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2018年2月16日 (金)

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読む - その7

 

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読む - その7

 

 

矢部宏治著 集英社インターナショナル

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」

を読んでいます・・・・

 

 

さて、いよいよ日本国憲法の核心部分に入ります。

 

011a

 

― 究極の夢「憲法九条二項」と、マッカーサーの暴走

 

― マッカーサーが日本国憲法をつくるにあたって部下たちに

  示した「マッカーサー三原則」には、九条のもとになった

  「戦争と戦力の放棄」についてこう書かれていました。

 

― 「国権の発動たる戦争は、廃止する。

  日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己

  の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。

  日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある

  崇高な理想にゆだねる。

  日本が陸海空軍をもつことは、今後も許可されることはなく、

  交戦権が日本軍にあたえられることもない」

 

・・・そして、この本には、その理想というのは国連軍構想を

意味していたと書いてあります。

ところがどっこい・・・・

 

― 大統領選で、マッカーサーもまた無残な敗北を喫して

  しまいます。

 

― 「集団的自衛権」という例外規定が、やがて猛威を振るい

  始め、「個別国家の戦争=違法」という国連の理念はその

  実態を失っていきました。

  その結果、日本国憲法九条二項は現実の世界における

  基盤を完全に喪失してしまうことになったのです。

 

― その結果として起きている現実は、米軍による日本全土への

  永久駐留であり、民主主義国家アメリカの「基地帝国化」

  だからです。

 

 

・・・マッカーサーは国連の理想を描いていて、その過程で

日本国憲法を指示したんだけど、結局大統領にもなれず、

国連も実質的な力を持つことができなかったってことのようです。

で、憲法九条二項が育ての親がいないまま孤児になった。

 

 

― 私たち日本人が知らなければならないのは、戦後世界には

  もうひとつ、とんでもない差別があるということです。

  それが敗戦国である日本やドイツを対象とする、いわゆる

  「敵国条項」(国連憲章第五三条、一〇七条)です。

 

― 現在200近い国が国連に加盟していて、それらの国が

  結んだあらゆる国際協定のなかで、国連憲章が最優先される。

  ・・・これが大西洋憲章で米英が定めた「第二次大戦後の

  世界」の基本的な枠組みでした。

 

― 「(敵国条項の)主な目的は、ドイツと日本の永久的かつ

  有効な非武装化であり、それら二か国の支配である」

 

― 戦後七十年たった現在でも、この敵国条項はまだ削除されて

  いません。

 

― 敵国条項の削除に賛成しない常任理事国とは、いったい

  どの国なのか。 中国なのか、ロシアなのか、それとも

  同盟国アメリカなのか。 あるいは五大国すべてなのか。

 

・・・つまり、削除されていないってことは、世界の国々、

少なくとも英米などの主要国はいまだに日本を疑惑の眼で

見ているってことにはなりませんか。

だから、加盟国の平等を謳いながら、米国による日本の実質的

駐留を認めている、あるいは日本政府も訴えない・・・

ってことですかね?

 

まあ、これを逆に皮肉な言い方をすれば、

日本が変な方向に転がりだしたとしても、アメリカがこれを

抑えにかかるってことでしょうか?

しかし、それは、アメリカの都合でお付き合いはさせられる

ということになるのかな?

 

― なぜ沖縄が21世紀のいまになっても、まだ米軍の

  軍事占領状態にあるのか。 また本土でも、なぜ

  首都圏の上空全体が米軍に支配されていて、日本の

  飛行機はそこを飛べないなどといった、信じられない

  状態がつづいているのか。

 

― 1952年に発効したサンフランシスコ講和条約にも、

  「連合軍のすべての占領軍は、この条約の効力が発生した

  あと、なるべくすみやかに、かつ、いかなる場合にも

  90日以内に、日本から撤退しなければならない」

 

― 右の条文の次に、

  「ただしこの条文の規定は、二国間で結ばれた協定

  (=日米安保条約)による外国軍の駐留をさまたげるもの

  ではない」 

  と書かれていたからです。

 

・・・つまり、この例外規定が優先して、米軍がいまだに駐留

しているってことのようです。

 

― 「日本は、アメリカが国連に対して、沖縄や小笠原などを

  信託統治制度のもとにおくという提案をした場合、無条件で

  それに同意する。」

 

― 信託統治制度というのは、・・・国連の管轄のもとに、将来の

  独立や自治を前提として統治することが原則なのです。

 

― 「そうした提案がおこなわれるまでアメリカは、それらの

  島や住民に対し、行政、立法、司法上のすべての権力を

  行使する権利をもつ」

 

― 結局アメリカは、1972年の沖縄の本土復帰まで、

  一度もそうした提案をしなかった。

 

・・・・つまり、アメリカは提案をしないことによって、沖縄を

独裁的に統治したということになります。

そして、それがなぜ世界の国々から黙認されてきたかというと、

著者の分析はこうなります・・・

 

 

― ところが、この一〇七条がのべているのは、「敵国」に

  対する戦後処理については、そうした条項はすべて適用

  されない、適用除外になるということなのです。

 

― ・・・・日本に駐留する米軍や、・・・支配された沖縄に

  関しては、いくらその実態が「民族自決の原則」や

  「人権の尊重」に反していても、国際法には違反しないと

  いうことになるのです。

 

・・・あらららら・・・日本では国際法上は人権はないみたい

ですねえ。 

 

― 国連で働く日本人の方に・・・・沖縄の現状・・

  「残念ながらそれは無理です。 問題にできるとしたら、

  人種差別についての勧告ということになります」という返事

  がきたのです。

 

― 国連の主要な目的のひとつが、「すべての人間の人権の尊重」

  であると書いています。

 

― それなのになぜ、沖縄の問題だけは、国連の人権理事会が

  任命する特別報告者は声明を出してくれないのか。

  人種差別とは、いったいなののことなのか。

 

― 日本の講和条約をめぐる問題については、国連憲章は効力を

  発揮しないので、沖縄の米軍基地問題について、いくらそれが

  人権を侵害していても、国連人権理事会はアメリカ政府に

  対し勧告をおこなうことはできない。

  しかしそうした現状を放置していることは、沖縄人(琉球民族)

  という「人種のちがう民族」への差別にあたるとして、

  日本政府に対し勧告することはできる。

  これが国際法の現場で実際に起こっている現実なのです。

 

・・・う~~ん。 要するにがんじがらめにされているんですね。

アメリカに勧告はできない。 日本政府に勧告ができるけど、

どうせ政府はそんなものに耳を傾ける心もなさそう。

それに、いろんな勧告は出ているけど、強制力もないし。

 

沖縄県知事が、実質的な決定権がない日本の首相を飛び越して

アメリカに直訴に行くという理由がやっとわかりました。

 

― アメリカの考えとしては、NATO型の集団安全保障体制を

  つくって、その枠組みのなかで日本に米軍が駐留しつづける。

  そうすれば、憲法九条二項によって軍事的空白地帯となった

  日本を防衛するとともに、日本がふたたび軍国主義化する

  ことをふせぎ、周辺諸国の安全も確保することができる

  (オーストラリアやニュージーランド、フィリピンは、

  形式はどうであれ、米軍が沖縄にとどまることを強く望んで

  いました)。

 

・・・なるほどねえ。。。。日本の歴史教育では、日本が加害者で

あったということはあまり教えられていませんから、のほほんと

被害者意識を膨らませてきたんですが、周辺の国々は

よっぽど警戒をしていた、または、いまでもしているんでしょうね。

 

 

― もともと日米安保条約とは、「日本という国」の平和と安全の

  ためではなく、「日本という地域」の平和と安全のために

  結ばれたものであり(だから米軍は日本の国境を越えて自由に

  行動する)、その地域内でもっとも「攻撃的な脅威」となる

  可能性が高いと想定されていたのは、なんと当の日本国だった

  ということです。

 

・・・いやいやいやいや・・・これは参ったね。

そういう目的だったんであれば、すべて腑に落ちるという感じじゃ

ないですか、皆さん。

一番危ないのは日本だから、米軍を置いとかないと、こいつら

何をやらかすか分かったもんじゃないって話です。

 

実はね、私はね、以前から「日本人には薄気味の悪いところがある」

と思っていたんです。

どうも、ある空気の中で、抵抗もせずに、粛々と一定の方向に向かって

一億総火の玉で動き出す怖さを秘めている。

私自身の自戒を込めて言っているんですよ。

私はちょっとしたことで、右翼にも左翼にもなりそうな体質がある。

そういう薄気味の悪さを日本人は持っているから、周りから信用されて

いないんじゃないのか。

 

― キッシンジャーと周恩来の在日米軍基地をめぐる会話

 

― 「もしわれわれが(日本から)撤退するとなると、原子力の  

  平和利用計画によって日本は十分なプルトニウムを保有してい

  ますから、非常に簡単に核兵器をつくることができます。

  ですから、われわれの撤退にとってかわるのは、決して

  望ましくない日本の核計画なのであり、われわれはそれに

  反対なのです」

  「・・・日本が大規模な再軍備に乗り出すのであれば、中国と

  アメリカの伝統的な関係(第二次大戦時の同盟関係ほか)

  が復活するでしょう。」

 

・・・・おお、随分正直なアメリカの態度ですね。

アメリカと中国との同盟こそが伝統的なものだそうですよ。

 

 

― 「米軍機は日本全土の原発を爆撃するために低空飛行訓練を

  している」・・・

 

・・・・ここまで来ると流石に凄いですね。

著者も陰謀論に聞こえるかもしれないが、事実だと述べているんです。

日本の教育は、日本が他の国から本音ではどのように思われて

いるのか、真面目に教える必要がありそうです。

 

― (ドイツの)第五代首相のヘルムート・シュミットも

  ・・・日本の外交問題について意見を求められるたびに、

  「日本は周囲に友人がいない。 東アジアに仲のいい国が

  ない。 それが問題です。」と・・・・

  ・・・それは同じ敗戦国だったドイツからの、本当の、

  心からの助言だったのです。

 

 

― 米英仏ソの駐留軍はすべて1994年までにドイツから

  完全撤退していきました。 現在ドイツに残っている米軍は、

  基本的にNATO軍としての制約のもとに駐留しており、

  そのドイツ国内での行動にはドイツの国内法が適用されて

  います。

 

― アメリカに従属していれば、その保護のもとで「世界第三位の

  経済大国」という夢を見ていられます。

  しかし、ひとたびアメリカから離れて自立しようとすれば、

  世界で一番下の法的ポジションから、周辺国に頭を下げて

  やり直さなければならない。 それはまさに戦後の西ドイツが

  歩んだ苦難の道そのものです。

 

 

・・・皆さん、どうですか?

