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2018年2月 8日 (木)

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読む - その5

 

 

 

矢部宏治著 集英社インターナショナル

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」

を読んでいます・・・・

 

「安保村の謎」で副題が「昭和天皇と日本国憲法」の続きです。

 

 

さすがに日本国憲法という話は長いです。

・・・で、誰が書いたのかという点では、いろいろ議論が

あるようなんですが、この本では、

 

― 「書いた」のは100パーセント GHQだった

 

・・・と断定しています。

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が・・「書いた」にカッコがついているところがミソなんですね。

 

― なぜならGHQ自身が、1949年にそのことを本に書いて

  公表しているからです。

 

― 1946年の2月4日から12日にかけて、GHQ

  9日間で日本国憲法の草案を書きました。

  ・・・ケーディス大佐を中心に、25人のアメリカ陸軍

  の軍人たちが、11の章ごとに分かれて執筆した。

 

― 「自分たちが憲法草案を書いたことに関する一切の言及

  を、メディアや手紙でおこなうことを禁じた」と公表している。

 

・・・ 上のようなわけで、書いたのはGHQというのは

明確なんですけど、この著者は 今までの左派の考え方を

批判して次のように述べています。

 

― 「内容が良ければ、だれが書いたかなんて、どうでも

  いいんだ」などと言います。

  よくありません。 それはまったくのまちがいです。

  憲法というのは国家を運営するうえでの原理原則、

  根幹です。 そこにあきらかなウソがあっては、

  枝葉の部分はめちゃくちゃになってしまうのです。

  それがいまの日本なのです。

 

・・・これはもっともなことだと思います。

実際にそういう状況になってしまっていますしね。

 

 

― こうしてGHQが書いたという事実を隠したうえに

日本の「法学」を組み立ててしまったため、戦後の日本社会

の法的な基礎は本当に脆弱なものになりました。

 

― この点は、社会科学の先進国であるドイツやフランスを

  見習う必要があります。 日本は・・・・政治指導者たちが

  論理的思考が苦手だという点だけは、どうごまかすことも

  できません。

 

― ドイツは政治指導者や知識人がすぐれていた。

  まず占領中はいくら言われても絶対に正式な憲法をつくらず、

  1949年5月の独立時に各州の議会代表会議によって

  基本法という形で「暫定憲法」を定め、そのなかに、

  「この基本法は、ドイツ国民が自由な決定により議決した

  憲法が施行される日に、その効力を失う」という条文を

  入れています。

 

・・・ ああ、残念無念なことですねえ。

日本語教師としては、日本語という言葉が論理的じゃないという

話はよく聞くことなんですが、政治指導者の論理的思考が

まずダメって話ですか。

ってことはですよ、今も同じ状況だとしたら、今憲法改正を

やったって ろくなもんは出来ないってことになりませんか。

まず、政治指導者を再教育して論理的思考ができるように

しなくちゃいけない??

 

実はね、日本語事態が外交にも向いていないという学者だって

いるんですよ。 困ったもんです。

 

でも、もし言語的に日本語にはそういう問題があるとすれば、

英語で草案が書かれたってのはもしかして正解?

あとは それを日本人が考えて、日本人がつくればいいってこと?

 

 

― 現在、「日本国憲法はGHQが書いた」という事実を否定して

  いるのは、世界で日本の左派だけです。 ここに現在の

  日本の主権喪失状態が、アメリカのせいではなく、日本人

  地震の問題だという理由があります。 本当は論争になる

  はずがない話なのです。

 

― 連合国の中には、日本の天皇も裁判にかけろという声が

  根強くあったわけです。 アメリカ国民のなかにも有罪にしろ

  という声が多かった。

  そうした事態を避けるために、「天皇も日本も将来絶対に

  軍事的脅威になる可能性はない」という形で新しい憲法を

  つくる必要が、どうしてもあったわけです。

 

・・・ つまり、憲法をつくることも 戦争だったわけですね。

マッカーサーも天皇を上手につかって、アメリカ兵を死なせないで

済むようなやり方を考えていた。

戦後処理を上手くやるためのひとつの手段になっていた。

だから日本国民の意志を反映しないまま、ドタバタと作った。

 

― アメリカ国務省や米軍に関する機密解禁文書を読んできた

  経験からすると、彼らは最重要のミッションをあたえられた

  とき、徹底的にロジカルに行動します。 あらゆる手段を

  使って敵の情報を集め、分析し、次の行動を予想して、

  なにがあっても負けないという体制をつくってから動き始める

  のです。

 

― 占領軍が被占領国の憲法草案を執筆し、それを被占領国自身が

  作成したことにした。 それは西側諸国では他にほとんど

  類例のない、きわめて異常な出来事である。

  ・・・議論も許さない「絶対護憲主義」は、しょせん戦術論

  でしかありません。

 

・・・ この点は 私も同意です。

絶対反対は戦術でしかないと思います。

その前によって立つべき信念を憲法草案として持っておかなくては

いけないと思います。

解釈改憲でになった憲法を自分たちはどう立て直すのかを

きっちり議論し、それぞれの党が、それこそ敵をしっかり分析して、

論理的な議論を国会でやるべきだと思います。

 

・・・でもなあ、国会って、相手の話を聞かない場だからなあ、

日本の場合は・・・ああ、絶望的・・・・

 

 

― 当時まだ39歳と若かったケーディスは、あくまで本国の

  政府が決めた大きな方針の枠内ではあるものの、理想主義的

  な見地から「新しい時代の、模範になるような憲法を

  つくりたい」と強く思っていたことでしょう。

 

― 「九条をつくったアメリカ側の目的は 日本を永久に

  武装解除されたままにしておくことでした。 ただ自国を

  保存する権利は残しておく。」

 

― 「人類究極の理想」を憲法に書き込もうとした。また、

  天皇という君主をのこしながら、完全な民主主義国として

  再出発することも憲法に書かなければならなかった。

 

・・・ そうですか、39歳の米軍の男が一人で書いた

んですか。 凄いですね。

ってことは、今の日本の40前後の人たちにも書けるという

ことになりませんか。

30歳から50歳までの日本人を集めて、まったく新しい

日本国憲法を草案してもらいましょうよ。

手垢にまみれて ボロボロになった今の憲法は忘れましょう。

ジジイは引っ込んでろ・・・って感じでいいんじゃないですか?

ところで、明治維新に憲法を作った人たちは何歳ぐらい

だったんですかね??

 

― 憲法についての日本の悲劇は、「悪く変える」つまり

  「人権を後退させよう」という勢力と、

  「指一本ふれてはいけない」という勢力しかいないことです。

  「良く変える」という当然の勢力がいない。

 

・・・はい、私はその「いない」勢力の一人です。

勢力にはならないか・・・残念。

本音を言うとですね、「立憲」民主党には期待はしているんです。

一応「立憲」と言っていますからね。

ただ、今のところ、その中身が見えませんけど・・・

 

立憲民主党が新しい憲法草案をつくったら賛成するかも。

 

私は自衛隊に反対じゃないですよ。

なにせ海軍の町 佐世保うまれですからねえ。

・・関係ないか。

 

― 事実を公開するアメリカと、隠蔽したまま進んでいく日本

 

― ひとりの人間にたとえて考えてみてください。

  そもそも過去の記憶がなければ、個人としての統合性

  がたもてるはずはありません。

  現在の日本の混迷の大きな原因のひとつは、国家全体が

  過去の記憶を隠蔽・廃棄し、その当然の結果として

  インテグリティを喪失した状態になっているというところに

  あるのです。

 

― なぜ日本人は自分たちで まともな憲法を書けないのか

 

 

・・・・ 日本全国で、高校生以上の人たちで、

まあ、せいぜい50歳以下でいいと思うけど、

「新憲法草案コンテスト」ってのをやったらいいんじゃね?

