の文化をもった社会では、
ひとつひとつの言葉の連想領域が大きくなっている。

コンティネンタル・フォーム(大陸形式)の文化における
言語は派生語やイディオムのすくない単語のように
語義の範囲が限定されていて、それが喚起する連想の領域も
おのずからかぎられている。

p19
海綿状に発達した言語においては、直接的でつよい表現を
与えることはむしろ効果的でない。 ごく軽い、間接的な、
あるいは象徴的な表現がよく利くのである。
したがって、そういう表現は多少ともあいまいになる傾向
をもっている。

p19
ヨーロッパにおいてはあいまいさは明晰な論理の敵であると
考えられてきたけれども、親密な伝達におけるあいまいさは
表現の生命にプラスするものであることが、二十世紀になって
からようやく認識されるようになった。

あいまいさは論理と対立するものではなくて、一種の論理で
あることを承認できるようになるには、社会が言語的に
ある成熟に達していなくてはならない。

p21
連句における、前句と次の句のつながり方もまた、日本語の
論理の一面をよくあらわしているように思われる。
・・・これを連句では「うつり」とか・・・呼んでいる。
「うつり」「匂い」「ひびき」が形式論理における論理でない
ことははっきりしているが、だからと言ってこれをただちに
非論理と決めてしまうことも乱暴である。
むしろ点的論理のもっとも洗練されたものだと考えるべきで
あろう。 

日本語の論理についてはまだまだ明らかにされていない部分
がきわめて多いけれども、このさきもさらに外国人によって
教えられるようなことがないようにしたいものである。

日本語の論理はいわば連想の論理で、それを解明するには
詩歌、とくに俳句がもっとも有力な手がかりを提供するように
思われる。

「日本語の論理」 その13 日本語は義理人情、浪花節であ~~る
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/06/post-014e.html
p60
「感情移入的」

学校でも5W1Hとかを教える。・・ニュースの枠組みによって
文章の認識、整理をしている。

日本語の動詞のほとんどすべてが人間を主語にとるようになっている。
・・第二人称の主語はことわらなくても動詞を少し変えるだけでわかる。
・・無生物が主語になっていることがあれば、たいていは
擬人法表現である。

たいていの思考が人間中心に、人間に即してすすめられる。
・・・ものごとと ものごとの関係にはさほど関心がないから
論理学は日本では生まれなかったのだ・・・・

そういう思考の展開は人生論的であり、情緒的・・
・・情緒、共鳴、感銘、感動などと自覚されるのだが、
こういうのを感情移入的思考と呼ぶ・・・
義理人情が論理に優先する。

「日本語の論理」 その16 ドイツ語はしつこい、日本語は舌足らず
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/06/post-67c4.html
p80
「島国言語と冗語性」

p82
日本語は、普通は家族の間で行われるような言語活動の様式が
親密な集団の範囲をこえて広く認められるのである。

言語には冗語性というものがある。 ひと口にいうと言葉の
中に含まれる必要な蛇足である。

p83
・・・冗語性のすくない典型的なケースがすでにのべた
家族間の話である。

p84
大陸言語の社会では冗語性をあまりすくなくすると、
ごく親密な関係の人との間ならともかく、相手に誤解されたり、
了解不能を訴えられたりするから、ていねいな表現を
しなくてはならない。

ヨーロッパ語の中でもドイツ語がいちばん冗語性が高いと
いうことであるが、われわれがドイツ語を論理的で
何となく理屈っぽいと感じているのはこの冗語性の高さと
無関係ではないように思われる。

p85
冗語性のもっとも高い見本は、・・・(日本では)
六法全書の中にあるということになる。

「日本語の論理」 その17 日本語には「話し合う言葉」がない!?
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/06/post-a28b.html
p87
日本語の論理は線状のものを表現するのにとくべつ適して
いないのではなく、馴れていないのである。

・・しかし、省略的、飛躍的な点の論理には比類なき力を
発揮できる。
碁を打つ時・・・上手になると、かなめのところへ一石を
投じて、・・・こういう上手の碁の布石のようなものが
日本語の論理だと思えばよいかもしれない。

===>> おお~~~、やっと出てきました。
待ってました! 「日本語の論理」!!