私は疲れました。 にっちもさっちもいかないじゃないですか。

どうしたらいいんでしょうね。

 

これははっきり言って、官僚には解決できない問題ですね。

よほど理想に燃えた、周辺国に疑念を持たれない、崇高な理念を

世界に発信できるようなスーパー政治家じゃないと無理だなあ。

 

そんな人材を発掘するためにも、高校生たちの日本史や

世界史の授業をしっかり充実して、若い人たちに考えて

もらわないと、戦後100年経ってもこの第二次大戦の

軛からは抜け出ることは無理だと思いませんか?

それを乗り越えないことには、日本は本物の自由主義、

人権主義、民主主義を手に入れることはできないと

思うんですがねえ・・・

 

今から明治維新をもう一度って言うんなら、こういうことを

やれる二十代の人たちを育てていかないと・・・・

 

 

007

== その8 に続く ===

 

 

 

 

 

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2018年2月 7日 (水)

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読む - その4

 

 

矢部宏治著 集英社インターナショナル

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」

を読んでいます・・・・

 

 

次の章は 「安保村の謎」で副題が「昭和天皇と日本国憲法」

となっています。難しそうです。

 

ちなみに、私が天皇皇后両陛下にどんな感覚を持っているかと

いいますと、もちろん戦後生まれですから、いわゆる象徴としての

天皇しか知らないわけです。

戦後の昭和天皇と平成天皇ですね。

 

なので、天皇陛下バンザイと言うのは抵抗がありますし、

現人神的に崇拝するというようなことはありません。

おそらく一般的なイメージと同じく、普通の日本人の

良心を体現して、国内や国外での公務をされている姿を

尊敬していると言えばいいかもしれません。

 

2016年の一月に、両陛下がフィリピンを公式訪問され、

たまたま偶然にも日本人会のメンバーであったので、

生まれて初めて生で両陛下にお会いし、二言三言言葉を交わす

ことが出来ました。

 

その時の様子はこちらに書いています。

「天皇・皇后両陛下のフィリピン訪問と「御接見」」 

http://janl.exblog.jp/22333650/

 

もちろん、ご接見の場ですので、写真撮影はご法度でした。

 

この時につくづく感じたんですが、両陛下のお仕事は本当に

大変なことだなあと思いました。

あれだけのご高齢でありながら、こんなに過密スケジュールで、

多くの人たちに丁寧に応じて言葉を交わされているのを見ると

よほどの体力と気力がなければ務まらないと・・・

 

さて、そこで、この本に書かれている昭和天皇には

第二次世界大戦の前後にどのようなことがあったのか。

そしてそれが、どのように日本国憲法を形作ったかを見ていき

ましょう。

001a

 

 

― これまでアメリカ国務省による最高裁への秘密工作や、

  安保条約改定後も在日米軍の基地使用の権利に変更はない

  とした「基地権密約」のような衝撃的な事実が、アメリカ

  政府の公文書という第一級資料によってあきらかになって

  います。こうした場合普通の国ならもちろん徹底した

  調査をおこないます。

 

― ところが日本の場合、ほとんど調査することがなく、・・・

 

・・・ ここでは、日本ではなく、アメリカで公開された資料

に基づき、密約があることが明確であるにもかかわらず、

日本では むにゃむにゃと誤魔化して無かったことにしちゃう

という話です。

まあ、今でも国会でそんなことが白昼堂々まかり通っています

から さもありなん・・なんですけどね。

 

― 沖縄へのオスプレイの配備・・・・・アメリカ本国では、

  住宅の上を飛ぶのは論外として、野生のコウモリに悪い

  影響があるといった理由でさえ、訓練が中止になって

  いるのですから・・・・

 

― なぜ私たち日本人は、ここまでのべてきたような

  「あきらかにおかしな状況」を自分たちの手で正す

  ことができないのか。 その原因はどこにあるのか。

 

・・・ まさにこの点なんですね。

なぜ 日本人はこんなことになってしまっているのか。

そこに第二次世界大戦の時の天皇と日本国憲法の話が

からんでくるわけです。

 

 

-     2012年4月に自民党が発表した憲法改正草案でした。

  この草案を見て、国連の人権理事会をはじめ、世界中の

  有識者たちが腰を抜かすほど驚いたのです。

  「これは何世紀前の憲法なのですか」と。

  近代憲法というのは、権力者が国民に向かって

  「このように暮らせ」と命令するためのものではなく、

  あくまでも主権者である国民が、権力者が自分たちの

  人権を侵害しないよう、しばりをかけるために存在する。

  これを「立憲主義」といいます。

 

― かつてダグラス・マッカーサーが日本人のことを、

  「近代文明の尺度で測れば、十二歳の少年くらいでしょう」

  と言ったことは有名ですが・・・・

 

・・・ 憲法や法律の条文をどのように読めばいいのか

私にはなかなか難しい問題ですが、権力者の為の憲法という

内容になっている草案だとすれば、それは鼻で笑うしかない

ですね。

 

― 原子力村の経済規模が年間二兆円とすれば、安保村の

  経済規模はなんと年間五三十兆円、つまり日本のGDP

  すべてといっていい。

  なぜなら占領が終わって新たに独立を回復したとき、日本は

  日米安保体制を中心に国をつくった。

  安保村とは、戦後の日本社会そのものだからです。

 

・・・  この経済規模をどう計算したのかは分からないんですが、

もしこれが本当なら、どうにもならん・・ってことですか??

 

― そうした日米安保中心の国づくり、もっとはっきり言えば、

  軍事・外交面での徹底した対米従属路線をつくったのが、

  実は昭和天皇とその側近グループでした。

  それがアメリカ側の公開資料でわかっている。

 

・・・ さて、いよいよ核心の部分に入っていきますよ。

今 台所で 鍋を火にかけているあなた・・・

ちょっと火を止めておいた方がいいんじゃないかと思いますよ。

 

 

― 「日本国天皇ヒロヒトの身柄の処遇」というアメリカ政府の

  基本政策文書にも、10月8日付の結論として、

  「ヒロヒトは、戦争犯罪人として逮捕・裁判・処罰は

  まぬがれない」と書かれていました。

 

― 「日本本土への無血侵攻を達成するためには、われわれは

  天皇の協力を要求した。 天皇の命令により、全日本軍の

  700万人もの兵士が武器を捨て、すみやかに動員解除され

  つつある。 そのことで何万何十万ものアメリカ人の死傷が

  避けられ、戦争は予定よりもはるかに早く終結した。

  天皇をそのように利用しながら戦争犯罪人として裁くなら、

  日本国民の眼には裏切りと映るだろう・・・・」

 

・・・ と言う事になって、「免責」とされたようです。

確かに、日本人的に言っても、もし天皇が全責任を負って

処刑されたりしていたら、日本はどんなことになっていたか

想像もつかないですね。

 

― そもそも昭和天皇自身が、自分に戦争責任があることは一番

  よくわかっていて、敗戦後、何度も退位して責任をとろうと

  しています。・・・・しかし結局、マッカーサーが退位させ

  なかったわけです。

 

― 1942年9月の段階ですでに、

戦争に勝ったあとは日本に、「ヒロヒトを中心とした傀儡政権」

  をつくれば、アメリカの国益にかなうという提案を陸軍省に

  対しておこなっていました。

 

・・・ アメリカは凄いですね。 戦争の始めっから、

勝つことを前提に その後どうするかを決めていたって言うん

ですからねえ。

日本の場合はどうだったんでしょうねえ。 負けたらどうする

というプランはあったんでしょうかねえ。

・・・まあ、なかったから こんなことになってんでしょうけど。

 

 

― 同じ日に結ばれたサンフランシスコ講和条約に

  日本側代表六人全員がサインしたのに対し、

日米安保条約には吉田茂ただひとりがサインしたことは

  よく知られていますが、理由は非常に単純で、そもそも

  日本語の条文がなかったので、ほかの五人の代表は

  安保条約の内容をほとんどわかっていなかったのです。

 

― 日本国憲法の草案も最初は英語で書かれていました。

  ・・・敗戦翌年の1946年1月1日、昭和天皇が

  人間宣言を出します。 これも最初は英文で書かれて

  いました。

 

・・・・あじゃじゃじゃ・・日本語惨敗だったんですねえ。

それじゃあ話にもなんにもなりゃしない。

日本の若い人たちよ。 英語ぐらいは勉強しといてね。

またアメリカに負けるかもしれないんだから・・・

 

― 皇居はなぜ爆撃されなかったのか。

  皇居への攻撃は、大多数の日本国民が天皇個人に対して

  いだいている忠誠心を傷つけ、日本国民の戦争続行の意志

  を高める結果となるだろう。

 