高校生・大学生は全員に強制する。

「お前たちが今後生きていく日本なんだから お前たちが作れ」

と国の命令でコンテストに参加させる。

コンテストに参加しない輩には 災害があった時に

強制的に災害救援隊に徴兵する・・・なんてどう?

あたまを使わない奴は身体を張って国の為に尽くせ、

という何とか主義・・・ははは

 

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=== その6 に続く ===

 

 

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2018年2月 6日 (火)

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読む - その3

 

 

矢部宏治著 集英社インターナショナル

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」

を読んでいます・・・・

 

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さて、今日は 「福島の謎」の部分です。

 

東日本大震災から1年ほど後に、私は被災地ツアーというやつで

あちこち見て廻りました。

基本的には観光ツアーみたいなものでしたが、それでも

被災地の人にとっては 来てもらうと助かるというような

話もありましたし、我々としても必ず見ておくべきものだと

現地で思いました。

 

その時の感想はこちらに書いていますので、ご覧になってください:

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/05/post-671f.html

 

その後、いかに鈍感な日本人とは言っても、意識は大きく

変わるだろうと思っていたんですが・・・・

どうも、日本人というのは目的に向かってロジカルに考える

ということが出来ない国民なのかなとがっかりしているんです。

 

「人の噂も七十五日」なんて言葉や「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とか

いう言葉がありますが、どうも日本人は「しょうがない」とか言って

雰囲気に流されたり、忘れたり、思考停止したりする癖があるらしい。

 

で、この本を読んで、福島で起こったことを思い出し、

その裏側に潜んでいる諦めの原因を読んでいこうと思います。

 

この章の副題は

「日本はなぜ、原発をとめられないのか」となっています。

 

― いくら室内をふいても、またもとにもどってしまう放射線

  の数値。 とくに小さなお子さんをもつお母さん方の

  苦しみは、まさに言葉では言い尽くせないものがあったでしょう。

 

― 少し事態が落ち着いてくると、被災者たちは信じられない

  出来事に次々と直面することになったのです。

  なかでも、もっともおかしかったのは、これほどの歴史的

  大事故を起こし、無数の人々の家や田畑を奪っておきながら、

  その責任を問われた人物がひとりもいなかったということでした。

 

― おそらく普通の国なら半年もたたないうちに大訴訟団が結成

  され、空前の損害賠償請求が東京電力に対しておこなわれた

  はずです。

  しかし日本ではそうならなかった。

  ・・・それはいまの日本社会では、いくら訴訟をして

  「お上にたてついて」も、最高裁まで行ったら必ず負ける

  という現実を、みんなよくわかっているからでしょう。

 

― チェルノブイリで起きたように、先天性障害や心臓病に

  なった子供たちも数多くあらわれることが予想される。

  裁判所がそれを認めているのです。

  しかし、それでも子どもを救うための行政措置をとる必要は

  ないという判決が出てしまった。

 

― 「当裁判所は、(関西電力側が展開したような)きわめて多数の

  人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの

  問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の

  当否を判断すること自体、法的には許されないことであると

  考えている」

  日本の司法は、まだ死んではいなかった。

  しかし・・・少なくとも最高裁までいったら、それが必ず

  くつがえることを、みんなよくわかっているからです。

 

 

・・・ ここですよね。 私が腹に据えかねるのは。

国の政権というのは国民から選ばれて、国民を守るために

あるんじゃないのか・・って思うわけですよ。

こんな私は 極右でも極左でもいいんですけど、

とにかく不可解極まりないと思うんです。

 

それで、こんなに理不尽なことになってしまう裏側に

何があるのかって話です。

 

 

― 福島原発事故という巨大な出来事の全貌があきらなになる

  には、まだまだ長い時間が必要です。政府はもちろん

  情報を隠蔽しつづけるはずですし、米軍基地問題のように、

  関連するアメリカの機密文書が公開されるまでには、

  三十年近くかかります。

 

― 歴史的経緯がきれいに解明されたとき、すでに日本全土が

  放射能で汚染されていては意味がない・・・・

 

・・・ まさに、この情報開示の問題が大きいと思います。

アメリカはその点、遅くはなってもちゃんと公開する。

でも、日本は みみっちい情報まで 無いとか廃棄したとか

姑息なことばっかりやっているし、公開されたら真っ黒けと

いうのがフツーになっちゃってますよね。

 

もっとも、まともな議論をしたり、ロジカルな文書でもなく、

なんだか言語明瞭意味不明なことが好きな人たちだから

書かれていることが真実だなんて信用もできないかな?

 

ともあれ、

とてもとても、自由で民主的な国とは 恥ずかしくて言えない。

確か そんな名前の政党もあったようですけど・・・

(とりあえず ここで断っておきますが、今の現存する

 政党はいずれも 信用できません。 だって、公約したって

選挙が終わったら すっかり忘れるんだもん。残念です。)

 

― 日本の憲法よりも上位にあることが確定している。

  ・・・そうしたウラ側の「最高法規」が積み重なって

  いるのです。

  この「密約法体系」の存在を考えに入れて議論しないと、

  ・・・「なぜ沖縄や福島で起きているあきらかな人権侵害

  がストップできないのか」・・・ということが、

  まったくわからなくなってしまうのです。

 

― 問題は占領の終結後、それがどう変わったかです。

  サンフランシスコ講和条約と日米安保条約を同時に結び、

  1952年に独立を回復したはずの日本の実態はどう

  だったのか。

  答えは「依然として、軍事占領状態が継続した」ということ

  になります。 沖縄だけの話ではありません。

 

― そもそも現在沖縄にある基地は、すべて米軍によって

  強制的に奪われた土地につくられたものです。

  ・・・ もし今回、辺野古での基地建設を認めてしまったら、

  それは沖縄の歴史上初めて県民が、米軍基地の存在を

  みずから容認するということになってしまう。

 

・・・・ この辺野古の問題の大事なポイントが書かれているん

ですが、昨日の市長選挙の結果をみると、理不尽な日本政府に

押し倒されたという雰囲気ですね。

 

それはとりもなおさず、日本政府がアメリカに負けたということ

のように、私には見えます。

 

しかし、この後、この本には その「ウラ」の日本政府の話が

詳しく書かれているんです。

それは、じっくり本を買って読んでもらうとして、

私が気になったところを引用します。

 

 

― 「外国軍が駐留している国は独立国ではない」という事実です。

  だからみんな必死になって外国軍を追い出そうとします。

  ・・・フィリピンやイラクがそうです。

  フィリピンは憲法改正によって、1992年に米軍を完全

  撤退させました。

  イラクもそうです。 あれほどボロ負けしたイラク戦争から

  わずか8年で、米軍を完全撤退させています。

 

― 「自国内の外国軍に、ほとんど無制限に近い行動の自由を

  許可すること」 と、 「民主的な法治国家であること」は、

  絶対に両立しないからです。

  その大きな矛盾を隠すために、「戦後日本」という国は、国家の

  もっとも重要なセクションに分厚い裏マニュアルを必要とする

  ようになりました。

  ・・・ 独立した法治国家であるはずの日本の国内で、

  米軍および米兵に事実上の「治外法権」をあたえるために

  つくられた裏マニュアルです。

 

― こうした形で司法への違法な介入が繰り返された結果、

  国家の中枢にいる外務官僚や法務官僚たちが、オモテ側の

  法体系を尊重しなくなってしまったのです。

 

 

・・・・ さあ、みなさんお立合い。

これでもあなたは この日本という国に絶望しませんか???