そうか~~、日本語は 「囲碁の論理」だったのかああ・・・

神の視点と地上の視点
http://hitokutikouza.seesaa.net/article/410822399.html

『日本語は敬語があって主語がない』金谷武洋著
「スペイン語など欧米の言語は物事を空(神の視点)から眺めます。
一方で、日本語は地上から眺める文章が多いです。」

「 ・日本語:時間の推移を含んだ出来事を現わしている。
 ・英語:汽車という物を持出し、トンネルからの出現にしている。

また、日本語の文章には主語がないことにも気づきます。
英語では、汽車という主語をあてはめて訳しています。
これが神の視点と地上の視点の違いです。」

日本語を話す民族に原子力は似合わない - その2
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/week21/index.html

「カナダに長年住んでいて私が恐いと思うものがあるとすれば、
それは何よりも、状況を上空の高みから見下ろす「神の視点」
です。 多くの場合、その視点はキリスト教という「一神教」
と手を組んで「神に守られた正義」の主張となります。」

「左脳で音を処理する ポリネシア語 vs 日本語  そして ムー大陸 ??」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/12/post-732e.html

左脳=言語脳で 虫の声を処理する ポリネシア語・日本語って どんなんだ?
ってことが気になって・・・ますます 迷い道・・・・

「金田一氏は『日本語の特質』(63ページ)で、「日本の周囲には、日本語のように全部の
拍が母音で終わっている言語はありません。全部の拍が日本語のように母音で終わる
言語は、日本の近くではポリネシア語がそうです。このことから、日本語ができるときには、ポリネシア族が日本にいたのではないかという説も出るくらいです。」」

「 私はかつて東南アジア語の一つであった原ポリネシア語が縄文時代に日本列島に入って縄文語となり、これと弥生時代以降に日本列島に入ってきた大陸・半島系の民族が持ち
込んだ言語が融合・発展して、現在の日本語になつたと考えています。 」

ムー大陸とは
今から約1万2000年前に太平洋の中心で、一夜にして沈没したとされる幻の大陸。
「世界最古の土器」は日本にあって、1万2000年~1万5000年前のものとされている。
ムー大陸の沈没と世界最古の土器は関係あるのか?」

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2016年11月15日 (火)

「空気の研究」と「国語学者・大野晋の生涯ー孤高」川村二郎著 を読む - その2

国語学者・大野晋の生涯ー孤高」川村二郎著 を読んでいます。

ふたつの書籍を読み比べながら、日本語と「空気」
関係のヒントを得たいと思っています。

Img_3359

p170

GHQ民間情報教育局(CIE)の主導で、日本語を根底から
変えるような政策が進められつつあった。
その考え方を要約すれば、
「見るからに複雑怪奇な漢字は、悪魔の文字である。
日本の国民は悪魔の文字のせいで正しい情報を知ることが
できず、軍国主義に支配されることになったのだ。
悪魔の文字を使わせてはいけない。漢字なぞ、やめてしまえ

日本には、同じように漢字の廃止を提唱する団体が、戦前から
あった。 romajikaiとカナモジカイである。

この動きに「待った」をかけたのが作家、山本有三である。

「日本語が外国人の命令によって変えられるのは困る。
自分達でかんがえる」と民間情報教育局に申し入れ、
国語学者などを集め国語審議会を主宰した。

p172

実際のところ日本語はこの時期、その存在は「風前の灯
といってもいい状況に置かれていた。

=== 恐ろしい時期があったんですね。
    ローマ字やカナ文字だけの日本語になっていたら
    漢字で表記されている様々な意味を込めた
    日本で作られた漢字熟語が消え去って、
    日本独自の科学の発展にも支障が出ていたんじゃ
    ないでしょうか。思想の根本である形而上学に
    使われる漢字も外国語の概念を上手く翻訳して
    いたわけだから、同音異義語なんぞがめっちゃ
    たくさんある日本語は そうとうな混乱を
    したでしょうね。
    韓国語がその例だと聞いたことがあります。

    もしかしたら、そういう日本独自の科学の発展
    に恐れを感じたアメリカの謀略だったかも??