・・・ こういう言わば文科系的分析まで周到にやっている

ところがアメリカの凄さですかねえ。 物理的に破壊する

計画だけじゃなくて、心理的効果まで徹底してプランして

いるんだもんなあ。 負けるわけだ・・・・

 

― 戦後、CIAの実質的な創設者となる アレン・ウェルシュ・

  ダレスだったということです。

  ・・・このあと1950年代に冷戦期のアメリカの世界

  戦略を支え、「反共」を軸としたその戦略に、日本も半ば

  積極的に組み込まれていくことになります。

 

― つまり天皇と皇室の運命は、これから天皇自身がどう行動

  するかにかかっている。

 

― 昭和天皇にとっても、終戦の「ご聖断」につづく生涯最大の

  賭けだったと思います。 マッカーサーがそのことに驚き

  昭和天皇の態度や資質を高く評価したことは事実だと

  思います。

  ・・・その結果・・・「アメリカ占領政策=日本の国家

  再生計画」という共同プロジェクトを進めていくことに

  なるのです。 それはまた、「天皇+米軍」という、

  安保村の基本構造が誕生した瞬間でもありました。

 

・・・ ここで、天皇と占領政策、そして 日本国憲法の

関係がしっかりと形作られて行くわけですね。

 

 

― 敗戦翌年の五月には東京裁判が始まることになっていて、

  うかうかしていると昭和天皇が起訴されて戦争犯罪人と

  なってしまう可能性も残されていた。ですから基本的には

  人間宣言も日本国憲法も、この時期に急いでつくられた

  最大の目的は、天皇を東京裁判にかけないように、国際世論

  を誘導するところにあったのです。

 

― GHQ民間情報教育局のカーミット・R・ダイク局長が、

  ・・・「天皇はみずから国内を広く巡行されて、国民の

  声に耳をかたむけられるべきである」という意向も伝え

  られます。・・・・天皇巡行です。

 

― 当時の日本の庶民にとって、天皇がどれほど大きな存在

  だったかわかります。 その天皇が主導して、こうした

  日米合作の戦後体制を築いた。 だからそれから70年

  たって、いくら矛盾が露呈しても、安保村の基本構造が

  非常に変えにくいということがあるのです。

 

・・・ つまり、天皇は自らの命や皇室の存続との引き換えに、

占領政策の道具として使われたということでしょうか。

しかし、それにしても、その基本構造が70年経っても

国民の力で変えられないほどになってしまった理由は

どこにあるのでしょうね。

錦の御旗という思いが日本人の心の底辺に沈殿していると

いうことなのでしょうか。

 

 

― 敗戦後もなお天皇制が、そして天皇制日本が、ふたたび

  存続していくためには、天皇が神であることを否定するだけ

  でなく、「この(軍部が暴走した間違った時代、突然変異的な

  時代)」とする歴史観がどうしても必要だった。

  ・・・こうして戦前戦中の軍国主義に関して、悪かったのは

  軍部の暴走だけだったとするこの日米合作の歴史観を、

  日本国民も受け入れてきました。

 

・・・・これは司馬遼太郎の歴史観と同じだと書いてあります。

そして著者は、それは少し違うのではないかとも言っています。

明治時代がすべて良かったとは言い切れないと。

私は近現代史はほとんど知りませんから自分の考えというものは

ありませんが、以前から何かちょっとした違和感があるのは

事実です。

何故かといえば、私の母は聞くところによれば、いわゆる

愛国少女だったし、バギオ市で会った当時小学生だった方も

大日本帝国イケイケみたいな高揚感があったと聞かされたから

です。 そして私の父は満州鉄道関係の商社で働いていた。

軍部だけの独走だったと言い切ると、国民は総無責任

ということを認めなくてはならなくなると思うからです。

 

 

― 重要なのは、第二次大戦後の世界において、主権国家が

  憲法に条文として書き込んでしまえば、それほど強いもの

  はないということです。

  ・・・「主権平等の原則」は、国連憲章でアメリカ自身が

  示した戦後世界の大原則でした。 ですから一度憲法に

  書き込んでしまえば、いくら超大国でもどうすることもできない。

  憲法は、力の弱い国が強い国に立ち向かうための最大の武器

  なのです。

 

― フィリピンはその武器を使いました。

  憲法改正で1992年に米軍を完全撤退させています。

  フィリピンという国は、戦前はアメリカの本当の植民地で、

  だから独立したあとも、沖縄などくらべものにならないほど

  巨大な米軍基地がいくつもありました。

 

― 重要なのはその時点で、東南アジア10か国に外国軍基地は

  ひとつもなくなったという事実です。

  ・・・欧米列強による東南アジアの植民地支配の歴史に、

  ついに終止符が打たれたということでもありました。

 

・・・  従って、日本は世界第二位の経済大国であった頃から

今に至るまで、実質植民地状態から抜け出ることが出来なかった

と言うことになりそうです。

 

もしかして、これも、英語ができない日本人と 英語ができる

フィリピン人の差なのでしょうか??

アメリカ人の考え方まで分かっていたフィリピン人だからこそ

アメリカ人の弱点も知っていたということですかねえ・・・・

 

実際のところ、フィリピンは二重国籍を認めていて、

アメリカとフィリピンの両方を持っている人は多いですからねえ。

それに、フィリピン人の退役軍人と言えば、アメリカ軍として

沖縄で勤務していた人も大勢いるようですし。

 

 

=== その5 に続く ===

 

 

 

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2018年2月 5日 (月)

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読む - その2

 

 

 

矢部宏治著 集英社インターナショナル

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」

を読んでいます・・・・

 

 

さて、読後の結論は その1に書いたのですが、

この本は読めば読むほど 日本の政治に絶望感を覚え、

阿保らしくなってしまいます。

 

しかし、私が昔からずっと思っていた「日本の政治はなんで

こうなるの?」という疑問に その理由を教えてくれました。

 

では、その絶望的な話を 引用していきましょう。

 

001a

 

(1) 「沖縄の謎」

 

― でも、そんな米軍機が、そこだけは絶対に飛ばない場所がある。

  ・・・こうしたアメリカ人が住んでいる住宅の上では絶対に

  低空飛行訓練をしない。

 

― だから問題は、その「アメリカ人並みの基準」を日本国民に

  適用することを求めず、自国民への人権侵害をそのまま放置

  している日本政府にあるということになります。

 

― 相手が自国では絶対にできないようなことでも、原理原則なく

  受け入れる。 その一方、自分たちが本来保護すべき国民の

  人権は守らない。 そういう人間の態度を一番嫌うのが、

  実はアメリカ人という人たちなのです。 だから心のなかでは

  そうした日本側の態度を非常に軽蔑している。

 

・・・そりゃあそうでしょうね。

そんな日本のリーダー達は 軽蔑されるのが当たり前だと

思います。 少なくともサムライではない。

 

 

― ところがこの2009年のケースが異様だったのは、

  9月に民主党が政権をとったあとも、検察からの

  攻撃がやまなかったことでした。

  鳩山首相と小沢幹事長、つまり国民の圧倒的な支持を

  得て誕生した新政権のNo1とNo2を、検察がその後も

  ずっと野党時代と変わらず攻撃しつづけた。

  ・・・大手メディアも、それに足並みをそろえた。

  この時点で日本の本当の権力の所在が、オモテの政権とは

  まったく関係のない「どこか別の場所」にあることが、

  かなり露骨な形であきらかになったわけです。

 

― 戦後初めて本格的な政権交代をなしとげた首相が、だれが

  見ても危険な外国軍基地をたったひとつ、県外または国外

  へ動かそうとしたら、大騒ぎになって失脚してしまった。

  ・・・・鳩山さんの証言にあるように、そのとき外務官僚・

  防衛官僚たちが真正面から堂々と反旗をひるがえした。

 

― 官僚たちは・・・・「別のなにか」に対して忠誠を誓っていたと、

鳩山さんは語っています。

 

・・・・ ここですね。ポイントは。

選挙で選ばれた首相がだれであれ、自民党であれ、共産党であれ、

本当の権力は別のところにあるって話です。

 

― 2006年にアメリカ国務省自身が認めているように、自民党

  は1955年の結党当初から、CIAによる巨額の資金援助を

  受けていた。 その一方でCIAは、社会党内の右派に対しても

  資金を出して分裂させ、民社党を結成させて左派勢力の

  力を弱めるという工作もおこなっていました。

 

・・・これで頭に浮かんだんですけど、今の東京都知事は

誰でしたっけね?