我々の日本は 憲法で動いているわけじゃないんですってよ!!

・・・まあ、昔から訳の分からん「解釈改憲」ってのが

ありますけどね。

つまりは、解釈改憲で、オモテの憲法をウラの憲法に合わせよう

としてきたんでしょうかねえ。

 

そんな憲法なら 捨てちゃいましょうよ。 馬鹿々々しい。

(かなり投げやりな気分・・・・)

 

そして、マッサラなところから 改憲なんてケチなこと言わずに

新憲法を国民がつくっちゃいましょう。

戦争が好きならそういうのでもいいし、平和が好きなら

それをしっかり守る新憲法です。

・・・ってなこと言いながら、私はもうそろそろこの世から

退場の時期ですけどね。 へへへ

 

 

― 少なくとも「国家レベルの安全保障」については、

  最高裁が絶対に憲法判断をせず、その分野に法的コントロール

  がおよばないことは確定しています。

  おそらく一昨年改正された「原子力基本法」に、

  「前項(原子力利用)の安全の確保については、わが国の

  安全保障に資することを目的として、行うものとする」

  という条文がこっそり入ったのもそのせいでしょう。

  この条文によって今後、原発に関する安全性の問題は、

  すべて法的コントロールの枠外へ移行することになります。

 

― どんなにめちゃくちゃなことをやっても憲法判断が

  できず、実行者を罰することができないからです。

 

・・・・やっと出てきました。 原発事故みたいな

国家を滅ぼすような大事故があっても、無責任なことしか

やらないことを決めちゃっているらしい。

 

・・・ でも、まだ分からないのは、この日本を滅亡

させるような大事故が今後も起こる可能性があるのに、

なぜ そういう無責任状態を強化しようとしているのか

ですよね。

 

 

― この裁判で東京電力側の弁護士は驚愕の主張をしました。

  「福島原発の敷地から外に出た放射性物質は、すでに東京電力

  の所有物ではない「無主物」である。 したがって東京電力

  にゴルフ場の除染の義務はない」

  はあ? いったいなにを言っているんだ。

  この弁護士はバカなのか?

 

― ところが東京地裁は、・・・・「除染方法や廃棄物処理の

  あり方が確立していない」という、わけのわからない理由を

  あげ、東京電力に放射性物質の除去を命じることは

  できないとしたのです。

 

― 日本には汚染を防止するための立派な法律があるのに、

  なんと放射性物質はその適用除外となっていたのです。

 

― だからこうした問題について、いくら市民や弁護士が

  訴訟をしても、現在の法的構造のなかでは 絶対に

  勝てません。

 

・・・・ まさに阿保そのものですね。

そんなんだったら、始めっから 原発なんかつくらせちゃ

いかんだろう・・・・と私は頭に血がのぼっています。

老い先短いと思います

 

今後は 環境省なんて不要だね。

日本民族を絶滅させようとする輩の謀略に違いない。

馬鹿々々しい・・・・

 

 

― 日米原子力協定の「仕組み」

  米軍基地の問題と同じで、日本側だけではなにも

  決められないようになっているのです。

  条文をくわしく分析した専門家に言わせると、アメリカ側

  の了承なしに日本側だけで決めていいのは電気料金だけ

  だそうです。

 

― もし野田首相が、鳩山首相が辺野古の問題でがんばった

  ように、「いや、政治生命をかけて2030年代の

  稼働ゼロを閣議決定します」と主張したら、すぐに

  「アメリカの意向をバックにした日本の官僚たち」によって

  政権の座から引きずりおろされたことでしょう。

 

・・・・みなさん・・・これでも極右になったり、極左に

なったりしたいと まだ思いませんか?

 

― 大量虐殺の犠牲者となったユダヤ人たちは、

  「なぜ時間どおりに指示された場所に集まり、おとなしく

   収容所へ向かう汽車にのったのか」

  「なぜ自分たちが一万五千人いて、監視兵が数百人しか

   いなかったとき、死に物狂いで彼らに襲いかからなったのか」

  それらはいずれも、まさに現在の日本人自身が問われている

  問題だといえます。

 

 

・・・皆さん いかがですか。

これで「福島の謎」を終わりました。

 

ここまで読んでも、まだまだ「天誅」組を作ろうとか思わない

んですか?

そうですか、随分 良識のある方なんですね。

私にも良識があります。

だから、私は なにもせずに汽車にのって収容所に

行くのです。

 

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=== その4 に続きます ===

 

 

 

 

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2018年1月 2日 (火)

2018 謹賀新年 : フィリピンの正月と言えば やっぱり花火ですかねえ

皆々様、
明けましておめでとう御座います。
今年も宜しくお願い致します。
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さて、バギオでの年越し風景でございますが、
車を持っていない私としては、観光客でごったがえする街中に
出て行くのは難儀なもんですから、「地元民はひっそり隠れて過ごす」を
まさに実践しております。
 
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・・とは言いながら、この世には義理というのもありまして、
バギオでの年末年始のお決まりというのが 私的にはあるわけです。
 
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この写真の方は誰かといいますと バギオ周辺の日本人・日系人
コミュニティーでは知らない人はいないという シスター海野 なんです。
今回は28回忌でした。
一応 アボンと呼ばれる日系人会のメンバーにもなっているもんですから、
私はいわゆる日系一世という立場で、
大晦日の年中行事となっているんです。
要するに、日本ならさしずめ除夜の鐘を聞きに行くような感じでしょうか。
朝9時からなんですけど・・・・
 
 
・・・・
そして、まだ午前中なのに、ちょっとCLOSEDのお店にお邪魔して
年越しそばを頂き、準備万端。
・・・
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・・・
大家さんちの敷地内では、親族が集まりまして。
・・・
私は 紅白をみる訳なんですけど。
今回は 登美丘高校の「バブリーダンス」、ブルゾンちえみ、
そしてもちろん 安室奈美恵だけは 見逃さないようにってことで
パソコンをやりながら 紅白を聴きながら・・・・
・・・・
で、一応 日本の除夜の鐘が フィリピンよりも1時間早く鳴りますからね。
やおら 大家さんちのカウントダウンに合流するわけです。
・・・・
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今年は バギオ市では花火の販売は禁止・・・という話もあったんで、
どうなるのかなあ~~と思っていたんですが・・・
 
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・・・・
ドッカ~~~ン !!!
・・・
ってことで、いつもの通りの 大音響でした。
 
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・・・ 一番 でかい花火で こういう感じです。
さすがに 大音響です・・・
 
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・・・
耳を塞いでいないと、下手をすると鼓膜がヤバくなりそうな・・・・・
・・・
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・・・もちろん 小さいので 10連発みたいなのもあります・・・・
 
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・・・・ 日本の技ありの花火に比べりゃ今一つな感じもあるでしょうが、
まあ、個人の家でぶっ放す花火としては かなり違法な感じにはなりますかね?
・・・・
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・・・ 一所懸命 撮影をするんですけど、まあ、10枚に一枚ぐらい
よさげなやつがあればめっけもんでありまして・・・
これなんか ちょっと なんとか銀河 を思わせるような写真じゃないっすか?
右下のはお月さんですけど・・・
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・・・
これなんかは まったくもって完全な失敗作なんでありますが、
なにげに ゲージツっぽくないっすか??
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・・・
ご近所さんでも 結構頑張って 打ち上げていましたよ。
 