 

p207

「室町時代の末に日本に来てキリスト教を広めようとした
人々は、キリストの愛、神の愛を説こうとしたときに、
愛という言葉を避けて「大切」という言葉をもっぱら
使った。 それは、当時すでに「愛」という言葉に
しみついていた、そういう(「今昔物語集」などで
使われた)「小さいものを可愛がる」というような意味
から遠ざかろうとしたためであろうと思われる」

=== 今でも、例えば I love you. を日本語で
    どういったらいいですか、と聞かれて、
    「私はあなたを愛す」なんてことを
    教える気にはなれないですもんねえ。
    「好きだよ」とか「すっきゃねん」とか
    九州なら「すいとっと」かなあ・・・笑

p212

自分の研究に少しでも落ち度があれば、素直に認める。
・・・学問研究においてはだれが書いたものかより、
それが実証的かどうかで評価されるべきであるという
ことを、あらためて知ったのだった。

p213
「徹底的に相手をやっつける」ことが許されたのだろうし、
そういう議論のしかたは、大野の望むところでもあった。
学問、研究はそうあるべきで、イデオロギーや感情の
入り込む余地はない

=== 相手が子供であろうとも、その言っていることが
    事実であるならば、それを謙虚に認める
    という態度ですね。
    たとえ議論の相手が自分の教え子であっても
    実証的、論理的であることが重要。
    しかし、日本では、往々にして、誰が言ったか
    が優先され、事実がある「空気」の中で
    ゆがめられてしまうと。

p224

「国語審議会は漢字を追い出した後で、どうするつもり
なのか。 このままでゆくと、外来語がどしどし入って
きて、日本語は外来語にテ、ニ、ヲ、ハが付くだけの
言葉になってしまう
。」

五十年前に今日のカタカナの氾濫を予見していたことになる。

p225

ローマ字派の急先鋒の一人・・・は
「中国ではいずれ漢字が全廃され、ローマ字になる」という
見通しを建て、日本の漢字教育を批判していた。
今となっては、笑い話にもならない。
人々の記憶には「日本語をやめてフランス語を国語に
しよう」といった「小説の神様」の発言が残っていた。

p232

言葉に限らず、日本人の「民主主義」や「自由」についても、
基になった思想や哲学、されにはそれぞれの歴史についても、
ろくに知らないまま、言葉の響きに浮かれているところが
ある。 それも大野には、気になることだった。

=== この言葉の裏には思想があるという点は、
    「空気の研究」でも述べられていることでした。

それを振り返ってみると、ここの部分です:

p236(「空気の研究」)

日本では一神教的思想に由来する各種の概念が
いかに好い加減に用いられているかの立証に筆を
進められる。 
たとえば個人主義、たとえば合理主義、例えば原理・原則、
たとえば科学的証明、たとえば論理的考証などの用語が
日本ではいかにもそれらしく用いられながら、最後のところ
では日本化されて本来の切れ味を失っている状況が
克明に語られる。

=== つまり、欧米などの一神教と日本の汎神論との
    間の根本的な違いですね。
    だから、日本化されてしまうのが自然では
    あるのでしょうが、本当は違うってこと
    ですね。

p232

大野は国語審議会に出てみて、想像していたことが
思いすごしではないことを知った。

会長や副会長は・・・名前は有名でも、国語については
組織的な知識を持っていなかった。

結局、原案がそのまま認められていく。

三期六年、委員をしてみて分かったことといえば、
国語審議会なるものは他の多くの審議会や諮問委員会と
同じように、役人があやつっている一種の隠れ蓑
すぎないのではないか、ということだった。
そういうことを知ってみると、GHQの民間情報教育局
がいち早く国字国語改革から手を引いた理由が理解できた。

=== な~るほど・・・これが「空気に支配される」
    見本みたいなものなわけですね。
    トップには名前だけは有名な人を集めておいて、
    中身は役人が作る。 そして、そういう空気に
    持って行くという技を使うわけか。

p235

日本人はともすると、事実を冷静かつ細かに見ようとしない
ところがある。 事実より、それをめぐる周辺の雰囲気
人間関係に心を配ろうとする。 さらには、事実を
ぼかす方が賢いと思う傾向があるのではないか。
大野の見立ての根底には、日本人の国民性について
折に触れて感じていたことがあった。

=== う~~ん、これは正に、「空気の研究」そのもの
    ですね。 ある場面で情況によってある一定の
    方向に全てが流されていく。

大野が助教授になってすぐの教え子の山本俊英は
二年生のとき、日本語には、大きい、小さい、長い、
短いといった「ク活用」の形容詞より、さびしい、悲しい、
うれしい、わびしい、楽しいといった「シク活用」の
形容詞の方が、はるかに多い
ことを突き止めた。
・・・山本の発見は、日本人が事実を細かく観察する
ことより、情緒的にとらえようとする傾向のあることを
端的に示していた。