もしかして 彼女は 野党分断の刺客の役割を果たしたん

でしょうか?  これ、陰謀論ってやつですけど・・・

今なんて、野党の名称すらまともに思い浮かばなくなっちゃって。

 

 

― 沖縄の地上は18パーセント、上空は100パーセント、

  米軍に支配されている。

 

― 飛行機というのはアッという間に飛んできて、飛び去って

  しまいますので、実際に住んでみないとその危険性は

  よくわからないのです。

 

・・・ この感想文を書いている間にも、テレビからは

佐賀県で 自衛隊のヘリが民家に墜落したことを報道しています。

 

―  日本じゅう、どこでも一瞬で 治外法権エリアになる。

 

― 日本国の当局は、 所在地のいかんを問わず合衆国の

  財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行う

  権利を行使しない。

  (日米行政協定第十七条を改正する議定書に関する合意

   された公式議事録 1953年9月29日)

 

・・・・ だから、日本政府は 米軍の飛行機が不時着したり

墜落したりしても、何の手出しも出来ないって話です。

植民地ですね。

 

― 一度、世界中の人に見てもらいたいと思います。

  自分たちが事故を起こしておきながら、「アウト、アウト」

  と市民をどなりつけて大学前の道路から排除し、取材中の

  記者からも力ずくでビデオカメラをとりあげようとする

  米兵たち。 一方、そのかたわらで米兵の許可を得て

  大学構内に入っていく日本の警察。

 

― 「沖縄の人は、なんてかわいそうなんだ」

  と、最初は怒りのないような感情がこみあげてきます。

  しかしすぐに、そのかわいそうな姿は、本土で暮らす

  自分自身の姿でもあることが、わかってくるわけです。

 

― まったく沖縄と同じなのです。

  法律というのは日本全国同じですから、米軍が沖縄で

  できることは本土でもできる。

  ただ沖縄のように露骨にはやっていないだけ。

 

・・・ 今、これを書いている間にも、

沖縄の市長選挙の分析をテレビで報道しています。

ちょうど、この沖縄国際大学構内への米軍ヘリの墜落事故

のこともやっています。

 

 

― 本土の米軍基地から、ソ連や中国を 核攻撃できる

  ようになっていた。

 

― 緊急時には、すぐにこうした弾薬庫から核爆弾が

  ・・・飛行機に積み込まれ・・・それが本土の米軍

  基地に運ばれ、そこからソ連や中国を爆撃できるように

  なっていたということです。

 

・・・ つい先日 トランプ大統領が核開発について

なんだか物騒なことを言っていましたね。

昔のソ連は今のロシアですけど。

要するに、日本はアメリカの核攻撃の前線基地という

話のようです。

そうだったら、もちろん相手は その前線基地を

最初に潰しますよね。

素人考えですけど・・・・

 

 

― 憲法九条二項と、沖縄の軍事基地化はセットだった

 

― つまり 憲法九条を書いたマッカーサーは、沖縄を軍事

  要塞化して、嘉手納基地に強力な空軍を置いておけば、

  そしてそこに核兵器を配備しておけば、日本本土に

  軍事力はなくてもいいと考えたわけです。

 

― だから日本の平和憲法、とくに九条二項の「戦力放棄」は、

  世界じゅうが軍備をやまて平和になりましょうというような

  話ではまったくない。沖縄の軍事要塞化、核武装化と

  完全にセット。 いわゆる護憲論者の言っている美しい

  話とは、かなりちがったものだということが分かりました。

 

― 米軍駐留に関するあるひとつの最高裁判決によって、

  在日米軍については日本の憲法が機能しない状態、

  つまり治外法権状態が「法的に認められている」ことが

  わかりました。

 

― 安保条約とそれに関する取り決めが、憲法を含む日本の

  国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定した

  わけです。

 

・・・ 要するにここでは、平和憲法の裏側には、アメリカが

日本をいわゆる「不沈空母」にするというはっきりした意図が

あったってことです。

で、多分、本土でそれを露骨に表すと日本国民の反発が

強くなるだろうから、沖縄に基地を集中させているって

ことのように見えます。

そして、日本の憲法は まったく最高法規ではないってこと

になりますね。 その上にアメリカ軍の都合がある。

 

― 「日米合同委員会」という名の組織なのですが、・・・・

  外務省北米局長を代表とする、日本のさまざまな省庁から

  選ばれたエリート官僚たちと、在日米軍のトップたちが

  毎月二回会議をしている。 ・・合意したが議事録には

  書かない、いわゆる「密約」もある。全体でひとつの国の

  法体系のような膨大な取り決めがあるわけです。

  しかもそれらは、原則として公表されないことになっている。

 

― 「鳩山首相を失脚させたのは、本当はだれなのか」

  ・・・彼らは日本国憲法よりも上位にある、この

  「安保法体系」に忠誠を誓っていたということだったのです。

 

 

・・・ はい、これで「沖縄の謎」は終わりです。

 

今 盛んに憲法論議をやろうじゃないかという雰囲気づくり

が行われていますけど、こういう話が事実であるとすれば、

憲法なんかどうでもいいってことですよね。

改正してもいいし、改正しなくても大差ないってことじゃ

ないんですか?

 

だから 私は絶望したって言ったわけです。

 

まだ、あなたは絶望しませんか?

なかなかしぶといですね。(笑)

 

じゃあ、次の 「福島の謎」にいってみましょうかね・・・・

 

011a

 

==  その3 に続く ===

 

 

 

 

 

 

=======

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2018年2月 1日 (木)

意識、心、色即是空、釈迦、臨死体験、脳科学、そして 宇宙、物質、素粒子・量子論 -その4

 

 

(3) 仏教から見た 肉体と霊魂の関係

 

仏教、それも日本仏教の一般庶民、私みたいな人間、から 

肉体と霊魂なんてことを考えると、当然のことのように

「慰霊」とか「亡霊」とか「お盆にご先祖の霊が帰ってくる」とか、

長崎で言えば「精霊流し」とか、「冥福を祈る」というものがあるって

のが前提みたいになってんですけど、実は 私の実家の浄土真宗を 

改めて本なんかで読んでみると、あっと驚くんですねえ。

かなりイメージが違っていたんです。

 

例えば、

「浄土真宗の教えでは「臨終即往生」と言って、亡くなられたら

すぐに極楽浄土に行って仏様になるので、他教のように「冥福を祈る」

「死出の旅路につく」という概念はありません。」

「浄土真宗で「旅路」は生きている間に終わらせてしまう物で、死とは

ゴールですので、迷うような事はあり得ないのです。」

「死後はすぐに仏様となり、穢れ(けがれ)ではありませんので、

お葬式につきものの「お清めの塩」等も用意しません。

故人は、死後旅をしたり閻魔様のお裁きを受けたり草葉の陰で迷ったり

は決してしません、と心がけておいてください。」

https://www.お葬式なら格安葬儀.net/j-honganjiha/

 

ってことで、そんじゃあ、大元であるお釈迦様はどんなことを

説いていたのかってことで、苫米地英人さんの本をメインに

紐解いてみたいと思います。

001

 

D01

この現代の科学者たちが何十年もかけて証明した結論を、

2500年前に語っている人がいました。 それが釈迦です。 

釈迦は数学も物理学も用いず、瞑想という思考実験でそれを解明して

みせました。 宗教で量子論と同じ結論に至ったのは、仏教しか

ありません。      

 

D02

― そもそも仏教は「あの世」に行くための宗教ではありません。

・・・釈迦は一言も浄土について語ったことはないのです。 

それどころか、釈迦は葬儀に僧が関わることを禁止していました。

― 有名な「毒矢のたとえ」です。 あの世があるかないか、

霊があるかないか、考えるのは時間の無駄。 大事なのはこの世での

悩み苦しみを解決することであり、そのために修行しなさいと

釈迦は言っているのです。

 

D04

― 脳と心はひとつのものである、が現代の脳科学の考え方です。

それらを別の存在と考えることは、物理的な身体とは別に魂(霊)

があると考えるのと同じです。・・・霊もあの世も、それを信じる

人の脳(心)の中にのみ存在するものです。

― 脳と心の解明には、量子論や相対論などを含む、人間がこれ

まで培ってきた知の体系をすべて学ぶ必要があるでしょう。

釈迦は2500年前に、量子論や相対論によって導きだされた

結果を語っていました。  

 

D05

自分をいくら細かく定義しても、そこには自分以外のものしかあり

ません。 自我は数学でいう「点」に似ています。 

・・・点も自我も人の頭の中にある概念であり、実在はしないのです。

 

D06

― 儒教では人が死ぬと、精神である「魂」と肉体部分の

「ハク(白+鬼)」に分離されると考えられています。 

― 死を穢れと考える、または呪いの思想は、道教や儒教から

伝わったものだと考えられます。

― 最古の仏典である「スッタ・ニパータ」には、釈迦の言葉

として、「出家者は呪術や占いをおこなってはいけない」という

記述が明確に残されています。

 

D07

釈迦はアートマン(魂、自我)を否定することで、輪廻転生がない

ことを説きました。 にもかかわらず、一部の仏教寺院ではいまだ

に輪廻があるようなことが言われています。 例えば、六道輪廻

という概念があります。

 

 

D08

カントの時代には、時間と空間はアプリオリだと考えられて

いました。 しかし、相対論以降、アプリオリなものはなく

なりました。 アプリオリなものは何もないということを、

釈迦は「縁起」という概念を使って説明しました。 縁起とは

「縁」によって「起」こると書きますが、それ単体で成り立つ

ものは何もなく、すべては他のものとの関係性によって成り立

っているという思想です。

 

D09

仏教はインドで密教に変わったとき、超能力思考が強まりました。 

バラモン教との勢力争いにおいてオカルトを利用したという側面

もあるのですが、一方で密教のメリットもあります。 

それは密教を学ぶことで、「この世が幻である」ということを身を

もって体感できることです。

 

D10

悟るのも難しくなければ、悟りについて理解するのはもっと簡単です。 

ただ「この世は幻」と知るだけのことです。 「幻」と聞くと

「この世が存在しないなんて恐ろしい」と思う人がいるのですが、

この世が「ない」とは言っていません。 物理空間では、素粒子の

状態にすぎないということです。

 

D12

釈迦は瞑想によって自我はない(または空である)と知りました。

それが悟りの状態です。 自我がなくなった状態ですから、

すべてのスコトーマが外れており、すべてを認識することが

可能になっています。 

 

 

・・・・「自分」も「宇宙」もすべてを同時に認識できるのです。 

・・・ ここには私が仏教の常識だと思っていたことが

・・・ かなりぶっ壊されるようなことが書いてあるんですが、

・・・ 実際に 「ブッダの言葉」という原始仏教の本を

・・・ 読むと、なるほどな・・と分かります。

・・・ それほど、日本仏教は釈迦のものとは違うということです。

 

嘘だと思う方は、是非 こちらのページで ご確認ください:

「「ブッダのことば」(スッタニパータ)(42)感想・まとめ」

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/08/post-4c5c.html

 

 

・・・ それはともあれ、苫米地さんは かなり大胆だと

・・・ 思いませんか?