・・・・
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・・・そして、午前零時・・・・
HAPPY  NEW  YEAR !!!!
・・・
 
 
 
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179
 
・・・ みんなで ハグをして、「おめでとう」ってやるんです。
 
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・・・・その後は、
年越しの お夜食を いただいて・・・・解散・・・・
・・・・
もちろんその後、私は 「生さだ」を見ました。
長崎県人なんで・・・
・・・・・
まあ、言ってみりゃあ、これが初詣みたいなもんでしょうかねえ・・・
・・・
今年も どうぞ 宜しくお願い致します。
 
させ・たもつ
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年12月15日 (金)

税務署で女性の胸をじっと見つめてしまった。 その祟りが・・・

 

金曜日午後2時ごろから買い物などにいったんです。

用件は5つ。

インク・カートリッジ、税務署用の帳面、日本の酢の購入、

そして税務署での更新登録、最後は現金の引き出し。

 

 

SMオクタゴンに珍しくインク・カートリッジの在庫があった。

以前 こんな記事を書きました。

「CANONさん インク・カートリッジ47番は心臓に悪いです なんとかして!」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2017/05/post-922d.html

 

CANONさんがこの記事に目を止めてくれたのかどうかは分かりませんが、

あまり期待もせずに真っすぐにオクタゴンというお店に行くと、

なんと47番、57番のインク・カートリッジがざっくりあるじゃ

ないですか。 

将来の在庫管理にはあまり期待もできないので 二個ずつ購入。

 

出だし好調です!!

 

同じSMの本屋兼文房具屋さんに「こんな帳面ありますか?」と訊くと、

店員さんが探してくれまして。

NO.707という帳面が欲しかったんですけど、店員さんが持ってきたのは

NO.727じゃないの。

「番号が違うんだけど・・・」

・・と言いながらも、中身はなにが違うのかをチェックしたら・・・

「なんだ、同じもんじゃないの。これください。」

帳簿の型式番号が違うのに、中身の罫線なんかが同じってどういうこと?

 

さて、その税務署用のノートを一冊かってレジに並んだら。

私の前には男性が一人だけ。

ラッキー・・・って思ったんです。

 

ところがどっこい・・・・

その30代ぐらいの男性。

リュックというか、バックパックと言うか、ベージュ色のものと

赤いもの二つを買おうとしていたんですけどね・・・・

レジのところにその二つの色のサンプルがぶらさげてあったんです。

レジの女性がその男性に、まだ開封されていない新品の二つを

出してあげたんです。

新品をジロジロと見ながら、何を思ったのか、そのぶらさげてある

サンプルの方が良いって言ったんです。(多分)

 

それで、レジの女性は、

サンプルとして飾ってあるその二つをハサミで取り外し、

中に入っている新聞紙などを取り出し、新品が包んであった

袋に入れなおし、さらにレジ袋に入れる作業を始めたんです。

 

私の後ろには既に3~4名が並んでいます。

私は帳面一冊 24.75ペソを買うだけ。

 

その男性は 私の方をちらっと見てにっこり。

私は苦笑するしかないっしょ。

 

しかし、彼は 何にこだわりがあったんでしょうかねえ。

まさか、レジの女性に一目惚れってこっちゃないよね。

 

そして、次のショッピング、日本の酢のお買い物。

これは珍しく在庫がたくさん置いてあって、なんなくゲット!!

 

もしかして、これは在庫管理ができるようになってきた

兆しなのか・・はたまた、クリスマス用の在庫の積み増しに

過ぎないのか・・・

まあ、来年になりゃわかるこってすが。

 

さてさて、次は今日の一番の関所・・・税務署です。

 

税務署に用があるっていっても、ただ単に 毎年やっている

団体の登録更新の手続きだけなんですけどね。

それも非営利団体だから 簡単なんです。

帳簿にするノートを持っていって そこにスタンプを押してもらう

だけの話です。

 

数年前までは 割と簡単だったんです。

一種類の帳面を持って行って、団体の登録された明細が書いてある

書類を一緒に係りの人に差し出すと、スタンプを押してくれて

そこになにやら書き入れて、パソコンに入力してくれて、

それで終わりだったんです。

 

ところが、2~3年前から毎年なにやら手続きに微妙な変化が・・・

 

去年もそうだったんですけどね、税務署で帳面を買わされたんです。

それまでは帳面一種類でよかったのに、「この帳面も必要だよ」って

言われて買わされた。

 

だから、去年からは二種類の帳面が必要になったんです。

まあ、小さな団体ですから、お金の出し入れさえ帳面に書いて

いればそれで終わりなんですけど、今回は総勘定元帳なるものも

帳面を持っていなくちゃいけないって話。

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それに、去年までは帳面だけを持って帰れば、それでOKだったのに、

今年は 私自身が書き込んだ申請用紙も持って帰ることになっていたんです。

 

昔に比べると、窓口番号ごとに整理番号をくれるようになって、

電光掲示板で あと何人待てばいいってことが分かるように

なったんで、待つのは苦にならなくなったんだけど・・・

 

登録処理をしてくれる窓口と ちょっと奥にある「スタンプを押す」仕事と

「帳面を売る」仕事と、登録処理後になんだか担当者がサインをして、

申請書を返してくれる部署を2~3度行ったり来たり。

 

他のお客さんたちの様子を見ていても、やはり帳面を追加で買わされて

いたようでした。

本当に必要な帳面なのかねえ~~ってのが本音。

 

私の整理番号は41番。

待合席に座ったときの電光掲示板の番号は32番。

待っている間、すぐ横を通り抜けようとした

税務署職員の女性の胸をじっと見つめてしまった。

 

その胸は、ふくよかで、白いTシャツに黒でバッテンみたいなデザインが

描かれていて、そのバッテンを横一文字に カタカナで何か

書かれていたんです。

カタカナ文字に惹かれたんです。

その女性の胸にではありません、お間違いのなきように・・・

 

「オキシ・・・」 と書いてあるように見えたんです。

でも、さっと通り抜けたんで、最後までは読めず。

 

で、順番が近くなり、前の方の椅子に移動。

すると、その女性が戻って来ました。

その手には 紙コップみたいなのがありました。

コーヒーでも買いにいったんですね

 

で、胸をもう一度じっくり見ました。

じ~~っと見ました。

顔をひっぱたかれることはありませんでした。

コーヒーを持っていたからね。

 

「オキシジャン」とありました。

これって「酸素」のこと??

しかし、なぜ酸素なの?

確かに胸に酸素は必要なんだけど・・・・

 

無事 税務署の関所を通過して、銀行へ現金を引き出しに。

 

ちょっと人目に付きにくい陰にある銀行のATM

お客の列がほぼ無いので、その点では便利。

 

一回に2万ペソを引き出そうとやってみると・・・・

「1万ペソが限度です。」

それも、「250ペソの手数料が掛かります」と表示された。

 

なに?

以前は 2万ペソで200ペソだったのが、1万ペソで250ペソとは

なんなんだ!?

RCBCさん、これはどういうこと?