=== さて、ここで、日本語と日本人の国民性の
    関係が出てきました。
    これが本当かどうかは、それこそ、外国語との
    比較でデータとして実証しなくちゃいけないん
    でしょうが、研究者が「端的に示していた」と
    言っているわけだから、そうなのでしょう。

    まあ、感覚的には、情緒的な言葉が多いかな
    という気はしますけど。

p240

大野はこうして事実を調べ上げたうえ、失恋を経験して
から恋の喜びを知った(本居)宣長のために「得恋」
いう言葉をつくったのだった。・・・
しかし「得恋」という言葉は、ついに定着しなかった。

== おお、この「得恋」(とくれん)という言葉は
   私の中では しっかり定着していますがねえ・・
   どの世代の人たちの記憶に残っているんでしょうか。

p256

女性達は、男性には感じ取ることが難しい、こまやかな
感情のひだを読みとることに慣れていた。
そして、それぞれに個性的だった。
優しい気性の女性が剛健な意味を持つ単語を受け持つと
弱々しく訳される。 逆に、強い気性の女性が優しい
意味の単語を担当すると、訳が粗くなる。

=== これは、辞典の編纂をした際の、シク活用の
    形容詞について ひとつひとつの語に
    どんな説明をつけるかの作業での話です。
    私が直接法で日本語を教える場合は、
    新出語の意味をそれまでに習った語彙の範囲で
    易しく説明する方法を考えださないといけない
    んですが、やっぱり辞書というものは
    複数を並べて調べないといけませんね。

    ましてや、外来語ともなると、なかなか
    これがやっかいでして、
    和製英語ってのが曲者ですよね。
    たとえば、日本で言うシュー・クリームは
    英語ではクリーム・パフですもんね。
    (靴クリームのことじゃないですよ。)

    それを考えたら、民主主義だの合理主義だの
    いうような抽象語はなおさらのことでしょう。

・・・・・・・

さて、次回 その3 は、この大野晋氏が「孤高」であった
ことを証明するような「タミル語起源説」の部分です。

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2016年11月11日 (金)

「オール3」の日本。 「空気の研究」 山本七平著 を読む - その6

小池東京都知事が NHKのニュースの中で
ちらりと言及した 「空気の研究」を読んでいます・・・
「水=通常性」の研究 の章に入っていますが、ますます迷路。

Img_3028

私には結構難しいので、分かるところだけをピックアップ。

p114

この(「日本的情況倫理の)考え方の基本を探るため、
まずその対極にある「固定倫理」的見方を検討・・・

固定的規範というものは、人間を規定する尺度でありながら、
実は、人間がこれに関与してはならないのが原則であり、
従って、きわめて「非人間的」であり・・・・

p115

神授による倫理的規範の絶対化 -- たとえばモーセの
十戒 -- から、メートル法や・・・・・

このメートル法という規範を、「情況に対応して変化させる」
ことはできない。

p117

たとえば、生徒を「オール3」に評価した音楽教師
話題になったことがあるが、これがなぜ正しくないかの的確な
論証である。
・・・この教師は、おそらく、非常にまじめな典型的・保守的
日本人であり、一途に「原点」を考えたから・・・
人間を基準とするという日本的平等主義は、最終的には
こういう結論しか出てこないからである。

p118

基準を非人間的な対象に求めれば、「平等」という概念は
全く逆に表れる。 たとえばメートル法を使って生徒の
身長を計る。

百メートルを競争する。・・・「時間」を極力正確に計って
その結果を平等に記し、この平等によって「個」を公正に
表すことが平等であっても、一等二等三等は差別になるから、
全員同時に到着するよう、それぞれに操作を加えることは
平等にならず、逆に不公正になる

p119

われわれの社会は通常すべてに「オール3」をつける。
そして「オール3」を導き出すために、尺度に加えられる
操作が「情況」
なのである。

==== ここでは、当時の世相であったらしい   
     リンチに対する共産党の論理、戦犯の論理、
     特高の論理、新聞報道の論理などについて
     基本的には同じ構造になっている・・・等と
     述べられていまして、私には理解不能なの
     ですが、以下にまとめがあります:

p120

(1)固定倫理
   リンチという「行為」は悪であり、従ってだれが
   だれに対して行なっても絶対に許されない。
(2)情況倫理
   リンチという行為だけを取り上げて同一規範で
   律してはならない。 そうせざるを得なかった
   情況を創出したものこそ非難されるべき・・・
(3)辻褄の合わない論理
   そのように情況にあったことは事実であるが、
   その情況下でもリンチはなかった。
   それは悪質なデマ宣伝であり・・・