・・・ 現代の最先端の物理学・量子論を お釈迦さんは

・・・ 体感して理解して、それを説いていた・・と言いきって

・・・ ますからねえ。

 

・・・ ただし、その3の(2)で書いたこととは内容が

・・・ 違っていますね。

・・・ (2)では 霊魂というか意識みたいなものが

・・・ 肉体から離れて 宇宙の中で存在できるような

・・・ ことになっていましたが、

・・・ 苫米地さんは、釈迦は霊魂みたいなものについては

・・・ 否定的であるとしています。

 

要するに、この部分が私の興味が一番集中するポイント

なんですけど、現代の量子論的な考え方において、

一部の科学者は、意識というものは素粒子レベルにある

ってなことを言っているんですね。

 

008

 

苫米地さんのこの本は2010年に出版されているんですけど、

その後の量子物理学の発展やあらたな科学的発見の結果として

今現在はどのように判断されているのかなあ~~と思うんです。

 

 

(4)・・・ 未だ 考えが思い浮かびませんので

       タイトルが出てきません・・・

 

=== その5 に続く ===

 

 

 

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2018年1月31日 (水)

意識、心、色即是空、釈迦、臨死体験、脳科学、そして 宇宙、物質、素粒子・量子論 -その2

 

 

まず、何から手をつけるかなんですが、

元々私が素朴な疑問として感じた バギオ市で聞いた「霊」なるもの

のことから入ります。

 

(1) 霊と呼ばれるオカルトっぽいものは 科学的に何かヒントに

なるものがあるのか。 意識と身体の関係。

 

世の中には疑似科学みたいなものがあるらしくて、人の心を

惑わしているという噂も聞くんですが、最近の科学分野での

いろんな理論や発見というものの中に 昔から霊的な現象と

されているものと 素人目には共通点がありそうな感じがする

ものを拾ってみます。

 

その1で紹介した 4冊の本と5番目のインターネット情報の中では、

主に (C)「臨死体験で明かされる宇宙の遺言」と(E)の

「宇宙の意識が あなたの身体に閉じ込められて・・」からの情報が

ほとんどになるかと思います。

(この二つの情報源は、信頼するに足るものかどうかは私には

 判断できませんが・・・)

 

(C)の本については、著者自らが 本来ならこのようなものを

他人様に披露するようなものではないが、実際に体験したことだから

敢えて発表する・・・と断っています。

054

 

C02

ハーバード・メディカル・スクールに在籍するアメリカの          
著名な脳神経外科医のエベン・アレグサンダーが・・・・・
彼自身も髄膜炎によって・・・不思議な世界を体験して
います。 これも「第二次臨死体験」といっていいでしょう。

この状態では、意識が完全に肉体を離れ、時間と空間を
超えてさまざまな世界を体験します。

 

C03

「私」という意識は間違いなくベッドサイドに腰かけている
私のほうにありますから、だとしたらベッドで寝ている「私」
は何者なのでしょうか?

私は父の中に入り、父の目になって、ベッドに横たわっている
「私」を見ていたのです。

「あれ? おふくろは?」と思ったその瞬間です。・・・         
・・・ 私は瞬間的に、病院の一階ロビーにいた母のところ
に移動していたのです。

 

C05

おそらく人は死ぬと意識が肉体を離れ、大きな「我」に            
吸収されるのではないでしょうか。
そこでは個々の意識が持っていた記憶も失われ、一つの
大きな「我」という意識体に合流してしまうのだと思います。
この空間こそが五次元の世界なのです。
五次元の世界とは 「縦」「横」「高さ」「時間」「意識」の
五つで構成される空間です。

 

C06

意識と肉体が分離した時点で・・・大きな「我」に吸収          
されてしまうのだと思います。
あるいは意識だけの状態になったまま、過去や未来をさまよい、
どこにも戻れない人(意識)も出てくるのではないでしょうか。
それが亡霊とか幽霊とかいわれるものではないかと思います。

      


・・・以上が 臨死体験を経験した人の記録なんですが、

・・・これに関係しそうな科学者の理論が (E)から

・・・拾う事ができます。

 

 

E02

驚きの理論を提唱しているのは、英グラスゴー大学などで教鞭を

取り、現在は著述家として活躍している化学者のデイヴィッド・

ハミルトン博士。博士によると、全ての意識は肉体の誕生以前から

宇宙に存在し、死後も存在し続けるという。一体、どういうことだろ

うか? 英紙「Express」(713日付)の記事から博士の発言を

引用しよう。

「我々一人一人は人間として地球上に誕生する前から存在しま

した。我々は純粋な意識ですが、現在は身体的・物理的レベルで

存在しているということです」(ハミルトン博士)

 

 

E03

さらに、ハミルトン博士は、意識は量子レベルで時空を超えて

存在するとも語っている。

これは、「エネルギーは創造されもしないし、破壊されもしない。

ある形から別の形へ変わるだけである」と語ったアインシュタイン

の物理学とも通底するように思われる。

 

E04

再生医療の専門家ロバート・ランザ博士も、ハミルトン博士と

似た立場から意識の謎に取り組み、物質ではなく生命と意識こそ

現実理解のための基礎的な要素であるとする「生命中心主義」を

標榜している。ランザ博士によると、意識は物質よりも根源的な

存在であり、肉体は意識を受信するためのアンテナに過ぎないという。

 意識の問題を主題的に扱う哲学の一分野「心の哲学」でも、

脳や神経細胞といったレベルの構成においてはじめて生まれるの

でなく、宇宙の根本的レベル、つまりクォークやプランク長といった

レベルにおいて原意識という形で存在するとされているという

「汎経験説」が提唱されている。

 

 

・・・ 上記のように、臨死体験を実際に経験した人と、

・・・ 学者の中には 意識というものが肉体とは別に

・・・ 存在しうるということを言っているんです。

 

 

(2) 科学の分野では (1)以外にどのような

考え方が出てきているのか・・・

 

 

== その3 に続く ===

 

 

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2018年1月22日 (月)

四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」の異次元世界 <あとがき編>

 

 

 

 

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

 

 

<あとがき>編

 

 

さて、事前の情報なしに自分の素直な感想をまずは書いてみようと

リアルタイム感想文を その6まで書きました。

 

そして、今、「訳者あとがき」を読んで、自分の感覚と

この小説を一番よくわかっている訳者のコメントを比較してみます。

訳者は 古賀林 幸 という方です。

 

まずは、訳者コメントの中で私が「納得」と思う言葉を拾ってみます。

011

 

1― 欧米の批評家もいささかとまどったらしく、評価は二分。

2― とにかく長すぎる。

3― 小説の時間も空間も大きく歪み

4― 登場人物がとうとうと語りかける言葉は冗漫

5― 出来事は荒唐無稽にして、夢とも現実ともつかない

6― 人間の独善性や自己正当化

7― 過去の記憶や人物が次々に立ち現われ・・・奇妙な既視感

8― つねに奇妙なズレがつきまとうライダーのパラレル・ワールド

9― 夢のベールに包まれたような

10― すべてが相対化したこの二十世紀の状況

11― 先が見えず、目的地にたどりつけない

12― 親子や夫婦間の不毛なコミュニケーション

13― 筋の展開に脈絡がなく

14― 自発的、意志的に語るというより、

    闇雲に何かに動かされ、振り回されて遭遇

15― 夢想とも現実ともつかない曖昧さ

16― 各人物の「思いのずれ」

 

・・・まあ、訳者コメントと 私がなるほどと納得できるものが

これだけあるんだから、まあ私の読書感想文もあながち

的外れではなさそうで、ほっとしました。

 

では、上記の中で 私にとってどれが上位にくるかと言えば:

3番と8番、時空を超えたパラレルな宇宙感

5番と9番と15番、夢想と現実

6番と12番と16番、自己正当化による不毛なコミュニケーション

 

 

時空を超えたというのは、

人間の意識・記憶が小説の中でランダムに脈絡なく現れたり、

いきなり思いもよらぬ場所に忍者屋敷のごとく、

あるいはドラえもんのどこでもドアーみたいに転送されたり、 

誰の視点で書かれているのかが混じりあったり。

 

夢想と現実に関しては、

特に主人公のセリフが、単なる妄想を語っているのか、

それとも小説の中の現実を語っているのか区別がつかない。

 

不毛なコミュニケーションについては、

この小説のほとんどの登場人物のセリフが信じられないほど

すれ違っていることでしょうか。

 

 

それで、この小説は 私にどんなことを考えさせているかって

言えば、

 

人間の意識や記憶ってものは、どの程度安定あるいは不安定

なんだろうか。

 

いわゆる客観的な事実と言えるものが果たして存在するのだろうか。

 

認知症のような状態になった時には、幻想と現実の

区別がちゃんとつけられるのだろうか。

 

お互いにコミュニケーションが出来ている、理解が出来ているという

ことは 何をもってそう言い切ることができるのだろうか。

 

 

そして、13番と14番についていえば、

脈絡という一定の物語の流れがない場合に、

つまりは言語によって積み上げられた論理的な見通しがない

状況の場合に、自発的で意志的な次の一歩が出来るのだろうか。

 

・・・などということです。

 

ちなみに、この小説には現代音楽のことがちょっと出てきたんです

けど、従来のベートーベンやモーツアルトなどのクラシック音楽に

慣れていた者たちにとって、現代音楽と言われるものが出てきた時には

なんと雑音のような代物なんだろうと感じたわけです。

 