 

やむをえん・・・・

いつものBPIは2万ペソ引き出せるはず。

これは BPI銀行に行くしかない。

案の定、数名がATMの前に並んでいました。

 

こちらは2万ペソで250ペソ。

現金も引き出し、後は家に帰るのみ。

今日は金曜日・・・なんとなく嫌な予感。

週末は 観光客が押しかけて ドット・コムのが最近のパターン。

 

あちこちで道路わきでタクシーを待っている人の姿が見える。

仕方なく、街の中心部で拾うのをあきらめ歩く。

 

10分ほど歩いてバギオ総合病院の辺りへ出るも、いつもなら

タクシーが数台あるのに、タクシー待ちの人がいるばかり。

 

その人たちの先を制しようと、ちょっと病院から離れて待つが、

いずれのタクシーも止まらず。

10分ほどで諦め、家まで歩くことにした。

 

ケノン・ロードを歩く。

同じく諦めたらしい若い女性が前を歩いている。

それを追い越して、すたすたと坂道を下っていく。

結局30分弱あるいて帰宅。

すっかり汗をかいた。

たまには歩かないとね。

 

大家さんに話すと・・・・

「ああ、今日は小学校でクリスマス・パーティーをやってるからね。」

 

どういうことかって言うと、今日は小学校の最終日で、

どの学校でもクリスマス・パーティーをやっているから、

タクシーの運ちゃんたちも家族で それを見に行っているんで

しょ、って話だった。

 

なるほど、それなら道路の様子も説明がつく。

たいして渋滞もないのに、なんでタクシーが少なくて、

タクシー待ちの客ばかりが街に溢れていたのか。

 

明日から フィリピンは冬休み。

メリー・クリスマスが本格的に動きます。

 

 

 

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2017年12月 4日 (月)

一時帰国中の東京で 元職場のミニ同窓会 Mini-Reunion of TIer in Tokyo

年に一度の一時帰国。
その時の楽しみは 同窓会と和食でしょうかねえ・・・
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今回は 昔の職場の上司と同僚のミニ同窓会。
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まだ 午後3時なんで、居酒屋は ガラガラです。
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昔の VANジャケット信奉者のダンディーも 爺さんになり、
エイリアンとも噂された上司は 相変わらずのエイリアン。
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こういうメニューが なんとも心うきうき・・嬉しい。
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みんな食べたいものばかり・・・・・
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・・・・で、注文したものと言えば・・・・
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鯨のベーコン。
私が幼かった頃は 親父だけが酒の肴に食べていたもの。
大人の食べ物でした。
 
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・・・そして、ゴマ豆腐・・・・
なぜか、シンプルなものが美味しい。
 
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鰻も食べたかったけど、もう入らない。
 
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居酒屋は 6pmに予約が入っているからと 追い出され・・・
元同僚の馴染みのカラオケへ・・・・
 
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こじんまりしたカラオケ屋でした・・・・
 
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元上司は 遠慮しつつも しっかり歌い・・・・・
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元同僚は 相変わらずの 渋い雰囲気を出していました。
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なんと、このカラオケで こんな歌を発見。
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なんと、私が 子供の頃遊んでいた 駅前の教会が 出てくるじゃないですか。
 
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多分、この画面のどこかに ひっそりと 我が実家もありそう・・・・
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我が故郷は、元々 軍港として開発された町ですから・・・・・
 
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天然の良港として 有名でもあったんです・・・・
 
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そして、この故郷は、確かに異国のひとがすれ違うところで・・・・
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中学時代から英語が好きになり、挙句の果てに バギオで暮らすようになっちまったわけですねえ。
 
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そして、心地良く酔っ払って、今夜の締めは こんなもので・・・・・
おやすみなさい・・・
 
 
 
 
 
 

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2017年11月30日 (木)

北九州の高齢者介護関係のフォーラムで 外国人介護福祉士が・・

北九州でアジア女性会議なるものが開催されまして。
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(上のポスターの詳しい内容はこちらでどうぞ。)
 
============
 
我が身にも ひたひたと近づいてくる 日本の現実を、フィリピンに居て
「どうすっぺ?」と考えながら 日々怠惰に過ごしているわけですが・・・
実は、このパネリストの一人である 介護福祉士は 私が数年前に
バギオで教えた日本語の生徒であったりするわけです。
・・・・で、このフォーラムで、「どんなことしゃべったの?」と訊いたところ、
その時のスピーチ原稿をもらいました。
素晴らしいスピーチなんです。
・・・で、その一部を拝借して、日本とフィリピンの文化、慣習の違いを
考えてみます。
=======
 
私たちは5時ごろに起きてシャワーを浴びに行きましたが、学生たちは風呂場に一人もいませんでした。なぜだろうと思いました。
シャワーをあびた後、髪の毛が濡れたまま、朝ごはんを食べ学校に行きました。そこで学校の体育館入った時、学生たちだけでなく先生たちも髪の毛が乾いていて本当に驚きました。
フィリピンは一年中、暖かい国なのでシャワーを浴びた後、髪の毛を乾かす習慣がありません。台風の日でもです。
もし学校や会社に行く時に髪の毛が乾いていたら、クラスメートや同僚の人たちがからかうでしょう。例えば、「おお!シャワー浴びなかったでしょう?」とか「断水だったの?」などといいます。ですから、日本人も濡れた髪の私たちをみて驚いたでしょう。
========
 
・・・・・
これは、彼女が高校生だった時に、日本に交換留学生として
派遣された時のエピソードです。
 
 
これには驚きました。
 
でも、まったく心当たりがなかったわけでもないんです。
確かに 朝髪の濡れた長い髪の女性たちがいるなあ~~と
ちょっと不思議に思っていたことがあったからです。
風呂に入るのに、日本のように夜がいいのか、フィリピンのように朝の
方がいいのか。
 
恐らく、奇麗好きな日本人は、「汚れた身体で、奇麗な布団に寝るのは良くない。」
「一日の疲れを温かい湯舟で落として、リラックスしたい。」などと思うんじゃ
ないかと思います。
一方、フィリピン人はどうなんでしょう。
寝苦しい暑い夜が一年中続くような気候です。
寝ている間にも汗が出たりします。
朝、仕事に行くぞ、学校に行くぞって時に、身体をさっぱりと、すっきりとして
出かけたいと思うんじゃないでしょうか。
 
========
 
 
日本では紳士gentlemanがあまりいません。
ある日、学校へ行く時バスが混んでいました。周りを見ると、ほとんどの女性たちが立っていて、男性たちが心地よく座っていました。その状況を見た私は驚いで倒れそうでした。
なぜかというと私の国、特に田舎の方では、男性が女性に優しいからです。もし、男性が女性や高齢者に席を譲らなかったら、その男性のイメージが大変悪くなります。例えば、周りの人たちは「男らしくないな」とか、マナーが全然できていないと思うでしょう。
=======
・・・・・・
これは確かにそうだと思います。
フィリピンの男のマッチョイズムというのもあるのかもしれませんが、
400年ほども前からの スペインそしてアメリカ流の作法というのが
根を下ろしているのかもしれません。
それに、高齢者に対しては、カトリック式に 年配者の手を頂いて、
その手を自分の額に当てるという 挨拶を 今の若い人たちも
普通にやっています。
日本では、毎日のブラックな残業で疲れ切ったサラリーマンたちは
そんな気力も失っているのかもしれませんが・・・・
===========
 
 
フィリピン人の平均寿命は日本人よりも15年短く、家族で支えあうため「介護」は一般的な仕事ではありません。
日本では介護施設に職員が配置されているため、家族は週1回程度しか訪問しません。一方、フィリピンでは、家族一人が必ず24時間患者の傍にいなくてはいけません。
日本人は病気の時でも他人に頼らず、それは私にとって悲しいことです。他人に迷惑をかけたくないという気持ちがあっても、病気の時に誰かに頼ることは心のケアを考えるうえで大事なことでもあると思います。」
========
 