=== まあ、(3)は、詳しく本を読んでもらわないと
    理解できない部分ですが・・・

p123

内外のさまざまな事件に対する見方が、政治的立場と
時代を越えて同一の図式を示すことは、その背後に、
共通した類型的な思考過程があることを示している。
そしておそらくそれが、日本における「通常性」的判断
論理的基本なのである。

論理にはなり得ない(3)の主張がなされるのであろう。
言うまでもなくこの背後にあるものが「オール3」的
情況倫理である。

簡単にいえば、餓死寸前に一片のパンを盗もうと、
飽食の余興に一片のパンを盗もうと、「盗み」は「盗み」
として同じように処罰される。
西欧の伝統は一貫して峻厳な固定倫理であり、そのゆえに
十九世紀以降、これへの痛烈な批判が起こって不思議ではない。

・・・ところが日本は・・・・全く別の規範のもとに
生きてきた。 いわば元来の発想がきわめて情況倫理
なのである。

p124

身長「オール140センチ」と計るには、物差しを伸縮自在な
ゴムでつくって、
・・・こうなれば全員平等であって、
一切の”差別”はなくなるであろう。

・・・この伸縮自在な物差しに相当する倫理的尺度が
「情況」なのである。

p125

だがこの日本的情況倫理は、実は、そのままでは規範には
なりえない。 いかなる規範といえども、その支点に
固定倫理がなければ、・・・・

p126

西欧が固定倫理の修正を情況倫理に求めたのとちょうど
逆の方向をとり、情況倫理の集約を支点的に固定倫理の
基準として求め・・・

p128

情況倫理は情況を設定しうる一定の基盤がないと成り立たない。
一君万民の原則、簡単にいえば、一教師・オール3生徒であれ、
・・・一つの固定集団が一定の情況を創造しなければ成立
し得ないわけである。 この点、情況倫理とは、集団倫理
であっても個人倫理ではなく、この考え方は、基本的には
自由主義とも個別主義とも相容れない
・・・一種の「滅私的平等」の倫理であり・・・

=== 良く理解は出来ていないんですが、
    以前から 日本人は欧米式の民主主義や自由主義、
    個人主義には合わないような感じがしていたん
    ですが、どうもこういう日本的情況があったん
    ですね。
    前にも書いたことがあるんですが、
    世界の宗教の中で、日本人に一番合っているのは
    キリスト教でも仏教でもなく、イスラム教じゃないか
    と感じたことがあるんです。
    もっとも、宗教紹介の入門書みたいな簡単な
    概略を書いた本ですから、深いところは分かりませんが。

p129

ここでわれわれは、非常に複雑な相互関係に陥らざるを得ない。
「空気」を排除するため、現実という名の「水」を差す
・・・
従って、「空気」を創出しているものも、結局は「水=通常性
なのであり、われわれは、この空気と水の相互的呪縛から
脱却できないでおり、この呪縛のなかに固定的規範は
入り得ないわけである。

=== はい、ここまで読んできて、なんとなく絶望的な
    気分になっていたんですが、やっぱりそういうこと
    なんですね。

p131

人はそれぞれ「自分の罪で死ぬ」のであって、親子といえども
無関係
なのである。

p132

個人主義的倫理という点から見れば、二千六百年前に聖書が
否定した「罪九族に及ぶ
」を、さらにさらに拡大解釈し、
一会社を一家族と見てそれを実施している、原始未開の
人間ということになってしまう・・・・

何か事件があるとその親が写真までそえられて新聞に登場する。
そしてその親に向かって「国民に土下座しろ」などという
投書が新聞に載ったり、親が首をくくったりする。

=== はい、これは昔から日本人は不思議だなあと私が
    思ってきた点です。
    本人ではなく、親であったり、家族であったり、
    学校であったり、会社であったり・・・
    その当事者が属しているグループの責任者らしき
    人が毎度おなじみの台詞でお詫びをする。
    こんな儀式にどんな意味があるんだと思っていました。

・・・・・・

では、 また その7 でお会いしましょう。
さいなら、さいなら、さいなら・・・・・

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