もしかしたら、この小説というのは、その雑音のような小説に

思える読者もいるんじゃないかと感じたんです。

それはおそらく、論理性や脈絡というものが飛んでいるからかも

しれません。

つまり、日常的な論理の進み方を乱すようなストーリーだからです。

それで、頭が痛くなっちゃう。

 

音楽というものに 言語における論理性あるいは脈絡をつくる

作用があるとするならば、その完成度によって 脳で感じる

快適度も違ってくるのでしょう。

 

しかし、一方で、音楽にはそのようなものは関係ないと

いうことであれば、昔のあの不快感をともなう現代音楽というのは

なんだったのだろうかと思うんです。

 

映画「2001年宇宙の旅」も「こりゃなんじゃ」という感じで、

私にとっては初めて聴いた現代音楽のようなものでした。

 

もしかしたら、この イシグロ作品が 読者にとって

心地良くなる日が いずれ来るのかもしれません。

 

 

003_2

 

 

============

 

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四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」の異次元世界 その6<完>

 

リアルタイム感想文

   

 

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

 

 

 

その6

 

 

さあ、いよいよ第四コーナーを廻りました。

そろそろストーリーの種明かしが出てきてもよい頃合いです。

 

文章のタッチは かなり普通の小説の感じになってきてまともです。

 

001_2

主人公は指揮者の事故現場から妻と息子の待つ家に車を

走らせます。 そして、義理の父が倒れたホテルに駆けつける

んですが、この倒れた父親への接し方が実に奇妙なんです。

 

妻が話していることは、この場にまったく相応しくない

ちぐはぐな言葉。 それも、息子を介してしか父親と

話そうとしない。

 

主人公と妻も、それぞれ勝手なことを口走って、まったく

話が噛み合っていない。 読者からすれば、お互いに何に

憤慨しているのかさえ分からない。

しかし、考えてみれば、夫婦喧嘩というものはそういうもの

なのかもしれません。

議論がかみ合わないまま、自分の主張だけを投げ合う。

 

そこへ、交通事故で足を切断された指揮者がやってきます。

足を切断されたばかりの男がどうして?

その種明かしは本を読んでいただくとして、ここから

やっとコンサートが始まるのです。

 

ホテルの支配人の息子がピアノ演奏を始めます。

いわゆる前座ですね。

しかし、その父と母の姿は客席から消えてしまいます。

ああ、やっぱりうちの息子には才能がないのか・・・みたいな

雰囲気なんです。

しかし、その後、両親がいないところで、息子は大喝采を

浴びるんです。そして両親はそれを知らない。

 

夫婦の間には結婚したときからのぎくしゃくがあったんですね。

それはいわば逆玉の輿みたいな関係で、夫はその重圧に

苦しんできた。 妻はそのことについて何も語らなかった。

それがここにきて大噴火を起こしてしまうんです。

 

 

いよいよ足を切り落とした指揮者がステージに上がります。

主人公のプロの見立ては、素晴らしい演奏になるんです。

・・・が、その演奏がだんだん不評になって、指揮者は

ステージで倒れてしまう。

元妻、あの墓地で会うはずだった妻が、ステージに

上がって来て見守るんですが、もう一人で生きていくしか

ないと三下り半を突き付けるんです。

ハッピー・エンドとは行かない。

 

コンサートは大混乱。

お客も多くが会場を出てしまう。

さて、有名なピアニストである主人公の出番はどうなっちゃうの?

 

しかし、主人公の今の最大の関心事は、何を置いても、彼の

両親が会場のどこにいるのかってことなんですねえ。

 

このコンサートの諸々をしっている筈のホテルの支配人は

両親のことは知らないという。

そこで、主人公のこの町でのスケジュールをすべて知っているはずの

女性の部屋に怒鳴り込むんですがね・・・・・

 

その冷静な女性に反撃を喰らっちゃうんですねえ。

「わたしの両親は今どこにいるのか?」

という主人公に対して、女性の答えは、

「あなたから両親が来るからたのむよと一度言われただけで

その後なにも詳細を聞かされていない。」

そして、主人公は

「両親が来るという確信があったんだ」

なんて返事をしちゃうんですねえ。

 

要するに、主人公の妄想だったってことのようです。

その妄想の為に、町の人々は歓迎準備で大騒動していたわけです。

 

この主人公の両親との関係に何らかの問題があるということが

この土壇場になって浮上してくるわけ。

 

ところで、ここでひとつ実に変なことがあるんです。

 

「おはようございます。 ライダーさま。 すぐすみますわ。」

「ミス・シュトラットマンは夜明けの光の中で慎重にわたしを

観察してから、ため息をついた。」 

 

なに?  もう朝!?

夕方に始まったはずのコンサートが、もう朝???

それも、有名なピアニストである主人公の出番は今からだというのに?

 

ハンガリーって、そんな国なんですかね??

この小説の時間間隔は私の頭を混乱させます。

 

さてさて、主人公のピアノ・コンサートはどうなったのでしょう。

それは内緒です。

この感想文は「ネタばれ注意!」というサイトじゃないもんで。

悪しからず。

元々、この主人公がこの町にやってきたその理由、

町の歴史的背景、町の問題ってのはなんなのかについては

明示されてはいないんですが、

おそらくこのホテル支配人も息子の言葉が近いんじゃないかと

思うんです:

「今夜ブロツキーさまが指揮したあの音楽は・・・最高の演奏でした。

・・・市民はそれを望まなかった。 驚愕させたのです。

それは彼らが期待していたものをはるかに超えていた。

それで彼があんなかたちで倒れたことに、実はほっと

しているんです。 彼らはいま、何か別のものを望んで

いることに気がついた。 何かもう少し、極端でないものをね。」

 

 

そして、もうこの小説の最後の最後まで来ているというのに、

こんな会話が出てくるんです。

 

「グスタフは三十分前に息を引き取りました。」

これは主人公の妻の父親、ホテルのポーターをやっている

爺さんが死んだと ポーター仲間が主人公に伝えたんです。

 

主人公の答えが、

「それはまことにお気の毒です」

????

何? 自分の身内が亡くなったのに、他人事か?

 

そして、その妻と息子がうなだれてコンサート・ホールを出て、

電車に乗るのを追いかけるんですが・・・・

 

 

その電車の中で、まったくの他人である乗客とこんな

会話をするんです。

 

「・・・私の両親が何年か前にこの町にやってきたことがある

らしいんです。・・・もしかしたら何か私の両親の訪問のことを

ご存知ないでしょうか。」

 

主人公はこんな質問をするんです。

そして、その乗客は、もしかしたら多分その母親のことは

記憶にあるってなことを無理やり答えるんですが、

父親のことは覚えていないというんです。

 

そうすると主人公は、

 

「でも、そんなばかな! 母は一人で、ここで何をしていたん

でしょう?」

 

・・・・こんなばかな質問はあり得ませんよねえ。

まったくの他人を責めるような言葉。

この主人公はやっぱり変です。

 

電車の中でやっと妻と息子に近づけた主人公、

妻からこんな言葉を投げ掛けられるんです。

 

「放っておいて。 あなたはいつだって、あたしたちの

愛情の外にいたじゃない。 いまだって自分を振り返って

みてよ。 あなたはあたしたちの悲しみの外にいる。

放っておいて。 消えてちょうだい。」

 

息子は、

「いやだ、いやだ。 ぼくたち一緒にいなくちゃ」

 

そして、二人は電車を降り、主人公は何故か電車に

残るんです。

 

この電車、不思議な電車なんです。

どんな電車かって?

それも本を読んでのお楽しみ。

 

この小説が何を言いたいのか、にわかには分かりません。

しかし、今 読み終わって ふと頭に浮かんだのは

次の松尾芭蕉の「奥の細道」の文句です。

 

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

 船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、

日々旅にして旅を栖とす。」

 

007_2

 

=== 一応 これで リアルタイム感想文は終わりです ===

この後、あらすじやあとがき、書評などを読んでみて、

この小説が何を語ろうとしているのか 調べてみたいとおもいます。

===============================

 

 

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四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」の異次元世界 その5

 

 

 

リアルタイム感想文です。

 

 

 

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

 

その5

 

 

さて、昨夜は2:30am頃迄小説を読み、

今朝は8:30amに起きました。

それで ふと小説のことを思ったんです。

 

やっぱりこの主人公は認知症に似た症状なんじゃないのかってね。

007

 

小説が始まった時には 長い旅行の後に この町に辿り着いた

ところだったんですが、この町でどういう日程で何をするのか

ということが記憶からすっかり抜け落ちているんですね。

 

それに、めちゃくちゃ妄想のようなセリフというか物語が多い。

それも、誰の記憶なのか、正確な事実を述べているのか、

その辺りも曖昧なんです。

おまけに 時間と空間が頻繁に飛んで廻る。

 

自分が今から何をしなければならないのかという予定が

すっと手の中からすべり落ちて行くようなストーリー展開が

やたらと多い。

だから、読者は「お前、早く次の仕事をしろよ」とハラハラ

しながら思ってしまう。

 

しかし、主人公は、その場の取り巻き連中の様々な言葉に

その都度動かされてしまう。本来やるべきことが頭の

中からすっとんだようにです。

 

だから、読者としてはこの主人公に口出ししたくなるわけ。

「おい主人公よ、ここで一言いわなくちゃいけないんじゃないの?