・・・・・
昔は 日本も大家族でした。
核家族というスタイルになって、それぞれが独立した
単位になったことが、他への過度な遠慮あるいは
敬遠をするベースになってしまったのなら、
社会的な制度の充実という方向に進まなくては
いけないということなのでしょう。
大家族として支えあっているフィリピンと、社会制度
として国民全部で支える、さらに外国人を受け入れて
支える日本の、どちらが幸せなのかは また別の
問題ですが。
========
 
フィリピン人の平均寿命は短いです。ですから、私は認知症の患者をケアした経験も直接みたこともありませんでした。最初は利用者様が手を出したり、突然大声で叫んだりしたため、私は自分が責められていると感じ、介護をしたくない気持ちにもなりました。また、5年間働いた後、仕事への意欲が下がり、介護が面倒になり、同じ質問を繰り返す利用者を無視することもありました。」
他方で資格を取得し、プロとしても介護の素晴らしさを痛感しています。もともと利用者のお世話が好きで、自分の家族のように思います。仕事は辛くて疲れます。でも利用者たちは私の笑顔と幸せの源です。多くの利用者の皆さんが私に関心を持ち、可愛がってくれているからです。そして、私は彼らから差別を感じることも、外国人であると感じることもありません。」
=======
・・・・これは、介護分野での厳しい現実だろうと思います。
日本人が日本人の介護をすることすら 将来真っ暗という報道をよく耳にします。
私自身は、私が20代の時に母を、30歳ころに父を亡くしましたので、親の世話をしたという経験はありません。
 
しかし、知人や友人から、親の介護を一人で抱え込んでストレスに苛まれている人たちの現状を聞くと、日本人が総倒れになってしまっていいのか? ・・・という気持ちになるんです。
========
 
 
医療分野で働いていない方に質問があります。介護の仕事に対してどんなイメージが持っていますか。単にお風呂や食事などのお年寄りの生活を介助するだけだと思っていますか?確かに、これらは主な仕事かも知りません。しかし、それだけではありません。私は現在、よりよい生活支援にむけ、ケアプランを6ヶ月ごとに書いています。それは簡単な仕事ではありません。ケアプランには利用者様に対して観察力と知識、判断力が必要だからです。」
========
・・・・ここで、「介護殺人」、「介護心中」などの事件についての話が出てきまして・・・・・・
 
 超高齢化社会が進み、全国で介護士不足があることは周知のことです。介護の仕事は身体的にも精神的にも大変な仕事です。夜勤の16時間勤務は本当につらくなります。でも24時間の家族介護ももっと大変だと思います。24時間介護が長期間続けば、こうしたことが起こるということです。さらに私の国と違って、日本人は自分で問題を解決したり、抱え込んだりする傾向が強く、他人を頼ったり、心の支えであるモラルサポートを受けることは少ないです。一方で、フィリピン人はお互いを支え、家族だけでなく、友達だけでもなく、近所の人たちまで支えあいます。」
=======
 
フィリピンに住んでいると、新聞や本でも有名になった、いわゆる「困窮邦人」の話を聞いたり、「病気になり、たまたま知り合ったフィリピン人の隣人に世話をしてもらっている」、「医療費が払えない」などの話が耳に入ってきます。
・・・
日本国内でも大問題の 高齢者の孤独死などは、いまや国際問題と言っても過言ではないでしょう。
日本の団塊の世代の人たちの間では いわゆる「終活」が盛んですが、これは我々のような海外在住者こそもっと真剣に考えておくべき問題だなとつくづく感じている課題です。
 
=======
また、「高齢者は適当な時に死ぬ義務あり」「もう親をすてるしかない」、「介護費用や保険料を節約するために行われている、一種の「裏ワザ」、といった言葉も有名な人から聞かれます。これらの記事には本当に心が痛みます。私たちが困難であれば、親を捨ててもいいのでしょうか。高齢者の中には第二次世界大戦での戦争経験があります。それから、私たちの生活を快適にし、世界の中でも裕福な日本を築いてくれました。それだけでなく私たちの命をはぐくんでくれました。」
リスチャンとして、死ぬのは義務ではありません。なぜなら、神様だけが私たちの命を決める権利を持っていると信じているからです。命を奪うということは大きな罪だと考えられています。そのためにも介護福祉士としての心と、技術を生かして一人一人の命を豊かにしたいと考えています。私たちは人間だからこそ、人間らしく行動するべきなのです。」
======
 
私はもうフィリピンのバギオ市に住んで12年になりますが、その前から出張やら駐在やらで フィリピンの人たちとは通算25年ほどのお付き合いがあります。
以前から思っていることは、日本人はあまりにもフィリピンに対する偏見が強いということです。
そして、今だからこそ、日本はフィリピンに学ぶことが多々あるのではないかと感じることがあります。
・・・・
世界の中での様々な国別ランキングのデータが発表されていますが、
フィリピンは世界やアジアの中でもダントツである一方、日本はどん底を這いまわっているという指標もあるのです。
例えば、世界の中での英語力、女性の社会進出、そして幸福度など。
・・・・
これらは正に、今の日本がなんとかしようと政府も政策に掲げているようなものです。
・・・・
フィリピンに対する偏見は、おそらく昔日本で大いに盛んであった、フィリピン・パブの「フィリピン人エンターテイナー」に対する偏見に根差すものではないかと感じます。
そしてそれは、国連やアメリカなどから「人権問題」「人身売買」などとして日本に突き付けられたものでした。
・・・・
これらの偏見を解消し、日本の底力を回復してゆくには、隣人であるフィリピンを見直すことが必要じゃないかと思うのです。
・・・・
1903年から1905年。
アメリカがバギオに高原保養地を開発しようと、マニラとバギオを結ぶ山岳道路を建設しようとしていました。
そして、日本から2~3千人の労働者がその道路工事に参加しました。
・・・・・
その日本人労働者の一人が、このスピーチの原稿を書いた介護福祉士である女性の 曾祖父だと 最後に書いてあります。
・・・・・
100年前、日本は貧乏でした。
そして、多くの移民がフィリピンを皮切りに南米などへも出て行きました。
今、フィリピンは多くの海外労働者が国を支えています。
しかし、フィリピンの経済成長率は 次第にアジアのトップに躍り出ようかという勢いです。
そして、その人口も日本をすぐに追い越すでしょう。
フィリピンと日本が対等な立場で助け合う時代に入っていくのかなという思いを 私は感じています。
・・・・・
そして、その一例として、数年前に私の日本語の生徒だった若い女性から、素晴らしいスピーチを通じて学んでいるのです。
=====
 
ミアさん。
日本人の為に身を尽くしていただき、有難うございます。
フォーラムの成功、おめでとう御座います。
=====
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年9月29日 (金)

バギオ日比友好月間・七夕祭の打ち上げ 感謝BBQ・カレー・パーティー

9月1日のバギオ・デイの正式パレードは雨天中止ながら
日系人団体の皆さんに「高山右近のお神輿」を担いでもらって
帰宅パレードをやりました。

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これを最後に 今年の日比友好月間・七夕祭イベントはすべて終わったんです。

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その時に コスプレ・グループにも声をかけていて 集合はしたものの
雨天中止で そのまま帰宅になっちゃって・・・・
悪かったなあ~~と思っていたわけです。

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これもそれもあったんで 今年のイベントを盛り上げてくれた人たちへの
「感謝 BBQ & カレーライス・パーティー」をやったんです。

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もちろん こんなものも置いて 勝手に自分で焼いてもらい・・・

(RAPじゃなくて WRAPです・・・へへへ)

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コスプレの女の子たちに好評でした。
日本語もちょっとしゃべっていました・・・