 次のスケジュールがあるから、それは出来ないよって。

今は出来ないから、明日の何時にしようよ・・・」

 

かと言って、まったく忘れているかっていうとそうでもない。

その場その場では主人公は対応しているわけです。

そしてそれが不安を増幅しているんですねえ。

 

それに一番感じるのは、ひとりひとりの登場人物の

セリフがめっちゃなが~~い。

何ページにも渡って続くという一人のセリフが何度も出てくる。

これって普通の会話のセリフじゃないんじゃないかと

疑いたくなってくるんです。

 

もしかしたら、主人公の妄想なんじゃないか・・・・

 

ちなみに、私はこの小説に関しては、一切予備知識はありません。

あるのは裏表紙に書いてあることだけです。

実験的で不条理な・・・それだけ。

わたし自身がどんな気持ちで読み進めることになるのか、

それを逐一記録しながら読んでみたい・・・つまり感想文も

実験的というわけです。

 

では、あと一日で読み終えることができるか・・・

今日も頑張りましょう。

 

 

ところで、この小説の舞台なんですけどね。

どうもハンガリーみたいです。

大陸にあって、フランスやイギリスには遠いと書いてある。

カフェでの大騒ぎの時にハンガリー語で歌っている・・・と

出てきたんです。 そして、主人公はイギリス人。

 

さて、どこまで来たんでしたっけ。

 

はい、目の前にコンサート・ホールがありながら、その前に

万里の長城みたいな壁があって、近づけない。

 

途方に暮れていたら、目の前に泊まっているホテルで働いて

いるポーターが主人公を見つけるんです。

 

このポーターですが、主人公の元妻みたいな女性の父親らしい。

 

で、有名なピアニストがポーター達のたまり場であるカフェに

やってきたってんで、その場が大騒ぎになる。

そして、ポーターダンスなるもので盛り上がるんです。

 

その前に、このポーターが、「この後すぐにコンサート・ホールに

行かなくちゃいけない」ってことを言うんですけど、

ここで何故か、主人公は「一緒に連れていってくれ」という

大事なことを何も言わないんです。

まったく馬鹿げています。

 

で、ダンスで大騒ぎの後、カフェのマネジャーみたいな男に

勧められてカフェの奥でひと眠りしちゃうんです。

 

で、はっと起きた主人公。

もしかしたら寝過ごして、コンサートに穴をあけたんじゃないかって。

 

でも、それは杞憂でした。

主人公は、誰もいなくなったカフェを出て、人通りがほとんどない

道をうろうろと迷いながら歩くんです。

 

そこで偶然にも、小説ですから、ホテルの支配人の妻と出くわす。

で、無事にコンサート・ホールに到着。

 

しか~~し、ここでまたとんでもない事に巻き込まれるんです。

 

 

ポーターダンスで重いスーツケースやらゴルフバッグの

パフォーマンスをやり過ぎた あの義理の父かもしれない男

が倒れてしまって今にも死にそうな状態なんです。

 

その男に頼まれて、男の娘と孫を急遽呼びにいかなくては

ならなくなった。

主人公は コンサートまであと1時間ぐらいしかないというのに、

自分でホテル支配人の車を借りて迎えにいくことに。

 

この車を借りるという結論になる前が、これまた支配人の

セリフがなが~~い。 イライラする。

しかし、そのセリフの内容は 例の墓場で元妻と話し合う

ためにまっている 今夜のコンサートの指揮者のトラブルなんです。

 

ここでは、主人公は今やるべきことを優先するんです。

男の娘と孫を迎えにいくこと。

 

ところがどっこい、まだそうは問屋が卸してくれないんです。

暗い道で車を走らせているとその途中で数名の人たちが

車を降りて 合図を送ってくる。

フツーなら緊急事態で走っているんだから、こんなところで

止まるわけがないんですが、主人公は止まるんです。

 

そして、そこで起こっている議論に加わってくれと強引に

車から降ろされちゃう。

なんてこった!! 信じられん。

 

ですが、これは小説です。

その現場は交通事故の現場だったんです。

そしてその犠牲者は、なんと墓場で元妻を待っていた筈の

今夜のコンサートの指揮者だったんですねえ。

う~~~ん。

010_2

 

「市民たちが次々に邪魔に入り」と裏表紙に書いてはあるんですが、

こりゃああんまりですよ。

それに、「邪魔に入り」というよりも、主人公が自ら巻き込まれて

いるという感じなんです。

 

752ページでホテルの支配人と話している場面。

 

「きょうの夕方、わたしがあなたをピアノの練習場から

お連れする車のなかで、あなたがたまたま何気なく、ミス・コリンズが

ブロツキーさまとお会いになるのを承知したと・・・」

 

これは支配人が主人公から聞いた情報に驚いて、なんとか

しなければと説明しているセリフなんです。

 

ところが、その主人公が車の中で支配人に話したというのは

本当だったかな? と読者である私は疑問に思ったんです。

 

その時の場面に戻ってちょっと読みなおしました。

長々とホテルの支配人が今夜のコンサートの準備を念入りに

やっているかという自慢話みたいなセリフがありました。

しかし、確かに あの二人が墓地で会うという話を主人公が

支配人に教えていたんです。

 

・・・つまり、読者の私の記憶も まあいい加減ってこと。

 

なぜ、ここで私がわざわざ確認したかと言うと、

もしかして著者は 登場人物の個別の記憶や主人公の記憶や

妄想をバラバラにして、しかもその間になんらかの繋がりを

もたせようと意図しているのかなと ふと思ったからなんです。

 

 

さて、交通事故の現場のレポートです。

 

今夜のコンサートの指揮者が、元妻が墓場には来てくれない

ということをホテルの支配人から聞かされ、自暴自棄になって

深酒し、自転車で元妻に会いに行こうとしていたところを

この車と事故ってしまい、足を切断しなくてはいけない状態に。

 

主人公と言えば、その事故に巻き込まれ、はっと思い出し

自分の元妻らしき女性に父親であるポーターが危ない状態

であることを電話ボックスから連絡しようと電話を掛ける。

・・・なのに、肝心のことは言わずに全く関係のないこと

ばかりをぐだぐたとしゃべり始めるんです。

 

そして、その元妻らしき女性との会話の中で、ようやく

それは元妻らしきではなく主人公の妻であることがはっきり

してきました。

 

ってことは、今危機にあるポーターは主人公の義理の父と

いうことですね。

 

さて、義理の父はどうなるのか、コンサートの指揮者は

足を切断されてどうなるのか、それにコンサート自体は

どうなってしまうのか、コンサートに現れる予定の

主人公の両親はどうなるのか、その両親の面倒を見てくれる

グループの あの幼馴染の女性に 主人公はちゃんと

失敗してしまった逆襲の罪滅ぼしができるのか・・・

001

 

ああ、今 786ページまで来たところです。

 

 

=== その6 に続く ===

 

 

 

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四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」のリアルタイム感想文 その4

 

これはリアルタイムでの感想文です。

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

その4

 

主人公は小高い山の上のぼろっちい小屋でピアノに向かいます。

傾いた小屋のぼろさに似合わない素晴らしい状態のピアノに

主人公は満足して、練習を始めます。

 

そして、練習は順調に進み、主人公は懸念していた自分の

演奏力にほっと胸を撫でおろすんです。

003

 

ところが、演奏の途中に、気になる音が下の方から

時々聞こえてくるんですねえ。

どうも、誰かが地下を掘っているような・・・・

 

そして、主人公の意識がここでも飛んで、妄想状態に入ります。

 

主人公の語りになっているんですが、それが事実だとは

とても思えないストーリーなんです。

 

ところがところが、その妄想が現実に繋がるという奇想天外。

 

地下から聞こえてきた音というのは、元指揮者が亡くなった

愛犬のために掘っていた墓・・・・らしい。

そして、その愛犬の葬式のために、元指揮者ブロツキーは

主人公に哀悼のピアノを弾いて欲しいと懇願していたんです。

そして、その懇願を主人公は拒否した・・筈なんです。

それがいつも間にか、懇願されたとおりにピアノを弾いた

ことにすり替わっている。

 

・・・そしてブロツキーはその墓地で元妻の女性とよりを戻そうと

懇願し、やっと会ってくれることになった場所。

 

そして、墓地を歩いているうちに、主人公は、ある葬列に

巻き込まれてしまうんですねえ。

有名なピアニストである主人公はそこで見知らぬ死者のために

祈ることになってしまう。

 

ところが、その埋葬の式のグループの中で、主人公を原因とした

トラブルに発展するんです。

 

それはどうも、あの新聞社の連中に引き回されて、なにがなんだか

分からないうちに、小高い山の上にある塔のところで

撮影された写真が新聞で大々的に掲載されたことが原因のようなんです。

 

ここで、また、例によってストーリーの次元飛びが発生。

 

何かっていうと、新聞社の連中に連れまわされて、なにがなんだか

分かっていなかったはずの主人公が ここにきてこんなことを

いうんです:

 

「きのうはサトラー館の前で写真を撮らせるなどという見込み違い

をしてしまったのだ。 もちろんあのときには、それがこの町の市民に

とってふさわしいメッセージを送る何よりも効果的な方法のように

思えたし、それにかかわる賛否両論についても十二分に認識

していたのだが・・・・」

 

・・・これって、まったくの妄想なんですよねえ。

もし妄想ではないとすれば、その時のこの小説の中での描写自体が

そっくりそのまま抜け落ちているって話になってしまう。

あるいは主人公自身の物語っている本人の記憶違いということに

なりそう。

 

 

まあ、そんなことが墓場でありまして。

そんな騒動がブロツキーのお陰で静まった頃に、タイミングよく

ある男、多分映画館で会った市議会議員かと思うんですけど、

今からコンサート・ホールに急いでいくといういうので乗せて

もらうんです。

 

そして、車の中で、その男の意見を聞いてみると、新聞に掲載された

サトラー館にまつわる話を聞かせてもらうんですが、どうもこれが

この町の人々にとってはおおむねネガティブな受け止め方をされて

いるらしいってことが分かっちゃうんですねえ。

 

そうこうする内に、街中の渋滞にはまってしまう。

男は、主人公に、あそこに見えている建物がコンサート・ホールで

歩いて数分の場所だから、ここから歩いた方が早いですよってんで、

親切にも降ろしてくれたんです・・・・

 

・・・が、ここでも例によって、異次元は話に突入するんですねえ。

主人公が迷いながらもすぐ目の前にコンサート・ホールの屋根が

見えてきたところまでくると、なんとそこには万里の長城みたいな

歴史的な壁が聳えているんです。

近くにいた女に尋ねると、この壁をくぐる穴みたいなものはない

っていうんです。

 

車で送ってくれた男は、この町の住人で、そんなことぐらい

分かっている筈なのに・・・どゆこと??