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今年のデザートの個人的目玉商品は このパンです。
韓国人経営のパン屋さんから買って来たんですけど
あんパン クリームパン が懐かしい味だったんです・・・
それに カマンベール味のチーズ・クリームが絶品。
菓子パンみたいなものを70個も買ったのは生まれて初めて。

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これは全部 お土産でいただいたものを 「ビールのつまみ」として
使わせていただきまして・・・・

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お寿司の差し入れもいただきました。 有難や・・・

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こちらは 主に 日本人会と日系人団体の皆さん・・・

 

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こちらの席は 日本語教室の皆さん・・・

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こちらは 「戦士」という名前の コスプレ・グループ。
雨天中止になったパレードに集まってくれた連中です。
「借り」があったんで・・・・

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こちらは バギオ博物館のスタッフと 毎年お願いしている七夕展示制作
のチーム。 元々はフィリピン大学バギオ校の美術学部に在籍
していた頃からのお付き合い。

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このむさ苦しい男たちは ビデオ撮影・編集をやってくれた会社の連中。
その中に日本人の映画監督が・・・・

ちなみに そのビデオはこちらでどうぞ:

2017年日比友好月間イベントのまとめ動画
https://www.youtube.com/watch?v=1-gvbkGkM9o

こちらは コスプレ・七夕祭6
https://www.youtube.com/watch?v=kkB7kDFZ0Ro

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フィリピン大学バギオ校 ビジュアル・アートのサークルの皆さん。
毎年 バギオ博物館での自主展示に参加してもらっています。

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このグループは 8年前からのお付き合い。
当時は みんな大学生でした。 コスプレの団体を長年運営してきて
今やコスプレ・イベント請負人になっています。
日本人会の七夕イベントには毎年応援に来てくれています。

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みっつのケーキへの入刀式。

9月が誕生日の3人さんがちょうどいてくれて・・・

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はっぴ・ばーすでい・とぅ・ゆ~~~~~

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コスプレって なかなかいいもんだと・・・思いませんか?

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おおっぴらに 彼女の写真が撮影できまっせ・・・笑

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こちらは 英語留学中のビジターも入って 盛り上がっていました。

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こちらでは マニラでのコスプレ大会の相談もやっていました・・・

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カレーも 最後にはすっかり売り切れました。

ご来場 有難うございました。

 

 

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2017年9月17日 (日)

旭日旗が・・・日本人がギョッとした ファッションショー in Baguio City

日本人の皆さん・・・・

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これを見たら どんな心持ちになりますか?

この会場にいた日本人は ほとんどが「ギョッ」としたんです。

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じゃあ・・・これはどうでしょう。

まあ 日本人のデザイナーは ここまでダイレクトには作らないでしょうけど

これなら大人しいってことでしょうか?

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これはそもそも何かっていうと・・・・

フィリピン・バギオ市で開催された 「伝統的な日本の着物ショー」のひとコマなんです。

着物ショーと連携して 地元のフィリピン人のデザイナーたちが 様々に日本のイメージとフィリピンのイメージを融合させて このようなファッション・ショーをやったわけです。

では ちょっと目先を変えて こんな動画をご覧いただきましょうか。

「“日本の歴史をもっと知りたくなった” 海外アーティスト作の9分間動画がネットで話題に」
https://newsphere.jp/entertainment/20160205-3/

history of japan   
https://www.youtube.com/watch?v=Mh5LY4Mz15o

この動画にあるように 日本を表現する旗としては 上の写真の旭日旗なわけですね。

で・・ちょっとお勉強してみますと。

wikipedia 旭日旗
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AD%E6%97%A5%E6%97%97

1870年大日本帝国陸軍陸軍御国旗軍旗)として初めて使用され、1889年大日本帝国海軍の軍艦旗としても採用された。現在は、陸上自衛隊で自衛隊旗、海上自衛隊で自衛艦旗として旭日旗が使用されている。」

「大韓民国では旭日旗は近年まで批判の対象とされていなかったが、2011年1月のサッカー日韓戦で日本人を侮蔑するパフォーマンスを行った韓国代表の奇誠庸が人種差別にあたるという批判に対して「観客席にあった旭日旗への報復のために行った」(実際に観客席に旭日旗は掲げられていなかっ)と言い訳をしたことを契機に、韓国世論は旭日旗に問題があり、国際社会から追放するべきと主張するようになった。」

・・・そうですか 2011年から そんなことになっちまったわけですか。

それはそれとして・・・・韓国のそういう反応とは関係なく・・・

日本人が この会場でギョッとしたのは この旗が戦争をイメージさせるということがあるからなんでしょうね。

日本人はそういう感じを抱いている・・・

そこへ このファッション・ショーの 大胆なデザイン。

このギャップは何なんだ!?

ご存じのとおり フィリピンは アメリカと日本の植民地争奪争いの戦場になって 110万人とも言われる犠牲者が出た国なんです。(日本人は50万人ぐらい)

バギオ市から山奥では 追い詰められた日本軍が残虐な行為もした。

そういう国であるならば それこそ韓国以上に この旗に反発があっても不思議じゃないんですけどねえ・・・・

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これは 毎年バギオ市で開催されている 「コスプレ・七夕祭」の会場での光景です。

旭日旗が  出店の飾りとして 堂々と使われているんですねえ。

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そこで 日本語教室の生徒さんたちに 尋ねてみたんです。

「この旭日旗を見て どう思う?」

この生徒の中には 日系人団体のスタッフもいるんですけど・・・

「私も びっくりしました・・・」 

という意見でした。

日系人の場合は 戦中・戦後と様々な苦難の境遇に追い込まれた人たちですからね。

しかし・・そうじゃない生徒たちは・・・

「ライジング・サン (太陽が昇る)のイメージだから フツーじゃないですか?」

・・・

確かに 上のWIKIPEDIAにもあるように この太陽のイメージは 万国共通なイメージでもあるわけですね。

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これは 9月1日に毎年実施されている 「バギオ・デイ・パレード」でのスナップです。

このバギオの歴史を物語るパレードでは 必ず第二次世界大戦を象徴するものとして 日本の旭日旗が登場します。

(参加者の笑顔がほっとさせてくれます・・・)

行事の中で記憶は引き継がれているんです。

・・・・・・

じゃあ・・・韓国とフィリピンでの このギャップは 何が原因なのか・・・

2011年に それまでは意識されなかった 大日本帝国陸軍・海軍の悪夢が ひとりのサッカー選手の言葉で蘇ったってことになるのでしょうか。

やはり その根底には 教育の影響も大きいのでしょうね。

随分前に こんな記事を書いたことがあります:

兵役を終えた ある韓国人のつぶやき
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/10/post-a016.html

「私の質問に、ちょっと躊躇いながらも、その男性は答えた。

「若い人たちは、反日教育を受けていますからね・・・」

日本との関係において、近代史を十分すぎるほどに教育されていると
いうことである。」

・・・そういう背景もあって 一人の発言が拡がりを持ったということなのでしょう。

一方 海の向こうの大国では こんな騒動が発生。

「トランプ氏、南軍英雄像の撤去批判 「次はワシントンか」」http://www.asahi.com/articles/ASK8L1W6BK8LUHBI008.html

奴隷制存続を主張して南北戦争戦った南部連合の英雄像撤去の動きが出ていることをツイートで批判した。撤去には批判的な意見も多いため・・・」

・・・この動きに関しては アメリカでの世論調査は 確か6割近くが「撤去をするほどでもないだろう」という意見のようです。

しかし 背景には人種差別が絡んでいるから問題は深刻ですね。

それも 同じ国内での 建国にまつわる基盤に関わりますからね。

・・・・

翻って日本のことを考えると

朝日新聞はエライですね。

その旗を降ろそうとはしていないようだから・・・・ ジャンジャン!!

(お粗末なオチで申し訳ない・・・)

私自身は 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」 というのは嫌いです。

・・・ですが・・・

戦争中には様々な私などには想像もできないような経験をした人が

いるのは事実であって そういう人たちには トラウマというか

いわゆるPTSD心的外傷後ストレス障害を患っている人もいると

思いますから そういう人たちには心を寄せるべきだと思います。

昔読んだ記事で 「日本の太鼓の音や下駄の音で戦争時代の経験を

思い出してしまう」 という人たちもいるそうですからね・・・

しかし・・・

政治的・外交的な部分で「坊主憎けりゃ・・」を利用するのは 私は嫌いです。

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FABとは ファッション・アバンギャルド・バギオだそうです。

前衛的なファッションが 旭日旗を 「ライジング・サン」のポジティブな表現として使ったようです。

 

 

 

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2017年8月19日 (土)

バギオ七夕祭8 での展示作品 : フィリピンの若い人たちの日本のイメージ

毎年8月に日比友好イベントの一環として「バギオ七夕祭」の展示ってのをやっているんです。

基本的には 毎年テーマを決めて あとは地元の若いアーティストあるいはその卵たちに すべてをお願いしているんです。

2017_tanabata_2017_tarp_4th_floor_a

今年は メイン・テーマを「さむらい七夕祭」と決めて サブ・タイトルは

「伊達政宗と高山右近の戦国時代」ってことで 上の年表みたいなのだけ

日本人サイドで作ったんです。

ポイントは キリスト教を通じて 日本とフィリピンの間でどのような交流

があったかってところに焦点を当ててみたんです。

2017_rev3winning_entry_poster_for_c


今年のポスターコンテストの優勝作品はこれだったんですけど

日本人の目で見ると この甲冑姿は 日本のSAMURAIとは違うよなあ~~

って印象でした。

7img_0931

ちなみに 他の応募作品はこれです。

毎年のコンテストで感じるのは 「これは中国風だな」ってことですね。

上のポスターは どっちかって言うと やや遊牧民風かな・・とか思うんですけど。

ちなみに 去年のポスターは・・・・

2016_tanabata_poster_raw_entry_art_

こんな感じで かなりいい線をいっていたんです。

地元の人に訊くと これを描いたのは「プロ」のアーティストだって言うんです。

なるほどな・・・でした。

・・・でも まあ それはそれとして

毎年ポスターコンテストをやっている意味は

フィリピンの若いアーティスト志望の人たちに

日本とフィリピン(地元山岳民族など)のコラボ作品を作ってもらえると

面白いかなと思っているんです。

・・・・

で  今年の展示のメインの部分には 昨年バチカンから「福者」の称号を

認められた 高山右近をクローズアップしたわけです。

2017_04b_takayama_ukon

高山右近っていうと だいたい日本のどこでも このような立像があるんですね。

いくつあるんだか知りませんけど。

で ほぼ同じようなものが マニラにもあるんです。

右近は 大名の地位を捨てて マニラに亡命?して マニラで熱病のために倒れたそうなんです。

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・・・・で 写真を渡して作ってもらったのがこれです。

作ってくれたのは フィリピン大学バギオ校美術学部卒の女性。

いやいや 全くもって 驚きました。

期待以上の出来だったんで アーティストってのは凄いもんだなあと

思ったことでした。

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この石盤のようなものにもびっくり。

まさに石に彫られたような見た目が素晴らしい。

1img_9819


・・・で 戦国時代の雰囲気を出すために 竹をたくさん使って 旗もお願いしたんです。

文字を書いてくれたのは 流石に日本人の方ですけどね。

・・・さらにびっくりだったのは これです・・・

7img_0915

これには 唸ってしまいました。

そして これぞ 日本とフィリピンのコラボレーションかなあと

じわじわっと嬉しさが込み上げて来たんです。

別に 竹で鳥居を作ってくれと頼んだわけじゃないんですよ。

去年までは ・・・・

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・・・これでした。

3~4年 塗りなおしたりして使って来たんですけどね さすがにヨレヨレになっちゃった。

日本の本物の鳥居と比べちゃいけないですね。

7img_0920

これは 「高山右近」の肖像ですね。

フィリピン大学バギオ校美術学部現役生のサークル SVA(ソサイアティー・オブ・ビジュアル・アート)のメンバーの作品です。

そのSVAサークルの展示も毎年お願いしているんです。

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これも高山右近みたいなんですけど・・・

・・ インターネットで原画みたいなのを見つけたんですかねえ。

おそらく こちらのサイトのようなところで探し出したんでしょう。

http://www.asahi.com/articles/ASK2745L8K27PTFC004.html

インターネットが 世界をかなり狭くしてるようです。

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これはかなりの大作なんですけど・・・・どうですかね?

雰囲気的には どっちかっていうと中国風?

まあフィリピンの人たちは アメリカ映画をよく観ているし

その中でも 日本は中国のイメージですもんね。

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こちらの作品も SVAの人たちが描いた作品なんですけど

いろいろと日本のイメージを考えてくれた工夫が見て取れます。

右上の塔なんかは 明らかに古代中国の仏教遺跡の雰囲気ですね。

左上の龍も中国風な感じ。

もっとも私の龍のイメージは 麒麟麦酒ですけど・・・

来年 また どんな コラボレーションが出来るか 楽しみです。

 

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2017年8月 4日 (金)

「抜かす」と聞いた時には「腰を抜かした」??

私が「抜く」と言う意味で「抜かす」という言葉が使われている
のに気がついたのは 埼玉県で子供が育ち その「抜かす」を
聞いた時だったんです。
だから多分 埼玉の方言なんじゃないかって思っていたわけ。

それが最近は関東地方一帯に広がりさらには全国制覇をしている
らしいんです。

・・・で 国語辞典で調べてみました。

(済みませんが 私のパソコンで 句読点の「点」が出なくなりました。)

まず ふる~~い国語辞典で調べてみると:

1) 1996年発行の三省堂版

ぬかす [抜かす]
(他5)①おとす もらす ②(間を)とばす
    ③(俗)言いやがる 

2) 2003年発行の明鏡版

ぬかす [抜かす]
(他5)①入れなくてはならないものを入れないでしまう。
     間を飛ばす ②省く ③力や勢いなどを失わせる
     「腰をぬかす」 ④(俗)追い抜く
    ⑤(俗)言いやがる

3)2005年発行の小学館版

ぬかす[抜かす]
(他サ5)①あるべきものをなくする 力などをなくす
     ②入れるべきものを入れおとす。間をとばす。
     ③追い抜く。 「抜く」を用いるのが正しい言い方
     ④(俗)言う しゃべる の卑しめる言い方。

・・・ということで 1996年には国語辞典での認知はされて
いなかったようですが 2003年版には既に俗語として
掲載されていました。

こちらのブログにちょっと詳しく書いてあります。
https://blogs.yahoo.co.jp/w_cup_2002/63785202.html

「抜かす」「抜かされる」
この言葉は上京してから初めて聞いた言葉です。

・・・私も長崎県からの上京組でして その当時(1970年頃)は
神奈川 東京 千葉で転々としていましたが この言葉で
「あれっ」と思ったことはなかったので おそらくその頃は
埼玉辺りだけの方言だろうと思ったわけです。

上のブログを見ると 全国制覇も近そうですね。

埼玉出身の皆さん。 ルーツを教えてください。

 

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