 

さてさて、この先どうなっちゃうんでしょ。

 

 

皆さん、私はこれをリアルタイムで本を読みながら書いているん

ですけど、決して「あらすじ」というわけにはいかないと思います。

 

「あらすじ」ってのは話の筋があってのものだと思うからです。

 

もう今までのこの感想文でお分かりだと思いますが、

この本の「あらすじ」を書けるだけの能力は私にはありません。

 

元々、なぜ私がこの感想文を「リアルタイム」にしたかって言えば、

それはこの本を読み始めた時に、話の筋というものがなさそうだったんで、

これは読み終わってから思い出そうとしても無理だと感じたからです。

 

010

この本の裏表紙にあるように、この小説は

「実験的手法を駆使し、悪夢のような不条理を紡ぐブッカー賞

作家の問題作」

なんてことが書かれているんです。

 

若い時に文学少年、青年でもなく、ミステリー小説などは

ほとんど読んだこともない私に 「不条理」な「筋のない」小説を

解読できるわけもありません。

 

ところで、今現在 938ページのうち688ページまで

辿り着きました。

多分 あと一日あれば 一旦読み終えることはできそうです。

・・・が全体を理解できるかどうかは異次元にありそうです。

 

 

 

=== その5 に続きます ===

 

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2018年1月21日 (日)

四次元か五次元か:カズオ・イシグロ著「充たされざる者」 感想文 その3

 

リアルタイム感想文

 

 

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」(早川書房)を読んでいます。

その3

 

さあ、ドキドキしながら到着したレセプション会場なんです。

 

011

ところが、レセプションらしきことはなにも起こらず、主人公が

なんか場違いとも思える罵声に近いことを会場にいた数名の

男女に投げかけるんです。

 

何故そんなことが起きたかというと、どうも、主人公が妻らしき

女性の昔の記憶を辿って、それを今はやりの「忖度」した結果みたいな

感じなんですねえ。

 

そして、レセプションの途中で三人が会場を抜け出すんです。

 

会場を抜け出した三人が行ったところは、男の子とそのお母さんの家。

それもすぐ近くのアパートなんです。

もう、位置関係なんかぐちゃぐちゃです。

 

で、まだはっきりしないんですけど、この三人は夫婦と息子みたい

なんです。 それなのに、男は一人で歩いてホテルまで戻るん

ですよねえ。 夫婦みたいなのに、夫婦らしくないっていうか。

その辺りの種明かしはまだまだ出てきません。

 

やっと主人公の素性らしきものが出てくるのがこの後なんです。

翌朝、スピーチの内容を検討するための情報収集にある女性の

家を訪問するんですが、そこでたまたま先客として居たのが

学生時代の知人という設定。

 

その男は学生時代に同級生の中の道化役として人気者だった男。

その男が言うんです。

「おれは何のためにまたあんなことをやったんだ?

二度とあんなことはしないぞと誓って、だからこそここへ

移ってきたのに。・・・あれは大昔の話だ、いまはもうそんな

人間じゃない、いまのおれを見せてやるぞ、と。」

 

そんな同窓会の席では、その男曰く、この主人公はピアノにしか興味

のない変人のような扱いをされ、みんなに茶化されているってんです。

 

同窓会と言えば、実際問題おそらくそのようなものなんでしょう。

同級生だった当時のイメージで相手を固定している。

それが嫌で参加しない人たちも多いのかもしれません。

反面、それが楽しくて参加もする。

人間は日々変化しているということで言うならば、固定された

イメージが苦痛な人たちは意外と多いのかもしれません。

しかし、人によっては何らかのトラウマを抱えている人も

いるのでしょう。

 

さて、この女性宅の待合室で、次にひと騒動が起こるんです。

その女性というのは昔なら町一番の美女と誉れの高い人で

その当時はオーケストラの指揮者と結婚していたらしい。

 

その後その指揮者であった夫とは離婚して随分年月も流れ

今や夫は落ちぶれた身の上というわけなんです。

 

その元夫がよりを戻したいと女性の家に現れてひと騒動。

まあ、その辺りは、小説を読んでいただくとして、

今更ながらで とんちんかんなんですが、どうもストーリーの

語り手の視点が変なんです。

 

というのは、例えばこういうくだり:

 

「彼女は掛け金に手を伸ばしたが、しばらく開けるのをためらって

いた。 そのときわたしは、ふと思いあたった。 ミス・コリンズ

にとっては、さっきからこうして二人が歩いてきたことと、

いま隣り合ってシュテルンベルク公園の入口に立っているという事実が、

このときのブロツキーには想像さえできない、はるかに重要な意味を

持っていたのだ。」 

 

「ミス・コリンズはまた歩き出した。今度はブロツキーが隣に並んで、

・・・ミス・コリンズが口を開こうとしたちょうどそのとき、

バークハートスが突然わたしの背後で言った。・・・・」

 

・・・なにに違和感があるかっていうと、

ここでの「わたし」は、主人公なわけです。

普通ならば、ストーリー全体の客観的傍観者である筆者が

その場面を俯瞰しながら物語を進めるのだと思うんですが、

ここでは主人公である「わたし」なんです。

主人公は、たまたまこの町をコンサートのために訪れている

ピアニストなわけで、この女性の今および過去の記憶、意識が

分かる訳はないんです。

 

それに、「ちょうどそのとき・・」の後の「バークハートスが・・・」

というその場所は、前者がミス・コリンズとブロツキーが散歩している

公園の中の話で、後者はミス・コリンズの家の待合室にいる

男と主人公の場面なんです。

いきなり主人公の視点が空間を飛んでいる。

もしかしたら時間をも飛んでいる。

 

なんとなく、この主人公というのは、元妻(らしき女)の意識にせよ、

この女性の記憶にせよ、他人の記憶なり意識を自分のものの

ように振る舞っているような 変な違和感があるんです。

 

だから、この小説は 時空を超えたみたいな変な雰囲気がある。

主人公の意識が時空を飛んでいると言ってもいいかも。

 

こういう意識が時空を超えて動き回るという話は、

先日読んだ 木内鶴彦著「臨死体験で明かされる宇宙の遺言」

という本の内容にかなり近いんです。

 

つまり、臨死体験の只中にいる人間の意識が時空を超えて

あちこちの人間の意識の中に入ることができるという話に

そっくりなんです。

 

それはまるで霊媒師のご宣託のような響きさえあるわけです。

霊媒師が先祖の魂にコンタクトを取って、時空を超えた世界から

先祖の意識が現在のリアルな世界の人間に霊媒師を通じて

意識を向けているような・・・・

 

ちなみに、最新の素粒子物理学の世界でも

意識は素粒子レベルにその根源がある・・・みたいな話も聞きます。

もしかして、著者は、そういう意識の世界を念頭に置いているの

かもしれないな・・・と思うわけです。

 

 

「ちょうどそのとき、バークハートスが突然わたしの背後で言った。」

の続きなんですけどね、・・・

 

「「だから何なんだ? それがどうした? しょせんみんなは

外国人じゃないか。 おれの母国にはいい友人がいる。 故郷に

帰りさえすれば、みんながそこで待っていてくれる」と。

結構毛だらけだよ、おまえがそんなに都合のいい助言をもちだすのは。」

 

・・・この部分が何なんだって話なんですが。

この物語の設定場所は、大陸側、つまりフランスあたりみたいで、

登場人物はイギリス人が多いみたいなんです。

それよりも、私としては この「結構毛だらけ・・・」が

ぐっときました。 昔よく使っていましたねえ。

翻訳者も同年代なのかな?

 

さて、やっと、この辺りで主人公は自分がピアニストでありながら、

それも目前に迫ったコンサートの為の練習をまったくやって

いなかったことに気が付くんです。 やっと・・・

 

本当に読者としてもハラハラする展開でしたからね。やっとです。

 

そして、もちろん、その1~2時間の練習の為のピアノと

練習場がまたまた問題になりまして。

 

ホテルの支配人がホテルの中の二カ所を勧めるんですが、

ここじゃだめだってことで、ホテルの別館と呼ばれるところまで

車で主人公を連れて行くんです。

 

で、その車の中での会話なんですがね、

会話というより支配人の独白みたいなものなんですが、

この文庫版のページ数で20ページほども延々と続くんです。

 

その内容はと言えば・・・支配人とその妻の夫婦関係に

隠されている20年以上も前からの秘密・・・なんです。

 

こんななが~~い独白が 今後のストーリー展開にどんな

伏線となっているのかは想像もつきません。

 

・・・ということで、主人公はピアノが置いてあるという別館が

ある小高い山の麓にとうちゃこ。

 

さて、どうなるのやら・・・

 

007

 

=== その4 に続きます ===

 

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